2011年6月21日火曜日

第7章「炙り出された正体」2ー火の玉の映像


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 7月8日の午前2時頃、またはっきりと壁の音が隣の部屋から強く響き出しました。もちろん無人の部屋からなのです。何かを訴えるように、「コンコンコンコン......」と、際限なく続きました。

 私と母とは、懸命に『般若心経』を唱え続けました。こうすることで、音が徐々に止むこともありますが、なかなか止まないこともありました。「お経」というものに、私は何らかの意味があると考えたこともありませんでした。ただ、「現象」が起こる前は、ただ法事やお葬式の時だけ必要なものといった単純なイメージしか持ち合わせていませんでした。

 しかし、壁の音がするなどの「有り得ない出来事」、ラップ現象に関しては、なぜか「お経が効く」と闇雲に信じていたのです。お経には、仏教の根本的思想が説かれているにも関わらず、漢字の羅列と独特の読み方と節で、「亡者の冥福を祈る」「悪霊を退散させる」といった固定化かつ形式化した観念しかありませんでした。

 3年前の6月以降、そうした観念に従い、お経を家中に貼り、ただ意味も分からず、「音がする」とか「物が飛ぶ」などの怪奇現象が起こると、ただ夢中で唱えるしか方法がなかったのだと思います。

 数分後、音は鎮まりましたが、そうした生活の只中に置かれた13歳の少年には、現在の状況が一時的に混乱したのでしょう。彼は、ふと、3月初旬から登校していない記憶を失い、「僕、ずっと学校に行ってるよね。今は、まだ1月なら、春から2年生か」と言ったり、「なんでお経を部屋に貼ってるの」などと訊いたりしました。

 「どうしたの?学校には3月から行っていないじゃない。もう、2年生なんだよ。それに、お経は、ほら壁の音がしたりするから、その原因が分からないけれど、家中貼ったら効果があるかって、ユタカも言っていたじゃない......?」

 私がそう言うと、彼は「ああ、そうだったっけ。僕、今、変なこと言った気がする。でも、もう思い出せないけど」などと言いました。

 この晩、壁の音と共に、「ベランダに誰かいる気配がする」と息子は言いましたが、その後、一見平気そうでいて、そういった異様な状況に心が緊張し、「今は家にいて、ずっと変なことが起きている」事実が彼の脳裏から数分間失われたようでした。

 私と母とは、懸命に『般若心経』を唱え続けました。こうすることで、音が徐々に止むこともありますが、なかなか止まないこともありました。

 かつては「お経」というものに、私は何らかの意味があると考えたことは一切ありませんでした。ただ、「現象」が起こる前は、お経は「法事やお葬式の時だけ必要なもの」といった単純なイメージしか持ち合わせていませんでした。

 
 私自身、心が緊張状態だったにせよ、記憶が混乱することはありませんでした。それでも、3年前の記憶は相当痛烈なトラウマとなって私の心に焼き付いたのでしょう。3年もたった今年2011年になって、よく悪夢にうなされるようになりました。

 先日も、明け方、奇妙な夢を見ました。目の前の机に青いグラスが二つあり、左側は空っぽで、右側には水が半分ほど入っています。その青いグラスがいきなり勝手に机の上で奥の方へと左、右の順ですっと押しやられます。私は、その光景に「きゃっ!」と声を上げます。

 更に水の入ったグラスがすうっと上に浮遊し、空の左のグラスへと水が注がれる、ということが起こります。水はすぐそばのデスクトップパソコンのキーボードを濡してしまいます。「パソコンが壊れる」と心配しつつも、あまりの恐怖にその場にいることができず、慌てて部屋を飛び出す―

 そうした夢を見た後は、5分ほど「夢か現か」はっきりせず、たった今起きたことのように、息を切らしているのです。

 「物がひとりでに動く」という現実を、3年前目の当たりにしながら暮らしていた時は、その異様な状況に奇妙な慣れができていたのか、驚きながらも「怖い、逃げ出したい」とは思わなかったのです。

