2011年6月21日火曜日

第7章「炙り出された正体」2ー火の玉の映像


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 7月8日の午前2時頃、またはっきりと壁の音が隣の部屋から強く響き出しました。もちろん無人の部屋からなのです。何かを訴えるように、「コンコンコンコン......」と、際限なく続きました。

 私と母とは、懸命に『般若心経』を唱え続けました。こうすることで、音が徐々に止むこともありますが、なかなか止まないこともありました。「お経」というものに、私は何らかの意味があると考えたこともありませんでした。ただ、「現象」が起こる前は、ただ法事やお葬式の時だけ必要なものといった単純なイメージしか持ち合わせていませんでした。

 しかし、壁の音がするなどの「有り得ない出来事」、ラップ現象に関しては、なぜか「お経が効く」と闇雲に信じていたのです。お経には、仏教の根本的思想が説かれているにも関わらず、漢字の羅列と独特の読み方と節で、「亡者の冥福を祈る」「悪霊を退散させる」といった固定化かつ形式化した観念しかありませんでした。

 3年前の6月以降、そうした観念に従い、お経を家中に貼り、ただ意味も分からず、「音がする」とか「物が飛ぶ」などの怪奇現象が起こると、ただ夢中で唱えるしか方法がなかったのだと思います。

 数分後、音は鎮まりましたが、そうした生活の只中に置かれた13歳の少年には、現在の状況が一時的に混乱したのでしょう。彼は、ふと、3月初旬から登校していない記憶を失い、「僕、ずっと学校に行ってるよね。今は、まだ1月なら、春から2年生か」と言ったり、「なんでお経を部屋に貼ってるの」などと訊いたりしました。

 「どうしたの?学校には3月から行っていないじゃない。もう、2年生なんだよ。それに、お経は、ほら壁の音がしたりするから、その原因が分からないけれど、家中貼ったら効果があるかって、ユタカも言っていたじゃない......?」

 私がそう言うと、彼は「ああ、そうだったっけ。僕、今、変なこと言った気がする。でも、もう思い出せないけど」などと言いました。

 この晩、壁の音と共に、「ベランダに誰かいる気配がする」と息子は言いましたが、その後、一見平気そうでいて、そういった異様な状況に心が緊張し、「今は家にいて、ずっと変なことが起きている」事実が彼の脳裏から数分間失われたようでした。

 私と母とは、懸命に『般若心経』を唱え続けました。こうすることで、音が徐々に止むこともありますが、なかなか止まないこともありました。

 かつては「お経」というものに、私は何らかの意味があると考えたことは一切ありませんでした。ただ、「現象」が起こる前は、お経は「法事やお葬式の時だけ必要なもの」といった単純なイメージしか持ち合わせていませんでした。

 
 私自身、心が緊張状態だったにせよ、記憶が混乱することはありませんでした。それでも、3年前の記憶は相当痛烈なトラウマとなって私の心に焼き付いたのでしょう。3年もたった今年2011年になって、よく悪夢にうなされるようになりました。

 先日も、明け方、奇妙な夢を見ました。目の前の机に青いグラスが二つあり、左側は空っぽで、右側には水が半分ほど入っています。その青いグラスがいきなり勝手に机の上で奥の方へと左、右の順ですっと押しやられます。私は、その光景に「きゃっ!」と声を上げます。

 更に水の入ったグラスがすうっと上に浮遊し、空の左のグラスへと水が注がれる、ということが起こります。水はすぐそばのデスクトップパソコンのキーボードを濡してしまいます。「パソコンが壊れる」と心配しつつも、あまりの恐怖にその場にいることができず、慌てて部屋を飛び出す―

 そうした夢を見た後は、5分ほど「夢か現か」はっきりせず、たった今起きたことのように、息を切らしているのです。

 「物がひとりでに動く」という現実を、3年前目の当たりにしながら暮らしていた時は、その異様な状況に奇妙な慣れができていたのか、驚きながらも「怖い、逃げ出したい」とは思わなかったのです。

