2010年8月7日土曜日

第6章「幽現の渦」―1―闇夜の旅:part3―外壁を揺さぶる轟音

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 2008年6月16日の朝、私は父からのルームフォンで目が覚めました。8時から朝食だから、服を着替えて用意をして、皆で行こう、と言うのです。

昨夜は4時まで眠れなかったために、完全な睡眠不足ですが、気がついたら自分のベッドに、縮こまるようにして眠り込んでいたようです。母も、すぐ隣に背を合わせて眠っていました。

 不安はいつも燻っていましたが、朝が来た、母がそばにいる、それだけのことで、私の心には何とはなしに安堵感が広がりました。

 ユタカは「気分が悪い」と言うので、またもや一緒に食堂に行けません。9時前に食前の薬を飲ませ、10時には、私は食堂から持ってきたパンやジュース、チーズやサラダを「食べられそう?」と彼の目の前に広げました。彼は、とりあえずパンとジュースだけで朝食を済ませました。

 その後、10時半から11時頃まで、私は、父とユタカと3人で、旅館の前の湖畔を散歩しました。

 昨夜の洋室はチェックアウトし、荷物はフロントに置き、今日から明日17日の午前まで、別館の和室4人部屋に移る予定だったのです。母は、疲れたと言って、フロントに腰掛けて待っていました。

 散歩の時、ユタカは機嫌が良く、湖水に小石をシュッと投げては、その小石が水面を3、4回弾みながら遠くで沈むのを何回も試していました。

 父は、「こうすると、もっとうまくバウンドしていくぞ」とユタカに教えていました。それから、父は私の所に来ると、「ほら、『あのこと』訊いてみたら」とささやきました。

 私は、手にしていた携帯のアドレス帳から、ユタカの在籍している中学へと電話しました。すると、顔なじみの山口先生という女性の学年主任の方が出られました。

 「大澤ですが……いつもお世話になります。あの、今、息子の気分転換でY町に泊まりに来ているんですが」
 「ああ、旅行なさっているんですか。いいことですね。ユタカ君はお元気でしょうか?」

 「ええ。でも、ちょっと気になることがありまして……実は、昨日こちらに泊まりに来てから、息子が、古井君のことをよく口にするんです。夜中も、古井が、古井が、って言うものですから……だから、何か、古井君の身辺で変わったことがあったのか、ご存じかどうか、それでお電話してみたんです」

 すると、山口先生は、意外なことを口にしたのです。

 「ああ、古井君でしたら、転校しましたよ。神戸の方だった、と思いますけれど」
 「えっ?転校したんですか?」

 「ええ、何ですか、お家の都合ということで」
 「あの、いつ転校したんですか?」

 「え~と、多分、5月末……いえ、半ばだったかしら。ちょっとお待ち下さいね」

 先生は、他の先生に尋ねたり、転校した際の記録などを調べていたようでしたが、30秒ほどしてまた電話に出られました。

 「ごめんなさい、お待たせしまして。ええと、5月15日頃です。下旬ではなくて、やっぱり中旬でした」

 山口先生は、担任の先生やカウンセラーの先生から事情を少し聞いていたらしく、私の話に不審がる様子はありませんでした。

 「5月のちょうど中旬……というと、我が家で不思議な異変が起き始めた直前なんです。それで、旅行に出たら、息子が 『古井君の気配がする』としきりに言うものですから……」

 「古井君の気配が?そうですか。なんででしょうね」

「あの、私、こんなこと考えるのはおかしいかも知れませんけれど、何か……古井君に起きたんでしょうか。病気とか、事故とかで……万が一のことになっている、とか……」

 さすがに、先生も、そんなことはないだろう、という口調で、明るく笑いました。

 「まさか、そんなこと、ねえ……!勝手に殺さないで下さいよ」

 「でも、その古井君の転校先とかは、分からないんでしょうか」
 「それはやっぱりねえ、個人情報のこともありますし……お教えできません。申し訳ありませんね」

  今の電話の内容を父に話すと、父はいささか興奮気味でその話に食い付きました。

 「その古井って子が転校したのが、5月の15日?お前の家で現象が起き出したのは、5月16日からだろっ?変じゃないか?偶然にしても、当てはまり過ぎるなあ。今までの現象は、そうなってくると、古井がやっていた、としか、もう思えないじゃないか?でも、その子が今、どうなっているか、現住所さえも、個人情報の関係だから、分からんしなあ」

