2010年4月10日土曜日

第4章―現象の乱舞―1―最後の前兆:part3―カウンセラーへの相談

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 2008年5月29日の午前3:15~20 に起きた、無人の隣室の壁を叩く音で、私と母と息子は起きたのですが、その音は、その後30分続きました。しかし私達が眠れないから、と体を起こすと、ピタリと音は止みました。

 AM4:35 頃、皆が床に就いたら、また「トントントン......」が始まり、うるさいほどです。

 「うるさくって眠れない。なんで、こっちが寝たら音が始まるんだ」

 ユタカがそう言い、私もため息をついて3分後に身を起こすと、その動作を見極めているかのように、また音がストップするのです。

 泊まりにまた来ていた父が、「何の音だろう。全く分からん。悪戯にしても、こっちの動作と合わせて、音を立てたり、停止したりは不可能じゃないのか」と首を捻りました。

 結局、リビングのドアは閉めても、独りでに開いてしまうので、父は「もうドアは開けて、ストッパーで固定しておけよ」と言いました。

 AM4:03 には「台所の灯りは全灯に」と私はメモを書いていますが、これも、父が「音がうるさいし、煩わしいことばかりだから、灯りをつけておけばいい」と提案したように記憶しています。

 5月30日、AM2:20,息子が「眠い」とやっと、床に就きました。私はかなり前から、就寝前にワインをカップ2杯ほど飲むようになっていました。

 ワインを飲むと、ストレスによって顔の左半分が冷えるようになっていたのが、少しぼーっとして、緩和されるのです。もちろん、恐怖心を抑えるという効果も期してのことでした。

 それでも、ワインを喉に流し込もうとした途端、また隣室の壁を、やや控えめに「トントントン......」と叩く音が始まりました。

 30日の午前中、父は再び一旦大阪に帰りました。多くの人との交流やハイキングなどの計画・案内で日々多忙であり、パソコンを用いた案内書の作成やメールの送受信、FAX による資料のやりとりなどは、すべて大阪の実家でないと無理なのです。

 それでも、私の家に泊まりに来る時は、色々な人と連絡が取れるよう、携帯は必ず持参していました。

 この日の午後、3:05~07 の間のことでした。

 遅く起きてきた息子が、口を洗いに洗面所に向かいましたが、その際、「洗面所に誰かいる」と彼は感じたのです。

 「ばあちゃんがきっといるんだな」と思ったほど、はっきりと確かに感じた、と後になって言いました。

 しかし、実際は誰もいません。この時、私はリビングにいて、昼食をとっていたので、ユタカが洗面所のスイッチをつけて、洗顔している様子は聞いていました。

 すると、急に、「バチン!」と大きな音が響きました。同時に、ユタカが「あれ?電気が消えちゃった」と言う声を聞きました。

 私がすぐに洗面所に行くと、やはりブレーカーの一番左端が下に降りていました。こういうことは、以前にも起きたので、異様に思いましたが、私は、息子に念のため尋ねました。

 「変だね。ブレーカー触ってないでしょ?ちょっと左端に手を伸ばしてみて」

 「なんで僕がわざわざブレーカー下げるんだよ?ほら、この洗濯機が邪魔で、やっぱり届かないでしょ」

 私は、嫌な予感を抱きながらも、一応下がったブレーカーを元通り、上に戻しておきました。

 その後、一緒にリビングに戻ったのですが、今度は私が驚く番でした。つい1~2分前まで、私が食事をしていたリビング全体が薄暗くなっていたのです。

 ふと周囲を見渡すと、テーブルの上の照明と、流しの蛍光灯が消えていました。

 インターホン左横のスイッチは、リビングのシャンデリアとテーブルの上の照明がつく右側の方向のまま、特に変わりはありませんでした。

 すると、やはりブレーカーなのかと思い、再び洗面所に行くと、案の定でした。今度はリビングの灯りに関係する、左端から2番目のブレーカーが下がっていたのです。

 息子が洗面所で洗顔中、左端のブレーカーが落ち、次に誰もいないリビングに戻ると、2番目のブレーカーが落ちていた。

 この二つの事柄の間は、ほんの2分程度のことであったのです。このほんの数秒ともいえる短い間に、誰もいなくなった洗面所で、まるで誰かが2番目のブレーカーを下げたかのようで、気味が悪くてたまりませんでした。

 このことを、夕方6:45 に、母が父に電話しました。父は、こう言いました。

 「まあ、ブレーカーのことは気のせいかもしれん。人のいる所では、ミスは必ず起きるもんだからな。もしかしたら、ブレーカーの故障かもしれんから、電力会社に一度、点検してもらいなさい。一応、実際に起きたことを報告して。その前に、自分の家のことだから、どのブレーカーが、どの部屋と関係があるのか、実験してきちんと整理した書面を作ることだな」

 父の考えとしては、「家の中で奇妙なことが起きている、と言っても、一部は気のせい、ということもある。それに他人に『奇妙なことが起こる』と話しても、信じてはくれない。だから、現実的な面を重視して、ブレーカーなどの機械的な部分で通常とは異なることが起きたら、何か欠陥が起きているかどうか、それを調べてもらうのが先決だ」というものだったのでしょう。

 つまり、「非現実的なことが家の中で起きている」事実は認めるけれども、その中には「ごく現実的な部分、物理的に起こり得る部分」が必ずある。その部分を確定する方が、不安が早く取り除かれる、という、非常に実際的かつ効率的な対応の方法を教えてくれたのです。

 この方法は、ほんの2,3日間、ブレーカーの様子が変だ―そういう場合には、確かに効率的だったといえるでしょう。

 父の懸念は、手に取るように分かりましたが、「電力会社の技術者に点検してもらっても、何も異変はない、と言われるのではないか」というのが私の正直な感想でした。

 実際、私は早速、すべてのブレーカーについて、どの部屋と関連があるのか実験し、詳細に調べ、関西電力に連絡し、ワープロで整理した書面を確認してもらった上で、6月1日、父が立ち会いのもと、技術者の人に点検してもらいました。

 ところが、答えは「何も異常はありませんねえ」ということでした。

 これより以前の、5月26日に、私は母とこんな会話を交わしたことを記録していました。

 ―私が「これで10日も、夜、普通じゃあり得ないことが起こって、子供の前でうろたえたりしないけれど、いつも夜、場合によっては昼間も変なことが起こるでしょう。もう、心がいつも緊張していて、よく眠れないし、疲れるわ」と言った。

 母は「戦争中の時、空襲の時より、こっちが怖いよ。うちの中だけ、こんなこと起こるんだからね。もしこれで、外部からの侵入者の痕跡があったら、と不安だわ」と言った。―

 母が、「戦争中より怖い」と言ったことで、私の恐怖はより強まりました。

 戦争中は、空襲に曝されて、いつ死ぬか分からない、という恐怖がつきまとったことでしょう。しかし、「戦争体験」は、「他の人も同様に空襲による死の恐怖と向き合っている」という状況でもあるのです。

 要するに、恐怖の質は、「この恐怖を他人と共有できるか、できないか」で、決定的に異なってくる、ということになります。

 我が家のような、「物理的に不可能なことが起こる」といった経験は、病気や怪我のように、誰もが日常的に経験するわけではありません。

 むしろ、誰に話しても、「そんなことが現実に起こるわけがない」と相手にされない類の経験であるために、私達家族の抱える恐怖は、まったくの孤独なものとなっているのです。

