2010年5月26日水曜日

第5章「異界の門」―7―壁の中の気配:part5―開かれる衣装タンス―『般若心経』への乱闘

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それらの手型は、痩せこけた人のものらしく、手の平の下が骨ばっていました。

 ユタカが、その手型に触れないよう、手の形を合わせてみたところ、指の長さが全く異なっていました。私も恐る恐る合わせる仕草をしましたが、指の太さが合いません。

 つまり、その手型は、私達家族以外の「人」の手型なのです。

 私達は、午前3時すぎから4時半頃まで、女性の妙な苦しげな声を聞きながら、じっとしていたわけですから、それは当然のことでした。

 父は、「何か(今起きている怪奇現象の)解決の糸口になるかもしれないから、その手型、足型を、デジカメで撮っておけよ」と私に頼みました。

 その頃には、父も、「日本心霊科学協会」の存在を知っていたので、いざとなれば、そこに相談するつもりがあったのです。

 私は、6月9日の午後、いつも行くショッピングセンター内にある、カメラ専門店に、そのデジカメを持って行き、問題のデータだけを現像するよう依頼しました。店員の人は、仕上がった写真を見せながら、こう言いました。

 「何か、海にでも行かれたんですかね。こう、全体に青い背景ですもんね」

 私は、「明け方、窓に映っていた誰か知らない人の手型を撮影したんです」とはとても言えないので、「いえ、海じゃなくって、明け方の山の景色を撮ったんです。家の前が、一面山ですから、綺麗だなと思って」と説明しました。

 カメラ店の人は、「ああ、そうですか。綺麗に仕上がってますよ」と頷いて、小さなポケットアルバムに、それらが「不気味な」写真とも知らず、丁寧に収納したうえで、私に手渡してくれました。

 しかし、この写真は、8月に「こんなものを保存していると、不吉だ」との理由で、燃やしてしまい、「日本心霊科学協会」にも、結局、相談しに行くことはありませんでした。

 私は、仕上がった写真を、父と息子に見せました。すると、息子が、思い出した、とこう言いました。

 「そう言えば、女の人の呻き声が続いている間、明け方になったよね。その時、僕の枕元の通気口から、女性の体がふーっと入って来て、部屋中に広がった気配を感じたんだ。その後、カーテンを開けたら、こういう手型が窓にいっぱいついていたんだもんね」

 私は、その気配は分かりませんでしたが、ユタカの言う通りなら、窓の手型は、夜中じゅう、呻いていた女性のものに違いありません。

 そして、スタンドが動き回るムービーが消去されたことについては、息子は、「珍しいし、面白い。もう一回見てみたい」と興奮していたようでした。その時は、恐怖心が麻痺していたのかもしれません。

 しかし、今度の女性の声を聞いて、「怖いよ。この家、気持ち悪い」と言い出しました。

 それで、父の旅行計画は、単に「現象の原因探し」に留まらず、知り合いの方々のアドバイスもあり、「お孫さんの気分転換にも必要でしょう」ということで、行き先を、6月15日から、兵庫県のY町の旅館に2泊、F町のホテルに2泊、ということに決定し、早速予約を取ることとなりました。

 6月10日の午前0時前には、父の言うように、お経が効果があるのかを試すこととなりました。

そのために、ネットから検索した『般若心経』を印刷し、さらに何枚かコピーしたものを、子供部屋(私と子供と母の寝室)の入り口のふすまに押しピンでしっかり止め、更に、その寝室の勉強机、窓際の椅子、カーテンの左側の裏と、3か所セロテープで張り付けました。

 すると、ユタカがびっくりしたように、こう言いました。

 「ね、今、<はがせーっ>て男の苦しそうな声が聞こえたんだけど」

 私も、何か男性の唸るような声が一瞬聞こえました。確かに、「はがせー」と言っているようでした。それは、『般若心経』をはがせ、ということなのです。

そのお経の最後に「悪霊を追い払う」題目があるから、と聞いていたので、そのお経の言葉に「悪霊」が苦しんで、「はがせ」と呻いたのでしょう。

日付が11日となった夜半、また誰かが家の中を素足で歩き回るような気配を、私と息子はふすまを閉めた寝室の中で感じました。

 それは、若い女性のような、静かな足音でした。玄関からそのヒタヒタとの、気配と足音が忍び寄り、リビングへと近づいてきました。

 しかし、その足音は、『般若心経』を貼ったふすまの前でピタリと立ち止まってしまいました。

 私達には、その「人物」は、どうも困ったように、ふすまの前で立ち尽くしているように感じられました。

 しばらくすると、パタパタパタ……と、玄関の方へ逃げるかのように、足音は遠ざかって行きました。

 私達が安心したのもつかの間、その足音は、再びリビングへと諦めきれないように、近寄って来ました。

 しかし、今度は、私達の寝室へと向かわないままでした。「誰か」が座り込んだ時のように、テーブルの椅子が、ややきしむような気配がありました。家中が静まり返っていました。

 その「女性」は、何かを座ったまま考え込んでいる様子でした。

 その後、父が寝室としている隣室へと入ったのか、その部屋にある大きな衣装ダンスの引き出しや扉が、「スーッ」「ギィッ……バタン」と開閉される音がかすかに聞こえてきました。

 隣室では、父は大きないびきをかいて寝ていました。それなのに、タンスの開閉の音が「ギィーッ......バタン」と聞こえるのです。

 私は怖くなり、ユタカにささやきました。

 「ねえ、あの音......おじいちゃんじゃないよね。すごいいびきで寝込んでいるから......」

 するとユタカは、「やばいよ」と困った口調になりました。

 「やばい。さっきの女がじいちゃんの部屋に入ったんだよ。じいちゃんの部屋には今、お経貼ってないよ。じいちゃんが危ないかもしれないから、皆でじいちゃんの部屋に寝よう。ね、そうしよう」

 何がどう危ないのか。父の命がその女の手で奪われるのか。

 そうとは言い切れないながらも、漠然とした大きな不安に私は陥りました。

 「今、隣の部屋に行くのは怖いけれど、おじいちゃんが心配だね......」

 私が戸惑っていると、息子は「大丈夫だよ。皆一緒だから」と請け合うように言いました。

 時間は、AM3:00 頃でした。俗に言う「草木も眠る丑三つ時」と呼ばれる「何かが出て来る」時間です。

 女性の気配を感じながらも、それでも、私は、その女性の正体を、「霊」と思いませんでした。

 妙な声がしたり、お経の手前で立ち止まる気配がしたり、それ以前から、物が勝手に飛んだり動いたりしているのだから、とっくに「これは霊の仕業だ」と認めていてもおかしくないのですが、私の意識の底で、「『霊が入り込んでいる』なんて、怖いから認めたくない」との感覚があったのでしょう。

 私達は3人で、父の部屋に布団を移しました。その物音で、父は「何事か」と目を覚ましました。

 私は、「今さっき、女性がリビングに入り込む気配がしてね、お経の貼っているこちらには来ないで、おじいちゃんの部屋に入って、タンスを開けたり閉めたりしてる音がしたもんだから」と説明しました。

 父は、それを聞いて、「そうか......」と考え込みました。

 ユタカは、ひとしきり布団を、狭い6畳に敷き詰めた後、疲れて眠くなったらしく、衣装タンスにもたれて、うとうとしていました。

しかし、彼は、いきなり、「うわっ!うわぁ!」と身をよじり、タンスを振り返りました。

 「どうしたの、急に?」

 「だって、僕が寄りかかってたタンスの引き出しが、僕の背中をさ、こう、ぐいーって押すように引っ張り出されて来るんだもの」

 「えっ?引き出しが?勝手に?勝手に開いた?」

 息子は頷いて、「また開くかもしれない。見ててごらんよ」と不安げにタンスから離れ、布団の中央に座りこみました。私は、父が体を横にしているマッサージチェアに寄りかかりながら、タンスを見つめていました。

 すると、どこからか、9日のAM3:00 過ぎから聞いたのと同じような、若い女性の、細く苦しげな、泣くような声が、再び室内で聞こえてきました。

 「ウ~ッウッウッ......ヒィッ......ヒィッ......」

 「うわっ......!またあの声がする......!」

 私達は、ぞっと寒気がしてきました。

 その声のほぼ直後、先ほど息子のもたれていたタンスの引き出しが、私達の目の前で、スーッと引き出されたのです。

 その引き出しは、アクセサリーや小さなポーチを詰め込んだものでした。

 5秒ほどすると、また、引き出しは、誰も触れない状態のまま、スーッと引っ込み、パタンと元に戻りました。

 この現象に、家族全員、顔を見合わせました。皆、無言で、ただただ「信じられない」との気持でした。

 ふと気がつくと、「コトコトッ......コトコトッ......」と音がします。タンスの左右に視界を走らせると、右端の細長い衣装扉が内側から開こうとしている音だ、と分かりました。

  今まさにその扉が開こうと、コトコト音を立てている―そう思う間もなく、みるみるタンスの扉が5cm ほど開いて、またバタン!と閉まりました。

 私の恐怖心は再び麻痺し、気がつくと、大急ぎでその扉の映像を携帯で撮影していました。

 また何か起こるかと、奇妙な好奇心に駆られ、携帯をムービーモードにして構えていると、今度は、同じ扉が、「コトコトッ」と鳴り、「キィッ......」と音を立てながら、ダイナミックに15~20cm も開き、1、2秒後には、「バタン!」と勢いよく閉められました。

 「何だ、今のは......?」
 「まあ、タンスの扉が勝手に開いて、閉まるなんて......怖ろしい」

 両親ともに、顔をこわばらせていました。

 しかし、父は、私同様、恐怖心以上の好奇心に満たされた様子で、「おいおい、今の携帯で撮ったんか?」と急くように尋ねました。私も、不思議なことに、「怖い」との気持ちが無くなってしまい、珍しい映像を捕えたかのように頷きました。

 「うん、バッチリ撮れてるから」

 私がそう言いながら、今撮ったばかりのムービーを確認していると、ユタカが急に怖ろしげに声を上げました。

 「あっ!さっきの女がお母さんの方に近寄って行くよ!」

 「えっ......どうしよう......!」

 私はその時は、何の気配も感じませんでした。しかし、私に「その女」が近づいた、ということは、私の携帯に用事があったのだろうと思いました。

 急いで、携帯のムービーを確認しました。すると、やはり驚くことに、たった今撮ったばかりのムービーは、ひとかけらもなく消去されていたのです。

 「あっ......!また、今のタンスのムービーが消されちゃった......!」

 すると、父がやや残念そうに「そうか、また消去だな。『相手』には、そういう証拠が残るのは困る、ということなんだなぁ」と呟きましたが、思いついたように私にこう言いました。

 「なあ、『般若心経』貼ってたお前たちの寝室には、何も起きなかったわけだ。それで、俺が寝ている部屋には、入り口にも内部にもお経はなかった。それで、女の声がしたり、タンスが勝手に開いたりしたな。ということは、やっぱり『般若心経』は、効果があるってことだよ。ほれ、早速、ユタカの部屋に貼ってるお経を一枚はがして、そこのプリンターで20枚くらいコピーして、家中貼ってみよう」

 私は、そうだね、と同意し、急いでパソコンデスクに座り、プリンターでコピーの操作にかかりました。

 プリンターが、コピーされたお経を1枚、2枚と自動的に吐き出し始めた途端、物が飛び交う現象が、今までにない激しさで、突然始まりました。

 それは、「現象の急襲」と言っても良いほどの凄まじさでした。

 寝室のハンカチのみならず、ティッシュボックス、タオルケット、枕、椅子のクッション、帽子、ハードカバーの本、更には重いセロテープの台までが、怒り狂うように、「バシーッ!」「ガーン!」と、リビングの床や壁、また私の方へと次々と投げつけられて来ました。

