2010年5月5日水曜日

第5章:異界の門―2―思春期の少年少女:part2―謎の迷路

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 「サイコキネシス、PK」(psychokinesis) という語は、聞いたことがあるな、と思いました。つまり「念力」のことだったわけですが、「超常現象=思春期=念力」と説明がなされても、あまりの非現実さに、信じることができません。

 「ポルターガイスト」が、既に私の日常の一部を成す「現実」であり、怪異な現象を目撃すると、それを「信じるな」という方が無理になっていたにも関わらず、今度は「念力」との言葉が、こんな非現実的な状況下においても、「非現実的だよ、あり得ないよ」と感じてしまうのです。

 もともと、私には「20代未満の人々」、いわゆる「成人に達していない子供」は、大人とは異なる存在だ、という認識はありました。

 特に、成長期の子供の1年間は、大人の10年間に相当する、と言われるほど、小学生から中学生にかけての子供たちの心と体、感受性や能力の発達には、大人では到底太刀打ちできない素晴らしさがある、と考えていました。

 しかし、そうした場合の「感受性や能力」というのも、現実世界の範疇で受け入れられるケースでした。

 例えば、幼少時や少年期に感動した映画、音楽、物語、または経験が、やがては成長するにあたり、その人の人格を形成し、信念や就く職業の原点となったりするものです。

 また、10代前後にかけて獲得した語学や音楽、絵画の実力は、大人になってからも心の財産となったり、ひとつの才能として花開くこともあるでしょう。

 人は誰しも思春期を経て、成長し、人生の路を辿っていくのです。

 家庭内に、思春期の少年少女がいる、ということは、だから、特に珍らしいことでは決してありません。そして、そうした時期の子供たちが不安定な心理状態なのは、どの家でも同様なのです。

 特に中学生の時期は、まだ幼い小学生の頃とは異なり、大人へと大きく飛躍する前段階であるため、成長ホルモンが分泌され、「もう大人に近い考え方もできるのに、体も随分大きくなったのに、周囲から子供扱いされる」といった不満やストレスも感じる、俗に「難しい」と言われる年代でもあります。

 その「難しい」、言い換えれば非常に「感じやすい、ナイーブな時期」に、不登校という落とし穴に落ちる子供も最近では大変多くなっています。

 「不登校」というのは、よく誤解される言葉ですが、「学校をさぼりたくて、行きたがらない」状態といった「不良」のイメージは間違いであり、本来の意味は、「学校に行きたいのに、行こうとすると、吐き気や頭痛がする。だから行けなくなってしまう」という、一種の病的状態なのです。

 その背後には、いじめや、それにより起こる抑鬱状態なども隠れているため、家庭内療法や、カウンセリング、といった人的支援が必要となるのです。

 2008年の3月21日から5月15日までは、自分の子供に対しては、そうした「不登校」の問題が大きく、そのため、「家庭内療法」として、「学校・勉強、といった言葉をタブーにする、復学を焦らせない」などの心遣いで心身共にくたびれていました。

 そうした矢先に、いきなり「ポルターガイスト現象」が起こったのです。

 その現象が「思春期の少年少女の周辺で起きやすい」という説は、「感じやすい時期だから」と、何となく分かったような気になる一方で、「思春期で不登校の子供は、うちだけじゃないのに、どうしてこんなことが起きるのか」と、逆に不可解な疑問が次々と湧き起こるばかりでした。
 
 特に「その人物が無意識的に用いてしまう念力、サイコキネシスによるもの」との説が、全く訳が分かりません。

 理屈は分かっても、「自分の子供に念力などあるなんて、そんな馬鹿な。もし本当だとしても、なぜそんな能力を有しているのだろうか」と、首を捻るばかりです。

 現実には、「物が独りでに飛ぶ」という「超自然的現実」を経験していても、また別の「超自然的な原理」の説明を読むと、それがとても信じられないのでした。

 結局、謎解きをしようと試みても、あまりにも「非現実的」な話なので、「思春期の子供に念力を有する者がいると、ポルターガイスト現象が起きる」との説は、私の頭の中でうやむやになったまま、うまく消しゴムで消し切れない形で、漠然と取り残された形となりました。

 6月1日の午前中は何も起きませんでしたが、午後2時10分頃、私は、母と息子と3人で、昨夜起きたことや、「もうすぐおじいちゃんが来てくれるから」と話し合っていました。

 すると、リビングの床に、「カツン!」と何かまた落ちる音が響きました。それは、息子のDS 用の青いタッチペンでした。

 この現象も、これまでとは異なっていました。

 このタッチペンは、テレビボード左の、一番上の書棚に置いてあったものですが、その書棚のガラス扉は、閉まったままだったのです。

 つまり、このタッチペンは、閉まったガラスをすり抜けて、床に飛び、転がったわけです。

 この数分後、いきなり「ガン!」と固く、重たい音が背後で聞こえました。

 「わっ!何?」

 3人で振り向くと、今度は単2サイズの古い電池が床に落ちていました。

 これも、先ほどのペン同様、同じ書棚の閉まったガラス扉の中に、置き場所がないからと置いておいたものです。ガラス扉は、何事も無かったかのように固く閉ざされていました。

 「また書棚から飛ぶかも知れないけれど」と思いながら、片づける場所が思いつかないので、その場はとりあえず、電池は書棚の扉を開け、中に戻しておきました。そして、マグネット式のガラス扉をカチャリと閉めました。

 「書棚のケースを開けた形跡もないのに、あんな重い物がガラスをすり抜けるなんて―」

 それから約10分後、PM2:26、息子の背後で「ヒュッ!」と何か飛ぶ気配がし、また床に投げ落とされる音がしました。

 皆で振り向くと、今度は洗面所にあった、母の歯ブラシが、ピアノのそばに落ちていたのです。

 「洗面所から、こんなピアノの所まで飛んだのか―」

 昼間でもこうなると、いよいよ心細く、私達は父の到着を待つばかりでした。

 「ポルターガイスト」に関して、ネットでいろいろ情報を集めても、あまりにも「超現実的な」解説に余計に不安が増しますが、なぜか調べずにはいられない心境でした。

 結局は、「こういう不思議なことに解決はつかない」と感じながら、私は謎の迷路をただ「ああでもない、こうでもない」とさ迷うばかりでした。(To be continued……) 

第5章:異界の門―1―思春期の少年少女: part1―現象の震源地とは

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 目の前でパジャマが勝手に持ち上げられ、それが宙を舞うなどということが本当に起こるとは、全く予期していなかったことでした。

 従来の私は、マジックショーなどの番組が好きで、マジシャンの手からトランプが次々と現れたり、布をかぶせると手から炎が立ち昇り、またそれに帽子をかぶせると、鳩が無数にはためく―といった、派手なマジックが好きでした。

 姉は、トランプやコイン等を用いたマジックが好きで、そちらの方が、人の心理の隙に入りこんで「あっ」と言わせるマジックでも、ずっと高度なテクニックを要するから好きだ、と言ってました。私が好むタイプは、仕掛けが見え透いていて、面白くない、と言うのです。

 「よくそんな子供じみたものに夢中になれるよねぇ」

 私が学生の頃、姉は呆れたようにこう言ったものでした。

 しかし、私はマジックを鑑賞する際の精神年齢など気にも止めませんでした。

 「もう、黙ってて。仕掛けがチャチでもいいの!あっと驚く瞬間が楽しいんだから」

 「あたし、仕掛け分かるんだけどな」

 「いいってば!言わないで!せっかくのマジックがつまらなくなっちゃうよ」

 しかし、このパジャマの異変の仕掛けは一体何だったのか?

