2011年11月10日木曜日

第7章「炙り出された正体」―5―空になったプリン

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それは何がきっかけで始まったのかは皆目見当がつきません。ただ私は、その少女の泣くようなお経の繰り返しを、「お経を唱えないで」との訴えではなかったのか、と解釈したのです。

 なぜそう感じたのかといえば、息子の夢に、とある少女(実際にお経を真似た少女と同一人物かは不明)が出現し、「お経は意味ないよ。それよりお腹空いた」と語った、と聞いたからに他なりません。

 彼女は、その舌足らずな口調とか細い声の響きから、もしかすると「お経は止めてちょうだい」と主張できるほどの年齢ではなかったのかもしれません。

 それでも、私の唱える「南無妙法連華経」を懸命に真似したことから、私はその声を聞いた経験を全く予期しなかった「霊との対話」ととらえたのでした。

 「死霊との対話」に関しては、「対話」との言葉よりも、霊媒者の方たちがよく行う「交信」といった表現が使われることは、いろいろと調べるうちに分かったことでした。

 欧米でもよく行われ、いわゆる「ミドラー(middler)」または最近では「チャネラー(channeler)」と呼ばれる霊媒者が、「霊界」と「この世=現実世界」との仲介者となります。彼らは、冥界から霊を身近に呼び寄せ、霊の語る内容をテレパシーで聞き取り、それを手元で自動的に筆記するという方法をとる、ということです。

 専門的にそうした超心理学や霊界研究を行っている人々、また、そうした超自然的な能力を得るに至ったか、もしくは生来備わっていた人々には、「霊との交流」を「交信」と表現した方がまさに適切に思われるのです。

 しかし私たちは、そうした知識も能力のかけらもなく、いきなりポルターガイストと呼ばれる怪異の渦中に放り込まれたのです。他の一般家庭と特に変わった点はありませんでした。

 「特別な点」を強いて挙げるとすれば、私が突然の薬害で入院し、それまで10数年勤務していた大学の講師職を辞めたこと、その翌年、息子が中学に進学し、いじめを受けるようになり、更にその翌年、2008年3月から不登校になった、ということかもしれません。

 また父親も、息子が生後2歳に満たないうちに交通事故で亡くなったという事実もあります。しかし、両親の一人がおらず、母親が突然入院したり、子供がいじめられて不登校になる、といったことは、日本中、世界中で起こりうることに過ぎません。

 70億もの人々が住む世界では、様々な事情を抱えながら暮らす家庭が多いことを考えれば、私たちの家庭もそういった意味で、ごく平凡な家庭であったのです。

 そうした「平凡さ」を暮らしていた日常に、いきなり「霊」としか考えられない存在たちが入り込み、私たちのすぐそばにいる、ごく普通の「人間」のように「しゃべった」ために、私は、その経験を「対話」と言い表した方が、自分のその時の印象によりかなっていると感じたのです。

 夜が明け、7月14日の昼間、午後2時40分頃、食卓の右端に何気なく置いていたサインペンが、パンをかじる息子の目の前で、凄い勢いで左斜めへと真っ直ぐ飛び、ピアノのペダルの下に挟まりました。

 こうしたことは、今までと同様、突然起きるのです。

 私はその時、洗面所からリビングに入ったばかりでしたが、その青い縞模様のペンが飛ぶ様子に直面し、肝を潰しました。

 いったい、恐怖の感覚というものは、ある時には壁の轟音に凍りつくかと思えば、それに次第に慣れてしまい、恐怖感にある種の耐性がつくと感ずるものですが、それは錯覚に過ぎないようです。

 しばらくそうした現象が鎮まっていると、その激しい「ラップ音」よりも遙かに規模の小さなことにもひどく驚いたり、心臓の鼓動が波打ち、冷や汗をかいたりするというわけで、「一定の基準」などないのです。

 壁の轟音や「物が飛び交う」ことよりも、「何者かの声が聞こえてくる」方が、ずっと恐怖感は小さいのではないか、と冷静に考えれば、そう思われてきます。

 しかし、種類や規模こそ違いはあれど、また「新手」の恐怖が、「何者かの声」にはつきまとうのです。

 昼間は、以前から起きていたような、「物が飛ぶこと」や「物の位置が勝手に変わること」はあっても、母が「触られる」ことや「声が壁から聞こえてくる」ことはありませんでした。

 しかし日が変わり、7月15日火曜日の夜中になると、またもや怪奇の闇が大きく口を開けることとなりました。

 私は、当時の記録ノートに「7月15日(火)」とあらかじめ日付を書き、その横に、"I wish nothing'll happen!" (何事も起こりませんように!)と英文を走り書きしていました。その願いも虚しく、時の流れを人が止めることができないのと同様に、奇怪なことが起きるのをせき止めることは、人智を越えた力でない限り、全く不可能なことでした。

 その晩、午前2時10分から30分の間、母がやはり体中を「触られる」ことが起きました。母は、必死になって、「南無妙~」の文言を心で唱え続けました。すると、昨夜と同じ少女が再び、その文言を息絶え絶えに繰り返す声が、何回か、息子と母との間で明瞭に聞こえてきました。

 私は、その少女が「唱えないで」と願っているのではないかと昨夜感じたものの、母の辛さをやはり救いたい、その思いが強くなり、10回ほど、「南無妙」を唱え続けました。

 すると、少女は、苦しそうに、「ウッ」「ヒッ...」と呻くと、苦しげに、「般若心経は...意味がないよ...」と細い声で語りかけてきました。

 その直後、また母が触られたり、息子の耳たぶまでが冷たい手で触れられました。ユタカは畏怖感が鈍り、「もうどうでもいい。眠たいよ」とぼやき出しました。

 しかし私は、今のこの異変を収めたい一心で、「私たちは何も悪いことをしていません。あなたも同じです。だから私たちの幸せを壊さないで、静かに成仏して下さい、お願いです」と何回も念じ、母も「南無妙」を唱えていました。

 この間、布団の下のティッシュボックスが妙にカサカサいうなあと思っていました。私はトイレに立ちましたが、寝室で「ガン!」と大きな音が聞こえました。戻ってみると、案の定、そのボックスは、入り口の襖に当たり、私の布団に落ちていました。

 息子は、もうウトウト眠っていたので、部屋の明かりを消しましたが、急に彼は「ワッ!」と跳ね起きました。

 「今、夢で、5、6歳の女の子の骸骨が白っぽく机の前に立ってたんだよ!それに『何かおいちいもの食べたい』なんてことも言ってた」

 私は何か今までにない強力な力が迫り来る不安で、その夢の話に重苦しい空気を感じたため、就寝前の安定剤を追加しようと台所に行きましたが、その時、息子の鉛筆が寝室からパソコン机の下にビュッと飛んで来ました。

 その現象は、昨夜からお経の文言を苦しげにはっきりと声に出す少女の苛立ちから起きたことと思いました。お腹が空いているのなら何か食事を出せば収まるのだろうと、私は冷蔵庫を開けて、ちょうど前日の夕方、コープで買ったプリンを取り出しました。

 私はそのフィルムで覆われたプリンを食卓の上に置き、「これをどうぞ食べて下さい。そして成仏して下さい」と深々と頭を下げ、手を合わせました。その時は、仏壇に「お供え」をする形式的な儀礼と同じ感覚でプリンを置いたに過ぎませんでした。

 恐怖が私を寝室へと追い立て、私は慌てて襖を閉めました。そしてそのまま、母と息子とで、テーブルの気配を伺っていました。

 私は、プリンはそのままで、いずれ少女の気配は消えるのではないかと高をくくっていたのです。

 森閑としたリビングに、やがて異様な音が聞こえてきました。それは、テーブルの椅子に誰かがおもむろに腰かける音でした。

 よく耳を澄ますと、ごく普通にプリンの上蓋フィルムを「ペリッ」とはがす音が聞こえてきました。

 敏感なユタカが、驚きの声を上げました。

 「ちょっと......!今、ペリッて音、したでしょ?ねえ、何かペチャペチャ食べているような音がする......あっ!今カランッて音がした。もう食べ終わったのかな......?」

 「まさか、亡くなった人がお供え物を食べるはずないでしょ......?そんなことあったら、それこそ驚異だよ」

 「でも、フィルムはがす音、聞こえたじゃんか」

 もしかして、「幽霊」が食べ終わったのかと、3人で恐る恐るテーブルに近寄ってみました。

するとそこには、目を疑うような光景が私たちを待ち受けていました。

 コープのプリンは、ものの見事に空っぽになっていたのです。

上蓋のフィルムは、容器ギリギリの部分まで剥がされ、中のプリンは「誰かが食べ終わった時のように」隅々まできれいに食べ尽くされていました。そして、空の容器はお行儀よく、元の位置からほとんど動かず、「ごちそうさま」といった感じで丁寧に置かれていたのです。

 亡くなった人の仏壇には、生前その人が好きだった食事をあくまでも「お供え」として、霊を慰めると同時に、遺族が気持ちを癒すために用意するのが一般化しています。私がプリンを出した時も、そうした意味合いが濃かったのです。日本中、「お供え」がいつの間にかペロリとたいらげられていたら、それこそ怪異でしょう。

 私たちは、息子の夢に現れた少女とは縁もゆかりもないものの、「お腹を空かしてさ迷っている戦争中の少女」のために「お供えでその子の気持ちが満足するのなら」とプリンを置いただけでした。

 幼い頃から、実家の仏壇に「お仏飯」をお供えし、線香を立て、ただ手を合わして来た私には、この「プリンの事件」は、今まで以上に奇々怪々な出来事でした。

 「まあー!ほんとにプリンを食べるなんてねえ!こんなことってある?まあ驚いた、気色悪いったら」

 「だいたい、もう肉体というものがないのに、一体どうやって食べることができるの?」

 私は母と口々に言い合い、開いた口がふさがりませんでした。

 私は、カウンセラーの島田先生に見せようと、その空になったプリンの容器を携帯で撮影しました。一見、家族の誰かが食べただけの写真に過ぎず、さすがの先生も訝るのでは、と思いましたが、どうしても理解してほしかったのです。

 ユタカは午前3時半頃、また床に就きましたが、4時頃急に目が覚めて、こんなことを言いました。

 「ねえ、今寝てたみたいだけど、また女の子が夢に出てきたよ。『おいしかった』って言う声が響いてさ、かすり模様の頭巾ともんぺ姿の可愛い女の子がにこにこしながら消えていったんだ。今、変な気配は何もないね。もう成仏したのかもしれない。大丈夫だよ、妙な空気もすっかりきれいになったから」

 時間は、もう午前4時になっていました。

 2008年夏、7月15日の「プリン事件」以降、食事を求める者や、話しかけてくる者が徐々に増えていったのは、今思うと恐ろしいの一言に尽きます。

 多くは「成仏」を嫌がり、私たちのそばに寄ってくる人々でした。なぜここまで超常現象が収集がつかなくなったのかは、後で知ったことですが、この世とあの世を隔てる「結界」というものが、我が家では既に崩れ去っていたためでした。

2011年10月12日水曜日

第7章「炙り出された正体」4―お経を真似る少女の声

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 蝉の鳴く暑い7月中旬になっても、毎週1回は、中学の相談室へと足を運ぶのが、もうお決まりの行事になっていました。私は家から徒歩20分ほどの道を、日傘を差しながら歩いて行きました。

 私は、この道を歩くのが嫌でした。新しい制服や、体操服、体育館シューズの寸法を測るために、入学前の3月の末、息子と一緒に歩いた道だったからです。その時は、まさかひどいいじめに遭うとも知らず、中学での新生活に期待を抱きつつ、楽しい思いで歩んだ道でした。

 また、この道は息子が12歳の4月から13歳の3月初旬まで、苦しい、辛い想いをこらえながら、独りぼっちで登下校した道でした。彼には、中学には、何一つ良い思い出がないのです。

 赤い煉瓦の家を左に曲がり、右手に象の形を模した滑り台のある公園、左手に閑静な住宅街が続く道になると、もう正面遠方には、体育館の青い屋根が見えてきます。

 校門の前に立つと、1年前の4月、入学式の後、ぶかぶかの制服を着た新1年生たちのクラス記念写真を撮影したことが思い出されます。

 その時、息子は寂しげな表情を浮かべていました。進学し、新しい希望に胸膨らまし、笑顔で映っている同級生たちの中、ただ独り、憂鬱な顔で―

 その校門を見ただけで、私は暗鬱な気持ちになり、涙が滲んできました。そそくさと中庭に入り、客用玄関からスリッパに履き替え、校内へと足を踏み入れます。

 そんな時でも、制服姿の中学生たちがドヤドヤと廊下を歩いて行ったり、何かの検査のためにクラス単位で相談室近くの廊下に並んでいたりすると、「なぜうちの子は、制服を着て、こうして学校生活を送れなくなったのだろう」と悲しくなるのです。

 やっと相談室の前に立ち、ドアをノックすると、私は、一つの使命を半分やりおおせた気持ちになるのでした。

 しかし、これから先生に会い、7日分の出来事を話さなければならない、と思うと、それがまた重荷に感じられました。

 「どうぞ、お座り下さい」

 相談室は、6畳ほどのこじんまりした広さで、入ってすぐ、人目を遮るためか、半透明のついたてがありました。応接セットの正面に、先生が事務を執るデスクと、左側に移動式の白いボードが置いてあり、右側の窓からは午後の日差しが射し込んでいました。

 時折、廊下での生徒たちの喧噪や、管弦楽の練習などのざわめきが聞こえる中、私は促されるまま、ベージュのソファーに腰を沈めました。その感覚は心地よく、固いアスファルトの道をトボトボと歩いてきた疲れが、やっと帰宅した家の布団に体を横たえ、癒される感じとよく似ていました。

 「最近は、いかがでしょうか」

 そう問われて、私は、いろいろと書き込んだメモ帳を取り出しつつ、時間を気にしました。先生は、応接台の上の時計をこちらに向けて、「今日は、いつものように1時間お時間とりましょう」と言うのが常だったからです。

 1時間ほどで、この1週間の間に起きた様々なことを話せるだろうか―そう気にかけ、なるべく要点だけを話していくのですが、気がつくと、2時から3時の約束が、3時半を軽く過ぎることは珍しくありませんでした。それでも、先生は、根気強く、こちらの話に興味を持ち、真剣に聞いて下さったのです。

 「そんなに、おばあちゃんばかり、叩かれるんですか」

 「ええ、最初は私と息子も叩かれる、ということがほんの少しありましたけれど、本当に一時だけです。このところは、母ばかり、肩や腕をね、左右構わず、トントンと叩かれるんです。それが、たいてい午前2時、3時過ぎから長い時で1時間半は続きますから、毎晩、睡眠不足でね。今日も、お昼前にやっと起きたんですよ」

 私は、ノートの最初のページに、私自身が叩かれた事実を記録していたことを思い出し、先生に話しました。

 「そう言えば、こういうことは、7月に入って、と思っていましたけど、違うんですね。私が、まず6月5日の木曜日、食後の夜8時50分頃、『右肩を叩かれた』って書いていました。私が、最初だったんです」

 「ああ、確か、そんなこと、おっしゃっていましたね」
 
 私は、「6月5日、私の右肩を、強く注意を促すように、トントントン!と、最後はぐっと押すように叩かれた」との記述を先生に見せました。

 「あまり急だったので、息子が叩いたのかと思って、『え、何?』と言ったほどなんです。でも、息子は、私から20cm は離れた前方の椅子で、膝を抱えて、テレビを見ていたんです。その様子は、母も見ていました」

 「じゃあ、本当に、お母さんが、背後から、誰もいないのに、肩を叩かれたんですよね」

 島田先生は、そう言いながら、改めてぞっとしたように、眉を寄せました。

 「僕はね、以前もお話しましたけれど、こういう怖い話は、まるっきり苦手なんです。お母さんが最初の頃お話された、山岸涼子さんの本もね、あれ、読んでみたんですけれどね」

 「あっ、あの本、買われたんですか?」

 「いや、本屋でこれか、と思って少し立ち読みしただけです。でも、あれ、全部読めませんね。ああいう恐怖感っていうのは、ダメですね。こう、頭をきゅーっと締めつけられて、全身にぞくぞくーっと広がっていくような感じがして―あの単行本すべての話が、そうですねえ。でもね、おかしな話ですけどね、僕、『オーラの泉』はよく観てるんですよ」

 「えっ...『オーラの泉』......?」

 「そういう番組があるんです。美輪明宏さんと、江原啓之さんとがレギュラー出演で、人の魂とか、死後の世界とか、輪廻とか、人間心理とか、そういうことを語り合うんですよ。今度、ご覧になったらいかがですか」

 私は、作家の佐藤愛子さんが、芸能人の美輪明宏さんと、スピリチュアル・カウンセラーの江原さんの助言に助けられながら、深刻な心霊問題が解決へと向かったことを思い出しました。

 また、私は、高校時代の友人に、家で起こる「怪事件」を、その都度、携帯のメールで知らせていました。その友人は、返信で、「私、『オーラの泉』観てるから、そういう話、結構信じる方よ。もう、それだけ凄い体験してたら、江原さんのお弟子さんになれちゃうんじゃない?」と送信してきたことがありました。

 その返信を見たときでも、『江原さん』とはどんな人なのか、全く知りませんでした。私が『江原啓之さん』の名を知ったのは、その後、佐藤愛子さんの本を買ってからであり、まして、『オーラの泉』というのも一体何のことなのか、分かりませんでした。

 「その『オーラの泉』で、美輪明宏さんが、こう言われたのを覚えていますよ。『亡くなった人の魂は、決して怖いものではありません。彼らは、この世に思い遺すことがあって、さ迷っているのです。だから、もし、彼らに出会うことがあれば、こう念じたら良いのです―どうか、心安らかに成仏して下さい。私たちは、決して悪いことはしていません。どうか、私たちの生活をお守り下さい―』ってね」

 「美輪明宏さんって、そういうことに通じた方だったんですか......」

 「ええ、だから、お母さんも、夜、『怖いなあ』と感じる目に遭われたら、そんな風に念じたらどうでしょうか」

 普通なら、私たちの「怪奇談」など、「あり得ない」と一笑に付されてしまうでしょう。しかし、島田先生は、「怖いですね」と言いながらも、問題と真正面から向き合い、解決案を提案して下さる方でした。

 時計を見ると、もう約束の時間はとっくに過ぎ、3時半になろうとしていました。先生は、少し話題を変えて、息子の話にもっていきました。

 「お母さん、ユタカ君がこのまま、中学に通わないままでも、それで良いとお考えになることはできますか」

 先生の唐突な質問に、私は問いに窮してしまいました。息子には、できたら中学に復学してもらいたい、と常日頃思い、また息子も、「復学したい」と望んでいる、と信じていたからです。

 「うーん......それは、また学校に行けるようになれれば一番いいんですけれど......現実問題として、結局......無理ですよね。だって、戻ったところで、また嫌がらせをした生徒と顔をつきあわせるだけですから―」

 「でしょう?だから、中学はね、在籍したままで、無理に通学しなくってもいいんですよ。最近は、『フリースクール』というのが増えてましてね、お聞きになったこともあるかもしれませんけれど」

 「フリースクールって、でも、一般の学校ではないんでしょう?」

 「ええ、時間的にも規制のない、言葉通り、自由な学校です。時間割なんてないしね。一応、朝の9時ぐらいから夕方5時くらいまで開いてますけれど、好きな時間に行っていいんです。最近は、中学に在籍したまま、そうしたスクールに行く子が増えています。不登校などで行けなくなった子供たちがね。そこでの目的は、学習も、個人指導が受けられますが、何よりも『同年輩の子供たちと触れ合う』こと、そして『一緒に戸外で活動すること』なんです」

 ユタカは、中学に入ってから、毎日登校していたものの、夏休みを過ぎると、美術部も止め、よく吐き気で保健室に行ったり、早退して、保健室の先生の車で送ってもらったりするようになりました。13歳の3月中旬からは、もう4ヶ月もの間、同年輩の子供と誰一人として接していないのです。

 通学している間でも、親しい友人に恵まれず、ただ苦しい日々を送っていただけで、それを考えれば、12歳の春からほとんど独りだったようなものでした。

 「子供にはね、外の新鮮な空気と、体を動かすこと、そして同じ年頃の子供たちと遊ぶことがとても大事なんです。不登校になった子供たちは、そういう当たり前のことが不可能になっているんですが、フリースクールに行けるようになると、だいぶ違ってきますよ。同じ中学で、1年上の榊君も、中1の夏から来てますよ、もう2年間かな」

 「榊君って、榊真人君ですか?同じマンションで、よく小学1年からうちに遊びに来ていましたけれど」

 「ええ。榊君は、大勢の子と騒ぐのは苦手で、でも、個性的ないい子ですよね。中1の夏休み前から学校に行けなくなって、私が家庭訪問した時も、部屋に引きこもって会ってくれなくってね。それから、夏休みの間、ずっと母方のおじいちゃんのお寺で過ごしていたそうです。中1の秋の末頃、私がフリースクールに誘ってみると、以前と違って前向きになってましてね、今じゃすっかり元気ですよ」

 「今でも榊君は、ずっとそのフリースクールですか?」

 「ええ。今は、そのスクール主催のキャンプに参加しています。だいぶ、昼夜逆転も治ってね、高校進学の準備もしてるんですよ」

 私は、そのスクールの資料を見てみたいと申し出ると、先生は、にっこりして、机の上にあったフリースクールの案内書を手渡してくれました。そこには、『やまばと』とのスクール名が書かれてありました。

 私は、自分がそうであったように、子供は皆、普通に中学、高校と進学していくものだ、と考えていました。このフリースクールの存在は、そんな私の「常識」を覆してくれました。どんな形であっても、子供の道は開けてゆく事を知り、形式的な「常識」が、息子の将来を閉ざしていたことを理解することができたのです。

 フリースクールの存在は、暗闇に差し込んだ、まさに一条の光でした。

 「不登校の子でも、そのうち自然に家にじっとしていられなくなる。家にばかりいるのは子供本来の姿ではないからです。お子さんが外に出たいと自ら言うようになれば、不登校は卒業の時期です。そういう日が必ず来ますから」

 私は、その先生の言葉に励まされました。「ユタカがそのフリースクールに行けて、またマサト君と遊べればどんなにいいだろう。そうして、中学に通わなくても、高校にも進学できる道がある」―そう思い、その日は希望を持って帰路につくことができました。

 昼間は、私や息子の心情を思いやり、家での不思議な出来事にも耳を傾けて下さる方と話をすることで、3ヶ月前から始まり、今も続く現象への不安や恐怖も落ち着き、「私はこうして普通の世界で暮らしている」実感を得ることができ、救われた心地にひと時浸ることができました。

それでも、帰宅し、夜になると、怪奇の闇は音もなく訪れ、私たちは再びその底へと呑み込まれ、毎夜毎夜、心霊現象に怯えなければなりませんでした。

 7月13日の日曜日、午前3時から4時までの1時間、やはり母が叩かれる、ということが起きました。私やユタカが叩かれることは以前はたまにありましたが、その日も、もっぱら母だけが「攻撃」を受けるのです。