 「うわっ!飛んで来たっ!危ないったら、うわっ!キャーッ!」

 私は、あまりの激しさに、慌ててデスクから離れました。

 その間にも、部屋のあちらこちらにある本などが、パソコンデスクや玄関の土間に、「バーン!バーン!」と投げ飛ばされ、怖ろしいほど大きな音を立てました。

 父は、「頑張れ、万里子、頑張れ、あと残り8枚だ、今だ、今だ!」と叫びました。

 私は物が飛ぶ合間をかいくぐるように、再びパソコンに向かい、コピーボタンをクリックし続けました。

 やっと20枚のコピーが終わると、父が「終わったか!早く家中、皆で貼ろう!」と、ガムテープを廊下の押し入れから出しました。

 すると、今度は、誰もいないトイレのドアが、ひとりでに「バッ!」と開いては、「バーン!」と凄い勢いで閉まりました。この現象は、2回、続けざまに起きました。

 「バッ!バーン!バッ!バーンン!」

 家中の壁にひびでも入るか、というほどの、異様なまでの怖ろしい勢いでした。

 まるで、家中の「モノ」達が、私達の行為の目的を察知し、怒りが頂点に達し、獰猛な狂気で暴れながら抵抗しているかのようでした。

 実際、「彼ら」は、『般若心経』を家中に貼り巡らされることに、怒り狂っていたのでしょう。

 私は、姿の見えない「モノ」達に「襲われている」恐怖心で、目の前の事柄がとても現実とは思えなくなっていました。

 「早く、早く、急いで!」

 皆で手分けし、玄関の内側、トイレ、浴室、押し入れ、私の勉強部屋のドアの表側―ともかく、ドアやふすまの表という表にはすべて貼り、また、リビングのドアやふすまには、両面に貼りつけ、衣装タンスの部屋と、隣り合った子供部屋、私の勉強部屋の窓、カーテン、机、椅子、壁、タンス―あらゆる家具にも貼り付けました。

 また、この両部屋と、私の書斎の左隅の壁には、通気口がありましたが、そこには気がつきませんでした。

 「これであらかた、全部貼ったか―あっ!そうだ、万里子、通気口にも貼れよ!ああいう所から、『奴ら』は入っているのかも知れんぞ!」

 「ああ、通気口かあ―ホント、気がつかなかった!これがいけなかったのかも知れないね!」

 父の言葉に、私も急いで3つの部屋の通気口にお経を貼りました。通気口は、リビングの入り口にもあったので、そこにも大急ぎで張り付けました。

 その間中、引っ切り無しに物が飛び交っていましたが、「もうこれでいいだろう」と、私達が家の中を見渡した後、今までの凄まじさが嘘のように、「しーん」となり、すべての空間が静寂に包まれました。

 時刻は、気がつくと、もう午前4時半でした。

 コピーを始めたのが午前4時頃だったので、「モノ」の大乱闘は、30分間続いたことになります。

 家中、投げ飛ばされた物が床に散乱し、ひどい散らかりようでした。母が、床に落ちていたハードカバーの本の中に、佐藤愛子さんの『私の遺言』を見つけて、びっくりしたように私に言いました。

 「まあ、これも投げられていたんだね。見て、このひどい本の痛み方。『敵』は、この本の内容を知って、だから、憎たらしくて投げ飛ばしたんだろうね」

 ユタカが、ほーっとしたように呟きました。

「はーっ......今まであった変な気配が全部消えちゃったよ」

 この後、13日の晩まで、ほぼ2晩、ほとんど何事も起こりませんでした。何事も起こらなかった頃の、平穏な日常が戻ってきたかのようでした。

 私達は、「お経のおかげだ」「通気口をお経で塞いだおかげだ」と思いました。

 そして、そのお経は、更に10枚ほどコピーして、「15日からの旅行に、念のために持って行こう」となりました。

 私達は、『般若心経』があれば、もう大丈夫―そう信じて疑いませんでした。

 しかし、旅行先で、再び、私達家族は、「お経じゃ、だめなんだ」と思い知らされることになったのです。(To be continued……)


 


 

2010年5月21日金曜日

第5章「異界の門」―6―壁の中の気配:part4―窓に残された手型

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 6月7日土曜日の朝から、8日の日曜日夜半までは、今までのことが全く嘘のように、何も起きませんでした。ただ、携帯やデジカメのムービーがきれいに「消去されている」ことが不思議でした。

 8日の昼間、息子は昼寝をしていました。彼が起きて来ると、私は、早速、ムービー消去の話をしました。

「ねえ、7日の夜中、スタンドが動いたのをお母さん、携帯で撮ったでしょ。それが、ゆうべ、もう一度確認したら、消えていたんだよ。5月に何かが撮影されてたデジカメの、気持ち悪いムービーも消去されてた。変だよね」

 ユタカは、「へえ~」と不思議そうな顔をしましたが、急に思い出した表情になりました。

 「そういえば、僕、さっきの昼寝の時、夢を見たんだよ」

 「どんな夢なの?」

 「あのね、男か女か分からない、中性的な人物が、携帯をしまってる整理ダンスの引き出しに近寄ったんだ。それで、そいつが『証拠になる物が残っている』って言って、タンスの前に10秒ほど立ってたけれど、それから、姿を消した。そういう夢」

 彼はそう言うと、気がついたように付け加えました。

 「あっ、じゃあ、あの夢は正夢だったんだね。霊感の強い人間の夢に、霊は現れて、話しかけてくるというらしいからね」

 「霊感」という言葉を、私が子供の口から聞くのは、その時が初めてでした。

 息子が、いつの間にそうした言葉や、「霊感の強い人間の夢に、霊は現れて、話しかけてくる」という知識を得たのか分かりませんでしたが、多分、ゲームの中に「霊感」という言葉が登場したり、ネットの「心霊特集」などを子供が好んで、私も一緒に見たことがあるので、そうした知識が印象強く残っていたのかもしれません。

 しかし、息子が自分自身を「霊感の強い人間」と既に感じるようになった理由については、私は、今考えると不思議ですが、2008年の6月においては、特に妙に思いませんでした。

 「誰もいない部屋やベランダで、気配を感じたりするのだから」と、自然に納得していたのです。

 また、私自身も、無人の場所で人の気配を感じたり、誰もいるはずのない隣室から、壁を叩く音を聞くという現象を経験するようになってからは、「霊感」との言葉に、特に抵抗を感じなくなっていました。

 私は、自らを「霊感のある人間」と自認してなどいませんでしたが、この時には、注文した佐藤愛子さんの『私の遺言』を読み始めていたために、そうした「特殊能力」に関し、共感できるようになっていたのだ、と思います。

 佐藤愛子さんは、「霊感」を「霊体質」と表現し、「人は皆、霊体質になる可能性がある」と記し、次のように分類していました。

 ―すべての人が霊体質なのであって、1.それが既に出ている人、2.一生気づかぬままに死ぬ人、3.今はそうではないが、何かの拍子に出る人、4.経験はないが知識として持っていて信じている人、などに別れているらしい。

 そして、佐藤さんは、自ら「私は51歳のその時まで、何の異変も感じず、幽霊話などバカにしていた。私は、3に該当するのだろう」とのように述べられています。

 こうした佐藤さんの体験談から、「なるほど、そんなことがあるんだな」と、何の抵抗なくその分類に納得できたのは、私や家族が、佐藤さんと同じような体験をしていたからなのでしょう。

 超常現象などに無縁であれば、私も、かつての佐藤さんと同様、「そんな非現実的な話、嘘に決まっている」と思うでしょう。

 実際、異常な体験をするまでは、本当にそう思っていたのですから。

 そして、恐らく、息子も、また多分、私も、佐藤さんのように、「3.今はそうではないが、何かの拍子に出る人」に当てはまるのではないか、と、本を読んだ時、驚きながらも、そう実感したのでした。

 父は、一旦、7日の朝に大阪に帰り、8日の晩に再び我が家に泊まりこみにきました。父が、知人のKさんと話したところ、「霊というのは、何かを媒体として現れるらしいですね。特に、家の中に心の不安定な子供がいる場合、そうした現象が起こりやすい、という話をよく聞きます」との意見だった、と話してくれました。

 しかし、こうした「霊感、霊体質、霊の出現」という印象は、この頃にはあまり無かったのです。

 むしろ、物が飛ぶ、浮く、などの非物理的な現象、との感じが強く、実際、背後に「心霊的なもの」が関わっているとの確信など、ゼロに近いと言ってもよいほどでした。

 9日の夜半、AM1:45~2:40 頃にかけて、再び怪異現象が始まりました。最初は、壁の音でした。

 その壁の音は、今までにないような、激しいものでした。

 初めは、「ドンドン、コンコン」との音でしたが、それも、もう全く、壁の中から「人」が叩いているような感覚でした。

 その音は、次には、爪の先で引っ掻くような、「ガリガリガリーッ、ガリガリッ」という大きな異様なものに激変し、寝室の壁の上から下へ、ベランダ側の右上隅から、ふすま側の左下隅へと、縦横無尽に響き渡りました。

 「ガガガ……ガリッ!ガリガリガリガリガリーッ……!」

 「うわっ!怖い……!」

 私達は、あまりの凄まじさに震え上がりました。それは、本当に「壁の中に誰かがいて、尖った指先の爪で壁を引っ掻き回っている」としか思えない音でした。

 ユタカは、壁から体を「気持ち悪い」と離して、音に驚いていましたが、急にはっとして、こう言いました。

 「今、すごく人の気配がして、ベランダから室内、そして壁の中に入って行った感じがした。最初は小さい女の子、次はかなり大きな男の人みたい」

 その後、息子は眠気が覚めてしまい、「目がかゆいから、小さいアイスバッグ持ってきて。喉乾いたから、ジュース欲しい。むかむかしてお腹痛い、胃腸薬持ってきて」と私に頼みました。私は、冷蔵庫からアイスバッグを持ってきたりと、息子の世話に追われました。

 すると、AM2:41~50にかけて、今度は小物が再び飛ぶ現象がスタートしました。

 息子の枕元に置いたアイスバッグが、私の布団や母の枕元へと、3回もポーンと飛び、タンスの上のペンがリビングへと放り出され、息子の枕元のティッシュボックスが、母の胸の上へと投げつけられたのです。

 その直後、ユタカは「小さい女の子の気配がまたする。『ごめん』って声が頭に浮かんだ。もう、気配消えちゃった」と言いました。

 すると、物が飛ぶ現象はピタリと停止してしまいました。

 私は、「その女の子の声が浮かぶって、どんな感じに聞こえるの?」と彼に訊きました。

 「う~ん……頭の中で、僕の考えじゃない、他人の声が聞こえる感じ」ユタカはこう答えました。

 私達は、父の寝ているマッサージチェアのある部屋へと布団を移動させました。

 もう気色悪いのと不安とで、みんな眠れないので、父が心配して、「どうせ寝れないんだ。皆でここで灯りつけて、笑い話でもしよう」と言ってくれたからでした。

 そうするうちに、AM3:00 過ぎた頃から、急に何か、声のようなものが室内で聞こえてきました。

 「ねえ……声が聞こえない……?」私は、母に言いました。

 「ン……ウゥ~ン……ウッ……ウゥ……」

 それは、若い女性の、細く、苦しげな呻き声でした。

 父も、「本当だ。女の声がするな」と驚いた顔をしました。その声は、何か訴えるような、泣くような、呻くような声でした。

 「ウッ……ウゥ……」

 何度も何度もその声は聞こえてきました。母も息子も「本当だ……あっ、また聞こえるね」と体をこわばらせました。

 よく聴くと、その声は、ベランダのカーテンの辺りから聞こえてくるのです。

 ユタカは、「ねえ、今、ベランダに、女の人が横たわっている気配がする……」と言いました。

 「えっ!女の人?やだ、怖い!」私は思わず、母の手を握り締めていました。

 その声は、1~2分置きに、1時間半、AM4:30過ぎまで続きました。家族全員、眠気など吹き飛び、ただただ、凍りつくような恐怖に捕われていました。

 気がつくと、外は明るく、日の光がカーテンから差し込んでいました。

 「もう5時じゃないか。カーテン、開けてしまえよ。気味悪がってても、もうどうしようもない」

 父がそう言い、カーテンを左右に大きく開けました。その時、ユタカが、「何だ、あれ?」と不意に大きな声を上げました。

 「ねえ、窓に手や足の跡があるよ!」

 私達が、ベランダの窓ガラスを見ると、結露で少し濡れた室内のガラスに、内側から、たった今つけられたかのように、細い指の手型が、指を5本とも大きく広げた形で残っていたのです。

