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お経を家中に貼った6月11日の翌日、12日には突飛な事は起きなかったものの、その日、やはり真夜中の午前2時半から10分間、再び壁の音が鳴りました。
12日の晩は、また父は衣装箪笥の部屋に一人で寝ており、私と息子と母は、隣の子供部屋に戻って休んでいました。
その真夜中の時間帯に、父の寝ている隣室から、「ドン、ドン、ドン......」と拳で叩くような鈍い音、「コン、コン、コン......」と指の関節で叩くような音がしたのです。しかし、今までのような激しさはなく、こちらの様子を窺っているような雰囲気でした。
私は急いで、『般若心経』のコピーを、ガムテープで息子の枕元の壁に貼りました。
息子は寝かかっていましたが、はっと目を覚まして、こう言いました。
「今、頭の中に、男の声で『やめろーっ......やめてくれーっ』て言うのが浮かんだんだけど......」
彼は、そう呟くと、コトンと寝てしまいました。その後、壁の怪音はふっと消えてしまいましたが、午前3時少し前、私は自分の背中に誰かの手が触れる感触にどきっとしました。
それから4時間半ほどした午前7時20分頃、何かが落ちる大きな音で、私は目が覚めました。
起き上がり、目をこすりながら部屋を見渡すと、夜中に貼ったお経が壁から剥がれて、ユタカの布団の右側に落ちていました。この時の音を、私は変だなと感じました。
お経は長いので、A4版3枚になっているのをホッチキスで止め、それをワンセットにしていました。
それが落ちただけだというのに、私の聞いた音は、当時のメモによると、「何だか、誰かがお経を剥がして、布団に音を立てるように強い力で、わざと落としたような大きな音」だったのです。
AM7:22、再度、お経をガムテープはそのままで、元の場所に貼り直しました。それから、そのお経は午後2時40分になっても、未だにしっかり壁から落ちずに貼られたままでした。このことも、私は不思議でした。
夜中の2時半、壁の音が煩わしいので、お経を貼ったわけですが、その際使ったガムテープは、新たに引っ張り出したものでした。それが約5時間後の朝7時半頃に「バサッ」と落ちたのです。
その時は、ガムテープの粘着力はその程度か、と思ったのですが、朝再び貼り直してから7時間以上経過し、テープの粘着力は落ちているはずなのに、剥がれないのが妙な気がしたのです。
「変じゃない?夜中に貼って5時間でお経が落ちてさ、そのまま貼り直して、今度は午後になってもずーっと落ちないなんて」
「さあ、偶然だろ。ガムテープの粘着力なんか気にしなくってもいいんじゃない」
息子は、私の疑問に、事も無げに笑っていましたが、私は、朝、貼ってからたった5時間後に「大きな音」と共にお経が落ちた、ということは、「何者か」の仕業のように思えてなりませんでした。
その日から14日の夜中に至るまで、私達は、ごく普通の日常を過ごすことができましたが、それもつかの間でした。
旅行に出かける前日、6月14日土曜日、AM1:20~30 頃のことでした。
ユタカは寝る前の安定剤で少し眠くなりかけていましたが、いきなり「あっ!今!」とギョッとしたように跳ね起きて、私を心配そうに見つめました。
「何?今って」
息子は、息を潜めてベランダの方を振り返り、私に急いでささやきました。
「ベランダに誰か近寄る気配がする......4人の人がベランダの外に浮いている」
「えっ......?浮いているの......?......誰が......?」
「30代の夫婦と、中学生の男の子、小さな女の子がうちを外から見てる......」
私は、その「人々」は、一体、何なのだろうと訳が分からず、得体の知れない「モノ」がまた近づく不気味さに、喉の奥がからからに乾いていました。すると、ユタカがこう言いました。