 その時に堪えていた緊張感が、そんな異変が起こらなくなった3年後、トラウマとして記憶の中で一気に解放され、再び夢の中でも恐怖体験をしなければならなくなった、というのは、何と因果なことかと感ずると同時に、「やはりあの3年前の事件は本当に起きたのだ」と改めて恐ろしく思うのです。

 翌日2008年7月9日には、再び携帯やPSP などに不思議な現象が起きました。

 この日の午前1時半頃から、母が、突然「何者か」に肩をトントン、と叩かれたり、腕を撫でられたりすることが頻繁になりました。

 私やユタカではなく、もっぱら母が触られるのです。

 母は、「わっ!触られたよ!」「今度は肩!ああイヤだ、まあ、また叩かれた!」と声を震わせ、「寝られやしない」とタオルケットにくるまり、上半身を起こして布団に起き上がっていました。

 私は、自分も叩かれたらどうしようと、母から少し体を離して、こわごわ尋ねました。

 「まだ、叩かれるの……?」

 「ああ怖い、怖いよ……まあ、まただよ!今度は手の甲を強く叩かれた……どうしたらいいの……わっまた肩を5回も強く……!あああ、もう……」

 母の怯え方は、恐怖に耐えられない苦しみが、そのまま震える声になって押し出される、という大変なものでした。母のその恐怖は、私にもすぐ伝わりました。

私はユタカに「どうして、おばあちゃんばかり叩かれるんだろね……?」とそっと聞きました。

 ユタカは壁にもたれながら、そんなに怖がらず、「さあ。きっと、『叩いている相手』は、おばあちゃんに用があるんじゃない?」と母の様子を少し可笑しそうに見つめて、そう答えました。

 「なんで、おばあちゃん見て笑ったりするの?怖いのに」

 「いや、怖いというよりさ、ばあちゃんの怖がり方が大げさなんだもん」

 私はこの間、『般若心経』を何回か唱えましたが、母が叩かれることは止まりませんでした。

 母の枕元には、私の携帯が置かれていました。私は、母が朝8時に起きるよう、アラームをセットしていました。その携帯が、いきなり「ピピピピピ……」と音を立てました。

アラームが鳴ると、メロディが鳴るようにしていたため、その「ピピピ」という音は、アラームとは関係ない、とすぐに分かりました。

 すぐに携帯を手に取ると、時刻はもう午前4時半でした。

 奇妙なのは、アラームとは関係ない時刻に設定していない音がなっただけではありませんでした。

 携帯の画面には、何らかの動画が撮影されており、それが再生途中で停止した状態だったのです。

何の映像かとよく見ると、それは全体が赤く光ったものでした。停止を再生に変えて、映像を見てみると、それは火の玉がゆらゆらと揺れている様子を撮影したものでした。

 どこをどう撮影しても、火の玉がうごめく画像など、家の中にはあるわけがないのです。私は母に、携帯の画面を見せ、「変だよね。なんでこんなものが映っていたんだろう」と話しました。

 「火の玉」というのは、昔、もう亡くなった私の父方の祖母が、私に話してくれたことがありました。

 祖母は、よく夜中に『番町皿屋敷』などの恐怖映画を観るのが好きで、小さい頃、私が夜起きてお手洗いに行くと、祖母の部屋から「ドォーン、ドンドンドンドンドン……」というテレビのお決まりの不気味な効果音が聞こえてきたものです。

 祖母は、「夜、お墓に行くとね、火の玉がふわ~り、ふわ~り、と飛ぶのが見えるんだよ。なんでか、知っているかね」と6歳頃の私に話しました。

 「知らない。『火の玉』って何?なんでお墓を飛ぶの?」

 「あれはね、死んだ人の魂が『火の玉』になって、この世を彷徨っとるんだよ。大きくなったら、お前にも見えるかも知れんね」

 その話で、私は幼心に、「お墓は怖い」とのイメージが焼き付いてしまいました。8歳頃まで、救急車のサイレンも、夜、街中に響くと恐ろしくてたまりませんでした。何故かというと、それは祖母か誰かに「救急車にはね、死んだ人が乗っているんだよ」と教えられたためかも知れません。