 いくら派手なマジックが好みと言っても、この「パジャマ現象」に関しては、トリックは絶対知りたくない。これが私の正直な感想でした。それに、この「現象」は、決してマジックではないことは明らかでした。

 この現象の「トリック」を知ることは、現象の背後に潜む不気味な謎を現実に目の前に突きつけられることになる、と分かっていたからです。そして、その謎を解く鍵は私達には決して与えられない、としか思えなかったからです。

 また、物が飛ぶ瞬間を目撃してしまった、ということは、もはや、この世にあり得ぬ「異界の門」の扉が、私達の心情や意向など無視しながら音も無く開き、わが家の中にひっそりと佇んでいるかのようでした。そして、その扉はとてつもなく大きく、頑丈でありながら掴みどころがなく、永遠の深い闇へと私達を吸い込んで行くかのように思われました。

 しかしその吸い込み口は、不規則に開閉し、その大きさも、徐々に口元をすぼめるように開きつつ、奇怪な空気を私達に吹きかけたり、異様な世界を垣間見せたりしているのです。

 そのようにして、「正体不明」の案内人は、我が家を少しずつ黒い影で覆い、現実世界から隔てようとしている―そんな印象が、この6月になって更に強まりました。

 日付が6月1日に変わった午前0:30、私と母と息子とは、寝室のふすま付近で、「どうしてこんなことが起こるんだろう」と話し合っていました。

 すると、何かが部屋の隅(テレビボードの左側)に置いてある電子ピアノの方から、「ビュッ!」と激しい勢いで私の目の前をかすめるように飛びました。

 「キャーッ!」

 私は思わず悲鳴を上げました。それは、テレビボードの右隅(リビングのドア近く)の亀の水槽の後ろに落ちました。落ちたのを見ると、母の便秘予防のスティック状の粉薬でした。このスティックは、テーブルの上に置いていたのです。

 「今の、凄かった......テーブルの上に置いていたのに、ピアノの隅からねぇ―飛び方が凄かったよね」私は、母と顔を見合わせました。

 その薬は、「飛ぶのが嫌だから」と、テーブルの上のタオルの下に押し込みました。ユタカが、髪が痒いと言うので、私は台所の流しで、彼の髪を洗ってやりました。

 息子は、パソコンデスクの前で、櫛で髪をときながら、私と話をしていましたが、また何かが、彼の背後をビュッと飛び、テレビの前に置いたラジカセのすぐそばに落ちました。

 それは、つい5分前に、タオルの下に押し込んだ、やはりスティックの薬だったのです。

 もう、「飛ぶのを阻止しても無駄なんだな」という感じになっていたにも関わらず、それでもやはり、何かが飛ぶと、それを「飛ばないように」と、どこかに押し込んだり、しまいこんだりしたくなるのでした。

 それからほんの8分後のAM 0:43、息子が「もう眠たい」と、髪は半乾燥のまま、食卓のテーブルの上に顔を突っ伏していました。

 すると、突然、「ガーン!」と凄まじい音がしました。テーブルのほぼ中央に置いていた、母や私が使うコールドクリームの瓶が、急に吹っ飛び、斜め左の電子ピアノの下にぶつかって落ちた音でした。

 「ああ、びっくりした…!僕、顔をうつ伏せにする前、あの瓶があるな、と漠然と思って、しんどいから突っ伏したんだよ。その途端、目の前からあのクリームの瓶が消えて、あんな向こうにすっ飛ぶんだもの」

 実際、飛んだ距離は、やはり5.5mほどでした。

 またそれから2分ほどして、洗面所は怖いので、台所に移していた歯磨きで、私が口を洗おうとした時です。歯磨きのキャップを外し、歯ブラシに歯磨き粉を練り出していたら、それまでじっと動かなかったキャップが、急に「コトン」と、台所の赤いタイルの上に落ちました。

 AM0:48 、私が母と話しながら、リビングで就寝前の薬を飲もうとしていたら、再び背後で何かが「コーン!」と落ちる音がしました。見ると、ユタカのアトピー用の使い古したチューブが落ちていたのです。

 これは、息子の枕元の、薬入れの小箱に入れていたというのに、何とリビングのドア近くまで飛んで来たのです。

 この「アトピーの古い薬」が、異変が起きるようになって、最も長距離を飛んだことになりました。さして広い家でもありませんが、それでも息子の枕元からリビングのドアの下までは、10mはあるのです。

 ここまで、6月1日の午前0時を過ぎてから物が飛んだのは、ほぼ2分から5分おきでした。

  AM0:58、私はいつもの習慣で、寝る前のワインを出そうと、流しの下の物入れに近寄りました。すると、また何かが「コトン!」と落ちる音がします。

 リビングを見回すと、さっき飛んで来た「長距離飛行」の古いアトピーチューブが、今度は亀の水槽近くに転がっていました。このチューブは、やはり「飛ぶのが嫌だから」と、息子の枕元の小箱に元通り、しまって蓋をしておいたのです。

 「なんでこればっかり、10mも飛ぶの?」

 私はこの古いチューブが気色悪くなり、「もう薬も残ってないから」と、台所隅のゴミ箱の下の方へと押しやりました。思いっ切り押しやったのは、「もう飛んできませんように」という願いをこめたからでした。

 AM1:04、ワインを出して、コップの用意をしていたら、また床に物が落ちる音がします。振り向くと、今度はユタカのアトピーの新しいチューブが、リビングの中央に落ちていました。

 まるで、「古いのをゴミ箱に押し込んだから、今度は新しいのをどうぞ」と言わんばかりでした。息子は、AM0:50 には安定剤で毛布にくるまって、いつもの癖で、壁際を向いて寝ていました。

 私は、2週間ほど前に、管理人さんから「こういう家の中のことは、案外子供さんの悪戯ってこともあるんと違いますかね」という言葉が引っかかっていましたが、何か異変が起こるたびに、物が飛んで来る状況において、息子は関係のない位置にいるか、眠っているかなのです。

 枕元の物がリビングへと飛ぶ、というのも、息子がまず疑われそうではあります。しかし、彼が本当に物を投げていたのなら、その気配や動作は、私や母の視界に必ず入るはずです。なぜなら、息子の枕元から物が飛ぶ場合は、私はすぐさま振り返っているからです。何かを投げたのなら、彼が腕をごそごそと引っ込める仕草が目に入ったことでしょう。

 しかし、どんな場合でも、空気さえ止まったかに思われる深夜に、ただただ、「物だけが飛ぶ」のです。張り詰めたガラスのような暗闇を突き破って、激しく動くのは、誰も手に触れていない「小物」だけでした。

 新しいチューブが飛んで6分後のAM1:10、私はトイレに行きました。 息子と母が寝ている寝室に戻ると、「コトッ」と音がしました。

 見ると、ユタカのアトピー用のプラスチック製の小瓶が、私の枕元に転がっていました。それは青い蓋で、中身はチューブ薬を伸ばすローションでした。これも、きちんと蓋をした、息子の薬箱に入れてありました。

 なぜ蓋がしまったままの箱から、色々と薬が飛びだすのでしょうか。

 その後、私は布団に就きました。が、なかなか眠れません。仕方ないので、いつものようにワインを飲んで、気持ちを落ち着けるために、イヤホンでMDのクラシックを聴いていました。時刻は午前2時でした。

 もう何も起きない様子だったので、「今夜はこれ以上何もないかも」と安心していた矢先でした。突然、寝室の閉め切ったふすまの外部に、何かが投げつけられたかのように「ゴン!」と凄い音がしました。私は「また何か飛んで来たのか」と、ふすまを開けました。

 よく見ると、私の足元には、子供のアトピーのチューブが落ちていました。

 しかし、そのチューブは、ほぼ1時間前に、6分ほどの間隔で2回も飛び、気色悪いからと台所隅のゴミ箱に深く押し込んだ、例の使い古されたチューブ薬だったのです。

 「なぜ、他のゴミよりもずっと下に押し込んだ、このくしゃくしゃに折れ曲がった薬がふすまに投げつけられたんだろう―?」

 チューブやスティック状の薬が、「捨てても飛んでくる。タオルの下に押し込んでも飛び出してくる」といった、これら一連の現象の執拗さに、私は闇からの深い怨念めいたものを感じ、ぞくりとしました。