「『入れない、どうしよう』って女の子が......『困ったわね』って母親みたいな人が......『侵入不可能だな』って父親が......『ここはもともと私達の家よ』って女が......『仕方ない、他の家を探そう』『4LDK がいいわね』......って夫婦が言っているのが、頭に浮かんだ」
「『ここはもともと私達の家』って......じゃあ、もと住んでいた人たちが戻って来たの?」
「さあ......あっ、もう4人とも山の方へ去っていく気配がした」
この時、私は、父が「この辺りは『霊山』として知られているんだ。巡礼登山で結構有名だそうだ、古くから」と言っていたのを思い出しました。
たった今、5階の我が家の「ベランダの外に浮いていた人々」は、普段はそうした周囲の山々に「棲んでいる」のだろうか、とも思いましたが、「父親らしき男性」の「侵入不可能」との言葉は、「お経さえ無ければ入り込んでやるのに」といった意味に解釈できることに気づくと、「もはや幽体らしきものに包囲されているのか」との畏怖感が急に募りました。
それから1時間後のAM2:30、ユタカはまたウトウトしていましたが、その眠気を吹き払われたかのように、またハッと目を覚まし、いきなり「隣の家のベランダに4人の気配がする......!」と言いました。
「『さっきの家はどうするの?』って女の子が言ってる......『ここは侵入不可能』って男の子が言うのが頭に浮かんだ」
我が家の隣は、確かに4LDK で、お婆さんが一人暮らしをしていました。ユタカは続けて、気配を感じ取ったようでした。
「あの4人が、今、隣の4LDK のベランダからお婆さんちに入って行ったみたい―何か暴れる音がする。でも、あのお婆さん、耳が遠いから、分からないんだね、きっと」
このことを、朝、起きてから父に話すと、「この家、前住んでいたのは大村さん、という人だったんだろ」と不思議そうに私に尋ねました。
「うん。でもね、その大村さんは、女の子二人と夫婦で、今は3丁目の戸建てに、旦那さんのご両親と一緒に住んでるの。大村さんは、この家には8年住んだらしいよ。その前の人は、10年住んでいたらしいけれど......」
「その、大村さんの前の人は、どういう家族だったのかな。分からないだろうな、個人情報は。管理事務所はそういうこと、教えてくれんだろうな」
するとユタカがこんなことを言いました。
「きっと、大村さんの前に住んでた4人家族が、最近になって亡くなって、昔住んでたこの家に戻って来たんじゃないの?」
私は、多分、そうなのかも知れない、と感じました。もしそうなら、5月からもう1ヶ月近く続いている一連の怪異現象の原因は、その亡くなった人々が「この家に憑いている」ことになり、転居さえ叶えば、こうした奇妙な経験から逃れることができる―
しかし、本当にそうなのか、旅行に行かなければよく分からない。こうした事柄には不明な点があまりにも多過ぎる、と困惑していました。
それに、息子が「頭に浮かんだ4人の声」が、以前、この家に住んでいた人々の声なのかどうかも明確ではないのです。
ユタカが「他人の考えが勝手に頭に浮かぶように、聞こえる」と、6月になってよく言うようになったことに関しては、私は、特に「あの子の頭が変になったのだ」とは判断していませんでした。
実際、息子が「今、<止めろ>とか<今度は俺の番>って声が浮かんだ」と言った後、物が飛ぶのがピタリと止んだり、壁の音がひどくなったり、ということを身近で経験していたからでした。
いろいろと調べていると、Wikipedia に、「霊との会話」との項目で、次のように解説がなされていたのを読み、今更ながらに驚いたのは、ごく最近のことでした。
―霊は音(空気の振動)で会話するより、相手の脳に直接介入して話しかけることを好むとされ、主に霊との会話方法として使われる。
この説に従うと、当時のユタカの「頭の中に浮かんだ言葉」というのは、霊が彼の「脳に直接介入して話していた」ということになります。それでも、これもひとつの解釈であり、現実として受け止めるには、あまりにも信じ難い内容です。
