2010年8月18日水曜日

第6章―幽現の渦:1―闇夜の旅:part4―落ちてきた柿の種

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 全く、この4泊5日の旅は、ただ怖い目に遭うために出かけたようなものでした。夜中が眠れないことばかりであるため、昼間はみんなボーッとし、昼寝かトランプばかり、夜半は恐怖の直中で、父とビールを「やけ酒」とばかりに自動販売機で買い込み、飲み明かしたりもしました。

 6月17日の午後には、またJRに乗り、今度は別のホテルのあるF町へと向かいました。

 Y町の旅館をチェックアウトする際、父はフロントマネージャーの方に、この旅館に泊まってからの2日間の出来事を話していました。

 多分、夜中2時半の行動を警備員の方に見られていたことから、その「不思議な行動と告白」の理由を説明しておきたかったのでしょう。

 父は、ソファーに座って待っていた私たちの所に満足した表情で戻ってきました。

 「やっぱりね、あの人は長年の知り合いだからなあ。『こんな不思議なことに2日間苦しんだ』というこちら側の事実を、熱心に聞いてくれたよ。『現実に、奇々怪々なことというのは起きるものだ、ということが分かりました。今後の参考にさせていただきます』と言ってくれた。あの人みたいに、話が分かる人は有り難いね」

 私は、あんな怪奇談をじっくり聞いてくれる人が、学校のカウンセラーの先生以外にいることに驚きましたが、やはり嬉しくもありました。妙な経験を誰も信じてくれないと、まるで無人島に取り残されたような孤独感がいや増すばかりだったからでした。 
 
F町のホテルには、午後2時半頃到着しました。

 そのホテルは、私が2001年、大阪からまだ6歳になったばかりの息子のアトピーを治すために兵庫県に転居した際、「家族でお出かけガイド」といった本にも紹介されていた、ハウステンボスのような、洋風のお城を模した洒落た建物で、いつか行きたいと思っていた場所でした。

 「ここに、こんな目的で宿泊するとは思わなかったな......」

 そう残念に思いましたが、仕方がありません。

 いや、仕方がない、という感情はとっくに通り越し、「なんの因果でこの世のものとも思えない状況に巻き込まれてしまったんだろう」との、何とも形容のし難い複雑な想念だけがありました。

 そうした私の恐れの入り交じった虚しさとは裏腹に、その夢見るようなヨーロッパのお城の如き庭園に囲まれたホテルのロビーは、豪華でリッチで、重厚感が漂っていました。

 父がフロントでチェックインし、17日午後から19日10時のチェックアウトまでの約2日間、和室の4人部屋のキーを受け取り、4階の部屋に入りました。

 その時、私は、いつも持っていた水色の手提げが無いことに気づきました。私は自分でも慎重で用心深いほうだと思っていましたが、あまりの疲れで、ロビーの椅子に置き忘れてしまったのでした。

 改めて部屋に入ると、外の洋風な建物の外観と、質素な和室とがマッチしない気がしました。最初に止まったY町の和室の方が清潔な印象があった、と感じました。

 それでも、部屋のドアはやはりカード式キーで、一歩廊下に出ると、シックな赤い絨毯が敷き詰められ、廊下やレストルームの装飾も美しい彫刻が施され、外国の一流ホテルに泊まっているようでした。

 父は、夕食前に、2回ほど入浴をし、疲れを癒していました。

 「浴場は、この廊下をずーっと左に歩いて、透明な自動ドアがあるから、その先の階段を3階に降りれば、すぐ分かる。浴場の前でスリッパ脱いでな、受付のおばさんにロッカーのキーを100円渡して受け取るんだ」

