2009年11月29日日曜日

第3章―ボルターガイストの出現―5―落ちた印鑑

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 山岸涼子さんの作品は、その繊細で精緻且つ透明な画風が素晴らしく、<アラベスク>や<妖精王>などのロシア・バレエやファンタジー作品に、それらの画風は見事に溶け込んでいました。

 しかしギリシャ神話などを題材にした作品が多くなると、その舞台が西洋であろうと日本であろうと、彼女の作風は徐々に変化し、人間の心理の暗闇へとそのテーマを鋭利なタッチで切り込ませていきました。

 巨匠の名にふさわしく、絵は枯れ、もはや「少女漫画」の域を越えていました。 私が畏れるようになった<人形>の本も、収録された3作ともが、「人間の恐怖の実質」とも言うべきものを、実に見事に描き切っていた傑作ばかりだったのです。

 深夜の奇妙な物音、1階の押し入れに入れたはずの人形が、知らぬ間に2階の箪笥の上に置かれている、勝手に人形が動き出す、独り帰宅した時、昨夜炊いた炊飯器がひっくり返って、御飯が床に散らばっているのを発見した時―そんな尋常ではない事柄に対する生々しい畏怖が描かれていました。

 また、別の短編『潮(しお)の声』もそうでした。 7年ほど前にある母親と娘が住んでいたが、謎の怪死を遂げた後、「幽霊が出る」と噂されるようになった、とある北陸の和風の邸宅が舞台。

 そこにテレビ取材班が、「霊能者」と称する人々3人と共に、「霊は本当に出現するのか?」との番組を撮るため、2泊3日の予定で屋敷に泊まり込みます。 

 一番若い「霊能者」、佐和はまだ17歳の美少女で、自分が「霊能者」とは思っていません。親の言いなりに、無理やり芸能界入りさせられただけ。 しかし、真実、彼女にのみ霊感があり、その屋敷に住む霊と波長が合ってしまい、佐和は命を落とす―という、これは悲劇で終わる話でした。

 その佐和が、「幽霊なんかみたくない。早く家に帰りたい。幽霊なんか...いるわけないわね」とビクビクしながら、一人和室にいる時、ついウトウトと昼寝をしてしまいます。

 目が覚めると、腕時計がない。「この鏡台に閉まったのかしら?」と引き出しを開けるのですが、その引出しの中身に、彼女はギョッとします。 引出しの中には、古い紙に包まれた粉薬が、ぎっしりと詰め込んであったのです。その粉薬は、一夜泊まり、朝、浴場のそばの洗面台の上に置いてあったものと同じでした。

 彼女は、「以前、住んでいた人が使っていたものに、なぜこう怖がったりするの?私、変なのかしら。それを言ったら、他の家具やら、すべて、昔、この家の住人が使ってたものばかりじゃない」―

 こう思って、落ち着こうとしますが、鏡台の引き出しの粉薬―「ただ、私、『あれ』が怖い―」と怖ろしげにその引出しを見つめます。

 また、佐和は庭を散歩していて、転んでしまい、服が汚れたので、浴室で服を洗おうとします。浴室に向かうと、既に誰かが使っているらしく、ザーザーと水の流れる音がする。

 そこに、彼女は異様な影を見つけます。 浴室のすりガラスの向こうに、まだ幼い7歳ほどの少女の影が見えるのに、その影はじーっとして動かない。

 「なぜ、こんなに水音がしているのに、この影は動かないの?」

 ぞっとした彼女は、部屋に戻りますが、スタッフが「地元の女の子が二人、撮影見学に来ている」と言っていたことを思い出し、「あれは一人の女の子が水を流しているのを、もう一人が見ていたのね」と解釈し、少しホッとします。

 その後、誰もいなくなった浴場に彼女は入り、汚れた服を洗おうと、たらいにお湯を入れますが、その時、異様なことに気が付きます。

 「待って!さっきまであんなに水音がしてたのに、なぜこの浴室のタイルがカラカラに乾いているの?」 そして、そう気付いた瞬間、彼女の背後で、誰かが浴室のドアを勢いよく「ガラッ!」と開ける音がします。佐和はおののいて、振り向くと、ドアは閉まったまま。

