2011年6月13日月曜日

第7章「炙り出された正体」1ーエクトプラズムの破片

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7月3日は、ネット注文もしていないソフトが届いただけでもゾッとしたというのに、その翌晩、4日の午前2時にも現象は起きました。

 よくティッシュボックスが勝手に飛ぶので、その日の夜半も、息子の布団の下に、箱を押し込んでありました。

 午前1時58分、ユタカが眠気が強くなり、「もう、寝たい」と部屋の電気を暗くした途端、その箱はいきなり布団の下からふっとすり抜け、横に寝ていた母の額に「あ痛っ!」というほどぶつかったのです。

 4日の午前11時頃、私は目を覚ましました。ふと息子の枕元を見ると、透明に近い緑色のかけらが散らばっていました。最初は消しゴムかと思いました。
触ってみると、ユタカが2、3歳の頃、従兄弟や近所の子と遊んだゼリー状のものであることが分かりました。

 「どうしたの?」ユタカが私の手元を覗き込みました。

 「どうしたのって、これ、何だろうって思って......あっそうだ、思い出したよ。よく、えっちゃんやユウちゃんと遊んでたスライムだったよね?あんな昔のがまだあったの?」

 すると、息子は神妙は表情になりました。

 「これ、スライムじゃない。これは、『エクトプラズム』っていうんだ」 

 「エクトプラズム......?それ、何?」

「霊感のある人間から、霊が吸い取る生命エネルギーみたいなのだよ。僕は、このエクトプラズムを利用されていたから、こうして布団の上にかけらが散らばる。でも、このエネルギーを利用されていたことが僕、よく分かったから、『もう利用されるもんか』と強く思ったんだ。だから、もう何も起こらないよ」

 私は彼に、その「エクトプラズム」という言葉はどこで知ったのかと尋ねました。彼は、映画『ハリー・ポッター』に出てきた、と答えました。

 確かに『ハリー・ポッター』は魔法界の物語であり、そこにはごく自然に死者の蘇生や亡霊の出現が描かれています。しかし、私は、エクトプラズムなる言葉は、この時、息子の口を介して、初めて知ったのでした。何度も一緒にDVD や映画館で観た作品であっても、私はその言葉を聞き逃していたのかも知れません。

 しかし、その「エクトプラズム」は、実在する物質であるということを知った時は驚きました。

まず、その記述は、佐藤愛子さんの『私の遺言』にも登場します。

 ―霊は霊体質の者からエクトプラズム(心霊現象において、霊媒の身体から発する生命エネルギーが物質化したもの)を取って現象を起す。
(『私の遺言』 pp.58-59)

また、Wikipedia においても、「エクトプラズム」の詳細が描かれています。

 それによると、「エクトプラズム (ectoplasm) とは、心霊主義で用いられる、霊能者などが、『霊の姿を物質化、視覚化させたりする際に関与するとされる半物質、または、ある種のエネルギー状態のもの』」とあります。

 ―これが体外に出る場合、通常は煙のように希薄で、霊能力がないと見えない場合が多いとされている。
 逆に高密度で視覚化する際には、白い、または半透明の「スライム」状の半物質で、「霊能者の身体、特に口や鼻から出て、それをそこにいる霊が利用し物質化したり、様々な現象を起こす」と説明されている。―

 私が薄気味悪く感じたのは、この「そこにいる霊が利用し物質化したり、様々な現象を起こす」との記述であり、更に以下のような説明でした。

 ―つまり、死を迎えた者の肉体から、霊体、あるいは霊魂が抜けた以降には、その死者はこの世に干渉したり、物質に作用を及ぼしたりすることが不可能となる。

 そのため、そこに居合わせた霊媒体質の生者のエクトプラズムを利用し、時には、ポルターガイスト現象のように、物体を手を触れずに動かしたり、ラップ現象として、誰もいない所から音を鳴らしたりする。―

