2010年12月9日木曜日

第6章「幽現の渦」―2: ハイテク機器の怪―part2: PSP の異変

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第6章「幽現の渦」―2: ハイテク機器の異変―part1: PSP の怪
Weblog / 2010年12月09日 15時52分35秒


なぜ、息子が見た夢が現実に起きるのか。なぜ、彼の悪夢が正夢となるのか―

 私は、この襖の異様な汚れが「飛び散った血痕」と知ってからは、その部分にまともに目をやることができませんでした。

 飛び散り、なすりつけられ、したたった後の残る変色した血。これは一体誰の血なのか。DNA 鑑定でもすれば、どこの誰の血なのかは判明するでしょう。

 しかし、どこの家族が、我が家の襖に飛び散った血の DNA 鑑定などを頼むでしょうか。

「いつの間にか、こんな血がついていたんです」

 ―こんな理由は、決して通りません。また、依頼した直後から、「家庭内で何らかの事件、犯罪が起きたのだ」と疑いの目で見られるに違いないのです。

 物が飛ぶとか、壁の音がするなどといった現象は、視覚聴覚上の妄想と、専門家には片づけられることもありましょう。

 しかし、「襖に血糊が残っている」という事実は、現実に目の前に動かぬものとしてあり、99%、「何らかの事故もしくは事件の証拠」と見なされ、「超常現象として起こったのではないか」と認識される可能性は、限りなく零に近いものでした。

 そこで、このことも、誰にも相談ができず、ただ家族3人で不気味な孤独感に苛まされるだけだったのです。

 その襖のおびただしい異様に変色した血痕は、私にとって、正視に耐えうるものでは到底ありませんでした。

 ただ、私が実に不思議であり、且つ明確な事柄として感じたことは、「超常現象は、まだ13歳と半年にも満たぬ息子を通して、より明瞭に現れる」ということでした。

 ネットのあるサイトで、「霊魂が入って語る、という霊的な能力を有する者を、霊媒という」といったことが書かれてありました。

 これが真実ならば、息子は「霊魂が彼の頭に入り、夢を見せ、その夢を現実に再現しようとすればできる能力を持つ『霊媒』」ということになります。

 いきなり自分の子が「霊媒」だと信じることは不可能でしたが、目の前で起きたことを解釈する上では、こんな「非現実的な解説」が妙に当てはまる気がしてなりませんでした。

 実際、6月8日、ユタカは昼寝で「誰か中性的な人物が出現し、携帯やデジカメを仕舞ってあるタンスの前に立ち、『証拠になる物が残っている』と言い、10分ほどそこにじっとした後、姿を消した」という夢を見ました。

 その話を聞いて、私が携帯やデジカメを確認すると、「夜中のスタンドのダンス」のムービーフォルダ、「どこかの家の板の間で数秒間撮影されていた、粘土のように潰れた醜悪な顔」のムービーデータが、どちらもきれいに消去されていたわけです。

