2009年12月29日火曜日

第4章―現象の乱舞―1―最後の前兆: part1

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 私は最近「世界の超常現象」というサイトを検索したのですが、その中に、米国のある少女が、同じ年頃の少女の亡霊と会話をした、という話が掲載されていました。

 その家で、昔、一人の少女が殺害された、ということが後に分かったとのことでした。

 詳しくは読んでいませんが、その亡霊が出現する前に、やはり我が家と同じように、リビングの灯りが突然ついたり、テレビがついたりなどの異変が起きた、ということです。

 昨年(2008年)当時、我が家に異変が起きている時、私は、こうした摩訶不思議な現象が、そんな冥界の者と関連がある、といったことは考えもしませんでした。

 考える、というより、そもそもそんな世界があることなど信じてもいなかったし、そうした物の仕業であるという印象さえ受けなかったのです。

 2008年5月25日の午前、母はデジカメの異様な映像や、リビングの整理棚の引き出しが勝手に開いた、などの連絡を父にしました。

 すると、父は、「ノートに表を作ったらいい。異変の起きた時刻や場所、それに備考欄も設けた表があった方が、書きやすいし、後で確認できるだろう」とアドバイスしてくれました。

 また、父は、「針金か紐で輪を作って、それにキーホルダーか、鈴とか、何か音が鳴るものをつけて、モデムやドアノブ等に固定するか、ぶら下げとけよ。何か起きて、音が鳴ったら分かるようにな」と発案してくれました。

 その時は、いいアイデアだと思いました。

 しかし、例え「異変が起きて、鈴などの音が鳴った」としても、正体不明のモノが悪戯めいたことをしているのなら、それこそ雲を掴むようなもので、どうしようもありません。

 それでも、父がそういうことを言い出した、ということは、父も、やはり「何だか訳が分からんが、不安な状態を放置しておくよりいいだろう」と感ずるようになっていたのかもしれません。

 翌日、26日には、夜中はどんなことがあったのか、記録にはありません。ただ、息子が、安定剤が効いたのか、午前1時にはあっさり眠ってしまい、朝の7時に起床、ということでした。

 昼夜逆転が続いていたのに、この日は珍しいことでした。彼は、朝食は7時半から8時にとりました。

 ただ、私は午前3時から6時半まで起きていたため、睡眠不足で、朝食後、いつもの寝室にしてある子供部屋で、また10時から12時まで寝ました。

 それから起きて、その部屋の箪笥の上に置いてあるボールペンを取りに行こうとした時でした。

 入口近くに敷いている、私の布団の枕元に、Harry Potter の絵葉書が置いてあったのです。

 それは、有名なダニエル・ラドクリフやエマ・ワトソン、ルパート・グリント、世界的に有名な仲良しの3人組が一緒に笑って写っている、まだ12歳の頃の写真を絵葉書にしたものでした。

 「ねえ、この絵葉書、枕元に置いたの?」

 私は子供に尋ねましたが、彼は、ずっとDS をやっていて、葉書などに触ってもいない、との返事でした。

 その絵葉書きは、私の布団の横から少し離れた、子供の勉強机の文庫本の上に2枚、重ねておいてあったうちの1枚でした。多分、映画を観にいった時、土産物コーナーで買ったのだと思います。

 その絵葉書が、なぜ私の枕元にわざわざ置いてあるのでしょうか。

 窓も開けていないし、葉書など、誰かが触らない限り、勝手に動いたりしないはずなのです。

 この晩だったと思いますが、私はモデムに更に工夫を凝らしました。モデムの右側に、古くなって壊れた灰色のワープロを置いたのです。

 その両者は、もちろん、コンセントの手前を覆うように置きました。そして、モデムとワープロをガムテープでしっかり縛りつけ、更にモデムにも、床からモデム本体にガムテープを止め、ワープロにも同様のことをしました。

 これで、「引き抜かれるモデムのコンセント」に「誰も触れない」ように仕掛けをしたつもりでした。

 しかし、こんなに厳重にワープロを床に、ガムテープで止めていたというのに、家族が見ていない時、そのガムテープは、ものの見事に外され、そばの屑かごに綺麗に捨てられ、そして、ワープロは、私の元の書斎に運ばれていたのです。

 そんなことが起きたのは、6月になってからだった、と記憶しています。

 一体誰が、葉書を枕元に置き、重いワープロをリビングから書斎に運んだのか―

 5月27日から31日にかけて、更に、少しずつ、「現象」は、頻繁に起こるようになり、そして、不吉な6月の日々が始まったのでした。(To be continued......)
 