 母は、「何か」に、トントン!トントン!と、手足を左右、関係なく、ひっきりなしに叩かれ続けました。

 母は、たまらなくなり、昨夜と同様に起きあがり、『般若心経』の最後の部分を必死に唱え続けました。

 すると、ユタカが「消えた。気配はもうない。いなくなったよ」と言い、「ばあちゃん、もう唱えなくっていいんだよ」と、泣きながら震える母に声をかけました。

 「......いいの?......ホントにいいの?また、叩くんじゃないの......?」

 「本当にいいんだよ。大丈夫だよ、ね、ほらね」

 もともと心臓の弱い母は、青ざめて汗をかいていましたが、何も体に感じなくなったのをようやく理解したらしく、ほーっと長い息をつきました。

 私自身も、恐怖と戦いながら、懸命に『般若心経』を唱えていましたが、先日、島田先生から聞いた『オーラの泉』の話を思い出しつつ、「どうかどうか、消えて下さい。お願いだから成仏して下さい。私たちの生活を守って下さい」と「叩く相手」に一心に念じていました。

 先生のお話を聞くまでは、不可思議で不気味な現象に対して「敵が襲う」といった印象しか抱くことができませんでした。

 しかし、7月の中旬頃からは、その現象を起こす「相手の心」を、少しずつ意識するようになったのです。確かに何か訴えたいのには違いない、だから私たちに物を投げたり、体に触れたり、壁を叩いたりするのだ―

 そう「理解する」努力を、少なからず意識し始めようとしていたのです。それでも、「姿の見えない相手」の起こす行動は、決して楽しいものではありません。

 「相手が姿が見えない」時点から、彼らの起こす「現象」は、私たちには恐怖なのです。そして、「なぜ、よりによって私たちがこんな怖い体験をするようになったのか」という、これまでにも何回も繰り返してきた、当て所のない問いで心が支配されるだけでした。

 翌日、7月14日の月曜日のAM3:40~50頃のことでした。

 その晩も、母が、「まあ、気色悪いよ」と震え上がり、眠気を覚まされ、学習机に寄りかかりました。

 私は、毎晩の現象に警戒する癖がつき、この時間まで眠れずにいました。

 「また、叩かれるの?」

 「腕を叩くんだよ、トントンって......! あっ!今度は手を触った!......ああ、嫌だ......あらっ!今度は肩よ、肩を触るの......ああ、気色悪い、どうしよう......」

 母は、すがるように、枕元のお経のコピーを手に取り、『般若心経』の最後の部分、「ぎゃーてい、ぎゃーてい、はらぎゃーてい、はらそうぎゃーてい、ほうじ、そわか、般若心経」との文言を数回唱え始めました。

 その唱えている最中も、「あっ!また触られた......!」と悲鳴に近い声を上げ、お経をその都度中断し、タオルケットで全身を覆いました。

 タオルケットで「触れられないように」しても、「何者か」は、母の肩や腰などを、その上からしつこいほどに、トントントン!と叩くのです。母は、目をつぶり、苦しそうにしかめ面をし、歯を食いしばるように無言で、全身を強ばらせていました。

 そんな母の姿を見ながら、私は何か方法がないか、と懸命に考えました。そんな時、思い出したのは、佐藤愛子さんの本の内容でした。

 「ねえ、佐藤愛子さんが、確か、『南無妙法蓮華経』だけでも唱えたらいいと書いてあったよ。あの文言は、魔物を退治するらしいからって。ねえ、そうしたら......?」

 母は、それを聞いて、すぐさまその文言を唱え始めました。確か、5~6回は唱えたかと覚えています。

 すると、ユタカが、「ねえ、気配消えたみたい。もう、何もいないんじゃないかな」と言いました。

 息子は、いったん眠りかけていたのですが、「『いつもの気配』をばあちゃんのそばに感じて、眠れなくなって、ずっと起きていたんだ」と私に言いました。

 「本当に、『南無妙』が効き目あったのかしらね」

 「うん、さっきまでいたのは、幽霊じゃなくって、魔物だったんだね。それで退散したんだから」

 それから約40分後の午前4:30 頃、母が再び「触られる」ことが始まりました。

 私は、早速、「南無妙法蓮華経」を3回ほど唱えました。先ほど、この文言で、母を叩く「誰か」は、その手を引っ込めたからでした。
 
 「大丈夫、このお経は効くんだ」

 そんな妙な自信にも似た気持ち、「誰か」を打ち負かすような勝利感が私にはありました。お経の意味も解しないまま、ただ魔法の呪文を唱えている陶酔感が、恐怖の中に混じり合っていました。

 すると、私のお経に続くように、息子のもたれている壁の方から、苦しげな少女の声が聞こえてきました。

 「ナムミョウ......ゲキョウ......」

 それはか細く、息絶え絶えな、まだ4、5歳かと思われる幼子の声でした。

 親にお経を教わって、それを、べそをかきながら懸命に真似しようとしているような口調でしたが、特徴的なのは、今にもかき消えそうな、死にかかっているかのような苦痛にあえぐ声でした。

 その声は、苦しげながらも、静まり返った明け方の寝室に、はっきりとした音声で響いてきたのです。

 私はそれまでに、「不透明な相手」の長い台詞を聞いたことがありませんでした。5月の末頃、ベランダから「ママ...ママ...」という、やはり苦しそうに訴える少女の声が聞こえたことはありました。

 また、6月の旅行の際、最初に泊まった部屋で、私と息子しかいないのに、いきなり「すみませーん、お部屋のお掃除に来ましたー!」との若い女性の元気な声も聞きました。

 しかし、これら二つの経験は、私たちの意志とは全く無関係に起こったことでした。

 今回のように、お経の文言をそっくり真似る「声」を聞いたのは初めてだったのです。

 私たちは、家族が「見えない手で触られる」という何とも言い難い恐怖体験に対し、それを克服しようとする意志を、お経を唱えることで「未知の相手」に伝えようとしていたのです。

 「消えて下さい、私たちの生活にもう関わらないで下さい」と願いながらー

 そして、まるでその懇願に応答するように、今にも消え入るような震える声で、少女の声は私たち家族3人のいる部屋で、はっきりと聞こえてきたのです。声を潜めながら、私はユタカに尋ねました。
 
 「この声......壁に貼った神社のお守りの辺りから聞こえない......?」

 「ああ、うん、ほんとだ。僕、さっき、ウトウトした時、何か夢見たんだけど」

 「どんな夢?」

 「うーん、ばあちゃんがさ、『ぎゃーてい、ぎゃーてい』って言っている途中に、『お経は意味ないよ。それより、お腹空いた』って言う声がしてさ。ばーちゃんの枕元に、薄明かりの中で、紺のずきんともんぺの女の子が立っているんだよ」

 「ほんとに......じゃあ、この声は、その女の子の声かしらね」

 「きっと、そうだと思う」

 その後、私が「南無妙......」を3回唱えると、再び、同じ少女の声が、弱々しく、同じ文言を繰り返しました。

 「ナム......ミョウ......ホ...ゲ、ゲキョウ......」

 その声は、あたかも死の間際で、息絶え絶えに、ほとんど泣きながら訴えているような声でした。そういうことが30分ほどの間に数回ほどありました。

 母が触れられつつも、必死で「南無妙......」を唱えているうち、少女は「アッ......」と、小さな苦しげな声を立て、その後、ふっと気配は消えました。時計は、もう朝の午前5時になっていました。

 2008年7月14日の明け方、この少女の「お経を真似する声」を皮切りに、「さまよう霊との対話」という、現実に想像もつかない異様な体験がほとんど日を置かず、毎晩のように始まるようになったのです。(To be Continued......)

2011年8月9日火曜日

第7章「炙り出された正体」ー3ー体を叩き続ける手

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 7月11日金曜日の晩になりました。ユタカが強い眠気に襲われ、机のスタンドの明かりを消した途端、再び壁を叩く音が始まりました。

 時刻は午前3:50 でした。

 その音は、かなり強く、板でできた壁の空洞に、真夜中激しく響きわたりました。

 息子が、うるさくてたまらないため、「止めろ!」と念ずると、音はぴたりと停止しました。彼は、「まだ妙な気配がして、眠れない」とこぼしました。

 そのうち、鈴の音がしてきました。

 その鈴は、私が6月の旅行で買い求めたフクロウの携帯用ストラップの音だとすぐわかりました。

 もうさんざん、こうしたIT機器には嫌気がさしており、何をしても無駄だ、と判断したというのに、アラーム設定やメール、時刻の確認に便利なため、つい枕元の下に押し込んでおくのが毎晩の習慣になっていました。

 私のその携帯は、母の枕の下に押し込んでありましたが、「なぜ鈴の音が......?」と思っていると、妙なことに、母の枕下ではなく、息子の枕の下あたりから、折り畳んだ状態で、ひとりでにポン!と放り出されたのでした。

 この携帯は、寝る前は折り畳んではいなかったのです。

 更に、午前4時、私と母とがトイレに行っている間でした。

 リビングに戻ると、ピアノのそばにあった買い物用の黒いリュックと、ピアノの椅子の上のクッションも、両者共に7m は離れたリビング扉前にまで吹っ飛んできました。

 夜中でも真昼でも、とにかく物が意志を持つもののように私たちをめがけて飛ぶ様子に直面すると、さすがに冷静ではいられません。

 「わっ!飛んできた!すごい勢い、きゃっ!」

 まさに、私たちがトイレから戻り、リビングの扉を開けるのを待ち、狙いを定めていたかのようでした。

 この、携帯が飛び出したりリュックが飛ぶなどの現象の最中、午前3:50~4:00 の間でも、私と息子と母、3人とも、肩や腕、腰など体中のあちらこちらを目に見えない「手」で、触られたり、すーっと撫でられたりしたのでした。

 それは何とも表現し難い、異様な感覚でした。

 そばにいる家族から肩を叩かれるのなら、ごく自然なことであり、何でもないーそれが「普通」であるのは言うまでもないことです。

 しかし、家族3人とも互いに触れあってはいない。そうした状況下において、目には見えない「相手」の「手」だけがところかまわず触れてくる。

 全くなす術がないのです。恐怖の底に付き落とされるがまま、全身を緊張感で強ばらせ、恐怖の「苦痛」に耐えるしかありませんでした。

具体的にこの「苦痛」を表現するとすれば、「生々しい」としか言いようがありませんでした。「壁を叩く」「物を投げる」以上に、「正体不明の存在」からの「じかの接触」であったからです。そして、なぜ「彼ら」がそんなに私達の体に、皮膚そのものに「触れる」のかが、皆目分からなかったからなのです。

 また更に、午前4:20、ユタカの机の上にあったヘッドホンが、4m離れた私の枕元の襖に、凄まじい勢いで投げつけられました。

 我が家の襖は、特殊な造りで、以前も記したように、板でできているため、薬のチューブやティッシュボックスが当たっただけでも大きな音をたてるのです。

 ヘッドホンが襖に当たった時は、あまりに凄まじい音だったため、携帯などの、もっと重い物が飛んできたのか、と思ったほどでした。

 しかし、これ以上にまさに「恐怖の戦慄」とも言うべきは、午前5:00から30分間に渡って起きた、「透明な手で母が40回以上に渡って、体中をトントントン......、と叩かれたこと」でした。

 母は、肩、腕、腰、背中を、「何者かの手」でひっきりなしに叩かれていました。

 「助けて......怖いよ......ああ、肩、腕をしょっちゅう叩くんだよ......」

 「タオルケットにくるまっても駄目なの?」

 「そんなの、関係ないよ......あっ!今度は腰を撫でられた......! まあ、どうしたら......どうしたらいいの......ねえ
え......あっ!今度は背中まで......ああ、嫌だ、嫌だよ......」

 母は起き上がり、学習机に寄りかかり、完全に泣き声になっていました。

 声をぶるぶる震わせ、「みえない手が触れる」こと自体が、鞭で打ち据えられるかのように、その都度「ああ!ああっ!」と悲鳴を上げ、顔を苦痛で歪めていました。

 私の恐怖心は、母の極限にまで怯える様子によって、一層増幅されていきました。

 相手は肉体、実体も持たないのに、母の手を叩いたり、撫でることが可能なのです。

 私たち3人とも「触られる」、しかもある時には母のみが集中的に「攻撃される」-この現実に、私の心には「まさに怪異だ」との印象が深く刻み込まれました。

 霊というものが、肉体を失っても、生前は「魂」として人の心を司っていたのなら、死後もその魂は生き続ける、ということの、これは明らかな証明なのでしょうか。

 それら「霊」が住む異次元とはどんなところなのか、様々な研究がなされています。

 しかし、なぜ人間は死後、異次元の住人となるのかーそんなことは、このように現実世界で異様な体験をしても、はっきりと解明されることではないのではないでしょうか。

 ただ、私はこうした恐怖体験をしても、その場の恐怖を我慢するのが精一杯で、摩訶不思議な「異次元世界」を深く知ろうとする気持ちがすっかり萎えていました。

 息子は、母が叩かれているのは午前5時頃だったため、もう寝ていましたが、母の声で目が覚め、「夢を見た」と言いました。

 「ねえ、変な夢見たよ。ばあちゃんのそばにさ、防空ずきん被った、白骨化した5、6歳の女の子がしゃがみ込んでいるんだ。片手の先だけ、肉が残ってる姿で。白黒で、半透明の姿をしてた。その子の姿が2回も現れたんだ」

 その話を聞いて、確か私と息子とで、「成仏して、お願いだから消えて」と念じたのを覚えています。

 するとユタカがホッとした表情で、「消えちゃった。空気が軽くなった。ばあちゃん、もう叩かれないんじゃない、どう?」と尋ねました。

 母は、先ほどまで途切れることなく「叩かれる、触られる」感覚が失せているのに気づき、驚いた顔になりました。

 「まあ、ホント。もう、どうもないよ」

 「あのね、僕、小学校の時聞いたけど、このあたりも、昔は空襲を受けて、犠牲者が出たらしいって」

 「じゃ、ユタカの夢に出てきた女の子は、その空襲の犠牲者なのかな。その子が、ばあちゃんの肩とか叩いていたのかなあ」

 「さあ......とにかく、この辺、昔、山ばかりだったんでしょ。疎開していたのに、爆撃機がここまで来たんだね」

 そんな会話を交わしていると、私たちの体を触った「手」は、そうした戦争の死者、浮かばれない子供の「手」だったのかもしれない、と考えてしまうのです。

 その日の午後、4時から5時半頃まで、私はユタカとチェスをして遊びました。

 それは、コンビニに売っていた、旅行用のポータブルチェスでした。

 その頃は、いつ、何が起きてもおかしくない異常な日常の直中に身を置いていました。だからこそ、何らかの気晴らしが私にも息子にも必要だったのです。

 私はたいてい先が読めず、駒をどう動かせば良いのか行き詰まり、勝つのはいつも息子でした。こんな遊びの時の彼はウキウキと楽しそうでした。

 「もう1回戦」と2回目のチェスの最中、5時40分頃、急にユタカが耳をそばだて、チェスを止め、私を不思議そうに見つめました。

 「......何だろ、この音......?」

 「えっ?音?」

 「ほら、なんか人が喋ってる。ラジオの音声みたい。ラジオ、つけてるの?」

 私の家にCDラジカセはありましたが、山の上のマンションであるため、電波状態が悪く、NHK-FM が聴きたくても入らないので、ついぞラジオはつけたことがないのです。

 「変ねえ。ラジオなんて、つけてないのに......?」

 息子と私は、音声のする方を探し、いったいどこから音がするのか、何から音声が出ているのか調べました。

 そうするうち、音源は私の携帯だと分かりました。

 寝室の私の枕の下に入れていた携帯は、いつも閉じていました。

 それが、誰も触れていないのに、液晶画面とキー操作部分とに大きく開かれており、テレビがついた状態になっていたのです。

 ラジオと思った音声は、携帯テレビの話し声であり、相当長時間、テレビのままだったらしく、携帯はかなり熱くなっていました。

 私とユタカがチェスに夢中になっている間、また「誰か」が勝手に携帯を操作したかのようで、不気味でした。

 ユタカの夢に出てきた、60年以上も昔、太平洋戦争中の「防空ずきんの少女」や、携帯、パソコンなどを自由に扱えるこの現代、「21世紀に生きていた者」などが、時間と空間を飛び交い、私たちの周囲に常にいるような、何とも鬼気迫る気配が、どんどん濃密になっていく感さえ覚えました。

 これらは、まさに、5月末頃予感がした「現象のエスカレート」にほかなりませんでした。

 翌日12日土曜日の午前4時からやはり30分間、母が何十回にもわたり、昨夜と同じように、体のあちらこちらを「トントン、トントントン!」と叩かれたり、すうっと撫でられたりしました。

 震え上がる母には、もうお経を唱えることは不可能でした。あまりの恐怖に汗だくになり、涙さえ流している母が気の毒でもあり、また、身内がこんな目に遭うことがその頃は最大の恐怖でもありました。

 私は、懸命に『般若心経』を唱えましたが、何も効果はありませんでした。

 そうするうち、いつかの晩のように、ユタカが私の背後で「もう、般若心経なんて効果ない。無駄だ」といきなり言いました。

 その言い方は、いつもの彼の言い方とはどこか異なり、棒読みで、感情が全くありませんでした。

 私が振り向き、「どうしてそんなこと、言うの?」と尋ねると、やはり彼自身、びっくりしたように、「えっ?僕、何も言ってないよ?」とたじろぎながら答えるのです。

 2~3日前も、息子は夜中に突然、「般若心経は、はがせばいい」とやはり抑揚のない調子で言いました。それも、私と母とがお経を唱えている時に必ず言い出すのです。

 私が、「なぜ、『お経をはがせばいい』なんて言うの?」と不審に思って訊くと、やはりいつもと同様に、驚いて、我に返ったように答えるのです。

 「ええ?僕、そんなこと言った?何か無意識に言った気もするけどー自分でも、何言ってるか、意識してなかったよ。僕が、『お経はがせ』なんて言うわけ、ないじゃない?お経は、はがしたら絶対にダメだよ」

 この「お経は無駄だ」といった内容は、実際、8月に入って、数多く訪れた「霊」の中で、最も私たちが「忌まわしい」と震え上がった「女性の霊」の口から語られた内容でした。

 そのことを考えると、7月の中旬頃から、その霊は息子に接近し、「憑依」し、無意識の息子に自分のメッセージを語らせていたのではないか、と思わざるを得ないのです。

 しかし、「憑依」との言葉自体に、私は絶対的な確信を抱いていたわけでもありませんでした。ただ「憑依」との言葉が思い浮かび、息子の様子にはその表現が該当するのではないかと感じていただけでした。

 「霊」や「憑依」といった表現は、通常経験するはずのないことを経験していたために、自然と浮かぶものなのかもしれません。それら奇異な言葉のイメージは、2008年5月の「現象の始まり」以前に、テレビや雑誌などの「心霊特集」などを通じ、それを見た多くの人々と同様に、根拠もなく焼きつけられた一種の概念に過ぎないのでしょう。

 それでも、その「一種の概念」が、真実味を持って私の日常生活を浸食し始めるほど、2008年の夏の経験は想像を絶するものだったのです。「霊的存在」など「あるはずない」と思っていた私たちが、その存在を身近に感ずるほどにー
 
 「家族以外の者に肩や腕を叩かれる」といった「生々しさ」は、このような「霊的存在」が、自らその実在を私たちに示すための、更なるステップだったのかもしれません。

 それでも、私たちは、7月のこの時点においても、この怪体験を「霊の仕業」だと確信していたわけではありませんでした。「霊」という言葉も、その場その場で、自身の心を納得させるために使っていただけのように思います。しかし、私たちの意に反し、この異様な「生々しさ」は深刻さを増していくばかりでした。(To be continued...)