 その時に堪えていた緊張感が、そんな異変が起こらなくなった3年後、トラウマとして記憶の中で一気に解放され、再び夢の中でも恐怖体験をしなければならなくなった、というのは、何と因果なことかと感ずると同時に、「やはりあの3年前の事件は本当に起きたのだ」と改めて恐ろしく思うのです。

 翌日2008年7月9日には、再び携帯やPSP などに不思議な現象が起きました。

 この日の午前1時半頃から、母が、突然「何者か」に肩をトントン、と叩かれたり、腕を撫でられたりすることが頻繁になりました。

 私やユタカではなく、もっぱら母が触られるのです。

 母は、「わっ!触られたよ!」「今度は肩!ああイヤだ、まあ、また叩かれた!」と声を震わせ、「寝られやしない」とタオルケットにくるまり、上半身を起こして布団に起き上がっていました。

 私は、自分も叩かれたらどうしようと、母から少し体を離して、こわごわ尋ねました。

 「まだ、叩かれるの……?」

 「ああ怖い、怖いよ……まあ、まただよ!今度は手の甲を強く叩かれた……どうしたらいいの……わっまた肩を5回も強く……!あああ、もう……」

 母の怯え方は、恐怖に耐えられない苦しみが、そのまま震える声になって押し出される、という大変なものでした。母のその恐怖は、私にもすぐ伝わりました。

私はユタカに「どうして、おばあちゃんばかり叩かれるんだろね……?」とそっと聞きました。

 ユタカは壁にもたれながら、そんなに怖がらず、「さあ。きっと、『叩いている相手』は、おばあちゃんに用があるんじゃない?」と母の様子を少し可笑しそうに見つめて、そう答えました。

 「なんで、おばあちゃん見て笑ったりするの?怖いのに」

 「いや、怖いというよりさ、ばあちゃんの怖がり方が大げさなんだもん」

 私はこの間、『般若心経』を何回か唱えましたが、母が叩かれることは止まりませんでした。

 母の枕元には、私の携帯が置かれていました。私は、母が朝8時に起きるよう、アラームをセットしていました。その携帯が、いきなり「ピピピピピ……」と音を立てました。

アラームが鳴ると、メロディが鳴るようにしていたため、その「ピピピ」という音は、アラームとは関係ない、とすぐに分かりました。

 すぐに携帯を手に取ると、時刻はもう午前4時半でした。

 奇妙なのは、アラームとは関係ない時刻に設定していない音がなっただけではありませんでした。

 携帯の画面には、何らかの動画が撮影されており、それが再生途中で停止した状態だったのです。

何の映像かとよく見ると、それは全体が赤く光ったものでした。停止を再生に変えて、映像を見てみると、それは火の玉がゆらゆらと揺れている様子を撮影したものでした。

 どこをどう撮影しても、火の玉がうごめく画像など、家の中にはあるわけがないのです。私は母に、携帯の画面を見せ、「変だよね。なんでこんなものが映っていたんだろう」と話しました。

 「火の玉」というのは、昔、もう亡くなった私の父方の祖母が、私に話してくれたことがありました。

 祖母は、よく夜中に『番町皿屋敷』などの恐怖映画を観るのが好きで、小さい頃、私が夜起きてお手洗いに行くと、祖母の部屋から「ドォーン、ドンドンドンドンドン……」というテレビのお決まりの不気味な効果音が聞こえてきたものです。

 祖母は、「夜、お墓に行くとね、火の玉がふわ~り、ふわ~り、と飛ぶのが見えるんだよ。なんでか、知っているかね」と6歳頃の私に話しました。

 「知らない。『火の玉』って何?なんでお墓を飛ぶの?」

 「あれはね、死んだ人の魂が『火の玉』になって、この世を彷徨っとるんだよ。大きくなったら、お前にも見えるかも知れんね」

 その話で、私は幼心に、「お墓は怖い」とのイメージが焼き付いてしまいました。8歳頃まで、救急車のサイレンも、夜、街中に響くと恐ろしくてたまりませんでした。何故かというと、それは祖母か誰かに「救急車にはね、死んだ人が乗っているんだよ」と教えられたためかも知れません。