 私は、湖畔で石を投げたり、しゃがんで雀を眺めているユタカからは離れた、木の幹を切りだしただけのような腰掛けに、父と並んで、この話をしていました。

父が言う「古井が『やっていた』」というのは、要するに、現状は分からないながら、古井という少年が、「肉体を持たぬ霊魂だけの存在になって悪戯をしていた」、ということなのです。

 「とにかく、妙な話だ。でも、ひとつ手がかりみたいなものはできたじゃないか」

 父は、そう感想を述べましたが、もし古井が霊魂となって、私達にまとわりついていたとしても、それを、どう手がかりとするのか、どう解決へと結びつければ良いのか、取るべき手段は見えてこないのです。

 ただ、唯一分かったことは、「奇怪な現象が起き始めた日付とほぼ同時に、ユタカを苦しめていた少年が別の中学へと転校した」といった事実でした。

 午後12時過ぎに、私達家族は、荷物を持って、3分ほど歩き、別館の和室へと入りました。

 上り口から左手に清潔な洗面所とトイレ、シャワー室があり、10畳ほどの部屋に入ると、右手に木製のクローゼットと押し入れがありました。

 私は、皆睡眠不足で疲れているため、すぐ横になれるよう、押し入れから布団を出し、茶卓を部屋の窓際近くに寄せると、4人分のマットと布団、枕を用意し、敷き詰めました。

 普通の和風旅館と同様、窓際にはラタンの涼しげな椅子と低いテーブルがあり、窓から、さっきまで散歩していた湖畔が見えました。部屋は5階でした。

 私は、旅館の和室の、この窓際の空間が好きでした。ここだけが板張りで、障子で10畳の部屋と仕切られているのも、何かほっとする気持ちが醸し出されるのです。

 湖畔が見渡せるガラス窓の手前にも、障子がはめこまれ、その左手の壁にも、1m四方ほどのガラス窓と障子、といった、純和風な造りがなかなかいいと思いました。

 それらの障子は、昼間は全て左右に開け放たれ、明るい日差しが部屋を光で満たしていました。

 午後6時になるまで、昼寝をしたり、テレビをつけて、4~5回トランプをしたりしながら、皆、漫然と過ごしていました。これだけを見たら、誰でも「ごく普通の家族旅行」と思ったことでしょう。

 しかし、私は、旅行前から、『般若心経』のコピーを15枚ほどと、セロテープ、ガムテープをセットで用意し、旅館では、警戒しつつ、この和室に移っても、部屋のドア、ふすまの外側と内側、窓の内側などに、必ず8枚ほどは貼っていたのです。

 ユタカは、「もう吐き気はないから、食前の薬はもういい。飲むとかえって吐き気がする」と言うので、この日から、食後だけの胃薬を1日3回、また寝る前の胃薬と安定剤を1錠ずつにしました。

 やはり朝の散歩で気分転換になったのか、また、家族4人で人部屋というのがホッとするのか、ユタカはこの日、午後の6時半、初めて皆で食堂の夕食をとることができました。

 父は、食事を運んで来た賄いさんに、ガイドブックやパンフレットを見せながら、「この辺は、なかなか有名なお寺や参道がありますね」と話しかけ、私達に「明日でも、ちょっとお寺や記念堂なんか行ってみたいな」と嬉しそうでした。