2011年6月21日火曜日

第7章「炙り出された正体」2ー火の玉の映像


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 7月8日の午前2時頃、またはっきりと壁の音が隣の部屋から強く響き出しました。もちろん無人の部屋からなのです。何かを訴えるように、「コンコンコンコン......」と、際限なく続きました。

 私と母とは、懸命に『般若心経』を唱え続けました。こうすることで、音が徐々に止むこともありますが、なかなか止まないこともありました。「お経」というものに、私は何らかの意味があると考えたこともありませんでした。ただ、「現象」が起こる前は、ただ法事やお葬式の時だけ必要なものといった単純なイメージしか持ち合わせていませんでした。

 しかし、壁の音がするなどの「有り得ない出来事」、ラップ現象に関しては、なぜか「お経が効く」と闇雲に信じていたのです。お経には、仏教の根本的思想が説かれているにも関わらず、漢字の羅列と独特の読み方と節で、「亡者の冥福を祈る」「悪霊を退散させる」といった固定化かつ形式化した観念しかありませんでした。

 3年前の6月以降、そうした観念に従い、お経を家中に貼り、ただ意味も分からず、「音がする」とか「物が飛ぶ」などの怪奇現象が起こると、ただ夢中で唱えるしか方法がなかったのだと思います。

 数分後、音は鎮まりましたが、そうした生活の只中に置かれた13歳の少年には、現在の状況が一時的に混乱したのでしょう。彼は、ふと、3月初旬から登校していない記憶を失い、「僕、ずっと学校に行ってるよね。今は、まだ1月なら、春から2年生か」と言ったり、「なんでお経を部屋に貼ってるの」などと訊いたりしました。

 「どうしたの?学校には3月から行っていないじゃない。もう、2年生なんだよ。それに、お経は、ほら壁の音がしたりするから、その原因が分からないけれど、家中貼ったら効果があるかって、ユタカも言っていたじゃない......?」

 私がそう言うと、彼は「ああ、そうだったっけ。僕、今、変なこと言った気がする。でも、もう思い出せないけど」などと言いました。

 この晩、壁の音と共に、「ベランダに誰かいる気配がする」と息子は言いましたが、その後、一見平気そうでいて、そういった異様な状況に心が緊張し、「今は家にいて、ずっと変なことが起きている」事実が彼の脳裏から数分間失われたようでした。

 私と母とは、懸命に『般若心経』を唱え続けました。こうすることで、音が徐々に止むこともありますが、なかなか止まないこともありました。

 かつては「お経」というものに、私は何らかの意味があると考えたことは一切ありませんでした。ただ、「現象」が起こる前は、お経は「法事やお葬式の時だけ必要なもの」といった単純なイメージしか持ち合わせていませんでした。

 
 私自身、心が緊張状態だったにせよ、記憶が混乱することはありませんでした。それでも、3年前の記憶は相当痛烈なトラウマとなって私の心に焼き付いたのでしょう。3年もたった今年2011年になって、よく悪夢にうなされるようになりました。

 先日も、明け方、奇妙な夢を見ました。目の前の机に青いグラスが二つあり、左側は空っぽで、右側には水が半分ほど入っています。その青いグラスがいきなり勝手に机の上で奥の方へと左、右の順ですっと押しやられます。私は、その光景に「きゃっ!」と声を上げます。

 更に水の入ったグラスがすうっと上に浮遊し、空の左のグラスへと水が注がれる、ということが起こります。水はすぐそばのデスクトップパソコンのキーボードを濡してしまいます。「パソコンが壊れる」と心配しつつも、あまりの恐怖にその場にいることができず、慌てて部屋を飛び出す―

 そうした夢を見た後は、5分ほど「夢か現か」はっきりせず、たった今起きたことのように、息を切らしているのです。

 「物がひとりでに動く」という現実を、3年前目の当たりにしながら暮らしていた時は、その異様な状況に奇妙な慣れができていたのか、驚きながらも「怖い、逃げ出したい」とは思わなかったのです。

 その時に堪えていた緊張感が、そんな異変が起こらなくなった3年後、トラウマとして記憶の中で一気に解放され、再び夢の中でも恐怖体験をしなければならなくなった、というのは、何と因果なことかと感ずると同時に、「やはりあの3年前の事件は本当に起きたのだ」と改めて恐ろしく思うのです。

 翌日2008年7月9日には、再び携帯やPSP などに不思議な現象が起きました。

 この日の午前1時半頃から、母が、突然「何者か」に肩をトントン、と叩かれたり、腕を撫でられたりすることが頻繁になりました。

 私やユタカではなく、もっぱら母が触られるのです。

 母は、「わっ!触られたよ!」「今度は肩!ああイヤだ、まあ、また叩かれた!」と声を震わせ、「寝られやしない」とタオルケットにくるまり、上半身を起こして布団に起き上がっていました。

 私は、自分も叩かれたらどうしようと、母から少し体を離して、こわごわ尋ねました。

 「まだ、叩かれるの……?」

 「ああ怖い、怖いよ……まあ、まただよ!今度は手の甲を強く叩かれた……どうしたらいいの……わっまた肩を5回も強く……!あああ、もう……」

 母の怯え方は、恐怖に耐えられない苦しみが、そのまま震える声になって押し出される、という大変なものでした。母のその恐怖は、私にもすぐ伝わりました。

私はユタカに「どうして、おばあちゃんばかり叩かれるんだろね……?」とそっと聞きました。

 ユタカは壁にもたれながら、そんなに怖がらず、「さあ。きっと、『叩いている相手』は、おばあちゃんに用があるんじゃない?」と母の様子を少し可笑しそうに見つめて、そう答えました。

 「なんで、おばあちゃん見て笑ったりするの?怖いのに」

 「いや、怖いというよりさ、ばあちゃんの怖がり方が大げさなんだもん」

 私はこの間、『般若心経』を何回か唱えましたが、母が叩かれることは止まりませんでした。

 母の枕元には、私の携帯が置かれていました。私は、母が朝8時に起きるよう、アラームをセットしていました。その携帯が、いきなり「ピピピピピ……」と音を立てました。

アラームが鳴ると、メロディが鳴るようにしていたため、その「ピピピ」という音は、アラームとは関係ない、とすぐに分かりました。

 すぐに携帯を手に取ると、時刻はもう午前4時半でした。

 奇妙なのは、アラームとは関係ない時刻に設定していない音がなっただけではありませんでした。

 携帯の画面には、何らかの動画が撮影されており、それが再生途中で停止した状態だったのです。

何の映像かとよく見ると、それは全体が赤く光ったものでした。停止を再生に変えて、映像を見てみると、それは火の玉がゆらゆらと揺れている様子を撮影したものでした。

 どこをどう撮影しても、火の玉がうごめく画像など、家の中にはあるわけがないのです。私は母に、携帯の画面を見せ、「変だよね。なんでこんなものが映っていたんだろう」と話しました。

 「火の玉」というのは、昔、もう亡くなった私の父方の祖母が、私に話してくれたことがありました。

 祖母は、よく夜中に『番町皿屋敷』などの恐怖映画を観るのが好きで、小さい頃、私が夜起きてお手洗いに行くと、祖母の部屋から「ドォーン、ドンドンドンドンドン……」というテレビのお決まりの不気味な効果音が聞こえてきたものです。

 祖母は、「夜、お墓に行くとね、火の玉がふわ~り、ふわ~り、と飛ぶのが見えるんだよ。なんでか、知っているかね」と6歳頃の私に話しました。

 「知らない。『火の玉』って何?なんでお墓を飛ぶの?」

 「あれはね、死んだ人の魂が『火の玉』になって、この世を彷徨っとるんだよ。大きくなったら、お前にも見えるかも知れんね」

 その話で、私は幼心に、「お墓は怖い」とのイメージが焼き付いてしまいました。8歳頃まで、救急車のサイレンも、夜、街中に響くと恐ろしくてたまりませんでした。何故かというと、それは祖母か誰かに「救急車にはね、死んだ人が乗っているんだよ」と教えられたためかも知れません。

 幼少の頃の恐怖が、大人になり息子が13歳になっても心にこびりつき、「墓地」「死者」「火の玉」が怖くてなりません。

 その私に、現実に、誰が撮ったかもわからない、「火の玉が飛び交う映像」が携帯に動画として残されていたのです。

 ユタカは、「何?『火の玉』が映っているの?」と私の携帯を手に取り、「ふ~ん、何だろ、これ。ねえ」と呟き、携帯をパタンと閉じました。

 その直後、彼は「痛っ!」と携帯を落としてしまいました。

 「何、今どうしたの?手を振ったりして」

 「びっくりした。誰かに手を『バシッ!』と横から叩かれたんだ、携帯を払いのけるみたいに」

 「手を叩かれたの?それで携帯落ちたんだね」

 私はそう言って、布団に落ちた携帯を拾い上げました。

 その瞬間、「まさか」との疑念がよぎりました。急いで携帯の画面を開けると、案の定、「火の玉の映像」はすっかり消去されていたのです。

 これは、6月頃、「踊るスタンド」や「開く箪笥のドア」の映像が、消去されたのと同じだと感じました。また、5月の末頃、「どこかの家の床と粘土状の顔」が、いつの間にか、「誰か」によって撮影されていたことと、状況は似通っている、とも思いました。

一体、誰が、何の目的で、異様な映像を携帯を用いて撮影するのか。

そして、その映像を「私たち家族」が確認した後、「消去」するのか。

原因も分からないからこそ、不気味さは残りました。

 もしかしたら、私たちが何かをきっかけに霊体質となったのを「霊界の者」が感じ取り、何らかのメッセージを伝えようとしていたのかもしれません。彼らには「メッセージ」であっても、私たちには「不気味なもの」でしかないのです。

 「霊界」とは、「現実世界=生者の世界」とは次元が異なり、肉体という実体を失った霊魂は、「壁をすり抜けたり生前の顔が巨大化したり、何キロも先の場所から一気に行きたい所へと瞬間移動したりする」という解説を、テレビの「心霊特集」か何かで聞いたことがあります。

 すなわち、「この世」は3次元であるが、「あの世」は4次元なのだ、ということです。

 自分がこんな超常現象に遭わなければ、「あの世」なんてあるわけない、と思っていました。しかし、現実に体験すると、その解説は真実なのだと思わざるを得ません。

そして、その「4次元世界」からの訪問者たちは、徐々にその存在を私たちの前に現しつつあったのです。その直接的な「接触」として、「母の肩を叩く」ということが起きたのかも知れません。

 7月9日の午後1時50分頃、今度はPSP に「怪現象」が起きました。

 3日前の6日、息子はYouTubeを見ながら、私を呼びました。

 「ねえ、これ見て。『奇妙な生物たち』っていうタイトル。宇宙人だっていう画像も載ってる」

 私がそれを見ると、観ただけで気分が悪くなるような、異様な生物の写真が次々と現れては消えて行く画画でした。ハリウッド的なメークでも施したのかと思うほど、眼球が一つだけ頭の上に飛び出ていたり、口が左右に裂けているバケモノのような画像ばかりです。

 それの奇妙さに合うような、これまた胸が悪くなるようなメロディが同時に流れていました。

 「なんでこんな動画を見たりするの?嫌じゃない。夜だって昼だって、変なことが起きるのに……」

 「僕、平気だよ。面白いもの。この曲が、変わってていいなって。だから、今、曲だけをPSP に転送してるだけ」

 それは昼間のことでしたが、翌日7日の夜中AM0:30になると、PSPから、その「奇妙な曲」だけが自動的にに何回も再生されて流れ続けるのです。


 「ちょっと……!怖いじゃない、何でこの曲ばかりなの?気色悪いったら」

 「僕何もしてないよ。他の曲、聴こうとしても、自由がきかないんだから。勝手に再生されているんだ」

 「でも、もう嫌になっちゃう。選りに選ってこの曲ばかり、気分悪い」

 「じゃ、止めてみる」

 ユタカがPSP に触れようとした途端、「ウワッ!ビリッときた!」と慌てて手を離しました。彼は、「磁石のような強い力で、指が払いのけられた」と言いました。そして再びその「奇妙な曲」が流れ出しました。

 彼は、PSP の電源を切ってしまいました。それでも、自動的にON となり、その嫌な曲が始まりました。

 ユタカは今度はロックを選びスタートさせましたが、また途中でその変な曲が勝手に流れ出してしまうのでした。


「う~ん……もうこんなじゃ、一旦、全部消すしかないね」

 「えっ?PSP の中の曲全部?いいの?」

 「うん、パソコンに好きな曲は整理してあるし、そこから、この曲だけ削除して、またPSP に転送するだけだから、いいよ」

 そして、息子は7日夜半ににPSP 内の曲全部を消した後、9日の午後になるまで、用心のためか、パソコンから曲を転送してはいませんでした。

そろそろパソコンからPSP に曲を転送しようと、何気なく彼はPSP を眺めていた時でした。

「あれっ?PSP が変になってる。全体の空き容量がすごく減ってる」

 ユタカがそう言うので、私は一瞬訳が分からず、聞き返しました。

 「全体の空き容量が減ってるって、どういうこと?」

 「ほら、3日前に、僕、PSP の曲、全部消去したでしょう。だから、今は、PSP は大分空っぽのはずなんだ。MUSICの分だけ、削ったんだから」

 「そうねぇ。それなのに、空き容量が減ってるの?」

 「ほら、MUSIC の部分、空き容量が変だよ」

 息子は、PSP 内のMUSIC のプロパティを私に見せました。確かに空き容量がほぼ埋まった状態でした。

 曲のリストを見ると、3日前に消したはずの曲が全部、PSP 内に元通りに収録されており、何回も再生されて気色悪いと一緒に削除したはずの「奇妙な曲」は、何故か他のクラシックやロックの中に混ざっていたのです。

 PSP 内の全曲削除した分を、再び元通りにPSPに戻すには、パソコンとPSP をUSB ケーブルで繋ぎ、転送する作業をせねばならないのです。その作業を、息子がする以前に、また「家族以外の誰か」が全てやってのけた、ということなのです。

 携帯、パソコン、PSP と、この10年ほどで急速に発達したIT 機器に異様な現象が立て続けに起こると、嫌でも、そうした製品に神経質にならざるを得ません。

 パソコンは寝る前には蓋を閉め、段ボールに入れ、携帯は布団の下に押しこみ、PSP は電源をオフにし、ケースに入れようと私は言いました。それでも、PSP は「夜、クラシックを聞いて寝たい時もあるし」とユタカが言うので、ケースに入れずに、彼の枕元に置くことにしました。

 7月10日の夜半を迎えると、再び「現象」は活発になりました。

 AM0:30、ユタカは口を洗いに洗面所に行く時、リビングの椅子にかけてあるタオルのそばを通った時、「ねえ、今このタオル、『ビリッ!』としたよ」と言いました。

 「静電気のような?」

 「違う。濡れてるタオルだもん、静電気じゃないよ。なんか『霊気』みたいな変な感じ」

 彼が洗面所に行くと、プリンター上の通販パンフレットが、再びポーンと吹っ飛びました。

 私は「わっ!」と声を上げて、プリンターから飛ばされたパンフレットが魔物の化身かのように、思わずその場を後退りました。そのパンフレットをまたプリンター上に置いたかどうかは忘れましたが、「とにかくまた始まった」と、寝室に入り、母と『般若心経』を3回ほど唱えました。

 その頃には、父からも「うまいな」と言われるほど、『般若心経』のリズムは覚えていました。その時でも、「魔物退散のためにお経を唱える毎日なんて」と、ほとほと嫌々ながら唱えていたように覚えています。ただ恐ろしく、そして苦しいだけでした。現在では、『般若心経』という言葉を聞いただけで、恐怖の3年前が蘇り、ぞーっとするほどです。

 お経を唱えていると、また隣室から「コンコンコン」と壁の音が聞こえてきました。私は毎日のことながら、壁の音がすると、ゾクッとすると共に、無人の部屋に「人がいる」かのような気配を強く感じ、嫌な気分になりました。また、「なぜあのパンフレットばかり飛ぶのかしら」と気にもなりました。

 また現象が起きる直前に、大抵の場合、息子がすごい眠気に襲われるのも不思議でした。

 この晩も息子は布団でうつ伏せに寝ていましたが、壁の音にふと目を覚ましました。母はトイレに行くと言って、襖を開けて部屋を出ました。

 私は襖を開けたままにされるのが怖くて落ち着かず、「閉めてってくれたらいいのに」と独り言を言いながら、襖に近寄りました。


 すると、背後で息子が急に、低い声で「ふふふふふ……もう『般若心経』なんて唱えても意味がない……」などと呟きました。
 
 私はドキッとして振り返り、「なぜ、笑うの……?何が可笑しいの……?」と異様な印象を彼に抱きながら問いかけました。

 私の質問に、ユタカは驚いた調子で、「えっ?僕、今、笑ったりなんてしてないよ!」と不思議そうに答えました。まるで「何かに心を操られていたか」のように、我に返った様子なのです。

 母がトイレから出て、洗面所で手を洗っている音がしたので、私もトイレに行こうと、襖を開けました。

 襖を開ける直前、リビングで「ガッターン!」と物がぶつかるような激しい音がしました。急いでリビングを見ると、普通に立ててあった、テーブルの椅子が真っ直ぐ後ろに倒れており、その椅子の上に置いていた私のクッションが、廊下側のリビング扉近くまで投げ飛ばされていました。

 時刻は、もう午前1時半でした。

 私は、ユタカに「ねえ、ちょっと大変よ」と声をかけても、彼はまたうつ伏せに寝ており、彼の枕元に置いていたPSP から、再び例の「『宇宙人の動画』のBGM 」が勝手に流れていました。

 「こうした異様な現象と、この異様な曲とは相性がいいとでもいうのか」と思い、うんざりした私は、急いでPSP の×マークを押して、電源をオフにしました。すると、その気配で息子は起き、PSP は自分の枕元の布団下に押し込みました。

 彼はまだ眠そうに、「そう言えば、さっきさ、ガターン!って音がしたけど」と言いました。

 それから10分後、ユタカは「喉がカラカラ。何か飲みたいなあ」とリビングに行こうとしましたが、ふと警戒した様子で布団に潜り込みました。

 「ねえ、今、リビングに誰かいる気配がする。襖の入り口にお経を貼ってるから、相手はこっちを見ることができないみたいだけど……」

 そうして彼はまた眠ってしまいました。

 私は午前4時頃からやっと寝て、5時40分頃、トイレに起きました。すると、今度は寝室の襖に接したピアノの椅子が、先程のテーブルの椅子と同様に、真っ直ぐ後ろに倒れていました。

 ちょうどその時、「やっぱり喉が渇く」と起きて来た息子に私は言いました。

 「ねえ、誰でも、よほどだらしなくない限り、椅子を倒しっ放しにしないでしょ。なのに、テーブルも、ピアノの椅子もこんな……変だよね」

 「うん……僕、何か寝てない気がする」

 「え?ずっとよく寝ていたよ」

 「何となくね、ずっと、人がリビングのテーブルの上に立っている気配がしてね、眠れなかったんだ」

 「『誰かがリビングに入り込んでいる、般若心経には目を背けている、テーブルの上に足を乗せて立っている』」-

 息子のそうした言葉に、私は実体の無い「相手」の「存在」に不吉な確信を抱きました。

 この7月10日前後から、ただ単に物が飛んだり倒れたりするだけでなく、母が触られたり、息子が言うはずもないことを「取り憑かれた」ように無意識に呟いたりすることが多くなりました。

 私は、息子の「また室内に人がうろついている気配」との言葉と同時に怪現象が起きることから、我が家の暗闇に「何者か」が、もう完全に居座り、姿を現す機会を伺っているような息遣いさえ感じ取れる気さえし、「何が始まろうとしているんだろう」と、心配は一層強まっていきました。
(To be continued......)

2011年6月13日月曜日

第7章「炙り出された正体」1ーエクトプラズムの破片

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7月3日は、ネット注文もしていないソフトが届いただけでもゾッとしたというのに、その翌晩、4日の午前2時にも現象は起きました。

 よくティッシュボックスが勝手に飛ぶので、その日の夜半も、息子の布団の下に、箱を押し込んでありました。

 午前1時58分、ユタカが眠気が強くなり、「もう、寝たい」と部屋の電気を暗くした途端、その箱はいきなり布団の下からふっとすり抜け、横に寝ていた母の額に「あ痛っ!」というほどぶつかったのです。

 4日の午前11時頃、私は目を覚ましました。ふと息子の枕元を見ると、透明に近い緑色のかけらが散らばっていました。最初は消しゴムかと思いました。
触ってみると、ユタカが2、3歳の頃、従兄弟や近所の子と遊んだゼリー状のものであることが分かりました。

 「どうしたの?」ユタカが私の手元を覗き込みました。

 「どうしたのって、これ、何だろうって思って......あっそうだ、思い出したよ。よく、えっちゃんやユウちゃんと遊んでたスライムだったよね?あんな昔のがまだあったの?」

 すると、息子は神妙は表情になりました。

 「これ、スライムじゃない。これは、『エクトプラズム』っていうんだ」 

 「エクトプラズム......?それ、何?」

「霊感のある人間から、霊が吸い取る生命エネルギーみたいなのだよ。僕は、このエクトプラズムを利用されていたから、こうして布団の上にかけらが散らばる。でも、このエネルギーを利用されていたことが僕、よく分かったから、『もう利用されるもんか』と強く思ったんだ。だから、もう何も起こらないよ」

 私は彼に、その「エクトプラズム」という言葉はどこで知ったのかと尋ねました。彼は、映画『ハリー・ポッター』に出てきた、と答えました。

 確かに『ハリー・ポッター』は魔法界の物語であり、そこにはごく自然に死者の蘇生や亡霊の出現が描かれています。しかし、私は、エクトプラズムなる言葉は、この時、息子の口を介して、初めて知ったのでした。何度も一緒にDVD や映画館で観た作品であっても、私はその言葉を聞き逃していたのかも知れません。

 しかし、その「エクトプラズム」は、実在する物質であるということを知った時は驚きました。

まず、その記述は、佐藤愛子さんの『私の遺言』にも登場します。

 ―霊は霊体質の者からエクトプラズム(心霊現象において、霊媒の身体から発する生命エネルギーが物質化したもの)を取って現象を起す。
(『私の遺言』 pp.58-59)

また、Wikipedia においても、「エクトプラズム」の詳細が描かれています。

 それによると、「エクトプラズム (ectoplasm) とは、心霊主義で用いられる、霊能者などが、『霊の姿を物質化、視覚化させたりする際に関与するとされる半物質、または、ある種のエネルギー状態のもの』」とあります。

 ―これが体外に出る場合、通常は煙のように希薄で、霊能力がないと見えない場合が多いとされている。
 逆に高密度で視覚化する際には、白い、または半透明の「スライム」状の半物質で、「霊能者の身体、特に口や鼻から出て、それをそこにいる霊が利用し物質化したり、様々な現象を起こす」と説明されている。―

 私が薄気味悪く感じたのは、この「そこにいる霊が利用し物質化したり、様々な現象を起こす」との記述であり、更に以下のような説明でした。

 ―つまり、死を迎えた者の肉体から、霊体、あるいは霊魂が抜けた以降には、その死者はこの世に干渉したり、物質に作用を及ぼしたりすることが不可能となる。

 そのため、そこに居合わせた霊媒体質の生者のエクトプラズムを利用し、時には、ポルターガイスト現象のように、物体を手を触れずに動かしたり、ラップ現象として、誰もいない所から音を鳴らしたりする。―

 私たちは死者ではなく、紛れもない生者です。しかし同時に、奇遇にも「死者」たちにとっては「そこに居合わせた霊媒体質」を持つ者であり、今までの奇怪な現象は、こうした奇妙な体質の者が持つ「エクトプラズム」を「霊」たちが存分に利用した結果、起きたことだった、という現実に、背筋が寒くなったのでした。

 また、「霊=死者」は、もはや「死者の肉体」に用がなく、「霊媒体質の生者」に強い関心を抱いていたのだ、ということが明らかになったことも、私を震撼とさせました。

 もはや、私たち家族にとって、「死者」との分け隔てはなく、「死者」が私たちを必要としているのです。

 こうなってくると、ユタカの枕元に分散していた「緑色で半透明の破片」が、「エクトプラズム」であることはほぼ疑いがありません。

 我が家の超常現象は、彼の体から、霊が「エクトプラズム」を大量に奪い取り、壁を叩いたり、物を凄まじい勢いで飛ばしていたのでしょうか。

 そのためなのか、息子は全くの栄養不良に陥った飢餓下の子供のように、関節の骨だけが異様に浮き出し、13歳ではなく5歳の幼児のような細い細い手足となっていました。

 しかし、その「エクトプラズム」も、息子からだけでは足りず、私からも「奪われていた」ことが、後になって判明したのでした。

 それが「判明した」のは、ポルターガイスト現象が絶頂期に達した、ほぼ1ヶ月後の8月になってからであり、我が家に訪れた数々の霊の一人の「口」からその事実を私は直接、聞かされたのでした。

 そうした無数の霊魂たちが我が家に結集するには、透明だが確実な地盤を一歩一歩、踏み固めて前進すること以外に無かったかの如く、超常現象は日々、着実にその様相を激化させていきました。

 息子は「僕は『エクトプラズムに二度と利用されない』と強く思った。だから何も起きない」と語りましたが、それは、彼の、この奇妙な現実に対する恐怖心へのせめてもの拮抗だったに違いないのです。

 普段は平気そうにしているが、まだ13歳と半年という、非常に感受性の強い年頃に、毎日のように魔界の現象と直面せねばならない。そうなると、精神的な防衛本能として、「これはもう起きない」とか「起きても怖くない」と思わざるを得ないのではないか。