 幼少の頃の恐怖が、大人になり息子が13歳になっても心にこびりつき、「墓地」「死者」「火の玉」が怖くてなりません。

 その私に、現実に、誰が撮ったかもわからない、「火の玉が飛び交う映像」が携帯に動画として残されていたのです。

 ユタカは、「何?『火の玉』が映っているの?」と私の携帯を手に取り、「ふ~ん、何だろ、これ。ねえ」と呟き、携帯をパタンと閉じました。

 その直後、彼は「痛っ!」と携帯を落としてしまいました。

 「何、今どうしたの?手を振ったりして」

 「びっくりした。誰かに手を『バシッ!』と横から叩かれたんだ、携帯を払いのけるみたいに」

 「手を叩かれたの?それで携帯落ちたんだね」

 私はそう言って、布団に落ちた携帯を拾い上げました。

 その瞬間、「まさか」との疑念がよぎりました。急いで携帯の画面を開けると、案の定、「火の玉の映像」はすっかり消去されていたのです。

 これは、6月頃、「踊るスタンド」や「開く箪笥のドア」の映像が、消去されたのと同じだと感じました。また、5月の末頃、「どこかの家の床と粘土状の顔」が、いつの間にか、「誰か」によって撮影されていたことと、状況は似通っている、とも思いました。

一体、誰が、何の目的で、異様な映像を携帯を用いて撮影するのか。

そして、その映像を「私たち家族」が確認した後、「消去」するのか。

原因も分からないからこそ、不気味さは残りました。

 もしかしたら、私たちが何かをきっかけに霊体質となったのを「霊界の者」が感じ取り、何らかのメッセージを伝えようとしていたのかもしれません。彼らには「メッセージ」であっても、私たちには「不気味なもの」でしかないのです。

 「霊界」とは、「現実世界=生者の世界」とは次元が異なり、肉体という実体を失った霊魂は、「壁をすり抜けたり生前の顔が巨大化したり、何キロも先の場所から一気に行きたい所へと瞬間移動したりする」という解説を、テレビの「心霊特集」か何かで聞いたことがあります。

 すなわち、「この世」は3次元であるが、「あの世」は4次元なのだ、ということです。

 自分がこんな超常現象に遭わなければ、「あの世」なんてあるわけない、と思っていました。しかし、現実に体験すると、その解説は真実なのだと思わざるを得ません。

そして、その「4次元世界」からの訪問者たちは、徐々にその存在を私たちの前に現しつつあったのです。その直接的な「接触」として、「母の肩を叩く」ということが起きたのかも知れません。

 7月9日の午後1時50分頃、今度はPSP に「怪現象」が起きました。

 3日前の6日、息子はYouTubeを見ながら、私を呼びました。

 「ねえ、これ見て。『奇妙な生物たち』っていうタイトル。宇宙人だっていう画像も載ってる」

 私がそれを見ると、観ただけで気分が悪くなるような、異様な生物の写真が次々と現れては消えて行く画画でした。ハリウッド的なメークでも施したのかと思うほど、眼球が一つだけ頭の上に飛び出ていたり、口が左右に裂けているバケモノのような画像ばかりです。

 それの奇妙さに合うような、これまた胸が悪くなるようなメロディが同時に流れていました。

 「なんでこんな動画を見たりするの?嫌じゃない。夜だって昼だって、変なことが起きるのに……」

 「僕、平気だよ。面白いもの。この曲が、変わってていいなって。だから、今、曲だけをPSP に転送してるだけ」

 それは昼間のことでしたが、翌日7日の夜中AM0:30になると、PSPから、その「奇妙な曲」だけが自動的にに何回も再生されて流れ続けるのです。


 「ちょっと……!怖いじゃない、何でこの曲ばかりなの?気色悪いったら」

 「僕何もしてないよ。他の曲、聴こうとしても、自由がきかないんだから。勝手に再生されているんだ」

 「でも、もう嫌になっちゃう。選りに選ってこの曲ばかり、気分悪い」

 「じゃ、止めてみる」

 ユタカがPSP に触れようとした途端、「ウワッ!ビリッときた!」と慌てて手を離しました。彼は、「磁石のような強い力で、指が払いのけられた」と言いました。そして再びその「奇妙な曲」が流れ出しました。