 それから10分後 (AM2:10)、連続モードにしていた私の枕元の扇風機が、スイッチが勝手に「カチリ」と止まってしまいました。タイマーも何もしていなかったのに―

 そして、その直後、例のパジャマの件が起きた、というわけです。

 私は、なぜこうした不思議な事柄が起こるのか、慄いていても仕方がないと思いました。しかし、いきなり「お祓い」や霊能者関係に片端から当たる、ということは、その効果のほども分からないため、とりあえず避けていました。そこで、ネットの百科事典として日頃から愛用している Wikipedia で調べてみました。

 「ポルターガイスト」と入力すると、「ポルターガイスト現象」という語が表示されました。

 そこには、こうした現象が欧米だけではなく、日本の江戸時代、そして20世紀末、岐阜県の富加町でも起きたことが記されていました。私は、この事典の記述により、富加町の事件や、30年間ポルターガイスト現象に苦しんだという作家、佐藤愛子さんのことを知りました。

 しかし、私が最も驚いたのは、この現象が、「思春期の少年少女が家庭にいる場合起こりやすい」と説明されてあったことでした。Wikipedia では、次のように記載されていました。

―超心理学的解釈

 ポルターガイスト現象は「通常では説明のつかない現象」ともされる。

 超心理学では超常現象として扱っている。 ポルターガイスト現象は、思春期の少年少女といった心理的に不安定な人物の周辺で起きるケースが多いとされており、その人物が無意識的に用いてしまう念力(反復性偶発性念力 recurrent spontaneous psychokinesis RSPK)によるものとする説もある。

 つまり、そういった能力を有する者が無意識的に物を動かし「ポルターガイスト現象」を発生させてしまう、とする考え方である。

 例えば富加町のポルターガイストでは、超心理学研究者の小久保秀之は「(地磁気の異常が脳に作用して)無意識的な念力現象が起こっているのではないか」との仮説をあらかじめ抱き調査用の測定器を準備した(但しその仮説は調査後に見直すことになった)―

 こうした説明を読むと、にわかに信じがたいことではありますが、我が家の状況を思い起こすと、当てはまる部分がないわけではありませんでした。

 息子は、13歳半年にも満たず、ちょうど思春期の前半であり、「ただでさえ不安定な思春期」の最中に、いじめにより「不登校」という、本人の意思では解決できない苦しいジレンマに日夜苦しんでいたからです。

 しかし、なぜそうした年頃の子の周辺で、奇怪な現象が起きるというのでしょうか。人間は皆、生きている以上は、何らかの不安はつきものです。なぜ「思春期の子供」が取り沙汰されるのでしょうか。(To be continued…)

第4章―現象の乱舞―2―飛び交う小物:part3―持ち上げられるパジャマ

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 扇風機は、風を送る向きとは全く別方向の、整理タンスの方向を向いていました。

 物が飛ぶことには、その時は一瞬ギクッとしますが、数回そんな経験を重ねると、不思議と慣れてしまうのです。何も好んでこんな経験をしているわけではないのは当然であるものの、当時の私達家族にとって、「恐怖への耐性」ができたことは、「不幸中の幸い」としか言いようがありませんでした。

 それでもなお、この扇風機の一件は、私を救い難い恐怖の奈落の底へと付き落としました。

 小物が飛ぶことを、既に経験しているのなら、扇風機が独りでに角度を変えたことぐらい、もう慣れっこになってしまうんじゃないのか―

 論理的に考えると、この件も、一連の現象の一部に過ぎないように思われます。

 しかし、超常現象のさなかにおいては、まず物事を論理的に捉えることは不可能です。現実の理解の範疇を超えた奇怪な出来事を目前にして暮らすことが「日常」となった場合には―

 あることは、いつもの事として、何とかやり過ごせるが、また違ったことが起きると、足元がすくんでしまう。こうした激烈な感情の起伏が、目の前の現象に対して湧き起こるのは、もうどうしようもありません。

 扇風機が「カタカタカタッ」(ユタカには「ギギギギッ」と聞こえた)と音を立て、自ら方向転換をした。このことは、私にとって、「新たな怪奇現象」でした。

 まるで、会社などの新人研修のように、最初は何でも難しく、自分にはこなせないような仕事に思われていたのが、後になってみると「なぜあんな簡単なことを大変に感じていたんだろう」と笑う日も来るように、この超常現象の「日常」においては、「全く予想外の現象」を、とてつもなく「怪奇かつ異怖」であると捉えることが、日々積み重なります。

 しかし、それらは後になってみると、「あれはほんの序の口だった。まだまだ本番が待ち構えていたんだ」と思われることに過ぎない「怪奇現象の日常の一部」となってしまうことが、6月から8月にかけて、理解できました。なぜなら、想像もつかない異常な現象が2008年の夏真っ盛りに、私達家族を襲ったからでした。

 そして、この5月31日から激化した「物が飛ぶ」現象は、日が経つにつれて、「ある一定の時間だけ、数分置きに起こる」ということが分かって来ました。それでも、そんなことは、31日の昼間の時点では把握できなかったのです。

 扇風機が向きを変えたのはこの日の午後、PM12:40 でした。その後、PM12:57頃、急にペンのような物が食卓についていた私の背後で「カツーン!」と落ちる音がしました。

 振り向くと、母が愛用している花柄のペンが、リビングの中央に落ちていました。リビングの中央には、もう一台、寝室と同じような、白い、やや大きめの扇風機を置いていましたが、ペンの落ちた場所は、その扇風機のコードのそばでした。

 どこにそのペンを置いてあったのかは分かりません。しかし、人は、小物を、すぐに落ちたり、転がったりする場所には普通置きません。ペン立てがあるならそこに、テーブルならそこに置きます。

 よく考えてみると、この花柄のペンは、母が、使い勝手が良いように、食卓背後の電子レンジ左横の、整理ケースの真ん中の引き出しに入れていたものでした。

 その整理ケースは、10日ほど前、明け方、やはり真ん中の引き出しが、いつの間にか大きく前に引っ張り出されていた、例のケースでした。そのケースは、今回はきちんと閉まったままでした。そうなると、ケースが閉められた状態で、その中から花柄のペンが、4m は飛び、転がったことになります。

 それから3分後、PM1:00頃のことでした。その時には、息子は起きてきて、遅い朝食の食卓につこうとしていました。すると、また、すぐそばで、何かが落ちる音がしました。

 何が落ちたのか、テーブルの周囲を見回すと、以前も飛んだ口内炎の薬「デンタルピルクリーム」が、飼っている亀の水槽の横に落ちていたのです。

 この口内炎の薬は、いつもは、食卓の壁際、コンビニで買った折り畳み式ポータブルチェスの箱のそばに置いてありました。一方、亀の水槽は、食卓とは相対するテレビボードの右横にある、ピアノのキーボードの右端に置いてあります。

 チェスの箱から、亀の水槽までは、4.5m は離れています。その距離を、私達家族が気がつかないうちに、薬が宙を飛んだわけです。

 更に、その26分後、私は日頃から書き溜めた「怪奇現象」に関するメモをクリップで止めて、家族の寝室にしてある子供部屋のタンスの上に置きに行きました。

 すると、リビングで、再び、ペンのような固い物が、「カツーン!」と落ちて転がる音がしました。何が落ちたのかと、リビングに引き返し、探してみると、寝室のふすまの裏に置いてあるカシオの電子ピアノの椅子の下に、黒いボールペンが落ちていました。