 その孤独さ故に、恐怖感は計り知れないものがあるのです。

 しかし、この5月の末頃、私達の恐怖に対し、唯一、関心を抱いてくれる人がいました。それは、息子の不登校について週1回、相談を担当する中学の心理カウンセラーの島田先生でした。

 いつも、火曜日に私一人が、中学の教育相談室に予約の時間に訪問し、日頃の息子の様子を報告し、アドバイスを受けていたのです。

 懇切丁寧に話を聞いて下さるので、自然な流れから、私は「最近、家で奇妙な現象が起きて、夜、眠れなくて困っています」と打ち明けたのです。

 その先生は、まだ29歳の若い男性でしたから、私の話に、半信半疑ながらも、熱心に耳を傾け下さいました。

 「先生、不登校の子供さんといろいろお話された経験の中で、うちのようなケースをお聞きになったことはないですか」

 私がこう尋ねると、島田先生は、さあ、と首を傾げました。

 「全く無いです。でも、お話伺っていると、そんな怖いことがお家で起きて、家族の皆さんが、震えて夜も眠れない、そんな様子を思い浮かべるとねえ......本当に大変ですよね」

 島田先生は、自分でも大変な怖がりなのだ、と苦笑しつつ、私の話に心底ぞっとしたように、顔をしかめました。しかし、私の話を正しく理解したいと言う気持ちをはっきりと示してくれました。

 と言うのも、家の簡単な見取り図を、今度描いてきて欲しい、と依頼されたからです。

 「私は、急に灯りがついたり、ブレーカーが落ちたりすると、怖くってたまらないんです。ペンなどが勝手に転がったりすることも......こんな時、どう対処したらいいんでしょう?」

 私がこう質問すると、島田先生は、励ますようにいっしゃいました。

 「やはり、子供さんのことを考えれば、どんな異変が起ころうと、お母さんがうろたえず、毅然としていることが肝要ですよね。お母さんが叫び声を上げたり、震えていると、息子さんにも恐怖心が伝染しますから」

 私はそれはもっともだ、と感じましたが、現実問題として、異変が目の前で起きると、平静を装っていられないのだ、と訴えました。

 すると、先生は、心療内科の主治医に相談しては、と持ちかけてきました。

 「心療内科の先生なら、精神的な方面の専門家ですから。異変が起きた際の対処方法など、良いアドバイスが得られると思いますよ」

 私は、心療内科の先生の、自信の無さそうな小声や、物事を明確に説明しない様子を思い浮かべました。あの先生には、今回の話は通用しないんじゃないか、と思いました。

 それでも、何でも試してみないと始まりません。そこで、5月16日から30日までの2週間の出来事の概略をまとめて、ちょうど5月の終わりに相談に行った、と覚えています。

 しかし、薄々予想していた通りの返答しか得られませんでした。

 主治医は、どんなに私が書いたメモを元に、家での怪異現象を説明しても、首を振るだけでした。そして、小声で呟くようにこう言うのです。

 「私は、そんな出来事は信じません」

 もちろん、誰でも、いきなり「怪奇現象」の話を聞かされたら、「信じられない」と言うことしかできないでしょう。

 ただ、長年御世話になってきた主治医ですので、試しに更に尋ねてみました。

 「じゃ、目の前で不可思議なことが起きたら、どう対処したらいいんでしょう」

 すると、主治医は事も無げに、あっさりと答えました。

 「私だったら、何も起きなかったことにします」

 このやりとりで、私はこの先生に対する大きな失望と、信頼感が失墜するのを感じました。

 非現実な事実に対し、「信じられない」ではなく、「信じない」と言い放ったこと、真摯なこちらの質問を、無視するかのような返答に、心底落胆したのです。(To be continued......)

 

第4章―現象の乱舞―1―最後の前兆:part2―餅を貫通する黒髪

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 今現在は2010年となって1カ月が経ちました。そこで、私が「昨年」と書いていた2008年は、もう一昨年ということになります。

 もう2年も前のことになってしまったのですが、今年になってもなお、毎日のように不可思議な現象が起こります。そして、それらを私は、やはり「今日は、こんなことが起きた」と日記帳に書き留めています。

 そんなことをしても何にもならない、と知りつつも書くのは、2年前の体験がそうさせるのか、私の中では一つの習性のようになってしまいました。

 大晦日から、ほぼ毎日のように異変があることを、その日記帳を読むと改めて実感し、「なぜこうなるのだろう」と嫌な気持ちになります。

 それらは、一見、ほんの些細な出来事のように思われます。

 「2009年last: 12月31日(木)PM 3:45 お昼寝の後、起きて一人でお雑煮を食べていたら、CD ラジカセのビニール袋がガサッと音を立てた。よく見たら、CD を入れる蓋がひとりでに開いていた。(この蓋は指で隅を押さないと開かない。)嫌なので、TAPE とCD の蓋をセロテープで止めておいた。」

 そして年の変わり目となった2010年元旦の午前0時過ぎには、「今年は異変が起こりませんように」とテレビボードの上に飾った鏡餅に向かって、手を合わせたのです。

 けれども、お祈りをしても無駄でした。

 私は元旦早々、こんなことを日記に書き記しました。

 「2010年1月1日:PM 1:50頃 朝10:50~昼寝。ガスト(お弁当宅配)の人が来て目覚めて、お弁当をテーブルに運んだ。そしたら、昨日昼間、ひとりでに開いたCD ラジカセのTAPEを入れる蓋が、今度は、セロテープで止めておいたのに、(ビニールの上から)開いていた。」

 このラジカセには、埃がかからないよう、上からビニールを被せていました。そのビニールは、2009年9月末に壊れたパソコンを買い換えた際に機器の一部を梱包していたもので、サイズがラジカセを覆うのに適していたのです。

 CDとTAPEの蓋は、人が指でその隅を押さない限り、決して勝手に上に開けられることは不可能なのです。

 私は、2008年当時のような、「家族以外の誰かが、この家にいる」といった不気味な気配を感じました。

 この、大晦日と元日の出来事だけでも、私を震え上がらせるのに充分でした。

 なぜなら、「禍々しい事件の続いた2008年」は、もう2年も前、私の中では「過ぎ去った過去」になっていたからです。

 「こういうことは、新しく年が改まったからといって、終わることではないのだ」と思い、ゾクッとしました。

 1月2日、母が朝遅く起き、午前11時頃、お雑煮を作りました。私と息子はまだ寝ていましたから、母は食事の前に、まだ出していなかった年賀状を投函しに、マンション前の郵便ポストへと一旦出かけました。

 そして帰宅し、先に一人で朝食をと思い、お椀についだお雑煮を食べようとした時です。

 お餅に、黒く真っ直ぐな、こしのある15cm ほどの頭髪が刺さっていた、と言うのです。「刺さっていた」というより、お餅を、髪の毛が「貫通していた」という状態だったのです。

 この話も、私を驚かせました。

 母の髪はパーマをかけて、短く段カットしたもので、髪質も、茶色がかり、こしがない細い髪です。私の髪も、さまざまなストレスから、細くこしがなく、背中まで伸ばしたものです。