 私はそう判断しました。

 実際、この7月初めか中旬頃、彼が朝起きて洗面台に立っていると、「うわーっ!」と凄まじい叫び声が聞こえました。

 私が慌てて洗面所に駆けつけると、鏡がびっしょりと濡れ、水滴が洗面台に滴っていました。

 「......どうしたの?なんでこんなに水、かけたりしたの?」

 ユタカは恐怖に強ばった表情で、鏡からふらふらと後ずさりしていました。

 「だって......血......血が......」

 「えっ......!血?」
 
 「僕、顔を洗ってたら、目の前に見慣れない物が映って......それ、真っ赤な血だったんだよ」

 「え......ホントに血が、鏡についてたの?」
 
 「うん......びっくりして上を見たら、鏡の天辺から血がたら~っと流れていたんだ。だから、僕......うわーって叫んで、慌てて水をぶっかけたんだ」

 誰でもそんな状況に遭遇したら、一刻も早く目の前の現実を消し去りたいと感ずるでしょう。それなのに、私は息子のその恐怖になぜか鈍感になっていたのです。

 「そんな......血が鏡にべったりと流れているんだったら、水をかけないで、お母さんに見せてくれたらよかったのに」

 「そんな!そんな暇なんかないよ。お母さんに見せようなんて気も起きないよ。とにかく、もう怖いから水を急いでぶっかけて、血を流したんだもん」

 息子の言い分は正当なものなのです。私は、自分でも、あの時、なぜそんな鈍感なことが言えたのか、自分の感覚が分かりません。

 「怖いことが起きるのは、この家ではもう当然じゃないか」との妙な感覚が日常を支配していたとしか思えません。

 しかも、「鏡に滴る血を、水をかける前に見せてほしかったのに」だなんて......まるで、火事や交通事故の瞬間を見たがる野次馬のような心情になっていたのです。

 このことがあったのは、7月5日~6日であったのかも知れません。というのも、その日付の記録が、私のノートには無いからです。

 しかし、この「鏡事件」は、まだ「霊」が私たちに「口をきく」以前のことであり、昨日のことのように鮮明に覚えています。

 息子は、鏡の血にはあからさま恐怖を示しましたが、7月7日には、異様な出来事に対し、ごく冷静に対応していました。
 
 この日、午後1時頃から30分間にかけて、再び「ポルターガイスト」現象が起きました。

 ユタカは、午後の薬をグラス一杯の水で飲んだ後、「すごーく眠たい」と言い、まだ水の残ったグラスのそばのテーブルに顔を突っ伏しました。

 「眠たいの?夜が遅いからねえ」

 「ん......薬のせいかも知れない......」

 彼はそう言うと、そのまま寝入ってしまうかと思うほど、ぐったりと痩せた腕を曲げ、その腕を枕に目を閉じていました。

 私はだるそうにテーブルに上半身をもたげている息子の隣で、ため息をつきました。

 その瞬間、誰も触れていないグラスがいきなり「ガチャーン!」とテーブルに勢いよく倒れ、グラスのほぼ半分が粉々に砕け散ってしまいました。

 ユタカは驚いて顔を起こしました。

 「何が起きたの?」

 「いや、訳がわかんない。あんたが顔を突っ伏したら急に......まるで誰かがすごく強い力でグラスをバシッと叩いたみたいに―それで、ほら、こんなに......変だよねえ」

 「うわすげえ。粉々じゃん」

 とにかく割れたグラスを片づけないと、と用意していると、今度はどこか近くから、「ガサガサッ......ガサガサッ......」と、何か紙が動くような音がします。

 「何の音?何か紙の音がしない?」

 「いや、あれはビニール袋の音だよ......あっ!」

 テーブル脇の床に置いてある亀の水槽のそばには、母が薬局で買い物をした紺色のビニール袋が置かれてありました。

 それが、私と息子の目の前で、突然、ひとりでに、フローリングの床をテレビの方へ向かって、1mほど、スーッと動いたのです。

 よく思い出すと、その買い物袋は、最初はテーブルの上においてありました。それが、いつの間にか、誰も移動させていないのに、水槽のそばへと置かれていたのでした。

 こうした「グラス」や「買い物袋」を皮切りに、この後およそ30分間、様々な変異がリビングと寝室で起きました。それは、まるで、目に見えぬ誰かが、「現象は、ほんのちょっと『生者』を驚かすだけじゃつまらないんだよ」とでも言っているかのようでした。

 パソコン横のプリンター上にあった通販か何かのパンフレットが1mほど離れた床の上に飛び、椅子の上にあった私のクッションが、生き物のように、勝手に椅子から20cm ほど浮き、ポーンと3m 先の床に放り落とされました。

 また、寝室で寝ていた母の足下に畳まれていたタオルケットが、私の枕元の左側に、およそ2mほど斜めにスッと空中を横切って落ち、息子の目が痒い時にあてるハンカチに包んだアイスバッグが、母の枕元右から、私の布団の上へと、およそ1.5m ほど飛んだのです。

 これらの出来事は、すべてほぼ同時か、2~3秒毎に起きました。この騒ぎで、昼寝していた母も飛び起き、粉々になったグラスや物が散乱した室内を呆れて見渡しました。

 こうした現象には、驚きながらも、ユタカは「鏡の血」の時のような恐怖を示しはしませんでした。物が飛ぶのには、「うわっ」と声を上げますが、このような非日常的な異変に対して「平静」を保つ場合もあったのです。

 ひっきりなしに起こるのではなく、毎日の中で、たまに起こる数十分の怪異に対しては、人は、「たまらなく恐ろしい」「これぐらい、いつもとそう変わらない」という平衡感覚を自然に身につけてしまうのでしょうか。

 ちょうど、耳をつんざく落雷の後、たまに空を走る稲光に「あの時は怖かったけど、今度はそうでもない」と感ずるように......
(To be continued......)




2011年4月27日水曜日

第6章「幽現の渦」3―ハイテク機器の怪―壁からの返答・突如表示された「注文確定」画面

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 2008年7月が訪れました。家で異様なことが起きるようになって、もう1ヶ月半が経っていました。その1ヶ月半は、私の今まで経験したことのない、長い長い日々のように思われました。

 一体、何が原因で、奇妙な現象が起きるのだろう。一体、こんな現象に終わりがあるのだろうか―

 そうした疑問や不安を抱えながら暮らしていました。「もう7月か」と考えただけで、他には何も考えられません。

 ただ慰めや気晴らしになることは幾つかありました。

 その中に、テレビドラマやDVD 鑑賞がありました。6月28日土曜日、夜9時から『ごくせん』という仲間由紀恵主演のドラマをユタカと観たりしました。これは、高校の不良生徒たちと、仲間由紀恵演じる女性担任の交流を描いた元気なドラマでした。

 学校が舞台となる映画やドラマは、「学校のことを思い出したくない」ユタカにとって、嫌ではないのかと私は心配しました。

 しかし、ユタカ自身が「これ面白そうだから、観よう」と言って、夢中で観たのです。

 そうした息子の日々の様子を、私は中学のカウンセラーである島田先生に週1回、学校の相談室を訪れては報告していました。

 「きっと、そういうドラマを観ながら、自分の心の中で、苦しかった経験と、楽しかった経験との折り合いをつけようとしているんだと思いますよ」

 島田先生は、そう解釈して下さいました。しかし、私には、息子がそうしたドラマを観ながらも、「折り合いをつける」より、寧ろ、まだくすぶる「いじめに遭った苦しさ」を忘れようともがいているように見える時がありました。

 ちょうど島田先生と話し合いが終わった頃、学年主任の国語の先生が相談室に入って見えました。

 主任の先生は、「夏休みに入ったら、生徒たちも一部は部活で学校に来る子もいますが、夜8時以降は誰も来ません。ユタカ君がもしよければ、学校の図書室を開けてお待ちしてますから、好きな本でも借りにいつでも来てね、と伝えて下さいね」と言われました。

 私は、先生方の好意に感謝しながらも、その提案をユタカが受け入れるかと訝りました。

 帰宅して、そのことを息子に言うと、案の定、彼は「え~?学校の図書室?」と嫌な顔をしました。

 「嫌だよ。学校に行くこと自体、嫌だ。部活の帰りで街の中をぶらついてる奴らに会うかも知れないと思うと、よけい嫌だ」

 私は、島田先生から「物事を強制しないように」と常々言われていたため、それ以上、図書室の話は一切しませんでした。

 私が強制しないのは、先生からのアドバイス以外に、ユタカが、日頃からよく学校に関する悪夢を見ていたからでした。

 「ねえ、嫌な夢を見たんだ。中学が、家の前の小学校の場所になっている。というか、小学校が中学になっているんだ。その中学がさ、原爆投下されたみたいに黒焦げになってて、廃墟の中を、小6の時、僕をいじめた井塚と一緒に見て回るんだよ。

 廊下や教室の壁には、先生たちが、『原爆の影』のように、黒い影になって貼り付いてて......爆弾の炎で一瞬で蒸発したみたいになっている、そういう夢」
 
 私は、彼のそういう話を聞くと、「いじめのトラウマがそうした夢に現れるのか」とぞっとしました。

 また、ユタカは「よく見る夢」と言って、こんな話を度々していました。

 「ねえ、最近、怖い夢見るんだ。ベンチがあって、僕がそこに座ろうとすると、もう先に誰かが座っている。周りが真っ暗で......それが誰だか分からないし、男か女かも分からない。

 そばに知っている人が一人もいない。お母さんも、ばあちゃんもいないんだ。すごーく、不安で、怖い気持ちになって、ベンチから逃げようと走るけど、先に進まない夢。目が覚めると、本当に走った後みたいに、ドキドキしているんだ」

 そういう夢を見ること自体、息子の中学1年時に受けたいじめは、彼の意識の底に深く深く根を張り、容易に癒すことの不可能な心の傷となっているのだ、と私は思いました。

 第三者の方々に支えられながらも、13歳の息子が自分一人で外出もできなくなった状況から、いつ立ち直れるのかが予測もつかないのです。

 また、子供が不登校の状態になってほぼ2ヶ月半後に起き始めた「超常現象」に関しても、解決の糸口が全くない、ということも、私を苦しめました。

 これだけ不可解な、非現実な事象に遭遇していながら、「霊媒者」を名乗る職業の人々に相談することには戸惑いがありました。

 そうした職業の人々の中で、一体、誰が確実に謎を解き明かしてくれるのかが分からず、高いお払い料が飛ぶように消え、余計に悩みが増すように思われ、不安だったのです。

 しかし、現実は、私の悩みや不安をせせら笑うように、不思議且つ奇怪な現象の規模を徐々にエスカレートしていったのです。

 2008年7月1日火曜日、やはり午前1時過ぎ頃から、壁の音が断続的に「コン、ココン......」と鳴り始めました。まさに隣室の無人の部屋に、誰かがいるかのように、骨ばった指の関節で叩く音でした。

 実際、「誰かがいるかのように」ではなく、その無人の部屋には「誰か知らない人物―人であって、人でないモノ」がいたとしか思えません。

 母は、私と就寝前にお経を唱えて、「さあ寝よう」と横になると、すぐに寝つくことが多かったのです。しかし、壁の音が始まると、「まあ、また......嫌だね」と起きてしまいます。

 私とユタカも、その音がどうしても気になって寝付くことができないため、午前3時5分から10分間、PSP でモーツァルトの「四季」を流しました。

 すると驚くことに、その「四季」に合わせ、壁の音が単なる「コン、コン...」ではなく、「コ、ココン、コ、コココココン!」と実にリズミカルに変化したのです。

 「ちょっと......! これって、全く『四季』そのものじゃない......!」

 「ホントだ。すごいテンポうまい。クラシックが好きなのかな」

 私がユタカとこう話している間も、「壁の向こうの相手」は、『四季』に合わせて調子よく壁を叩き続けます。

 驚きを超越すると、恐怖さえも感じなくなるのでしょうか。不意に私は、突飛な試みを思いつきました。それは、「姿の見えない相手」に問いかけてみよう、という考えでした。

 「ねえ、モーツァルトが好きなの?」

 すると、『四季』のリズムが一時止み、「そうだ」と言うように、「ココン!」と返事のような調子で壁が叩かれました。

 私は、その時、奇妙な、高揚した気分に包まれました。

 「姿の見えないモノ」と思っていた相手が、「ちゃんとした意志や好みがあり、こちらの言うことに返答した」ことに、怪異への恐怖が薄れ、異様な感慨を覚えたのかもしれません。

 振り返ってみると、この2008年7月1日の晩のこの出来事が、「冥界との初めてのコンタクト」であり、私にとって、体験するとも思わなかった「異界の存在との直接的接触」の始まりだったのです。

 しかし、もう眠たがっていたユタカは、「もう音楽かけてても、こうして調子に乗るだけじゃんか。消えろよ!」と、その「相手」に胡散臭そうに声をかけました。

 すると、それまで「楽しそうに」叩かれていた壁の音は、ピタッと止んでしまいました。

 その音が止んで5分後、午前3時20分、私はトイレに行きました。

すると、リビングで、本のような結構重たそうな物が「ドサッ!」と落ちる音が聞こえました。

 リビングに戻ると、落ちていたのは、昨夜午前1時少し前に、プリンターから「投げ飛ばされた」『般若心経』の本でした。

 昨夜は、プリンターから2m ほど離れた床に落ちていましたが、今度は同じプリンターから、2.5m ほど離れたリビング扉の前にまで吹っ飛んでいました。

 これも、飛び方が奇妙でした。プリンターから前方の床に「放り投げる」ことは「モノ」にとっては容易いはずです。

 ところが、今回はリビング扉の前にまで「飛ばす」には、いったん上へと浮遊させ、そして90度角度を変えて「投げつける」ことが必要なのです。

 要するに、「姿の見えないモノ」には、不可能なことなど何もない、ということなのだ、と私は改めて思い知ったのでした。

 そして、その『般若心経』の解説書を投げたのは、さっきまで「四季」を「楽しそうに」壁を叩いてリズムを叩いていた「相手」なのでは、と判断せざるを得ませんでした。

 ユタカは、「今度は本を投げるのか。成仏したらいいのに」とピシャリとした調子で言いました。

 ユタカのこの言葉以降、その晩は特に何も起きませんでした。

 壁がうるさかったり、物が飛んだりする時は、周囲の空気が妙に張りつめた感覚があります。

 それは、「私たち以外に誰かがいる」という、何とも形容し難い重い空気であり、いわゆる「奇妙な気配」といったものでした。しかし、一定時間を過ぎ、何事も起こらない平常な状態になると、その「気配」は消えるのです。

 翌日の晩も、一騒動でした。


 午前2時半、ユタカは少し眠気が来たため、音楽をPSP で流しながら寝ようとしていた時でした。家全体に例の妙な「気配」が漂いました。

 ふと玄関を見ると、土間は灯りで煌々と照らされていました。

 この玄関の灯りが「独りでに」つく、という現象は、5月以降ほとんどなかったので、久々に見ると、やはりゾクッとします。

 2時40分、私はトイレに行くのが怖くなり、母を起こして一緒についてきてもらいました。

 それから19分間、再び「物が飛び交う」現象が激しく起きたことが、私の記録ノートに記されています。

 まずは息子の学習机の一番上の引き出しにあった、俗に言う「ガチャガチャ」と呼ばれる百円玩具の丸いカプセルが、10m 先の玄関の土間に吹っ飛びました。

 またほとんど同時に、その引き出しから、小学校高学年から使っていた「ネームペン」が、7m 先のリビング扉の隅へと投げつけられました。

 シーンとした夜中であり、フローリングということもあって、それらの小物が土間や扉にぶつかる音は凄まじいものでした。

 また、この引き出しは、20cm ほど前に引っ張り出された状態になっていました。

 ユタカは、物が目にも止まらぬ勢いで飛んでいくので、「怖い」と、寝室からリビングのテーブルに避難して、その椅子に座っていました。

 そのテーブル側から見ると、学習机のある寝室から小物が「怒って暴れるモノ」の仕業のように、左から右へビュッと飛んで行くのです。

 そして、今度はテーブルの右前にあるプリンターの上に置いていた、私の「記録ノート」が「バーン!」とありったけの力を込めて、寝室前の床に叩きつけられました。

 これは、テーブル側から見ると、ノートが右から左へと飛んだわけです。

このように、部屋中、物が左右、方角構わず、狂ったように恐ろしいスピードで飛び交ったことが、私の「記録ノート」には記されてありました。

翌日7月3日木曜日の午前0:30 頃には、私の歯磨き用の赤いコップが飛びました。

 この時も、私は就寝前のトイレに入っていましたが、トイレの中から、「カラーン!」と小物が転がる音がしました。

 ユタカは洗面所で、トイレの順番を待っていましたが、出てきた私にこう言いました。

 「僕がお母さんを待っていたら、後ろで何かが『コトッ』と動く、かすかな音がしたんだ。何だろと振り向いたら、お母さんの赤いコップがいつもの場所からなくなっていたんだ。あれっと思った途端、リビングの床にコップが投げつけられる音がしたんだよ」

 ユタカの言うとおり、洗面所にあったはずの赤いコップは、リビング中央にまで投げ飛ばされていました。

 この赤いコップは、それ以前にも玄関の土間や廊下に叩きつけられたりしていました。プラスチック製ですが、ひびも入らず、その後もよく洗っては口を濯ぐのに使っていました。

 気色悪いことが起きたコップなのに、度々そういうことが起きると、怪奇現象に対する免疫がつくのか、恐ろしかったことは忘れられないものの、現在でもそれは洗面所に置かれています。

 そんな小物以外にも、この家の中では様々な嫌な出来事が起きたというのに、私たちは依然として、2008年に起きた現象が嘘であったかのように、暮らしているわけです。

 「このテーブルも、この引き出しも、この椅子も、襖も、箪笥も、ガラス窓も、スタンドも、扇風機も、壁も、トイレも、洗面所も......恐ろしいことばかりだったのに、どうしてこの家に暮らせるんだろう」と我ながら不思議でなりません。

 しかし、この家で暮らしを続ける理由は、家を転居したところで、何も変わらないことを、6月の旅行で悟ったからに過ぎないのです。

 怪異が起きるのは、家や土地が原因ではない、私達家族に「何か」が憑いているのだ、と、宿泊先を転々とした結果、理解したからなのです。

 「何の因果で、こんな経験に遭う羽目になったのか」と自分の妙な運命を嘆くこともありますが、普段はそうクヨクヨしているわけではありません。

 それでも、未だに「もう2011年―3年前の出来事は、事実だったことは確かだが、なぜあんなに現象が頂点にまでエスカレートしたんだろう」と、悪夢の日々を思い起こすことがよくあります。

 実際、私は、その時の体験がいわゆる「トラウマ」となり、現在でもたまに悪夢を見ます。

 それは、大抵の場合、目の前に長い髪の女性の黒い影が執拗に迫ってきたり、物が家中を飛び交う夢であり、「またこんな怖いことが起きてしまった。どうしたらいいんだろう」と慄く夢なのです。

 現実に怖い体験をしたせいか、3年経った現在でも、パソコンを使うときにも慎重にならざるを得なくなってしまいました。

 「今表示されている画面が、急におかしくならないだろうか」とか、「この手元に置いている目薬が、勝手に床に飛ぶんじゃないか」などと考えてしまうのです。

 事実、3年前の7月3日、パソコンの画面で信じ難い現象が起きました。

 その日の午後11:30 頃、ユタカは「楽天ショッピング」のゲームソフトの画面を何気なく眺めていました。

 当時、息子が大好きだったゲームは、欧米でも未だに人気の高い「メトロイド・プライム・ハンターズ」でした。

 いわゆる「シューティングゲーム」ですが、このゲームの面白い点は、自分が様々なキャラクターになり、数多い立体的なフィールドを参加者同士で決定し、各々のキャラクターの特性を活かしながら、その疑似空間の中で、スピード感を存分に堪能しながら敵を倒していくことができる、というところなのです。

 また、通信機能も備えているため、日本人だけでなく、欧米のプレイヤー達とも英語でチャットしながら楽しめるという点も、息子がのめり込んだ理由でした。

 ユタカは、このゲームのおかげで、英語が上達し、より英語を身近に感ずるようになった、と言っていました。

 ユタカは、その日の晩、特に買う気はないものの、楽天ネットショッピングサイトで、米国版の「メトロイド」のソフトを眺めていました。

 「ねえ、英語版の『メトロイド』って日本語版より安いんだね」

 彼は、私にそう声をかけましたが、急に、「あっ!やばい!どうしよう!」と驚いた声を発しました。

 パソコンのすぐそばにいた私が、すぐに画面を覗くと、「ご注文ありがとうございました」との言葉が表示されていました。

 「何?この英語版のソフト、買っちゃったの?」

 私がそう尋ねると、ユタカは、全然その気もないのに、突然この画面になったのだ、と困惑していました。

 「僕、英語版は別に要らないんだよ。だって、もう日本語版を持ってるのに、そんなもったいないこと、するわけないじゃない。ただ、ショッピング画面を見てて、間違って、『カートに入れる』をクリックしちゃっただけなんだ。

 そしたら、すぐに『ご注文確定画面』が表示されてさ。僕、買うつもりないから、慌てて『戻る』をクリックしたのに......それよりも先に、パッと、いきなり『ご注文ありがとうございました』って表示が出ちゃったんだ」

 私は、その経緯を聞くうちに、6月の旅行先の最初の日を思い出していました。

 あの時も、チェックインした後、スタッフが掃除に来るはずなどないのに、「すみませーん。お部屋の掃除に来ましたー」という、若い女性の元気な声が部屋の天井にまで響き渡ったのです。

 こちらの望んでもいない「サービス」が勝手に行われる、という点で、両者は似通っている、と感じたのです。

 通常、ネットで何かを買う時には、

 1.ID やパスワードを入力 
 2.商品をカートに入れる 
 3.「現在カートに入っている商品」の確認画面が出る 
 4.配送方法、お支払い方法を選択する画面が出る
 5.最後に、「ご注文確定画面」が出て、配送先の住所(会員登録した際の私の氏名、住所、電話番号、メールアドレス)と、注文した商品と値段を確認
 6.「以下の内容でよろしければ、『確定する』
をクリックして下さい」との表示が出る―

 これら1から6の手順を踏んだ上で、「注文を確定する」ボタンをクリックしない限り、ユタカの見た「ご注文ありがとうございました」との表示は決して現れないはずなのです。

 ユタカは、ネットショッピングの会員になったことなどなく、クリスマスや彼の誕生日プレゼントの際には、すべて私の名前とパスワードで、私自身が商品を買っていました。

 つまり、ID もパスワードも持たない13歳の少年が、うっかり「カートに入れる」をクリックしただけで、ネットショッピングに必要不可欠な上記の 1から6 の手順は無視され、瞬時にして「ご注文ありがとうございました」との言葉が表示されてしまったのです。

 ネットのシステム上、こんなことは不可能です。

 「まさか、本当に『注文を確定する』と、こっちがクリックしていないのに、自動配信のメールまで来ているはずがないよね」

 慌てて、私がメールボックスを確かめると、既に楽天から「ご注文内容の再確認メール」が自動配信されていたのです。

 私は急いで、楽天側に「注文をキャンセルしたい」旨のメールを送りました。しかし、それも無駄でした。

 2日後、佐川急便が、「誰も注文確定していない」はずのメトロイド・プライム・ハンターズの米国版ソフトを届けに来てしまったのです。仕方なく、4800円ほどを支払わざるを得なくなりました。

 この出来事以降、ハイテク機器の異変以上の怪が起き、私達は冥界とこの世を隔てる扉を既に失いつつあったのです。(To be Continued......)