 その手型は、窓ガラスのあちらこちらに、合計5か所、ついていました。結露で曇っているところに押し当てられたらしく、手型からは、水滴がしたたっていました。

 また、若い女性のような、細身の足型も、一か所、ガラスの下の方についていました。その足跡は、ちょうど、ガラスを背にしてつけたかのように、逆さまにつけられていたのです。(To be continued……)



 

2010年5月19日水曜日

第5章「異界の門」―5―壁の中の気配:part3―踊るスタンド

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6月7日から8日にかけての記録も、ノートに残されてありますが、奇妙な出来事の起こる時刻はすべて、この2日間、夜中の午前0時過ぎでした。ということは、昼間は特記すべき事柄はなかったのでしょう。

 7日の晩は、AM0:54~4:00 に至るまでの約3時間に渡って現象が起きたことが記されてあります。この晩も「数秒~1分おき」と書かれています。それほど目まぐるしく、小物が飛んだことが分かります。

 始まりは、AM0:54 、息子が「小さな女の子」の気配を室内に感じた瞬間でした。

 途端に、学習机の一番上の引き出しから、赤いキャップのボンド、2分後には、やはり引き出しに入っていたレゴの小さい、子供の小指ほどの大きさの人形が、リビングへとビュッと飛び、「バシッ」と床に投げつけられました。

 引き出しは閉めてあるのに、中に入っている物が勝手に飛び出し、6m も離れた床へと転がるのです。

 また、AM2:15~AM2:23 の間、今度は洗面所に置いていた父と母の歯ブラシ、それに父の黄色いキャップの薬が、それぞれリビングへと飛び、静まり返った深夜に「カーン!」と大きな音をたてました。

 歯ブラシや3cm ほどの小物でも、誰も活動していない室内へと投げつけられると、意外なほど音が響き渡ります。

 それが、「誰も触れてもいないのに」勝手に飛んで来るために、その異様さは私達の神経を恐怖で痛め、緊張感で疲弊させるのです。

 AM2:22頃、ユタカは口を洗っていなかったことを思い出し、洗面所で、スイッチ辺りの壁にもたれて、目をつぶって歯を磨いていました。

 しかし、途中で「あれっ?」と声を上げました。そして口をゆすぎ、慌てて寝室の私の所に駆け込んできましたが、その彼を追うように、父の黄色いキャップの薬がリビングへと吹っ飛んで来たのです。

 「どうしたの?『あれっ』て言ったりして」

 「僕、眠いから薄眼を開けながら口洗ってたんだ。そしたら、歯ブラシの上の整理棚に置いてたおじいちゃんの薬が、急に洗面台に転がったんだ。僕がそれを拾おうとしたら、薬が、生き物みたいに洗面台を這い上がっていくんだもの。だから『あれっ?』って声出したんだよ。僕が口をゆすいだら、今度はその薬が、僕の目の前でふっと浮いて、リビングの方に角度を変えるから、怖くなって逃げたんだ」

 6月になり、物が飛び始めたかと思うと、その現象は、「正体」を見破って欲しいかのように、箱やパジャマやハンカチ、本やタオルケット、薬などを、「飛ぶ直前は、実はこうして宙に浮上し、角度を変えていたのだ」と、私の目の前で、堂々と「からくり」を披露するようになってきたのでした。

 AM2:23 以降、「もう寝よう」と皆で布団に横になった途端、また壁を叩く音が「コンコンコン!コン……ココン!コンコン!」と始まりました。

 その音は、AM4:00 頃まで、1時間半も続きました。

 そして、その間、やはり学習机の引き出しから、スーパーにある「百円ガチャガチャ」で買った、小さなおもちゃの入った丸いカプセルや、クリスマスツリーのリンゴの飾り、別のレゴの人形などが、寝室の入り口やリビング床へと次々と飛んで行っては、「ゴーン!」「ガン!」と激しい音を立てるのでした。

 またその間、壁の音は相変わらず続いていました。

 壁に私が耳を押しあてると、音は、何と壁の中から聞こえて来るのです。ユタカは「壁の中にまた人がいる気配がするね」と言いました。

 AM4:00 頃でした。ユタカが「壁の中の人の気配が強い感じ」と言った後、それまでやや弱かった壁の音が、徐々に速度や強さが増して行きました。

 私達は、早速、その音をテープレコーダーで録音しました。しかし、録音を確認していると、カチッと音がし、レコーダーは勝手に停止してしまいました。

 この晩で、最も驚くべき異変は、「枕元のスタンドが動き回った」ということでした。

 AM3:42 、母の枕元のスタンドが、いきなり独りでに「カタン」と倒れてしまったので、「また勝手に動いた」と思いながら、元通り、立てておいたのです。

 物が飛んだり、浮上したりを何回も見るうち、このようにスタンドが勝手に倒れても、「あっ」と思っても、さほど怖くは感じなかったのだと思います。

 そのスタンドの灯りはつけたままにしていましたが、AM4:17~30 にかけて、これまでになかった現象に、私達家族は驚愕しました。

 スタンドは、最初、母の枕元を照らしていましたが、急に私達の見ている方角へと90度、生きているかのように角度をゆっくりと変え、またカーテンの方へと向いたり、前後にすっすっと踊るように動いた後、先ほどのように、「カタン!」と倒れ、動かなくなりました。

 この様子を私と息子、両親の4人で目撃したのです。

 私は、AM3:42 、スタンドが勝手に倒れた時から、恐怖心は吹き飛び、奇妙なことに、「今度、独りでに動いたら、絶対、携帯のムービーで録画しよう」と考えていました。

 その思いを見透かされたように、スタンドは、私の目の前で、くるくると踊って見せたのです。私は、その不可思議な光景を、携帯で撮影していました。

 そして、このスタンドが倒れた直後、ユタカの頭に、また不思議な声が浮かんだ、ということです。

 <終わり。もう他の所に行く>という、中性的な声だ、と彼は言いました。

 それは、どんな風に浮かぶのかと私が尋ねると、息子は「頭の中で、声が聞こえる感じなんだ」と答えました。

 この7日の明け方、壁の音も止み、布団で休む前に、私は、再度、携帯のムービーフォルダを確認しました。この時は、録画したスタンドの動画は残っていました。

 しかし、8日の夜半、AM2:30 、念のために、携帯をチェックしたところ、スタンドの動画は消去されていたのです。スタンドだけではなく、5月の中旬以降にデジカメに「誰か」が撮影した、気味の悪い粘土状の顔の映ったムービーも消去されていました。

 携帯やデジカメのムービーは、一旦撮影した後、保存していたのです。故意に、手動で消去しない限り、データが消えることはないはずなのです。

 これも、「物を飛ばし、宙に浮かし、スタンドを踊らせ、ユタカの頭に響いた声の主」がしたことなのか、と私は直感しました。

 父には、この日には、既に「一連の現象の原因」を探る計画があったようでした。

 それは、家を離れて、4人でどこかへ旅行しよう、ということでした。何か得体の知れない「モノ」が、人に憑いているのか、家に憑いているのかを確認したい、と父は言いました。

 もし旅行先で何も起きなかったら、奇妙な現象の原因は、今住んでいる家にある。そうなれば、転居すればいい、と父は考えたのです。

 それでも、旅館でも怪現象が起きたなら、その時はどうしよう―新たな不安が、私を再び襲いました。(To be continued……)



 

2010年5月16日日曜日

第5章「異界の門」―4―壁の中の気配:part2―人の歩く影

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 6月になって、小物が飛ぶ頻度が異常に多くなり、時間の間隔も短くなってきていることから、私達は、「刃物が飛んで来て怪我すると怖い」と思うようになりました。

 そこで、飛んで来て体に当たると危険な、カッターナイフや電池、磁石などはまとめてセロテープでぐるぐる巻きにして、小さなポーチに入れ、子供部屋の隣にある衣装箪笥の右扉奥に「分からないように」他の衣服などの下へと押し込みました。

 「分からないように」―と言うのは、「物を飛ばす正体不明の者にバレないように」というつもりでした。

 台所の肉切包丁、刺身包丁、鋏なども、赤い贈答品の空箱に入れて、毎晩流しの下の奥へと置くようになりました。

 それでも、母とこんな会話を交わしたことを覚えています。

 「こんな所にあちこち隠したって、『相手』には分かっているんだろうね。こうして今、話していることも聞いているんじゃない?どこかから......」

 「相手」と言うのは、もちろん「物を飛ばす正体不明の者」であり、私達が2008年6月初旬、最も恐れていた、目に見えぬ「モノ」でした。

 こんな会話を他人が聞いたら、きっと私達の頭がどうかしてしまったのだ、と変に思ったことでしょう。しかし、私達家族の間で、こうした会話を交わすのは、奇怪なことに、ごく当然のこととなっており、自然な「恐れ」という感情から生じていたことだったのです。

 6月6日の夜半になりました。

 AM2:45~55にかけて、しばらく途絶えていた、「コツコツ」という壁の音がまた始まりました。

 この頃には、以前のようなメモ用紙ではなく、ノートに表を作り、左から、「月・日」「時刻」「最初(小物が)あった場所」「落ちた場所」を簡単にメモできるようにし、右端に、多めにスペースを取り、「備考」として、特記事項となるべき異変があれば、なるべく詳しく書くようにしていました。

 この「再開した壁の音」に関し、私は「備考欄」に、以下のように書き残していました。

 「午前2時45分、ユタカが安定剤で眠くなり、ゲームを止めて寝ようとし、父がパソコンを止めて(子供部屋隣室の)マッサージチェアで休もうとした時……

 ユタカ『大人の気配、すごくする。地面の中、いや、床の下に一人、壁の中にもう一人いるよ』→ 直後、例のトントントン、が始まる」
 
 「ユタカ『今、頭の中に<俺の番>という、低い男の声が浮かんだ』→ その直後、物が飛び始める」

 この壁の音は、実際、聞こえている音なのか、それとも私達家族の空耳なのか、それを確認しようと、父は買ったばかりの真新しいテープレコーダーを用意して来ていました。

 実際、壁の音は、子供部屋からは、父が休む隣室の、マッサージチェアを置いてあるすぐ壁際から響いてきます。

 録音し、テープを再生すると、しっかりと、「トントン、コンコンコン……」という音が入っていました。その音は、5月の末近くに聞いた音よりも、強く響く音でした。まるで何かを主張しているかのように感じたのです。

 また、私が洗面所や廊下、ベランダで人の気配を感じることはありましたが、ユタカのように、壁や床の中に人がいる気配などは分かりませんでした。

 しかも、<俺の番>との声が息子の頭に浮かんだ、というのはどういうことなのか、と戸惑いました。

 しかし、状況から考えて、壁の音を叩く者が「床の下と壁の中」に2人、しかも大人の男がいて、まずは一人の男が壁を叩き、次に別の男が<今度は俺の番だ>と相手に言い、叩くのを交替した、ということなのでしょう。

 実際、ユタカが<俺の番>との声が頭に浮かんだ、と言った直後、「トントントン」の叩き方はより強く、速くなったのです。

 また、<俺の番>という言葉は、<今度は俺が壁を叩いて、物を飛ばしてやる>という意味だったのかも知れません。

 息子がその言葉を「頭で聞いた」直後、1分から10分の間隔で、物が次々と投げ飛ばされることが急激に始まったのです。

 AM2:55 には、私の枕元にあった文月今日子さんの本が投げ飛ばされ、「バーン!」と今までにないほどの激しい音を立てて、リビングの方へと叩きつけられました。

 この本が飛ぶ時も、前夜のように、「物が浮上する」という奇怪な光景を目にしました。

 いや、単に浮上するだけでなく、本は、「宙に浮いた後、そのまま移動」したのです。

 まず、本は、私の枕元からゆっくり浮上し、すーっとふすまの方へと空中を移動し、そしてリビングへと向きを変えて、リビングへと「ビュッ」と飛ぶのを、私と子供が目撃したのです。

 ユタカは眠くて、眼をうっすら開けていたら、本の移動が視界に入った、と言いました。

 私は、投げ飛ばされた本が、どこに落ちたのか、リビングへ探しに行きました。

 すると、本のカバーはリビングの床に、本の本体は、ふすまから4m は離れたパソコンデスク下の、ワープロの裏にまで飛ばされていました。カバーも、本も一部が折れ曲がり、くしゃくしゃになっていました。