 私は、「広い立派なお風呂だし、ジャグジーもあるし、入らんと損するぞ」と言われ、怖かった気分がだいぶ和らぎ、夕食後はぜひ入ろう、と思いました。

 午後6時半まで、ゴロゴロと昼寝をしていましたが、家族揃ってダイニングフロアに行き、夕食となりました。

 その夕食時のことでした。

 昨夜、Y町の食堂内で経験したことと、同様のことが起きました。

 私が食事をしていると、急に「コトン!」と小さな音がしました。

 最初は、何の音なのか、分かりませんでした。しかし、私のテーブルの、お茶碗のすぐそばには、しゃぶり尽くした後のような、小さな柿の種が転がっていたのです。

 「これ、確か、目の前を、上から降ってきたような感じで落ちてきたみたいよ」

 「そうだよ、天井から降ってきたんだよ」

 父は妙な顔をし、「今日のおかずに柿はないのにな。なんでこんなものが天井から真っ直ぐ落ちるんだ?」と言いました。

 「昨日もさ、ご飯粒が僕の茶碗にさ...」

一同、不気味な印象に一瞬、おしゃべりを止めてしまいました。「小さな柿の種」という、こんな些細なことでも、家族と夕食の団欒を楽しんでいる時には、ぞっとするのです。

 私は、「これは明らかに姿が見えないモノの仕業だ」とピンときましたが、敢えてそんなことは言わないでおきました。自分が口にすると、余計に恐怖が倍増するからです。

 それでも、気にしないようにして、その日は夕食を皆、他愛のない「普通の会話」をぼちぼちしながら、済ませたように覚えています。

 夕食後は、思い切って大浴場へと入りました。

 「思い切って」というのは、やはり、身の回りの怪現象に神経質になっていたため、そのような気持ちになっていたのです。

 実際、ロッカーの鍵を受け取り、脱衣場で鍵についたゴムを手首に巻き付けている時でも、誰かが「カラリ」と入ってくると、いちいちギクッとするのです。

 浴場は天井が高く、広々とし、6種類ものお風呂がありました。時間が10時頃だったので、入浴している人は私以外、2人ほどしかいませんでした。しばらくすると、一人のお客が上がり、脱衣場へと戻りました。

 残っている人は、隅で打たせ湯に肩を当て、こちらに背を向けたまま、じっと動きませんでした。

 私は日頃の警戒心から、その女性があまりにじっとしているために、「あの人は、人間ではないのじゃないか」とさえ疑ったほどでした。

 しかし、それも懸念に過ぎませんでした。時間は、浴場内の時計では10時半になっていました。もう私だけが浴槽につかっているだけでした。

 その時、急にまた浴室の戸がカラリと開いて、誰かが入ってきました。

 よく見ると、その人はホテルの従業員でした。明日に備え、設備を点検に来ただけでした。それでも、私は浴槽の隅にじーっと体を強ばらせながら、「あの女性がもしスゥッと消えたらどうしよう」などと怯えていました。

 実にハラハラドキドキの大浴場体験でしたが、特にそこでは変わったこともなく、脱衣場で浴衣に着替え、キーを係の女性に返し、100円玉を受け取ると、フロアにはまだマッサージをする人、ドリンクを飲みつつテレビを眺める人々などがたむろしていました。

 要するに、「数多くの他人の中」では、怪現象は、私たち家族の錯覚だったのか、と思えるほどに、全く起きないのです。私たち家族4人が一つの部屋にいると、怪現象が起きるのです。

 と言うより、家族4人でなくても、私たちのうち、私と息子、私と父、または両親と息子といったバラバラの組み合わせでも、一つの部屋に家族のメンバーがいる場合、規模の大小に関わらず、不思議なことが起きてしまうようでした。

 これは何が原因となっているのか、その方面には全く無知且つ無関心だったために、訳が分かりませんでした。

 ただ一つだけ確かなことは、息子の不登校になってしまってから3ヶ月後に、超常現象が起きるようになった、ということだけでした。

 私たち家族が、佐藤愛子さんが書かれていたように、突如「霊体質」となってしまった、と解釈すれば良いだけのことかもしれません。しかし、「なぜ霊体質となったのか」に対する答えが、現実の理解の範疇内に見つからないのです。

 世の中には、会社員を辞めてまで、「霊媒師」となるべく修行を積み、見事そうした能力を備えた人もいる、と聞きます。

 しかし、私たちが仮にそんな能力を持ったとしても、そうした霊感めいたものは、ただただ恐ろしいだけで、全く、前世で悪業でもしでかしたのかと思えるほど、降って来たような災いに過ぎませんでした。