 

2011年2月2日水曜日

第6章「幽現の渦」2―ハイテク機器の怪―part4:SonicStageの削除

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 翌日、6月最後の30日の晩のことでした。この時も物が飛んだり、トイレから音がするなど、様々な怪異がありました。

 午前0:50 頃、まだ私たちはリビングにおり、息子がパソコンに背を向けながら、私と母に話をしていた時でした。

 その時、私たちが立って話していたのか、座っていたのかは覚えていませんが、話の途中、急に息子の背後で「ドサッ!」と重い物が落ちる音がしました。

 見ると、それは、父が知人の方から頂いた『般若心経』の解説書でした。この本は、パソコンのプリンターの上に置いてあったのが、誰かが払いのけたかのように、床に落ちたのです。

 母は、はっきりと「霊」とは言いませんでしたが、「まあー、この本が飛ばされるなんて......きっと『あいつら』は、この本を恨んでいるんだろうね」と畏れと驚きの混じった口調で目を丸くしました。

 その10分後、午前1:00 頃に、私は毎晩就寝前の習慣で、戸締まりと消灯を確認しました。廊下からリビングへと入る扉をガチャリと締め、リビングの明かりを消し、襖を閉めた瞬間でした。

 「ガツーン!」

 また何かが襖に激しくぶつかる音に、ギクッとしました。何かと襖を慌てて開けると、足下には洗面所に常に置いてある父の歯ブラシが転がっていました。

 これは、到底信じ難いことでした。

 洗面所は、玄関土間を上がってすぐ右手にあり、その左手の短い廊下の先に、リビングの扉があるのです。

その扉は、私の手で、しっかりと数十秒前に閉められたというのに、その扉をすり抜けて、この歯ブラシは飛んできたわけでした。もちろん、扉は固く閉じられたままでした。

 私は呆気にとられ、あまりの驚きに、再び恐怖心が麻痺していくのを感じました。

 こんなことがあるだろうか―

 ただ、そう心で呟きを繰り返していました。

 扉や壁で仕切られた空間を、いとも簡単にすり抜けさせるような力は、もはや現実世界ではあり得ない、異次元空間でしか起こり得ないことです。しかし、その時の私には、「異次元」との言葉も思い浮かびませんでした。

 こんなことが一体どうして起こるんだろうか―

 そんな問いが頭の中でくるくる空回りしていました。

 ただ、5月の終わり頃、台所隅のゴミ箱の下の方に押しやるようにして捨てた、ユタカの小さなアトピー薬のチューブが、やはり寝室の閉めた襖に吹っ飛んできて、勢いよくぶつかったことを思い出した現在では、そうした「閉ざされた空間をすり抜ける」現象は、一連の超常現象と同一のものだ、と思い出すことができます。

 2年前の6月最後の晩は、その「ゴミ箱から飛び出したチューブ」のことは、すっかり忘れていました。

 それほど異様に感じ、吹き荒れる砂嵐の埃を掴むことなどできないように、何かが起きても、前後を関連づけることは、当時は全くと言ってよいほど不可能だったのです。

 こうした現象が起きるか起きないかに関わらず、毎晩『般若心経』を母と唱えることになっていた私は、この歯ブラシの件で、まだお経を唱えていなかった、と気づきました。

 そこで、午前1:20 頃から一心に唱え始めましたが、いつものように、隣室から壁を叩く音がスタートしました。

 その音は、「コンコン!」ではなく、いきなり「ドーン!ドーン!」と響き渡る、地鳴りのような凄まじさでした。

 今にも壁が割れるのではないか、と思ったほどで、実際、音が鳴るたびに壁が揺れるのが見えました。

 私は「お経で鎮まれ、鎮まれ」と念じながら、『般若心経』を懸命に繰り返しました。すると、徐々に音はかすかになり、やがて何も聞こえなくなりました。時計を見ると、午前1時半でした。

 ほんの10分間であったのに、無人の隣室からの壁の轟音を耳にし、ゆらゆら揺れる壁を見ながらお経を唱えている間は、真っ暗闇の、上も下もない奇妙な空間の底に投げ込まれているも同然でした。

 現象が収まると、まだ明かりの煌々とついた6畳の、見慣れた寝室に家族と共にいるだけでした。

 さっきまで、壁が揺れ、恐ろしい音が激しく壁から響いていたのが嘘のよう―

 こうした、「非現実と現実」の間を行きつ戻りつしている生活が、もうこれで1ヶ月半、続いていました。

 こんな現象を目の当たりにしている間は、恐怖は不思議と感じていませんでした。ただただ、「早く静かになってほしい」と必死にお経を唱えていただけのように思われるのです。

 けれども、その「必死な願い」というのが、やはり「恐怖」の現れだったと、今では思います。当時は、「恐怖」が現実に起こると、その気持ちを自分自身、「私は今、怖いんだ」と認識できなくなっていたのかもしれません。

 恐怖を認識できないが、異様な出来事を経験した後は、脳も興奮し、体も緊張していたせいでしょう。なかなか寝つかれない私は、午前2:50 にトイレに行きました。

 すると、昨夜と同様、トイレに入った途端、ドアを「コン......コンコン!」と手の甲の関節で素早く叩く音がするのです。

 ドキッとする間もなく、続いて、便座の真向かいの壁を「ドンドンドン!ドンドンドン!」と強く叩く音が始まりました。

 この壁の向こうは、玄関土間の右手に当たりますが、こんな夜中に土間に降りる者がいるでしょうか。母と息子は、寝室で寝ているのです。

 6月中旬の旅行でも、宿泊先のトイレから音がする、という経験をしましたが、トイレに自分が入って、その中で怪音が聞こえてくるといったことはありませんでした。

 身がすくむ思いで、壁の音が止まない中、急いで用を済ましましたが、心臓が苦しいほど高鳴っていました。

 水を流し、焦りながら手を洗っていると、静まり返った廊下やリビングから、「カーン!」「ドサッ!」と何かが飛んだり落ちる音がします。

 また、何が起きたんだろう......?

 魔物の檻から逃れるように、トイレを飛び出し、廊下を見ると、洗面台横に立ててある私の歯ブラシが、洗面所の真向かいにある私の書斎の入り口付近に落ちていました。

 それを元通りにし、リビングに入り、明かりをつけると、今度は私のノートが部屋の中央に落ちていたのです。そのノートは、この6月5日から、超常現象の起きた時間、物、状況などを記録したものでした。

 閉じたノートパソコンの上に置いていたのが、2mほど吹っ飛んだ―

 さっき、トイレの中で聞いた音は、これら歯ブラシやノートの落ちる音だったのです。

 リビングから閉めたドアを隔てたトイレの中で、「ドサッ!」と聞こえたのだから、よほど強い力で、そのノートは叩きつけられたのでしょう。

 2時間ほど前に、やはりプリンターの上にあった『般若心経』が「はたき落とされた」時と同じ印象を私は受けました。

 「霊」を鎮めるために手本としている書物や、「霊」が引き起こした記録を記したノートが、『彼ら』には恨めしいのか、と―

 その日の晩は、それ以上、何が起きたかは記されていません。きっと、もう何もなかったので、午前3時過ぎには寝たのでしょう。

 夜はこのような怪現象に戦き、3時4時にやっと寝る、ということは、この頃にはもうごく普通になっていました。起きるのは、お昼前がやっとでした。

 この6月30日の午後2時頃、遅い朝食を皆で食べた後、息子はパソコンで動画投稿サイトの YouTube を眺めていました。

 「ねえ、『般若心経』で検索したらさ、いろんなバージョンがあるよ。ほら、ロック調にアレンジしたのとか。これ面白くない?」

 私にとって、『般若心経』は、毎晩、何の理由か分からないが、壁を叩いたり、物を飛ばしたりなどの現象を起こす「得体の知れぬモノ」を退散させる護符でした。

 それだけに、必要のない時は、『般若心経』と関わりたくない気持ちが強くありました。あのお経を聞くと、「霊への畏怖」がどうしても沸き起こるのです。

 けれども、息子が「面白い」といった、ロック調の『般若心経』には、私のお経への忌まわしい気持ちを吹き飛ばす明るさが満ちていました。私も、その曲を聞いて笑いました。

 「ほんとに、すごいね。あのお経を、こんなにロックにしちゃうなんてね。歌った人は変わってる。わざわざお経をロックに歌うなんてねえ。でもすごい才能よね」

 「じゃ、これ、SonicStage に転送して、PSP に保存しておこうか」

 SonicStage は、その頃ユタカが夢中になっていた、CD や パソコンからの音楽転送・保存ソフトでした。

 私は CD からのみ好きなクラシックやポップスをコピーしていました。それに興味を持ったユタカが、6月26日頃から、音楽配信サイトからロックなどを取り込み始めました。

 更に、その曲を PSP に保存するようになり、息子はいつの間にか、パソコンや SonicStage を私以上に使いこなすようになっていました。

 彼が、ロック版『般若心経』を SonicStage に転送し、次に PSP に USB ケーブルで保存した、まさにその直後でした。

 「あっ!」

 ユタカは、私が飛び上がるほどの驚いた声を上げました。

 「消えちゃった!全部消えた!なんで?なんで?」

 彼は、信じられないといった表情で、そばに立っている私を見上げました。

 「消えた?何がなの?」

 「急に『削除します』って表示がパソコンに出て―ほら、SonicStage の保存していた曲全部が、ざーっと消えたんだよ!あっと言う間に!」

 私がパソコン画面を見ると、あんなに何十曲も保存していた音楽ファイルが、SonicStage からすっかり無くなり、空っぽになっていました。

 「ああ、好きな曲もあったのに―でも何で急に消えたの?」

 「分かんないよ―今、僕の目の前で、ザーッと次々と消えたんだ。それに、消えていく時、『呪―死―殺』という文字がパッパッと現れては消えていったんだ」

 パソコンは、プログラムが複雑に組み合わされた高性能の機械だから、パソコンに不具合な状況が起これば、「削除しますか?」と出ることは、そう珍しいことではありません。

 しかし、SonicStage に取り込んだ曲を、PSP に転送することは、ユタカは毎日、ごく普通にやっており、そこで不具合が起きた試しはありませんでした。

 不具合が起きた場合、パソコンは「画面でエラーが発生しました。プログラムを終了しますか?」といった表示を出し、ユーザー側が「はい」か「いいえ」を選択する、といったパターンが一般的です。

 そのため、パソコンがいきなり「削除します」との表示を出すのは極めて不自然なことなのです。

 私には、パソコンの頭脳が「削除します」と表示したのではなく、『般若心経』を恨み、それを PSP にまで転送した行為に対する仕打ちをしようとした「モノ」たちが、故意にそう表示したのではないか、と直感しました。

 『彼ら』の怒りは、SonicStage の楽曲データが次々と削除される際にユタカが見た『呪―死―殺』との文字に明確に表明されていたのだ―

 私は、そう判断しました。

 こんな現象が、精緻に組み込んだパソコンのプログラムの中においても起きる。

 しっかりと閉めたリビングの扉を、歯ブラシが洗面所からすり抜けることでさえ、異様に感じたのに、デジタル機器の中身、電子データなどにも、『彼ら』の意志は自由に入り込み、自分たちにとって不都合なことは削除するなど、プログラムを意のままに操ることができる―

 こんなことが可能であるなら、歯ブラシを、閉じた扉から貫通させることなど、『かれら』にはいとも簡単な行為であったことでしょう。

 しかし、パソコンに起きたこの現象は、私にとっては、異様さを超越した、まさに「奇々怪々」そのもので、到底想像できなかったことでした。

 「ねえ、もう『般若心経』を検索するのは止めたら?」

 私は、何かとてつもない事件が背後から襲ってくる異様さに囚われ、息子に懇願しました。

 「こういう変なことが起きるの、嫌だよ。『般若心経』は、カセットテープに録音してあるのだけで、もう十分じゃない」

 泣きたい気持ちになっている私とは正反対に、「ハイテク機器に怪現象が起きた」ことが、ユタカの好奇心を非常にそそったらしく、彼は笑っていました。

 SonicStage のデータがいっぺんに削除された驚きも、彼の旺盛な探求心になぎ倒された様子で、ケロリとして、こう言いました。

 「いや、大丈夫だよ。さっきのは偶然だろ。そんなに何度も起きないよ。ほら、別のリズムで唱えているのもあるし、ゴスペル調のもあるじゃん。これ、いいじゃん」

 ユタカにそう言われると、私の強ばった気持ちもほぐれ、その『ゴスペル調・般若心経』に聴き入りました。

 ゴスペルとは、黒人霊歌やジャズ・ブルース風の、アメリカの黒人教会における聖歌です。

 『般若心経』が、こんなに巧みにゴスペル・ソングになるとは、と正直感動したほどでした。このアレンジされたお経を歌った人は、好奇心に加えて、冒険心もあったのだろう、とユニークに思いました。

 ユタカは、私が興味を持ったことに満足し、早速、YouTube から SonicStage に、いろんな住職の方々が様々なリズムで唱える『般若心経』を2種類と、『ゴスペル調・般若心経』とを転送し、更に、ゴスペル調だけを PSP にコピーしました。その瞬間―

 「あっ!消えた!」

 今度は、親子同時に声を上げました。

 SonicStage に残っていた2種類の『般若心経』のファイルが、目の前で、一瞬にして消えてしまったのです。

 二人して、「どうしてだろう?」と話し合いましたが、無論、答えは出ませんでした。

 結局、『般若心経』を PSP に取り込もうとの試みは、ユタカ自身が「パソコンがバグるかもしれないから」と言って、止めてしまいました。

 その日の晩、午後8時頃、ユタカは再びパソコンの電源を入れ、インターネットを開きましたが、「ねえ、変だよ。これ見て」と食卓に座ってテレビを見ていた私を呼びました。

 私は、パソコンを2003年頃から使い始めましたが、その時から、ネットで新聞を読める便利さに魅力を感じ、新聞購読は止めていました。代わりに、ネットのスタートページに朝日新聞のネット版 Asahi.com を設定していました。

 しかし、「変だ」とユタカに言われて見ると、いつもの Asahi.com は表示されておらず、「空白のページ」と画面左下に記され、モニターは真っ白の状態だったのです。

 更におかしいのは、「お気に入り(Bookmark)」に保存していたすべてのサイトやデータがひとかけらも残さず、消えていたことでした。

 こうした「パソコンの異変」は「パソコンがバグっただけだろう」とのユタカの判断で、あれこれ再起動したりするうちに、何とか元通りになった、と記憶しています。

 しかし、午後10時頃になって、パソコンを使っていたユタカが突然「うわっ気持ち悪い!」と慌てて立ち上がりました。

 「何なの?」

 「何だよ、これ―でっかい指紋―これ、誰の?」

 私がユタカの指さす場所をよく見ると、ノートパソコンのマウスパッドの右側に、縦4cm、幅3.5cm ほどの、足の親指のような指紋がべったりと張り付いていました。

 足の親指全体ではなく、親指の腹だけで、そのサイズというのは、尋常ではない、とすぐに感じました。

 雪男でもない限り、そんな大きな指紋はあり得ません。それに、パソコンの上に、一体誰が足を真っ直ぐに乗せるでしょうか。

 何が何だか分からないまま、ただ違和感と畏怖感に怯えつつ、そのパソコンは蓋をし、「11:30 頃、箱に入れてしまい込んだ」―

 6月最後の私の記録は、これで終わっていました。(To be continued......)

2011年1月18日火曜日

第6章「幽現の渦」2―ハイテク機器の怪―part3: 開くパソコンの蓋

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「霊との会話」というものは、現在でもネットを少し調べれば、多数実例が見つけられるものです。

 しかし、「会話」といっても、多くは、「霊媒」もしくは「霊能者」(今では「スピリチュアリスト」「スピリチュアル・カウンセラー」との肩書きがより一般的になっているようです)が、冥界、俗に言われる「あの世」より亡者の霊を呼び寄せ、そしてその霊の語る内容を、それを知りたいと願う血縁者や恋人に「仲介者」となって告げる場合が多いのです。

 そのため、「仲介者」は英国では「間に立つ者」として、middler と呼ばれます。

 また、「霊の言葉」は、彼ら middler にしか聞こえず(または感知できず)、その霊の血縁者が聞くケースはほとんどありません。

 私は今年(2010年)初夏、「霊界」に関してネットを検索する中で、1983年9月1日の大韓航空機撃墜事件に家族が巻き込まれ、長男と妻を一度に失った方のホームページを知りました。

 そこで、middler のなす役割や、その方の亡くなった息子さんの霊との「再会」の場面を詳しく読み、遺族の方の悲嘆に明け暮れる身を切られるような心情や、霊界においてもなお父を慕い、尊敬し、語りかけようとする息子さんの深い愛情に大変感銘を受けました。

 息子の姿は現実にはもはや見ることはできないが、その魂は「生きて」おり、霊界でも「生活」を続けている。そんな息子の魂のメッセージを知りたい。

 そう父親が思う一方で、息子もまた、かつての世界に暮らし、泣き暮らす父に「今僕は、いつお父さんに会っても恥ずかしくないよう、やり残した大学での勉強を、こちらの世界でも続けています」と伝えたい。

 そのように、肉親同士が己の思いを伝え合いたいと強く願望しているにも関わらず、父親が亡くなった息子の声を直接聞くことは叶わないのです。亡者のメッセージを肉親に伝えることができるのは、middler のみなのです。

 そうした事例を読むと、私にはますます疑問が沸いてきました。

 なぜ、2008年7月13日頃から11月末まで、私のみならず、息子や、果ては母や父にまで、私たちとは全くの他人の「霊」の声が聞こえるようになっていったのだろうか?

 私も、10年ほど前に母方の叔父を、7年ほど前に父方の5歳上の従兄を「急死」という形で失った経験があります。しかし、叔父も従兄も、ただ遺影の中で微笑んでいるだけで、その声が聞こえてくることは、一切ありません。

 「赤の他人の霊」は、いきなり話を始めたのではありませんでした。

 彼らの声は、玄関の明かりやスイッチのように、最初は小さく、弱々しい、声とも言えないようなもので、それが単語となり、こちらに訴え、問いかけるような明確な音声となって、我が家の寝室やリビング、廊下に響き渡る「台詞」となったのです。

 「明かり」から「物が飛び交う」まで、徐々にその現象が激しさを、きちんと段階を踏んでエスカレートしていったように、「彼らの声」が「生者との会話」に至るまで、そこにはやはり、不思議な段階がありました。

 こうして振り返ってみると、「物が飛ぶ」とか「壁から音がする」という現象は、究極的には「亡者の何らかの感情の表出」の現れに他ならなかったのだ、と思えてくるのです。

 しかし、亡くなった人々の霊魂が、なぜ私たち家族に接近してきたのかは、全くもって不可解なままです。

 東京には、私の姉が住んでいます。私はユタカを産んで3ヶ月後に夫を病気で失いましたが、姉は夫と二人の子供と暮らし、自治会書記やPTA会長、パートに忙しいごく普通の主婦です。

 私の姪や甥も、高校や小学校でいじめなどの人間関係に悩む思春期を経た様子でした。二人とも、今では20歳以上となりましたが、10代の半ばで、我が家のような怪現象に苦しんだ経験はありません。

 姉妹でも、霊体質になる者と、ならない者がいる、ということなのでしょうか。また、いじめに苦しむ思春期の子供のストレスが、霊界の者を無意識に呼び寄せたり、ただのストレスとして終わる場合がある、ということなのでしょうか。

 こうした現象に関して、その謎の原因を探り、定義づけることは、ある程度可能でも、完全なる明確な答えは永遠に得られないように思われてくるのです。
 
 しかし、なぜ「赤の他人の霊」が、我が家に「ここだ、ここだ」と集まってくるようになっていったのか―

 その答えは、今考えると実に奇妙で非現実的で恐ろしいことですが、8月から9月にかけて訪れた、様々な原因で亡くなった子供たちや女性たちの「声」に集結されており、彼らの話にはある共通点が存在していたのでした。

 夏の真っ盛りに、そんなことにまで怪現象がエスカレートするとも思わず、6月末から7月中旬まで、現象の奇怪な「展開」の舞台へと少しずつ階段を昇りゆく途中で、私たちの家では、今度は「ハイテク機器」であるPSPやパソコンに不思議な出来事が起こり始めたのです。

 6月28日土曜日、午前0:40 には、「動いた物・飛んだ物=私の歯ブラシ」「最初あった場所=洗面所→落ちた所=洗濯機のふたの隅」と私は記録していました。

 それによると、「状況=午前0:40、ユタカが口を洗っている時、私がトイレに入ると、子は先に部屋に戻ったが、私がトイレのドアを開けると、急にカチーン!とすごい勢いで飛んできた」と書かれてありました。

 確かにユタカは先に部屋に戻る音を、トイレの中で私は聞きました。

 そして、用を済まし、ドアを開けると、私の歯ブラシが、私の眼前で、ブラシ立てから飛び出し、獲物に飛びかかるようにビュッと「投げられ」、洗濯機の蓋の隅に激しい音を立ててぶつかったのです。その間わずか1秒未満、実にあっという間の出来事でした。

 そうした「物が勝手に飛ぶ現象」に遭遇しても、その時には既に感覚が痺れてしまっていました。ただ、ギクッとはしますが、最初の頃のように「キャーッ!」という叫び声は、もはや出ませんでした。

 また、同日AM1:30 頃、いつも通りに、寝室の壁を「コンコンコン!」と叩く音が始まり、それが次第に大きくなってきました。

 そこで、私は、『般若心経』をテープと共に3回唱え、残りは私自身で口で唱えようとしましたが、急にユタカが「やめて!」と顔を覆い、何かを呟きました。

 しかし、すぐに彼は顔から手を離し、きょとんとした表情で、「僕、今、何か言った?そんな、『やめて』なんて言ってないよ。他に何か言ったって......?」

 その時には、不思議なことに、もう壁の音は鎮まっていました。まるで、ユタカの「やめて!」という声に呼応したかのようでした。

 息子は10秒ほど黙っていましたが、こう言いました。

 「何だか、まだ重~い空気が漂ってるなぁ。あっ、さっき、僕が言ったこと、思い出した。『襖にも血が飛び散った、だから手を洗ったんだ』って言ったんだよ」

 息子がこう言うのを聞いて、2008年6月28日の夜中の時点では、様々な「物が飛ぶ、奇妙な音が壁からする」と言った怪現象を訝ったり、息子の発言を「なぜこんなことを言うんだろう」と悩むことはあまりありませんでした。

 それは、次々と奇妙な事変が起こるために、そうした現象や発言に関し、あれこれ考えている暇が無かったからでしょう。

 しかし、2010年の現在では、当時のこれらの記録ノートを見ていると、ユタカの『襖にも血が飛び散った』などという言葉は、2日前の襖の血痕の原因を物語るものであることに気づくのです。

 もちろん、ユタカが襖に「血を飛び散らせた」と私たちは考えてはいません。2年前の6月28日の夜中もそうでした。ユタカにそう「語らせた」のは、「血痕を襖に残したモノ」に違いない、と感じていたからです。

 もし何らかの霊が、13歳の少年に自分のメッセージを語らせたのだとしても、それは通り雨のような、ごく一時のことのようでした。

 そして、もし、息子が別人であるかの如く、奇怪なことを話し続けたら、私と母は、「ユタカがどうかなっている」とひどく心配したかも知れません。

 しかし、そんな心配が一切頭をもたげなかったのは、彼がすぐに、いつもの表情と調子で話を続けたからでした。だから、「さっきの言葉は『霊が語らせたんだ』」との解釈で、胸をなで下ろしていたのです。