 彼は、PSP の電源を切ってしまいました。それでも、自動的にON となり、その嫌な曲が始まりました。

 ユタカは今度はロックを選びスタートさせましたが、また途中でその変な曲が勝手に流れ出してしまうのでした。


「う~ん……もうこんなじゃ、一旦、全部消すしかないね」

 「えっ?PSP の中の曲全部?いいの?」

 「うん、パソコンに好きな曲は整理してあるし、そこから、この曲だけ削除して、またPSP に転送するだけだから、いいよ」

 そして、息子は7日夜半ににPSP 内の曲全部を消した後、9日の午後になるまで、用心のためか、パソコンから曲を転送してはいませんでした。

そろそろパソコンからPSP に曲を転送しようと、何気なく彼はPSP を眺めていた時でした。

「あれっ?PSP が変になってる。全体の空き容量がすごく減ってる」

 ユタカがそう言うので、私は一瞬訳が分からず、聞き返しました。

 「全体の空き容量が減ってるって、どういうこと?」

 「ほら、3日前に、僕、PSP の曲、全部消去したでしょう。だから、今は、PSP は大分空っぽのはずなんだ。MUSICの分だけ、削ったんだから」

 「そうねぇ。それなのに、空き容量が減ってるの?」

 「ほら、MUSIC の部分、空き容量が変だよ」

 息子は、PSP 内のMUSIC のプロパティを私に見せました。確かに空き容量がほぼ埋まった状態でした。

 曲のリストを見ると、3日前に消したはずの曲が全部、PSP 内に元通りに収録されており、何回も再生されて気色悪いと一緒に削除したはずの「奇妙な曲」は、何故か他のクラシックやロックの中に混ざっていたのです。

 PSP 内の全曲削除した分を、再び元通りにPSPに戻すには、パソコンとPSP をUSB ケーブルで繋ぎ、転送する作業をせねばならないのです。その作業を、息子がする以前に、また「家族以外の誰か」が全てやってのけた、ということなのです。

 携帯、パソコン、PSP と、この10年ほどで急速に発達したIT 機器に異様な現象が立て続けに起こると、嫌でも、そうした製品に神経質にならざるを得ません。

 パソコンは寝る前には蓋を閉め、段ボールに入れ、携帯は布団の下に押しこみ、PSP は電源をオフにし、ケースに入れようと私は言いました。それでも、PSP は「夜、クラシックを聞いて寝たい時もあるし」とユタカが言うので、ケースに入れずに、彼の枕元に置くことにしました。

 7月10日の夜半を迎えると、再び「現象」は活発になりました。

 AM0:30、ユタカは口を洗いに洗面所に行く時、リビングの椅子にかけてあるタオルのそばを通った時、「ねえ、今このタオル、『ビリッ!』としたよ」と言いました。

 「静電気のような?」

 「違う。濡れてるタオルだもん、静電気じゃないよ。なんか『霊気』みたいな変な感じ」

 彼が洗面所に行くと、プリンター上の通販パンフレットが、再びポーンと吹っ飛びました。

 私は「わっ!」と声を上げて、プリンターから飛ばされたパンフレットが魔物の化身かのように、思わずその場を後退りました。そのパンフレットをまたプリンター上に置いたかどうかは忘れましたが、「とにかくまた始まった」と、寝室に入り、母と『般若心経』を3回ほど唱えました。

 その頃には、父からも「うまいな」と言われるほど、『般若心経』のリズムは覚えていました。その時でも、「魔物退散のためにお経を唱える毎日なんて」と、ほとほと嫌々ながら唱えていたように覚えています。ただ恐ろしく、そして苦しいだけでした。現在では、『般若心経』という言葉を聞いただけで、恐怖の3年前が蘇り、ぞーっとするほどです。