 私たちは死者ではなく、紛れもない生者です。しかし同時に、奇遇にも「死者」たちにとっては「そこに居合わせた霊媒体質」を持つ者であり、今までの奇怪な現象は、こうした奇妙な体質の者が持つ「エクトプラズム」を「霊」たちが存分に利用した結果、起きたことだった、という現実に、背筋が寒くなったのでした。

 また、「霊=死者」は、もはや「死者の肉体」に用がなく、「霊媒体質の生者」に強い関心を抱いていたのだ、ということが明らかになったことも、私を震撼とさせました。

 もはや、私たち家族にとって、「死者」との分け隔てはなく、「死者」が私たちを必要としているのです。

 こうなってくると、ユタカの枕元に分散していた「緑色で半透明の破片」が、「エクトプラズム」であることはほぼ疑いがありません。

 我が家の超常現象は、彼の体から、霊が「エクトプラズム」を大量に奪い取り、壁を叩いたり、物を凄まじい勢いで飛ばしていたのでしょうか。

 そのためなのか、息子は全くの栄養不良に陥った飢餓下の子供のように、関節の骨だけが異様に浮き出し、13歳ではなく5歳の幼児のような細い細い手足となっていました。

 しかし、その「エクトプラズム」も、息子からだけでは足りず、私からも「奪われていた」ことが、後になって判明したのでした。

 それが「判明した」のは、ポルターガイスト現象が絶頂期に達した、ほぼ1ヶ月後の8月になってからであり、我が家に訪れた数々の霊の一人の「口」からその事実を私は直接、聞かされたのでした。

 そうした無数の霊魂たちが我が家に結集するには、透明だが確実な地盤を一歩一歩、踏み固めて前進すること以外に無かったかの如く、超常現象は日々、着実にその様相を激化させていきました。

 息子は「僕は『エクトプラズムに二度と利用されない』と強く思った。だから何も起きない」と語りましたが、それは、彼の、この奇妙な現実に対する恐怖心へのせめてもの拮抗だったに違いないのです。

 普段は平気そうにしているが、まだ13歳と半年という、非常に感受性の強い年頃に、毎日のように魔界の現象と直面せねばならない。そうなると、精神的な防衛本能として、「これはもう起きない」とか「起きても怖くない」と思わざるを得ないのではないか。