 「さっき、鍵を内側からかけたドアが、今外から開ける音がした......それなのに、なぜ閉まっているの?」

 -こうした、ごく日常的な、「古びた薬」や「水音」や「鍵を閉めたはずのドアが開く」といった事柄への、人間なら誰でも抱くであろう恐怖感が、読者の戦慄を呼び覚ますのです。

 「ホラー作品」というのは、ゾンビや死体などを描くのではなく、こうした「日常的な小物」により真の恐怖を演出できるのです。こうした視点で描かれた山岸さんの作品集は、本当にリアルな恐怖を詰め込んだ逸品でした。

 この本を読んだ2007年、この山岸さんの作品の主人公と同じような恐怖を、今度は私たちが味わう羽目になるとは、夢にも思いませんでした。この短編集を「怖い」とは思っても、「よくここまでリアルに恐怖を描けるなあ」と感心さえしていたのです。 

 表紙は怖くてたまらないのですが、作品はつい読みたくなる、そのため、捨てるまでには至らなかったのですが、もう「もったいない」などと言っている場合ではない―

 そこまで、気持ちは切羽詰まったものとなっていました。 

 ぞーっと鳥肌を立てながら、その本を書棚から取り出すと、急いで「EMI MUSIC」のパンフレットの袋に入れて、セロテープを縦、横、上下とその袋に張り巡らしました。 その作業をしている間も、何かに追いかけられているような、妙な焦燥感がありました。

 袋に仕舞い込んだ本は、リビングのテーブルの脚に立てかけて、次の作業の用意を準備していましたが、その間に、「本がまた独りでに、勝手にポーンと放り投げられるのではないか」という怖さに追いかけられていたのです。

 その本が「じっとしている」のを、ちらちらと確かめつつ、今度は、コープの黒い袋を開け、EMI MUSIC の袋に入った本をその中に入れると、セロテープを思い切り長く引き出して、黒い袋の上下、縦横、斜め、とグルグルに巻き付けてしまいました。

 これが午後の3時40分でした。

 遅い昼食をそれからとった後、再び書斎に行き、本を抜き取った後にできた隙間をなくそうと、左側から辞典などを右に押し寄せ、その間にメモ帳2冊を入れました。

 これで、奥の方の、「例の本」のあった箇所は、全部隙間なく収まりました。 なぜそこまでしたのか、というと、「あの本がこの書棚に、もしかしたら戻ってくるのではないか。書棚にもし戻っていたら、それこそ怖くてたまらない」と感じていたからでした。

 その恐怖感を自分の中で、鎮めるためだったのです。

 現在、ほぼ普通の日常に戻っている私は、その時の極端な「恐れ」の気持ちを、「普通、本が動いたら、戻ってきたら怖い、だなんて考える方がどうかしてる」と思う、一般の人々の感覚を理解できます。

 実に馬鹿げた行動だったかもしれない。でも、当時の私は、そうでもしないと、「毎晩の怪異」から逃れられない―

 泣きたいほどの恐怖に怯えて、走って逃げている心境だったのです。

 いよいよ、出かける用意も済み、バスに乗って駅前の心療内科に出かけるため、保険証のある書斎に、4時50分、再び足を踏み入れた時でした。

 書棚の横の、幅30㎝ほどの小引出し棚のすぐ下に、家の実印が落ちていました。

 その印鑑は、普段は1番上の引き出しに、黒い革袋に入れた状態なのを、さらに固めの革製の小物入れに入れて、ボタンをパチンと留めて、大切にしまっているものでした。

 家の大事な印鑑ですから、銀行の通帳を新たに作ったり、生命保険などに加入など、よほどのことがない限り、その引出しからわざわざ取り出すことはないのです。

 それなのに、その印鑑が、黒い革袋から取り出され、裸の状態で、戸棚のすぐ足元に落ちていたのです。

 こんなに大事な印鑑を、もしカーペットの上に落としたら、誰だって拾うはずです。母にこのことを話すと、印鑑を床に放っておくはずがない、と言いました。

 「ここのところはね、ずっといろいろ不思議なことばかりでしょう。実印を必要とするような書類手続きなんか、何もしていないんだからね。印鑑を引出しから出したことなんて、ないのよ」