 この時期、ワープロがパソコンデスクの下にあったというのは、まだ「モデムのコンセントが勝手に引き抜かれるのではないか」との恐れがあったため、ワープロを防波堤にしていたのだと思います。
そして、私がリビングにいる間、寝室にいた息子は不思議な影を、ふすまに見ていました。

 彼は、私の布団の上を、枕元から真っ直ぐ歩く、性別不明の大人の大きな影が、床の上に置いたスタンドの照明で照らされた、寝室内側のふすまに映るのを目撃していた、と言うのです。

 察するに、息子の頭に浮かんだ<今度は俺の番>との低い声の後、物が急激に飛び始めたこと自体、不思議なことであるし、そしてふすまに映った歩く人影の正体こそ、私達が恐れている「モノ」であったのでしょう。

 物はその後も数分置きに相次いで飛びました。

 AM3:00 には、息子の枕の左に置いていた、古い銀色のDS が、2m 先の、寝ている母の左足の甲にビュッと飛び、当たりました。

 母は、顔をしかめ、「あっ痛っ!」と声を立てました。

 電池が息子の背に当たり、今度は電池よりも重いDS が母の足に当たり、二人とも「痛い」と言うほどだったので、私は「飛ぶ物の重さや大きさが以前よりも違ってきた」と怖ろしく、身の危険を感じました。

 ただ、重い物が飛んだのは、この晩は、DS のみでした。

 AM3:10 には、ユタカの枕の左、ハンカチに包んであった8cm四方の保冷材が、私の布団の足元に飛びました。

 次にはこのハンカチが問題でした。AM3:12 から3:15 のほんの3分間の間、このハンカチは、3回も飛び交ったのです。

 最初は母の右腕の上に、ぽーんと飛んで来たので、母が一度、息子の枕元に戻しました。すると、その1分後、再び母の右腕に飛びました。母は、「いやねえ」と言いながら、再度、息子の枕元に戻しました。

 その2分後、このハンカチは、今度は、息子の顔の上へと飛び、パサッと落ちたのです。

 ユタカはウトウトしていましたが、急にハンカチが顔にかぶさったので、「うわっ!」と声を上げ、目を覚まし、上半身を起こしてしまいました。

 AM3:30頃には、子供の机の上に置いていたプロアクの箱が、やはりリビングの床へと飛んで行きました。

 私は喉が渇いたので、リビングを通り、台所で水を飲んでいました。AM3:50頃でした。ユタカは、ハンカチのために眠気が覚めてしまい、壁にもたれていました。

 ところが、また彼が、「わぁっ!」と叫んだので、私は驚いて、すぐリビングから子供の方へと行きました。

 すると、何と、私が使っていたタオルケットが宙に浮いていたのです。

 そのタオルケットは、私達の目の前で、私の布団隣の母の布団の上に落ちました。

 最初はパジャマ、次にはティッシュボックス、そしてタオルケットが宙に浮いたのです。

 このティッシュボックスと、タオルケットには、その夏中、悩まされることになったのですが、もちろん、6月6日のこの時点では、そんなことは思いも寄りませんでした。(To be continued……)

 

2010年5月13日木曜日

第5章「異界の門」―3―壁の中の気配:part1―浮遊する箱

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 6月1日の午後3時に、やっと父が5日~6日の予定で泊まりに来てくれました。父は、5月中旬から起きている怪現象について、いろいろと知人に尋ねてみたそうです。その中で、参考になり助力ともなったのは、息子さんが医師であるという河野さんという方からの情報でした。

 「河野さんは、うちの話を聞くと、『般若心経』がいいんじゃないかと言うんだよ。それで、その解説書と読経のテープを貸してくれた。それに、佐藤愛子さんという作家のことを知っていてね、その人の書いた『私の遺言』という本に、うちと似た経験が書かれてあるらしいと教えてくれた」

 「『般若心経』?お経が効果があるの?」と私が訊くと、父はこう言いました。

 「俺も、この歳になるまで、恥ずかしながら今までよく知らなかった、般若心経のことはな。でも、このお経の最後に、特に悪霊を追い払う言葉があるらしい。試してみたらいいんじゃないか」

 佐藤愛子さんのことも、そう言えば Wikipedia に載っていたと思い、『私の遺言』を Amazon で検索しました。佐藤さんは、50代になった頃、北海道に別荘を建てたところ、早速超常現象が起こり、それから30年近く、旅先でも、東京の自宅でもその現象に悩まされた、と解説がありました。私は、佐藤さんがどのようにして、その現象を解決したのか知りたいと思い、『私の遺言』を注文しました。

 父が私の家に泊まって最初の晩、夕食後は皆で夜10時半位まで、テレビをつけながらトランプをしました。息子も楽しそうで、こうしたことに興じていると、現在悩んでいる怪奇現象など、嘘のように思えました。

 「『物が飛ぶ現象』は、特に夜中になると起こる」と母から電話で聞いた父は、少なくとも夜中の3時位までは、パソコンをしながら、「寝ずの番」で起きている、と言ってくれました。

 「大丈夫?体を横にしないとまいってしまうんじゃない?」

 私と息子がそう心配しましたが、父は、「どうせ寝ていても、変なことは起きるんだろ。それなら起きていても同じじゃないか。お前たちを安眠させようと、おじいちゃんは来たんだから」とパソコンの前に覚悟を決めたように座りました。父も、不安や心配はあったのですが、「化け物が来るなら来い」と胆を据え、「ついでに趣味でいろいろと調べ物をしたい」との目的もあったのだそうです。

 その日の晩、午後11時半頃になって、いきなり父の目の前で、「カーン!」と鋭い音が響きました。父は一瞬のことで、何が起きたのか分からなかったそうですが、よく見ると、リビングの扉の前に、父の歯ブラシが転がっていました。

 「また何か飛んだみたいね」寝室にいた私は、父の方へ行きました。

 「この俺の歯ブラシは、洗面所に今日の昼間、置いてあったんだ。こりゃ、リビングの隅の方から飛んで来たみたいだったなあ。ええ?でも、洗面所はこの扉の向こうじゃないか。なんでそこにあった物が、リビングの隅から飛ぶんだ?」

 父は、有り得ないという調子で驚いていましたが、「今までお前たちの話を電話で聞くだけで、俺だけ経験していなかったから、実感が湧かなかった。でもこんなことが起きるんじゃ、怖くなるのは当たり前だなあ。俺も生まれて初めて経験したよ」と、未知の世界を新発見したように、やや興奮した口調でした。

 そして、6月2日の夜半も、父のいるリビングに、ボールペンや歯ブラシ、色鉛筆などの小物が投げ飛ばされることが数分置きに起こりました。

 父の相対しているパソコンの向こうには、リビングの扉がありますが、その扉は「暑いから」と開け放して固定していました。そこからは、短い廊下、左手に洗面所とトイレのドア、そして正面に玄関の土間が見えます。

 洗面所からも、土間に向かって、父や私のコップが放り出されて叩きつけられるのを、父は目撃しました。私もその音を聞き、土間に落ちた物に驚き、それを元の場所に戻しておきました。

 2日の午後、両親は管理事務所に行きました。PM12:30~1:00 頃でした。そこで、父は管理人さんに、「有り得ないことですが、物がいつも置いてある場所から、いつの間にか移動して、とんでもない方角からポンポン飛んで来るんです。誰かが力いっぱい投げつけたように」と説明し、独りでに飛んで来て、床に落ちた物、ボールペンやタッチペン、歯ブラシ、色鉛筆、コップなどを見せました。

 管理人さんは、この話に否定の様子はなかったようです。

 「信じられないことですがね、ご主人まで経験してはることなら、確かでしょう。それなら、その『物が飛んで来るという経験をした』ということを、400字程度にまとめて下さい。お宅のお名前や、部屋番号は伏せて下さい。その文章を、マンションの瓦版に載せて、印刷しますから。こんなお話をしに来たのは、お宅が初めてですが、他の家でも、もしかしたら同様の現象が起きているかも知れませんよ。仮にそうだとしても、『人に言っても信じてもらえないし、頭がどうかしてると思われる』ということで、申し出ないのかもしれませんからね」

 中学のカウンセラーであるS 先生に次いで、私達の経験を肯定してくれた人は、この管理人さんで二人目でした。私は早速、瓦版に載せるべく、原稿を書きました。主旨は次のようなものでした。

 「5月16日から、我が家で、玄関の灯りが急についたり、パソコンのモデムのコンセントが誰も触れていないのに引き抜かれたりするようになりました。5月末からは、家の中であらぬ場所からペンや消しゴム、薬やコップなどが凄い勢いで飛び、壁やふすまにぶつかります。同じような経験をされている方はお知らせ下さい」

 この原稿は、一旦、管理人さんに預けたものの、数日後、玄関ポストに、管理事務所広報部担当の方からお手紙が差し込まれていました。それは、この原稿の掲載拒否の手紙でした。

 「原稿を拝読致しました。内容から判断しまして、この文章を瓦版に載せると、マンションの住人の方々に恐怖心を煽ることとなりかねないと思います。申し訳ありませんが、原稿の掲載は見送らせて頂くことになりました。それよりも、そんなに物がご自宅の中で飛び交っている状況ならば、もはや『現象の科学的立証云々』を考えている場合ではないと思われます。一刻も早く、駅前の八幡神社にお参りなさって下さい。あの神社は、この町の守り神であると古くから言われております 広報部担当」

 結局、私の文章はマンションの瓦版には載らないこととなりましたが、よく考えてみると、当然のことだったのです。私の「体験談」は、現実的に見て「奇怪で珍奇で怖ろしい」内容でしかありません。このことをマンション中の人が読むと、ほとんどの世帯の人々は薄気味悪いと感じ、転居する人が後を絶たないでしょう。

 電気工事などに来る業者の人でも、驚くほどの世帯数を抱える大きなマンションですが、私の原稿が仮に瓦版に掲載されたなら、「幽霊マンション」という奇妙な噂が広まってしまい、売却して転居したいと考えても、その資産価値は下がることは明らかです。2000~3000人余りの人々が、マイホームとして購入したマンションを、売却するほどの値もつかないまま、泣く泣く手放すことになってしまう訳です。

 広報部担当の方は、それを憂慮したのでしょう。

 しかし、この広報部の人も、私の体験談を「虚実である」とは考えていなかったようなのです。その証拠に、「一刻も早く、八幡神社に参拝して下さい」と書かれてあったからです。多分、この担当の方には、こうした現象に関する知識が少なからずあったに違いありません。

 「もはや『現象の科学的立証云々』を考えている場合ではない」とこの人が書いたのには、きっと父が、管理人さんに「何とかしてこの現象の原因を探りたい。科学的に立証されるのならば、そうするつもりです」と話したことが元になっているのでしょう。

 私は、この手紙の「そんなに物がご自宅の中で飛び交っている状況ならば、もはや『現象の科学的立証云々』を考えている場合ではないと思われます。一刻も早く、駅前の八幡神社にお参りなさって下さい」との表現に、何かしら、怖ろしい危険が差し迫っているような、そんな切羽詰まった気持ちに襲われました。

 「もはや、悠長に構えているべきではない。こんな現象に、『科学的根拠』も何もあったものではない。土地の守り神に一刻も早く参拝せよ」―

 まるで、「呪い、悪霊、鬼、妖怪」が我が家を既に取り囲んでいるような、何か悪しき怨霊に祟られているかのような怖れを抱いたのです。

 しかし、結局は、駅前の神社にお参りはしませんでした。理由は、我が家に起きている現象の不気味さ、徐々に頻度や激しさを増す様子から察して、本能的に「神社にお参りしても、現象は収まらないのではないか」と感じたからでした。父も、積極的に参拝のことは言いませんでした。

 6月2日の夜中には、息子がまた「ベランダに誰かいる。小さい女の子みたいだけど」と言っていました。この頃から、公園から聞こえる幼女の声が、よく聴くと、我が家のベランダから聞こえるようになったのです。

 「ママ......ママァ......」

 時刻は AM3:30~4:00 でした。この幼女の、訴えるような、泣き声のようなか細い声に呼応するように、今度は大人の女性の「ウッ......ウゥッ......」と苦しげに呻く声も、ベランダから聞こえます。

