2010年4月10日土曜日

第4章―現象の乱舞―1―最後の前兆:part2―餅を貫通する黒髪

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 今現在は2010年となって1カ月が経ちました。そこで、私が「昨年」と書いていた2008年は、もう一昨年ということになります。

 もう2年も前のことになってしまったのですが、今年になってもなお、毎日のように不可思議な現象が起こります。そして、それらを私は、やはり「今日は、こんなことが起きた」と日記帳に書き留めています。

 そんなことをしても何にもならない、と知りつつも書くのは、2年前の体験がそうさせるのか、私の中では一つの習性のようになってしまいました。

 大晦日から、ほぼ毎日のように異変があることを、その日記帳を読むと改めて実感し、「なぜこうなるのだろう」と嫌な気持ちになります。

 それらは、一見、ほんの些細な出来事のように思われます。

 「2009年last: 12月31日(木)PM 3:45 お昼寝の後、起きて一人でお雑煮を食べていたら、CD ラジカセのビニール袋がガサッと音を立てた。よく見たら、CD を入れる蓋がひとりでに開いていた。(この蓋は指で隅を押さないと開かない。)嫌なので、TAPE とCD の蓋をセロテープで止めておいた。」

 そして年の変わり目となった2010年元旦の午前0時過ぎには、「今年は異変が起こりませんように」とテレビボードの上に飾った鏡餅に向かって、手を合わせたのです。

 けれども、お祈りをしても無駄でした。

 私は元旦早々、こんなことを日記に書き記しました。

 「2010年1月1日:PM 1:50頃 朝10:50~昼寝。ガスト(お弁当宅配)の人が来て目覚めて、お弁当をテーブルに運んだ。そしたら、昨日昼間、ひとりでに開いたCD ラジカセのTAPEを入れる蓋が、今度は、セロテープで止めておいたのに、(ビニールの上から)開いていた。」

 このラジカセには、埃がかからないよう、上からビニールを被せていました。そのビニールは、2009年9月末に壊れたパソコンを買い換えた際に機器の一部を梱包していたもので、サイズがラジカセを覆うのに適していたのです。

 CDとTAPEの蓋は、人が指でその隅を押さない限り、決して勝手に上に開けられることは不可能なのです。

 私は、2008年当時のような、「家族以外の誰かが、この家にいる」といった不気味な気配を感じました。

 この、大晦日と元日の出来事だけでも、私を震え上がらせるのに充分でした。

 なぜなら、「禍々しい事件の続いた2008年」は、もう2年も前、私の中では「過ぎ去った過去」になっていたからです。

 「こういうことは、新しく年が改まったからといって、終わることではないのだ」と思い、ゾクッとしました。

 1月2日、母が朝遅く起き、午前11時頃、お雑煮を作りました。私と息子はまだ寝ていましたから、母は食事の前に、まだ出していなかった年賀状を投函しに、マンション前の郵便ポストへと一旦出かけました。

 そして帰宅し、先に一人で朝食をと思い、お椀についだお雑煮を食べようとした時です。

 お餅に、黒く真っ直ぐな、こしのある15cm ほどの頭髪が刺さっていた、と言うのです。「刺さっていた」というより、お餅を、髪の毛が「貫通していた」という状態だったのです。

 この話も、私を驚かせました。

 母の髪はパーマをかけて、短く段カットしたもので、髪質も、茶色がかり、こしがない細い髪です。私の髪も、さまざまなストレスから、細くこしがなく、背中まで伸ばしたものです。