 私も母も、再び奇妙な現象に心がざわつくのを感じました。

 これも、夜中に灯りをつけたり、モデムのコードを抜いたり、ドアを内側から音もなく開けた、正体不明の「モノ」の仕業なのだろうか―

 その印鑑は、たちまち「気色悪い」物に変わりましたが、大事であることに変わりはありません。私は仕方なくそれを拾い、元通り、黒い革袋に入れ、更に固めの革製小物入れに入れると、引き出しに直しておきました。

 そして、私はバスに乗り、駅前に行きました。バスから降りると、小脇にしっかり抱え込んだ「例の本」を、思い切って駅のダストボックスに放り込みました。

 大事にしていた本を捨てるなどということは、生まれて初めてのことでした。

 しかし、その本は、私にとって、もはや「一冊の本」ではなく、「もしかしたら家に舞い戻ってくるモンスターかもしれない、得体の知れない化け物」と化していたのです。

 実際、病院での用事を終え、マンションに戻った時、「郵便ポストにあの本を入れた袋が投げ込まれていたら、どうしよう」とさえ思ったほどです。

 ところが、5月24日以降、次々とひっきりなしに起きた更なる異変の記録を読むと、「例の本」の怪奇は、「目に見えぬモノ」が引き起こした一例に過ぎなかったことが判明したのでした。(To be continued......)

2009年11月15日日曜日

第3章―ポルターガイストの出現―4―独りでに開くドア

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 5月22日に、一旦父は大阪に帰りました。

 夜中に、「テーブルの上にきちんと置いていたペンが、勝手に床に、しかも離れた場所に転がった」という話については、父は「落ちやすい場所に置くから落ちるんだ」と言っていました。

 この時点では父は、玄関灯りがついたりするのは「第三者の仕業」であり、物が独りでに転がるのは「私たちのだらしなさ」といった、「現実的で合理的な」認識があったのです。

 「チューブ薬が別の所に落ちていた」との件については、「うっかり自分が落としたままだったのかも知れない」と言うのですが、よほどだらしない家庭でない限り、普通は床の上に、ごみではなく、はっきりと目立つペンや薬が落ちていたら、拾うはずなのです。

 私が第一、床の上に落ちている物は放っておけない性質で、元の場所に置くか戻すかするタイプです。

 しかし、この5月下旬の時点においては、6日間、「通常でない状態を家の中で経験した」私や母、息子と、「家で変な事が起こる」との報告で、2泊しただけの父とでは、その現象に対する感じ方にずれがあって当然だったと思います。

 既に恐怖感が募っていた私は、「怪奇現象が現実に起きつつある」との感覚があったのですが、いきなりそういう話を聞かされても、「確かに変だが、きっと侵入者が悪戯しているのだ」と考えるのが、ごく普通の反応なのです。

 事実、私も、自分がじかに経験するまでは、「怪奇現象なんて有り得ない」と思っていたのですから。

 「とにかく、いろいろ予定があるから、また1週間後位に来る」と言って、父は帰りました。

 母は、「怪奇現象なのか、第三者の侵入なのか、分からないけれど」と心配しながら、とりあえず、家の鍵、合鍵、通帳、印鑑、現金の入った封筒などの貴重品は、まとめて一つのケースに入れ、子供部屋の箪笥の上に置きました。

 玄関脇の書斎などに今まで置いていたのですが、「侵入者」との言葉さえ、怖いぐらいだったので、うっかりその部屋に貴重品は置けない、と私と話し合った結果でした。

 その後、確か父のアドバイスで、その日の午後は、母が管理事務所に「勝手に夜中に灯りがついたり、ブレーカーが落ちたり、モデムのコードが引き抜かれたりする」ことを、相談しにいったと覚えています。

 管理人さんは、我が家の玄関先に来てくれて、「他人の侵入も、それは考えられますよね。侵入した痕跡がなくてもね。今の鍵はピッキング防止のを一つ付けてはるでしょ。最近、車上荒らしも増えてますんで、鍵を安心のために2重にしはったらいいですよ」と提案してくれました。