 このペンも、落ちる前は、食卓か、パソコンデスクの上にあった、と覚えています。そこからピアノの椅子の下までは、約3m~4m 離れています。この時の、ペンが落ちる音は、激しく、腹を立てて床に叩きつけるような勢いがありました。

 私は今気がついたのですが、亀の水槽そばに薬が転がった時も、このボールペンが投げ飛ばされた時も、「飛び方」が今までのパターンと異なり、真っ直ぐではなく、斜めの方向に飛んでいた、ということです。

 つまり、徐々に「現象」の勢いも、飛ぶ角度も多様になってきたということであり、それはすなわち、「現象がエスカレートしてきた」証だったのではないでしょうか。

 またそれから約30分後の PM1:55 頃、ユタカは吐き気がする、と言って、また布団にもぐりこんでしまいました。

 この頃は、13歳と4カ月、身長は伸びていましたが、体重が激減し、ほんの34キロほどしかなく、痩せて痛々しいほどに手足が棒のように細くなっていました。食欲も湧かず、すぐに胸やけが起こるのです。

 以前、この痩せ方をスクールカウンセラーの先生に報告すると、とても驚かれました。

 「あまりにも痩せていると、内臓や脳に障害が起こる事があるんです。内科でせめて点滴でも駄目でしょうか」とおっしゃるのですが、私は「痩せ過ぎて、血管に点滴の針が入らないんです」と答えました。現在のところ、障害は起きてはいない様子でしたが、「このまま痩せて行ったらどうなるんだろう」と不安でたまりませんでした。

 外出もせず、息子がすることは、大半はDS のゲームでした。それでも、たまにパソコンで、私と『ハリー・ポッター』シリーズのDVD を見て笑うと、ほっとしたものです。カウンセラーの先生は、「不登校の子供さんには、『ハリー・ポッター』は人気が高いんですよ」と言われました。

 私は、あの映画は魔法使いの映画、魔法学校の作品だから、不本意にもいじめなどで登校できなくなった子供たちの、夢と理想をつかの間実現してくれる映画なのだろうと思い、それが却って辛くなったものでした。

 息子は布団に入ると、大抵、壁際を向いて寝転びますが、その時、何か重い物が「パサッ」と倒れる音がしました。変に思い、寝室に入ると、すぐさま、私の枕元に置いていた扇風機が、私の布団の方へと倒れているのが目に入りました。

 これも異様な出来事でした。

 息子が寝室に入る際、真っ直ぐに布団にもぐりこんだ様子は私が見ていました。もし息子が扇風機にぶつかって、それが倒れるとしても、そんな状況は有り得ません。

 私の枕元の扇風機は、息子の布団からは2mは離れた、整理タンスの前に置いてありました。こうなると、再び、扇風機が勝手に動いて、私の布団へ倒れたことになります。

 私は、扇風機がほとほと嫌になり、リビングの、背の高い方の扇風機のそばに並べておきました。

 この扇風機や、ペンが飛ぶ事件に対し、私は、以前、玄関の灯りが独りでについた時のように、「何者か」の存在を強く感じました。明らかに、訳は分からないが、「誰か」が故意に、物を動かしているのだ、それも悪戯心や、悪意、敵意を持って。

 この5月31日の午後は、それ以降、記録がありません。何か小さいことがあったのかも知れませんが、私のメモには一切記されていませんでした。しかし、メモにばかり書くのも大変なので、6月1日から、ノートに表を作り、書くようになりました。

 31日の午後、母は父に、「いきなり物が夜中も昼間も飛ぶようになった」と連絡しました。

 父は非常に心配して、「明日の1日にまた泊まりに来るから。それで、二人でマンションの管理人さんに相談しよう」と言いました。母は、「他人に言っても、信じてくれるかしら」と不安げでしたが、父は、「この際、誰かに相談しなけりゃ、何も進展しないじゃないか」と言い、断固として決意を曲げませんでした。

 そして、6月1日を迎えました。

 この日も、まだ夜中は私、息子、そして母の3人きりです。夜中じゅう、ほぼ1,2分から5分置きに物が飛びましたが、この晩、私が最も唖然となったのは、パジャマでした。

 パジャマがどうしたのかというと、息子と母の布団の間に置かれていた子供用のパジャマが、私の目の前で、まるでマジックのように、クイクイと「透明な指先」でつままれたように上下に動き、そして突然、ベランダの前を覆うカーテンの右隅へ「ビュッ」と飛んだのです。

 今までは、「物が飛ぶ」現象を目の当たりにしたことは一切ありませんでした。これが、私が「物が飛ぶ瞬間」を目撃した最初の経験となりました。(To be continued……) 

第4章―現象の乱舞―2―飛び交う小物:part2―動く扇風機

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 私は、「ポルターガイスト」という言葉を、いつ知ったのか覚えていません。そして、その言葉は長い間、忘れていたのです。ところが、自分自身の日常に、異様な事変が起こると、その言葉が突然脳裏に蘇ったのです。

 「ポルターガイスト」を手元の電子辞書で調べると、こう説明されています。

 ―「ポルターガイスト」【Poltergeist (ドイツ): (「騒がしい霊」の意)心霊現象の一。物理的な原因なしに家具が動いたり音を立てたりする現象。(『広辞苑 第五版:岩波書店』より)

 さらに、関連語句として「心霊現象」が挙げられています。

 ―【心霊現象】今日の科学では説明できないとされる超自然的な一種の精神現象。テレパシー、千里眼や未来の予言・予知などに関する現象、死者の霊魂と生者の精神との交霊、念写・念動などの現象の総称。超心理学で扱われる。

 2008年5月31日の昼間、こうした説明を読んだ時、「物理的な原因なしに家具が動いたり音を立てたりする」という部分は、今我が家で起きている現象と一致する、と感じました。

 しかし、こうした現象が「心霊現象」であるとか、「死者の霊魂と生者の精神との交霊」を含むものだといった概念は、私の印象に全くそぐわないものでした。

 「ポルターガイスト」が「騒がしい霊」というドイツ語である、と知っても、灯りが勝手についたり、物が飛んだりする現象の背後に「死者の霊魂」が関わっている、という実感が全く無かったのです。

 昔、何らかのきっかけで、「ポルターガイスト」という語を知った際も、「外国の幽霊って、騒がしいのが好きなんだ。お茶目でいいじゃない。日本の幽霊はジメジメしているから、それよりずっとマシ」という感想を抱いた覚えがありました。

 「ポルターガイスト」なんて、欧米でしか起きないんだから、日本には関係ない。陽気なユーレイか、意思をはっきりさせる欧米人の気質にピッタリだな―などと、まるでディズニー映画のような印象しかなかったのです。

 しかし、現在私達家族の目の前で起きている出来事は、「物理的に不可能な状況下で、超自然的な現象が起こる」といった点において、まさしく「ポルターガイスト」であり、私はこの言葉に初めて恐怖の念を強く抱きました。

 前回記したように、「5月31日から現象のパターンが一変した」というのは、「灯りが勝手につく・ブレーカーが独りでに落ちる・モデムのコードが引き抜かれる」といった事柄が影を潜め、「小物が激しい勢いであらぬ方向から飛んでくる」という現象が引っ切り無しに起こるようになった、ということなのです。

 31日の夜中、息子の鼻炎薬が飛び、私の足にぶつかった後、明け方までしばらく眠れませんでしたが、午前5時頃には、扇風機のタイマーを2時間ほどにセットして、やっと横になりました。