 3日の同時刻頃には、息子は「ベランダに5,6歳の女の子がいるみたい。足音がする」と言いました。

 耳を澄ますと、誰もいるはずのないベランダで、小さな子供の往復するような足音が、カサカサと聞こえるのです。そのうち、その足音はベランダ隅の衣類乾燥機の上に登り、ベランダの柵の上から下へと飛び降りる気配がありました。

 その気配の後、物が夜中に転がったり、床に投げつけられる現象は、AM4:00 以降は不思議と収まったので、その日の晩は、皆、やっと寝入ることができました。

 4日の晩は、夕食後、皆でトランプをPM10:00~11:00 までやって遊びました。その後、「もう
寝るようにしよう」となり、息子はテレビに背を向けて、私と立ち話をしていました。その時、テレビボード左側の書棚から、何かが「ヒュッ!」と飛んで来て、ユタカが急に「痛っ!」と叫びました。

 床に落ちたのは、以前もありましたが、書棚にしまっていた、単2サイズの古い電池でした。この電池が、閉めたガラス扉から、息子の背に、凄い勢いでぶつけられたのです。

 日付が変わり、5日の0:30~50 の間に、ユタカが洗面所で口を洗い、リビングの扉を開けた直後、パソコンに向かっていた父の背後から、急にユタカの歯ブラシが飛び、彼の足元に「バシッ!」と当たって落ちました。

 「お前、今、口を洗ったばかりだろ?その歯ブラシは?」父がユタカに尋ねました。

 「えっ?いつも通り、洗面所の歯ブラシ立てに置いたよ」

 「そのお前の歯ブラシが、なんで俺の背後からお前の方へ飛ぶんだ?」

 父からそう言われても、ユタカもなぜそんなことが起きるのか分からないので、何とも返答できません。

 このやりとりの直後、今度は玄関土間に「カーン!」と細く鋭い音がしました。見ると、今度は私の歯ブラシが、洗面所から土間へと投げ飛ばされたのでした。

 このように、相次いで物が飛ぶので、その晩、父は更に警戒して、「今夜も寝ずにいるから。頑張るから、安心して、お前たちは早く寝なさい」と言い、午前4時頃まで起きていてくれました。

 5日の昼間は、全く平穏そのものでしたが、皆がリビングに集まっていた夕食前の PM6:05、いきなり現象がスタートし、それはPM9:45 まで、3時間半に渡り、ほぼ数分から10分置きに様々な怪異が起きました。

 まずPM6:05~40、息子の学習机の一番上の引き出しから、ドラクエの鉛筆、ネームペン、磁石セットとピンセットが次々とリビングの床へと飛んで来ました。引き出しからリビング床中央まで、4m はあるのです。また、学習机の左隅にあった、ピンクのキャップの鼻炎薬も、同様にすっ飛んで来ました。

 PM7:30、私と息子が布団を敷き詰めた子供部屋へ行き、落ちた物を引き出しにしまいこんでいる時でした。ユタカが「あっ!」と驚いた声を上げたので、私も思わず振り向きました。

 私達の目の前では、ティッシュボックスが宙に浮いていました。

 その箱は、息子の枕元に置いてあったものでした。間もなく、ボックスは、枕のそばから20㎝ ほど離れた布団にパサッと落ちました。

 「このティッシュボックス、急に僕の目の前で、ふーっと浮いたんだ」

 あまりの不思議さに、私は言うべき言葉が見つかりませんでした。仕方なく、黙ってそのボックスを、元通り、息子の枕元に戻したのです。

 このボックスは、PM9:20、今度は私と息子の目の前で、再びふーっと浮上し、1m 先の私の布団の上へと落ちました。

 パジャマが浮くのを数日前に見ましたが、今度はティッシュボックスが宙に浮いたのです。

 こんな異様な光景を続けざまに目撃すると、恐怖はもう痺れたかのように萎んでしまい、「これが日常生活なんだ」と感じていくようになってしまいました。後は黙々と後始末をするだけです。私は、「こんなことしても、無理だろうな」と思いつつも、宙に浮いたボックスをうんとへしゃげて、息子の布団の下に押し込んでおきました。

 2回目の「ティッシュボックス事件」の前、同日PM8:50 頃、夕食を終えた頃でした。私の右肩が、強く注意を促すように、強く「トントントン!」と誰かが背後から叩き、最後はぐいっと手で押されました。

 私は流しにいた母に、「ねえ、何?」と訊きました。母は、えっという顔で、私を振り向きました。

 「ねえ、今、私の肩を叩いた?」

 「まさか。お母さんは、ずっと流しにいたよ。本当に、肩を叩かれたの?」

 私の背後には、確かに、誰もいませんでした。息子は、私とはテーブルを挟んだ向かいの椅子を、テレビへと向きを変えて、その上に体育館座りをし、番組を観ていました。

 この直後の、PM8:55~9:11 までの間、また次々と物が飛んで来ました。

 学習机のやはり一番上の引き出しにあった、プロアクの箱が、4m 離れた電子ピアノの前に吹っ飛び、寝室の私の枕元にあった洗浄綿の箱が、6m は離れた食器戸棚の前にまで飛ばされ、亀の水槽近くに置いてあったセロテープ台から、セロテープが、2回も放り出され、3m ほど離れたリビング中央へと転がりました。

 2回目にセロテープが転がった時のことでした。息子が、そのテープを取ろうと、床に膝をついて手を伸ばすと、何と、セロテープは逃げるかのように、独りでにテレビの方へと、スーッと動いたのです。

 これは、父も目撃し、大変驚いてこう言いました。

 「今の、見たな!(私に向かって)お前も見ただろ?へえーっ!セロテープが自分で動くだなんてなあ!」

 PM9:45、この時も今までにない光景を目撃しました。

 私達は、まだリビングにいて、テレビをつけながら、先ほどまで起きたことを話していました。すると、寝室から、35分ほど前に飛んで来た、私の枕元に戻しておいた洗浄綿の箱が、リビング床へと飛んで来て転がったのです。

 察するに、枕元にあるのが、ティッシュボックスのように浮上して、ふすまの方へと寝室内で移動し、そしてふすまからリビング床へと吹っ飛ぶのだ、と考えました。その洗浄綿の箱は、再び枕元に戻しました。

 「また飛んでくるかしら」

 そう思い、何気なく寝室の方を見つめていました。

 すると、目の前のふすまのところに、戻したばかりの箱が浮いていたのです。あっと言う間もなく、その箱は、再びリビングへとぽーんと放り出され、床に転がりました。

 これで、洗浄綿の箱は、2回もふすまを曲がって飛んだわけです。ティッシュボックス同様、「どうせまた飛ぶんだろうな」と考えながらも、薄気味悪さで、さすがに額や背中が汗ばんでいましたが、その箱は、食器戸棚隣の細い整理戸棚の中へと入れてしまいました。

 ふと、数日前の、管理事務所広報部担当の方の手紙による警告が、私の脳裏をよぎりました。

 「土地の守り神に一刻も早く参拝せよ」―

 これだけ異様な経験に遭遇するというのは、「やはり神社でお祓いをしていないせいなのか」との不安が濃厚になってきたのです。それでも、矛盾したことに、私達家族には、ここまで怪異な現象を現実に目前にしながらも、「神社に参拝しても無駄じゃないのか」との印象が強まるばかりでした。(To be continued......)

 

 

2010年5月5日水曜日

第5章:異界の門―2―思春期の少年少女:part2―謎の迷路

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 「サイコキネシス、PK」(psychokinesis) という語は、聞いたことがあるな、と思いました。つまり「念力」のことだったわけですが、「超常現象=思春期=念力」と説明がなされても、あまりの非現実さに、信じることができません。

 「ポルターガイスト」が、既に私の日常の一部を成す「現実」であり、怪異な現象を目撃すると、それを「信じるな」という方が無理になっていたにも関わらず、今度は「念力」との言葉が、こんな非現実的な状況下においても、「非現実的だよ、あり得ないよ」と感じてしまうのです。

 もともと、私には「20代未満の人々」、いわゆる「成人に達していない子供」は、大人とは異なる存在だ、という認識はありました。

 特に、成長期の子供の1年間は、大人の10年間に相当する、と言われるほど、小学生から中学生にかけての子供たちの心と体、感受性や能力の発達には、大人では到底太刀打ちできない素晴らしさがある、と考えていました。

 しかし、そうした場合の「感受性や能力」というのも、現実世界の範疇で受け入れられるケースでした。

 例えば、幼少時や少年期に感動した映画、音楽、物語、または経験が、やがては成長するにあたり、その人の人格を形成し、信念や就く職業の原点となったりするものです。

 また、10代前後にかけて獲得した語学や音楽、絵画の実力は、大人になってからも心の財産となったり、ひとつの才能として花開くこともあるでしょう。

 人は誰しも思春期を経て、成長し、人生の路を辿っていくのです。

 家庭内に、思春期の少年少女がいる、ということは、だから、特に珍らしいことでは決してありません。そして、そうした時期の子供たちが不安定な心理状態なのは、どの家でも同様なのです。

 特に中学生の時期は、まだ幼い小学生の頃とは異なり、大人へと大きく飛躍する前段階であるため、成長ホルモンが分泌され、「もう大人に近い考え方もできるのに、体も随分大きくなったのに、周囲から子供扱いされる」といった不満やストレスも感じる、俗に「難しい」と言われる年代でもあります。

 その「難しい」、言い換えれば非常に「感じやすい、ナイーブな時期」に、不登校という落とし穴に落ちる子供も最近では大変多くなっています。

 「不登校」というのは、よく誤解される言葉ですが、「学校をさぼりたくて、行きたがらない」状態といった「不良」のイメージは間違いであり、本来の意味は、「学校に行きたいのに、行こうとすると、吐き気や頭痛がする。だから行けなくなってしまう」という、一種の病的状態なのです。

 その背後には、いじめや、それにより起こる抑鬱状態なども隠れているため、家庭内療法や、カウンセリング、といった人的支援が必要となるのです。

 2008年の3月21日から5月15日までは、自分の子供に対しては、そうした「不登校」の問題が大きく、そのため、「家庭内療法」として、「学校・勉強、といった言葉をタブーにする、復学を焦らせない」などの心遣いで心身共にくたびれていました。

 そうした矢先に、いきなり「ポルターガイスト現象」が起こったのです。

 その現象が「思春期の少年少女の周辺で起きやすい」という説は、「感じやすい時期だから」と、何となく分かったような気になる一方で、「思春期で不登校の子供は、うちだけじゃないのに、どうしてこんなことが起きるのか」と、逆に不可解な疑問が次々と湧き起こるばかりでした。
 
 特に「その人物が無意識的に用いてしまう念力、サイコキネシスによるもの」との説が、全く訳が分かりません。

 理屈は分かっても、「自分の子供に念力などあるなんて、そんな馬鹿な。もし本当だとしても、なぜそんな能力を有しているのだろうか」と、首を捻るばかりです。

 現実には、「物が独りでに飛ぶ」という「超自然的現実」を経験していても、また別の「超自然的な原理」の説明を読むと、それがとても信じられないのでした。

 結局、謎解きをしようと試みても、あまりにも「非現実的」な話なので、「思春期の子供に念力を有する者がいると、ポルターガイスト現象が起きる」との説は、私の頭の中でうやむやになったまま、うまく消しゴムで消し切れない形で、漠然と取り残された形となりました。

 6月1日の午前中は何も起きませんでしたが、午後2時10分頃、私は、母と息子と3人で、昨夜起きたことや、「もうすぐおじいちゃんが来てくれるから」と話し合っていました。

 すると、リビングの床に、「カツン!」と何かまた落ちる音が響きました。それは、息子のDS 用の青いタッチペンでした。

 この現象も、これまでとは異なっていました。

 このタッチペンは、テレビボード左の、一番上の書棚に置いてあったものですが、その書棚のガラス扉は、閉まったままだったのです。

 つまり、このタッチペンは、閉まったガラスをすり抜けて、床に飛び、転がったわけです。

 この数分後、いきなり「ガン!」と固く、重たい音が背後で聞こえました。

 「わっ!何?」

 3人で振り向くと、今度は単2サイズの古い電池が床に落ちていました。

 これも、先ほどのペン同様、同じ書棚の閉まったガラス扉の中に、置き場所がないからと置いておいたものです。ガラス扉は、何事も無かったかのように固く閉ざされていました。