 息子の髪も、学校に行けなくなってから、時折フリースクールに行ってはいますが、あまり日を浴びないので、細くなっています。

 だから、「お餅を貫通していた」髪は、私達家族のものではないのです。

 何より、一つ一つパック包装されたお餅を、煮込んだだけなのに、そのお餅に、どうして髪の毛が「貫通する」などということがあるでしょうか。

 「髪の毛がお餅に落ちてくっついていた、というのなら分かるけれど、髪の質がうちの誰のものでもないし、大体、髪の毛がお餅を貫くなんて......」

 私はその場にいなかったのですが、母の話は本当であると確信しました。なぜなら、似たような異変が、2008年の夏、起きたからです。

 あれは2008年の7月頃でした。はっきり、「超常現象が起きている」と自覚し、怯えながら暮らしていた頃でした。

 息子が、母の作ったラーメンを食べようとしている時、急に「何これ?なんで?」と言ったのです。

 「ラーメンがどうしたの?」

 「ちょっと...!ラーメンの中に、ほら、髪の毛が貫通しているんだってば!気色悪い......!」

 息子は私にその麺をお箸でつまみ、ほら、とテーブルの上に置いて見せました。明らかに、細いラーメンの麺を貫いている髪の毛がありました。

 恐る恐る引き抜いてみると、それは茶色がかった、ウェーブのかかった髪でした。私の髪はパーマをかけていません。母の髪は、ラーメンを貫くほど長くないのです。

 「食材にいつの間にか、他人の髪の毛が混じる」などということは、通常ではあり得ないことです。しかし、そうした経験をした私には、今年1月2日の出来事が、奇妙ですが、ごく「当然」のように信じられるのです。

 このような怪奇な事象は、超常現象が激化してから起きたことでした。一方で、ラジカセの蓋が勝手に開く、などは、2008年の5月下旬に起きた「現象の前触れ」にも似た、ごく小さな異変に似通っています。

 「お餅の髪の毛」にせよ、「ラジカセの蓋」にせよ、その規模の大小に関わらず、こうしたことが起きること自体が、全く不可思議且つ怖ろしい現象なのですが、それらが起きた時、一時どきりと感じても、日記帳に書き留めて、暮らしていける―

 これも、やはり暗闇に目が慣れるのと同じ原理で、異様な出来事に対して恐怖心が麻痺してしまった、ということなのかもしれません。

 しかし、今の私が、いきなり2008年の6月から9月にタイムスリップしたとしたら、「どうしてこんな怖い目に遭わなければいけないのか」と、再び運命を呪うことになるでしょう。

 その信じがたい運命の扉は、5月31日から急速に大きく開かれ、私達家族は、超常現象の渦にあれよあれよと巻き込まれていったのです。

 その最後の前兆ともいうべき時期は、5月28日から30日であった、と言えるでしょう。

 2008年5月28日、再び、父が大阪から私の家に泊まりに来てくれました。この日から29日までの異変の記録は、次のように残されていました。

 「28日:AM 0:35 (玄関施錠・洗面所、風呂場、トイレ・書斎全部ドア閉め消灯OK, ガス元栓OK, ブレーカー上向き確認OK, ベランダ施錠)すべてOK

 → AM 2:05, (母と息子と私が寝ている)ユタカの室内の床を、人差指でトントン叩く音がする(もうユタカは眠っている)→ AM 2:10~また、(誰もいない)隣室の壁か?または下?天井辺りを叩く音が始まる。」

 「29日:(寝る前にはリビングのドアを閉めていつも通り、施錠&消灯OK)→ AM 3:15~20, 左の(無人の)隣室の壁を叩くような音で目が覚める。玄関の灯りはついており、リビングのドアは開けっぱなしになっていた。

 AM 1:45 に私トイレの際、リビングのスイッチ(一番下)をつけてトイレに行く→ その後寝室に戻る前、リビングのスイッチは消したが、なぜかスイッチは玄関の灯りがつく方向に変わっていた」

 この晩は、午前1:45 に私がトイレの後、リビングのインターホン左の一番下のスイッチを左側に押して、玄関の灯りを消したのです。そしていつもの習慣として、リビングのドアを閉めたのです。

 しかし、午前3:20 頃に、壁を叩く音で目覚めると、リビングのドアは大きく開かれ、玄関の灯りはついていた、ということです。しかも、リビングのスイッチは、玄関の灯りのつく右側が押された状態になっていた、ということなのです。

 この後、同様なブレーカーや灯りの異変が続くのですが、それも30日で大方収まってしまいました。否、収まった、というよりは、31日からは真の現象のエスカレーションがスタートした、と言うべきなのでしょう。(To be Continued......)

2009年12月29日火曜日

第4章―現象の乱舞―1―最後の前兆: part1

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 私は最近「世界の超常現象」というサイトを検索したのですが、その中に、米国のある少女が、同じ年頃の少女の亡霊と会話をした、という話が掲載されていました。

 その家で、昔、一人の少女が殺害された、ということが後に分かったとのことでした。

 詳しくは読んでいませんが、その亡霊が出現する前に、やはり我が家と同じように、リビングの灯りが突然ついたり、テレビがついたりなどの異変が起きた、ということです。

 昨年(2008年)当時、我が家に異変が起きている時、私は、こうした摩訶不思議な現象が、そんな冥界の者と関連がある、といったことは考えもしませんでした。

 考える、というより、そもそもそんな世界があることなど信じてもいなかったし、そうした物の仕業であるという印象さえ受けなかったのです。

 2008年5月25日の午前、母はデジカメの異様な映像や、リビングの整理棚の引き出しが勝手に開いた、などの連絡を父にしました。

 すると、父は、「ノートに表を作ったらいい。異変の起きた時刻や場所、それに備考欄も設けた表があった方が、書きやすいし、後で確認できるだろう」とアドバイスしてくれました。

 また、父は、「針金か紐で輪を作って、それにキーホルダーか、鈴とか、何か音が鳴るものをつけて、モデムやドアノブ等に固定するか、ぶら下げとけよ。何か起きて、音が鳴ったら分かるようにな」と発案してくれました。

 その時は、いいアイデアだと思いました。

 しかし、例え「異変が起きて、鈴などの音が鳴った」としても、正体不明のモノが悪戯めいたことをしているのなら、それこそ雲を掴むようなもので、どうしようもありません。

 それでも、父がそういうことを言い出した、ということは、父も、やはり「何だか訳が分からんが、不安な状態を放置しておくよりいいだろう」と感ずるようになっていたのかもしれません。

 翌日、26日には、夜中はどんなことがあったのか、記録にはありません。ただ、息子が、安定剤が効いたのか、午前1時にはあっさり眠ってしまい、朝の7時に起床、ということでした。

 昼夜逆転が続いていたのに、この日は珍しいことでした。彼は、朝食は7時半から8時にとりました。

 ただ、私は午前3時から6時半まで起きていたため、睡眠不足で、朝食後、いつもの寝室にしてある子供部屋で、また10時から12時まで寝ました。

 それから起きて、その部屋の箪笥の上に置いてあるボールペンを取りに行こうとした時でした。

 入口近くに敷いている、私の布団の枕元に、Harry Potter の絵葉書が置いてあったのです。

 それは、有名なダニエル・ラドクリフやエマ・ワトソン、ルパート・グリント、世界的に有名な仲良しの3人組が一緒に笑って写っている、まだ12歳の頃の写真を絵葉書にしたものでした。

 「ねえ、この絵葉書、枕元に置いたの?」

 私は子供に尋ねましたが、彼は、ずっとDS をやっていて、葉書などに触ってもいない、との返事でした。

 その絵葉書きは、私の布団の横から少し離れた、子供の勉強机の文庫本の上に2枚、重ねておいてあったうちの1枚でした。多分、映画を観にいった時、土産物コーナーで買ったのだと思います。

 その絵葉書が、なぜ私の枕元にわざわざ置いてあるのでしょうか。

 窓も開けていないし、葉書など、誰かが触らない限り、勝手に動いたりしないはずなのです。

 この晩だったと思いますが、私はモデムに更に工夫を凝らしました。モデムの右側に、古くなって壊れた灰色のワープロを置いたのです。

 その両者は、もちろん、コンセントの手前を覆うように置きました。そして、モデムとワープロをガムテープでしっかり縛りつけ、更にモデムにも、床からモデム本体にガムテープを止め、ワープロにも同様のことをしました。

 これで、「引き抜かれるモデムのコンセント」に「誰も触れない」ように仕掛けをしたつもりでした。

 しかし、こんなに厳重にワープロを床に、ガムテープで止めていたというのに、家族が見ていない時、そのガムテープは、ものの見事に外され、そばの屑かごに綺麗に捨てられ、そして、ワープロは、私の元の書斎に運ばれていたのです。

 そんなことが起きたのは、6月になってからだった、と記憶しています。

 一体誰が、葉書を枕元に置き、重いワープロをリビングから書斎に運んだのか―

 5月27日から31日にかけて、更に、少しずつ、「現象」は、頻繁に起こるようになり、そして、不吉な6月の日々が始まったのでした。(To be continued......)
 