 お経を唱えていると、また隣室から「コンコンコン」と壁の音が聞こえてきました。私は毎日のことながら、壁の音がすると、ゾクッとすると共に、無人の部屋に「人がいる」かのような気配を強く感じ、嫌な気分になりました。また、「なぜあのパンフレットばかり飛ぶのかしら」と気にもなりました。

 また現象が起きる直前に、大抵の場合、息子がすごい眠気に襲われるのも不思議でした。

 この晩も息子は布団でうつ伏せに寝ていましたが、壁の音にふと目を覚ましました。母はトイレに行くと言って、襖を開けて部屋を出ました。

 私は襖を開けたままにされるのが怖くて落ち着かず、「閉めてってくれたらいいのに」と独り言を言いながら、襖に近寄りました。


 すると、背後で息子が急に、低い声で「ふふふふふ……もう『般若心経』なんて唱えても意味がない……」などと呟きました。
 
 私はドキッとして振り返り、「なぜ、笑うの……?何が可笑しいの……?」と異様な印象を彼に抱きながら問いかけました。

 私の質問に、ユタカは驚いた調子で、「えっ?僕、今、笑ったりなんてしてないよ!」と不思議そうに答えました。まるで「何かに心を操られていたか」のように、我に返った様子なのです。

 母がトイレから出て、洗面所で手を洗っている音がしたので、私もトイレに行こうと、襖を開けました。

 襖を開ける直前、リビングで「ガッターン!」と物がぶつかるような激しい音がしました。急いでリビングを見ると、普通に立ててあった、テーブルの椅子が真っ直ぐ後ろに倒れており、その椅子の上に置いていた私のクッションが、廊下側のリビング扉近くまで投げ飛ばされていました。

 時刻は、もう午前1時半でした。

 私は、ユタカに「ねえ、ちょっと大変よ」と声をかけても、彼はまたうつ伏せに寝ており、彼の枕元に置いていたPSP から、再び例の「『宇宙人の動画』のBGM 」が勝手に流れていました。

 「こうした異様な現象と、この異様な曲とは相性がいいとでもいうのか」と思い、うんざりした私は、急いでPSP の×マークを押して、電源をオフにしました。すると、その気配で息子は起き、PSP は自分の枕元の布団下に押し込みました。

 彼はまだ眠そうに、「そう言えば、さっきさ、ガターン!って音がしたけど」と言いました。

 それから10分後、ユタカは「喉がカラカラ。何か飲みたいなあ」とリビングに行こうとしましたが、ふと警戒した様子で布団に潜り込みました。

 「ねえ、今、リビングに誰かいる気配がする。襖の入り口にお経を貼ってるから、相手はこっちを見ることができないみたいだけど……」

 そうして彼はまた眠ってしまいました。

 私は午前4時頃からやっと寝て、5時40分頃、トイレに起きました。すると、今度は寝室の襖に接したピアノの椅子が、先程のテーブルの椅子と同様に、真っ直ぐ後ろに倒れていました。

 ちょうどその時、「やっぱり喉が渇く」と起きて来た息子に私は言いました。

 「ねえ、誰でも、よほどだらしなくない限り、椅子を倒しっ放しにしないでしょ。なのに、テーブルも、ピアノの椅子もこんな……変だよね」

 「うん……僕、何か寝てない気がする」

 「え?ずっとよく寝ていたよ」

 「何となくね、ずっと、人がリビングのテーブルの上に立っている気配がしてね、眠れなかったんだ」

 「『誰かがリビングに入り込んでいる、般若心経には目を背けている、テーブルの上に足を乗せて立っている』」-

 息子のそうした言葉に、私は実体の無い「相手」の「存在」に不吉な確信を抱きました。

 この7月10日前後から、ただ単に物が飛んだり倒れたりするだけでなく、母が触られたり、息子が言うはずもないことを「取り憑かれた」ように無意識に呟いたりすることが多くなりました。

 私は、息子の「また室内に人がうろついている気配」との言葉と同時に怪現象が起きることから、我が家の暗闇に「何者か」が、もう完全に居座り、姿を現す機会を伺っているような息遣いさえ感じ取れる気さえし、「何が始まろうとしているんだろう」と、心配は一層強まっていきました。
(To be continued......)