 「霊が息子の心に乗り移り、息子の口を借りて奇怪な台詞を語った」と解釈する方が安心するなど、全く非現実的であることは判っているのです。

 それでも、2010年の今でもそう解釈する方が当時の状況に叶っていると感じ、2年前の6月末の晩には、そんな解釈さえも思い浮かばなかったのは、不思議としか言いようがありません。

 ユタカは、「襖の血」の話の後、こう言いました。

 「人の気配がさっきからしてたんだ。壁の音がする前から。今、玄関のすぐ前―今度は瞬間移動して、ベランダの外にいる。重い大きな靴を履いてるから、ジャリジャリッて重たそうな足音なんだ」

 「えっ!今、ベランダにいるの......?」
 
 「うん。ゆうべ、気配がした時も、こいつだった。中性的な奴......あっ......!なんで中性的なのか、分かった。焼死した奴だったんだ。だから男女の区別が無いんだよ。こいつは、今まで(うちに)いた、成仏しちゃった幽霊とは違うよ。人を殺して、地獄に行き損ねた奴だ。この家で、昔、家庭内暴力かなんかあって、以前(旅行前に)来ていた4人家族が死んだのかも。僕らの前の前に住んでた人たちが、そういう目に遭って......」

 ユタカの言う「中性的な奴」と言われる人物の霊は、もしかしたら、5月の末頃、ユタカの夢に出現し、録画した携帯のムービーフォルダを「証拠」と呟き、データを消去した者と同一人物なのかもしれません。

 その後、午前2時半頃から4時近くまで、ユタカは PSP で、モーツアルトの「四季」など、静かな曲を小さく低い音量で流していました。そうすると、壁の音も次第に少なく、控えめになり、やがて妙な気配は消えてしまいました。

 ユタカの「中性的な焼死した人物」の話は、見方によっては、10代前半の子供の想像に過ぎない、と思われるかもしれません。

 しかし、息子の「夢に出てきた中性的な人物」が生き物のように動くスタンドの映像フォルダを消し、そのフォルダ消去が現実に起こったことや、「夢で誰かが人を刺し、血が飛び散る場面」を彼が見た後、実際我が家の襖に血痕が残っていたことを考えると、ユタカの「霊」なるものに対する感受性と、彼の見る夢は、そうした異次元の者たちにとって、実に都合のいい地盤だったに違いありません。

 翌日、6月29日、日曜日の夜半は、パソコンに異常が起きました。

 ユタカは、午前1時過ぎにノートパソコンを使ったDS の通信を止め、就寝前の安定剤を飲み、床に就いていました。

 しかし、午前2時過ぎ頃から、蓋を閉じたパソコンから、3回も再起動するメロディが私にも息子にも聞こえてきたのです。

 変に思ったユタカが起き上がり、リビングの時計下の机に置いてあるパソコンを確認しに行きました。

 私は彼に「やっぱり変だ、来て」と呼ばれてそばに行きました。すると、消したはずのパソコンの電源が ON になっており、閉じたパソコンの蓋が20cm も開いていました。
 
 そんなに開いていると、モニター画面もよく見えます。いつも私たちが使う時のように、外国の風景を壁紙にしたスタート画面となっていました。

 いろいろな現象が起きるといっても、パソコンにまで異変が及ぶとは想像もできませんでした。「また壁がうるさいだろう、小物が動くだろう」と私たちが考えていると、「目に見えぬモノ」たちは、「じゃあ、今度は違うことをしてみせよう」と企んでいるかのようでした。

 「なんで、ユタカはパソコンをちゃんと終わらせて、蓋をしたのに......再起動して、スタート画面なんてことになるの?」

 「さあ......本当に終了して、蓋をきちんと閉めたんだよ。でも、さっき、布団に入ってから、誰かがパソコンの前に座って、キーをカチャカチャ操作する音がしてきたもの」

 「誰かが操作する音......?お母さん、音楽をヘッドホンで聴いてて、聞こえなかった。気持ち悪くない......?」

 二人して、パソコンの異変に気を取られていたこの時でした。

 私がピアノを弾く時に使うクッションが、隙をつくように、いきなりピアノの椅子から床の上へと2mほど飛び、床に投げつけられたのです。

 この時は、さすがに「わっ!」と声を上げてしまいました。再び私たちは、異空間の壁に取り囲まれていたのです。

 私は、まだ心臓がどきどきしている中、午前2時40分頃、一人でトイレに行きました。ただ、驚きで尿意を催しただけで、トイレに行くことは、そんなに怖いことではありませんでした。

 しかし、トイレに入り、鍵を閉めた直後、外から誰かがドアを「トントン!」と素早く叩く音がした時には、ギョッとしました。母もユタカも、トイレの戸を他人に対してのように叩く訳がないからです。

 その直後、便座の左手にあるトイレットペーパーを取り付けた壁からも、「誰かの手の甲」で「トントン!トントントン!」と続けざまに5回、執拗に叩く音がしました。

 この左手の壁の向こうは、電気温水器が収納された機械室で、その向こうはマンションの共用廊下なのです。誰も、機械室に入る隙間などないのです。

 まさかトイレの中の壁からも音がするとは思ってもいませんでした。このような新たな怪奇現象は、5月からの1ヶ月半に渡った経験により、私達の心の中で図式化された超常現象のパターンを、故意に崩そうという「モノ」たちの意図だったのでしょうか。

 「怖い」との感覚が麻痺していた私は、ほぼ1ヶ月ぶりにぞーっとし、「怖い、怖い」と心底感じました。

 慌てて寝室に戻っても、まだトイレの方から「ゴン!」と何かをひどく叩くような音、そして、家のどこからか、「ドーン!ドーン!」という異様な大きな音が響いてきました。

 「うちのトイレから音がするなんて......こんなこと、なかったのに......ねえ、怖いったら......!」

 ユタカにこう訴えると、息子は「よし!じゃ、今夜はロック系で行こう。こいつはうるさいぞ~!」と面白そうに曲を選び始めました。

 その晩、PSP で流したのは、バンド名は忘れましたが、アメリカのヘヴィメタルだったと思います。疲れて眠たい時、こんな曲を聞き続けると、怪現象による音を鎮めるためとはいっても、「ああ、辛い」と感じます。

 しかし、ユタカの勘は当たっていたようでした。「目に見えぬ敵」も、「ああ、うるさくて落ち着かない」と思ったのか、異様な怪音はすっかり消滅したのでした。(To be continued......)


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2010年12月9日木曜日

第6章「幽現の渦」―2: ハイテク機器の怪―part2: PSP の異変

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第6章「幽現の渦」―2: ハイテク機器の異変―part1: PSP の怪
Weblog / 2010年12月09日 15時52分35秒


なぜ、息子が見た夢が現実に起きるのか。なぜ、彼の悪夢が正夢となるのか―

 私は、この襖の異様な汚れが「飛び散った血痕」と知ってからは、その部分にまともに目をやることができませんでした。

 飛び散り、なすりつけられ、したたった後の残る変色した血。これは一体誰の血なのか。DNA 鑑定でもすれば、どこの誰の血なのかは判明するでしょう。

 しかし、どこの家族が、我が家の襖に飛び散った血の DNA 鑑定などを頼むでしょうか。

「いつの間にか、こんな血がついていたんです」

 ―こんな理由は、決して通りません。また、依頼した直後から、「家庭内で何らかの事件、犯罪が起きたのだ」と疑いの目で見られるに違いないのです。

 物が飛ぶとか、壁の音がするなどといった現象は、視覚聴覚上の妄想と、専門家には片づけられることもありましょう。

 しかし、「襖に血糊が残っている」という事実は、現実に目の前に動かぬものとしてあり、99%、「何らかの事故もしくは事件の証拠」と見なされ、「超常現象として起こったのではないか」と認識される可能性は、限りなく零に近いものでした。

 そこで、このことも、誰にも相談ができず、ただ家族3人で不気味な孤独感に苛まされるだけだったのです。

 その襖のおびただしい異様に変色した血痕は、私にとって、正視に耐えうるものでは到底ありませんでした。

 ただ、私が実に不思議であり、且つ明確な事柄として感じたことは、「超常現象は、まだ13歳と半年にも満たぬ息子を通して、より明瞭に現れる」ということでした。

 ネットのあるサイトで、「霊魂が入って語る、という霊的な能力を有する者を、霊媒という」といったことが書かれてありました。

 これが真実ならば、息子は「霊魂が彼の頭に入り、夢を見せ、その夢を現実に再現しようとすればできる能力を持つ『霊媒』」ということになります。

 いきなり自分の子が「霊媒」だと信じることは不可能でしたが、目の前で起きたことを解釈する上では、こんな「非現実的な解説」が妙に当てはまる気がしてなりませんでした。

 実際、6月8日、ユタカは昼寝で「誰か中性的な人物が出現し、携帯やデジカメを仕舞ってあるタンスの前に立ち、『証拠になる物が残っている』と言い、10分ほどそこにじっとした後、姿を消した」という夢を見ました。

 その話を聞いて、私が携帯やデジカメを確認すると、「夜中のスタンドのダンス」のムービーフォルダ、「どこかの家の板の間で数秒間撮影されていた、粘土のように潰れた醜悪な顔」のムービーデータが、どちらもきれいに消去されていたわけです。

 その時、息子は「霊は、霊感のある人間の夢に現れ、直接話しかけてくる」と私に言ったのです。

 ユタカがいつ、どこで、そんな情報を知ったのかが不思議でしたが、その時は「そんなものなのか」と、深く考えることもありませんでした。

 しかし、今、思い起こしてみると、ユタカのその言葉は、まさに「霊媒」の能力の証明ともいえるものだったのではないか―そのように思えて仕方がないのです。

 もちろん、息子が「僕は『霊媒』だから」と自ら意識し、私たちに宣言していたわけでは決してありませんでした。

 寧ろ、彼自身が気がつかないうちに、そんな「体質」となってしまい、「霊的存在」が息子の口を借りて、何かを主張しようとしていた、といった感が強かったのです。

 そうした印象が特に明瞭となってきたのは、6月27日の真夜中でした。

 その日は、午前0時50分頃から1時過ぎまで、母とお経を、テープと共に唱え、唱えた後もしばらくお経の音声を繰り返し流していました。

 すると、クーラーのリモコンが、勝手に、私の枕元から母の枕元へと、2、3回往復して飛びました。

 「危ない、リモコンが―わっ!また飛んできた!」

 もう「物が飛ぶ」現象が起きて、1ヶ月半にもなる頃でした。それでも、何かが「独りでに飛ぶ」ことに対しては、その都度、鳥肌が立つほどの恐怖でした。

 そして、再び、3日前の夜中と同様に、私の足の裏が、「誰か」の指で「グイッ!」と押され、ユタカの肩を「冷たい手」がぴたりと触れたのです。

 「わっ!冷たい手で、また触られた!」

 息子は怖がり、遊んでいたDS を布団の上に放り出すと、タオルケットを頭から被ってしまいました。

 その後、妙に張り詰めた空気が和やかになり、彼は1時50分には「眠くなってきた」と言い出しました。

 ところが、突然、タオルケットをガバッとはねのけると、ユタカは「気配!」と声を上げました。

 「気配?何......何の?」
 「ベランダだよ!ベランダを歩いている......!」

 「......誰......?」
 「大人の男だ......大人の男の足音がはっきり聞こえる......」

 私はその足音は聞こえませんでしたが、ユタカはベランダを凝視し、じっと耳をそばだてていました。

 すると、その気配と呼応するように、隣室の壁をドン、ドンと鈍く、次にいつものように「コンコンコン......!」と叩く音が始まりました。

 私は、急いでテープで『般若心経』を2回ほど繰り返して流し始めました。

 すると、ユタカが独り言のように、誰にともなく喋り始めました。

 「......もう、念力で、部屋の中に入らなくても、室内の物は飛ばせる。室内に貼ってあるお経は、もう意味がない......音声だけが手掛かりだ......」

 まるで催眠術にかかったように、何者かに操られてでもいるかのように、奇妙な内容を語ったのです。

 私は、「音声だけが手掛かりだ」というのは、「お経の音声」を意味するのだろう、と思いました。こうして、息子が不思議な独り言を口から発した後、壁の音はピタッと止まりました。

 ユタカは、半ばウトウトしつつも、更に話し続けました。今度は、彼自身の感じたことのようでした。

 「......気配、消えた。ベランダで、今、足音したけど、遠くへ走って行ったのを
感ずる......」

 こう言った後、ハッと目が覚めました。

 ユタカは、「僕、今、無意識に何か......言っていたような気がするんだけど......?」と私に不思議そうに尋ねました。

 私は、彼の話した内容をすべて教えました。すると、ユタカは驚いた様子でした。

 「えっ?『気配』とか『念力』......?そんなこと、僕、言った?全然覚えてない」

 「『お経は意味がもうない』って言ったのも?」

 「ぜーんぜん、覚えていない。僕、そんなこと、言うわけないよ。だって、お経は大事じゃない。それに、人は、何か言う時、意識して物を言うでしょ?今だって、意識して言っているんだよ。ホントに、さっき何か言ってたなんて、自分でもよく覚えてないよ」

 そして彼はこう言った直後に、また正反対のことを言いました。

 「何か、無意識に言っていた気もするけれど......」

 全く、この出来事は不可解でした。まさに、「霊的存在」なるものが、まだ若く、感受性の鋭い13歳の少年の脳を借りて、己の主張を語り、そしてどこか遠くへと再び去って行ったように思われました。

 しかし、「幽体」が息子の頭に入り、何かを「語る」という現象は、よく考えればこれが初めてではなかったのだ、と気がつきました。

 旅行の数日前、やはりベランダの外に「4人家族」が浮かび、口々に「ここは私たちの家」「侵入不可能」「よそを探そう」などと話し合った、という奇々怪々な出来事がありました。彼らの会話も、やはり「息子の口を借りて」交わされたものだったのです

 しかし、「なぜ息子が何かに利用されているのか」という疑問も、8月の最中頃には徐々に薄らいでいきました。その頃までには、ユタカだけでなく、私や母も、「何か」に深く関わっていくようになったからでした。

 その晩は、「自分の言ったことは信じられないし、覚えてもいない」とユタカが首を捻った後、もう夜中の3時過ぎだったので、私たちは少し微睡んでいたようです。

 またいきなり、強い「ゴンゴンゴン!」という壁の音で、皆、再び目を覚ましました。

 「ベランダに人の気配―中性的な大人がいて、こっちに接近してきている......外から強いパワーを発している。ねえ、部屋中の本を投げ落とそうとしている強い気配感じるんだけど......」

 息子は、警戒心を覗かせながら、妙に落ち着いた調子で状況を説明しました。

 その「外から室内の本を投げ落とそうとしているパワー」とは、1時間ほど前に、ユタカに無意識状態に陥らせつつ呟かせた「もう念力だけで、室内に入らなくても、中の物は飛ばせる」と語った「モノ」の力ではないか、と私は判断しました。

 その頃、ユタカはSONY の PSP がお気に入りで、主にパソコンからダウンロードした曲をPSP に保存し、寝る前によく聴いていました。曲はモーツァルト、ドヴォルザークなどのクラシック以外に、英米のロックなどを多数集めていました。

 「壁の音、うるさいから、明るい曲でも流そうか」

 こうユタカが言うので、「こんな真夜中に?」と私は躊躇しました。

 「いいじゃない。壁がドンドン騒がしいんだから、同じことだよ」

 彼が騒がしいロックを故意に選び、流そうとしていたその時、ユタカは「あっ」と言うと、PSP から手を離しました。

 「今、誰かが僕の手に触った」
 「本当?......でももう一度、試してみたら?」

 再度、ユタカが PSP を手に取り、「えーと、これにしよう。リンキン・パーク のうるさい奴」と言い、音量も最大限にして流し始めました。

 その最中も、壁の音は執拗に続いていましたが、ユタカの試みも、ふたたび「誰かに手をはたかれる」ことでPSP は床に転がり、失敗してしまいました。

 「何だよ、もう、邪魔ばっかり」

 ユタカは3度目の挑戦に挑みました。すると、曲が30秒も続かないうちに、いきなりPSP の電源自体が消されてしまったのです。

 しかし、このロックの効果は確かにあったようでした。

 というのも、曲が消される直前、息子には「何者」かの「やめろー、やめてくれ!」との悲鳴めいた声が聞こえ、私達が途方に暮れていた壁の騒音も妙な気配もきれいに消えていたからです。

 その後、息子はこうした一連の現象について、彼なりの判断を私に語りました。

 「霊は、成仏したいって、本当は思っているんだよ。でも自分では成仏はなかなかできないから、人に『成仏させてくれ』って、取り憑いて、悪さをするんだよ」

 「どうして、そんなこと分かるの?」
 「そんなの、『心理』というものを考えたら分かることだよ」

 ユタカは、いつの間にか、霊の存在を自然に認識し、その霊にも「心理がある」と考えるようになっていた訳ですが、私は「霊の存在」などは理論的に把握するどころか、「霊そのものの心理」など、想像することもありませんでした。

 「霊」との言葉が、すべて私の心を脅かし、凍り付かせるものだったからに他ありません。

 それなのに、まだ13歳の息子が、「霊の心理」を「人の心理」として捉え、その必然性を至極当然のこととして理解していたのです。

 「最初は、4人家族が(旅行前に)いたけれど、お経で成仏。次は古井が出てきたけれど、こいつも昨日のお経で成仏。後一人、中性的なのが残ってて、こっちはお経で一時的に退散したけれど、すぐに戻る。でも、夜中にふさわしい静かな曲より、ふさわしくない明るい騒がしいロック系の曲には退散するんだよ」

 その当時は、息子の超常現象に対する理論的な説明に、「ふうん、なるほどね」と同感するのみでした。

 しかし、2008年のような激しい現象が、ややなりを潜めた今現在となっては、なぜ、その当時、息子が俗に言う「心霊現象」をごく普通に起こる得ることのように解釈し、私に語ることができたのか、不思議でならないのです。

 父は、いつもお世話になっている日蓮宗の旦那寺の住職さんに、5月中旬から始まった一連の現象を既に相談していましたが、住職さんのお話では、「2008年の今年は厄年に当たります」とのことでした。

 また、2001年に大阪から兵庫に転居したことを、「方違えとして、鬼門の方角だったのかも知れません」と住職さんはおっしゃったそうです。

 「方違え」と言えば、平安朝によく行われた風習だと思っていた私には、「この現代に?」と有り得ないことのように感じました。

 しかし、これだけ怪異が頻発している以上は当然であろうとも思われたのです。

 ところが、この6月末から7月初旬にかけて、こうした古来からの「方違え」の失敗とは妙にそぐわない事柄がよく起こりました。

 それは、21世紀という時代を反映してのことなのか、PSP,パソコンなどに超常現象が起きたことでした。実際、米国のある企業のパソコンに、毎日のように、同じ内容の文書がメールで大量に送られてくる、という事変が起きたそうです。

 ウイルスかと検知したが、そうではない。

 そうする合間にも、受信ボックスは例のメールで容量がパンクしそうになる。

 そこで、社会問題にも都市伝説にもなり、「要するにこれはポルターガイストなのだ」との騒ぎになったそうです。

 そして、ハイテク機器が妙な具合になる現象が、我が家でも起こるようになったのです。

 しかし、最も凍りつく経験は、7月13日頃から突如として始まった「霊との会話」だったのです。
(To be Continued......)

2010年9月1日水曜日

第6章「幽現の渦」―2: ハイテク機器の怪―part1: 襖に飛び散る血痕

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 そのように、気がつかない間に散乱していた丸められたティッシュを、私はそれからどう始末したか、あまり覚えていませんが、確か、母を起こして、その有り様を見せ、二人でゴミ箱に捨てたように記憶しています。

 18日の昼間は何事もなく過ぎました。ただ、息子は一晩中、「不眠状態だった」と元気がありませんでした。午前4時頃、父に叱責されてゲンナリし、朝は8時半に起こされるため、熟睡した感じがないのも当然だったでしょう。
 
 私も熟睡感がないものの、両親とダイニングフロアに出かけ、皆疲れた顔でバイキング料理を小皿に取り分け、庭園の見える窓際で食事をしました。

 「いろいろ観るところがあるけれどなあ。庭園を散歩、してみるか」

 父がそう誘ってくれましたが、私は睡眠不足から、動悸や頭痛がしました。

 「ごめん。とてもダメ。部屋でお昼寝してからなら......」

 「あの子は、これくらいなら食べれるか」

 パンをユタカの分、ハンカチに包んで部屋に持ち帰りましたが、ユタカは吐き気でなかなか食べられませんでした。やっと午前10時半頃、ジュースと一緒に食べた程度でした。

 昼も、ユタカは「あまり食欲ない」と言い、午後の2時頃ジュースをすすっただけでした。それでも、晩は、皆で一緒に食堂に降りて、普通に食事ができました。
 
 これが、息子がこの旅行で「初めておいしく、量もちょうどよく食べれた」夕食でした。

 起きている時は、皆、不眠状態なので、私一人でベランダから綺麗な建物や庭園をデジカメで撮ったり、廊下に出ては、豪華な彫刻の置物などを撮影して回りました。それ以外、一切外には出ず、ほとんど昼寝か、起きている時は、皆で食事までトランプ、といったことの繰り返しでした。

 このホテルに泊まっても、怖いことが起きたというのに、「せっかく立派なホテルに宿泊しているんだから」という、ごく尋常な旅行客の気分が時折は蘇ります。

 そこで、夕食後、ユタカは修学旅行のようなウキウキした調子で、「1階の土産物店見に行こうよ」と私を誘いました。

 その店で、ユタカは日本刀や龍のデザインのキーホルダー、私はフクロウのキーホルダーを買いました。こういう他愛ないことが、この「嫌な旅」のせめてもの慰めでした。

 私がフクロウを選んだのは、デザインが可愛く、夜はほんのり光るから綺麗だと気に入ったためでしたが、「幸せを呼ぶ鳥、フクロウ(不苦労)」との説明に何か救いを求める心が動いたのかもしれません。

 土産物を買い、少し気持ちも晴れた私は、昨夜の大浴場へとまた入りました。特に異変はなく、昨夜と同じく、私が11時過ぎに部屋に戻ると、両親とユタカはもうぐっすり寝ていました。

 私は寝る前、テーブルの上に置きっ放しの父のペンやメモや爪切りなどの小道具や皮の小銭入れや財布、鍵や眼鏡などの小物を廊下のクローゼットに入れました。

 また、父が寝る前まで飲んでいたお茶の缶や薬などは、父が「紛失した」とびっくりしないよう、窓脇の板の間の座椅子の下などに押し込みました。

 これは全て「飛んだら怖いし危ないから」との警戒心からだったのです。

 あらかた家族の布団の周囲を「安全」にしたものの、私の緊張感は夜が更けるにつれて強まっていきました。

 日付が6月19日となり、F町のホテル2泊目の晩となりました。この晩を乗り切れば、旅行も終わり、父は大阪へ、私と息子と母は、兵庫の山奥のマンションへと戻るのです。

 しかし、「無事この夜を乗り切っても、家に戻れば、また何が起きるか」と心配でたまらず、落ち着く場所が永遠に失われてしまったかのような不安でいっぱいでした。

 寝る前に、いつもの習慣で、家ではワインというところを、旅先では梅酒を買い置いたのを飲んでいました。その晩は、息子は「気配」というもので目が覚めたりはしませんでした。

