2011年2月2日水曜日

第6章「幽現の渦」2―ハイテク機器の怪―part4:SonicStageの削除

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 翌日、6月最後の30日の晩のことでした。この時も物が飛んだり、トイレから音がするなど、様々な怪異がありました。

 午前0:50 頃、まだ私たちはリビングにおり、息子がパソコンに背を向けながら、私と母に話をしていた時でした。

 その時、私たちが立って話していたのか、座っていたのかは覚えていませんが、話の途中、急に息子の背後で「ドサッ!」と重い物が落ちる音がしました。

 見ると、それは、父が知人の方から頂いた『般若心経』の解説書でした。この本は、パソコンのプリンターの上に置いてあったのが、誰かが払いのけたかのように、床に落ちたのです。

 母は、はっきりと「霊」とは言いませんでしたが、「まあー、この本が飛ばされるなんて......きっと『あいつら』は、この本を恨んでいるんだろうね」と畏れと驚きの混じった口調で目を丸くしました。

 その10分後、午前1:00 頃に、私は毎晩就寝前の習慣で、戸締まりと消灯を確認しました。廊下からリビングへと入る扉をガチャリと締め、リビングの明かりを消し、襖を閉めた瞬間でした。

 「ガツーン!」

 また何かが襖に激しくぶつかる音に、ギクッとしました。何かと襖を慌てて開けると、足下には洗面所に常に置いてある父の歯ブラシが転がっていました。

 これは、到底信じ難いことでした。

 洗面所は、玄関土間を上がってすぐ右手にあり、その左手の短い廊下の先に、リビングの扉があるのです。

その扉は、私の手で、しっかりと数十秒前に閉められたというのに、その扉をすり抜けて、この歯ブラシは飛んできたわけでした。もちろん、扉は固く閉じられたままでした。

 私は呆気にとられ、あまりの驚きに、再び恐怖心が麻痺していくのを感じました。

 こんなことがあるだろうか―

 ただ、そう心で呟きを繰り返していました。

 扉や壁で仕切られた空間を、いとも簡単にすり抜けさせるような力は、もはや現実世界ではあり得ない、異次元空間でしか起こり得ないことです。しかし、その時の私には、「異次元」との言葉も思い浮かびませんでした。

 こんなことが一体どうして起こるんだろうか―

 そんな問いが頭の中でくるくる空回りしていました。

 ただ、5月の終わり頃、台所隅のゴミ箱の下の方に押しやるようにして捨てた、ユタカの小さなアトピー薬のチューブが、やはり寝室の閉めた襖に吹っ飛んできて、勢いよくぶつかったことを思い出した現在では、そうした「閉ざされた空間をすり抜ける」現象は、一連の超常現象と同一のものだ、と思い出すことができます。

 2年前の6月最後の晩は、その「ゴミ箱から飛び出したチューブ」のことは、すっかり忘れていました。

 それほど異様に感じ、吹き荒れる砂嵐の埃を掴むことなどできないように、何かが起きても、前後を関連づけることは、当時は全くと言ってよいほど不可能だったのです。

 こうした現象が起きるか起きないかに関わらず、毎晩『般若心経』を母と唱えることになっていた私は、この歯ブラシの件で、まだお経を唱えていなかった、と気づきました。

 そこで、午前1:20 頃から一心に唱え始めましたが、いつものように、隣室から壁を叩く音がスタートしました。

 その音は、「コンコン!」ではなく、いきなり「ドーン!ドーン!」と響き渡る、地鳴りのような凄まじさでした。

 今にも壁が割れるのではないか、と思ったほどで、実際、音が鳴るたびに壁が揺れるのが見えました。

 私は「お経で鎮まれ、鎮まれ」と念じながら、『般若心経』を懸命に繰り返しました。すると、徐々に音はかすかになり、やがて何も聞こえなくなりました。時計を見ると、午前1時半でした。