2011年6月13日月曜日

第7章「炙り出された正体」1ーエクトプラズムの破片

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7月3日は、ネット注文もしていないソフトが届いただけでもゾッとしたというのに、その翌晩、4日の午前2時にも現象は起きました。

 よくティッシュボックスが勝手に飛ぶので、その日の夜半も、息子の布団の下に、箱を押し込んでありました。

 午前1時58分、ユタカが眠気が強くなり、「もう、寝たい」と部屋の電気を暗くした途端、その箱はいきなり布団の下からふっとすり抜け、横に寝ていた母の額に「あ痛っ!」というほどぶつかったのです。

 4日の午前11時頃、私は目を覚ましました。ふと息子の枕元を見ると、透明に近い緑色のかけらが散らばっていました。最初は消しゴムかと思いました。
触ってみると、ユタカが2、3歳の頃、従兄弟や近所の子と遊んだゼリー状のものであることが分かりました。

 「どうしたの?」ユタカが私の手元を覗き込みました。

 「どうしたのって、これ、何だろうって思って......あっそうだ、思い出したよ。よく、えっちゃんやユウちゃんと遊んでたスライムだったよね?あんな昔のがまだあったの?」

 すると、息子は神妙は表情になりました。

 「これ、スライムじゃない。これは、『エクトプラズム』っていうんだ」 

 「エクトプラズム......?それ、何?」

「霊感のある人間から、霊が吸い取る生命エネルギーみたいなのだよ。僕は、このエクトプラズムを利用されていたから、こうして布団の上にかけらが散らばる。でも、このエネルギーを利用されていたことが僕、よく分かったから、『もう利用されるもんか』と強く思ったんだ。だから、もう何も起こらないよ」

 私は彼に、その「エクトプラズム」という言葉はどこで知ったのかと尋ねました。彼は、映画『ハリー・ポッター』に出てきた、と答えました。

 確かに『ハリー・ポッター』は魔法界の物語であり、そこにはごく自然に死者の蘇生や亡霊の出現が描かれています。しかし、私は、エクトプラズムなる言葉は、この時、息子の口を介して、初めて知ったのでした。何度も一緒にDVD や映画館で観た作品であっても、私はその言葉を聞き逃していたのかも知れません。

 しかし、その「エクトプラズム」は、実在する物質であるということを知った時は驚きました。

まず、その記述は、佐藤愛子さんの『私の遺言』にも登場します。

 ―霊は霊体質の者からエクトプラズム(心霊現象において、霊媒の身体から発する生命エネルギーが物質化したもの)を取って現象を起す。
(『私の遺言』 pp.58-59)

また、Wikipedia においても、「エクトプラズム」の詳細が描かれています。

 それによると、「エクトプラズム (ectoplasm) とは、心霊主義で用いられる、霊能者などが、『霊の姿を物質化、視覚化させたりする際に関与するとされる半物質、または、ある種のエネルギー状態のもの』」とあります。

 ―これが体外に出る場合、通常は煙のように希薄で、霊能力がないと見えない場合が多いとされている。
 逆に高密度で視覚化する際には、白い、または半透明の「スライム」状の半物質で、「霊能者の身体、特に口や鼻から出て、それをそこにいる霊が利用し物質化したり、様々な現象を起こす」と説明されている。―

 私が薄気味悪く感じたのは、この「そこにいる霊が利用し物質化したり、様々な現象を起こす」との記述であり、更に以下のような説明でした。

 ―つまり、死を迎えた者の肉体から、霊体、あるいは霊魂が抜けた以降には、その死者はこの世に干渉したり、物質に作用を及ぼしたりすることが不可能となる。

 そのため、そこに居合わせた霊媒体質の生者のエクトプラズムを利用し、時には、ポルターガイスト現象のように、物体を手を触れずに動かしたり、ラップ現象として、誰もいない所から音を鳴らしたりする。―