 ユタカが、おいしそうに食事をしていることが、父も母も、私も嬉しかったのです。

 しかし、その食事の最中、突然異様なことが起きました。

 ユタカが、「このおかずがさ、おいしくてお代わりしたいな」と言っていた時です。

 急にご飯粒が一粒、天井から降って来たように、「ピタッ!」とユタカの持っていたお椀にくっついたのです。

 「今の、何?」 私は、ギョッとして、ユタカに聞きました。

 「え……僕も分かんない。でも、急にご飯粒が……落ちて来たんだよね、天井から」
 
 「そうね、ふっと落下してきて、くっついたね」

 両親も、気色悪そうな表情になりました。

 「確かに、天井から真っ直ぐ落ちてきたみたいだったな」

 それまでの、皆の浮き浮きした雰囲気は、打って変って沈鬱なものとなってしまいました。

 「ご飯粒なんかが……まるで狙いを定めたみたいに、上から落ちて、お椀につかないよ、普通」

 母もこう言いました。それでも、父は、皆を鼓舞するように、「まあ、そんなことは気にしない、気にしない。それより、こんなにごちそうなんだ。食べなかったら、損するぞ」と元気を無理にでもふり絞って声をかけました。

 本当に、おいしいお料理だったのですが、ご飯粒がくっついた当のユタカは、気分が悪そうに、「僕、もう、こんなに食べれない……」とゲンナリしてしまいました。

 「じゃ、お前、ユタカの分、食べろ、な、いいだろ」
 「そうねえ。もったいないしねえ」

 私は、奇妙なことがあったのに、普段は食べれない食事だからと、「もったいない」との気持ちも手伝って、随分とお腹一杯に食べてしまったように覚えています。

 その日の夕食は、7時半頃に終わり、部屋に戻ると、私は少し布団に横になり、それから室内シャワーを使いました。夕食の時のことが気になり、旅館に温泉がせっかくあったのに、変なことがあると、気持ちが萎縮してしまい、部屋にじっとしていたくなったのです。

 ユタカは、晩の10時に就寝前の薬を飲み、10時半から、もうすやすやと寝てしまいました。私は父の隣に休み、母はユタカの隣でした。

 父は、就寝前に、「何か起きた時のために」私の持ってきた『般若心経』 3枚セットを枕元に常に用意し、振り仮名を目で追いつつ、小声で読む練習をしていました。

 「どうも、お経を読むなんてのは初めてだから、どう読んでいいのか見当がつかん」

 私も、お経とは無縁の生活だったので、自分に読めるはずがない、意味もさっぱり分からない、と思い込んでいました。

 その私が、8月には、母と毎晩、現代語訳付きの『般若心経』を、テープの読経を参考に、そのリズムまで覚えて、読みながら唱えるようになったのですが、6月の旅行の時点では、お経は全く、父任せでした。

 父は枕元のスタンドをつけて、お経を一通り読んだ後、「疲れたなあ」と、ふーっとため息を漏らし、横になりましたが、すぐにその後、高いいびきをかき始めました。

 私は、父の背中を見ながら、自動販売機で買った梅酒を、ワイン代わりに少しずつ飲んでいました。家族の寝息以外、もう何も聞こえません。何も起きません。

 もう午前1時を少し回った頃、私も布団に休みました。ただ、いつもの癖として、飲み終えた梅酒の空き缶を枕元に置きましたが、それも以前は平気だったものの、様々な現象が起きるようになってからは、そうした小物をそばに置くことさえためらわれました。

 「きっと、また投げ飛ばされるんじゃないか」

 ―そういう不安がいつもありました。

 しかし、空き缶を部屋のゴミ箱に捨てると、せっかく寝静まった家族を起こしてしまうと思い、仕方なく寝床の上の荷物などを置いた板間にそっと置きました。

 変な出来事が起きる以前から、多分ユタカが学校に行けなくなってから、私はすんなりと寝入ることができなくなっていました。それでもやっと、30分ほどすると眠気が来ました。