2009年12月9日水曜日

第3章―ポルターガイストの出現―6―謎のムービー(飛び出す引出し):part2

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 そのムービーに映された人面には、何らかのはっきりとした意志があるように思われました。開かれた右目には、ちゃんと白目と黒目の区別があり、その眼には、見る者に対する怨恨のような表情がこめられていたからです。

 ぐしゃりとへし潰され、左右へと広がった分厚い唇の左端からは、ヨダレのような液体が垂れていました。

 誰が、一体、何の目的でこんな粘土状の気色悪い顔を作り、それをわざわざ私のデジカメのムービーに3秒間だけ撮影したのか。

 私は母を起こして、このムービーのことをすぐさま言いました。母は、その画面を見て、気持ちが悪いと顔をしかめました。私たち3人は、そのムービーを何回か再生しました。

 最初、私は、撮影されている床は、自分の家の床だと思っていました。その粘土状の顔が貼りついている壁も、てっきり我が家のどこかの壁と思っていたのです。

 ですが、壁の様子からみると、どうも茶色の板でできている様子なので、これは我が家のどこかではない、と分かりました。

 そのうち、ユタカが気がつきました。

 「あっ!この床板、うちのじゃない。よく見て!一枚の床板の幅や模様が全然違うじゃない。どこかよその家の床だよ。どこかの家で撮影したんだよ!」

 息子にそう指摘されて、私たちは、再度、用心深く、ムービーを再生しました。

 まず、どこかの家の床が映りますが、その床は明らかに我が家のフローリングとは異なり、どこかの民家の古い床だと分かりました。

 床板の幅は我が家のものより広く、色はすすけた濃い茶色、そして我が家のフローリングの床のような木目調のデザインは何もないのです。

 そして、壁へと連なる隅は、黒っぽい、ひどい汚れが付着していました。

 「うちの床はいつもピカピカじゃないけどさ、こーんなに汚れた所は、ないでしょ?これ、よその家だよね」

 私がこう言うと、息子も同意しました。

 「うん。これ、うちのじゃないよ。全然違う」

 次にカメラは、壁の謎めいた粘土状の人面をとらえていました。息子は、最後がまた変だ、と言いました。

 「ね、よく見ててよ。最後、ムービーが止まる瞬間、人の指が右上にさっと映るから。ほらっ!この黒い影、ね?分かるでしょ?これを撮影した人が、ムービー止めようと、ストップのボタンを押す時、その指が映ってしまったみたいじゃん」

 私は、2度ほど再生し、床が我が家とは違うこと、そして誰かの指の黒い影が画面右上にサッと映るのを確認しました。

 たった3秒の間に、これだけの奇妙な場面が撮影されていたのです。

 デジカメは、オフにして私の枕元にあったというのに、私がその場を離れた数分間で、息子や母が、夜中の4時近く、別の家で奇妙な映像を撮影できるはずがありません。

 カメラの視点は、まず薄汚れた床から始まりますが、その床も、暗闇の薄明りの中で撮られていました。

 そして、3秒というほんの短い時間の中で、一番の撮影の焦点は、1.5秒ほど映っている、壁に貼り付けられた粘土状の人面であることは明らかでした。最後にその撮影をストップしようと、「誰か」の指が(多分、人差し指が)右上にかざすように映っていた―

 その指は、デジカメの裏面のカメラレンズに触れたから、映ったのです。

 しかし、家族の誰も、こんな「我が家以外の場所」で「夜中に粘土状の人面を撮影する」ことは不可能です。そうなると、私のデジカメを使い、奇妙な異様な映像を撮影した「誰か」は、「人間」ではないことになります。

 私は、枕元にデジカメを置くことが怖くなり、それからは、息子の箪笥の小引出しの中に、「ここにデジカメがあることが分からないように」、ハンカチにくるんで入れることにしました。

 現実にあり得ないことが起きると、いくら大事な物を引き出しなどの中に隠したって、デジカメを勝手に触った「モノ」は、私がデジカメを隠したことも、隠した場所も、きっとどこかから見ているに違いない―

 とにかく、自分の行動のみならず心理までも、「得体の知れないモノ」に常に見張られ、見破られている―

 こんな心境になってしまうのも、無理のないことかも知れません。

 この変な映像は、また父が泊まりに来てくれた時に見せようと、消さずにおきました。また、私は、万が一、父が来る前に、その映像が「勝手に消えてしまわないように」、その粘土の異様な形相を詳しくスケッチしておきました。

 そのスケッチは、今でも手元にあります。それでも、何回も見る気になれないほど、恐ろしい形相なので、メモを手にする時も寒気がするのです。この異様さからは、「怨念、怨恨、呪い、化物、悪霊」といった言葉以外、思い浮かびません。

 この怪奇なムービーが撮影されてからは、「何故だか分からないが、人間ではない、すなわち怨霊のようなモノが家の中に入り込んで来ている」と、私は漠然と感じるようになりました。

 しかし、確固とした確信には至っていなかったために、それを家族の誰にも言葉として表現しようとも思ってはいませんでした。

 もう午前4時半ほどになっていました。

 私は、眠れないまま、仕方なく、台所のテーブルに腰掛け、5月25日の夜中に起きた事柄を、まとめてメモに書き出しました。母が、朝、父に報告する際に、「メモにしてくれたら、分かりやすく話せるから」と私に頼んだためでした。

 私は、「就寝前の午前1時11分から41分にかけて、通常の状況を11枚、デジカメで撮影。モデムの右に金属板を置いたが、コードは3時半頃、引き抜かれて、金属板の上に置かれる。その証拠写真を撮影。それから午前3時56分、枕元に置いていたデジカメに変な映像が撮影されていた」などなど、ほんの3時間~4時間の間に起きた事柄を、整理して書いていました。

 このメモを書き終わった後、お腹が空いてきました。もう午前5時40分でした。何か少し食べようと、冷蔵庫からベーコンを取り出しました。そして、おはしを取ろうと、食器戸棚を振り向いた時でした。

 いつの間にか、電子レンジ左横にある、3段の半透明な整理ケースの真ん中の引き出しが、手前いっぱいに引き出された状態になっていたのです。

 この引出しは、爪切りや安定剤などの、ちょっとした薬を入れる小物入れとして使っているものです。私は、寝る前には、この整理ケースの引き出しがきちんと閉まっている状態を、デジカメで撮影していました。

 私がメモを書こうと、台所に来た時、整理ケースは異常ありませんでした。誰も、引出しを思い切り手前に引き出したまま、放っておいたりはしていないのです。

 だから、私がメモを書いている、午前4時半から5時40分の間に、また「誰か」が、私のすぐ背後で、整理ケースを、今にも外れそうなほど、ギリギリに手前に引き出していたのです。

 もう「玄関の灯りが勝手につく」といった異変が始まって、10日目でした。
 5月19日頃、つまり異変が始まってまだ3日目の時点で、「この現象は続くだろう」と妙な予感がした通り、その現象は留まることなく、いよいよ頻繁になっていき、ついには私の背後に迫って来たのだ―

 私は整理ケースを背に、テーブルに座ることが怖くなり、いっぱいに引き出された引出しを、離れた所から、まるで物の怪を見るかのように、恐る恐る見つめていました。(To be continued......)