 その日の夕食後は、皆で相変わらずトランプなどをして過ごしましたが、私が浴場から帰ってくると、もうみんな寝ていました。

 私は、何時頃眠りについたか忘れてしまいました。ただ、当時のメモに、こう書かれています。

 ―部屋にお経を貼る。AM2:00~4:00 夜中に子がエアコンの埃と父の鼾で起きてしまい、「外のベランダに古井がいる、今、強い気配」と言う。

 ユタカのその言葉とほぼ同時に、Y町の旅館と同じように、ベランダ脇付近の壁を外から「ガンガン!ドンドンドーン!」と叩く激しい音が始まりました。

 「こいつはまたひどいなぁ......!」

 父はその怪音に目を覚まし、すぐさま、枕元のお経を手に取ると、一心に唱え始めました。

 その間、和室の低いテーブルの下に置いていたコーヒーのペットボトルが、生きているかのように、ズッズッズズズ......と息子の側に近寄っていきました。

 「わっ!ペットボトルが勝手にこっちに来るよっ!」

 ユタカは上半身を起こし、鬼に迫られたように壁際に後ずさりしていましたが、そのペットボトルを思い切って掴むと、バリッと潰してしまいました。 

 私は横になって、テーブルの下からその向こうにいるユタカの様子を見ていましたが、いきなり額に激痛が走りました。

 何が起きたのか、一瞬分かりませんでしたが、ユタカ側のテーブルの脚に4本ほどまとめて置いていた、別のジュースなどのペットボトルの一本が、私の額に激しい勢いで投げつけられ、見事命中したのです。

 今まで物が飛ぶのは随分見たけれども、それが顔面などに当たるのは初めてでした。それも、命中したペットボトルは、私の布団から4m は離れていたのです。

 物が勝手に「誰か」の手で投げられ、それが自分の体に当たる、ということで、夜半の恐怖は「得体の知れない気味悪さ」から、「いつ攻撃されるか」との畏怖感に変わってしまいました。

 「また、飛んで当たると痛いから」と思い、私は起きてユタカの側に行き、テーブル周辺の畳に置いてあったペットボトルは押し入れに仕舞い込みました。

 次に、アレルギー性鼻炎でユタカが使うテイッシュ箱は、彼の枕元から、わざとペシャンコにし、テーブル傍の座布団の下に押し込みました。

 そのわずか数分後、また眠ろうと横になっていたユタカが、「あれっ?」と起き上がり、私を呼びました。

 「どうしたの?」

 「さっき、お母さんが僕のそばのティッシュ箱をそこの座布団の下に押し込んだでしょう。それなのに、ほら見て」

 彼は、枕の感じがいつもと違う、と思ったら、そのペシャンコになった箱が、自分の枕の下にいつの間にかあった、と驚いて、私にそれを引っ張り出して見せました。

 「それじゃ、お母さんもユタカも誰も見ていない時でも、そういう物が勝手に移動しちゃうんだね」

 「ああー、もう寝れない......あっ!アイツの気配が、今度はトイレに移った......古井が今、トイレにいるんだ」

 「えっ......トイレ?やだ、トイレに行けないじゃない!」

 私とユタカがヒソヒソ話していると、ずっと夜中にお経を唱え続けていた父は、苛立って声を荒げました。

 「さっきから何だ、ペットボトルが飛んだの痛いのって、うるさいぞ!痛いのが嫌なら毛布でも頭から被ってろ!トイレが怖いだろうが、その怖いのをやっつけるために、俺がこうして寝ないでお経を読んでるんだ!ちょっとは我慢しろ!」

 父は必死になっているため、私たちが異変に驚いたりすることに、「お経を唱えれば鎮まるのに、それを遮られると集中できない」と焦りと共に苛立ちが募ったのでしょう。

 私はユタカの傍に寝転び、「おじいちゃんが怒るから、静かにしよう」とヒソヒソ声で囁きました。

 「それでも、何か起こると、びっくりして、キャーッて言っちゃうもんねえ」

 ユタカは、私に困ったように言いました。

 「でも、もうお経唱えなくていいのに......古井の気配、消えたから―それも、言っちゃだめかなぁ」

 私は、それならおじいちゃんに教えなきゃ、と答えました。ユタカは、「おじいちゃん、もうお経、いいんだよ。気配なくなったから」と声をかけました。

すると、父は何か勘違いしたらしく、ユタカを叱りつけました。

 「何だってこう、子供ってのは大人の言うことを聞かないんだ!お経の最中は静かにしなさいと言うのが分からんのか!」

 ユタカは、「疲れているおじいちゃんに、もう寝てもらいたかったのに」とがっかりし、叱責されたショックで吐き気がする、と言い出しました。

 私は息子に安定剤を頓服で飲ませました。しばらくすると、ユタカは落ち着いたらしく眠ってしまいました。父も、もう何も起きないことに気がつき、お経を止めて床に就きました。

