2009年12月8日火曜日

第3章―ポルターガイストの出現―6―謎のムービー:part1

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 5月23日に、駅改札口前のダストボックスに、『人形』の本を捨てた後は、ちょっとした安堵感がありました。

 「これで1週間続いた変なことも無くなるだろう」

 そう考えたのですが、「またあの本が我が家の書棚に戻ってくるのでは」との不安も時折あり、ヒヤヒヤしながら書棚を覗き込んだり、1階の集合ポストの郵便物を手にしたりしていました。

 そして、「本を捨てたから、もう不気味な現象は起こらない」というのは、全く甘い考えだった、と後になって考えるようになりました。

 この日の晩頃から、玄関の灯りは、リビングのインターフォン左横のスイッチで操作できることが分かりました。

 玄関扉横の灯りのスイッチは、従来とは逆に右側を押しておきます。すると玄関は灯りは消えた状態ですが、リビングのインターフォン横の縦に3つ並んだスイッチの一番下を右に押すと、玄関は灯りがつく状態になるのです。

 これで、薄気味悪い玄関が暗いまま、洗面所に行かずに、リビングのスイッチを右に押してから、明るい玄関の方へと夜中でも行けるようになりました。この習慣は今でも続いています。

 また、この晩から、私は、異変が後で起きても確認できるように、「就寝前の状態」をデジカメで撮影するようになりました。

 異変が起きたからと言っても、これといって証明できるような、当てになる人物や研究機関と繋がりがあるわけでもありません。

 ただ、「就寝前はこうだったのに、このように、いつの間にか異変が起きていた」ということを、目で確かめる材料が欲しかったのです。

 これは不思議な心理です。なぜ「怖い異変」が起きた証拠を撮影し、「通常の状態」と比較する必要があるのでしょう。

 自分でも、その心理状態は、現在ではよく分かりません。ですが、「不安の心理」は、「不安な状態」を、せめて「証拠写真」に残して、家族で確認し合うことにより、不安を解消しようとする傾向があるのだ、としか思えません。

 記録を見ると、こう私は書き残しています。

 「5月24日 AM 1:11~1:13 リビングの物の位置を念のため、デジカメで9枚撮る (ピアノの椅子も自然な位置で→ 椅子の背後にCD ラジカセ→ 椅子をピアノの奥にどんなに押し込んでも、もし椅子が倒れたらラジカセに当たる→ 床には背もたれがつかないことをチェック)」

 「モデム Check, 台所の蛍光灯、テーブル上のライトは保安灯にして、就寝モード!」

 この晩からだったのでしょう。リビングが暗いままなのが嫌なので、流しの蛍光灯を今でもつけたまま、就寝するようになりました。

 それから10分ほどした午前1時29分、息子が口を洗うために洗面所に向かうと、再び私の書斎で足音を聞いたと言いましたが、書斎には誰もいませんでした。

 ユタカは、前日は、夕食後と就寝前に、心療内科から出された安定剤を飲んで、午前1時半には眠気が来たのですが、「あの薬はきつすぎる」と言って、この日は就寝前だけに安定剤を飲みました。 

 すると、逆になかなか寝付かれず、午前3時過ぎまで眠れないとぼやいていました。 

 不登校になって以来、息子は、昼間も夜中も、子供部屋の壁にいつも寄り掛かって、DS をしており、外出は一切しない状態でした。彼の行動範囲は、リビングに食事に来るか、トイレのため洗面所に行くだけに限られていました。 

 彼は、この晩も、途中でDS は止めて、一旦床に入りましたが、「ああ、眠れない」と言って起き上がりました。

 午前2時10分頃、息子がトイレに入り、出た途端、「バチン!」と音がし、台所の蛍光灯が消えてしまいました。

 「あれ?台所の灯りが消えた」 

 息子が台所の蛍光灯を見て、私に報告しに来ました。私は変だなと思い、ブレーカーを確認しに洗面所に行きました。

 すると驚いたことに、左から2番目のブレーカーが下に向いた状態になっていたのです。さっき私が聞いた、「バチン!」という音は、このブレーカーが落ちた音だったのか、と気づきました。

 「またブレーカーが......前は下げていたのが勝手に上がって、今度は上げていたのが勝手に落ちたんだね......でもなんで?」 

 「僕が分かるわけないじゃん」 

 ブレーカーは、日が変わる前の23日午後11時50分頃に、玄関の灯りやすべての部屋の施錠と共に、上がっている状態であるのを確認し、メモに記録していたのです。

 「僕がトイレから出た途端に、バチン!って音がするからさ、びっくりした」

 こう異変が毎日起こると、段々と「現象」に慣れ、「また変な現象が起きた」とウンザリするようになりました。

 しかし、その「現象そのもの」は、普通ならあり得ない。だから「怪奇」なのだ―

 このように考えると、やはり怖いのです。

 翌日、25日の日曜日、私は、このような記録を残しています。

 「AM 0:05~0:14 LASTLY 私の書斎の窓閉める、椅子はいつもの位置(その後ろにストーブ)→ この部屋のドアの内側すぐ近くにストーブ置いて、light off」 

 この「ストーブ対策」は、「誰か」が椅子を倒したら、ストーブの位置も動くか倒れることを、後で確認するためでした。ドアも、きちんと閉めたのを、「誰か」が勝手に開けた場合、すぐ内側に置いたストーブも「ガタン!」と音を立てて倒れる―

 そのことを想定したからでした。

 しかし、今から考えると、実に滑稽な話です。 

 実際、「正体不明の誰か」が、椅子を倒そうと、ドアを開けようと、そしてその「異変」がストーブの位置の変化や倒れる音で確認できようと、何になると言うのでしょうか?