 ほんの10分間であったのに、無人の隣室からの壁の轟音を耳にし、ゆらゆら揺れる壁を見ながらお経を唱えている間は、真っ暗闇の、上も下もない奇妙な空間の底に投げ込まれているも同然でした。

 現象が収まると、まだ明かりの煌々とついた6畳の、見慣れた寝室に家族と共にいるだけでした。

 さっきまで、壁が揺れ、恐ろしい音が激しく壁から響いていたのが嘘のよう―

 こうした、「非現実と現実」の間を行きつ戻りつしている生活が、もうこれで1ヶ月半、続いていました。

 こんな現象を目の当たりにしている間は、恐怖は不思議と感じていませんでした。ただただ、「早く静かになってほしい」と必死にお経を唱えていただけのように思われるのです。

 けれども、その「必死な願い」というのが、やはり「恐怖」の現れだったと、今では思います。当時は、「恐怖」が現実に起こると、その気持ちを自分自身、「私は今、怖いんだ」と認識できなくなっていたのかもしれません。

 恐怖を認識できないが、異様な出来事を経験した後は、脳も興奮し、体も緊張していたせいでしょう。なかなか寝つかれない私は、午前2:50 にトイレに行きました。

 すると、昨夜と同様、トイレに入った途端、ドアを「コン......コンコン!」と手の甲の関節で素早く叩く音がするのです。

 ドキッとする間もなく、続いて、便座の真向かいの壁を「ドンドンドン!ドンドンドン!」と強く叩く音が始まりました。

 この壁の向こうは、玄関土間の右手に当たりますが、こんな夜中に土間に降りる者がいるでしょうか。母と息子は、寝室で寝ているのです。

 6月中旬の旅行でも、宿泊先のトイレから音がする、という経験をしましたが、トイレに自分が入って、その中で怪音が聞こえてくるといったことはありませんでした。

 身がすくむ思いで、壁の音が止まない中、急いで用を済ましましたが、心臓が苦しいほど高鳴っていました。

 水を流し、焦りながら手を洗っていると、静まり返った廊下やリビングから、「カーン!」「ドサッ!」と何かが飛んだり落ちる音がします。

 また、何が起きたんだろう......?

 魔物の檻から逃れるように、トイレを飛び出し、廊下を見ると、洗面台横に立ててある私の歯ブラシが、洗面所の真向かいにある私の書斎の入り口付近に落ちていました。

 それを元通りにし、リビングに入り、明かりをつけると、今度は私のノートが部屋の中央に落ちていたのです。そのノートは、この6月5日から、超常現象の起きた時間、物、状況などを記録したものでした。

