2009年11月15日日曜日

第3章―ポルターガイストの出現―4―独りでに開くドア

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 5月22日に、一旦父は大阪に帰りました。

 夜中に、「テーブルの上にきちんと置いていたペンが、勝手に床に、しかも離れた場所に転がった」という話については、父は「落ちやすい場所に置くから落ちるんだ」と言っていました。

 この時点では父は、玄関灯りがついたりするのは「第三者の仕業」であり、物が独りでに転がるのは「私たちのだらしなさ」といった、「現実的で合理的な」認識があったのです。

 「チューブ薬が別の所に落ちていた」との件については、「うっかり自分が落としたままだったのかも知れない」と言うのですが、よほどだらしない家庭でない限り、普通は床の上に、ごみではなく、はっきりと目立つペンや薬が落ちていたら、拾うはずなのです。

 私が第一、床の上に落ちている物は放っておけない性質で、元の場所に置くか戻すかするタイプです。

 しかし、この5月下旬の時点においては、6日間、「通常でない状態を家の中で経験した」私や母、息子と、「家で変な事が起こる」との報告で、2泊しただけの父とでは、その現象に対する感じ方にずれがあって当然だったと思います。

 既に恐怖感が募っていた私は、「怪奇現象が現実に起きつつある」との感覚があったのですが、いきなりそういう話を聞かされても、「確かに変だが、きっと侵入者が悪戯しているのだ」と考えるのが、ごく普通の反応なのです。

 事実、私も、自分がじかに経験するまでは、「怪奇現象なんて有り得ない」と思っていたのですから。

 「とにかく、いろいろ予定があるから、また1週間後位に来る」と言って、父は帰りました。

 母は、「怪奇現象なのか、第三者の侵入なのか、分からないけれど」と心配しながら、とりあえず、家の鍵、合鍵、通帳、印鑑、現金の入った封筒などの貴重品は、まとめて一つのケースに入れ、子供部屋の箪笥の上に置きました。

 玄関脇の書斎などに今まで置いていたのですが、「侵入者」との言葉さえ、怖いぐらいだったので、うっかりその部屋に貴重品は置けない、と私と話し合った結果でした。

 その後、確か父のアドバイスで、その日の午後は、母が管理事務所に「勝手に夜中に灯りがついたり、ブレーカーが落ちたり、モデムのコードが引き抜かれたりする」ことを、相談しにいったと覚えています。

 管理人さんは、我が家の玄関先に来てくれて、「他人の侵入も、それは考えられますよね。侵入した痕跡がなくてもね。今の鍵はピッキング防止のを一つ付けてはるでしょ。最近、車上荒らしも増えてますんで、鍵を安心のために2重にしはったらいいですよ」と提案してくれました。

 そして、少し笑って、「でも家の中のそういうことって、案外ね、子供さんの悪戯ってこともあるんと違いますか」と言いました。

 母は、「いえね、うちの孫はいつも自分の部屋にいますし、娘も、子供が何もしていない時に変なことが起きていることは確認しているんですよ」と答えました。

 そういう会話を聞いて、ユタカは嫌な顔をして溜息をつきました。

 「あ~あ、こういう時って、子供って不利だよね。何でも子供のせいにされちゃう」 

 「気にしなくっていいよ。事情が分からない他人は、そう思う事が多いから」 

 私は、「大人は、子供が大人同士の話は聞いていない、分からないと思う傾向があるものだ」とこの時、改めて実感しました。

 「ブレーカーだって、届かないでしょう」

 「そうだよ。ほら、ほらね、届かない」

 息子は、洗濯機に体をつけて、その上にあるブレーカー板に指を精一杯伸ばしましたが、まったく触れることもできませんでした。当時13歳の彼は、164.5cm の私よりも5cm ほど低く、天井にも手がつかなかったのです。 

 母は、早速、紹介してもらった業者の人に頼み、その日のうちに玄関ドアを2重にしてもらいました。

 また夜中が訪れ、午前0:30頃、私はいつものように玄関の鍵と施錠、各部屋の窓の鍵を確かめ、浴室、トイレ、書斎のドアをきちんと閉めました。

 その10分後、息子が口を洗いに洗面所に行きました。歯を磨いている音が10秒もしないうちに、彼が「うわぁ!」と言って、リビングに逃げ込んで来ました。

 「また、どうしたの?」

 「ちょっと、お母さんの書斎のドア見て!」

 私が息子と見に行くと、さっき私がきっちり閉めたはずの書斎のドアが、最大限に開かれていました。

 「なんでドアが開いてるの?ユタカ、開けた?」

 「僕、ドアなんかに触ってない。ただ、洗面所に来て、歯を磨いてただけだよ。こうやって、鏡眺めながら。鏡には、お母さんの部屋のドアが映るでしょ、そのドアを見てたら、急に音もなく、ドアがすーっと開いたんだ―ねえ、怖いったら」 

