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山岸涼子さんの作品は、その繊細で精緻且つ透明な画風が素晴らしく、<アラベスク>や<妖精王>などのロシア・バレエやファンタジー作品に、それらの画風は見事に溶け込んでいました。
しかしギリシャ神話などを題材にした作品が多くなると、その舞台が西洋であろうと日本であろうと、彼女の作風は徐々に変化し、人間の心理の暗闇へとそのテーマを鋭利なタッチで切り込ませていきました。
巨匠の名にふさわしく、絵は枯れ、もはや「少女漫画」の域を越えていました。 私が畏れるようになった<人形>の本も、収録された3作ともが、「人間の恐怖の実質」とも言うべきものを、実に見事に描き切っていた傑作ばかりだったのです。
深夜の奇妙な物音、1階の押し入れに入れたはずの人形が、知らぬ間に2階の箪笥の上に置かれている、勝手に人形が動き出す、独り帰宅した時、昨夜炊いた炊飯器がひっくり返って、御飯が床に散らばっているのを発見した時―そんな尋常ではない事柄に対する生々しい畏怖が描かれていました。
また、別の短編『潮(しお)の声』もそうでした。 7年ほど前にある母親と娘が住んでいたが、謎の怪死を遂げた後、「幽霊が出る」と噂されるようになった、とある北陸の和風の邸宅が舞台。
そこにテレビ取材班が、「霊能者」と称する人々3人と共に、「霊は本当に出現するのか?」との番組を撮るため、2泊3日の予定で屋敷に泊まり込みます。
一番若い「霊能者」、佐和はまだ17歳の美少女で、自分が「霊能者」とは思っていません。親の言いなりに、無理やり芸能界入りさせられただけ。 しかし、真実、彼女にのみ霊感があり、その屋敷に住む霊と波長が合ってしまい、佐和は命を落とす―という、これは悲劇で終わる話でした。
その佐和が、「幽霊なんかみたくない。早く家に帰りたい。幽霊なんか...いるわけないわね」とビクビクしながら、一人和室にいる時、ついウトウトと昼寝をしてしまいます。
目が覚めると、腕時計がない。「この鏡台に閉まったのかしら?」と引き出しを開けるのですが、その引出しの中身に、彼女はギョッとします。 引出しの中には、古い紙に包まれた粉薬が、ぎっしりと詰め込んであったのです。その粉薬は、一夜泊まり、朝、浴場のそばの洗面台の上に置いてあったものと同じでした。
彼女は、「以前、住んでいた人が使っていたものに、なぜこう怖がったりするの?私、変なのかしら。それを言ったら、他の家具やら、すべて、昔、この家の住人が使ってたものばかりじゃない」―
こう思って、落ち着こうとしますが、鏡台の引き出しの粉薬―「ただ、私、『あれ』が怖い―」と怖ろしげにその引出しを見つめます。
また、佐和は庭を散歩していて、転んでしまい、服が汚れたので、浴室で服を洗おうとします。浴室に向かうと、既に誰かが使っているらしく、ザーザーと水の流れる音がする。
そこに、彼女は異様な影を見つけます。 浴室のすりガラスの向こうに、まだ幼い7歳ほどの少女の影が見えるのに、その影はじーっとして動かない。
「なぜ、こんなに水音がしているのに、この影は動かないの?」
ぞっとした彼女は、部屋に戻りますが、スタッフが「地元の女の子が二人、撮影見学に来ている」と言っていたことを思い出し、「あれは一人の女の子が水を流しているのを、もう一人が見ていたのね」と解釈し、少しホッとします。
その後、誰もいなくなった浴場に彼女は入り、汚れた服を洗おうと、たらいにお湯を入れますが、その時、異様なことに気が付きます。
「待って!さっきまであんなに水音がしてたのに、なぜこの浴室のタイルがカラカラに乾いているの?」 そして、そう気付いた瞬間、彼女の背後で、誰かが浴室のドアを勢いよく「ガラッ!」と開ける音がします。佐和はおののいて、振り向くと、ドアは閉まったまま。
「さっき、鍵を内側からかけたドアが、今外から開ける音がした......それなのに、なぜ閉まっているの?」
-こうした、ごく日常的な、「古びた薬」や「水音」や「鍵を閉めたはずのドアが開く」といった事柄への、人間なら誰でも抱くであろう恐怖感が、読者の戦慄を呼び覚ますのです。
「ホラー作品」というのは、ゾンビや死体などを描くのではなく、こうした「日常的な小物」により真の恐怖を演出できるのです。こうした視点で描かれた山岸さんの作品集は、本当にリアルな恐怖を詰め込んだ逸品でした。
この本を読んだ2007年、この山岸さんの作品の主人公と同じような恐怖を、今度は私たちが味わう羽目になるとは、夢にも思いませんでした。この短編集を「怖い」とは思っても、「よくここまでリアルに恐怖を描けるなあ」と感心さえしていたのです。