 閉じたノートパソコンの上に置いていたのが、2mほど吹っ飛んだ―

 さっき、トイレの中で聞いた音は、これら歯ブラシやノートの落ちる音だったのです。

 リビングから閉めたドアを隔てたトイレの中で、「ドサッ!」と聞こえたのだから、よほど強い力で、そのノートは叩きつけられたのでしょう。

 2時間ほど前に、やはりプリンターの上にあった『般若心経』が「はたき落とされた」時と同じ印象を私は受けました。

 「霊」を鎮めるために手本としている書物や、「霊」が引き起こした記録を記したノートが、『彼ら』には恨めしいのか、と―

 その日の晩は、それ以上、何が起きたかは記されていません。きっと、もう何もなかったので、午前3時過ぎには寝たのでしょう。

 夜はこのような怪現象に戦き、3時4時にやっと寝る、ということは、この頃にはもうごく普通になっていました。起きるのは、お昼前がやっとでした。

 この6月30日の午後2時頃、遅い朝食を皆で食べた後、息子はパソコンで動画投稿サイトの YouTube を眺めていました。

 「ねえ、『般若心経』で検索したらさ、いろんなバージョンがあるよ。ほら、ロック調にアレンジしたのとか。これ面白くない?」

 私にとって、『般若心経』は、毎晩、何の理由か分からないが、壁を叩いたり、物を飛ばしたりなどの現象を起こす「得体の知れぬモノ」を退散させる護符でした。

 それだけに、必要のない時は、『般若心経』と関わりたくない気持ちが強くありました。あのお経を聞くと、「霊への畏怖」がどうしても沸き起こるのです。

 けれども、息子が「面白い」といった、ロック調の『般若心経』には、私のお経への忌まわしい気持ちを吹き飛ばす明るさが満ちていました。私も、その曲を聞いて笑いました。

 「ほんとに、すごいね。あのお経を、こんなにロックにしちゃうなんてね。歌った人は変わってる。わざわざお経をロックに歌うなんてねえ。でもすごい才能よね」

 「じゃ、これ、SonicStage に転送して、PSP に保存しておこうか」

 SonicStage は、その頃ユタカが夢中になっていた、CD や パソコンからの音楽転送・保存ソフトでした。

 私は CD からのみ好きなクラシックやポップスをコピーしていました。それに興味を持ったユタカが、6月26日頃から、音楽配信サイトからロックなどを取り込み始めました。

 更に、その曲を PSP に保存するようになり、息子はいつの間にか、パソコンや SonicStage を私以上に使いこなすようになっていました。

 彼が、ロック版『般若心経』を SonicStage に転送し、次に PSP に USB ケーブルで保存した、まさにその直後でした。

 「あっ!」

 ユタカは、私が飛び上がるほどの驚いた声を上げました。

 「消えちゃった!全部消えた!なんで?なんで?」

 彼は、信じられないといった表情で、そばに立っている私を見上げました。

 「消えた?何がなの?」

 「急に『削除します』って表示がパソコンに出て―ほら、SonicStage の保存していた曲全部が、ざーっと消えたんだよ!あっと言う間に!」

 私がパソコン画面を見ると、あんなに何十曲も保存していた音楽ファイルが、SonicStage からすっかり無くなり、空っぽになっていました。

 「ああ、好きな曲もあったのに―でも何で急に消えたの?」

 「分かんないよ―今、僕の目の前で、ザーッと次々と消えたんだ。それに、消えていく時、『呪―死―殺』という文字がパッパッと現れては消えていったんだ」

 パソコンは、プログラムが複雑に組み合わされた高性能の機械だから、パソコンに不具合な状況が起これば、「削除しますか?」と出ることは、そう珍しいことではありません。

 しかし、SonicStage に取り込んだ曲を、PSP に転送することは、ユタカは毎日、ごく普通にやっており、そこで不具合が起きた試しはありませんでした。

 不具合が起きた場合、パソコンは「画面でエラーが発生しました。プログラムを終了しますか?」といった表示を出し、ユーザー側が「はい」か「いいえ」を選択する、といったパターンが一般的です。

 そのため、パソコンがいきなり「削除します」との表示を出すのは極めて不自然なことなのです。

 私には、パソコンの頭脳が「削除します」と表示したのではなく、『般若心経』を恨み、それを PSP にまで転送した行為に対する仕打ちをしようとした「モノ」たちが、故意にそう表示したのではないか、と直感しました。

 『彼ら』の怒りは、SonicStage の楽曲データが次々と削除される際にユタカが見た『呪―死―殺』との文字に明確に表明されていたのだ―

 私は、そう判断しました。

 こんな現象が、精緻に組み込んだパソコンのプログラムの中においても起きる。

 しっかりと閉めたリビングの扉を、歯ブラシが洗面所からすり抜けることでさえ、異様に感じたのに、デジタル機器の中身、電子データなどにも、『彼ら』の意志は自由に入り込み、自分たちにとって不都合なことは削除するなど、プログラムを意のままに操ることができる―