 その時、息子は「霊は、霊感のある人間の夢に現れ、直接話しかけてくる」と私に言ったのです。

 ユタカがいつ、どこで、そんな情報を知ったのかが不思議でしたが、その時は「そんなものなのか」と、深く考えることもありませんでした。

 しかし、今、思い起こしてみると、ユタカのその言葉は、まさに「霊媒」の能力の証明ともいえるものだったのではないか―そのように思えて仕方がないのです。

 もちろん、息子が「僕は『霊媒』だから」と自ら意識し、私たちに宣言していたわけでは決してありませんでした。

 寧ろ、彼自身が気がつかないうちに、そんな「体質」となってしまい、「霊的存在」が息子の口を借りて、何かを主張しようとしていた、といった感が強かったのです。

 そうした印象が特に明瞭となってきたのは、6月27日の真夜中でした。

 その日は、午前0時50分頃から1時過ぎまで、母とお経を、テープと共に唱え、唱えた後もしばらくお経の音声を繰り返し流していました。

 すると、クーラーのリモコンが、勝手に、私の枕元から母の枕元へと、2、3回往復して飛びました。

 「危ない、リモコンが―わっ!また飛んできた!」

 もう「物が飛ぶ」現象が起きて、1ヶ月半にもなる頃でした。それでも、何かが「独りでに飛ぶ」ことに対しては、その都度、鳥肌が立つほどの恐怖でした。

 そして、再び、3日前の夜中と同様に、私の足の裏が、「誰か」の指で「グイッ!」と押され、ユタカの肩を「冷たい手」がぴたりと触れたのです。

 「わっ!冷たい手で、また触られた!」

 息子は怖がり、遊んでいたDS を布団の上に放り出すと、タオルケットを頭から被ってしまいました。

 その後、妙に張り詰めた空気が和やかになり、彼は1時50分には「眠くなってきた」と言い出しました。

 ところが、突然、タオルケットをガバッとはねのけると、ユタカは「気配!」と声を上げました。

 「気配?何......何の?」
 「ベランダだよ!ベランダを歩いている......!」

 「......誰......?」
 「大人の男だ......大人の男の足音がはっきり聞こえる......」

 私はその足音は聞こえませんでしたが、ユタカはベランダを凝視し、じっと耳をそばだてていました。

 すると、その気配と呼応するように、隣室の壁をドン、ドンと鈍く、次にいつものように「コンコンコン......!」と叩く音が始まりました。

 私は、急いでテープで『般若心経』を2回ほど繰り返して流し始めました。

 すると、ユタカが独り言のように、誰にともなく喋り始めました。

 「......もう、念力で、部屋の中に入らなくても、室内の物は飛ばせる。室内に貼ってあるお経は、もう意味がない......音声だけが手掛かりだ......」

 まるで催眠術にかかったように、何者かに操られてでもいるかのように、奇妙な内容を語ったのです。

 私は、「音声だけが手掛かりだ」というのは、「お経の音声」を意味するのだろう、と思いました。こうして、息子が不思議な独り言を口から発した後、壁の音はピタッと止まりました。

 ユタカは、半ばウトウトしつつも、更に話し続けました。今度は、彼自身の感じたことのようでした。

 「......気配、消えた。ベランダで、今、足音したけど、遠くへ走って行ったのを
感ずる......」

 こう言った後、ハッと目が覚めました。

 ユタカは、「僕、今、無意識に何か......言っていたような気がするんだけど......?」と私に不思議そうに尋ねました。

 私は、彼の話した内容をすべて教えました。すると、ユタカは驚いた様子でした。

 「えっ?『気配』とか『念力』......?そんなこと、僕、言った?全然覚えてない」

 「『お経は意味がもうない』って言ったのも?」

 「ぜーんぜん、覚えていない。僕、そんなこと、言うわけないよ。だって、お経は大事じゃない。それに、人は、何か言う時、意識して物を言うでしょ?今だって、意識して言っているんだよ。ホントに、さっき何か言ってたなんて、自分でもよく覚えてないよ」

 そして彼はこう言った直後に、また正反対のことを言いました。

 「何か、無意識に言っていた気もするけれど......」

 全く、この出来事は不可解でした。まさに、「霊的存在」なるものが、まだ若く、感受性の鋭い13歳の少年の脳を借りて、己の主張を語り、そしてどこか遠くへと再び去って行ったように思われました。

 しかし、「幽体」が息子の頭に入り、何かを「語る」という現象は、よく考えればこれが初めてではなかったのだ、と気がつきました。

 旅行の数日前、やはりベランダの外に「4人家族」が浮かび、口々に「ここは私たちの家」「侵入不可能」「よそを探そう」などと話し合った、という奇々怪々な出来事がありました。彼らの会話も、やはり「息子の口を借りて」交わされたものだったのです

 しかし、「なぜ息子が何かに利用されているのか」という疑問も、8月の最中頃には徐々に薄らいでいきました。その頃までには、ユタカだけでなく、私や母も、「何か」に深く関わっていくようになったからでした。

 その晩は、「自分の言ったことは信じられないし、覚えてもいない」とユタカが首を捻った後、もう夜中の3時過ぎだったので、私たちは少し微睡んでいたようです。

 またいきなり、強い「ゴンゴンゴン!」という壁の音で、皆、再び目を覚ましました。

 「ベランダに人の気配―中性的な大人がいて、こっちに接近してきている......外から強いパワーを発している。ねえ、部屋中の本を投げ落とそうとしている強い気配感じるんだけど......」

 息子は、警戒心を覗かせながら、妙に落ち着いた調子で状況を説明しました。

 その「外から室内の本を投げ落とそうとしているパワー」とは、1時間ほど前に、ユタカに無意識状態に陥らせつつ呟かせた「もう念力だけで、室内に入らなくても、中の物は飛ばせる」と語った「モノ」の力ではないか、と私は判断しました。

 その頃、ユタカはSONY の PSP がお気に入りで、主にパソコンからダウンロードした曲をPSP に保存し、寝る前によく聴いていました。曲はモーツァルト、ドヴォルザークなどのクラシック以外に、英米のロックなどを多数集めていました。