2009年12月9日水曜日

第3章―ポルターガイストの出現―6―謎のムービー(飛び出す引出し):part2

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 そのムービーに映された人面には、何らかのはっきりとした意志があるように思われました。開かれた右目には、ちゃんと白目と黒目の区別があり、その眼には、見る者に対する怨恨のような表情がこめられていたからです。

 ぐしゃりとへし潰され、左右へと広がった分厚い唇の左端からは、ヨダレのような液体が垂れていました。

 誰が、一体、何の目的でこんな粘土状の気色悪い顔を作り、それをわざわざ私のデジカメのムービーに3秒間だけ撮影したのか。

 私は母を起こして、このムービーのことをすぐさま言いました。母は、その画面を見て、気持ちが悪いと顔をしかめました。私たち3人は、そのムービーを何回か再生しました。

 最初、私は、撮影されている床は、自分の家の床だと思っていました。その粘土状の顔が貼りついている壁も、てっきり我が家のどこかの壁と思っていたのです。

 ですが、壁の様子からみると、どうも茶色の板でできている様子なので、これは我が家のどこかではない、と分かりました。

 そのうち、ユタカが気がつきました。

 「あっ!この床板、うちのじゃない。よく見て!一枚の床板の幅や模様が全然違うじゃない。どこかよその家の床だよ。どこかの家で撮影したんだよ!」

 息子にそう指摘されて、私たちは、再度、用心深く、ムービーを再生しました。

 まず、どこかの家の床が映りますが、その床は明らかに我が家のフローリングとは異なり、どこかの民家の古い床だと分かりました。

 床板の幅は我が家のものより広く、色はすすけた濃い茶色、そして我が家のフローリングの床のような木目調のデザインは何もないのです。

 そして、壁へと連なる隅は、黒っぽい、ひどい汚れが付着していました。

 「うちの床はいつもピカピカじゃないけどさ、こーんなに汚れた所は、ないでしょ?これ、よその家だよね」

 私がこう言うと、息子も同意しました。

 「うん。これ、うちのじゃないよ。全然違う」

 次にカメラは、壁の謎めいた粘土状の人面をとらえていました。息子は、最後がまた変だ、と言いました。

 「ね、よく見ててよ。最後、ムービーが止まる瞬間、人の指が右上にさっと映るから。ほらっ!この黒い影、ね?分かるでしょ?これを撮影した人が、ムービー止めようと、ストップのボタンを押す時、その指が映ってしまったみたいじゃん」

 私は、2度ほど再生し、床が我が家とは違うこと、そして誰かの指の黒い影が画面右上にサッと映るのを確認しました。

 たった3秒の間に、これだけの奇妙な場面が撮影されていたのです。

 デジカメは、オフにして私の枕元にあったというのに、私がその場を離れた数分間で、息子や母が、夜中の4時近く、別の家で奇妙な映像を撮影できるはずがありません。

 カメラの視点は、まず薄汚れた床から始まりますが、その床も、暗闇の薄明りの中で撮られていました。

 そして、3秒というほんの短い時間の中で、一番の撮影の焦点は、1.5秒ほど映っている、壁に貼り付けられた粘土状の人面であることは明らかでした。最後にその撮影をストップしようと、「誰か」の指が(多分、人差し指が)右上にかざすように映っていた―

 その指は、デジカメの裏面のカメラレンズに触れたから、映ったのです。

 しかし、家族の誰も、こんな「我が家以外の場所」で「夜中に粘土状の人面を撮影する」ことは不可能です。そうなると、私のデジカメを使い、奇妙な異様な映像を撮影した「誰か」は、「人間」ではないことになります。

 私は、枕元にデジカメを置くことが怖くなり、それからは、息子の箪笥の小引出しの中に、「ここにデジカメがあることが分からないように」、ハンカチにくるんで入れることにしました。

 現実にあり得ないことが起きると、いくら大事な物を引き出しなどの中に隠したって、デジカメを勝手に触った「モノ」は、私がデジカメを隠したことも、隠した場所も、きっとどこかから見ているに違いない―

 とにかく、自分の行動のみならず心理までも、「得体の知れないモノ」に常に見張られ、見破られている―

 こんな心境になってしまうのも、無理のないことかも知れません。

 この変な映像は、また父が泊まりに来てくれた時に見せようと、消さずにおきました。また、私は、万が一、父が来る前に、その映像が「勝手に消えてしまわないように」、その粘土の異様な形相を詳しくスケッチしておきました。

