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2008年7月が訪れました。家で異様なことが起きるようになって、もう1ヶ月半が経っていました。その1ヶ月半は、私の今まで経験したことのない、長い長い日々のように思われました。
一体、何が原因で、奇妙な現象が起きるのだろう。一体、こんな現象に終わりがあるのだろうか―
そうした疑問や不安を抱えながら暮らしていました。「もう7月か」と考えただけで、他には何も考えられません。
ただ慰めや気晴らしになることは幾つかありました。
その中に、テレビドラマやDVD 鑑賞がありました。6月28日土曜日、夜9時から『ごくせん』という仲間由紀恵主演のドラマをユタカと観たりしました。これは、高校の不良生徒たちと、仲間由紀恵演じる女性担任の交流を描いた元気なドラマでした。
学校が舞台となる映画やドラマは、「学校のことを思い出したくない」ユタカにとって、嫌ではないのかと私は心配しました。
しかし、ユタカ自身が「これ面白そうだから、観よう」と言って、夢中で観たのです。
そうした息子の日々の様子を、私は中学のカウンセラーである島田先生に週1回、学校の相談室を訪れては報告していました。
「きっと、そういうドラマを観ながら、自分の心の中で、苦しかった経験と、楽しかった経験との折り合いをつけようとしているんだと思いますよ」
島田先生は、そう解釈して下さいました。しかし、私には、息子がそうしたドラマを観ながらも、「折り合いをつける」より、寧ろ、まだくすぶる「いじめに遭った苦しさ」を忘れようともがいているように見える時がありました。
ちょうど島田先生と話し合いが終わった頃、学年主任の国語の先生が相談室に入って見えました。
主任の先生は、「夏休みに入ったら、生徒たちも一部は部活で学校に来る子もいますが、夜8時以降は誰も来ません。ユタカ君がもしよければ、学校の図書室を開けてお待ちしてますから、好きな本でも借りにいつでも来てね、と伝えて下さいね」と言われました。
私は、先生方の好意に感謝しながらも、その提案をユタカが受け入れるかと訝りました。
帰宅して、そのことを息子に言うと、案の定、彼は「え~?学校の図書室?」と嫌な顔をしました。
「嫌だよ。学校に行くこと自体、嫌だ。部活の帰りで街の中をぶらついてる奴らに会うかも知れないと思うと、よけい嫌だ」
私は、島田先生から「物事を強制しないように」と常々言われていたため、それ以上、図書室の話は一切しませんでした。
私が強制しないのは、先生からのアドバイス以外に、ユタカが、日頃からよく学校に関する悪夢を見ていたからでした。
「ねえ、嫌な夢を見たんだ。中学が、家の前の小学校の場所になっている。というか、小学校が中学になっているんだ。その中学がさ、原爆投下されたみたいに黒焦げになってて、廃墟の中を、小6の時、僕をいじめた井塚と一緒に見て回るんだよ。
廊下や教室の壁には、先生たちが、『原爆の影』のように、黒い影になって貼り付いてて......爆弾の炎で一瞬で蒸発したみたいになっている、そういう夢」
私は、彼のそういう話を聞くと、「いじめのトラウマがそうした夢に現れるのか」とぞっとしました。
また、ユタカは「よく見る夢」と言って、こんな話を度々していました。
「ねえ、最近、怖い夢見るんだ。ベンチがあって、僕がそこに座ろうとすると、もう先に誰かが座っている。周りが真っ暗で......それが誰だか分からないし、男か女かも分からない。
そばに知っている人が一人もいない。お母さんも、ばあちゃんもいないんだ。すごーく、不安で、怖い気持ちになって、ベンチから逃げようと走るけど、先に進まない夢。目が覚めると、本当に走った後みたいに、ドキドキしているんだ」
そういう夢を見ること自体、息子の中学1年時に受けたいじめは、彼の意識の底に深く深く根を張り、容易に癒すことの不可能な心の傷となっているのだ、と私は思いました。
第三者の方々に支えられながらも、13歳の息子が自分一人で外出もできなくなった状況から、いつ立ち直れるのかが予測もつかないのです。
また、子供が不登校の状態になってほぼ2ヶ月半後に起き始めた「超常現象」に関しても、解決の糸口が全くない、ということも、私を苦しめました。
これだけ不可解な、非現実な事象に遭遇していながら、「霊媒者」を名乗る職業の人々に相談することには戸惑いがありました。