 「壁の音、うるさいから、明るい曲でも流そうか」

 こうユタカが言うので、「こんな真夜中に?」と私は躊躇しました。

 「いいじゃない。壁がドンドン騒がしいんだから、同じことだよ」

 彼が騒がしいロックを故意に選び、流そうとしていたその時、ユタカは「あっ」と言うと、PSP から手を離しました。

 「今、誰かが僕の手に触った」
 「本当?......でももう一度、試してみたら?」

 再度、ユタカが PSP を手に取り、「えーと、これにしよう。リンキン・パーク のうるさい奴」と言い、音量も最大限にして流し始めました。

 その最中も、壁の音は執拗に続いていましたが、ユタカの試みも、ふたたび「誰かに手をはたかれる」ことでPSP は床に転がり、失敗してしまいました。

 「何だよ、もう、邪魔ばっかり」

 ユタカは3度目の挑戦に挑みました。すると、曲が30秒も続かないうちに、いきなりPSP の電源自体が消されてしまったのです。

 しかし、このロックの効果は確かにあったようでした。

 というのも、曲が消される直前、息子には「何者」かの「やめろー、やめてくれ!」との悲鳴めいた声が聞こえ、私達が途方に暮れていた壁の騒音も妙な気配もきれいに消えていたからです。

 その後、息子はこうした一連の現象について、彼なりの判断を私に語りました。

 「霊は、成仏したいって、本当は思っているんだよ。でも自分では成仏はなかなかできないから、人に『成仏させてくれ』って、取り憑いて、悪さをするんだよ」

 「どうして、そんなこと分かるの?」
 「そんなの、『心理』というものを考えたら分かることだよ」

 ユタカは、いつの間にか、霊の存在を自然に認識し、その霊にも「心理がある」と考えるようになっていた訳ですが、私は「霊の存在」などは理論的に把握するどころか、「霊そのものの心理」など、想像することもありませんでした。

 「霊」との言葉が、すべて私の心を脅かし、凍り付かせるものだったからに他ありません。

 それなのに、まだ13歳の息子が、「霊の心理」を「人の心理」として捉え、その必然性を至極当然のこととして理解していたのです。

 「最初は、4人家族が(旅行前に)いたけれど、お経で成仏。次は古井が出てきたけれど、こいつも昨日のお経で成仏。後一人、中性的なのが残ってて、こっちはお経で一時的に退散したけれど、すぐに戻る。でも、夜中にふさわしい静かな曲より、ふさわしくない明るい騒がしいロック系の曲には退散するんだよ」

 その当時は、息子の超常現象に対する理論的な説明に、「ふうん、なるほどね」と同感するのみでした。

 しかし、2008年のような激しい現象が、ややなりを潜めた今現在となっては、なぜ、その当時、息子が俗に言う「心霊現象」をごく普通に起こる得ることのように解釈し、私に語ることができたのか、不思議でならないのです。

 父は、いつもお世話になっている日蓮宗の旦那寺の住職さんに、5月中旬から始まった一連の現象を既に相談していましたが、住職さんのお話では、「2008年の今年は厄年に当たります」とのことでした。

 また、2001年に大阪から兵庫に転居したことを、「方違えとして、鬼門の方角だったのかも知れません」と住職さんはおっしゃったそうです。

 「方違え」と言えば、平安朝によく行われた風習だと思っていた私には、「この現代に?」と有り得ないことのように感じました。

 しかし、これだけ怪異が頻発している以上は当然であろうとも思われたのです。

 ところが、この6月末から7月初旬にかけて、こうした古来からの「方違え」の失敗とは妙にそぐわない事柄がよく起こりました。

 それは、21世紀という時代を反映してのことなのか、PSP,パソコンなどに超常現象が起きたことでした。実際、米国のある企業のパソコンに、毎日のように、同じ内容の文書がメールで大量に送られてくる、という事変が起きたそうです。

 ウイルスかと検知したが、そうではない。

 そうする合間にも、受信ボックスは例のメールで容量がパンクしそうになる。

 そこで、社会問題にも都市伝説にもなり、「要するにこれはポルターガイストなのだ」との騒ぎになったそうです。

 そして、ハイテク機器が妙な具合になる現象が、我が家でも起こるようになったのです。

 しかし、最も凍りつく経験は、7月13日頃から突如として始まった「霊との会話」だったのです。
(To be Continued......)