 そのスケッチは、今でも手元にあります。それでも、何回も見る気になれないほど、恐ろしい形相なので、メモを手にする時も寒気がするのです。この異様さからは、「怨念、怨恨、呪い、化物、悪霊」といった言葉以外、思い浮かびません。

 この怪奇なムービーが撮影されてからは、「何故だか分からないが、人間ではない、すなわち怨霊のようなモノが家の中に入り込んで来ている」と、私は漠然と感じるようになりました。

 しかし、確固とした確信には至っていなかったために、それを家族の誰にも言葉として表現しようとも思ってはいませんでした。

 もう午前4時半ほどになっていました。

 私は、眠れないまま、仕方なく、台所のテーブルに腰掛け、5月25日の夜中に起きた事柄を、まとめてメモに書き出しました。母が、朝、父に報告する際に、「メモにしてくれたら、分かりやすく話せるから」と私に頼んだためでした。

 私は、「就寝前の午前1時11分から41分にかけて、通常の状況を11枚、デジカメで撮影。モデムの右に金属板を置いたが、コードは3時半頃、引き抜かれて、金属板の上に置かれる。その証拠写真を撮影。それから午前3時56分、枕元に置いていたデジカメに変な映像が撮影されていた」などなど、ほんの3時間~4時間の間に起きた事柄を、整理して書いていました。

 このメモを書き終わった後、お腹が空いてきました。もう午前5時40分でした。何か少し食べようと、冷蔵庫からベーコンを取り出しました。そして、おはしを取ろうと、食器戸棚を振り向いた時でした。

 いつの間にか、電子レンジ左横にある、3段の半透明な整理ケースの真ん中の引き出しが、手前いっぱいに引き出された状態になっていたのです。

 この引出しは、爪切りや安定剤などの、ちょっとした薬を入れる小物入れとして使っているものです。私は、寝る前には、この整理ケースの引き出しがきちんと閉まっている状態を、デジカメで撮影していました。

 私がメモを書こうと、台所に来た時、整理ケースは異常ありませんでした。誰も、引出しを思い切り手前に引き出したまま、放っておいたりはしていないのです。

 だから、私がメモを書いている、午前4時半から5時40分の間に、また「誰か」が、私のすぐ背後で、整理ケースを、今にも外れそうなほど、ギリギリに手前に引き出していたのです。

 もう「玄関の灯りが勝手につく」といった異変が始まって、10日目でした。
 5月19日頃、つまり異変が始まってまだ3日目の時点で、「この現象は続くだろう」と妙な予感がした通り、その現象は留まることなく、いよいよ頻繁になっていき、ついには私の背後に迫って来たのだ―

 私は整理ケースを背に、テーブルに座ることが怖くなり、いっぱいに引き出された引出しを、離れた所から、まるで物の怪を見るかのように、恐る恐る見つめていました。(To be continued......)

2009年12月8日火曜日

第3章―ポルターガイストの出現―6―謎のムービー:part1

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 5月23日に、駅改札口前のダストボックスに、『人形』の本を捨てた後は、ちょっとした安堵感がありました。

 「これで1週間続いた変なことも無くなるだろう」

 そう考えたのですが、「またあの本が我が家の書棚に戻ってくるのでは」との不安も時折あり、ヒヤヒヤしながら書棚を覗き込んだり、1階の集合ポストの郵便物を手にしたりしていました。

 そして、「本を捨てたから、もう不気味な現象は起こらない」というのは、全く甘い考えだった、と後になって考えるようになりました。

 この日の晩頃から、玄関の灯りは、リビングのインターフォン左横のスイッチで操作できることが分かりました。

 玄関扉横の灯りのスイッチは、従来とは逆に右側を押しておきます。すると玄関は灯りは消えた状態ですが、リビングのインターフォン横の縦に3つ並んだスイッチの一番下を右に押すと、玄関は灯りがつく状態になるのです。

 これで、薄気味悪い玄関が暗いまま、洗面所に行かずに、リビングのスイッチを右に押してから、明るい玄関の方へと夜中でも行けるようになりました。この習慣は今でも続いています。