 私たちは死者ではなく、紛れもない生者です。しかし同時に、奇遇にも「死者」たちにとっては「そこに居合わせた霊媒体質」を持つ者であり、今までの奇怪な現象は、こうした奇妙な体質の者が持つ「エクトプラズム」を「霊」たちが存分に利用した結果、起きたことだった、という現実に、背筋が寒くなったのでした。

 また、「霊=死者」は、もはや「死者の肉体」に用がなく、「霊媒体質の生者」に強い関心を抱いていたのだ、ということが明らかになったことも、私を震撼とさせました。

 もはや、私たち家族にとって、「死者」との分け隔てはなく、「死者」が私たちを必要としているのです。

 こうなってくると、ユタカの枕元に分散していた「緑色で半透明の破片」が、「エクトプラズム」であることはほぼ疑いがありません。

 我が家の超常現象は、彼の体から、霊が「エクトプラズム」を大量に奪い取り、壁を叩いたり、物を凄まじい勢いで飛ばしていたのでしょうか。

 そのためなのか、息子は全くの栄養不良に陥った飢餓下の子供のように、関節の骨だけが異様に浮き出し、13歳ではなく5歳の幼児のような細い細い手足となっていました。

 しかし、その「エクトプラズム」も、息子からだけでは足りず、私からも「奪われていた」ことが、後になって判明したのでした。

 それが「判明した」のは、ポルターガイスト現象が絶頂期に達した、ほぼ1ヶ月後の8月になってからであり、我が家に訪れた数々の霊の一人の「口」からその事実を私は直接、聞かされたのでした。

 そうした無数の霊魂たちが我が家に結集するには、透明だが確実な地盤を一歩一歩、踏み固めて前進すること以外に無かったかの如く、超常現象は日々、着実にその様相を激化させていきました。

 息子は「僕は『エクトプラズムに二度と利用されない』と強く思った。だから何も起きない」と語りましたが、それは、彼の、この奇妙な現実に対する恐怖心へのせめてもの拮抗だったに違いないのです。

 普段は平気そうにしているが、まだ13歳と半年という、非常に感受性の強い年頃に、毎日のように魔界の現象と直面せねばならない。そうなると、精神的な防衛本能として、「これはもう起きない」とか「起きても怖くない」と思わざるを得ないのではないか。