 息子の髪も、学校に行けなくなってから、時折フリースクールに行ってはいますが、あまり日を浴びないので、細くなっています。

 だから、「お餅を貫通していた」髪は、私達家族のものではないのです。

 何より、一つ一つパック包装されたお餅を、煮込んだだけなのに、そのお餅に、どうして髪の毛が「貫通する」などということがあるでしょうか。

 「髪の毛がお餅に落ちてくっついていた、というのなら分かるけれど、髪の質がうちの誰のものでもないし、大体、髪の毛がお餅を貫くなんて......」

 私はその場にいなかったのですが、母の話は本当であると確信しました。なぜなら、似たような異変が、2008年の夏、起きたからです。

 あれは2008年の7月頃でした。はっきり、「超常現象が起きている」と自覚し、怯えながら暮らしていた頃でした。

 息子が、母の作ったラーメンを食べようとしている時、急に「何これ?なんで?」と言ったのです。

 「ラーメンがどうしたの?」

 「ちょっと...!ラーメンの中に、ほら、髪の毛が貫通しているんだってば!気色悪い......!」

 息子は私にその麺をお箸でつまみ、ほら、とテーブルの上に置いて見せました。明らかに、細いラーメンの麺を貫いている髪の毛がありました。

 恐る恐る引き抜いてみると、それは茶色がかった、ウェーブのかかった髪でした。私の髪はパーマをかけていません。母の髪は、ラーメンを貫くほど長くないのです。

 「食材にいつの間にか、他人の髪の毛が混じる」などということは、通常ではあり得ないことです。しかし、そうした経験をした私には、今年1月2日の出来事が、奇妙ですが、ごく「当然」のように信じられるのです。

 このような怪奇な事象は、超常現象が激化してから起きたことでした。一方で、ラジカセの蓋が勝手に開く、などは、2008年の5月下旬に起きた「現象の前触れ」にも似た、ごく小さな異変に似通っています。

 「お餅の髪の毛」にせよ、「ラジカセの蓋」にせよ、その規模の大小に関わらず、こうしたことが起きること自体が、全く不可思議且つ怖ろしい現象なのですが、それらが起きた時、一時どきりと感じても、日記帳に書き留めて、暮らしていける―

 これも、やはり暗闇に目が慣れるのと同じ原理で、異様な出来事に対して恐怖心が麻痺してしまった、ということなのかもしれません。

 しかし、今の私が、いきなり2008年の6月から9月にタイムスリップしたとしたら、「どうしてこんな怖い目に遭わなければいけないのか」と、再び運命を呪うことになるでしょう。

 その信じがたい運命の扉は、5月31日から急速に大きく開かれ、私達家族は、超常現象の渦にあれよあれよと巻き込まれていったのです。

 その最後の前兆ともいうべき時期は、5月28日から30日であった、と言えるでしょう。

 2008年5月28日、再び、父が大阪から私の家に泊まりに来てくれました。この日から29日までの異変の記録は、次のように残されていました。

 「28日:AM 0:35 (玄関施錠・洗面所、風呂場、トイレ・書斎全部ドア閉め消灯OK, ガス元栓OK, ブレーカー上向き確認OK, ベランダ施錠)すべてOK

 → AM 2:05, (母と息子と私が寝ている)ユタカの室内の床を、人差指でトントン叩く音がする(もうユタカは眠っている)→ AM 2:10~また、(誰もいない)隣室の壁か?または下?天井辺りを叩く音が始まる。」

 「29日:(寝る前にはリビングのドアを閉めていつも通り、施錠&消灯OK)→ AM 3:15~20, 左の(無人の)隣室の壁を叩くような音で目が覚める。玄関の灯りはついており、リビングのドアは開けっぱなしになっていた。

 AM 1:45 に私トイレの際、リビングのスイッチ(一番下)をつけてトイレに行く→ その後寝室に戻る前、リビングのスイッチは消したが、なぜかスイッチは玄関の灯りがつく方向に変わっていた」

 この晩は、午前1:45 に私がトイレの後、リビングのインターホン左の一番下のスイッチを左側に押して、玄関の灯りを消したのです。そしていつもの習慣として、リビングのドアを閉めたのです。

 しかし、午前3:20 頃に、壁を叩く音で目覚めると、リビングのドアは大きく開かれ、玄関の灯りはついていた、ということです。しかも、リビングのスイッチは、玄関の灯りのつく右側が押された状態になっていた、ということなのです。

 この後、同様なブレーカーや灯りの異変が続くのですが、それも30日で大方収まってしまいました。否、収まった、というよりは、31日からは真の現象のエスカレーションがスタートした、と言うべきなのでしょう。(To be Continued......)

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