2009年12月8日火曜日

第3章―ポルターガイストの出現―6―謎のムービー:part1

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 5月23日に、駅改札口前のダストボックスに、『人形』の本を捨てた後は、ちょっとした安堵感がありました。

 「これで1週間続いた変なことも無くなるだろう」

 そう考えたのですが、「またあの本が我が家の書棚に戻ってくるのでは」との不安も時折あり、ヒヤヒヤしながら書棚を覗き込んだり、1階の集合ポストの郵便物を手にしたりしていました。

 そして、「本を捨てたから、もう不気味な現象は起こらない」というのは、全く甘い考えだった、と後になって考えるようになりました。

 この日の晩頃から、玄関の灯りは、リビングのインターフォン左横のスイッチで操作できることが分かりました。

 玄関扉横の灯りのスイッチは、従来とは逆に右側を押しておきます。すると玄関は灯りは消えた状態ですが、リビングのインターフォン横の縦に3つ並んだスイッチの一番下を右に押すと、玄関は灯りがつく状態になるのです。

 これで、薄気味悪い玄関が暗いまま、洗面所に行かずに、リビングのスイッチを右に押してから、明るい玄関の方へと夜中でも行けるようになりました。この習慣は今でも続いています。

 また、この晩から、私は、異変が後で起きても確認できるように、「就寝前の状態」をデジカメで撮影するようになりました。

 異変が起きたからと言っても、これといって証明できるような、当てになる人物や研究機関と繋がりがあるわけでもありません。

 ただ、「就寝前はこうだったのに、このように、いつの間にか異変が起きていた」ということを、目で確かめる材料が欲しかったのです。

 これは不思議な心理です。なぜ「怖い異変」が起きた証拠を撮影し、「通常の状態」と比較する必要があるのでしょう。

 自分でも、その心理状態は、現在ではよく分かりません。ですが、「不安の心理」は、「不安な状態」を、せめて「証拠写真」に残して、家族で確認し合うことにより、不安を解消しようとする傾向があるのだ、としか思えません。

 記録を見ると、こう私は書き残しています。

 「5月24日 AM 1:11~1:13 リビングの物の位置を念のため、デジカメで9枚撮る (ピアノの椅子も自然な位置で→ 椅子の背後にCD ラジカセ→ 椅子をピアノの奥にどんなに押し込んでも、もし椅子が倒れたらラジカセに当たる→ 床には背もたれがつかないことをチェック)」

 「モデム Check, 台所の蛍光灯、テーブル上のライトは保安灯にして、就寝モード!」

 この晩からだったのでしょう。リビングが暗いままなのが嫌なので、流しの蛍光灯を今でもつけたまま、就寝するようになりました。

 それから10分ほどした午前1時29分、息子が口を洗うために洗面所に向かうと、再び私の書斎で足音を聞いたと言いましたが、書斎には誰もいませんでした。

 ユタカは、前日は、夕食後と就寝前に、心療内科から出された安定剤を飲んで、午前1時半には眠気が来たのですが、「あの薬はきつすぎる」と言って、この日は就寝前だけに安定剤を飲みました。 

 すると、逆になかなか寝付かれず、午前3時過ぎまで眠れないとぼやいていました。 

 不登校になって以来、息子は、昼間も夜中も、子供部屋の壁にいつも寄り掛かって、DS をしており、外出は一切しない状態でした。彼の行動範囲は、リビングに食事に来るか、トイレのため洗面所に行くだけに限られていました。 

 彼は、この晩も、途中でDS は止めて、一旦床に入りましたが、「ああ、眠れない」と言って起き上がりました。

 午前2時10分頃、息子がトイレに入り、出た途端、「バチン!」と音がし、台所の蛍光灯が消えてしまいました。

 「あれ?台所の灯りが消えた」 

 息子が台所の蛍光灯を見て、私に報告しに来ました。私は変だなと思い、ブレーカーを確認しに洗面所に行きました。

 すると驚いたことに、左から2番目のブレーカーが下に向いた状態になっていたのです。さっき私が聞いた、「バチン!」という音は、このブレーカーが落ちた音だったのか、と気づきました。

 「またブレーカーが......前は下げていたのが勝手に上がって、今度は上げていたのが勝手に落ちたんだね......でもなんで?」 

 「僕が分かるわけないじゃん」 

 ブレーカーは、日が変わる前の23日午後11時50分頃に、玄関の灯りやすべての部屋の施錠と共に、上がっている状態であるのを確認し、メモに記録していたのです。

 「僕がトイレから出た途端に、バチン!って音がするからさ、びっくりした」

 こう異変が毎日起こると、段々と「現象」に慣れ、「また変な現象が起きた」とウンザリするようになりました。

 しかし、その「現象そのもの」は、普通ならあり得ない。だから「怪奇」なのだ―

 このように考えると、やはり怖いのです。

 翌日、25日の日曜日、私は、このような記録を残しています。

 「AM 0:05~0:14 LASTLY 私の書斎の窓閉める、椅子はいつもの位置(その後ろにストーブ)→ この部屋のドアの内側すぐ近くにストーブ置いて、light off」 

 この「ストーブ対策」は、「誰か」が椅子を倒したら、ストーブの位置も動くか倒れることを、後で確認するためでした。ドアも、きちんと閉めたのを、「誰か」が勝手に開けた場合、すぐ内側に置いたストーブも「ガタン!」と音を立てて倒れる―

 そのことを想定したからでした。

 しかし、今から考えると、実に滑稽な話です。 

 実際、「正体不明の誰か」が、椅子を倒そうと、ドアを開けようと、そしてその「異変」がストーブの位置の変化や倒れる音で確認できようと、何になると言うのでしょうか?

 「正体不明の誰か」は、決して見つからず、ストーブが位置が違った、倒れたからと言っても、警察は相手にしないでしょう。 

 もし指紋をとって照合したとしても、私と母と息子の指紋だけに決まっているのだし、第一、「指紋を照合する」ことまで、警察はしないのです。

 それが分かっていても、当時の私は、「訳も分からず椅子が倒れたり、ドアが勝手に開く」よりは、「透明人間のような誰かが、確かに椅子を倒し、ドアを開けたのだ」という「証拠」を確認した方が、何となく安心できる― そんな心境だったに違いありません。