 私は、父とユタカの間に諍いが起きると悲しくなり、なかなか眠れませんでした。仕方なく、梅酒を自動販売機に買いに行きました。もう午前4時になっていました。

 部屋に戻ると、自分の布団に座り込んで梅酒を少しずつ飲んでいました。家族は全員寝ていました。

 さっきの騒動の後、ペットボトルやティッシュ箱、また父の枕元の薬類や、テーブルの上の灰皿などは、「飛んだら怖いから」と、すべて、廊下側のクローゼットに仕舞い込んでいたので、部屋はきれいに片づいていました。

 「今はこんなに何も起きてないのに、なぜあんな怖いことばかり......いつもこういう風に平和ならいいのに」

 そう思った矢先でした。

 私がふと、目の前のテーブルに目をやると、どうしたことか、丸めたティッシュが幾つも幾つも、テーブルの上や、母や私の布団の上に散乱していたのです。

ついほんの数秒前まできれいに片づいていた部屋に、まるで「誰か」が20個以上もティッシュを丸めて投げ散らかしたかのように......(To be continued......)

 

2010年8月7日土曜日

第6章「幽現の渦」―1―闇夜の旅:part3―外壁を揺さぶる轟音

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 2008年6月16日の朝、私は父からのルームフォンで目が覚めました。8時から朝食だから、服を着替えて用意をして、皆で行こう、と言うのです。

昨夜は4時まで眠れなかったために、完全な睡眠不足ですが、気がついたら自分のベッドに、縮こまるようにして眠り込んでいたようです。母も、すぐ隣に背を合わせて眠っていました。

 不安はいつも燻っていましたが、朝が来た、母がそばにいる、それだけのことで、私の心には何とはなしに安堵感が広がりました。

 ユタカは「気分が悪い」と言うので、またもや一緒に食堂に行けません。9時前に食前の薬を飲ませ、10時には、私は食堂から持ってきたパンやジュース、チーズやサラダを「食べられそう?」と彼の目の前に広げました。彼は、とりあえずパンとジュースだけで朝食を済ませました。

 その後、10時半から11時頃まで、私は、父とユタカと3人で、旅館の前の湖畔を散歩しました。

 昨夜の洋室はチェックアウトし、荷物はフロントに置き、今日から明日17日の午前まで、別館の和室4人部屋に移る予定だったのです。母は、疲れたと言って、フロントに腰掛けて待っていました。

 散歩の時、ユタカは機嫌が良く、湖水に小石をシュッと投げては、その小石が水面を3、4回弾みながら遠くで沈むのを何回も試していました。

 父は、「こうすると、もっとうまくバウンドしていくぞ」とユタカに教えていました。それから、父は私の所に来ると、「ほら、『あのこと』訊いてみたら」とささやきました。

 私は、手にしていた携帯のアドレス帳から、ユタカの在籍している中学へと電話しました。すると、顔なじみの山口先生という女性の学年主任の方が出られました。

 「大澤ですが……いつもお世話になります。あの、今、息子の気分転換でY町に泊まりに来ているんですが」
 「ああ、旅行なさっているんですか。いいことですね。ユタカ君はお元気でしょうか?」

 「ええ。でも、ちょっと気になることがありまして……実は、昨日こちらに泊まりに来てから、息子が、古井君のことをよく口にするんです。夜中も、古井が、古井が、って言うものですから……だから、何か、古井君の身辺で変わったことがあったのか、ご存じかどうか、それでお電話してみたんです」

 すると、山口先生は、意外なことを口にしたのです。

 「ああ、古井君でしたら、転校しましたよ。神戸の方だった、と思いますけれど」
 「えっ?転校したんですか?」

 「ええ、何ですか、お家の都合ということで」
 「あの、いつ転校したんですか?」

 「え~と、多分、5月末……いえ、半ばだったかしら。ちょっとお待ち下さいね」

 先生は、他の先生に尋ねたり、転校した際の記録などを調べていたようでしたが、30秒ほどしてまた電話に出られました。

 「ごめんなさい、お待たせしまして。ええと、5月15日頃です。下旬ではなくて、やっぱり中旬でした」

 山口先生は、担任の先生やカウンセラーの先生から事情を少し聞いていたらしく、私の話に不審がる様子はありませんでした。

 「5月のちょうど中旬……というと、我が家で不思議な異変が起き始めた直前なんです。それで、旅行に出たら、息子が 『古井君の気配がする』としきりに言うものですから……」