 そして、少し笑って、「でも家の中のそういうことって、案外ね、子供さんの悪戯ってこともあるんと違いますか」と言いました。

 母は、「いえね、うちの孫はいつも自分の部屋にいますし、娘も、子供が何もしていない時に変なことが起きていることは確認しているんですよ」と答えました。

 そういう会話を聞いて、ユタカは嫌な顔をして溜息をつきました。

 「あ~あ、こういう時って、子供って不利だよね。何でも子供のせいにされちゃう」 

 「気にしなくっていいよ。事情が分からない他人は、そう思う事が多いから」 

 私は、「大人は、子供が大人同士の話は聞いていない、分からないと思う傾向があるものだ」とこの時、改めて実感しました。

 「ブレーカーだって、届かないでしょう」

 「そうだよ。ほら、ほらね、届かない」

 息子は、洗濯機に体をつけて、その上にあるブレーカー板に指を精一杯伸ばしましたが、まったく触れることもできませんでした。当時13歳の彼は、164.5cm の私よりも5cm ほど低く、天井にも手がつかなかったのです。 

 母は、早速、紹介してもらった業者の人に頼み、その日のうちに玄関ドアを2重にしてもらいました。

 また夜中が訪れ、午前0:30頃、私はいつものように玄関の鍵と施錠、各部屋の窓の鍵を確かめ、浴室、トイレ、書斎のドアをきちんと閉めました。

 その10分後、息子が口を洗いに洗面所に行きました。歯を磨いている音が10秒もしないうちに、彼が「うわぁ!」と言って、リビングに逃げ込んで来ました。

 「また、どうしたの?」

 「ちょっと、お母さんの書斎のドア見て!」

 私が息子と見に行くと、さっき私がきっちり閉めたはずの書斎のドアが、最大限に開かれていました。

 「なんでドアが開いてるの?ユタカ、開けた?」

 「僕、ドアなんかに触ってない。ただ、洗面所に来て、歯を磨いてただけだよ。こうやって、鏡眺めながら。鏡には、お母さんの部屋のドアが映るでしょ、そのドアを見てたら、急に音もなく、ドアがすーっと開いたんだ―ねえ、怖いったら」 

 確かに、息子が洗面所に上がる足音は、スリッパではっきりと聞いていました。

 もし、彼が悪戯でドアを開けたのだとしたら、書斎に向かうスリッパの足音と、ドアを開ける「カチャ」という音が、私には分かるはずです。

 ただのマンションの3LDK、リビングと洗面所の距離は大したものではありません。また、息子が洗面所に上がり、歯ブラシを取り出し、歯磨きをし始めた音も、「ああ、今歯磨きね」と私はいつものように聞いていました。

 その途端、息子が驚いた声を上げて、リビングへと逃げて来たわけなので、ドアをクローゼットのある部分まで、きっかり90度も開ける暇もなかったことが分かります。

 灯りの消えた室内は、誰もいない。

 不気味に静まり返った室内で、ただドアだけが「内側に誰かがいるように」独りでに開いた。

 私は新たな現象に、心が凍りついたようになりました。

 誰が開けたのか、まったく分からないながら、いつも使っていた自分の書斎のドアノブに触ることも、気味が悪くてたまりませんが、開いたままなのも嫌なので、仕方なく元通りにきちんと閉め直しました。

 「ねえ、あの本のせいかなあ」ユタカが言いました。

 「え?ああ、『人形』の本?」

 「うん、あの本、今、お母さんの書斎の本棚にあるでしょ。あれを、『何か』が探しに来たんじゃないのかなあ......この間も、誰もいない書斎を、歩きまわる足音とか、探し物をしてるようなガサガサした音を聞いたもの」

 そう言えば、昨年、あの本を買って、夏に3回も本が勝手に飛び出し、今年の3月にはリビングのテレビボードの本棚からもいつの間にか抜き取られ、ピアノの隅の床に落ちていた―