 「透明人間」や「実態を持たない誰か」が存在するとは、到底信じていなかったにも関わらず、なのです。

 しかも、その「証拠」によって、「誰も触れていないのに、椅子やドアが動いたという、物理的に不可能な状況」が再確認できて、更なる恐怖に凍りついてしまう―

 それが自分でも分かっていたというのに、私は、デジカメまで枕もとに常に用意し、「異変の証拠映像」を欲していたのです。

 「物理的に不可能なことが起きる」からこそ、「証拠映像」という「物理的に確かなもの」を欲していたに過ぎないのかも知れません。 

 恐怖で、ぽっかりと開いた心の穴に、「ほら、ちゃんと物理的証拠がある」という「確かな現実」を埋め込んで、この奇妙な現実のバランスを保とうとしていたのでしょう。

 「恐怖」という不安な状況から少しでも抜け出すため、私は、モデムにも工夫を仕掛けました。

 モデムの奥にあるコードが、よく引き抜かれて、昨夜は、コンセントの左側に置かれてありました。

 そこで、「左側から『誰か』が手を出さないように」、パソコンデスクの左側に、ピタリとくっつけるようにして、ポリ袋で内側を覆ったゴミ箱を置きました。

 また、モデムの右側には、絵ハガキなどを入れていた金属の箱から蓋だけを外し、蓋の内側を上にして、床に置きました。

 この状態を、デジカメで撮影しておきました。

 もし、「誰か」がコードを抜き取り、右側に置いた場合、コードは金属板の上に置かれるだろう、と思ったからです。

 これらの「対策」も、書斎のストーブと同じことで、結局、「異変の証拠確認」のために―「恐怖が溢れ出すのを堰き止める安全弁」を作るために行ったに過ぎなかったのです。 

 実に矛盾した心理ですが、「恐怖は恐怖の再確認」でもみ消そうとしていたのです。

 この心理をまるで読み取られたかのように、モデムの異変は、私の考えた通りに起きました。

 午前3時半、私はトイレに起きました。その時、モデムの灯りはいつものように光っていました。

 しかし、3分後、リビングに戻ると、モデムのコードは引き抜かれており、3時間ほど前に、机の下右側に置いた金属板の上に置かれてあったのです。

 「ほら、あなたの予想通り、今度は右側に置きましたよ」と言いたげに...... 

 「ああ、やっぱり......!」 

 こう思いましたが、「証拠を残さなきゃ」と、その金属板の映像をデジカメで撮影しました。

 「慣れた」とは自分で感じていても、やはり怖い。家族が一緒でも、怖いのです。その怖さのためなのか、私は20分ほどすると、またトイレに行きたくなりました。

 25日の晩からは、私は、母と息子と同室に寝るようにしていました。私の布団は、部屋の入口側でした。その右横に、母、その左横の壁際が息子の布団でした。

 デジカメは、私の枕元に、スイッチをオフにして置いていました。息子は、眠れないので、ややベランダの方に体を傾けて、ゲームをしていました。

 午前3時56分、私は部屋に戻り、床に就こうとしました。その時、デジカメを見て、ギョッとしました。

 つい数分前、オフにしていたデジカメに、何かが映っていたのです。しかも、画面にムービーを撮影する時のマークが表示されていたのです。 

 「ねえ、ユタカ、ムービー撮った?」

 「えっ?何も。僕、デジカメ触ってないよ」

 息子は、私の声で、夢中になっていたゲームを止めて、初めてこちらに身をよじったようでした。

 「ちょっと......何、これ?」

 その静止された映像は、汚れた板の床の隅と、床に続く壁に、何か粘土をぐしゃりと貼り付けたようなものでした。その粘土のようなものは、明らかに人面らしき顔を形成していました。

 右目は開き、左目は黒く潰れ、鼻筋の下の鼻の穴は広がり、分厚い唇がグニャリと左横にへし押されて曲がっていました。

 要するに、顔が押し潰されて、粘土のように圧縮された状態を、3秒間、撮影されてあったのです。(To be continued......)

2009年11月29日日曜日

第3章―ボルターガイストの出現―5―落ちた印鑑

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 山岸涼子さんの作品は、その繊細で精緻且つ透明な画風が素晴らしく、<アラベスク>や<妖精王>などのロシア・バレエやファンタジー作品に、それらの画風は見事に溶け込んでいました。

 しかしギリシャ神話などを題材にした作品が多くなると、その舞台が西洋であろうと日本であろうと、彼女の作風は徐々に変化し、人間の心理の暗闇へとそのテーマを鋭利なタッチで切り込ませていきました。

 巨匠の名にふさわしく、絵は枯れ、もはや「少女漫画」の域を越えていました。 私が畏れるようになった<人形>の本も、収録された3作ともが、「人間の恐怖の実質」とも言うべきものを、実に見事に描き切っていた傑作ばかりだったのです。

 深夜の奇妙な物音、1階の押し入れに入れたはずの人形が、知らぬ間に2階の箪笥の上に置かれている、勝手に人形が動き出す、独り帰宅した時、昨夜炊いた炊飯器がひっくり返って、御飯が床に散らばっているのを発見した時―そんな尋常ではない事柄に対する生々しい畏怖が描かれていました。

 また、別の短編『潮(しお)の声』もそうでした。 7年ほど前にある母親と娘が住んでいたが、謎の怪死を遂げた後、「幽霊が出る」と噂されるようになった、とある北陸の和風の邸宅が舞台。

 そこにテレビ取材班が、「霊能者」と称する人々3人と共に、「霊は本当に出現するのか?」との番組を撮るため、2泊3日の予定で屋敷に泊まり込みます。 

 一番若い「霊能者」、佐和はまだ17歳の美少女で、自分が「霊能者」とは思っていません。親の言いなりに、無理やり芸能界入りさせられただけ。 しかし、真実、彼女にのみ霊感があり、その屋敷に住む霊と波長が合ってしまい、佐和は命を落とす―という、これは悲劇で終わる話でした。

 その佐和が、「幽霊なんかみたくない。早く家に帰りたい。幽霊なんか...いるわけないわね」とビクビクしながら、一人和室にいる時、ついウトウトと昼寝をしてしまいます。

 目が覚めると、腕時計がない。「この鏡台に閉まったのかしら?」と引き出しを開けるのですが、その引出しの中身に、彼女はギョッとします。 引出しの中には、古い紙に包まれた粉薬が、ぎっしりと詰め込んであったのです。その粉薬は、一夜泊まり、朝、浴場のそばの洗面台の上に置いてあったものと同じでした。

 彼女は、「以前、住んでいた人が使っていたものに、なぜこう怖がったりするの?私、変なのかしら。それを言ったら、他の家具やら、すべて、昔、この家の住人が使ってたものばかりじゃない」―

 こう思って、落ち着こうとしますが、鏡台の引き出しの粉薬―「ただ、私、『あれ』が怖い―」と怖ろしげにその引出しを見つめます。

 また、佐和は庭を散歩していて、転んでしまい、服が汚れたので、浴室で服を洗おうとします。浴室に向かうと、既に誰かが使っているらしく、ザーザーと水の流れる音がする。

 そこに、彼女は異様な影を見つけます。 浴室のすりガラスの向こうに、まだ幼い7歳ほどの少女の影が見えるのに、その影はじーっとして動かない。

 「なぜ、こんなに水音がしているのに、この影は動かないの?」

 ぞっとした彼女は、部屋に戻りますが、スタッフが「地元の女の子が二人、撮影見学に来ている」と言っていたことを思い出し、「あれは一人の女の子が水を流しているのを、もう一人が見ていたのね」と解釈し、少しホッとします。

 その後、誰もいなくなった浴場に彼女は入り、汚れた服を洗おうと、たらいにお湯を入れますが、その時、異様なことに気が付きます。

 「待って!さっきまであんなに水音がしてたのに、なぜこの浴室のタイルがカラカラに乾いているの?」 そして、そう気付いた瞬間、彼女の背後で、誰かが浴室のドアを勢いよく「ガラッ!」と開ける音がします。佐和はおののいて、振り向くと、ドアは閉まったまま。