 目が覚めたのは、午前11時、息子が起きたのはそれから30分後でしたが、彼は「まだだるい...」と言って、壁側を向いて寝転んでいました。

 私の枕の右側の床に置いてある扇風機は、弱のスイッチのまま、もうタイマーも切れて、動いていませんでした。

 タイマーが切れたため、そのつまみは「切」の箇所で止まっていました。

 もう起きようと、布団から起き上がり、布団の左側のふすまを開けようとした時です。風が背に送られてくるのを私は感じました。

 振り返ると、たった今まで静止していた扇風機が、首振り回転をしながら、動いていたのです。

 「弱」のスイッチはそのままでしたが、独りでに動き出した扇風機をよく見ると、タイマーのつまみが、「切」から「連続」へとひねられていました。まるで、私が目を離した隙に、また「誰か」がタイマーのつまみを操作したように―

 「物が飛ぶ、の次は扇風機、か......」

 嫌な気持ちで、扇風機のスイッチをオフにし、動きを止めました。

 もう12時近くになっていました。私はリビングで遅い朝食を準備し始めました。食卓について、ふすまの左側を開けたまま、食事をしながら、まだ寝ている息子を眺めていました。そこからは、扇風機は見えませんでした。

 「学校も行けなくなっちゃったし、夜は変なことばかりだし、なかなか起きれないんだよね」

 私は母とこう語り合っていました。すると、また急に、寝室で、「カチッ」という音が響きました。食卓にいても、それが、扇風機の音だと分かりました。午後の12:35 でした。

 「まさか」と思いながら、寝室に入り、右側を見ると、案の定、さっきオフにしたはずの扇風機が、オンのスイッチが押されて、動いていたのです。

 変な現象に「半ば慣れた」ような意識を持っていても、やはりなぜこうなるのかが分からないため、平気ではいられません。蒸し暑い時期なのに、私はぞっと寒気がし、気色悪くなって、スイッチを再びオフにし、今度はコードまで抜いてしまいました。

 「これで、扇風機は、もう勝手に動かない」―

 そう思ったのです。もう扇風機が独りでに動いてほしくなかったのです。

 私は、今起きた状況を、食卓に戻り、母に話していました。ところが、その5分後、PM 12:40 のことでした。まだ息子が寝ている部屋で、いきなり「コトコトッ」と、何か固いものが動く音がし、同時に、ユタカが「あれっ?」と声を上げました。

 その「コトコトッ」という音は、食卓にいても、やはり扇風機のものだと判断できました。

 私は、寝室にいき、「どうしたの?」と息子に尋ねました。

 「今、僕、ぼんやり扇風機の方を見ていたら、扇風機が急にギギギギッと角度、45度変えたから、びっくりした」

 驚いて私が扇風機を振り返ると、確かに、それは完全に向きが45度ほど変わっていたのです。(To be Continued......)
 

第4章―現象の乱舞―2―飛び交う小物:part1―数分置きの狂気

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 カウンセラーの島田先生は、「不安と恐怖の連鎖というものは、どこかで区切りをつけないといけません。具体的には、お母さんが恐怖を感じても、それを必要以上に怖がらず、息子さんにもその不安を伝えないようにするということですよね」と言われました。

 そうは言われても、異様な現象に遭遇すると、「何が必要以上で、何が必要以下なのか」の基準が全くと言っていいほど把握できません。

 島田先生は、私の不安を、決して否定せず、怪奇な事態を「ありのままの現実」として受け入れる姿勢を終始、崩さずにいました。

 そのことは、とてもありがたいことでした。

 しかし、「息子さんに必要以上の不安を与えず、異常な状況においても、毅然としていなくてはいけないと思います、大変でしょうけれど」と言われても、私は戸惑うばかりでした。

 実際、5月末から6月2日頃にかけて、徐々に現象はエスカレートしていきました。その頃だったと思いますが、夜中の2時から3時にかけて、私と息子は、よくベランダから幼女の、母親を呼ぶ声を聞くようになりました。

 私達の住むマンションは、周囲を標高320mの山々に囲まれた場所だったので、昼間でも、公園での子供たちの歓声が、5階の我が家まで響き渡ります。

 そこで、夜半の幼女の「ママ...ママァ......」と言う、消え入るようにか細く、泣くような苦しそうな声も、最初は、公園か、その脇の山道へと続く駐車場付近から聞こえるのだろう、と話し合っていました。

 「でも、こんな夜中に...?今、夜中の3時なのに、小さい女の子がそこの公園にいるなんて―」

 私の疑問に、ユタカも変だと言いましたが、あっと気がついたように声を潜めました。

 「ねえ、ちょっと......よく聞いてよ。ほら、また聞こえる。あの声、うちのベランダから、ほらすぐ近くで聞こえるじゃない!ねっ!うわ~......何だよ、この声......?」

 そんなことから余計に睡眠不足となることや、私も息子も、背後に誰もいないのに、手で肩を叩かれることが起きたり、無人の部屋で、はっきりと人の気配を感じたりすることが顕著になっていったのです。

 島田先生は、こうした話に不思議そうでしたが、「やっぱり、変な現象に出くわした場合、不安と恐怖の連鎖がどうしてもご家族の間で出来上がってしまいますので、そういう時、どう対処したら良いのか、臨床医である心療内科の先生に、医学の立場からアドバイスを受けた方がいいですよ」と勧めました。

 しかし、相談の結果は、前回記した通り、失望に終わってしまいました。

 誰でも、「現実に有り得ないことを経験する=恐怖を味わう」という体験をしない限り、いくら口で説明しても、信じられないのは、百も承知である上で、私は、この奇妙な体験を、病院で打ち明けたのです。

 それでも、「そんな話はもう聞きたくありません。そんなことが現実に起こるわけがないでしょう」と言わんばかりに、殆ど無視に近い形で、話を遮られ、「私はそんなことは信じません」と言われてしまうと、頼みとしていた命綱を、突然ぶっつりと断ち切られたようなショックを受けたのでした。

 私の「こんな異様なことが我が家で起きている。だから、話をきちんと聞いて下さい。それが精神医学の見地から説明できるものなら、現象の原因はもちろん不明でいい、せめて、異常事態にうろたえないための心構えを教えてほしい」という願望は、人によっては「大体、異様なことなど起こらないのが現実なのに、何をあなたは言っているんですか」と受け取られるケースが多いことは、私は充分覚悟していたのです。

 そして、その医師が私の訴えを「病的心理に起因する何らかの妄想である」と医学上、診断を下したのなら話は別です。

 しかし、そうした診断をする様子もなく、こちらのすがるような心理を察することもなく、あっさりと「私は信じません」と断言されてしまうと、ただ虚しさと悔しさだけが残るのでした。

 せめて、「私は信じられませんが」と言ってくれたなら―そう思いながら、がっかりして、帰路についた時の気持ちが、今でも昨日のように蘇ってきます。

 しかし、事態は、こんな現実のつまらないやりとりなど嘲笑うかのように、刻々とその異様さと深刻さをエスカレートさせていました。

 心療内科に行ったのは、6月の2日頃だったと思いますが、5月31日の夜半から、突然、現象のパターンが一変してしまったのです。

 5月31日土曜日、夜中の2時過ぎ、息子が久しぶりに「胸やけがする」と言って、上半身を起こし、そのまま気晴らしにとDSでゲームを始めました。息子がゲームを寝室でする場合は、いつも自分の布団横の壁にもたれていました。

 そんな息子を右側に眺めつつ、私はやはり寝室のふすまに沿って敷いた布団に横になっていました。もう6月に入るという時だったので、蒸し暑く、私は枕元のふすまを15cm ほど開けていました。

 すると、急に、台所で何かが「コーン!」と落ちる音が響きました。枕元の携帯の時刻は、AM2:21 を示していました。

 何が落ちたのかと、私と息子は台所に行って見ると、食卓のほぼ中央にきちんと置いていた「デンタル・ピルクリーム」(口内炎の軟膏)が、息子のいつも座る隅の椅子の背を飛び越えて、そのすぐ後ろの、炊飯器近くの床に落ちていたのです。