 それでも捨てる決意がつかず、最終的に書斎の本棚に移し、奥に押し込んだままだった、と思い出しました。

 私は、「次々と不思議なことがあるのは、あの本を買ってから、だからかも知れない」―

 そう思い、ついに捨てる決心をしたのです。

 2008年5月23日、午後に、心療内科に行くついでに、駅の雑誌・新聞用ダストボックスに捨ててしまおう。そう決めて、寝床にやっと入りました。

 日頃の睡眠不足で、目が覚めたのは、もう正午を過ぎていました。

 私は、母に「今日、心療内科行って、あの子の吐き気止めと食後の胃腸薬と安定剤、もらってくる。ついでに、あの本、駅で捨ててくるわ」と言いました。

 こうは言っても、この1週間の「怪奇現象」の原因ではないか、と推定したその本に、再び触れるには勇気が要りました。

 午後2時50分、意を決して自分の書斎に入った時です。

 すぐにいつもと違った状況に気が付きました。

 私の机の木製の椅子が、カーペットの上に、背もたれを下に、倒れていたのです。

 変だと思い、椅子を元通りに起こしても、今度は机の下の左側に置いた袋に、椅子の足がぶつかり、きちんと椅子が置けません。

 袋をのけて、椅子を元通りに立てると、椅子の背が、机の手前にピッタリとくっつくのです。

 普段、私は、椅子を机の手前にくっつくほど、ギリギリまで押し込んだりはしないのです。

 私は、「まるで、誰かが、椅子を押し込んだあと、わざと背もたれを下に倒したみたいだ」と思いました。

 「みたい」ではなく、確かに「何者か」が、そうしたに違いないのです。それも、夜中にドアを内側から開けた、実態のない「モノ」が―

 異様な事柄が次々と発生して1週間、私は正気かつ本気で、「実態のないモノ」がそうした物理的に不可能なことをやっている、と確信するようになっていました。

 そのように確信且つ感じることの方が、すべての場合、「ごく自然」であったのです。

 この椅子についても、試しに、袋を元の位置に戻し、私がいつもしている椅子の置き方、つまり机の手前から20㎝ ほど離れた位置に置いて、椅子を背もたれを下に倒してみました。

 すると、椅子は、背後の書棚の前に置いてあった、カバーをかけた電気ストーブに背もたれがぶつかり、完全に倒れませんでした。

 このことだけでも、ぞっとするのです。

 普段、この部屋に出入りするのは、私と母だけであって、しかも母は、その日の午後まで、私の書斎に入っていないと言いました。

 昼夜逆転している息子は、夜中の異変のために、私の書斎を怖がり、入ろうとしません。明け方の4時にやっと寝て、この日も午後の3時に起きてきました。 

 「もし椅子が倒れていたら、普通誰だって、元通りにするでしょう。椅子だけ倒れているなんて、絶対変よ」

 母もこの椅子の話に驚いて、そう言いました。

 私は、自分の書斎ではなくなってしまった、異様な場所になってしまった―そういう不気味さを感じながら、例の本を書棚から抜き出したのでした。(To be continued......)

第3章―ポルターガイストの出現―3―上げられるブレーカー

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 この「物が勝手に放り投げられた」という事実は、その後の記録を見ると、6月になって、ますます激しくなり、それこそ「物が敵意をもって真っ直ぐ飛んで来る」という、信じ難い現実へとどんどん発展していったことが判りました。

 5月の中旬から末までは、そんなに物は飛ばなかった、だが6月からは、あれよあれよと言う間に、様々な怪異が起きて行ったように覚えています。

 それまでにも小さな出来事が積み重なって、どんどん大きな「不可思議な現象」となっていったのに、6月からは本格化した、ということでした。

 5月21日の夜中には、就寝前に、玄関は施錠し、一旦玄関も消灯しましたが、その後、父のアイデアで、工夫をすることになりました。

 午後の10時半頃、再び玄関の灯りをつけ、そして、扉の左側の壁にある照明ランプのチェーンを引っ張りました。すると、玄関は灯りが消えます。そして、玄関のスイッチを消灯の方向に再び戻しました。

 この状態だと、再び、チェーンを引っ張り、スイッチを逆に押さない限り、玄関は勝手に灯りがつかないことになります。

 さらに、午後の11時には、洗面所にあるブレーカーの一番左端を降ろしておきました。

 このブレーカーを降ろすと、玄関も洗面所も灯りが「誰かが故意に元通りにする」ことがない限り、より異変のスタートを食い止めることになります。

 父は、「チェーンを引っ張ってもいないのに、灯りがまたついたのなら、誰かが侵入して引っ張った、というれっきとした証拠になる。ブレーカーもそのためだ」と言いました。

 私も、その時はその理屈通りだと思いました。

 しかし、今まで誰も侵入した痕跡も無いのに、灯りがついたり、モデムのコードが引き抜かれたりした経験から、「誰かが勝手にこんなことをした」と、一体、他人に証明ができるのだろうか、とも感じました。