 「さっき、鍵を内側からかけたドアが、今外から開ける音がした......それなのに、なぜ閉まっているの?」

 -こうした、ごく日常的な、「古びた薬」や「水音」や「鍵を閉めたはずのドアが開く」といった事柄への、人間なら誰でも抱くであろう恐怖感が、読者の戦慄を呼び覚ますのです。

 「ホラー作品」というのは、ゾンビや死体などを描くのではなく、こうした「日常的な小物」により真の恐怖を演出できるのです。こうした視点で描かれた山岸さんの作品集は、本当にリアルな恐怖を詰め込んだ逸品でした。

 この本を読んだ2007年、この山岸さんの作品の主人公と同じような恐怖を、今度は私たちが味わう羽目になるとは、夢にも思いませんでした。この短編集を「怖い」とは思っても、「よくここまでリアルに恐怖を描けるなあ」と感心さえしていたのです。 

 表紙は怖くてたまらないのですが、作品はつい読みたくなる、そのため、捨てるまでには至らなかったのですが、もう「もったいない」などと言っている場合ではない―

 そこまで、気持ちは切羽詰まったものとなっていました。 

 ぞーっと鳥肌を立てながら、その本を書棚から取り出すと、急いで「EMI MUSIC」のパンフレットの袋に入れて、セロテープを縦、横、上下とその袋に張り巡らしました。 その作業をしている間も、何かに追いかけられているような、妙な焦燥感がありました。

 袋に仕舞い込んだ本は、リビングのテーブルの脚に立てかけて、次の作業の用意を準備していましたが、その間に、「本がまた独りでに、勝手にポーンと放り投げられるのではないか」という怖さに追いかけられていたのです。

 その本が「じっとしている」のを、ちらちらと確かめつつ、今度は、コープの黒い袋を開け、EMI MUSIC の袋に入った本をその中に入れると、セロテープを思い切り長く引き出して、黒い袋の上下、縦横、斜め、とグルグルに巻き付けてしまいました。

 これが午後の3時40分でした。

 遅い昼食をそれからとった後、再び書斎に行き、本を抜き取った後にできた隙間をなくそうと、左側から辞典などを右に押し寄せ、その間にメモ帳2冊を入れました。

 これで、奥の方の、「例の本」のあった箇所は、全部隙間なく収まりました。 なぜそこまでしたのか、というと、「あの本がこの書棚に、もしかしたら戻ってくるのではないか。書棚にもし戻っていたら、それこそ怖くてたまらない」と感じていたからでした。

 その恐怖感を自分の中で、鎮めるためだったのです。

 現在、ほぼ普通の日常に戻っている私は、その時の極端な「恐れ」の気持ちを、「普通、本が動いたら、戻ってきたら怖い、だなんて考える方がどうかしてる」と思う、一般の人々の感覚を理解できます。

 実に馬鹿げた行動だったかもしれない。でも、当時の私は、そうでもしないと、「毎晩の怪異」から逃れられない―

 泣きたいほどの恐怖に怯えて、走って逃げている心境だったのです。

 いよいよ、出かける用意も済み、バスに乗って駅前の心療内科に出かけるため、保険証のある書斎に、4時50分、再び足を踏み入れた時でした。

 書棚の横の、幅30㎝ほどの小引出し棚のすぐ下に、家の実印が落ちていました。

 その印鑑は、普段は1番上の引き出しに、黒い革袋に入れた状態なのを、さらに固めの革製の小物入れに入れて、ボタンをパチンと留めて、大切にしまっているものでした。

 家の大事な印鑑ですから、銀行の通帳を新たに作ったり、生命保険などに加入など、よほどのことがない限り、その引出しからわざわざ取り出すことはないのです。

 それなのに、その印鑑が、黒い革袋から取り出され、裸の状態で、戸棚のすぐ足元に落ちていたのです。

 こんなに大事な印鑑を、もしカーペットの上に落としたら、誰だって拾うはずです。母にこのことを話すと、印鑑を床に放っておくはずがない、と言いました。

 「ここのところはね、ずっといろいろ不思議なことばかりでしょう。実印を必要とするような書類手続きなんか、何もしていないんだからね。印鑑を引出しから出したことなんて、ないのよ」

 私も母も、再び奇妙な現象に心がざわつくのを感じました。

 これも、夜中に灯りをつけたり、モデムのコードを抜いたり、ドアを内側から音もなく開けた、正体不明の「モノ」の仕業なのだろうか―

 その印鑑は、たちまち「気色悪い」物に変わりましたが、大事であることに変わりはありません。私は仕方なくそれを拾い、元通り、黒い革袋に入れ、更に固めの革製小物入れに入れると、引き出しに直しておきました。

 そして、私はバスに乗り、駅前に行きました。バスから降りると、小脇にしっかり抱え込んだ「例の本」を、思い切って駅のダストボックスに放り込みました。

 大事にしていた本を捨てるなどということは、生まれて初めてのことでした。

 しかし、その本は、私にとって、もはや「一冊の本」ではなく、「もしかしたら家に舞い戻ってくるモンスターかもしれない、得体の知れない化け物」と化していたのです。

 実際、病院での用事を終え、マンションに戻った時、「郵便ポストにあの本を入れた袋が投げ込まれていたら、どうしよう」とさえ思ったほどです。

 ところが、5月24日以降、次々とひっきりなしに起きた更なる異変の記録を読むと、「例の本」の怪奇は、「目に見えぬモノ」が引き起こした一例に過ぎなかったことが判明したのでした。(To be continued......)

2009年11月15日日曜日

第3章―ポルターガイストの出現―4―独りでに開くドア

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 5月22日に、一旦父は大阪に帰りました。

 夜中に、「テーブルの上にきちんと置いていたペンが、勝手に床に、しかも離れた場所に転がった」という話については、父は「落ちやすい場所に置くから落ちるんだ」と言っていました。

 この時点では父は、玄関灯りがついたりするのは「第三者の仕業」であり、物が独りでに転がるのは「私たちのだらしなさ」といった、「現実的で合理的な」認識があったのです。

 「チューブ薬が別の所に落ちていた」との件については、「うっかり自分が落としたままだったのかも知れない」と言うのですが、よほどだらしない家庭でない限り、普通は床の上に、ごみではなく、はっきりと目立つペンや薬が落ちていたら、拾うはずなのです。

 私が第一、床の上に落ちている物は放っておけない性質で、元の場所に置くか戻すかするタイプです。

 しかし、この5月下旬の時点においては、6日間、「通常でない状態を家の中で経験した」私や母、息子と、「家で変な事が起こる」との報告で、2泊しただけの父とでは、その現象に対する感じ方にずれがあって当然だったと思います。

 既に恐怖感が募っていた私は、「怪奇現象が現実に起きつつある」との感覚があったのですが、いきなりそういう話を聞かされても、「確かに変だが、きっと侵入者が悪戯しているのだ」と考えるのが、ごく普通の反応なのです。

 事実、私も、自分がじかに経験するまでは、「怪奇現象なんて有り得ない」と思っていたのですから。

 「とにかく、いろいろ予定があるから、また1週間後位に来る」と言って、父は帰りました。

 母は、「怪奇現象なのか、第三者の侵入なのか、分からないけれど」と心配しながら、とりあえず、家の鍵、合鍵、通帳、印鑑、現金の入った封筒などの貴重品は、まとめて一つのケースに入れ、子供部屋の箪笥の上に置きました。