 私はそう判断しました。

 実際、この7月初めか中旬頃、彼が朝起きて洗面台に立っていると、「うわーっ!」と凄まじい叫び声が聞こえました。

 私が慌てて洗面所に駆けつけると、鏡がびっしょりと濡れ、水滴が洗面台に滴っていました。

 「......どうしたの?なんでこんなに水、かけたりしたの?」

 ユタカは恐怖に強ばった表情で、鏡からふらふらと後ずさりしていました。

 「だって......血......血が......」

 「えっ......!血?」
 
 「僕、顔を洗ってたら、目の前に見慣れない物が映って......それ、真っ赤な血だったんだよ」

 「え......ホントに血が、鏡についてたの?」
 
 「うん......びっくりして上を見たら、鏡の天辺から血がたら~っと流れていたんだ。だから、僕......うわーって叫んで、慌てて水をぶっかけたんだ」

 誰でもそんな状況に遭遇したら、一刻も早く目の前の現実を消し去りたいと感ずるでしょう。それなのに、私は息子のその恐怖になぜか鈍感になっていたのです。

 「そんな......血が鏡にべったりと流れているんだったら、水をかけないで、お母さんに見せてくれたらよかったのに」

 「そんな!そんな暇なんかないよ。お母さんに見せようなんて気も起きないよ。とにかく、もう怖いから水を急いでぶっかけて、血を流したんだもん」

 息子の言い分は正当なものなのです。私は、自分でも、あの時、なぜそんな鈍感なことが言えたのか、自分の感覚が分かりません。

 「怖いことが起きるのは、この家ではもう当然じゃないか」との妙な感覚が日常を支配していたとしか思えません。

 しかも、「鏡に滴る血を、水をかける前に見せてほしかったのに」だなんて......まるで、火事や交通事故の瞬間を見たがる野次馬のような心情になっていたのです。

 このことがあったのは、7月5日~6日であったのかも知れません。というのも、その日付の記録が、私のノートには無いからです。

 しかし、この「鏡事件」は、まだ「霊」が私たちに「口をきく」以前のことであり、昨日のことのように鮮明に覚えています。

 息子は、鏡の血にはあからさま恐怖を示しましたが、7月7日には、異様な出来事に対し、ごく冷静に対応していました。
 
 この日、午後1時頃から30分間にかけて、再び「ポルターガイスト」現象が起きました。

 ユタカは、午後の薬をグラス一杯の水で飲んだ後、「すごーく眠たい」と言い、まだ水の残ったグラスのそばのテーブルに顔を突っ伏しました。

 「眠たいの?夜が遅いからねえ」

 「ん......薬のせいかも知れない......」

 彼はそう言うと、そのまま寝入ってしまうかと思うほど、ぐったりと痩せた腕を曲げ、その腕を枕に目を閉じていました。

 私はだるそうにテーブルに上半身をもたげている息子の隣で、ため息をつきました。

 その瞬間、誰も触れていないグラスがいきなり「ガチャーン!」とテーブルに勢いよく倒れ、グラスのほぼ半分が粉々に砕け散ってしまいました。

 ユタカは驚いて顔を起こしました。

 「何が起きたの?」

 「いや、訳がわかんない。あんたが顔を突っ伏したら急に......まるで誰かがすごく強い力でグラスをバシッと叩いたみたいに―それで、ほら、こんなに......変だよねえ」

 「うわすげえ。粉々じゃん」

 とにかく割れたグラスを片づけないと、と用意していると、今度はどこか近くから、「ガサガサッ......ガサガサッ......」と、何か紙が動くような音がします。

 「何の音?何か紙の音がしない?」

 「いや、あれはビニール袋の音だよ......あっ!」

 テーブル脇の床に置いてある亀の水槽のそばには、母が薬局で買い物をした紺色のビニール袋が置かれてありました。

 それが、私と息子の目の前で、突然、ひとりでに、フローリングの床をテレビの方へ向かって、1mほど、スーッと動いたのです。

 よく思い出すと、その買い物袋は、最初はテーブルの上においてありました。それが、いつの間にか、誰も移動させていないのに、水槽のそばへと置かれていたのでした。

 こうした「グラス」や「買い物袋」を皮切りに、この後およそ30分間、様々な変異がリビングと寝室で起きました。それは、まるで、目に見えぬ誰かが、「現象は、ほんのちょっと『生者』を驚かすだけじゃつまらないんだよ」とでも言っているかのようでした。

 パソコン横のプリンター上にあった通販か何かのパンフレットが1mほど離れた床の上に飛び、椅子の上にあった私のクッションが、生き物のように、勝手に椅子から20cm ほど浮き、ポーンと3m 先の床に放り落とされました。

 また、寝室で寝ていた母の足下に畳まれていたタオルケットが、私の枕元の左側に、およそ2mほど斜めにスッと空中を横切って落ち、息子の目が痒い時にあてるハンカチに包んだアイスバッグが、母の枕元右から、私の布団の上へと、およそ1.5m ほど飛んだのです。

 これらの出来事は、すべてほぼ同時か、2~3秒毎に起きました。この騒ぎで、昼寝していた母も飛び起き、粉々になったグラスや物が散乱した室内を呆れて見渡しました。

 こうした現象には、驚きながらも、ユタカは「鏡の血」の時のような恐怖を示しはしませんでした。物が飛ぶのには、「うわっ」と声を上げますが、このような非日常的な異変に対して「平静」を保つ場合もあったのです。

 ひっきりなしに起こるのではなく、毎日の中で、たまに起こる数十分の怪異に対しては、人は、「たまらなく恐ろしい」「これぐらい、いつもとそう変わらない」という平衡感覚を自然に身につけてしまうのでしょうか。

 ちょうど、耳をつんざく落雷の後、たまに空を走る稲光に「あの時は怖かったけど、今度はそうでもない」と感ずるように......
(To be continued......)