 私はそう判断しました。

 実際、この7月初めか中旬頃、彼が朝起きて洗面台に立っていると、「うわーっ!」と凄まじい叫び声が聞こえました。

 私が慌てて洗面所に駆けつけると、鏡がびっしょりと濡れ、水滴が洗面台に滴っていました。

 「......どうしたの?なんでこんなに水、かけたりしたの?」

 ユタカは恐怖に強ばった表情で、鏡からふらふらと後ずさりしていました。

 「だって......血......血が......」

 「えっ......!血?」
 
 「僕、顔を洗ってたら、目の前に見慣れない物が映って......それ、真っ赤な血だったんだよ」

 「え......ホントに血が、鏡についてたの?」
 
 「うん......びっくりして上を見たら、鏡の天辺から血がたら~っと流れていたんだ。だから、僕......うわーって叫んで、慌てて水をぶっかけたんだ」

 誰でもそんな状況に遭遇したら、一刻も早く目の前の現実を消し去りたいと感ずるでしょう。それなのに、私は息子のその恐怖になぜか鈍感になっていたのです。

 「そんな......血が鏡にべったりと流れているんだったら、水をかけないで、お母さんに見せてくれたらよかったのに」

 「そんな!そんな暇なんかないよ。お母さんに見せようなんて気も起きないよ。とにかく、もう怖いから水を急いでぶっかけて、血を流したんだもん」

 息子の言い分は正当なものなのです。私は、自分でも、あの時、なぜそんな鈍感なことが言えたのか、自分の感覚が分かりません。

 「怖いことが起きるのは、この家ではもう当然じゃないか」との妙な感覚が日常を支配していたとしか思えません。

 しかも、「鏡に滴る血を、水をかける前に見せてほしかったのに」だなんて......まるで、火事や交通事故の瞬間を見たがる野次馬のような心情になっていたのです。

 このことがあったのは、7月5日~6日であったのかも知れません。というのも、その日付の記録が、私のノートには無いからです。

 しかし、この「鏡事件」は、まだ「霊」が私たちに「口をきく」以前のことであり、昨日のことのように鮮明に覚えています。

 息子は、鏡の血にはあからさま恐怖を示しましたが、7月7日には、異様な出来事に対し、ごく冷静に対応していました。
 
 この日、午後1時頃から30分間にかけて、再び「ポルターガイスト」現象が起きました。

 ユタカは、午後の薬をグラス一杯の水で飲んだ後、「すごーく眠たい」と言い、まだ水の残ったグラスのそばのテーブルに顔を突っ伏しました。

 「眠たいの?夜が遅いからねえ」

 「ん......薬のせいかも知れない......」

 彼はそう言うと、そのまま寝入ってしまうかと思うほど、ぐったりと痩せた腕を曲げ、その腕を枕に目を閉じていました。

 私はだるそうにテーブルに上半身をもたげている息子の隣で、ため息をつきました。

 その瞬間、誰も触れていないグラスがいきなり「ガチャーン!」とテーブルに勢いよく倒れ、グラスのほぼ半分が粉々に砕け散ってしまいました。

 ユタカは驚いて顔を起こしました。

 「何が起きたの?」

 「いや、訳がわかんない。あんたが顔を突っ伏したら急に......まるで誰かがすごく強い力でグラスをバシッと叩いたみたいに―それで、ほら、こんなに......変だよねえ」

 「うわすげえ。粉々じゃん」

 とにかく割れたグラスを片づけないと、と用意していると、今度はどこか近くから、「ガサガサッ......ガサガサッ......」と、何か紙が動くような音がします。

 「何の音?何か紙の音がしない?」

 「いや、あれはビニール袋の音だよ......あっ!」

 テーブル脇の床に置いてある亀の水槽のそばには、母が薬局で買い物をした紺色のビニール袋が置かれてありました。

 それが、私と息子の目の前で、突然、ひとりでに、フローリングの床をテレビの方へ向かって、1mほど、スーッと動いたのです。

 よく思い出すと、その買い物袋は、最初はテーブルの上においてありました。それが、いつの間にか、誰も移動させていないのに、水槽のそばへと置かれていたのでした。

 こうした「グラス」や「買い物袋」を皮切りに、この後およそ30分間、様々な変異がリビングと寝室で起きました。それは、まるで、目に見えぬ誰かが、「現象は、ほんのちょっと『生者』を驚かすだけじゃつまらないんだよ」とでも言っているかのようでした。

 パソコン横のプリンター上にあった通販か何かのパンフレットが1mほど離れた床の上に飛び、椅子の上にあった私のクッションが、生き物のように、勝手に椅子から20cm ほど浮き、ポーンと3m 先の床に放り落とされました。

 また、寝室で寝ていた母の足下に畳まれていたタオルケットが、私の枕元の左側に、およそ2mほど斜めにスッと空中を横切って落ち、息子の目が痒い時にあてるハンカチに包んだアイスバッグが、母の枕元右から、私の布団の上へと、およそ1.5m ほど飛んだのです。

 これらの出来事は、すべてほぼ同時か、2~3秒毎に起きました。この騒ぎで、昼寝していた母も飛び起き、粉々になったグラスや物が散乱した室内を呆れて見渡しました。

 こうした現象には、驚きながらも、ユタカは「鏡の血」の時のような恐怖を示しはしませんでした。物が飛ぶのには、「うわっ」と声を上げますが、このような非日常的な異変に対して「平静」を保つ場合もあったのです。

 ひっきりなしに起こるのではなく、毎日の中で、たまに起こる数十分の怪異に対しては、人は、「たまらなく恐ろしい」「これぐらい、いつもとそう変わらない」という平衡感覚を自然に身につけてしまうのでしょうか。

 ちょうど、耳をつんざく落雷の後、たまに空を走る稲光に「あの時は怖かったけど、今度はそうでもない」と感ずるように......
(To be continued......)




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