 幼少の頃の恐怖が、大人になり息子が13歳になっても心にこびりつき、「墓地」「死者」「火の玉」が怖くてなりません。

 その私に、現実に、誰が撮ったかもわからない、「火の玉が飛び交う映像」が携帯に動画として残されていたのです。

 ユタカは、「何?『火の玉』が映っているの?」と私の携帯を手に取り、「ふ~ん、何だろ、これ。ねえ」と呟き、携帯をパタンと閉じました。

 その直後、彼は「痛っ!」と携帯を落としてしまいました。

 「何、今どうしたの?手を振ったりして」

 「びっくりした。誰かに手を『バシッ!』と横から叩かれたんだ、携帯を払いのけるみたいに」

 「手を叩かれたの?それで携帯落ちたんだね」

 私はそう言って、布団に落ちた携帯を拾い上げました。

 その瞬間、「まさか」との疑念がよぎりました。急いで携帯の画面を開けると、案の定、「火の玉の映像」はすっかり消去されていたのです。

 これは、6月頃、「踊るスタンド」や「開く箪笥のドア」の映像が、消去されたのと同じだと感じました。また、5月の末頃、「どこかの家の床と粘土状の顔」が、いつの間にか、「誰か」によって撮影されていたことと、状況は似通っている、とも思いました。

一体、誰が、何の目的で、異様な映像を携帯を用いて撮影するのか。

そして、その映像を「私たち家族」が確認した後、「消去」するのか。

原因も分からないからこそ、不気味さは残りました。

 もしかしたら、私たちが何かをきっかけに霊体質となったのを「霊界の者」が感じ取り、何らかのメッセージを伝えようとしていたのかもしれません。彼らには「メッセージ」であっても、私たちには「不気味なもの」でしかないのです。

 「霊界」とは、「現実世界=生者の世界」とは次元が異なり、肉体という実体を失った霊魂は、「壁をすり抜けたり生前の顔が巨大化したり、何キロも先の場所から一気に行きたい所へと瞬間移動したりする」という解説を、テレビの「心霊特集」か何かで聞いたことがあります。

 すなわち、「この世」は3次元であるが、「あの世」は4次元なのだ、ということです。

 自分がこんな超常現象に遭わなければ、「あの世」なんてあるわけない、と思っていました。しかし、現実に体験すると、その解説は真実なのだと思わざるを得ません。

そして、その「4次元世界」からの訪問者たちは、徐々にその存在を私たちの前に現しつつあったのです。その直接的な「接触」として、「母の肩を叩く」ということが起きたのかも知れません。

 7月9日の午後1時50分頃、今度はPSP に「怪現象」が起きました。

 3日前の6日、息子はYouTubeを見ながら、私を呼びました。

 「ねえ、これ見て。『奇妙な生物たち』っていうタイトル。宇宙人だっていう画像も載ってる」

 私がそれを見ると、観ただけで気分が悪くなるような、異様な生物の写真が次々と現れては消えて行く画画でした。ハリウッド的なメークでも施したのかと思うほど、眼球が一つだけ頭の上に飛び出ていたり、口が左右に裂けているバケモノのような画像ばかりです。

 それの奇妙さに合うような、これまた胸が悪くなるようなメロディが同時に流れていました。

 「なんでこんな動画を見たりするの?嫌じゃない。夜だって昼だって、変なことが起きるのに……」

 「僕、平気だよ。面白いもの。この曲が、変わってていいなって。だから、今、曲だけをPSP に転送してるだけ」

 それは昼間のことでしたが、翌日7日の夜中AM0:30になると、PSPから、その「奇妙な曲」だけが自動的にに何回も再生されて流れ続けるのです。


 「ちょっと……!怖いじゃない、何でこの曲ばかりなの?気色悪いったら」

 「僕何もしてないよ。他の曲、聴こうとしても、自由がきかないんだから。勝手に再生されているんだ」

 「でも、もう嫌になっちゃう。選りに選ってこの曲ばかり、気分悪い」

 「じゃ、止めてみる」

 ユタカがPSP に触れようとした途端、「ウワッ!ビリッときた!」と慌てて手を離しました。彼は、「磁石のような強い力で、指が払いのけられた」と言いました。そして再びその「奇妙な曲」が流れ出しました。