 確かに、息子が洗面所に上がる足音は、スリッパではっきりと聞いていました。

 もし、彼が悪戯でドアを開けたのだとしたら、書斎に向かうスリッパの足音と、ドアを開ける「カチャ」という音が、私には分かるはずです。

 ただのマンションの3LDK、リビングと洗面所の距離は大したものではありません。また、息子が洗面所に上がり、歯ブラシを取り出し、歯磨きをし始めた音も、「ああ、今歯磨きね」と私はいつものように聞いていました。

 その途端、息子が驚いた声を上げて、リビングへと逃げて来たわけなので、ドアをクローゼットのある部分まで、きっかり90度も開ける暇もなかったことが分かります。

 灯りの消えた室内は、誰もいない。

 不気味に静まり返った室内で、ただドアだけが「内側に誰かがいるように」独りでに開いた。

 私は新たな現象に、心が凍りついたようになりました。

 誰が開けたのか、まったく分からないながら、いつも使っていた自分の書斎のドアノブに触ることも、気味が悪くてたまりませんが、開いたままなのも嫌なので、仕方なく元通りにきちんと閉め直しました。

 「ねえ、あの本のせいかなあ」ユタカが言いました。

 「え?ああ、『人形』の本?」

 「うん、あの本、今、お母さんの書斎の本棚にあるでしょ。あれを、『何か』が探しに来たんじゃないのかなあ......この間も、誰もいない書斎を、歩きまわる足音とか、探し物をしてるようなガサガサした音を聞いたもの」

 そう言えば、昨年、あの本を買って、夏に3回も本が勝手に飛び出し、今年の3月にはリビングのテレビボードの本棚からもいつの間にか抜き取られ、ピアノの隅の床に落ちていた―

 それでも捨てる決意がつかず、最終的に書斎の本棚に移し、奥に押し込んだままだった、と思い出しました。

 私は、「次々と不思議なことがあるのは、あの本を買ってから、だからかも知れない」―

 そう思い、ついに捨てる決心をしたのです。

 2008年5月23日、午後に、心療内科に行くついでに、駅の雑誌・新聞用ダストボックスに捨ててしまおう。そう決めて、寝床にやっと入りました。

 日頃の睡眠不足で、目が覚めたのは、もう正午を過ぎていました。

 私は、母に「今日、心療内科行って、あの子の吐き気止めと食後の胃腸薬と安定剤、もらってくる。ついでに、あの本、駅で捨ててくるわ」と言いました。

 こうは言っても、この1週間の「怪奇現象」の原因ではないか、と推定したその本に、再び触れるには勇気が要りました。

 午後2時50分、意を決して自分の書斎に入った時です。

 すぐにいつもと違った状況に気が付きました。

 私の机の木製の椅子が、カーペットの上に、背もたれを下に、倒れていたのです。

 変だと思い、椅子を元通りに起こしても、今度は机の下の左側に置いた袋に、椅子の足がぶつかり、きちんと椅子が置けません。

 袋をのけて、椅子を元通りに立てると、椅子の背が、机の手前にピッタリとくっつくのです。

 普段、私は、椅子を机の手前にくっつくほど、ギリギリまで押し込んだりはしないのです。

 私は、「まるで、誰かが、椅子を押し込んだあと、わざと背もたれを下に倒したみたいだ」と思いました。

 「みたい」ではなく、確かに「何者か」が、そうしたに違いないのです。それも、夜中にドアを内側から開けた、実態のない「モノ」が―

 異様な事柄が次々と発生して1週間、私は正気かつ本気で、「実態のないモノ」がそうした物理的に不可能なことをやっている、と確信するようになっていました。

 そのように確信且つ感じることの方が、すべての場合、「ごく自然」であったのです。

 この椅子についても、試しに、袋を元の位置に戻し、私がいつもしている椅子の置き方、つまり机の手前から20㎝ ほど離れた位置に置いて、椅子を背もたれを下に倒してみました。

 すると、椅子は、背後の書棚の前に置いてあった、カバーをかけた電気ストーブに背もたれがぶつかり、完全に倒れませんでした。

 このことだけでも、ぞっとするのです。

 普段、この部屋に出入りするのは、私と母だけであって、しかも母は、その日の午後まで、私の書斎に入っていないと言いました。

 昼夜逆転している息子は、夜中の異変のために、私の書斎を怖がり、入ろうとしません。明け方の4時にやっと寝て、この日も午後の3時に起きてきました。 

 「もし椅子が倒れていたら、普通誰だって、元通りにするでしょう。椅子だけ倒れているなんて、絶対変よ」

 母もこの椅子の話に驚いて、そう言いました。

 私は、自分の書斎ではなくなってしまった、異様な場所になってしまった―そういう不気味さを感じながら、例の本を書棚から抜き出したのでした。(To be continued......)

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