 ぞっとしましたが、私は「現象が起きたら証拠写真を撮る」という習慣がもう日常になっていたので、デジカメで写真を撮り、その薬を元の位置に戻しました。

 もう寝ようと、私達は布団に戻りました。すると、今度は私が15cm ほど開け放していたふすまのすぐそば、つまりピアノのペダル近くの床に、何か固い物が「ゴン!」と落ちる音がしました。

 体を横にしていた私は、すぐ耳元でその音を聞いたので、驚いて飛び起きました。それほど大きな音だったのです。

 「ついさっきも薬が勝手に飛んで落ちたのに―今、何時だろう」

 そう思い、携帯を見ると、AM2:29 でした。ほんの8分後でした。

 ユタカも「何だろ」と、私と一緒に台所の灯りをつけて、何が落ちたのか、音がした辺りを見回しました。すると、落ちていたのは息子の鼻炎薬でした。

 赤いキャップで、「アルデシン」というアレルギー専用の薬です。幅は3cm で、縦5cmほどあるので、ピアノのペダルに投げられてぶつかると、静かなリビングに激しく響くのも無理もない大きさです。

 しかし、これは、他の薬と同様、いつも食卓の上にきちんと置いてあるのに、そこから6m も離れたピアノのペダルにまで吹っ飛び、ピアノの右隅にまで落ちていたことが、私には大きな恐怖でした。

 それでも、不思議なことに、こうして物が「まるで誰かが勝手に投げたように」ふすまにぶつかったりすることは、私の中で、少しずつ「仕方がない、止めようがない」といった、あきらめの境地として処理するものへと変化していったのです。

 別の表現で言えば、すなわち「恐怖に少し麻痺してしまった」といった感じだったのかもしれません。その証拠に、私は息子の前でも、笑って、その薬を拾い上げたからです。

 「ああびっくりした。なんで飛んでくるのかなあ」こう言って、本当に笑っていたのです。

 ユタカも、笑って、「お母さんが、ピアノのそばのふすまを開けているからじゃないの。そこ開けていると、余計に物がこっちに飛んでくるみたいじゃん」などと言いました。

 カウンセラーの先生が、「お母さんが毅然としていなければ」と言われた時は、「そんなこと、絶対に無理」と感じたというのに、現実に異常な現象が続けざまに起こると、「恐怖は一瞬であって、後は落ち着いていられる」ことが可能になるとは思いませんでした。

 その後、アルデシンをテーブルに元通り置いて、私は息子に「もう、寝なきゃね」と声をかけました。彼も「うん」と頷きましたが、すぐに「あっ、リビングのシャンデリア、お母さん、点けっ放し」と気がつきました。

 そこで、私は、寝室に戻りかけていたのを引き返し、シャンデリアのスイッチをオフにしようと、そちらに歩きかけましたが、その途端、まるで狙いを定めたように、私の右足の付け根の側面に、いきなり何かが飛んできて「バシッ」とぶつかりました。

 何かが体に激しい勢いでぶつかると、やはりギョッとします。思わず、「キャーッ」と叫び声を上げてしまいました。

 よく見ると、すぐ前の床には、ユタカの、ピンク色のキャップの小さな鼻炎薬が転がっていたのです。

 こちらの鼻炎薬は、キャップは幅、縦共に1cm ほど、薬本体のボトルは1.5cm ほどの小型で、先ほどピアノの右隅に吹っ飛んだ「アルデシン」と常にテーブルの上に並べて置いていたものでした。

 そんな小さな小物でも、驚くほどのスピードで、3m 離れた所から、私が目を離した隙に体にぶつけられると、痛いと感ずるのです。

 時刻は、AM2:32 でした。さっき「アルデシン」が投げられた時刻から3分ほどしか経っていません。

 私は、「物が投げられる」時間が数分刻みになっていることや、何より、誰もいないリビングで、まるで「誰かが悪戯でもするように、小物が投げられて、ふすまや家の者にぶつけられる」という、まさに現実に、物理的に不可能な状況を突き付けられていることに、内心「何か敵意を持つモノが我が家に巣食っているのだ」と怯えました。

 この日から、私はこうした現象は「ポルターガイスト」なのではないか、という明確な認識を得るようになったのです。(To be continued......)

2010年4月10日土曜日

第4章―現象の乱舞―1―最後の前兆:part3―カウンセラーへの相談

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 2008年5月29日の午前3:15~20 に起きた、無人の隣室の壁を叩く音で、私と母と息子は起きたのですが、その音は、その後30分続きました。しかし私達が眠れないから、と体を起こすと、ピタリと音は止みました。

 AM4:35 頃、皆が床に就いたら、また「トントントン......」が始まり、うるさいほどです。

 「うるさくって眠れない。なんで、こっちが寝たら音が始まるんだ」

 ユタカがそう言い、私もため息をついて3分後に身を起こすと、その動作を見極めているかのように、また音がストップするのです。

 泊まりにまた来ていた父が、「何の音だろう。全く分からん。悪戯にしても、こっちの動作と合わせて、音を立てたり、停止したりは不可能じゃないのか」と首を捻りました。

 結局、リビングのドアは閉めても、独りでに開いてしまうので、父は「もうドアは開けて、ストッパーで固定しておけよ」と言いました。

 AM4:03 には「台所の灯りは全灯に」と私はメモを書いていますが、これも、父が「音がうるさいし、煩わしいことばかりだから、灯りをつけておけばいい」と提案したように記憶しています。

 5月30日、AM2:20,息子が「眠い」とやっと、床に就きました。私はかなり前から、就寝前にワインをカップ2杯ほど飲むようになっていました。

 ワインを飲むと、ストレスによって顔の左半分が冷えるようになっていたのが、少しぼーっとして、緩和されるのです。もちろん、恐怖心を抑えるという効果も期してのことでした。

 それでも、ワインを喉に流し込もうとした途端、また隣室の壁を、やや控えめに「トントントン......」と叩く音が始まりました。

 30日の午前中、父は再び一旦大阪に帰りました。多くの人との交流やハイキングなどの計画・案内で日々多忙であり、パソコンを用いた案内書の作成やメールの送受信、FAX による資料のやりとりなどは、すべて大阪の実家でないと無理なのです。

 それでも、私の家に泊まりに来る時は、色々な人と連絡が取れるよう、携帯は必ず持参していました。

 この日の午後、3:05~07 の間のことでした。

 遅く起きてきた息子が、口を洗いに洗面所に向かいましたが、その際、「洗面所に誰かいる」と彼は感じたのです。

 「ばあちゃんがきっといるんだな」と思ったほど、はっきりと確かに感じた、と後になって言いました。

 しかし、実際は誰もいません。この時、私はリビングにいて、昼食をとっていたので、ユタカが洗面所のスイッチをつけて、洗顔している様子は聞いていました。

 すると、急に、「バチン!」と大きな音が響きました。同時に、ユタカが「あれ?電気が消えちゃった」と言う声を聞きました。

 私がすぐに洗面所に行くと、やはりブレーカーの一番左端が下に降りていました。こういうことは、以前にも起きたので、異様に思いましたが、私は、息子に念のため尋ねました。