 彼は、PSP の電源を切ってしまいました。それでも、自動的にON となり、その嫌な曲が始まりました。

 ユタカは今度はロックを選びスタートさせましたが、また途中でその変な曲が勝手に流れ出してしまうのでした。


「う~ん……もうこんなじゃ、一旦、全部消すしかないね」

 「えっ?PSP の中の曲全部?いいの?」

 「うん、パソコンに好きな曲は整理してあるし、そこから、この曲だけ削除して、またPSP に転送するだけだから、いいよ」

 そして、息子は7日夜半ににPSP 内の曲全部を消した後、9日の午後になるまで、用心のためか、パソコンから曲を転送してはいませんでした。

そろそろパソコンからPSP に曲を転送しようと、何気なく彼はPSP を眺めていた時でした。

「あれっ?PSP が変になってる。全体の空き容量がすごく減ってる」

 ユタカがそう言うので、私は一瞬訳が分からず、聞き返しました。

 「全体の空き容量が減ってるって、どういうこと?」

 「ほら、3日前に、僕、PSP の曲、全部消去したでしょう。だから、今は、PSP は大分空っぽのはずなんだ。MUSICの分だけ、削ったんだから」

 「そうねぇ。それなのに、空き容量が減ってるの?」

 「ほら、MUSIC の部分、空き容量が変だよ」

 息子は、PSP 内のMUSIC のプロパティを私に見せました。確かに空き容量がほぼ埋まった状態でした。

 曲のリストを見ると、3日前に消したはずの曲が全部、PSP 内に元通りに収録されており、何回も再生されて気色悪いと一緒に削除したはずの「奇妙な曲」は、何故か他のクラシックやロックの中に混ざっていたのです。

 PSP 内の全曲削除した分を、再び元通りにPSPに戻すには、パソコンとPSP をUSB ケーブルで繋ぎ、転送する作業をせねばならないのです。その作業を、息子がする以前に、また「家族以外の誰か」が全てやってのけた、ということなのです。

 携帯、パソコン、PSP と、この10年ほどで急速に発達したIT 機器に異様な現象が立て続けに起こると、嫌でも、そうした製品に神経質にならざるを得ません。

 パソコンは寝る前には蓋を閉め、段ボールに入れ、携帯は布団の下に押しこみ、PSP は電源をオフにし、ケースに入れようと私は言いました。それでも、PSP は「夜、クラシックを聞いて寝たい時もあるし」とユタカが言うので、ケースに入れずに、彼の枕元に置くことにしました。

 7月10日の夜半を迎えると、再び「現象」は活発になりました。

 AM0:30、ユタカは口を洗いに洗面所に行く時、リビングの椅子にかけてあるタオルのそばを通った時、「ねえ、今このタオル、『ビリッ!』としたよ」と言いました。

 「静電気のような?」

 「違う。濡れてるタオルだもん、静電気じゃないよ。なんか『霊気』みたいな変な感じ」

 彼が洗面所に行くと、プリンター上の通販パンフレットが、再びポーンと吹っ飛びました。

 私は「わっ!」と声を上げて、プリンターから飛ばされたパンフレットが魔物の化身かのように、思わずその場を後退りました。そのパンフレットをまたプリンター上に置いたかどうかは忘れましたが、「とにかくまた始まった」と、寝室に入り、母と『般若心経』を3回ほど唱えました。

 その頃には、父からも「うまいな」と言われるほど、『般若心経』のリズムは覚えていました。その時でも、「魔物退散のためにお経を唱える毎日なんて」と、ほとほと嫌々ながら唱えていたように覚えています。ただ恐ろしく、そして苦しいだけでした。現在では、『般若心経』という言葉を聞いただけで、恐怖の3年前が蘇り、ぞーっとするほどです。