 しかし、AM2:00 頃、よく眠っていたユタカが、急に「エアコン消して。寒い」と起きました。そして、私に夢の話をしました。

 「今ね、夢を見てたんだ。古井が宙を、ゴーッと猛スピードで(飛んで)、部屋に近づいてくる。その夢で、目が覚めたんだ。今も、なんか、アイツの気配がするんだけど」

 私は、息子が何かしら不思議な夢を見た後、現実に奇妙なことが以前も起きたことを思い出しました。

 5月末、洋服箪笥が独りでに開閉した映像を携帯で撮影したものの、ユタカが「中性的な人物が夢に現れて、<残してはいけないものがある>と言って、その場を去った」と昼寝の後、私に話したまさにその直後、携帯を調べると、その動画のデータは消去されていた、あの出来事でした。

 だから、息子が「古井が宙をゴーッと飛んできた夢を見た」と言った時、また何か起きるのでは、と、一瞬胸騒ぎがしたのです。

 ユタカは、竜巻でも襲って来るかのように、息を殺しながら早口で私に告げました。

 「あっ...! 今、古井が部屋の外、窓の辺りに浮いて、こっちを見ている......」

 彼がそう言った直後でした。

 私達家族4人が寝ている5階の和室の外壁が、凄まじい轟音を立て始めました。

 まるで、巨人が旅館の5階の外壁のコンクリートを揺さぶるように、ちょうど障子の下の壁を外から激しく、素早く叩いているかのようでした。

 「ドンドンドン!ドーン!ドーン!ゴンゴンゴン!」

 「怖い......! 怖い......どうしよう!ねえ、見て、壁があんなにグラグラ揺れて.......穴が空きそう......!」 

 私は母にしがみつきました。

 ユタカは、あまりの激しさに何も言えずにいましたが、壁の揺れ方が余りに酷いので、思わず「すごい......ここ5階なのに、外から壁をぶち壊そうとしているみたい......!」と叫ぶように声を上げました。

 彼が声を張り上げずにいられないほど、怪音の威力は絶大なものだったのです。

 父は、必死で「般若心経」を、コピーを凝視しつつ、唱え続けました。すると、異様な轟音は徐々に鎮まっていきました。

 「やっぱり、<般若心経>を持ってきた甲斐があったなぁ......おい、お前も読めるようになれよ」

 父は私に頼みましたが、その時は「お経なんて難しくって」と、私は父に甘える気持ちがあったのです。 

 「お経のおかげで、ひとまず助かった」と息をつく間もなく、それからほんの数分後、ユタカは再び「古井の気配」を感じる、と慌てて告げました。

 その言葉を「待っていた」かのように、今度は突然、障子を外から無理矢理こじあけようとする、「ギシギシッ……!」 という音が深夜の和室に響き始めました。

 「ああ、あれ見て……! ほら、障子が外から開けられようとしている……どうしたらいいの?」

 障子の木製の枠は、ぐらぐらと揺れ、今にもバキッと壊れ、誰かが入って来そうに思えました。
それと同時に、周囲の壁もガタガタっと小刻みに震えていました。

 「なんで……? ここ、5階なのに?外から誰がこんなこと、できるっていうんだろう?」

 この現象の最中、障子窓の板の間に置いてある、正方形のテーブルが、室内の布団の方へと、少しずつ、ミシミシと移動し始めました。

 「今、古井が障子のそばにうっすらと白っぽい姿で浮かんだけれど……」

 ユタカがそう言うと、父は、正体不明の「『古井』と呼ばれる誰か」を脅すように、テーブルの上へどっかと座り込みました。

 「よし!誰だか知らんが、夜中に人を驚かすような真似はさせんぞ!動くな!こうして座ったからには動けないだろう?ざまあみろ!」 

 そして、そのテーブルに腰を掛けたまま、般若心経を再び唱え始めました。しばらくお経を唱える父のくぐもった唸り声が部屋に流れていました。

 そのうち、ユタカは、ハッとしたようでした。

 「あっ……もう、気配、消えたよ」

 息子のその言葉とほぼ同時に、障子の騒がしさも、テーブルの奇妙な抵抗もピタリと止んでいました。こうして、私達家族は、午前3時半頃、やっと眠りにつくことができたのです。

 それでも、この旅は、ただ家での恐怖を再確認し、どうしても怪現象を食い止めることが出来ないという絶望感を深めるだけでした。 (To be continued……)


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