 「古井君の気配が?そうですか。なんででしょうね」

「あの、私、こんなこと考えるのはおかしいかも知れませんけれど、何か……古井君に起きたんでしょうか。病気とか、事故とかで……万が一のことになっている、とか……」

 さすがに、先生も、そんなことはないだろう、という口調で、明るく笑いました。

 「まさか、そんなこと、ねえ……!勝手に殺さないで下さいよ」

 「でも、その古井君の転校先とかは、分からないんでしょうか」
 「それはやっぱりねえ、個人情報のこともありますし……お教えできません。申し訳ありませんね」

  今の電話の内容を父に話すと、父はいささか興奮気味でその話に食い付きました。

 「その古井って子が転校したのが、5月の15日?お前の家で現象が起き出したのは、5月16日からだろっ?変じゃないか?偶然にしても、当てはまり過ぎるなあ。今までの現象は、そうなってくると、古井がやっていた、としか、もう思えないじゃないか?でも、その子が今、どうなっているか、現住所さえも、個人情報の関係だから、分からんしなあ」

 私は、湖畔で石を投げたり、しゃがんで雀を眺めているユタカからは離れた、木の幹を切りだしただけのような腰掛けに、父と並んで、この話をしていました。

父が言う「古井が『やっていた』」というのは、要するに、現状は分からないながら、古井という少年が、「肉体を持たぬ霊魂だけの存在になって悪戯をしていた」、ということなのです。

 「とにかく、妙な話だ。でも、ひとつ手がかりみたいなものはできたじゃないか」

 父は、そう感想を述べましたが、もし古井が霊魂となって、私達にまとわりついていたとしても、それを、どう手がかりとするのか、どう解決へと結びつければ良いのか、取るべき手段は見えてこないのです。

 ただ、唯一分かったことは、「奇怪な現象が起き始めた日付とほぼ同時に、ユタカを苦しめていた少年が別の中学へと転校した」といった事実でした。

 午後12時過ぎに、私達家族は、荷物を持って、3分ほど歩き、別館の和室へと入りました。

 上り口から左手に清潔な洗面所とトイレ、シャワー室があり、10畳ほどの部屋に入ると、右手に木製のクローゼットと押し入れがありました。

 私は、皆睡眠不足で疲れているため、すぐ横になれるよう、押し入れから布団を出し、茶卓を部屋の窓際近くに寄せると、4人分のマットと布団、枕を用意し、敷き詰めました。

 普通の和風旅館と同様、窓際にはラタンの涼しげな椅子と低いテーブルがあり、窓から、さっきまで散歩していた湖畔が見えました。部屋は5階でした。

 私は、旅館の和室の、この窓際の空間が好きでした。ここだけが板張りで、障子で10畳の部屋と仕切られているのも、何かほっとする気持ちが醸し出されるのです。

 湖畔が見渡せるガラス窓の手前にも、障子がはめこまれ、その左手の壁にも、1m四方ほどのガラス窓と障子、といった、純和風な造りがなかなかいいと思いました。

 それらの障子は、昼間は全て左右に開け放たれ、明るい日差しが部屋を光で満たしていました。

 午後6時になるまで、昼寝をしたり、テレビをつけて、4~5回トランプをしたりしながら、皆、漫然と過ごしていました。これだけを見たら、誰でも「ごく普通の家族旅行」と思ったことでしょう。

 しかし、私は、旅行前から、『般若心経』のコピーを15枚ほどと、セロテープ、ガムテープをセットで用意し、旅館では、警戒しつつ、この和室に移っても、部屋のドア、ふすまの外側と内側、窓の内側などに、必ず8枚ほどは貼っていたのです。

 ユタカは、「もう吐き気はないから、食前の薬はもういい。飲むとかえって吐き気がする」と言うので、この日から、食後だけの胃薬を1日3回、また寝る前の胃薬と安定剤を1錠ずつにしました。