そうした職業の人々の中で、一体、誰が確実に謎を解き明かしてくれるのかが分からず、高いお払い料が飛ぶように消え、余計に悩みが増すように思われ、不安だったのです。
しかし、現実は、私の悩みや不安をせせら笑うように、不思議且つ奇怪な現象の規模を徐々にエスカレートしていったのです。
2008年7月1日火曜日、やはり午前1時過ぎ頃から、壁の音が断続的に「コン、ココン......」と鳴り始めました。まさに隣室の無人の部屋に、誰かがいるかのように、骨ばった指の関節で叩く音でした。
実際、「誰かがいるかのように」ではなく、その無人の部屋には「誰か知らない人物―人であって、人でないモノ」がいたとしか思えません。
母は、私と就寝前にお経を唱えて、「さあ寝よう」と横になると、すぐに寝つくことが多かったのです。しかし、壁の音が始まると、「まあ、また......嫌だね」と起きてしまいます。
私とユタカも、その音がどうしても気になって寝付くことができないため、午前3時5分から10分間、PSP でモーツァルトの「四季」を流しました。
すると驚くことに、その「四季」に合わせ、壁の音が単なる「コン、コン...」ではなく、「コ、ココン、コ、コココココン!」と実にリズミカルに変化したのです。
「ちょっと......! これって、全く『四季』そのものじゃない......!」
「ホントだ。すごいテンポうまい。クラシックが好きなのかな」
私がユタカとこう話している間も、「壁の向こうの相手」は、『四季』に合わせて調子よく壁を叩き続けます。
驚きを超越すると、恐怖さえも感じなくなるのでしょうか。不意に私は、突飛な試みを思いつきました。それは、「姿の見えない相手」に問いかけてみよう、という考えでした。
「ねえ、モーツァルトが好きなの?」
すると、『四季』のリズムが一時止み、「そうだ」と言うように、「ココン!」と返事のような調子で壁が叩かれました。
私は、その時、奇妙な、高揚した気分に包まれました。
「姿の見えないモノ」と思っていた相手が、「ちゃんとした意志や好みがあり、こちらの言うことに返答した」ことに、怪異への恐怖が薄れ、異様な感慨を覚えたのかもしれません。
振り返ってみると、この2008年7月1日の晩のこの出来事が、「冥界との初めてのコンタクト」であり、私にとって、体験するとも思わなかった「異界の存在との直接的接触」の始まりだったのです。
しかし、もう眠たがっていたユタカは、「もう音楽かけてても、こうして調子に乗るだけじゃんか。消えろよ!」と、その「相手」に胡散臭そうに声をかけました。
すると、それまで「楽しそうに」叩かれていた壁の音は、ピタッと止んでしまいました。
その音が止んで5分後、午前3時20分、私はトイレに行きました。
すると、リビングで、本のような結構重たそうな物が「ドサッ!」と落ちる音が聞こえました。
リビングに戻ると、落ちていたのは、昨夜午前1時少し前に、プリンターから「投げ飛ばされた」『般若心経』の本でした。
昨夜は、プリンターから2m ほど離れた床に落ちていましたが、今度は同じプリンターから、2.5m ほど離れたリビング扉の前にまで吹っ飛んでいました。
これも、飛び方が奇妙でした。プリンターから前方の床に「放り投げる」ことは「モノ」にとっては容易いはずです。
ところが、今回はリビング扉の前にまで「飛ばす」には、いったん上へと浮遊させ、そして90度角度を変えて「投げつける」ことが必要なのです。
要するに、「姿の見えないモノ」には、不可能なことなど何もない、ということなのだ、と私は改めて思い知ったのでした。
そして、その『般若心経』の解説書を投げたのは、さっきまで「四季」を「楽しそうに」壁を叩いてリズムを叩いていた「相手」なのでは、と判断せざるを得ませんでした。
ユタカは、「今度は本を投げるのか。成仏したらいいのに」とピシャリとした調子で言いました。
ユタカのこの言葉以降、その晩は特に何も起きませんでした。
壁がうるさかったり、物が飛んだりする時は、周囲の空気が妙に張りつめた感覚があります。
それは、「私たち以外に誰かがいる」という、何とも形容し難い重い空気であり、いわゆる「奇妙な気配」といったものでした。しかし、一定時間を過ぎ、何事も起こらない平常な状態になると、その「気配」は消えるのです。
翌日の晩も、一騒動でした。
午前2時半、ユタカは少し眠気が来たため、音楽をPSP で流しながら寝ようとしていた時でした。家全体に例の妙な「気配」が漂いました。
ふと玄関を見ると、土間は灯りで煌々と照らされていました。