 私の布団の右側には、木製の縦格子の窓が壁にはめ込まれ、ほんの1cm ほどの隙間から、洗面台やトイレのドアが見えました。

 午前1時半から2時にかけて、そのトイレの方から、中の壁を「ドン、ドン、ドン」と鈍く叩く音がしました。

 私はギョッとし、寝ている家族を見渡しました。皆、布団にくたびれ果てて眠り込んでいるのに、トイレから音がするのです。

 私は薄気味悪くなり、妙な寒気が起こりました。そして、そういう時に限って、トイレに行きたくなるのです。けれども、せっかく寝ている家族を起こしたくありませんでした。ユタカが、こういう場合は不思議と頼りになるので、息子を起こそうとも思いましたが、それも可哀想でした。

 結局、私一人で、その音が止むまで我慢することにしました。そして、心の中で、「どうか壁を叩かないで下さい。私たち家族を苦しめないで下さい」と祈り続けました。

 そうした「祈り」が効いたのかどうか、偶然にも、徐々に音はしなくなり、もとの静寂が訪れました。私は恐る恐るトイレに行きましたが、何も異変はありませんでした。

 それでも、「夜中のトイレ」というのは、何もなくても恐ろしいものです。慌てて手を洗い、部屋にそっと入ると、静かに襖を閉めました。

 「もう、大丈夫かもしれない」

 そう思い、残っていた梅酒をまた飲み始めた時でした。私の足下に、何かが「ヒュッ」と飛んできて、布団に落ちました。

 それは、洗面所の宿泊用の、小さな歯磨きの白いチューブでした。

 状況から考えて、襖は閉めてあるのだから、私の布団右横の、格子窓の隙間から投げ込まれたのだと思われました。

 「嫌だ、なんで洗面所のチューブが......」

 そう思い、ユタカのよく言う「古井」の仕業だと感じ、再びゾクッとしました。そのチューブは拾っておき、私のバッグに入れ、朝、母に「夜中にこれが飛んできたのよ。襖も閉めてて、部屋から隔たった洗面所に置いてあったのにー」と説明しました。

 母は、「まあー、そんな所から、ねえ。隙間があれば、どこからでも狙うのね」と眉を寄せました。ただ、ユタカにこのことを言うと、「歯磨きのチューブくらい、不思議じゃないよ」と意外な返事が返ってきました。

 「なんで不思議じゃないって思うの?」
 
 「別に。もしかしたら、お母さんが歯磨きして、そのチューブをうっかり部屋に持って入ったのかもしれないからさ」

 私は、息子がいつもは「何かの気配だ」とよく言うのに、この小さなチューブに関してはごく自然な解釈をしようとしていることに、少し妙な印象を受けました。

 多分、旅行の終わりまで、異様な出来事に対して込み入った分析をしたくないー彼は、こんな気持ちだったのかもしれません。

 ユタカは、「昨夜はよく眠れて、朝の6時半に起きちゃった」と少し元気そうでした。朝食は、8時20分に、パン、牛乳、卵、サラダ、ヨーグルトなどをおいしそうに食べました。私はその様子をデジカメで撮りました。

 朝食後はもう、荷物をまとめて、チェックアウトの準備です。私は、片手に携帯を携えつつ、「怖かったけれど、綺麗だったホテルの思い出は残したい」と、ひとり皆に少し遅れつつ、ホテル内の装飾や、赤い絨毯を歩く家族の後ろ姿を撮影しました。

 2008年6月19日、朝10時にF町のホテルをチェックアウト。後は、JR の駅まで送迎バスを待つだけです。その時も、携帯で家族同士、撮影をしました。

 しかし、そうやって撮影した写真も、8月上旬には「不吉なことの起きた場所の写真や奇怪な音声を録音したテープは、残しておくと大変なことになる」との理由で、すべて消去してしまったのでした。

 その理由を教えてくれたのは、ユタカの小学校時代の知り合いだった榊(さかき)君という、1歳上の少年でした。

 榊 真人(マサト)君は、ユタカと同じように中1の終わり頃にいじめに合い、「同じ町内に住んでいると級友に出会って嫌だから」と、1年半ほど田舎の親戚のお寺に住んでいたそうです。

 その榊君は、田舎でフリースクールに通い、合宿を体験した後、「久しぶりに元のマンションに戻ってもいい」と、2008年8月に帰ってきていたのです。

 8月以降の我が家の超常現象は、11月末まで続きましたが、榊君は度々我が家を訪れ、アドバイスをしてくれた一人であり、奇怪な事象に苦しんでいた私たちの心を支えてくれたという意味で、大きな力となった存在でした。

 様々なことが起きた旅行を終えても、元の家に戻れば、また大きな悪夢の渦中に自ら入り込むのと同じことでした。

 その悪夢の爪は、徐々に鋭さを増し、巨大な竜巻を起こそうとしていました。その目に見えない呪わしい爪痕が、7月以降、我が家をますます蝕んでいくことを、私たち3人が知るはずもなく、父とF町から大阪行きの列車に乗り、いつもの駅で、父と「またね」と別れたのです。

 午後12時半に、9年間住み慣れた町の駅で降りると、私とユタカは駅前のローソンに行き、お昼のお弁当を買い、バス停で待つ母のもとに急ぎました。

 4日前の朝、「何事も旅先で起きませんように」と願って離れた家は、何事もないように、私たちを迎え入れました。それでも「久しぶり」と、ホッとした気分になれません。なぜなら、家中には相変わらず<般若心経>が張り巡されていたからでした。

 この旅行から帰宅した19日から、20日金曜日の夜半までは、不思議と何も起きず、久しぶりによく眠れました。

 また、ユタカがネットで<般若心経>を検索してくれたので、私はそれをカセットテープに録音し、19日の晩から、就寝する前、11時半位から、母とお経を3回は繰り返し唱えることを始めました。

 しかし、6月20日の夜半から21日土曜日の、ほぼ同じ時刻、AM 2:30 ~3:05 頃にかけて、再び現象は再開されました。

 ユタカが、「なんか古井の気配がする」と言うと、最初はクーラーの室外機をコンコン......と叩く音がし、次に壁の中から「コンコンコン!コンコンコンコン......!」と指の関節で叩く音が始まるのです。

 急いでお経のテープを入れたカセットレコーダーを壁につけ、故意にボリュームを大きくして流しました。

 すると、そのお経に抵抗するかのように、壁を叩く音も一層、大きくなりました。

 <般若心経>は悪霊を追い出す文言であるため「壁の中の悪鬼」は、そのお経の音声に苛立ち、牙をむいたのでしょうか。

 しかし、「ぎゃーてい、ぎゃーてい、はらそう ぎゃーてい......」との悪霊を諭し追い払う、最後の部分にさしかかると、壁の異様な音は鳴りを潜め、お経が終わるのとほぼ同時に、音は鳴らなくなりました。

 「気配、消えちゃった」とユタカが言うと、本当に、何事もなかったかのように、部屋は静まり返り、空気も森閑とし、全くの静寂となりました。

 今現在は「悪霊を追い払う」目的で、<般若心経>を唱えたり、テープを流したりしていた、と書いてはいますが、2008年夏、特に7月中旬に至るまでは、私や家族には、あまり「霊が家に入り込んでいる」といった意識は薄かったようでした。

 ただ、<超常現象>が起きている、だからお経を貼ったり唱えたりすれば、何とかなるのではないか―そうした認識しか抱くことができませんでした。

 私は、「超常現象」と「心霊現象」とが当時はなかなか頭の中で結合しなかったのです。

 「超常現象ーポルターガイスト」というと、何か「物理的に不思議な現象」といった印象を受け、それだけでも恐ろしく感じますが、「心霊現象」、すなわち「何かの霊に憑衣され、夜な夜な霊たちが自分たちの周囲をさ迷っている」―

 そうした認識は、本能が拒絶していたに違いありません。

 しかし、もとを辿れば、「超常現象」も「心霊現象」も同じ一つの「怪奇現象」であり、「あの世の者たち」が引き起こす異常な状況であったのです。

 それでも、私が「これは完全な心霊現象なのだ」と認めざるを得なくなったのは、7月中旬以降であり、物理的に不可解な「超常現象」が起き始めた5月中旬から、実に2ヶ月の日数を経て、我が家の現象は確実に「霊の出現」へと急速にエスカレートしていったのでした。

 しかしその7月半ばに至るまでは、主に以前と似たような「物理的な不思議」が相変わらず毎日のように起こり、私たちを悩ませました。

6月21日と22日、土曜と日曜の朝、午前9時頃、母が起きると、リビング全体の照明が明々と灯されていました。

 リビングの天井には、食卓の上に白い円状の白熱灯、テレビやピアノを照らすために花の蕾が開きかかったデザインのシャンデリアを備え付けていました。

 それらは、就寝時はどちらも消し、台所の流しの蛍光灯だけつけているのが普段の習慣なのです。

 夜は何かと異変が起こりますが、母は家族の中で一番寝付きがよく、いつも私より早く起きる人でした。だから、一晩中消していたはずのリビングの照明がどちらも朝にはついていたことに、非常に驚いた、と私を起こして話してくれました。

 また、23日月曜日の夜半のことでした。午前1時40分頃、ユタカは「妙に気配、感じるなあ」と言いながらトイレに向かいましたが、突然、鬼でも見たかのように「うわぁっ!」と叫びました。

 「また......何があったの?」

 「今、今、家の玄関の前に人が突っ立ってて、中を伺おうとしている気配、すっごく感じるんだよ!ねえ、分からないの?分からないの?」

 ユタカは私に「分かって欲しい、こんな不気味な気配から早く遠ざかりたい」と必死になっていました。私は息子のそんな訴えにただならぬものを感じ、そばに来ていた母と3人で、急いで寝室に戻りました。

 すると、再びユタカは「我が家に忍び込んだ殺人鬼」からこちらの気配を悟られまいとするかのように、怯えた調子で続けました。

 「あっ......古井が......!」

 「やっぱり、また、<古井>なの?」

 「古井がお母さんの勉強部屋へと、外から入ろうとしている!ーあっ!もう、入っちゃった!今、書斎で足音がしたよ!」

 その時、私も、洗面所から書斎のドア付近で人が動き、「カタッ......コトッ......」と何か物を動かす気配を感じ、音をもはっきりと聞きました。その後、ドアを開けるかのような音が聞こえてきました。

 「ほら......!お母さんの書斎のドアを、カチャッ......キーッて開ける音がした。あれ、古井だよ」

 「あっ!ー今度はリビングに来て、椅子に座ってる......!椅子の音、聞こえたでしょ」
 
 私たちは、3人とも、寝室で息を潜め、「正体不明のモノ」が家中をうろつく気配や音を聞いていました。特にそうした気配や音に敏感なのは、ユタカの次に私だったようです。母は、何も聞こえない様子でした。

 しかし、その「悪鬼」はいよいよ私たちに接近したようでした。

 「もう、この部屋に入って来た......!」

 ユタカの言葉と同時に、私は裸足の足の裏を「誰か」の指でグッと押されました。

 「嫌だ、何?足の裏を押されたよっ!」

 私はゾクッとし、思わず足を曲げ、体を息子の本棚の方へと慌てて移動させました。ユタカも、「ワッ!腕が......!触んな、触んな、あっち行けっ!」と布団の上に座ったまま、後ずさりしました。

 ユタカは、右腕の二の腕を、「誰かの冷たい手」で触られたのです。

 こんなにハッキリと「目に見えないモノの冷たい手」で体を触られることは、私たちにとって、5月中旬の怪奇現象が始まって以来、初めてのことでした。

 母は、まだこの時点では「触られる」被害を被っていませんでしたが、7月から8月いっぱい、母も「一晩中、体のあちらこちらを触られたり、叩かれたりする」恐怖を味わうようになったのです。

 一旦、こんな生々しい経験は鎮まりましたが、今度は壁が「ドン、ドン、ドン......」と鈍く叩かれ出したため、最後の切り札とばかりに、<般若心経>のテープを大音量にして流し続けました。そうして、この夜の「試練」は午前3時頃、やっと収まったのです。

 私は、本能的に拒みつつも、「心霊現象」について、更に何かを知りたいと思いました。

 「冷たい手で体を触られる」といった、凍り付くような経験をしたからには、やはり「霊なるもの」が周囲に漂い、夜間に音もなく降り積もる雪のように、我が家を「あの世」の空気でしんしんと包み込み、ごく平凡な日常から、私たちを震撼とさせる「異空間」へと、遠く、遠く隔たった場所へと引きずり込もうとしているのだ―

 そうした現実を直視せざるを得なくなってきている、そんな切羽詰まった心境へと追い込まれていたのです。

 私の「手引き」となるのは、やはり佐藤愛子さんの<私の遺言>でした。この本で、私は初めて「この世」と「あの世」の中間に、「幽現界」なるものが存在することを学びました。

 この異世界は、読んで字の如く、「幽体」となった、肉体から離れた霊魂が、生きた人間の住む「現実世界」をさ迷う空間です。

 私は、死後の世界というものをじっくりと考えたこともなかったために、人間は皆が「この世に未練が残り、死後であっても真っ直ぐに天上界へと行き、成仏するわけではない」のだ、と知りました。

 どうした理由で、そうした「幽現界」にさ迷う霊魂が、我が家に入り込んでくるのかが分かりませんでした。そのため、佐藤さんの本は、その時はそれ以上、熟読することはありませんでした。

 そうした世界がある、と知識上知っても、自分たちが経験した生々しさにその異世界を結びつけることに、底知れぬ怖さを感じたためでした。

 親しい友人には、携帯のメールで詳しく、「こんなことがあった、あんなことが起きた」と知らせていました。友人は、「夜中の2時や3時に怖い目に遭うんなら、早めに寝てしまえばいいんじゃない?」と返事してくれました。

 それも道理に叶っていますが、いくら早く寝たところで、壁の音や「触られる」ゾッとするような感覚、寝室を所狭しと飛び交うタオルケットやティッシュボックスの騒動で、どうしても起きてしまうのです。

 6月24日には、午前0時45分から46分の、わずか1分間に、洗面所に置いていた父の歯ブラシが5m離れたリビングの床に「カツーン!」と飛ばされ、食卓の上のティッシュボックスが、1m先の床へと投げつけられました。

 これらも、ユタカが「あっ!古井の気配がする!」と言った途端に起きた事柄でした。
しかし、私と母とが、<般若心経>を6回ほど唱えると、現象は鎮まり、ユタカも「アイツ、出ていく気配がした」とホッとしたようでした。

 このような状況下では、もはやお経だけが頼りであり、私たちは「お経が身を守ってくれる」と信じて疑いませんでした。

 翌日は、何が起きたか、記録に記されておらず、忘れてしまいましたが、6月26日木曜日、未だ予期せぬ怪異が起きました。

 その日の夕食後、私は、寝室にしている子供部屋隣の、元和室だった襖が何かで「汚れている」ことに気がつきました。

その襖は、その年、2008年の正月過ぎに、新しく張り替えたものでした。特に汚すような原因も思い当たらないのに、「何か」でひどく、下から40cmほどの襖の半分が点々と汚れているのです。

 近眼の私は、眼鏡をかけ、「何の汚れだろう」と目を凝らしました。

 よく見ると、それらは赤茶色だったり、赤黒く変色していました。私は直感的に、「これは血だ」と分かりました。

 まるで、襖に向かって、鼻血でも吹き付けたように、無数の血痕がぶちまけられていたのです。どうも、1、2日前に襖に飛び散り、それで少し茶色に変色しているようでした。

 中には、血が飛び散った後、つーっと血液がしたたったような後まで残っているものもありました。私は慌てて、母に教えました。

 「まあ、本当に......これは血だね。まあ、何だって、血がここに飛び散るの?あの子が鼻血でも出たかしら?」

 「ううん、いくら鼻血でも、どうして襖に飛び散ったりする?これは、血が何かで飛び散ったように、襖につけられたのよ」

ユタカが、私たちの騒ぎで、寝室でDS をするのを止め、「どうしたの?」と様子を見に来ました。ユタカに、襖の血を見せ、「ねえ、変じゃない?どうして、ここに血がついているんだろ?」と私は言いました。

 すると、ユタカは驚くべき話をしたのです。

 「あっ思い出した。今朝の夢。人が人を、グシャッと刺し殺す夢だったー」

 「えっ?そんな怖い夢、見たの?」
 「うん。悪夢、だよね......」

 私は鳥肌が立ちました。なぜ、息子が見た夢が、現実となって、この襖に「血が飛び散る」ことが起きたのか―

訳は分からないながらも、この襖の禍々しい血痕は、ユタカの悪夢が現実化したものなのだーそう思わざるを得ませんでした。(To be continued......)

2010年8月18日水曜日

第6章―幽現の渦:1―闇夜の旅:part4―落ちてきた柿の種

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 全く、この4泊5日の旅は、ただ怖い目に遭うために出かけたようなものでした。夜中が眠れないことばかりであるため、昼間はみんなボーッとし、昼寝かトランプばかり、夜半は恐怖の直中で、父とビールを「やけ酒」とばかりに自動販売機で買い込み、飲み明かしたりもしました。

 6月17日の午後には、またJRに乗り、今度は別のホテルのあるF町へと向かいました。

 Y町の旅館をチェックアウトする際、父はフロントマネージャーの方に、この旅館に泊まってからの2日間の出来事を話していました。

 多分、夜中2時半の行動を警備員の方に見られていたことから、その「不思議な行動と告白」の理由を説明しておきたかったのでしょう。

 父は、ソファーに座って待っていた私たちの所に満足した表情で戻ってきました。

 「やっぱりね、あの人は長年の知り合いだからなあ。『こんな不思議なことに2日間苦しんだ』というこちら側の事実を、熱心に聞いてくれたよ。『現実に、奇々怪々なことというのは起きるものだ、ということが分かりました。今後の参考にさせていただきます』と言ってくれた。あの人みたいに、話が分かる人は有り難いね」

 私は、あんな怪奇談をじっくり聞いてくれる人が、学校のカウンセラーの先生以外にいることに驚きましたが、やはり嬉しくもありました。妙な経験を誰も信じてくれないと、まるで無人島に取り残されたような孤独感がいや増すばかりだったからでした。 
 
F町のホテルには、午後2時半頃到着しました。

 そのホテルは、私が2001年、大阪からまだ6歳になったばかりの息子のアトピーを治すために兵庫県に転居した際、「家族でお出かけガイド」といった本にも紹介されていた、ハウステンボスのような、洋風のお城を模した洒落た建物で、いつか行きたいと思っていた場所でした。

 「ここに、こんな目的で宿泊するとは思わなかったな......」

 そう残念に思いましたが、仕方がありません。

 いや、仕方がない、という感情はとっくに通り越し、「なんの因果でこの世のものとも思えない状況に巻き込まれてしまったんだろう」との、何とも形容のし難い複雑な想念だけがありました。

 そうした私の恐れの入り交じった虚しさとは裏腹に、その夢見るようなヨーロッパのお城の如き庭園に囲まれたホテルのロビーは、豪華でリッチで、重厚感が漂っていました。

 父がフロントでチェックインし、17日午後から19日10時のチェックアウトまでの約2日間、和室の4人部屋のキーを受け取り、4階の部屋に入りました。

 その時、私は、いつも持っていた水色の手提げが無いことに気づきました。私は自分でも慎重で用心深いほうだと思っていましたが、あまりの疲れで、ロビーの椅子に置き忘れてしまったのでした。

 改めて部屋に入ると、外の洋風な建物の外観と、質素な和室とがマッチしない気がしました。最初に止まったY町の和室の方が清潔な印象があった、と感じました。

 それでも、部屋のドアはやはりカード式キーで、一歩廊下に出ると、シックな赤い絨毯が敷き詰められ、廊下やレストルームの装飾も美しい彫刻が施され、外国の一流ホテルに泊まっているようでした。

 父は、夕食前に、2回ほど入浴をし、疲れを癒していました。

 「浴場は、この廊下をずーっと左に歩いて、透明な自動ドアがあるから、その先の階段を3階に降りれば、すぐ分かる。浴場の前でスリッパ脱いでな、受付のおばさんにロッカーのキーを100円渡して受け取るんだ」

 私は、「広い立派なお風呂だし、ジャグジーもあるし、入らんと損するぞ」と言われ、怖かった気分がだいぶ和らぎ、夕食後はぜひ入ろう、と思いました。

 午後6時半まで、ゴロゴロと昼寝をしていましたが、家族揃ってダイニングフロアに行き、夕食となりました。

 その夕食時のことでした。

 昨夜、Y町の食堂内で経験したことと、同様のことが起きました。

 私が食事をしていると、急に「コトン!」と小さな音がしました。

 最初は、何の音なのか、分かりませんでした。しかし、私のテーブルの、お茶碗のすぐそばには、しゃぶり尽くした後のような、小さな柿の種が転がっていたのです。

 「これ、確か、目の前を、上から降ってきたような感じで落ちてきたみたいよ」

 「そうだよ、天井から降ってきたんだよ」

 父は妙な顔をし、「今日のおかずに柿はないのにな。なんでこんなものが天井から真っ直ぐ落ちるんだ?」と言いました。

 「昨日もさ、ご飯粒が僕の茶碗にさ...」

一同、不気味な印象に一瞬、おしゃべりを止めてしまいました。「小さな柿の種」という、こんな些細なことでも、家族と夕食の団欒を楽しんでいる時には、ぞっとするのです。

 私は、「これは明らかに姿が見えないモノの仕業だ」とピンときましたが、敢えてそんなことは言わないでおきました。自分が口にすると、余計に恐怖が倍増するからです。

 それでも、気にしないようにして、その日は夕食を皆、他愛のない「普通の会話」をぼちぼちしながら、済ませたように覚えています。

 夕食後は、思い切って大浴場へと入りました。

 「思い切って」というのは、やはり、身の回りの怪現象に神経質になっていたため、そのような気持ちになっていたのです。

 実際、ロッカーの鍵を受け取り、脱衣場で鍵についたゴムを手首に巻き付けている時でも、誰かが「カラリ」と入ってくると、いちいちギクッとするのです。

 浴場は天井が高く、広々とし、6種類ものお風呂がありました。時間が10時頃だったので、入浴している人は私以外、2人ほどしかいませんでした。しばらくすると、一人のお客が上がり、脱衣場へと戻りました。

 残っている人は、隅で打たせ湯に肩を当て、こちらに背を向けたまま、じっと動きませんでした。

 私は日頃の警戒心から、その女性があまりにじっとしているために、「あの人は、人間ではないのじゃないか」とさえ疑ったほどでした。

 しかし、それも懸念に過ぎませんでした。時間は、浴場内の時計では10時半になっていました。もう私だけが浴槽につかっているだけでした。

 その時、急にまた浴室の戸がカラリと開いて、誰かが入ってきました。

 よく見ると、その人はホテルの従業員でした。明日に備え、設備を点検に来ただけでした。それでも、私は浴槽の隅にじーっと体を強ばらせながら、「あの女性がもしスゥッと消えたらどうしよう」などと怯えていました。