 お経を唱えていると、また隣室から「コンコンコン」と壁の音が聞こえてきました。私は毎日のことながら、壁の音がすると、ゾクッとすると共に、無人の部屋に「人がいる」かのような気配を強く感じ、嫌な気分になりました。また、「なぜあのパンフレットばかり飛ぶのかしら」と気にもなりました。

 また現象が起きる直前に、大抵の場合、息子がすごい眠気に襲われるのも不思議でした。

 この晩も息子は布団でうつ伏せに寝ていましたが、壁の音にふと目を覚ましました。母はトイレに行くと言って、襖を開けて部屋を出ました。

 私は襖を開けたままにされるのが怖くて落ち着かず、「閉めてってくれたらいいのに」と独り言を言いながら、襖に近寄りました。


 すると、背後で息子が急に、低い声で「ふふふふふ……もう『般若心経』なんて唱えても意味がない……」などと呟きました。
 
 私はドキッとして振り返り、「なぜ、笑うの……?何が可笑しいの……?」と異様な印象を彼に抱きながら問いかけました。

 私の質問に、ユタカは驚いた調子で、「えっ?僕、今、笑ったりなんてしてないよ!」と不思議そうに答えました。まるで「何かに心を操られていたか」のように、我に返った様子なのです。

 母がトイレから出て、洗面所で手を洗っている音がしたので、私もトイレに行こうと、襖を開けました。

 襖を開ける直前、リビングで「ガッターン!」と物がぶつかるような激しい音がしました。急いでリビングを見ると、普通に立ててあった、テーブルの椅子が真っ直ぐ後ろに倒れており、その椅子の上に置いていた私のクッションが、廊下側のリビング扉近くまで投げ飛ばされていました。

 時刻は、もう午前1時半でした。

 私は、ユタカに「ねえ、ちょっと大変よ」と声をかけても、彼はまたうつ伏せに寝ており、彼の枕元に置いていたPSP から、再び例の「『宇宙人の動画』のBGM 」が勝手に流れていました。

 「こうした異様な現象と、この異様な曲とは相性がいいとでもいうのか」と思い、うんざりした私は、急いでPSP の×マークを押して、電源をオフにしました。すると、その気配で息子は起き、PSP は自分の枕元の布団下に押し込みました。

 彼はまだ眠そうに、「そう言えば、さっきさ、ガターン!って音がしたけど」と言いました。

 それから10分後、ユタカは「喉がカラカラ。何か飲みたいなあ」とリビングに行こうとしましたが、ふと警戒した様子で布団に潜り込みました。

 「ねえ、今、リビングに誰かいる気配がする。襖の入り口にお経を貼ってるから、相手はこっちを見ることができないみたいだけど……」

 そうして彼はまた眠ってしまいました。

 私は午前4時頃からやっと寝て、5時40分頃、トイレに起きました。すると、今度は寝室の襖に接したピアノの椅子が、先程のテーブルの椅子と同様に、真っ直ぐ後ろに倒れていました。

 ちょうどその時、「やっぱり喉が渇く」と起きて来た息子に私は言いました。

 「ねえ、誰でも、よほどだらしなくない限り、椅子を倒しっ放しにしないでしょ。なのに、テーブルも、ピアノの椅子もこんな……変だよね」

 「うん……僕、何か寝てない気がする」

 「え?ずっとよく寝ていたよ」

 「何となくね、ずっと、人がリビングのテーブルの上に立っている気配がしてね、眠れなかったんだ」

 「『誰かがリビングに入り込んでいる、般若心経には目を背けている、テーブルの上に足を乗せて立っている』」-

 息子のそうした言葉に、私は実体の無い「相手」の「存在」に不吉な確信を抱きました。

 この7月10日前後から、ただ単に物が飛んだり倒れたりするだけでなく、母が触られたり、息子が言うはずもないことを「取り憑かれた」ように無意識に呟いたりすることが多くなりました。

 私は、息子の「また室内に人がうろついている気配」との言葉と同時に怪現象が起きることから、我が家の暗闇に「何者か」が、もう完全に居座り、姿を現す機会を伺っているような息遣いさえ感じ取れる気さえし、「何が始まろうとしているんだろう」と、心配は一層強まっていきました。
(To be continued......)

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