表紙は怖くてたまらないのですが、作品はつい読みたくなる、そのため、捨てるまでには至らなかったのですが、もう「もったいない」などと言っている場合ではない―
そこまで、気持ちは切羽詰まったものとなっていました。
ぞーっと鳥肌を立てながら、その本を書棚から取り出すと、急いで「EMI MUSIC」のパンフレットの袋に入れて、セロテープを縦、横、上下とその袋に張り巡らしました。 その作業をしている間も、何かに追いかけられているような、妙な焦燥感がありました。
袋に仕舞い込んだ本は、リビングのテーブルの脚に立てかけて、次の作業の用意を準備していましたが、その間に、「本がまた独りでに、勝手にポーンと放り投げられるのではないか」という怖さに追いかけられていたのです。
その本が「じっとしている」のを、ちらちらと確かめつつ、今度は、コープの黒い袋を開け、EMI MUSIC の袋に入った本をその中に入れると、セロテープを思い切り長く引き出して、黒い袋の上下、縦横、斜め、とグルグルに巻き付けてしまいました。
これが午後の3時40分でした。
遅い昼食をそれからとった後、再び書斎に行き、本を抜き取った後にできた隙間をなくそうと、左側から辞典などを右に押し寄せ、その間にメモ帳2冊を入れました。
これで、奥の方の、「例の本」のあった箇所は、全部隙間なく収まりました。 なぜそこまでしたのか、というと、「あの本がこの書棚に、もしかしたら戻ってくるのではないか。書棚にもし戻っていたら、それこそ怖くてたまらない」と感じていたからでした。
その恐怖感を自分の中で、鎮めるためだったのです。
現在、ほぼ普通の日常に戻っている私は、その時の極端な「恐れ」の気持ちを、「普通、本が動いたら、戻ってきたら怖い、だなんて考える方がどうかしてる」と思う、一般の人々の感覚を理解できます。
実に馬鹿げた行動だったかもしれない。でも、当時の私は、そうでもしないと、「毎晩の怪異」から逃れられない―
泣きたいほどの恐怖に怯えて、走って逃げている心境だったのです。
いよいよ、出かける用意も済み、バスに乗って駅前の心療内科に出かけるため、保険証のある書斎に、4時50分、再び足を踏み入れた時でした。
書棚の横の、幅30㎝ほどの小引出し棚のすぐ下に、家の実印が落ちていました。
その印鑑は、普段は1番上の引き出しに、黒い革袋に入れた状態なのを、さらに固めの革製の小物入れに入れて、ボタンをパチンと留めて、大切にしまっているものでした。
家の大事な印鑑ですから、銀行の通帳を新たに作ったり、生命保険などに加入など、よほどのことがない限り、その引出しからわざわざ取り出すことはないのです。
それなのに、その印鑑が、黒い革袋から取り出され、裸の状態で、戸棚のすぐ足元に落ちていたのです。
こんなに大事な印鑑を、もしカーペットの上に落としたら、誰だって拾うはずです。母にこのことを話すと、印鑑を床に放っておくはずがない、と言いました。
「ここのところはね、ずっといろいろ不思議なことばかりでしょう。実印を必要とするような書類手続きなんか、何もしていないんだからね。印鑑を引出しから出したことなんて、ないのよ」
私も母も、再び奇妙な現象に心がざわつくのを感じました。
これも、夜中に灯りをつけたり、モデムのコードを抜いたり、ドアを内側から音もなく開けた、正体不明の「モノ」の仕業なのだろうか―
その印鑑は、たちまち「気色悪い」物に変わりましたが、大事であることに変わりはありません。私は仕方なくそれを拾い、元通り、黒い革袋に入れ、更に固めの革製小物入れに入れると、引き出しに直しておきました。
そして、私はバスに乗り、駅前に行きました。バスから降りると、小脇にしっかり抱え込んだ「例の本」を、思い切って駅のダストボックスに放り込みました。
大事にしていた本を捨てるなどということは、生まれて初めてのことでした。
しかし、その本は、私にとって、もはや「一冊の本」ではなく、「もしかしたら家に舞い戻ってくるモンスターかもしれない、得体の知れない化け物」と化していたのです。
実際、病院での用事を終え、マンションに戻った時、「郵便ポストにあの本を入れた袋が投げ込まれていたら、どうしよう」とさえ思ったほどです。
ところが、5月24日以降、次々とひっきりなしに起きた更なる異変の記録を読むと、「例の本」の怪奇は、「目に見えぬモノ」が引き起こした一例に過ぎなかったことが判明したのでした。(To be continued......)
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