この玄関の灯りが「独りでに」つく、という現象は、5月以降ほとんどなかったので、久々に見ると、やはりゾクッとします。
2時40分、私はトイレに行くのが怖くなり、母を起こして一緒についてきてもらいました。
それから19分間、再び「物が飛び交う」現象が激しく起きたことが、私の記録ノートに記されています。
まずは息子の学習机の一番上の引き出しにあった、俗に言う「ガチャガチャ」と呼ばれる百円玩具の丸いカプセルが、10m 先の玄関の土間に吹っ飛びました。
またほとんど同時に、その引き出しから、小学校高学年から使っていた「ネームペン」が、7m 先のリビング扉の隅へと投げつけられました。
シーンとした夜中であり、フローリングということもあって、それらの小物が土間や扉にぶつかる音は凄まじいものでした。
また、この引き出しは、20cm ほど前に引っ張り出された状態になっていました。
ユタカは、物が目にも止まらぬ勢いで飛んでいくので、「怖い」と、寝室からリビングのテーブルに避難して、その椅子に座っていました。
そのテーブル側から見ると、学習机のある寝室から小物が「怒って暴れるモノ」の仕業のように、左から右へビュッと飛んで行くのです。
そして、今度はテーブルの右前にあるプリンターの上に置いていた、私の「記録ノート」が「バーン!」とありったけの力を込めて、寝室前の床に叩きつけられました。
これは、テーブル側から見ると、ノートが右から左へと飛んだわけです。
このように、部屋中、物が左右、方角構わず、狂ったように恐ろしいスピードで飛び交ったことが、私の「記録ノート」には記されてありました。
翌日7月3日木曜日の午前0:30 頃には、私の歯磨き用の赤いコップが飛びました。
この時も、私は就寝前のトイレに入っていましたが、トイレの中から、「カラーン!」と小物が転がる音がしました。
ユタカは洗面所で、トイレの順番を待っていましたが、出てきた私にこう言いました。
「僕がお母さんを待っていたら、後ろで何かが『コトッ』と動く、かすかな音がしたんだ。何だろと振り向いたら、お母さんの赤いコップがいつもの場所からなくなっていたんだ。あれっと思った途端、リビングの床にコップが投げつけられる音がしたんだよ」
ユタカの言うとおり、洗面所にあったはずの赤いコップは、リビング中央にまで投げ飛ばされていました。
この赤いコップは、それ以前にも玄関の土間や廊下に叩きつけられたりしていました。プラスチック製ですが、ひびも入らず、その後もよく洗っては口を濯ぐのに使っていました。
気色悪いことが起きたコップなのに、度々そういうことが起きると、怪奇現象に対する免疫がつくのか、恐ろしかったことは忘れられないものの、現在でもそれは洗面所に置かれています。
そんな小物以外にも、この家の中では様々な嫌な出来事が起きたというのに、私たちは依然として、2008年に起きた現象が嘘であったかのように、暮らしているわけです。
「このテーブルも、この引き出しも、この椅子も、襖も、箪笥も、ガラス窓も、スタンドも、扇風機も、壁も、トイレも、洗面所も......恐ろしいことばかりだったのに、どうしてこの家に暮らせるんだろう」と我ながら不思議でなりません。
しかし、この家で暮らしを続ける理由は、家を転居したところで、何も変わらないことを、6月の旅行で悟ったからに過ぎないのです。
怪異が起きるのは、家や土地が原因ではない、私達家族に「何か」が憑いているのだ、と、宿泊先を転々とした結果、理解したからなのです。
「何の因果で、こんな経験に遭う羽目になったのか」と自分の妙な運命を嘆くこともありますが、普段はそうクヨクヨしているわけではありません。
それでも、未だに「もう2011年―3年前の出来事は、事実だったことは確かだが、なぜあんなに現象が頂点にまでエスカレートしたんだろう」と、悪夢の日々を思い起こすことがよくあります。
実際、私は、その時の体験がいわゆる「トラウマ」となり、現在でもたまに悪夢を見ます。
それは、大抵の場合、目の前に長い髪の女性の黒い影が執拗に迫ってきたり、物が家中を飛び交う夢であり、「またこんな怖いことが起きてしまった。どうしたらいいんだろう」と慄く夢なのです。
現実に怖い体験をしたせいか、3年経った現在でも、パソコンを使うときにも慎重にならざるを得なくなってしまいました。
「今表示されている画面が、急におかしくならないだろうか」とか、「この手元に置いている目薬が、勝手に床に飛ぶんじゃないか」などと考えてしまうのです。