 「また書棚から飛ぶかも知れないけれど」と思いながら、片づける場所が思いつかないので、その場はとりあえず、電池は書棚の扉を開け、中に戻しておきました。そして、マグネット式のガラス扉をカチャリと閉めました。

 「書棚のケースを開けた形跡もないのに、あんな重い物がガラスをすり抜けるなんて―」

 それから約10分後、PM2:26、息子の背後で「ヒュッ!」と何か飛ぶ気配がし、また床に投げ落とされる音がしました。

 皆で振り向くと、今度は洗面所にあった、母の歯ブラシが、ピアノのそばに落ちていたのです。

 「洗面所から、こんなピアノの所まで飛んだのか―」

 昼間でもこうなると、いよいよ心細く、私達は父の到着を待つばかりでした。

 「ポルターガイスト」に関して、ネットでいろいろ情報を集めても、あまりにも「超現実的な」解説に余計に不安が増しますが、なぜか調べずにはいられない心境でした。

 結局は、「こういう不思議なことに解決はつかない」と感じながら、私は謎の迷路をただ「ああでもない、こうでもない」とさ迷うばかりでした。(To be continued……) 

第5章:異界の門―1―思春期の少年少女: part1―現象の震源地とは

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 目の前でパジャマが勝手に持ち上げられ、それが宙を舞うなどということが本当に起こるとは、全く予期していなかったことでした。

 従来の私は、マジックショーなどの番組が好きで、マジシャンの手からトランプが次々と現れたり、布をかぶせると手から炎が立ち昇り、またそれに帽子をかぶせると、鳩が無数にはためく―といった、派手なマジックが好きでした。

 姉は、トランプやコイン等を用いたマジックが好きで、そちらの方が、人の心理の隙に入りこんで「あっ」と言わせるマジックでも、ずっと高度なテクニックを要するから好きだ、と言ってました。私が好むタイプは、仕掛けが見え透いていて、面白くない、と言うのです。

 「よくそんな子供じみたものに夢中になれるよねぇ」

 私が学生の頃、姉は呆れたようにこう言ったものでした。

 しかし、私はマジックを鑑賞する際の精神年齢など気にも止めませんでした。

 「もう、黙ってて。仕掛けがチャチでもいいの!あっと驚く瞬間が楽しいんだから」

 「あたし、仕掛け分かるんだけどな」

 「いいってば!言わないで!せっかくのマジックがつまらなくなっちゃうよ」

 しかし、このパジャマの異変の仕掛けは一体何だったのか?

 いくら派手なマジックが好みと言っても、この「パジャマ現象」に関しては、トリックは絶対知りたくない。これが私の正直な感想でした。それに、この「現象」は、決してマジックではないことは明らかでした。

 この現象の「トリック」を知ることは、現象の背後に潜む不気味な謎を現実に目の前に突きつけられることになる、と分かっていたからです。そして、その謎を解く鍵は私達には決して与えられない、としか思えなかったからです。

 また、物が飛ぶ瞬間を目撃してしまった、ということは、もはや、この世にあり得ぬ「異界の門」の扉が、私達の心情や意向など無視しながら音も無く開き、わが家の中にひっそりと佇んでいるかのようでした。そして、その扉はとてつもなく大きく、頑丈でありながら掴みどころがなく、永遠の深い闇へと私達を吸い込んで行くかのように思われました。

 しかしその吸い込み口は、不規則に開閉し、その大きさも、徐々に口元をすぼめるように開きつつ、奇怪な空気を私達に吹きかけたり、異様な世界を垣間見せたりしているのです。

 そのようにして、「正体不明」の案内人は、我が家を少しずつ黒い影で覆い、現実世界から隔てようとしている―そんな印象が、この6月になって更に強まりました。

 日付が6月1日に変わった午前0:30、私と母と息子とは、寝室のふすま付近で、「どうしてこんなことが起こるんだろう」と話し合っていました。

 すると、何かが部屋の隅(テレビボードの左側)に置いてある電子ピアノの方から、「ビュッ!」と激しい勢いで私の目の前をかすめるように飛びました。

 「キャーッ!」

 私は思わず悲鳴を上げました。それは、テレビボードの右隅(リビングのドア近く)の亀の水槽の後ろに落ちました。落ちたのを見ると、母の便秘予防のスティック状の粉薬でした。このスティックは、テーブルの上に置いていたのです。

 「今の、凄かった......テーブルの上に置いていたのに、ピアノの隅からねぇ―飛び方が凄かったよね」私は、母と顔を見合わせました。

 その薬は、「飛ぶのが嫌だから」と、テーブルの上のタオルの下に押し込みました。ユタカが、髪が痒いと言うので、私は台所の流しで、彼の髪を洗ってやりました。

 息子は、パソコンデスクの前で、櫛で髪をときながら、私と話をしていましたが、また何かが、彼の背後をビュッと飛び、テレビの前に置いたラジカセのすぐそばに落ちました。

 それは、つい5分前に、タオルの下に押し込んだ、やはりスティックの薬だったのです。

 もう、「飛ぶのを阻止しても無駄なんだな」という感じになっていたにも関わらず、それでもやはり、何かが飛ぶと、それを「飛ばないように」と、どこかに押し込んだり、しまいこんだりしたくなるのでした。

 それからほんの8分後のAM 0:43、息子が「もう眠たい」と、髪は半乾燥のまま、食卓のテーブルの上に顔を突っ伏していました。

 すると、突然、「ガーン!」と凄まじい音がしました。テーブルのほぼ中央に置いていた、母や私が使うコールドクリームの瓶が、急に吹っ飛び、斜め左の電子ピアノの下にぶつかって落ちた音でした。

 「ああ、びっくりした…!僕、顔をうつ伏せにする前、あの瓶があるな、と漠然と思って、しんどいから突っ伏したんだよ。その途端、目の前からあのクリームの瓶が消えて、あんな向こうにすっ飛ぶんだもの」

 実際、飛んだ距離は、やはり5.5mほどでした。

 またそれから2分ほどして、洗面所は怖いので、台所に移していた歯磨きで、私が口を洗おうとした時です。歯磨きのキャップを外し、歯ブラシに歯磨き粉を練り出していたら、それまでじっと動かなかったキャップが、急に「コトン」と、台所の赤いタイルの上に落ちました。

 AM0:48 、私が母と話しながら、リビングで就寝前の薬を飲もうとしていたら、再び背後で何かが「コーン!」と落ちる音がしました。見ると、ユタカのアトピー用の使い古したチューブが落ちていたのです。

 これは、息子の枕元の、薬入れの小箱に入れていたというのに、何とリビングのドア近くまで飛んで来たのです。

 この「アトピーの古い薬」が、異変が起きるようになって、最も長距離を飛んだことになりました。さして広い家でもありませんが、それでも息子の枕元からリビングのドアの下までは、10mはあるのです。

 ここまで、6月1日の午前0時を過ぎてから物が飛んだのは、ほぼ2分から5分おきでした。

  AM0:58、私はいつもの習慣で、寝る前のワインを出そうと、流しの下の物入れに近寄りました。すると、また何かが「コトン!」と落ちる音がします。

 リビングを見回すと、さっき飛んで来た「長距離飛行」の古いアトピーチューブが、今度は亀の水槽近くに転がっていました。このチューブは、やはり「飛ぶのが嫌だから」と、息子の枕元の小箱に元通り、しまって蓋をしておいたのです。

 「なんでこればっかり、10mも飛ぶの?」

 私はこの古いチューブが気色悪くなり、「もう薬も残ってないから」と、台所隅のゴミ箱の下の方へと押しやりました。思いっ切り押しやったのは、「もう飛んできませんように」という願いをこめたからでした。

 AM1:04、ワインを出して、コップの用意をしていたら、また床に物が落ちる音がします。振り向くと、今度はユタカのアトピーの新しいチューブが、リビングの中央に落ちていました。

 まるで、「古いのをゴミ箱に押し込んだから、今度は新しいのをどうぞ」と言わんばかりでした。息子は、AM0:50 には安定剤で毛布にくるまって、いつもの癖で、壁際を向いて寝ていました。

 私は、2週間ほど前に、管理人さんから「こういう家の中のことは、案外子供さんの悪戯ってこともあるんと違いますかね」という言葉が引っかかっていましたが、何か異変が起こるたびに、物が飛んで来る状況において、息子は関係のない位置にいるか、眠っているかなのです。

 枕元の物がリビングへと飛ぶ、というのも、息子がまず疑われそうではあります。しかし、彼が本当に物を投げていたのなら、その気配や動作は、私や母の視界に必ず入るはずです。なぜなら、息子の枕元から物が飛ぶ場合は、私はすぐさま振り返っているからです。何かを投げたのなら、彼が腕をごそごそと引っ込める仕草が目に入ったことでしょう。

 しかし、どんな場合でも、空気さえ止まったかに思われる深夜に、ただただ、「物だけが飛ぶ」のです。張り詰めたガラスのような暗闇を突き破って、激しく動くのは、誰も手に触れていない「小物」だけでした。

 新しいチューブが飛んで6分後のAM1:10、私はトイレに行きました。 息子と母が寝ている寝室に戻ると、「コトッ」と音がしました。

 見ると、ユタカのアトピー用のプラスチック製の小瓶が、私の枕元に転がっていました。それは青い蓋で、中身はチューブ薬を伸ばすローションでした。これも、きちんと蓋をした、息子の薬箱に入れてありました。

 なぜ蓋がしまったままの箱から、色々と薬が飛びだすのでしょうか。

 その後、私は布団に就きました。が、なかなか眠れません。仕方ないので、いつものようにワインを飲んで、気持ちを落ち着けるために、イヤホンでMDのクラシックを聴いていました。時刻は午前2時でした。

 もう何も起きない様子だったので、「今夜はこれ以上何もないかも」と安心していた矢先でした。突然、寝室の閉め切ったふすまの外部に、何かが投げつけられたかのように「ゴン!」と凄い音がしました。私は「また何か飛んで来たのか」と、ふすまを開けました。

 よく見ると、私の足元には、子供のアトピーのチューブが落ちていました。

 しかし、そのチューブは、ほぼ1時間前に、6分ほどの間隔で2回も飛び、気色悪いからと台所隅のゴミ箱に深く押し込んだ、例の使い古されたチューブ薬だったのです。

 「なぜ、他のゴミよりもずっと下に押し込んだ、このくしゃくしゃに折れ曲がった薬がふすまに投げつけられたんだろう―?」

 チューブやスティック状の薬が、「捨てても飛んでくる。タオルの下に押し込んでも飛び出してくる」といった、これら一連の現象の執拗さに、私は闇からの深い怨念めいたものを感じ、ぞくりとしました。

 それから10分後 (AM2:10)、連続モードにしていた私の枕元の扇風機が、スイッチが勝手に「カチリ」と止まってしまいました。タイマーも何もしていなかったのに―

 そして、その直後、例のパジャマの件が起きた、というわけです。

 私は、なぜこうした不思議な事柄が起こるのか、慄いていても仕方がないと思いました。しかし、いきなり「お祓い」や霊能者関係に片端から当たる、ということは、その効果のほども分からないため、とりあえず避けていました。そこで、ネットの百科事典として日頃から愛用している Wikipedia で調べてみました。

 「ポルターガイスト」と入力すると、「ポルターガイスト現象」という語が表示されました。

 そこには、こうした現象が欧米だけではなく、日本の江戸時代、そして20世紀末、岐阜県の富加町でも起きたことが記されていました。私は、この事典の記述により、富加町の事件や、30年間ポルターガイスト現象に苦しんだという作家、佐藤愛子さんのことを知りました。

 しかし、私が最も驚いたのは、この現象が、「思春期の少年少女が家庭にいる場合起こりやすい」と説明されてあったことでした。Wikipedia では、次のように記載されていました。

―超心理学的解釈

 ポルターガイスト現象は「通常では説明のつかない現象」ともされる。

 超心理学では超常現象として扱っている。 ポルターガイスト現象は、思春期の少年少女といった心理的に不安定な人物の周辺で起きるケースが多いとされており、その人物が無意識的に用いてしまう念力(反復性偶発性念力 recurrent spontaneous psychokinesis RSPK)によるものとする説もある。