 「変だね。ブレーカー触ってないでしょ?ちょっと左端に手を伸ばしてみて」

 「なんで僕がわざわざブレーカー下げるんだよ?ほら、この洗濯機が邪魔で、やっぱり届かないでしょ」

 私は、嫌な予感を抱きながらも、一応下がったブレーカーを元通り、上に戻しておきました。

 その後、一緒にリビングに戻ったのですが、今度は私が驚く番でした。つい1~2分前まで、私が食事をしていたリビング全体が薄暗くなっていたのです。

 ふと周囲を見渡すと、テーブルの上の照明と、流しの蛍光灯が消えていました。

 インターホン左横のスイッチは、リビングのシャンデリアとテーブルの上の照明がつく右側の方向のまま、特に変わりはありませんでした。

 すると、やはりブレーカーなのかと思い、再び洗面所に行くと、案の定でした。今度はリビングの灯りに関係する、左端から2番目のブレーカーが下がっていたのです。

 息子が洗面所で洗顔中、左端のブレーカーが落ち、次に誰もいないリビングに戻ると、2番目のブレーカーが落ちていた。

 この二つの事柄の間は、ほんの2分程度のことであったのです。このほんの数秒ともいえる短い間に、誰もいなくなった洗面所で、まるで誰かが2番目のブレーカーを下げたかのようで、気味が悪くてたまりませんでした。

 このことを、夕方6:45 に、母が父に電話しました。父は、こう言いました。

 「まあ、ブレーカーのことは気のせいかもしれん。人のいる所では、ミスは必ず起きるもんだからな。もしかしたら、ブレーカーの故障かもしれんから、電力会社に一度、点検してもらいなさい。一応、実際に起きたことを報告して。その前に、自分の家のことだから、どのブレーカーが、どの部屋と関係があるのか、実験してきちんと整理した書面を作ることだな」

 父の考えとしては、「家の中で奇妙なことが起きている、と言っても、一部は気のせい、ということもある。それに他人に『奇妙なことが起こる』と話しても、信じてはくれない。だから、現実的な面を重視して、ブレーカーなどの機械的な部分で通常とは異なることが起きたら、何か欠陥が起きているかどうか、それを調べてもらうのが先決だ」というものだったのでしょう。

 つまり、「非現実的なことが家の中で起きている」事実は認めるけれども、その中には「ごく現実的な部分、物理的に起こり得る部分」が必ずある。その部分を確定する方が、不安が早く取り除かれる、という、非常に実際的かつ効率的な対応の方法を教えてくれたのです。

 この方法は、ほんの2,3日間、ブレーカーの様子が変だ―そういう場合には、確かに効率的だったといえるでしょう。

 父の懸念は、手に取るように分かりましたが、「電力会社の技術者に点検してもらっても、何も異変はない、と言われるのではないか」というのが私の正直な感想でした。

 実際、私は早速、すべてのブレーカーについて、どの部屋と関連があるのか実験し、詳細に調べ、関西電力に連絡し、ワープロで整理した書面を確認してもらった上で、6月1日、父が立ち会いのもと、技術者の人に点検してもらいました。

 ところが、答えは「何も異常はありませんねえ」ということでした。

 これより以前の、5月26日に、私は母とこんな会話を交わしたことを記録していました。

 ―私が「これで10日も、夜、普通じゃあり得ないことが起こって、子供の前でうろたえたりしないけれど、いつも夜、場合によっては昼間も変なことが起こるでしょう。もう、心がいつも緊張していて、よく眠れないし、疲れるわ」と言った。

 母は「戦争中の時、空襲の時より、こっちが怖いよ。うちの中だけ、こんなこと起こるんだからね。もしこれで、外部からの侵入者の痕跡があったら、と不安だわ」と言った。―

 母が、「戦争中より怖い」と言ったことで、私の恐怖はより強まりました。

 戦争中は、空襲に曝されて、いつ死ぬか分からない、という恐怖がつきまとったことでしょう。しかし、「戦争体験」は、「他の人も同様に空襲による死の恐怖と向き合っている」という状況でもあるのです。

 要するに、恐怖の質は、「この恐怖を他人と共有できるか、できないか」で、決定的に異なってくる、ということになります。

 我が家のような、「物理的に不可能なことが起こる」といった経験は、病気や怪我のように、誰もが日常的に経験するわけではありません。

 むしろ、誰に話しても、「そんなことが現実に起こるわけがない」と相手にされない類の経験であるために、私達家族の抱える恐怖は、まったくの孤独なものとなっているのです。

 その孤独さ故に、恐怖感は計り知れないものがあるのです。

 しかし、この5月の末頃、私達の恐怖に対し、唯一、関心を抱いてくれる人がいました。それは、息子の不登校について週1回、相談を担当する中学の心理カウンセラーの島田先生でした。

 いつも、火曜日に私一人が、中学の教育相談室に予約の時間に訪問し、日頃の息子の様子を報告し、アドバイスを受けていたのです。

 懇切丁寧に話を聞いて下さるので、自然な流れから、私は「最近、家で奇妙な現象が起きて、夜、眠れなくて困っています」と打ち明けたのです。

 その先生は、まだ29歳の若い男性でしたから、私の話に、半信半疑ながらも、熱心に耳を傾け下さいました。

 「先生、不登校の子供さんといろいろお話された経験の中で、うちのようなケースをお聞きになったことはないですか」

 私がこう尋ねると、島田先生は、さあ、と首を傾げました。

 「全く無いです。でも、お話伺っていると、そんな怖いことがお家で起きて、家族の皆さんが、震えて夜も眠れない、そんな様子を思い浮かべるとねえ......本当に大変ですよね」

 島田先生は、自分でも大変な怖がりなのだ、と苦笑しつつ、私の話に心底ぞっとしたように、顔をしかめました。しかし、私の話を正しく理解したいと言う気持ちをはっきりと示してくれました。

 と言うのも、家の簡単な見取り図を、今度描いてきて欲しい、と依頼されたからです。

 「私は、急に灯りがついたり、ブレーカーが落ちたりすると、怖くってたまらないんです。ペンなどが勝手に転がったりすることも......こんな時、どう対処したらいいんでしょう?」

 私がこう質問すると、島田先生は、励ますようにいっしゃいました。

 「やはり、子供さんのことを考えれば、どんな異変が起ころうと、お母さんがうろたえず、毅然としていることが肝要ですよね。お母さんが叫び声を上げたり、震えていると、息子さんにも恐怖心が伝染しますから」

 私はそれはもっともだ、と感じましたが、現実問題として、異変が目の前で起きると、平静を装っていられないのだ、と訴えました。

 すると、先生は、心療内科の主治医に相談しては、と持ちかけてきました。

 「心療内科の先生なら、精神的な方面の専門家ですから。異変が起きた際の対処方法など、良いアドバイスが得られると思いますよ」

 私は、心療内科の先生の、自信の無さそうな小声や、物事を明確に説明しない様子を思い浮かべました。あの先生には、今回の話は通用しないんじゃないか、と思いました。

 それでも、何でも試してみないと始まりません。そこで、5月16日から30日までの2週間の出来事の概略をまとめて、ちょうど5月の終わりに相談に行った、と覚えています。

 しかし、薄々予想していた通りの返答しか得られませんでした。

 主治医は、どんなに私が書いたメモを元に、家での怪異現象を説明しても、首を振るだけでした。そして、小声で呟くようにこう言うのです。

 「私は、そんな出来事は信じません」

 もちろん、誰でも、いきなり「怪奇現象」の話を聞かされたら、「信じられない」と言うことしかできないでしょう。

 ただ、長年御世話になってきた主治医ですので、試しに更に尋ねてみました。

 「じゃ、目の前で不可思議なことが起きたら、どう対処したらいいんでしょう」

 すると、主治医は事も無げに、あっさりと答えました。

 「私だったら、何も起きなかったことにします」

 このやりとりで、私はこの先生に対する大きな失望と、信頼感が失墜するのを感じました。

 非現実な事実に対し、「信じられない」ではなく、「信じない」と言い放ったこと、真摯なこちらの質問を、無視するかのような返答に、心底落胆したのです。(To be continued......)