現在でも、2年前に起きたことは「現実」だと認識してはいるのですが、それが「なぜ起きたのか」については、様々な説を読んでも、あっさりと受容できない訳なのです。
だから、2年前の6月当時、息子が「誰か知らない人が、窓の外に浮いている」と言っても、その言葉を「変なことを子供が言う」とは思わなかったものの、これだけ奇妙な現象を1ヶ月間体験して来たというのに、それらを「霊現象」と即断することは全く無かったのです。
翌日、旅行にでかける6月15日、日曜日の夜半のことでした。
AM2:00 頃、ユタカが、明日の旅行のお小遣いを財布に入れ、さあ寝よう、という時でした。
彼は、また「女の気配がする......!」とハッとした様子になりました。私は、急に家中に再び、張り詰めたような空気が漂うのを感じました。
「ねえ、ベランダから女が通気口を窺っている感じ......」
「えっ?何でまた......?」
私は緊張していました。ユタカは、その気配は一旦去って行った、と言いましたが、今度はまた「隣の4LDK のベランダ付近に浮遊している」と声を潜めました。
その時、風がざわざわと山の木立を揺らしていた中、突然、突風のような「ゴーッ」という激しい音が起こりました。
「ねえ!女がゴーッ!って隣の家を回って、お母さんの書斎の窓から侵入したよ......!あっ!今度は僕らの部屋に入って来た気配がする......!」
ユタカがそう言うやいなや、以前聞いたのと同じような、女性の細い呻き声が部屋のどこからか、聞こえてきました。
「ア~ァ......ウッ......ウ~ウゥッ......」
そして、再び壁の音が始まりました。それは6月9日の晩と同じ状況でした。
最初は「コンコンコン!」から「ゴンゴンゴン!」と叩く強さが徐々に増し、ついには天井付近から寝室入口へと、斜め下に音が絶え間なく移動し始め、やはり壁の中から爪で引っ掻くような激しい音へと変わりました。
「ガリガリガリッ!ガリガリガリーッ!」
「また......! ああ、どうしよう......!」
私は、その音に目を覚ました母のそばに顔を伏せ、耳を塞ぎました。
その怪音の最中、午前4時に至るまで、また物が飛び交う現象が突発的に始まったのです。
夏掛けの毛布やハンカチが、寝室にしている子供部屋の中を所狭しと飛び交い、息子の枕元のアイスバッグ、私の枕元の本、母のメガネケースがリビングへと怖ろしい勢いで飛ばされ、パソコンデスクの下へと「バーン!」と大きな音と共に叩きつけられました。
ティッシュボックスも寝室からリビングへと吹っ飛び、更には、廊下に近い壁際に置いていた重いセロテープ台がビュッと飛び出し、2m 先の床に「ガーン!」と凄まじい音を立てて落ちました。
日頃の睡眠不足で、午前1時にはいびきをかいていた父も、この騒ぎのために、既に起きていました。
「なぜまた物がこう飛ぶんだ?お経を貼っているのに、変だな」
「部屋の所々の通風口の隙間から、(物の化が)入って来るんじゃないの?」
ユタカの言葉に、「それなら、お経の縮小コピーを隙間無く貼ってしまおう」と、早速父と私は行動に移りました。
我が家の通風口は4か所あり、既にA4サイズのお経を貼っていましたが、更にそのそれぞれの隅を縮小コピーで囲むように貼り始めました。
すると、私達が朝には旅行に行くことが分かっていて、それを阻止するかのように、ペンや消しゴム、薬、歯ブラシなどの小物が一層激しく飛び交い始めました。
学習机の引き出しが急にバッと引き出され、中にあった、輪ゴムで止めた8本ほどの色鉛筆も、「ガシャーン!」とガラスが砕け散るような音と共に、リビングの床に投げつけられました。その衝撃のためか、輪ゴムがちぎれていました。
私は、壁の音に背筋が凍るほどの恐怖を覚えたものの、こうして物が飛び交うと、「お経さえ、もっと貼ればどうにかなる」との一念で、恐怖心が吹き飛ばされてしまったのか、必死でお経の縮小コピーを、家中の通風口を完全に封印するように貼り続けました。