 やはり朝の散歩で気分転換になったのか、また、家族4人で人部屋というのがホッとするのか、ユタカはこの日、午後の6時半、初めて皆で食堂の夕食をとることができました。

 父は、食事を運んで来た賄いさんに、ガイドブックやパンフレットを見せながら、「この辺は、なかなか有名なお寺や参道がありますね」と話しかけ、私達に「明日でも、ちょっとお寺や記念堂なんか行ってみたいな」と嬉しそうでした。

 ユタカが、おいしそうに食事をしていることが、父も母も、私も嬉しかったのです。

 しかし、その食事の最中、突然異様なことが起きました。

 ユタカが、「このおかずがさ、おいしくてお代わりしたいな」と言っていた時です。

 急にご飯粒が一粒、天井から降って来たように、「ピタッ!」とユタカの持っていたお椀にくっついたのです。

 「今の、何?」 私は、ギョッとして、ユタカに聞きました。

 「え……僕も分かんない。でも、急にご飯粒が……落ちて来たんだよね、天井から」
 
 「そうね、ふっと落下してきて、くっついたね」

 両親も、気色悪そうな表情になりました。

 「確かに、天井から真っ直ぐ落ちてきたみたいだったな」

 それまでの、皆の浮き浮きした雰囲気は、打って変って沈鬱なものとなってしまいました。

 「ご飯粒なんかが……まるで狙いを定めたみたいに、上から落ちて、お椀につかないよ、普通」

 母もこう言いました。それでも、父は、皆を鼓舞するように、「まあ、そんなことは気にしない、気にしない。それより、こんなにごちそうなんだ。食べなかったら、損するぞ」と元気を無理にでもふり絞って声をかけました。

 本当に、おいしいお料理だったのですが、ご飯粒がくっついた当のユタカは、気分が悪そうに、「僕、もう、こんなに食べれない……」とゲンナリしてしまいました。

 「じゃ、お前、ユタカの分、食べろ、な、いいだろ」
 「そうねえ。もったいないしねえ」

 私は、奇妙なことがあったのに、普段は食べれない食事だからと、「もったいない」との気持ちも手伝って、随分とお腹一杯に食べてしまったように覚えています。

 その日の夕食は、7時半頃に終わり、部屋に戻ると、私は少し布団に横になり、それから室内シャワーを使いました。夕食の時のことが気になり、旅館に温泉がせっかくあったのに、変なことがあると、気持ちが萎縮してしまい、部屋にじっとしていたくなったのです。

 ユタカは、晩の10時に就寝前の薬を飲み、10時半から、もうすやすやと寝てしまいました。私は父の隣に休み、母はユタカの隣でした。

 父は、就寝前に、「何か起きた時のために」私の持ってきた『般若心経』 3枚セットを枕元に常に用意し、振り仮名を目で追いつつ、小声で読む練習をしていました。

 「どうも、お経を読むなんてのは初めてだから、どう読んでいいのか見当がつかん」

 私も、お経とは無縁の生活だったので、自分に読めるはずがない、意味もさっぱり分からない、と思い込んでいました。

 その私が、8月には、母と毎晩、現代語訳付きの『般若心経』を、テープの読経を参考に、そのリズムまで覚えて、読みながら唱えるようになったのですが、6月の旅行の時点では、お経は全く、父任せでした。

 父は枕元のスタンドをつけて、お経を一通り読んだ後、「疲れたなあ」と、ふーっとため息を漏らし、横になりましたが、すぐにその後、高いいびきをかき始めました。

 私は、父の背中を見ながら、自動販売機で買った梅酒を、ワイン代わりに少しずつ飲んでいました。家族の寝息以外、もう何も聞こえません。何も起きません。

 もう午前1時を少し回った頃、私も布団に休みました。ただ、いつもの癖として、飲み終えた梅酒の空き缶を枕元に置きましたが、それも以前は平気だったものの、様々な現象が起きるようになってからは、そうした小物をそばに置くことさえためらわれました。

 「きっと、また投げ飛ばされるんじゃないか」

 ―そういう不安がいつもありました。

 しかし、空き缶を部屋のゴミ箱に捨てると、せっかく寝静まった家族を起こしてしまうと思い、仕方なく寝床の上の荷物などを置いた板間にそっと置きました。

 変な出来事が起きる以前から、多分ユタカが学校に行けなくなってから、私はすんなりと寝入ることができなくなっていました。それでもやっと、30分ほどすると眠気が来ました。