 

第4章―現象の乱舞―1―最後の前兆:part2―餅を貫通する黒髪

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 今現在は2010年となって1カ月が経ちました。そこで、私が「昨年」と書いていた2008年は、もう一昨年ということになります。

 もう2年も前のことになってしまったのですが、今年になってもなお、毎日のように不可思議な現象が起こります。そして、それらを私は、やはり「今日は、こんなことが起きた」と日記帳に書き留めています。

 そんなことをしても何にもならない、と知りつつも書くのは、2年前の体験がそうさせるのか、私の中では一つの習性のようになってしまいました。

 大晦日から、ほぼ毎日のように異変があることを、その日記帳を読むと改めて実感し、「なぜこうなるのだろう」と嫌な気持ちになります。

 それらは、一見、ほんの些細な出来事のように思われます。

 「2009年last: 12月31日(木)PM 3:45 お昼寝の後、起きて一人でお雑煮を食べていたら、CD ラジカセのビニール袋がガサッと音を立てた。よく見たら、CD を入れる蓋がひとりでに開いていた。(この蓋は指で隅を押さないと開かない。)嫌なので、TAPE とCD の蓋をセロテープで止めておいた。」

 そして年の変わり目となった2010年元旦の午前0時過ぎには、「今年は異変が起こりませんように」とテレビボードの上に飾った鏡餅に向かって、手を合わせたのです。

 けれども、お祈りをしても無駄でした。

 私は元旦早々、こんなことを日記に書き記しました。

 「2010年1月1日:PM 1:50頃 朝10:50~昼寝。ガスト(お弁当宅配)の人が来て目覚めて、お弁当をテーブルに運んだ。そしたら、昨日昼間、ひとりでに開いたCD ラジカセのTAPEを入れる蓋が、今度は、セロテープで止めておいたのに、(ビニールの上から)開いていた。」

 このラジカセには、埃がかからないよう、上からビニールを被せていました。そのビニールは、2009年9月末に壊れたパソコンを買い換えた際に機器の一部を梱包していたもので、サイズがラジカセを覆うのに適していたのです。

 CDとTAPEの蓋は、人が指でその隅を押さない限り、決して勝手に上に開けられることは不可能なのです。

 私は、2008年当時のような、「家族以外の誰かが、この家にいる」といった不気味な気配を感じました。

 この、大晦日と元日の出来事だけでも、私を震え上がらせるのに充分でした。

 なぜなら、「禍々しい事件の続いた2008年」は、もう2年も前、私の中では「過ぎ去った過去」になっていたからです。

 「こういうことは、新しく年が改まったからといって、終わることではないのだ」と思い、ゾクッとしました。

 1月2日、母が朝遅く起き、午前11時頃、お雑煮を作りました。私と息子はまだ寝ていましたから、母は食事の前に、まだ出していなかった年賀状を投函しに、マンション前の郵便ポストへと一旦出かけました。

 そして帰宅し、先に一人で朝食をと思い、お椀についだお雑煮を食べようとした時です。

 お餅に、黒く真っ直ぐな、こしのある15cm ほどの頭髪が刺さっていた、と言うのです。「刺さっていた」というより、お餅を、髪の毛が「貫通していた」という状態だったのです。

 この話も、私を驚かせました。

 母の髪はパーマをかけて、短く段カットしたもので、髪質も、茶色がかり、こしがない細い髪です。私の髪も、さまざまなストレスから、細くこしがなく、背中まで伸ばしたものです。

 息子の髪も、学校に行けなくなってから、時折フリースクールに行ってはいますが、あまり日を浴びないので、細くなっています。

 だから、「お餅を貫通していた」髪は、私達家族のものではないのです。

 何より、一つ一つパック包装されたお餅を、煮込んだだけなのに、そのお餅に、どうして髪の毛が「貫通する」などということがあるでしょうか。

 「髪の毛がお餅に落ちてくっついていた、というのなら分かるけれど、髪の質がうちの誰のものでもないし、大体、髪の毛がお餅を貫くなんて......」

 私はその場にいなかったのですが、母の話は本当であると確信しました。なぜなら、似たような異変が、2008年の夏、起きたからです。

 あれは2008年の7月頃でした。はっきり、「超常現象が起きている」と自覚し、怯えながら暮らしていた頃でした。

 息子が、母の作ったラーメンを食べようとしている時、急に「何これ?なんで?」と言ったのです。

 「ラーメンがどうしたの?」

 「ちょっと...!ラーメンの中に、ほら、髪の毛が貫通しているんだってば!気色悪い......!」

 息子は私にその麺をお箸でつまみ、ほら、とテーブルの上に置いて見せました。明らかに、細いラーメンの麺を貫いている髪の毛がありました。

 恐る恐る引き抜いてみると、それは茶色がかった、ウェーブのかかった髪でした。私の髪はパーマをかけていません。母の髪は、ラーメンを貫くほど長くないのです。

 「食材にいつの間にか、他人の髪の毛が混じる」などということは、通常ではあり得ないことです。しかし、そうした経験をした私には、今年1月2日の出来事が、奇妙ですが、ごく「当然」のように信じられるのです。

 このような怪奇な事象は、超常現象が激化してから起きたことでした。一方で、ラジカセの蓋が勝手に開く、などは、2008年の5月下旬に起きた「現象の前触れ」にも似た、ごく小さな異変に似通っています。

 「お餅の髪の毛」にせよ、「ラジカセの蓋」にせよ、その規模の大小に関わらず、こうしたことが起きること自体が、全く不可思議且つ怖ろしい現象なのですが、それらが起きた時、一時どきりと感じても、日記帳に書き留めて、暮らしていける―

 これも、やはり暗闇に目が慣れるのと同じ原理で、異様な出来事に対して恐怖心が麻痺してしまった、ということなのかもしれません。

 しかし、今の私が、いきなり2008年の6月から9月にタイムスリップしたとしたら、「どうしてこんな怖い目に遭わなければいけないのか」と、再び運命を呪うことになるでしょう。

 その信じがたい運命の扉は、5月31日から急速に大きく開かれ、私達家族は、超常現象の渦にあれよあれよと巻き込まれていったのです。

 その最後の前兆ともいうべき時期は、5月28日から30日であった、と言えるでしょう。

 2008年5月28日、再び、父が大阪から私の家に泊まりに来てくれました。この日から29日までの異変の記録は、次のように残されていました。

 「28日:AM 0:35 (玄関施錠・洗面所、風呂場、トイレ・書斎全部ドア閉め消灯OK, ガス元栓OK, ブレーカー上向き確認OK, ベランダ施錠)すべてOK

 → AM 2:05, (母と息子と私が寝ている)ユタカの室内の床を、人差指でトントン叩く音がする(もうユタカは眠っている)→ AM 2:10~また、(誰もいない)隣室の壁か?または下?天井辺りを叩く音が始まる。」

 「29日:(寝る前にはリビングのドアを閉めていつも通り、施錠&消灯OK)→ AM 3:15~20, 左の(無人の)隣室の壁を叩くような音で目が覚める。玄関の灯りはついており、リビングのドアは開けっぱなしになっていた。

 AM 1:45 に私トイレの際、リビングのスイッチ(一番下)をつけてトイレに行く→ その後寝室に戻る前、リビングのスイッチは消したが、なぜかスイッチは玄関の灯りがつく方向に変わっていた」

 この晩は、午前1:45 に私がトイレの後、リビングのインターホン左の一番下のスイッチを左側に押して、玄関の灯りを消したのです。そしていつもの習慣として、リビングのドアを閉めたのです。

 しかし、午前3:20 頃に、壁を叩く音で目覚めると、リビングのドアは大きく開かれ、玄関の灯りはついていた、ということです。しかも、リビングのスイッチは、玄関の灯りのつく右側が押された状態になっていた、ということなのです。

 この後、同様なブレーカーや灯りの異変が続くのですが、それも30日で大方収まってしまいました。否、収まった、というよりは、31日からは真の現象のエスカレーションがスタートした、と言うべきなのでしょう。(To be Continued......)