 また、この晩から、私は、異変が後で起きても確認できるように、「就寝前の状態」をデジカメで撮影するようになりました。

 異変が起きたからと言っても、これといって証明できるような、当てになる人物や研究機関と繋がりがあるわけでもありません。

 ただ、「就寝前はこうだったのに、このように、いつの間にか異変が起きていた」ということを、目で確かめる材料が欲しかったのです。

 これは不思議な心理です。なぜ「怖い異変」が起きた証拠を撮影し、「通常の状態」と比較する必要があるのでしょう。

 自分でも、その心理状態は、現在ではよく分かりません。ですが、「不安の心理」は、「不安な状態」を、せめて「証拠写真」に残して、家族で確認し合うことにより、不安を解消しようとする傾向があるのだ、としか思えません。

 記録を見ると、こう私は書き残しています。

 「5月24日 AM 1:11~1:13 リビングの物の位置を念のため、デジカメで9枚撮る (ピアノの椅子も自然な位置で→ 椅子の背後にCD ラジカセ→ 椅子をピアノの奥にどんなに押し込んでも、もし椅子が倒れたらラジカセに当たる→ 床には背もたれがつかないことをチェック)」

 「モデム Check, 台所の蛍光灯、テーブル上のライトは保安灯にして、就寝モード!」

 この晩からだったのでしょう。リビングが暗いままなのが嫌なので、流しの蛍光灯を今でもつけたまま、就寝するようになりました。

 それから10分ほどした午前1時29分、息子が口を洗うために洗面所に向かうと、再び私の書斎で足音を聞いたと言いましたが、書斎には誰もいませんでした。

 ユタカは、前日は、夕食後と就寝前に、心療内科から出された安定剤を飲んで、午前1時半には眠気が来たのですが、「あの薬はきつすぎる」と言って、この日は就寝前だけに安定剤を飲みました。 

 すると、逆になかなか寝付かれず、午前3時過ぎまで眠れないとぼやいていました。 

 不登校になって以来、息子は、昼間も夜中も、子供部屋の壁にいつも寄り掛かって、DS をしており、外出は一切しない状態でした。彼の行動範囲は、リビングに食事に来るか、トイレのため洗面所に行くだけに限られていました。 

 彼は、この晩も、途中でDS は止めて、一旦床に入りましたが、「ああ、眠れない」と言って起き上がりました。

 午前2時10分頃、息子がトイレに入り、出た途端、「バチン!」と音がし、台所の蛍光灯が消えてしまいました。

 「あれ?台所の灯りが消えた」 

 息子が台所の蛍光灯を見て、私に報告しに来ました。私は変だなと思い、ブレーカーを確認しに洗面所に行きました。

 すると驚いたことに、左から2番目のブレーカーが下に向いた状態になっていたのです。さっき私が聞いた、「バチン!」という音は、このブレーカーが落ちた音だったのか、と気づきました。

 「またブレーカーが......前は下げていたのが勝手に上がって、今度は上げていたのが勝手に落ちたんだね......でもなんで?」 

 「僕が分かるわけないじゃん」 

 ブレーカーは、日が変わる前の23日午後11時50分頃に、玄関の灯りやすべての部屋の施錠と共に、上がっている状態であるのを確認し、メモに記録していたのです。

 「僕がトイレから出た途端に、バチン!って音がするからさ、びっくりした」

 こう異変が毎日起こると、段々と「現象」に慣れ、「また変な現象が起きた」とウンザリするようになりました。

 しかし、その「現象そのもの」は、普通ならあり得ない。だから「怪奇」なのだ―

 このように考えると、やはり怖いのです。

 翌日、25日の日曜日、私は、このような記録を残しています。

 「AM 0:05~0:14 LASTLY 私の書斎の窓閉める、椅子はいつもの位置(その後ろにストーブ)→ この部屋のドアの内側すぐ近くにストーブ置いて、light off」 

 この「ストーブ対策」は、「誰か」が椅子を倒したら、ストーブの位置も動くか倒れることを、後で確認するためでした。ドアも、きちんと閉めたのを、「誰か」が勝手に開けた場合、すぐ内側に置いたストーブも「ガタン!」と音を立てて倒れる―

 そのことを想定したからでした。

 しかし、今から考えると、実に滑稽な話です。 

 実際、「正体不明の誰か」が、椅子を倒そうと、ドアを開けようと、そしてその「異変」がストーブの位置の変化や倒れる音で確認できようと、何になると言うのでしょうか?