 「正体不明の誰か」は、決して見つからず、ストーブが位置が違った、倒れたからと言っても、警察は相手にしないでしょう。 

 もし指紋をとって照合したとしても、私と母と息子の指紋だけに決まっているのだし、第一、「指紋を照合する」ことまで、警察はしないのです。

 それが分かっていても、当時の私は、「訳も分からず椅子が倒れたり、ドアが勝手に開く」よりは、「透明人間のような誰かが、確かに椅子を倒し、ドアを開けたのだ」という「証拠」を確認した方が、何となく安心できる― そんな心境だったに違いありません。

 「透明人間」や「実態を持たない誰か」が存在するとは、到底信じていなかったにも関わらず、なのです。

 しかも、その「証拠」によって、「誰も触れていないのに、椅子やドアが動いたという、物理的に不可能な状況」が再確認できて、更なる恐怖に凍りついてしまう―

 それが自分でも分かっていたというのに、私は、デジカメまで枕もとに常に用意し、「異変の証拠映像」を欲していたのです。

 「物理的に不可能なことが起きる」からこそ、「証拠映像」という「物理的に確かなもの」を欲していたに過ぎないのかも知れません。 

 恐怖で、ぽっかりと開いた心の穴に、「ほら、ちゃんと物理的証拠がある」という「確かな現実」を埋め込んで、この奇妙な現実のバランスを保とうとしていたのでしょう。

 「恐怖」という不安な状況から少しでも抜け出すため、私は、モデムにも工夫を仕掛けました。

 モデムの奥にあるコードが、よく引き抜かれて、昨夜は、コンセントの左側に置かれてありました。

 そこで、「左側から『誰か』が手を出さないように」、パソコンデスクの左側に、ピタリとくっつけるようにして、ポリ袋で内側を覆ったゴミ箱を置きました。

 また、モデムの右側には、絵ハガキなどを入れていた金属の箱から蓋だけを外し、蓋の内側を上にして、床に置きました。

 この状態を、デジカメで撮影しておきました。

 もし、「誰か」がコードを抜き取り、右側に置いた場合、コードは金属板の上に置かれるだろう、と思ったからです。

 これらの「対策」も、書斎のストーブと同じことで、結局、「異変の証拠確認」のために―「恐怖が溢れ出すのを堰き止める安全弁」を作るために行ったに過ぎなかったのです。 

 実に矛盾した心理ですが、「恐怖は恐怖の再確認」でもみ消そうとしていたのです。

 この心理をまるで読み取られたかのように、モデムの異変は、私の考えた通りに起きました。

 午前3時半、私はトイレに起きました。その時、モデムの灯りはいつものように光っていました。

 しかし、3分後、リビングに戻ると、モデムのコードは引き抜かれており、3時間ほど前に、机の下右側に置いた金属板の上に置かれてあったのです。

 「ほら、あなたの予想通り、今度は右側に置きましたよ」と言いたげに...... 

 「ああ、やっぱり......!」 

 こう思いましたが、「証拠を残さなきゃ」と、その金属板の映像をデジカメで撮影しました。

 「慣れた」とは自分で感じていても、やはり怖い。家族が一緒でも、怖いのです。その怖さのためなのか、私は20分ほどすると、またトイレに行きたくなりました。

 25日の晩からは、私は、母と息子と同室に寝るようにしていました。私の布団は、部屋の入口側でした。その右横に、母、その左横の壁際が息子の布団でした。

 デジカメは、私の枕元に、スイッチをオフにして置いていました。息子は、眠れないので、ややベランダの方に体を傾けて、ゲームをしていました。

 午前3時56分、私は部屋に戻り、床に就こうとしました。その時、デジカメを見て、ギョッとしました。

 つい数分前、オフにしていたデジカメに、何かが映っていたのです。しかも、画面にムービーを撮影する時のマークが表示されていたのです。 

 「ねえ、ユタカ、ムービー撮った?」

 「えっ?何も。僕、デジカメ触ってないよ」

 息子は、私の声で、夢中になっていたゲームを止めて、初めてこちらに身をよじったようでした。

 「ちょっと......何、これ?」

 その静止された映像は、汚れた板の床の隅と、床に続く壁に、何か粘土をぐしゃりと貼り付けたようなものでした。その粘土のようなものは、明らかに人面らしき顔を形成していました。

 右目は開き、左目は黒く潰れ、鼻筋の下の鼻の穴は広がり、分厚い唇がグニャリと左横にへし押されて曲がっていました。

 要するに、顔が押し潰されて、粘土のように圧縮された状態を、3秒間、撮影されてあったのです。(To be continued......)

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