 つまり、そういった能力を有する者が無意識的に物を動かし「ポルターガイスト現象」を発生させてしまう、とする考え方である。

 例えば富加町のポルターガイストでは、超心理学研究者の小久保秀之は「(地磁気の異常が脳に作用して)無意識的な念力現象が起こっているのではないか」との仮説をあらかじめ抱き調査用の測定器を準備した(但しその仮説は調査後に見直すことになった)―

 こうした説明を読むと、にわかに信じがたいことではありますが、我が家の状況を思い起こすと、当てはまる部分がないわけではありませんでした。

 息子は、13歳半年にも満たず、ちょうど思春期の前半であり、「ただでさえ不安定な思春期」の最中に、いじめにより「不登校」という、本人の意思では解決できない苦しいジレンマに日夜苦しんでいたからです。

 しかし、なぜそうした年頃の子の周辺で、奇怪な現象が起きるというのでしょうか。人間は皆、生きている以上は、何らかの不安はつきものです。なぜ「思春期の子供」が取り沙汰されるのでしょうか。(To be continued…)

第4章―現象の乱舞―2―飛び交う小物:part3―持ち上げられるパジャマ

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 扇風機は、風を送る向きとは全く別方向の、整理タンスの方向を向いていました。

 物が飛ぶことには、その時は一瞬ギクッとしますが、数回そんな経験を重ねると、不思議と慣れてしまうのです。何も好んでこんな経験をしているわけではないのは当然であるものの、当時の私達家族にとって、「恐怖への耐性」ができたことは、「不幸中の幸い」としか言いようがありませんでした。

 それでもなお、この扇風機の一件は、私を救い難い恐怖の奈落の底へと付き落としました。

 小物が飛ぶことを、既に経験しているのなら、扇風機が独りでに角度を変えたことぐらい、もう慣れっこになってしまうんじゃないのか―

 論理的に考えると、この件も、一連の現象の一部に過ぎないように思われます。

 しかし、超常現象のさなかにおいては、まず物事を論理的に捉えることは不可能です。現実の理解の範疇を超えた奇怪な出来事を目前にして暮らすことが「日常」となった場合には―

 あることは、いつもの事として、何とかやり過ごせるが、また違ったことが起きると、足元がすくんでしまう。こうした激烈な感情の起伏が、目の前の現象に対して湧き起こるのは、もうどうしようもありません。

 扇風機が「カタカタカタッ」(ユタカには「ギギギギッ」と聞こえた)と音を立て、自ら方向転換をした。このことは、私にとって、「新たな怪奇現象」でした。

 まるで、会社などの新人研修のように、最初は何でも難しく、自分にはこなせないような仕事に思われていたのが、後になってみると「なぜあんな簡単なことを大変に感じていたんだろう」と笑う日も来るように、この超常現象の「日常」においては、「全く予想外の現象」を、とてつもなく「怪奇かつ異怖」であると捉えることが、日々積み重なります。

 しかし、それらは後になってみると、「あれはほんの序の口だった。まだまだ本番が待ち構えていたんだ」と思われることに過ぎない「怪奇現象の日常の一部」となってしまうことが、6月から8月にかけて、理解できました。なぜなら、想像もつかない異常な現象が2008年の夏真っ盛りに、私達家族を襲ったからでした。

 そして、この5月31日から激化した「物が飛ぶ」現象は、日が経つにつれて、「ある一定の時間だけ、数分置きに起こる」ということが分かって来ました。それでも、そんなことは、31日の昼間の時点では把握できなかったのです。

 扇風機が向きを変えたのはこの日の午後、PM12:40 でした。その後、PM12:57頃、急にペンのような物が食卓についていた私の背後で「カツーン!」と落ちる音がしました。

 振り向くと、母が愛用している花柄のペンが、リビングの中央に落ちていました。リビングの中央には、もう一台、寝室と同じような、白い、やや大きめの扇風機を置いていましたが、ペンの落ちた場所は、その扇風機のコードのそばでした。

 どこにそのペンを置いてあったのかは分かりません。しかし、人は、小物を、すぐに落ちたり、転がったりする場所には普通置きません。ペン立てがあるならそこに、テーブルならそこに置きます。

 よく考えてみると、この花柄のペンは、母が、使い勝手が良いように、食卓背後の電子レンジ左横の、整理ケースの真ん中の引き出しに入れていたものでした。

 その整理ケースは、10日ほど前、明け方、やはり真ん中の引き出しが、いつの間にか大きく前に引っ張り出されていた、例のケースでした。そのケースは、今回はきちんと閉まったままでした。そうなると、ケースが閉められた状態で、その中から花柄のペンが、4m は飛び、転がったことになります。

 それから3分後、PM1:00頃のことでした。その時には、息子は起きてきて、遅い朝食の食卓につこうとしていました。すると、また、すぐそばで、何かが落ちる音がしました。

 何が落ちたのか、テーブルの周囲を見回すと、以前も飛んだ口内炎の薬「デンタルピルクリーム」が、飼っている亀の水槽の横に落ちていたのです。

 この口内炎の薬は、いつもは、食卓の壁際、コンビニで買った折り畳み式ポータブルチェスの箱のそばに置いてありました。一方、亀の水槽は、食卓とは相対するテレビボードの右横にある、ピアノのキーボードの右端に置いてあります。

 チェスの箱から、亀の水槽までは、4.5m は離れています。その距離を、私達家族が気がつかないうちに、薬が宙を飛んだわけです。

 更に、その26分後、私は日頃から書き溜めた「怪奇現象」に関するメモをクリップで止めて、家族の寝室にしてある子供部屋のタンスの上に置きに行きました。

 すると、リビングで、再び、ペンのような固い物が、「カツーン!」と落ちて転がる音がしました。何が落ちたのかと、リビングに引き返し、探してみると、寝室のふすまの裏に置いてあるカシオの電子ピアノの椅子の下に、黒いボールペンが落ちていました。

 このペンも、落ちる前は、食卓か、パソコンデスクの上にあった、と覚えています。そこからピアノの椅子の下までは、約3m~4m 離れています。この時の、ペンが落ちる音は、激しく、腹を立てて床に叩きつけるような勢いがありました。

 私は今気がついたのですが、亀の水槽そばに薬が転がった時も、このボールペンが投げ飛ばされた時も、「飛び方」が今までのパターンと異なり、真っ直ぐではなく、斜めの方向に飛んでいた、ということです。

 つまり、徐々に「現象」の勢いも、飛ぶ角度も多様になってきたということであり、それはすなわち、「現象がエスカレートしてきた」証だったのではないでしょうか。

 またそれから約30分後の PM1:55 頃、ユタカは吐き気がする、と言って、また布団にもぐりこんでしまいました。

 この頃は、13歳と4カ月、身長は伸びていましたが、体重が激減し、ほんの34キロほどしかなく、痩せて痛々しいほどに手足が棒のように細くなっていました。食欲も湧かず、すぐに胸やけが起こるのです。

 以前、この痩せ方をスクールカウンセラーの先生に報告すると、とても驚かれました。

 「あまりにも痩せていると、内臓や脳に障害が起こる事があるんです。内科でせめて点滴でも駄目でしょうか」とおっしゃるのですが、私は「痩せ過ぎて、血管に点滴の針が入らないんです」と答えました。現在のところ、障害は起きてはいない様子でしたが、「このまま痩せて行ったらどうなるんだろう」と不安でたまりませんでした。

 外出もせず、息子がすることは、大半はDS のゲームでした。それでも、たまにパソコンで、私と『ハリー・ポッター』シリーズのDVD を見て笑うと、ほっとしたものです。カウンセラーの先生は、「不登校の子供さんには、『ハリー・ポッター』は人気が高いんですよ」と言われました。

 私は、あの映画は魔法使いの映画、魔法学校の作品だから、不本意にもいじめなどで登校できなくなった子供たちの、夢と理想をつかの間実現してくれる映画なのだろうと思い、それが却って辛くなったものでした。

 息子は布団に入ると、大抵、壁際を向いて寝転びますが、その時、何か重い物が「パサッ」と倒れる音がしました。変に思い、寝室に入ると、すぐさま、私の枕元に置いていた扇風機が、私の布団の方へと倒れているのが目に入りました。

 これも異様な出来事でした。

 息子が寝室に入る際、真っ直ぐに布団にもぐりこんだ様子は私が見ていました。もし息子が扇風機にぶつかって、それが倒れるとしても、そんな状況は有り得ません。

 私の枕元の扇風機は、息子の布団からは2mは離れた、整理タンスの前に置いてありました。こうなると、再び、扇風機が勝手に動いて、私の布団へ倒れたことになります。

 私は、扇風機がほとほと嫌になり、リビングの、背の高い方の扇風機のそばに並べておきました。

 この扇風機や、ペンが飛ぶ事件に対し、私は、以前、玄関の灯りが独りでについた時のように、「何者か」の存在を強く感じました。明らかに、訳は分からないが、「誰か」が故意に、物を動かしているのだ、それも悪戯心や、悪意、敵意を持って。

 この5月31日の午後は、それ以降、記録がありません。何か小さいことがあったのかも知れませんが、私のメモには一切記されていませんでした。しかし、メモにばかり書くのも大変なので、6月1日から、ノートに表を作り、書くようになりました。

 31日の午後、母は父に、「いきなり物が夜中も昼間も飛ぶようになった」と連絡しました。

 父は非常に心配して、「明日の1日にまた泊まりに来るから。それで、二人でマンションの管理人さんに相談しよう」と言いました。母は、「他人に言っても、信じてくれるかしら」と不安げでしたが、父は、「この際、誰かに相談しなけりゃ、何も進展しないじゃないか」と言い、断固として決意を曲げませんでした。

 そして、6月1日を迎えました。

 この日も、まだ夜中は私、息子、そして母の3人きりです。夜中じゅう、ほぼ1,2分から5分置きに物が飛びましたが、この晩、私が最も唖然となったのは、パジャマでした。

 パジャマがどうしたのかというと、息子と母の布団の間に置かれていた子供用のパジャマが、私の目の前で、まるでマジックのように、クイクイと「透明な指先」でつままれたように上下に動き、そして突然、ベランダの前を覆うカーテンの右隅へ「ビュッ」と飛んだのです。

 今までは、「物が飛ぶ」現象を目の当たりにしたことは一切ありませんでした。これが、私が「物が飛ぶ瞬間」を目撃した最初の経験となりました。(To be continued……) 

第4章―現象の乱舞―2―飛び交う小物:part2―動く扇風機

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 私は、「ポルターガイスト」という言葉を、いつ知ったのか覚えていません。そして、その言葉は長い間、忘れていたのです。ところが、自分自身の日常に、異様な事変が起こると、その言葉が突然脳裏に蘇ったのです。

 「ポルターガイスト」を手元の電子辞書で調べると、こう説明されています。

 ―「ポルターガイスト」【Poltergeist (ドイツ): (「騒がしい霊」の意)心霊現象の一。物理的な原因なしに家具が動いたり音を立てたりする現象。(『広辞苑 第五版:岩波書店』より)

 さらに、関連語句として「心霊現象」が挙げられています。

 ―【心霊現象】今日の科学では説明できないとされる超自然的な一種の精神現象。テレパシー、千里眼や未来の予言・予知などに関する現象、死者の霊魂と生者の精神との交霊、念写・念動などの現象の総称。超心理学で扱われる。

 2008年5月31日の昼間、こうした説明を読んだ時、「物理的な原因なしに家具が動いたり音を立てたりする」という部分は、今我が家で起きている現象と一致する、と感じました。

 しかし、こうした現象が「心霊現象」であるとか、「死者の霊魂と生者の精神との交霊」を含むものだといった概念は、私の印象に全くそぐわないものでした。

 「ポルターガイスト」が「騒がしい霊」というドイツ語である、と知っても、灯りが勝手についたり、物が飛んだりする現象の背後に「死者の霊魂」が関わっている、という実感が全く無かったのです。

 昔、何らかのきっかけで、「ポルターガイスト」という語を知った際も、「外国の幽霊って、騒がしいのが好きなんだ。お茶目でいいじゃない。日本の幽霊はジメジメしているから、それよりずっとマシ」という感想を抱いた覚えがありました。