 「正体不明の誰か」は、決して見つからず、ストーブが位置が違った、倒れたからと言っても、警察は相手にしないでしょう。 

 もし指紋をとって照合したとしても、私と母と息子の指紋だけに決まっているのだし、第一、「指紋を照合する」ことまで、警察はしないのです。

 それが分かっていても、当時の私は、「訳も分からず椅子が倒れたり、ドアが勝手に開く」よりは、「透明人間のような誰かが、確かに椅子を倒し、ドアを開けたのだ」という「証拠」を確認した方が、何となく安心できる― そんな心境だったに違いありません。

 「透明人間」や「実態を持たない誰か」が存在するとは、到底信じていなかったにも関わらず、なのです。

 しかも、その「証拠」によって、「誰も触れていないのに、椅子やドアが動いたという、物理的に不可能な状況」が再確認できて、更なる恐怖に凍りついてしまう―

 それが自分でも分かっていたというのに、私は、デジカメまで枕もとに常に用意し、「異変の証拠映像」を欲していたのです。

 「物理的に不可能なことが起きる」からこそ、「証拠映像」という「物理的に確かなもの」を欲していたに過ぎないのかも知れません。 

 恐怖で、ぽっかりと開いた心の穴に、「ほら、ちゃんと物理的証拠がある」という「確かな現実」を埋め込んで、この奇妙な現実のバランスを保とうとしていたのでしょう。

 「恐怖」という不安な状況から少しでも抜け出すため、私は、モデムにも工夫を仕掛けました。

 モデムの奥にあるコードが、よく引き抜かれて、昨夜は、コンセントの左側に置かれてありました。

 そこで、「左側から『誰か』が手を出さないように」、パソコンデスクの左側に、ピタリとくっつけるようにして、ポリ袋で内側を覆ったゴミ箱を置きました。

 また、モデムの右側には、絵ハガキなどを入れていた金属の箱から蓋だけを外し、蓋の内側を上にして、床に置きました。

 この状態を、デジカメで撮影しておきました。

 もし、「誰か」がコードを抜き取り、右側に置いた場合、コードは金属板の上に置かれるだろう、と思ったからです。

 これらの「対策」も、書斎のストーブと同じことで、結局、「異変の証拠確認」のために―「恐怖が溢れ出すのを堰き止める安全弁」を作るために行ったに過ぎなかったのです。 

 実に矛盾した心理ですが、「恐怖は恐怖の再確認」でもみ消そうとしていたのです。

 この心理をまるで読み取られたかのように、モデムの異変は、私の考えた通りに起きました。

 午前3時半、私はトイレに起きました。その時、モデムの灯りはいつものように光っていました。

 しかし、3分後、リビングに戻ると、モデムのコードは引き抜かれており、3時間ほど前に、机の下右側に置いた金属板の上に置かれてあったのです。

 「ほら、あなたの予想通り、今度は右側に置きましたよ」と言いたげに...... 

 「ああ、やっぱり......!」 

 こう思いましたが、「証拠を残さなきゃ」と、その金属板の映像をデジカメで撮影しました。

 「慣れた」とは自分で感じていても、やはり怖い。家族が一緒でも、怖いのです。その怖さのためなのか、私は20分ほどすると、またトイレに行きたくなりました。

 25日の晩からは、私は、母と息子と同室に寝るようにしていました。私の布団は、部屋の入口側でした。その右横に、母、その左横の壁際が息子の布団でした。

 デジカメは、私の枕元に、スイッチをオフにして置いていました。息子は、眠れないので、ややベランダの方に体を傾けて、ゲームをしていました。

 午前3時56分、私は部屋に戻り、床に就こうとしました。その時、デジカメを見て、ギョッとしました。

 つい数分前、オフにしていたデジカメに、何かが映っていたのです。しかも、画面にムービーを撮影する時のマークが表示されていたのです。 

 「ねえ、ユタカ、ムービー撮った?」

 「えっ?何も。僕、デジカメ触ってないよ」

 息子は、私の声で、夢中になっていたゲームを止めて、初めてこちらに身をよじったようでした。

 「ちょっと......何、これ?」

 その静止された映像は、汚れた板の床の隅と、床に続く壁に、何か粘土をぐしゃりと貼り付けたようなものでした。その粘土のようなものは、明らかに人面らしき顔を形成していました。

 右目は開き、左目は黒く潰れ、鼻筋の下の鼻の穴は広がり、分厚い唇がグニャリと左横にへし押されて曲がっていました。

 要するに、顔が押し潰されて、粘土のように圧縮された状態を、3秒間、撮影されてあったのです。(To be continued......)