事実、3年前の7月3日、パソコンの画面で信じ難い現象が起きました。
その日の午後11:30 頃、ユタカは「楽天ショッピング」のゲームソフトの画面を何気なく眺めていました。
当時、息子が大好きだったゲームは、欧米でも未だに人気の高い「メトロイド・プライム・ハンターズ」でした。
いわゆる「シューティングゲーム」ですが、このゲームの面白い点は、自分が様々なキャラクターになり、数多い立体的なフィールドを参加者同士で決定し、各々のキャラクターの特性を活かしながら、その疑似空間の中で、スピード感を存分に堪能しながら敵を倒していくことができる、というところなのです。
また、通信機能も備えているため、日本人だけでなく、欧米のプレイヤー達とも英語でチャットしながら楽しめるという点も、息子がのめり込んだ理由でした。
ユタカは、このゲームのおかげで、英語が上達し、より英語を身近に感ずるようになった、と言っていました。
ユタカは、その日の晩、特に買う気はないものの、楽天ネットショッピングサイトで、米国版の「メトロイド」のソフトを眺めていました。
「ねえ、英語版の『メトロイド』って日本語版より安いんだね」
彼は、私にそう声をかけましたが、急に、「あっ!やばい!どうしよう!」と驚いた声を発しました。
パソコンのすぐそばにいた私が、すぐに画面を覗くと、「ご注文ありがとうございました」との言葉が表示されていました。
「何?この英語版のソフト、買っちゃったの?」
私がそう尋ねると、ユタカは、全然その気もないのに、突然この画面になったのだ、と困惑していました。
「僕、英語版は別に要らないんだよ。だって、もう日本語版を持ってるのに、そんなもったいないこと、するわけないじゃない。ただ、ショッピング画面を見てて、間違って、『カートに入れる』をクリックしちゃっただけなんだ。
そしたら、すぐに『ご注文確定画面』が表示されてさ。僕、買うつもりないから、慌てて『戻る』をクリックしたのに......それよりも先に、パッと、いきなり『ご注文ありがとうございました』って表示が出ちゃったんだ」
私は、その経緯を聞くうちに、6月の旅行先の最初の日を思い出していました。
あの時も、チェックインした後、スタッフが掃除に来るはずなどないのに、「すみませーん。お部屋の掃除に来ましたー」という、若い女性の元気な声が部屋の天井にまで響き渡ったのです。
こちらの望んでもいない「サービス」が勝手に行われる、という点で、両者は似通っている、と感じたのです。
通常、ネットで何かを買う時には、
1.ID やパスワードを入力
2.商品をカートに入れる
3.「現在カートに入っている商品」の確認画面が出る
4.配送方法、お支払い方法を選択する画面が出る
5.最後に、「ご注文確定画面」が出て、配送先の住所(会員登録した際の私の氏名、住所、電話番号、メールアドレス)と、注文した商品と値段を確認
6.「以下の内容でよろしければ、『確定する』
をクリックして下さい」との表示が出る―
これら1から6の手順を踏んだ上で、「注文を確定する」ボタンをクリックしない限り、ユタカの見た「ご注文ありがとうございました」との表示は決して現れないはずなのです。
ユタカは、ネットショッピングの会員になったことなどなく、クリスマスや彼の誕生日プレゼントの際には、すべて私の名前とパスワードで、私自身が商品を買っていました。
つまり、ID もパスワードも持たない13歳の少年が、うっかり「カートに入れる」をクリックしただけで、ネットショッピングに必要不可欠な上記の 1から6 の手順は無視され、瞬時にして「ご注文ありがとうございました」との言葉が表示されてしまったのです。
ネットのシステム上、こんなことは不可能です。
「まさか、本当に『注文を確定する』と、こっちがクリックしていないのに、自動配信のメールまで来ているはずがないよね」
慌てて、私がメールボックスを確かめると、既に楽天から「ご注文内容の再確認メール」が自動配信されていたのです。
私は急いで、楽天側に「注文をキャンセルしたい」旨のメールを送りました。しかし、それも無駄でした。
2日後、佐川急便が、「誰も注文確定していない」はずのメトロイド・プライム・ハンターズの米国版ソフトを届けに来てしまったのです。仕方なく、4800円ほどを支払わざるを得なくなりました。
この出来事以降、ハイテク機器の異変以上の怪が起き、私達は冥界とこの世を隔てる扉を既に失いつつあったのです。(To be Continued......)