 こんなことが可能であるなら、歯ブラシを、閉じた扉から貫通させることなど、『かれら』にはいとも簡単な行為であったことでしょう。

 しかし、パソコンに起きたこの現象は、私にとっては、異様さを超越した、まさに「奇々怪々」そのもので、到底想像できなかったことでした。

 「ねえ、もう『般若心経』を検索するのは止めたら?」

 私は、何かとてつもない事件が背後から襲ってくる異様さに囚われ、息子に懇願しました。

 「こういう変なことが起きるの、嫌だよ。『般若心経』は、カセットテープに録音してあるのだけで、もう十分じゃない」

 泣きたい気持ちになっている私とは正反対に、「ハイテク機器に怪現象が起きた」ことが、ユタカの好奇心を非常にそそったらしく、彼は笑っていました。

 SonicStage のデータがいっぺんに削除された驚きも、彼の旺盛な探求心になぎ倒された様子で、ケロリとして、こう言いました。

 「いや、大丈夫だよ。さっきのは偶然だろ。そんなに何度も起きないよ。ほら、別のリズムで唱えているのもあるし、ゴスペル調のもあるじゃん。これ、いいじゃん」

 ユタカにそう言われると、私の強ばった気持ちもほぐれ、その『ゴスペル調・般若心経』に聴き入りました。

 ゴスペルとは、黒人霊歌やジャズ・ブルース風の、アメリカの黒人教会における聖歌です。

 『般若心経』が、こんなに巧みにゴスペル・ソングになるとは、と正直感動したほどでした。このアレンジされたお経を歌った人は、好奇心に加えて、冒険心もあったのだろう、とユニークに思いました。

 ユタカは、私が興味を持ったことに満足し、早速、YouTube から SonicStage に、いろんな住職の方々が様々なリズムで唱える『般若心経』を2種類と、『ゴスペル調・般若心経』とを転送し、更に、ゴスペル調だけを PSP にコピーしました。その瞬間―

 「あっ!消えた!」

 今度は、親子同時に声を上げました。

 SonicStage に残っていた2種類の『般若心経』のファイルが、目の前で、一瞬にして消えてしまったのです。

 二人して、「どうしてだろう?」と話し合いましたが、無論、答えは出ませんでした。

 結局、『般若心経』を PSP に取り込もうとの試みは、ユタカ自身が「パソコンがバグるかもしれないから」と言って、止めてしまいました。

 その日の晩、午後8時頃、ユタカは再びパソコンの電源を入れ、インターネットを開きましたが、「ねえ、変だよ。これ見て」と食卓に座ってテレビを見ていた私を呼びました。

 私は、パソコンを2003年頃から使い始めましたが、その時から、ネットで新聞を読める便利さに魅力を感じ、新聞購読は止めていました。代わりに、ネットのスタートページに朝日新聞のネット版 Asahi.com を設定していました。

 しかし、「変だ」とユタカに言われて見ると、いつもの Asahi.com は表示されておらず、「空白のページ」と画面左下に記され、モニターは真っ白の状態だったのです。

 更におかしいのは、「お気に入り(Bookmark)」に保存していたすべてのサイトやデータがひとかけらも残さず、消えていたことでした。

 こうした「パソコンの異変」は「パソコンがバグっただけだろう」とのユタカの判断で、あれこれ再起動したりするうちに、何とか元通りになった、と記憶しています。

 しかし、午後10時頃になって、パソコンを使っていたユタカが突然「うわっ気持ち悪い!」と慌てて立ち上がりました。

 「何なの?」

 「何だよ、これ―でっかい指紋―これ、誰の?」

 私がユタカの指さす場所をよく見ると、ノートパソコンのマウスパッドの右側に、縦4cm、幅3.5cm ほどの、足の親指のような指紋がべったりと張り付いていました。

 足の親指全体ではなく、親指の腹だけで、そのサイズというのは、尋常ではない、とすぐに感じました。

 雪男でもない限り、そんな大きな指紋はあり得ません。それに、パソコンの上に、一体誰が足を真っ直ぐに乗せるでしょうか。

 何が何だか分からないまま、ただ違和感と畏怖感に怯えつつ、そのパソコンは蓋をし、「11:30 頃、箱に入れてしまい込んだ」―

 6月最後の私の記録は、これで終わっていました。(To be continued......)