 しかし、AM2:00 頃、よく眠っていたユタカが、急に「エアコン消して。寒い」と起きました。そして、私に夢の話をしました。

 「今ね、夢を見てたんだ。古井が宙を、ゴーッと猛スピードで(飛んで)、部屋に近づいてくる。その夢で、目が覚めたんだ。今も、なんか、アイツの気配がするんだけど」

 私は、息子が何かしら不思議な夢を見た後、現実に奇妙なことが以前も起きたことを思い出しました。

 5月末、洋服箪笥が独りでに開閉した映像を携帯で撮影したものの、ユタカが「中性的な人物が夢に現れて、<残してはいけないものがある>と言って、その場を去った」と昼寝の後、私に話したまさにその直後、携帯を調べると、その動画のデータは消去されていた、あの出来事でした。

 だから、息子が「古井が宙をゴーッと飛んできた夢を見た」と言った時、また何か起きるのでは、と、一瞬胸騒ぎがしたのです。

 ユタカは、竜巻でも襲って来るかのように、息を殺しながら早口で私に告げました。

 「あっ...! 今、古井が部屋の外、窓の辺りに浮いて、こっちを見ている......」

 彼がそう言った直後でした。

 私達家族4人が寝ている5階の和室の外壁が、凄まじい轟音を立て始めました。

 まるで、巨人が旅館の5階の外壁のコンクリートを揺さぶるように、ちょうど障子の下の壁を外から激しく、素早く叩いているかのようでした。

 「ドンドンドン!ドーン!ドーン!ゴンゴンゴン!」

 「怖い......! 怖い......どうしよう!ねえ、見て、壁があんなにグラグラ揺れて.......穴が空きそう......!」 

 私は母にしがみつきました。

 ユタカは、あまりの激しさに何も言えずにいましたが、壁の揺れ方が余りに酷いので、思わず「すごい......ここ5階なのに、外から壁をぶち壊そうとしているみたい......!」と叫ぶように声を上げました。

 彼が声を張り上げずにいられないほど、怪音の威力は絶大なものだったのです。

 父は、必死で「般若心経」を、コピーを凝視しつつ、唱え続けました。すると、異様な轟音は徐々に鎮まっていきました。

 「やっぱり、<般若心経>を持ってきた甲斐があったなぁ......おい、お前も読めるようになれよ」

 父は私に頼みましたが、その時は「お経なんて難しくって」と、私は父に甘える気持ちがあったのです。 

 「お経のおかげで、ひとまず助かった」と息をつく間もなく、それからほんの数分後、ユタカは再び「古井の気配」を感じる、と慌てて告げました。

 その言葉を「待っていた」かのように、今度は突然、障子を外から無理矢理こじあけようとする、「ギシギシッ……!」 という音が深夜の和室に響き始めました。

 「ああ、あれ見て……! ほら、障子が外から開けられようとしている……どうしたらいいの?」

 障子の木製の枠は、ぐらぐらと揺れ、今にもバキッと壊れ、誰かが入って来そうに思えました。
それと同時に、周囲の壁もガタガタっと小刻みに震えていました。

 「なんで……? ここ、5階なのに?外から誰がこんなこと、できるっていうんだろう?」

 この現象の最中、障子窓の板の間に置いてある、正方形のテーブルが、室内の布団の方へと、少しずつ、ミシミシと移動し始めました。

 「今、古井が障子のそばにうっすらと白っぽい姿で浮かんだけれど……」

 ユタカがそう言うと、父は、正体不明の「『古井』と呼ばれる誰か」を脅すように、テーブルの上へどっかと座り込みました。

 「よし!誰だか知らんが、夜中に人を驚かすような真似はさせんぞ!動くな!こうして座ったからには動けないだろう?ざまあみろ!」 

 そして、そのテーブルに腰を掛けたまま、般若心経を再び唱え始めました。しばらくお経を唱える父のくぐもった唸り声が部屋に流れていました。

 そのうち、ユタカは、ハッとしたようでした。

 「あっ……もう、気配、消えたよ」

 息子のその言葉とほぼ同時に、障子の騒がしさも、テーブルの奇妙な抵抗もピタリと止んでいました。こうして、私達家族は、午前3時半頃、やっと眠りにつくことができたのです。

 それでも、この旅は、ただ家での恐怖を再確認し、どうしても怪現象を食い止めることが出来ないという絶望感を深めるだけでした。 (To be continued……)