 実にハラハラドキドキの大浴場体験でしたが、特にそこでは変わったこともなく、脱衣場で浴衣に着替え、キーを係の女性に返し、100円玉を受け取ると、フロアにはまだマッサージをする人、ドリンクを飲みつつテレビを眺める人々などがたむろしていました。

 要するに、「数多くの他人の中」では、怪現象は、私たち家族の錯覚だったのか、と思えるほどに、全く起きないのです。私たち家族4人が一つの部屋にいると、怪現象が起きるのです。

 と言うより、家族4人でなくても、私たちのうち、私と息子、私と父、または両親と息子といったバラバラの組み合わせでも、一つの部屋に家族のメンバーがいる場合、規模の大小に関わらず、不思議なことが起きてしまうようでした。

 これは何が原因となっているのか、その方面には全く無知且つ無関心だったために、訳が分かりませんでした。

 ただ一つだけ確かなことは、息子の不登校になってしまってから3ヶ月後に、超常現象が起きるようになった、ということだけでした。

 私たち家族が、佐藤愛子さんが書かれていたように、突如「霊体質」となってしまった、と解釈すれば良いだけのことかもしれません。しかし、「なぜ霊体質となったのか」に対する答えが、現実の理解の範疇内に見つからないのです。

 世の中には、会社員を辞めてまで、「霊媒師」となるべく修行を積み、見事そうした能力を備えた人もいる、と聞きます。

 しかし、私たちが仮にそんな能力を持ったとしても、そうした霊感めいたものは、ただただ恐ろしいだけで、全く、前世で悪業でもしでかしたのかと思えるほど、降って来たような災いに過ぎませんでした。

 その日の夕食後は、皆で相変わらずトランプなどをして過ごしましたが、私が浴場から帰ってくると、もうみんな寝ていました。

 私は、何時頃眠りについたか忘れてしまいました。ただ、当時のメモに、こう書かれています。

 ―部屋にお経を貼る。AM2:00~4:00 夜中に子がエアコンの埃と父の鼾で起きてしまい、「外のベランダに古井がいる、今、強い気配」と言う。

 ユタカのその言葉とほぼ同時に、Y町の旅館と同じように、ベランダ脇付近の壁を外から「ガンガン!ドンドンドーン!」と叩く激しい音が始まりました。

 「こいつはまたひどいなぁ......!」

 父はその怪音に目を覚まし、すぐさま、枕元のお経を手に取ると、一心に唱え始めました。

 その間、和室の低いテーブルの下に置いていたコーヒーのペットボトルが、生きているかのように、ズッズッズズズ......と息子の側に近寄っていきました。

 「わっ!ペットボトルが勝手にこっちに来るよっ!」

 ユタカは上半身を起こし、鬼に迫られたように壁際に後ずさりしていましたが、そのペットボトルを思い切って掴むと、バリッと潰してしまいました。 

 私は横になって、テーブルの下からその向こうにいるユタカの様子を見ていましたが、いきなり額に激痛が走りました。

 何が起きたのか、一瞬分かりませんでしたが、ユタカ側のテーブルの脚に4本ほどまとめて置いていた、別のジュースなどのペットボトルの一本が、私の額に激しい勢いで投げつけられ、見事命中したのです。

 今まで物が飛ぶのは随分見たけれども、それが顔面などに当たるのは初めてでした。それも、命中したペットボトルは、私の布団から4m は離れていたのです。

 物が勝手に「誰か」の手で投げられ、それが自分の体に当たる、ということで、夜半の恐怖は「得体の知れない気味悪さ」から、「いつ攻撃されるか」との畏怖感に変わってしまいました。

 「また、飛んで当たると痛いから」と思い、私は起きてユタカの側に行き、テーブル周辺の畳に置いてあったペットボトルは押し入れに仕舞い込みました。

 次に、アレルギー性鼻炎でユタカが使うテイッシュ箱は、彼の枕元から、わざとペシャンコにし、テーブル傍の座布団の下に押し込みました。

 そのわずか数分後、また眠ろうと横になっていたユタカが、「あれっ?」と起き上がり、私を呼びました。

 「どうしたの?」

 「さっき、お母さんが僕のそばのティッシュ箱をそこの座布団の下に押し込んだでしょう。それなのに、ほら見て」

 彼は、枕の感じがいつもと違う、と思ったら、そのペシャンコになった箱が、自分の枕の下にいつの間にかあった、と驚いて、私にそれを引っ張り出して見せました。

 「それじゃ、お母さんもユタカも誰も見ていない時でも、そういう物が勝手に移動しちゃうんだね」

 「ああー、もう寝れない......あっ!アイツの気配が、今度はトイレに移った......古井が今、トイレにいるんだ」

 「えっ......トイレ?やだ、トイレに行けないじゃない!」

 私とユタカがヒソヒソ話していると、ずっと夜中にお経を唱え続けていた父は、苛立って声を荒げました。

 「さっきから何だ、ペットボトルが飛んだの痛いのって、うるさいぞ!痛いのが嫌なら毛布でも頭から被ってろ!トイレが怖いだろうが、その怖いのをやっつけるために、俺がこうして寝ないでお経を読んでるんだ!ちょっとは我慢しろ!」

 父は必死になっているため、私たちが異変に驚いたりすることに、「お経を唱えれば鎮まるのに、それを遮られると集中できない」と焦りと共に苛立ちが募ったのでしょう。

 私はユタカの傍に寝転び、「おじいちゃんが怒るから、静かにしよう」とヒソヒソ声で囁きました。

 「それでも、何か起こると、びっくりして、キャーッて言っちゃうもんねえ」

 ユタカは、私に困ったように言いました。

 「でも、もうお経唱えなくていいのに......古井の気配、消えたから―それも、言っちゃだめかなぁ」

 私は、それならおじいちゃんに教えなきゃ、と答えました。ユタカは、「おじいちゃん、もうお経、いいんだよ。気配なくなったから」と声をかけました。

すると、父は何か勘違いしたらしく、ユタカを叱りつけました。

 「何だってこう、子供ってのは大人の言うことを聞かないんだ!お経の最中は静かにしなさいと言うのが分からんのか!」

 ユタカは、「疲れているおじいちゃんに、もう寝てもらいたかったのに」とがっかりし、叱責されたショックで吐き気がする、と言い出しました。

 私は息子に安定剤を頓服で飲ませました。しばらくすると、ユタカは落ち着いたらしく眠ってしまいました。父も、もう何も起きないことに気がつき、お経を止めて床に就きました。

 私は、父とユタカの間に諍いが起きると悲しくなり、なかなか眠れませんでした。仕方なく、梅酒を自動販売機に買いに行きました。もう午前4時になっていました。

 部屋に戻ると、自分の布団に座り込んで梅酒を少しずつ飲んでいました。家族は全員寝ていました。

 さっきの騒動の後、ペットボトルやティッシュ箱、また父の枕元の薬類や、テーブルの上の灰皿などは、「飛んだら怖いから」と、すべて、廊下側のクローゼットに仕舞い込んでいたので、部屋はきれいに片づいていました。

 「今はこんなに何も起きてないのに、なぜあんな怖いことばかり......いつもこういう風に平和ならいいのに」

 そう思った矢先でした。

 私がふと、目の前のテーブルに目をやると、どうしたことか、丸めたティッシュが幾つも幾つも、テーブルの上や、母や私の布団の上に散乱していたのです。

ついほんの数秒前まできれいに片づいていた部屋に、まるで「誰か」が20個以上もティッシュを丸めて投げ散らかしたかのように......(To be continued......)

 

2010年8月7日土曜日

第6章「幽現の渦」―1―闇夜の旅:part3―外壁を揺さぶる轟音

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 2008年6月16日の朝、私は父からのルームフォンで目が覚めました。8時から朝食だから、服を着替えて用意をして、皆で行こう、と言うのです。

昨夜は4時まで眠れなかったために、完全な睡眠不足ですが、気がついたら自分のベッドに、縮こまるようにして眠り込んでいたようです。母も、すぐ隣に背を合わせて眠っていました。

 不安はいつも燻っていましたが、朝が来た、母がそばにいる、それだけのことで、私の心には何とはなしに安堵感が広がりました。

 ユタカは「気分が悪い」と言うので、またもや一緒に食堂に行けません。9時前に食前の薬を飲ませ、10時には、私は食堂から持ってきたパンやジュース、チーズやサラダを「食べられそう?」と彼の目の前に広げました。彼は、とりあえずパンとジュースだけで朝食を済ませました。

 その後、10時半から11時頃まで、私は、父とユタカと3人で、旅館の前の湖畔を散歩しました。

 昨夜の洋室はチェックアウトし、荷物はフロントに置き、今日から明日17日の午前まで、別館の和室4人部屋に移る予定だったのです。母は、疲れたと言って、フロントに腰掛けて待っていました。

 散歩の時、ユタカは機嫌が良く、湖水に小石をシュッと投げては、その小石が水面を3、4回弾みながら遠くで沈むのを何回も試していました。

 父は、「こうすると、もっとうまくバウンドしていくぞ」とユタカに教えていました。それから、父は私の所に来ると、「ほら、『あのこと』訊いてみたら」とささやきました。

 私は、手にしていた携帯のアドレス帳から、ユタカの在籍している中学へと電話しました。すると、顔なじみの山口先生という女性の学年主任の方が出られました。

 「大澤ですが……いつもお世話になります。あの、今、息子の気分転換でY町に泊まりに来ているんですが」
 「ああ、旅行なさっているんですか。いいことですね。ユタカ君はお元気でしょうか?」

 「ええ。でも、ちょっと気になることがありまして……実は、昨日こちらに泊まりに来てから、息子が、古井君のことをよく口にするんです。夜中も、古井が、古井が、って言うものですから……だから、何か、古井君の身辺で変わったことがあったのか、ご存じかどうか、それでお電話してみたんです」

 すると、山口先生は、意外なことを口にしたのです。

 「ああ、古井君でしたら、転校しましたよ。神戸の方だった、と思いますけれど」
 「えっ?転校したんですか?」

 「ええ、何ですか、お家の都合ということで」
 「あの、いつ転校したんですか?」

 「え~と、多分、5月末……いえ、半ばだったかしら。ちょっとお待ち下さいね」

 先生は、他の先生に尋ねたり、転校した際の記録などを調べていたようでしたが、30秒ほどしてまた電話に出られました。

 「ごめんなさい、お待たせしまして。ええと、5月15日頃です。下旬ではなくて、やっぱり中旬でした」

 山口先生は、担任の先生やカウンセラーの先生から事情を少し聞いていたらしく、私の話に不審がる様子はありませんでした。

 「5月のちょうど中旬……というと、我が家で不思議な異変が起き始めた直前なんです。それで、旅行に出たら、息子が 『古井君の気配がする』としきりに言うものですから……」

 「古井君の気配が?そうですか。なんででしょうね」

「あの、私、こんなこと考えるのはおかしいかも知れませんけれど、何か……古井君に起きたんでしょうか。病気とか、事故とかで……万が一のことになっている、とか……」

 さすがに、先生も、そんなことはないだろう、という口調で、明るく笑いました。

 「まさか、そんなこと、ねえ……!勝手に殺さないで下さいよ」

 「でも、その古井君の転校先とかは、分からないんでしょうか」
 「それはやっぱりねえ、個人情報のこともありますし……お教えできません。申し訳ありませんね」

  今の電話の内容を父に話すと、父はいささか興奮気味でその話に食い付きました。

 「その古井って子が転校したのが、5月の15日?お前の家で現象が起き出したのは、5月16日からだろっ?変じゃないか?偶然にしても、当てはまり過ぎるなあ。今までの現象は、そうなってくると、古井がやっていた、としか、もう思えないじゃないか?でも、その子が今、どうなっているか、現住所さえも、個人情報の関係だから、分からんしなあ」

 私は、湖畔で石を投げたり、しゃがんで雀を眺めているユタカからは離れた、木の幹を切りだしただけのような腰掛けに、父と並んで、この話をしていました。

父が言う「古井が『やっていた』」というのは、要するに、現状は分からないながら、古井という少年が、「肉体を持たぬ霊魂だけの存在になって悪戯をしていた」、ということなのです。

 「とにかく、妙な話だ。でも、ひとつ手がかりみたいなものはできたじゃないか」

 父は、そう感想を述べましたが、もし古井が霊魂となって、私達にまとわりついていたとしても、それを、どう手がかりとするのか、どう解決へと結びつければ良いのか、取るべき手段は見えてこないのです。

 ただ、唯一分かったことは、「奇怪な現象が起き始めた日付とほぼ同時に、ユタカを苦しめていた少年が別の中学へと転校した」といった事実でした。

 午後12時過ぎに、私達家族は、荷物を持って、3分ほど歩き、別館の和室へと入りました。

 上り口から左手に清潔な洗面所とトイレ、シャワー室があり、10畳ほどの部屋に入ると、右手に木製のクローゼットと押し入れがありました。

 私は、皆睡眠不足で疲れているため、すぐ横になれるよう、押し入れから布団を出し、茶卓を部屋の窓際近くに寄せると、4人分のマットと布団、枕を用意し、敷き詰めました。

 普通の和風旅館と同様、窓際にはラタンの涼しげな椅子と低いテーブルがあり、窓から、さっきまで散歩していた湖畔が見えました。部屋は5階でした。

 私は、旅館の和室の、この窓際の空間が好きでした。ここだけが板張りで、障子で10畳の部屋と仕切られているのも、何かほっとする気持ちが醸し出されるのです。

 湖畔が見渡せるガラス窓の手前にも、障子がはめこまれ、その左手の壁にも、1m四方ほどのガラス窓と障子、といった、純和風な造りがなかなかいいと思いました。

 それらの障子は、昼間は全て左右に開け放たれ、明るい日差しが部屋を光で満たしていました。

 午後6時になるまで、昼寝をしたり、テレビをつけて、4~5回トランプをしたりしながら、皆、漫然と過ごしていました。これだけを見たら、誰でも「ごく普通の家族旅行」と思ったことでしょう。

 しかし、私は、旅行前から、『般若心経』のコピーを15枚ほどと、セロテープ、ガムテープをセットで用意し、旅館では、警戒しつつ、この和室に移っても、部屋のドア、ふすまの外側と内側、窓の内側などに、必ず8枚ほどは貼っていたのです。

 ユタカは、「もう吐き気はないから、食前の薬はもういい。飲むとかえって吐き気がする」と言うので、この日から、食後だけの胃薬を1日3回、また寝る前の胃薬と安定剤を1錠ずつにしました。

 やはり朝の散歩で気分転換になったのか、また、家族4人で人部屋というのがホッとするのか、ユタカはこの日、午後の6時半、初めて皆で食堂の夕食をとることができました。

 父は、食事を運んで来た賄いさんに、ガイドブックやパンフレットを見せながら、「この辺は、なかなか有名なお寺や参道がありますね」と話しかけ、私達に「明日でも、ちょっとお寺や記念堂なんか行ってみたいな」と嬉しそうでした。

 ユタカが、おいしそうに食事をしていることが、父も母も、私も嬉しかったのです。

 しかし、その食事の最中、突然異様なことが起きました。

 ユタカが、「このおかずがさ、おいしくてお代わりしたいな」と言っていた時です。

 急にご飯粒が一粒、天井から降って来たように、「ピタッ!」とユタカの持っていたお椀にくっついたのです。

 「今の、何?」 私は、ギョッとして、ユタカに聞きました。

 「え……僕も分かんない。でも、急にご飯粒が……落ちて来たんだよね、天井から」
 
 「そうね、ふっと落下してきて、くっついたね」

 両親も、気色悪そうな表情になりました。

 「確かに、天井から真っ直ぐ落ちてきたみたいだったな」

 それまでの、皆の浮き浮きした雰囲気は、打って変って沈鬱なものとなってしまいました。

 「ご飯粒なんかが……まるで狙いを定めたみたいに、上から落ちて、お椀につかないよ、普通」

 母もこう言いました。それでも、父は、皆を鼓舞するように、「まあ、そんなことは気にしない、気にしない。それより、こんなにごちそうなんだ。食べなかったら、損するぞ」と元気を無理にでもふり絞って声をかけました。

 本当に、おいしいお料理だったのですが、ご飯粒がくっついた当のユタカは、気分が悪そうに、「僕、もう、こんなに食べれない……」とゲンナリしてしまいました。

 「じゃ、お前、ユタカの分、食べろ、な、いいだろ」
 「そうねえ。もったいないしねえ」

 私は、奇妙なことがあったのに、普段は食べれない食事だからと、「もったいない」との気持ちも手伝って、随分とお腹一杯に食べてしまったように覚えています。

 その日の夕食は、7時半頃に終わり、部屋に戻ると、私は少し布団に横になり、それから室内シャワーを使いました。夕食の時のことが気になり、旅館に温泉がせっかくあったのに、変なことがあると、気持ちが萎縮してしまい、部屋にじっとしていたくなったのです。

 ユタカは、晩の10時に就寝前の薬を飲み、10時半から、もうすやすやと寝てしまいました。私は父の隣に休み、母はユタカの隣でした。

 父は、就寝前に、「何か起きた時のために」私の持ってきた『般若心経』 3枚セットを枕元に常に用意し、振り仮名を目で追いつつ、小声で読む練習をしていました。

 「どうも、お経を読むなんてのは初めてだから、どう読んでいいのか見当がつかん」

 私も、お経とは無縁の生活だったので、自分に読めるはずがない、意味もさっぱり分からない、と思い込んでいました。

 その私が、8月には、母と毎晩、現代語訳付きの『般若心経』を、テープの読経を参考に、そのリズムまで覚えて、読みながら唱えるようになったのですが、6月の旅行の時点では、お経は全く、父任せでした。

 父は枕元のスタンドをつけて、お経を一通り読んだ後、「疲れたなあ」と、ふーっとため息を漏らし、横になりましたが、すぐにその後、高いいびきをかき始めました。

 私は、父の背中を見ながら、自動販売機で買った梅酒を、ワイン代わりに少しずつ飲んでいました。家族の寝息以外、もう何も聞こえません。何も起きません。

 もう午前1時を少し回った頃、私も布団に休みました。ただ、いつもの癖として、飲み終えた梅酒の空き缶を枕元に置きましたが、それも以前は平気だったものの、様々な現象が起きるようになってからは、そうした小物をそばに置くことさえためらわれました。

 「きっと、また投げ飛ばされるんじゃないか」

 ―そういう不安がいつもありました。

 しかし、空き缶を部屋のゴミ箱に捨てると、せっかく寝静まった家族を起こしてしまうと思い、仕方なく寝床の上の荷物などを置いた板間にそっと置きました。

 変な出来事が起きる以前から、多分ユタカが学校に行けなくなってから、私はすんなりと寝入ることができなくなっていました。それでもやっと、30分ほどすると眠気が来ました。

 しかし、AM2:00 頃、よく眠っていたユタカが、急に「エアコン消して。寒い」と起きました。そして、私に夢の話をしました。

 「今ね、夢を見てたんだ。古井が宙を、ゴーッと猛スピードで(飛んで)、部屋に近づいてくる。その夢で、目が覚めたんだ。今も、なんか、アイツの気配がするんだけど」

 私は、息子が何かしら不思議な夢を見た後、現実に奇妙なことが以前も起きたことを思い出しました。

 5月末、洋服箪笥が独りでに開閉した映像を携帯で撮影したものの、ユタカが「中性的な人物が夢に現れて、<残してはいけないものがある>と言って、その場を去った」と昼寝の後、私に話したまさにその直後、携帯を調べると、その動画のデータは消去されていた、あの出来事でした。

 だから、息子が「古井が宙をゴーッと飛んできた夢を見た」と言った時、また何か起きるのでは、と、一瞬胸騒ぎがしたのです。

 ユタカは、竜巻でも襲って来るかのように、息を殺しながら早口で私に告げました。

 「あっ...! 今、古井が部屋の外、窓の辺りに浮いて、こっちを見ている......」

 彼がそう言った直後でした。

 私達家族4人が寝ている5階の和室の外壁が、凄まじい轟音を立て始めました。

 まるで、巨人が旅館の5階の外壁のコンクリートを揺さぶるように、ちょうど障子の下の壁を外から激しく、素早く叩いているかのようでした。

 「ドンドンドン!ドーン!ドーン!ゴンゴンゴン!」

 「怖い......! 怖い......どうしよう!ねえ、見て、壁があんなにグラグラ揺れて.......穴が空きそう......!」 

 私は母にしがみつきました。

 ユタカは、あまりの激しさに何も言えずにいましたが、壁の揺れ方が余りに酷いので、思わず「すごい......ここ5階なのに、外から壁をぶち壊そうとしているみたい......!」と叫ぶように声を上げました。

 彼が声を張り上げずにいられないほど、怪音の威力は絶大なものだったのです。

 父は、必死で「般若心経」を、コピーを凝視しつつ、唱え続けました。すると、異様な轟音は徐々に鎮まっていきました。

 「やっぱり、<般若心経>を持ってきた甲斐があったなぁ......おい、お前も読めるようになれよ」

 父は私に頼みましたが、その時は「お経なんて難しくって」と、私は父に甘える気持ちがあったのです。 

 「お経のおかげで、ひとまず助かった」と息をつく間もなく、それからほんの数分後、ユタカは再び「古井の気配」を感じる、と慌てて告げました。

 その言葉を「待っていた」かのように、今度は突然、障子を外から無理矢理こじあけようとする、「ギシギシッ……!」 という音が深夜の和室に響き始めました。

 「ああ、あれ見て……! ほら、障子が外から開けられようとしている……どうしたらいいの?」

 障子の木製の枠は、ぐらぐらと揺れ、今にもバキッと壊れ、誰かが入って来そうに思えました。
それと同時に、周囲の壁もガタガタっと小刻みに震えていました。

 「なんで……? ここ、5階なのに?外から誰がこんなこと、できるっていうんだろう?」

 この現象の最中、障子窓の板の間に置いてある、正方形のテーブルが、室内の布団の方へと、少しずつ、ミシミシと移動し始めました。

 「今、古井が障子のそばにうっすらと白っぽい姿で浮かんだけれど……」

 ユタカがそう言うと、父は、正体不明の「『古井』と呼ばれる誰か」を脅すように、テーブルの上へどっかと座り込みました。

 「よし!誰だか知らんが、夜中に人を驚かすような真似はさせんぞ!動くな!こうして座ったからには動けないだろう?ざまあみろ!」 

 そして、そのテーブルに腰を掛けたまま、般若心経を再び唱え始めました。しばらくお経を唱える父のくぐもった唸り声が部屋に流れていました。

 そのうち、ユタカは、ハッとしたようでした。

 「あっ……もう、気配、消えたよ」

 息子のその言葉とほぼ同時に、障子の騒がしさも、テーブルの奇妙な抵抗もピタリと止んでいました。こうして、私達家族は、午前3時半頃、やっと眠りにつくことができたのです。

 それでも、この旅は、ただ家での恐怖を再確認し、どうしても怪現象を食い止めることが出来ないという絶望感を深めるだけでした。 (To be continued……)