 玄関脇の書斎などに今まで置いていたのですが、「侵入者」との言葉さえ、怖いぐらいだったので、うっかりその部屋に貴重品は置けない、と私と話し合った結果でした。

 その後、確か父のアドバイスで、その日の午後は、母が管理事務所に「勝手に夜中に灯りがついたり、ブレーカーが落ちたり、モデムのコードが引き抜かれたりする」ことを、相談しにいったと覚えています。

 管理人さんは、我が家の玄関先に来てくれて、「他人の侵入も、それは考えられますよね。侵入した痕跡がなくてもね。今の鍵はピッキング防止のを一つ付けてはるでしょ。最近、車上荒らしも増えてますんで、鍵を安心のために2重にしはったらいいですよ」と提案してくれました。

 そして、少し笑って、「でも家の中のそういうことって、案外ね、子供さんの悪戯ってこともあるんと違いますか」と言いました。

 母は、「いえね、うちの孫はいつも自分の部屋にいますし、娘も、子供が何もしていない時に変なことが起きていることは確認しているんですよ」と答えました。

 そういう会話を聞いて、ユタカは嫌な顔をして溜息をつきました。

 「あ~あ、こういう時って、子供って不利だよね。何でも子供のせいにされちゃう」 

 「気にしなくっていいよ。事情が分からない他人は、そう思う事が多いから」 

 私は、「大人は、子供が大人同士の話は聞いていない、分からないと思う傾向があるものだ」とこの時、改めて実感しました。

 「ブレーカーだって、届かないでしょう」

 「そうだよ。ほら、ほらね、届かない」

 息子は、洗濯機に体をつけて、その上にあるブレーカー板に指を精一杯伸ばしましたが、まったく触れることもできませんでした。当時13歳の彼は、164.5cm の私よりも5cm ほど低く、天井にも手がつかなかったのです。 

 母は、早速、紹介してもらった業者の人に頼み、その日のうちに玄関ドアを2重にしてもらいました。

 また夜中が訪れ、午前0:30頃、私はいつものように玄関の鍵と施錠、各部屋の窓の鍵を確かめ、浴室、トイレ、書斎のドアをきちんと閉めました。

 その10分後、息子が口を洗いに洗面所に行きました。歯を磨いている音が10秒もしないうちに、彼が「うわぁ!」と言って、リビングに逃げ込んで来ました。

 「また、どうしたの?」

 「ちょっと、お母さんの書斎のドア見て!」

 私が息子と見に行くと、さっき私がきっちり閉めたはずの書斎のドアが、最大限に開かれていました。

 「なんでドアが開いてるの?ユタカ、開けた?」

 「僕、ドアなんかに触ってない。ただ、洗面所に来て、歯を磨いてただけだよ。こうやって、鏡眺めながら。鏡には、お母さんの部屋のドアが映るでしょ、そのドアを見てたら、急に音もなく、ドアがすーっと開いたんだ―ねえ、怖いったら」 

 確かに、息子が洗面所に上がる足音は、スリッパではっきりと聞いていました。

 もし、彼が悪戯でドアを開けたのだとしたら、書斎に向かうスリッパの足音と、ドアを開ける「カチャ」という音が、私には分かるはずです。

 ただのマンションの3LDK、リビングと洗面所の距離は大したものではありません。また、息子が洗面所に上がり、歯ブラシを取り出し、歯磨きをし始めた音も、「ああ、今歯磨きね」と私はいつものように聞いていました。

 その途端、息子が驚いた声を上げて、リビングへと逃げて来たわけなので、ドアをクローゼットのある部分まで、きっかり90度も開ける暇もなかったことが分かります。

 灯りの消えた室内は、誰もいない。

 不気味に静まり返った室内で、ただドアだけが「内側に誰かがいるように」独りでに開いた。

 私は新たな現象に、心が凍りついたようになりました。

 誰が開けたのか、まったく分からないながら、いつも使っていた自分の書斎のドアノブに触ることも、気味が悪くてたまりませんが、開いたままなのも嫌なので、仕方なく元通りにきちんと閉め直しました。

 「ねえ、あの本のせいかなあ」ユタカが言いました。

 「え?ああ、『人形』の本?」

 「うん、あの本、今、お母さんの書斎の本棚にあるでしょ。あれを、『何か』が探しに来たんじゃないのかなあ......この間も、誰もいない書斎を、歩きまわる足音とか、探し物をしてるようなガサガサした音を聞いたもの」

 そう言えば、昨年、あの本を買って、夏に3回も本が勝手に飛び出し、今年の3月にはリビングのテレビボードの本棚からもいつの間にか抜き取られ、ピアノの隅の床に落ちていた―

 それでも捨てる決意がつかず、最終的に書斎の本棚に移し、奥に押し込んだままだった、と思い出しました。

 私は、「次々と不思議なことがあるのは、あの本を買ってから、だからかも知れない」―

 そう思い、ついに捨てる決心をしたのです。

 2008年5月23日、午後に、心療内科に行くついでに、駅の雑誌・新聞用ダストボックスに捨ててしまおう。そう決めて、寝床にやっと入りました。

 日頃の睡眠不足で、目が覚めたのは、もう正午を過ぎていました。

 私は、母に「今日、心療内科行って、あの子の吐き気止めと食後の胃腸薬と安定剤、もらってくる。ついでに、あの本、駅で捨ててくるわ」と言いました。

 こうは言っても、この1週間の「怪奇現象」の原因ではないか、と推定したその本に、再び触れるには勇気が要りました。

 午後2時50分、意を決して自分の書斎に入った時です。

 すぐにいつもと違った状況に気が付きました。

 私の机の木製の椅子が、カーペットの上に、背もたれを下に、倒れていたのです。

 変だと思い、椅子を元通りに起こしても、今度は机の下の左側に置いた袋に、椅子の足がぶつかり、きちんと椅子が置けません。

 袋をのけて、椅子を元通りに立てると、椅子の背が、机の手前にピッタリとくっつくのです。

 普段、私は、椅子を机の手前にくっつくほど、ギリギリまで押し込んだりはしないのです。

 私は、「まるで、誰かが、椅子を押し込んだあと、わざと背もたれを下に倒したみたいだ」と思いました。

 「みたい」ではなく、確かに「何者か」が、そうしたに違いないのです。それも、夜中にドアを内側から開けた、実態のない「モノ」が―

 異様な事柄が次々と発生して1週間、私は正気かつ本気で、「実態のないモノ」がそうした物理的に不可能なことをやっている、と確信するようになっていました。

 そのように確信且つ感じることの方が、すべての場合、「ごく自然」であったのです。

 この椅子についても、試しに、袋を元の位置に戻し、私がいつもしている椅子の置き方、つまり机の手前から20㎝ ほど離れた位置に置いて、椅子を背もたれを下に倒してみました。

 すると、椅子は、背後の書棚の前に置いてあった、カバーをかけた電気ストーブに背もたれがぶつかり、完全に倒れませんでした。

 このことだけでも、ぞっとするのです。

 普段、この部屋に出入りするのは、私と母だけであって、しかも母は、その日の午後まで、私の書斎に入っていないと言いました。

 昼夜逆転している息子は、夜中の異変のために、私の書斎を怖がり、入ろうとしません。明け方の4時にやっと寝て、この日も午後の3時に起きてきました。 

 「もし椅子が倒れていたら、普通誰だって、元通りにするでしょう。椅子だけ倒れているなんて、絶対変よ」

 母もこの椅子の話に驚いて、そう言いました。

 私は、自分の書斎ではなくなってしまった、異様な場所になってしまった―そういう不気味さを感じながら、例の本を書棚から抜き出したのでした。(To be continued......)