不思議なことに、これらの作業が終わると、物が飛び交う現象も、壁の音も、何もかも静かになったのです。
2008年6月15日朝、午前10時半に息子を起こしました。私は何時に起きたか、覚えていませんが、明け方4時までお経を貼っていたので、やっとこさ10時に起きたのかも知れません。
朝食前、吐き気止めの薬をユタカに飲ませ、「11時には出るよ」と母から急かされると、息子は「急かされると吐き気がする」と訴えました。私は、「11時ぴったりじゃなくてもいいから、食べれるだけ食べたら、出かけようね」と焦らせないように気を遣いました。
11時10分に、やっと家族揃って、旅行へと出かけました。
家の鍵をかける時、私は「何事も起きていない、お経を貼り巡らした我が家」の中を眺め、「旅行から、ホッとして帰って来れますように」と願いました。ユタカは、気分が悪そうで、JR の中でも、昼食用のおにぎりも食べませんでした。
一応、食前の薬を午後12時半頃飲ませ、目的地の駅構内のコンビニでおにぎりを買いました。そして、駅前からY 町の旅館への送迎バスに乗り、1時半には旅館に着きました。この送迎バスの中では、ユタカは顔色良く、にこにこして、おしゃべりでした。
その旅館は清潔で、フロントは吹き抜けになっており、2階に続く階段の手前には華やかな造花が飾られていました。たくさんの旅行客がガヤガヤと集まっていました。
父は、友人と旅行の際に何回も利用した旅館だから、フロントマネージャーとも顔なじみだ、と話してくれました。
1ヶ月間、家の中で異様な体験に縮みあがっていた神経が、こういう賑やかな所に来ると、伸び伸びと開放されて行く安堵感を、私は覚えました。ユタカも、「こういう所、いいよね」と楽しそうでした。
父は、ツインルームを二つ予約していました。私とユタカ、隣室には両親が寝泊りすることになりました。
私は、ユタカと午後2時に、広々とした洋間に入りました。ルームキーもカード式で、随分山奥にあるのに、最新的な機能を備えた、素敵な部屋だと思いました。
白い天井も、ベッドの上は高く作られ、窓の外からは湖が臨めました。私は嬉しくなりました。
「いいねえ、この部屋。こーんな素敵なベッドでさ。こんな所で、もうあんな怖いこと、起こるわけないよね」
息子も嬉しそうに、「後で、湖の所、散歩しようよ」と言いながら、コンビニで買ったおにぎりをほおばりました。
その後、3時近くまで、普段着や身近な小物などを整理し、息子は帽子や着替えのTシャツなどを、窓際の机や、椅子の背にかけておきました。
いろいろ二人でおしゃべりしながら、駅で買ったペットボトルのジュースを半分ほど飲んだ後、ベッドサイドに、私のバッグやペットボトルなどを置きました。
あらかた物を片づけると、二人とも疲れが出てきました。夜、まともな時間に寝ていないので、久々の旅行にくたびれたのです。
「今、3時か。夕食は、6時って言ってたよね。ちょっと、ベッドで休もうか」
私はそう言って、旅館の部屋着に着替えると、ベッドにもぐりこみました。少し、15分ほどウトウトとした時でした。
いきなり、客室に若い女性の元気な声が響きました。
「すみませーん。お部屋のお掃除に来ましたー」
その声で、私と息子は起き上がりました。
「あれ?旅館の人が掃除に来たの?」
私は、ベッドの上から、右奥の部屋のドアへと首を伸ばしましたが、私と息子以外、部屋には誰もいません。
「今、声がしたよね?旅館の人、入って来なかったのかな」
ユタカと顔を見合わせていた、その時でした。
いきなり、ベッドサイドのペットボトルやバッグが「ポーン、ポーン」と部屋の中央へと独りでに投げ出され、また、窓際の椅子にかけていた息子のシャツや帽子、机の上の旅館案内などが私達の方へとビュッと飛んで来たのです。(To be continued……)
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