 相談するとしたら、管理事務所か警察、ということになります。

 それでも、「現実的な物的証拠」を重んずる警察関係者に、こんな話が通ずるのだろうか、相手にされないのではないか、といった懸念がありました。

 しかし私たちのために、一生懸命あれこれと工夫を凝らしてくれる父には、そんなことを言えませんでした。「じゃあ、何のためにここに来たのか分からんじゃないか」と、父は機嫌を損ねるだろうと思ったのです。

 この玄関の灯りは、父の工夫のおかげで、その晩は何も起きませんでしたが、問題はブレーカーでした。

 午前0:55頃、息子がトイレに行きました。

 「ブレーカーは降りているから、洗面所の灯りはつかない」ということは、息子にも話していたのです。それでも、彼は、いつもの癖で、洗面所のスイッチを、灯りがつく方向へ、パチンと押しました。

 私は、その時、息子が「あれ?灯りがついた」と言う声を聞きました。 

 「えっ?灯りがついたの?」

 私は変だと思って、洗面所に行きました。とりあえず、トイレを済ませて出てきた息子は、私にこう言いました。

 「僕、いつもの癖で、ブレーカーを下げているのを忘れて、洗面所のスイッチ、つけたんだ。そしたら、パッと灯りがついたんだよ」

 私は「ああ、ブレーカーを下げてて、灯りがつくはずないのに!」と気づき、急いで洗面所の隅を見上げました。

 すると、午後11時に下げていた、左端のブレーカーは、午前0:55、約2時間の間に、いつの間にか上に上げられていたのでした。

 私は再び鳥肌が立ちました。

 次々と、両親と、私と息子、この4人以外に誰もいないのに、家の各所で、勝手に物が飛んだり、下げたブレーカーが上げられたりしているのです。

 明らかに人為的な行為なのです。それなのに、誰も家族以外にいない。

 私は、この理由も原因も分からない現象を、いつしか「怪奇現象」と感じるようになっていました。(To be continued......)

第3章―ポルターガイストの出現―2―転がるペン

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 この壁の音というものが、単なる「集合住宅の反響音」ではない、「何らかの意思を持つ者による意図的行為」である、とその頃から私は感じるようになりました。

 今年は、去年ほどの凄まじさはすっかり影を潜めていますが、時折、明け方4時から6時の時間帯になると、家のどこかで「ゴンゴンゴン!ゴンゴン!」という大きな音がします。

 その音は、上階の人が床を、重い金属の金槌のような物で叩いているか、と思われるような激しい音です。

 そしてその音は、天井から響いたり、我が家のベランダから、または誰もいないリビングの床、時には息子が一人で寝ている個室の床から聞こえてくるのです。

 その震動は、叩き方の激しさを証明するかのように、寝ている私や母の背中にまで伝わり、枕もとに置いている小物が触れ合って、カチャカチャと音を立てます。

 必ず決まって、4時から6時の時間帯の間なので、私はだんだん恐ろしくなってきました。

 息子は「上の階の人じゃない?」と言いますが、どうして明け方のそんなに早い時間帯に、工事をする必要があるでしょうか。

 母もその音で目が覚めてしまいますが、「去年ほどのことは起きていないから、きっと大丈夫」とまた寝てしまいます。

 けれども、去年ほどのことが起きず、鎮まり返っているからこそ、その異様な音が私には恐ろしく感じられるのです。そうした現象に対して、去年よりも怯えるようになってしまいました。

 今のこの状況を考えると、昨年はよく、我慢して暮らせたものだと思います。何しろ、5月16日以降の異変が、日を追うごとに、その種類と数と激しさをどんどん増していったのですから。

 私は先日、「5月20日の記録を紛失した」と書きましたが、よく探してみると、見つかりました。それは、大学で教えていた頃の教材のプリントの行間に、小さな字で急いでメモを取っていたため、分かり辛く、それで見失っていたのでしょう。

 20日の記録は、次のようなものでした。

 「PM 11:30 消灯確認 AM 0:05頃 母トイレ→AM 0:10頃 またひとりでに玄関灯りつく」

  この後、父の発案で、「ブレーカーの一番左を下げておけば」となりました。そうすると、玄関の灯りと、洗面所やトイレの灯りは、普通なら「ひとりでに灯りがつく」ことは起きないからです。

 この晩は、ブレーカーのおかげで、「また玄関の灯りがつく」ということは起きませんでした。

 しかし、次はやはりモデムのコードです。

 これは、午前0時20分、子供が通常の状態でコンセントに差し込んだままにしておきました。

 ところが午前6時頃、再び「独りでに」抜かれてあったのです。「独りでに」というより、「誰かが故意に」というべきでしょう。

 このことに加え、今度は「人の気配」です。

 午前2時頃、私は毎晩のように起こる異変に、夜中のトイレが怖く、台所の灯りをつけて、そしてトイレのドアも少し開けて入っていました。

 その時、「子供のような足音、人の足音を真似しているような音」が、サッサッと玄関辺りの廊下を歩く音を聞いたのです。

 この音は、息子も聞いていました。彼は、子供部屋のふすまを、暑いからと40㎝ほど開けていたから、聞こえたと言いました。

 「AM 6:24 ブレーカーを元に戻す」

 20日の晩は、こうした記録でした。

 父が来てくれたおかげなのか、この頃には、毎晩のように「玄関の灯りがつく」「モデムのコードが引き抜かれる・差し込まれる」という怪異が「日常茶飯事」のように、必ずといっていいほど起きていたのに、私は段々、16日から19日までのような衝撃を受けなくなっていました。

 明らかに「現象」は必ず、頻繁に起きる―ということは、徐々に始まったものが、エスカレートしている、ということでした。

 夜中のトイレは怖いが、現象そのものには、いちいちビクビクしなくなった。すなわち、「現象が怖い」という感覚が麻痺してきていたのかもしれません。

 それよりも、「起きた現象に、どう対処するか」を父と考え実行し、その内容を記録する方に注意が傾けられていたのです。

 ですが、22日の夜中に、またこれまでに予測もつかなかった異様なことが起きました。

 それは、2008年5月22日の午前0:50頃のことでした。

 その頃には、玄関が気味が悪いので、私と母と息子は、歯磨きのセットを台所に置いていました。

 息子が0:30に、口を洗おうとして、コップが洗面所にあったことに気づき、そちらに向かいました。ところが、彼は、すぐに、「わっ!」と言って、リビングに駆け込んで来ました。

 「どうしたの?」

 「今、お母さんの勉強部屋(=玄関脇の書斎)で、誰かが歩き回る足音とね、机の上を、何かを探す時のように、書類をガサガサ触っている音がしたんだよ!」

  もちろん、書斎には誰もいず、電気もつけていません。

 私は、また何らかの「気配」だと思いましたが、「確かに正体不明の『誰か』が、この家にいる」ことに、これまでにない異様さを覚えました。

 その10分後、午前0:40頃、ユタカが安定剤を半分に割って飲みたい、というので、私と台所の流しに行きました。

 安定剤を飲む前は、モデムのコードは差し込んであり、モデムはきちんと光っていました。 

 息子は、私の隣に立ち、薬を受け取ると、コップの水で飲みました。 

 そして再び、モデムを見ると、ほんの1,2分の間というのに、もうコードが外されており、モデムは点灯していませんでした。

 「感覚的に麻痺してきた」とは感じていたものの、やはりこうした異変を目の前にすると、やはり恐怖感が蜘蛛のように背筋を這ってくるのです。

 そして、午前0:50、子供部屋で寝ている母を起こして、二人で今起きた異変を話している時、父が眠り、静まり返ったリビングで、何かが「カーン!」「カツン!」と落ちて転がる音がしました。

 「ねえ、今、リビングで何か落ちた音、したよね?」

 「僕、行って見て来ようか」

 そう言う息子の後に続いて、私もリビングに向かいました。息子は、私を見て、床を指差しました。

 流しの薄明りでも、はっきりと見えました。

 テーブルの上に置いていた、私のメモ用サインペンが、そこから1・5mは離れたパソコン用デスクの下に転がり落ちていました。

 もうひとつは、テーブルの隅、壁際に置いてあった、父のチューブ薬が、そこから3mは離れた米櫃の前に転がっていたのです。

 まるで「誰か」が「わざと」放り投げたかのように―

 このことは、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えています。物事に几帳面な父がするわけもなく、しかも父は熟睡中でした。

 なぜ誰もいないリビングで、ペンが「放り投げられる」のか。

 全く理解不能でした。しかし、このことは、「玄関の灯り」などと同じように、「エスカレートしていく」のではないか―

 そのような直感めいた、不穏な予感がしたのも、今でもはっきりと思い出すのです。 (To be continued......)