 「ポルターガイスト」なんて、欧米でしか起きないんだから、日本には関係ない。陽気なユーレイか、意思をはっきりさせる欧米人の気質にピッタリだな―などと、まるでディズニー映画のような印象しかなかったのです。

 しかし、現在私達家族の目の前で起きている出来事は、「物理的に不可能な状況下で、超自然的な現象が起こる」といった点において、まさしく「ポルターガイスト」であり、私はこの言葉に初めて恐怖の念を強く抱きました。

 前回記したように、「5月31日から現象のパターンが一変した」というのは、「灯りが勝手につく・ブレーカーが独りでに落ちる・モデムのコードが引き抜かれる」といった事柄が影を潜め、「小物が激しい勢いであらぬ方向から飛んでくる」という現象が引っ切り無しに起こるようになった、ということなのです。

 31日の夜中、息子の鼻炎薬が飛び、私の足にぶつかった後、明け方までしばらく眠れませんでしたが、午前5時頃には、扇風機のタイマーを2時間ほどにセットして、やっと横になりました。

 目が覚めたのは、午前11時、息子が起きたのはそれから30分後でしたが、彼は「まだだるい...」と言って、壁側を向いて寝転んでいました。

 私の枕の右側の床に置いてある扇風機は、弱のスイッチのまま、もうタイマーも切れて、動いていませんでした。

 タイマーが切れたため、そのつまみは「切」の箇所で止まっていました。

 もう起きようと、布団から起き上がり、布団の左側のふすまを開けようとした時です。風が背に送られてくるのを私は感じました。

 振り返ると、たった今まで静止していた扇風機が、首振り回転をしながら、動いていたのです。

 「弱」のスイッチはそのままでしたが、独りでに動き出した扇風機をよく見ると、タイマーのつまみが、「切」から「連続」へとひねられていました。まるで、私が目を離した隙に、また「誰か」がタイマーのつまみを操作したように―

 「物が飛ぶ、の次は扇風機、か......」

 嫌な気持ちで、扇風機のスイッチをオフにし、動きを止めました。

 もう12時近くになっていました。私はリビングで遅い朝食を準備し始めました。食卓について、ふすまの左側を開けたまま、食事をしながら、まだ寝ている息子を眺めていました。そこからは、扇風機は見えませんでした。

 「学校も行けなくなっちゃったし、夜は変なことばかりだし、なかなか起きれないんだよね」

 私は母とこう語り合っていました。すると、また急に、寝室で、「カチッ」という音が響きました。食卓にいても、それが、扇風機の音だと分かりました。午後の12:35 でした。

 「まさか」と思いながら、寝室に入り、右側を見ると、案の定、さっきオフにしたはずの扇風機が、オンのスイッチが押されて、動いていたのです。

 変な現象に「半ば慣れた」ような意識を持っていても、やはりなぜこうなるのかが分からないため、平気ではいられません。蒸し暑い時期なのに、私はぞっと寒気がし、気色悪くなって、スイッチを再びオフにし、今度はコードまで抜いてしまいました。

 「これで、扇風機は、もう勝手に動かない」―

 そう思ったのです。もう扇風機が独りでに動いてほしくなかったのです。

 私は、今起きた状況を、食卓に戻り、母に話していました。ところが、その5分後、PM 12:40 のことでした。まだ息子が寝ている部屋で、いきなり「コトコトッ」と、何か固いものが動く音がし、同時に、ユタカが「あれっ?」と声を上げました。

 その「コトコトッ」という音は、食卓にいても、やはり扇風機のものだと判断できました。

 私は、寝室にいき、「どうしたの?」と息子に尋ねました。

 「今、僕、ぼんやり扇風機の方を見ていたら、扇風機が急にギギギギッと角度、45度変えたから、びっくりした」

 驚いて私が扇風機を振り返ると、確かに、それは完全に向きが45度ほど変わっていたのです。(To be Continued......)
 

第4章―現象の乱舞―2―飛び交う小物:part1―数分置きの狂気

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 カウンセラーの島田先生は、「不安と恐怖の連鎖というものは、どこかで区切りをつけないといけません。具体的には、お母さんが恐怖を感じても、それを必要以上に怖がらず、息子さんにもその不安を伝えないようにするということですよね」と言われました。

 そうは言われても、異様な現象に遭遇すると、「何が必要以上で、何が必要以下なのか」の基準が全くと言っていいほど把握できません。

 島田先生は、私の不安を、決して否定せず、怪奇な事態を「ありのままの現実」として受け入れる姿勢を終始、崩さずにいました。

 そのことは、とてもありがたいことでした。

 しかし、「息子さんに必要以上の不安を与えず、異常な状況においても、毅然としていなくてはいけないと思います、大変でしょうけれど」と言われても、私は戸惑うばかりでした。

 実際、5月末から6月2日頃にかけて、徐々に現象はエスカレートしていきました。その頃だったと思いますが、夜中の2時から3時にかけて、私と息子は、よくベランダから幼女の、母親を呼ぶ声を聞くようになりました。

 私達の住むマンションは、周囲を標高320mの山々に囲まれた場所だったので、昼間でも、公園での子供たちの歓声が、5階の我が家まで響き渡ります。

 そこで、夜半の幼女の「ママ...ママァ......」と言う、消え入るようにか細く、泣くような苦しそうな声も、最初は、公園か、その脇の山道へと続く駐車場付近から聞こえるのだろう、と話し合っていました。

 「でも、こんな夜中に...?今、夜中の3時なのに、小さい女の子がそこの公園にいるなんて―」

 私の疑問に、ユタカも変だと言いましたが、あっと気がついたように声を潜めました。

 「ねえ、ちょっと......よく聞いてよ。ほら、また聞こえる。あの声、うちのベランダから、ほらすぐ近くで聞こえるじゃない!ねっ!うわ~......何だよ、この声......?」

 そんなことから余計に睡眠不足となることや、私も息子も、背後に誰もいないのに、手で肩を叩かれることが起きたり、無人の部屋で、はっきりと人の気配を感じたりすることが顕著になっていったのです。

 島田先生は、こうした話に不思議そうでしたが、「やっぱり、変な現象に出くわした場合、不安と恐怖の連鎖がどうしてもご家族の間で出来上がってしまいますので、そういう時、どう対処したら良いのか、臨床医である心療内科の先生に、医学の立場からアドバイスを受けた方がいいですよ」と勧めました。

 しかし、相談の結果は、前回記した通り、失望に終わってしまいました。

 誰でも、「現実に有り得ないことを経験する=恐怖を味わう」という体験をしない限り、いくら口で説明しても、信じられないのは、百も承知である上で、私は、この奇妙な体験を、病院で打ち明けたのです。

 それでも、「そんな話はもう聞きたくありません。そんなことが現実に起こるわけがないでしょう」と言わんばかりに、殆ど無視に近い形で、話を遮られ、「私はそんなことは信じません」と言われてしまうと、頼みとしていた命綱を、突然ぶっつりと断ち切られたようなショックを受けたのでした。

 私の「こんな異様なことが我が家で起きている。だから、話をきちんと聞いて下さい。それが精神医学の見地から説明できるものなら、現象の原因はもちろん不明でいい、せめて、異常事態にうろたえないための心構えを教えてほしい」という願望は、人によっては「大体、異様なことなど起こらないのが現実なのに、何をあなたは言っているんですか」と受け取られるケースが多いことは、私は充分覚悟していたのです。

 そして、その医師が私の訴えを「病的心理に起因する何らかの妄想である」と医学上、診断を下したのなら話は別です。

 しかし、そうした診断をする様子もなく、こちらのすがるような心理を察することもなく、あっさりと「私は信じません」と断言されてしまうと、ただ虚しさと悔しさだけが残るのでした。

 せめて、「私は信じられませんが」と言ってくれたなら―そう思いながら、がっかりして、帰路についた時の気持ちが、今でも昨日のように蘇ってきます。

 しかし、事態は、こんな現実のつまらないやりとりなど嘲笑うかのように、刻々とその異様さと深刻さをエスカレートさせていました。

 心療内科に行ったのは、6月の2日頃だったと思いますが、5月31日の夜半から、突然、現象のパターンが一変してしまったのです。

 5月31日土曜日、夜中の2時過ぎ、息子が久しぶりに「胸やけがする」と言って、上半身を起こし、そのまま気晴らしにとDSでゲームを始めました。息子がゲームを寝室でする場合は、いつも自分の布団横の壁にもたれていました。

 そんな息子を右側に眺めつつ、私はやはり寝室のふすまに沿って敷いた布団に横になっていました。もう6月に入るという時だったので、蒸し暑く、私は枕元のふすまを15cm ほど開けていました。

 すると、急に、台所で何かが「コーン!」と落ちる音が響きました。枕元の携帯の時刻は、AM2:21 を示していました。

 何が落ちたのかと、私と息子は台所に行って見ると、食卓のほぼ中央にきちんと置いていた「デンタル・ピルクリーム」(口内炎の軟膏)が、息子のいつも座る隅の椅子の背を飛び越えて、そのすぐ後ろの、炊飯器近くの床に落ちていたのです。

 ぞっとしましたが、私は「現象が起きたら証拠写真を撮る」という習慣がもう日常になっていたので、デジカメで写真を撮り、その薬を元の位置に戻しました。

 もう寝ようと、私達は布団に戻りました。すると、今度は私が15cm ほど開け放していたふすまのすぐそば、つまりピアノのペダル近くの床に、何か固い物が「ゴン!」と落ちる音がしました。

 体を横にしていた私は、すぐ耳元でその音を聞いたので、驚いて飛び起きました。それほど大きな音だったのです。

 「ついさっきも薬が勝手に飛んで落ちたのに―今、何時だろう」

 そう思い、携帯を見ると、AM2:29 でした。ほんの8分後でした。

 ユタカも「何だろ」と、私と一緒に台所の灯りをつけて、何が落ちたのか、音がした辺りを見回しました。すると、落ちていたのは息子の鼻炎薬でした。

 赤いキャップで、「アルデシン」というアレルギー専用の薬です。幅は3cm で、縦5cmほどあるので、ピアノのペダルに投げられてぶつかると、静かなリビングに激しく響くのも無理もない大きさです。

 しかし、これは、他の薬と同様、いつも食卓の上にきちんと置いてあるのに、そこから6m も離れたピアノのペダルにまで吹っ飛び、ピアノの右隅にまで落ちていたことが、私には大きな恐怖でした。

 それでも、不思議なことに、こうして物が「まるで誰かが勝手に投げたように」ふすまにぶつかったりすることは、私の中で、少しずつ「仕方がない、止めようがない」といった、あきらめの境地として処理するものへと変化していったのです。

 別の表現で言えば、すなわち「恐怖に少し麻痺してしまった」といった感じだったのかもしれません。その証拠に、私は息子の前でも、笑って、その薬を拾い上げたからです。

 「ああびっくりした。なんで飛んでくるのかなあ」こう言って、本当に笑っていたのです。

 ユタカも、笑って、「お母さんが、ピアノのそばのふすまを開けているからじゃないの。そこ開けていると、余計に物がこっちに飛んでくるみたいじゃん」などと言いました。

 カウンセラーの先生が、「お母さんが毅然としていなければ」と言われた時は、「そんなこと、絶対に無理」と感じたというのに、現実に異常な現象が続けざまに起こると、「恐怖は一瞬であって、後は落ち着いていられる」ことが可能になるとは思いませんでした。

 その後、アルデシンをテーブルに元通り置いて、私は息子に「もう、寝なきゃね」と声をかけました。彼も「うん」と頷きましたが、すぐに「あっ、リビングのシャンデリア、お母さん、点けっ放し」と気がつきました。

 そこで、私は、寝室に戻りかけていたのを引き返し、シャンデリアのスイッチをオフにしようと、そちらに歩きかけましたが、その途端、まるで狙いを定めたように、私の右足の付け根の側面に、いきなり何かが飛んできて「バシッ」とぶつかりました。

 何かが体に激しい勢いでぶつかると、やはりギョッとします。思わず、「キャーッ」と叫び声を上げてしまいました。

 よく見ると、すぐ前の床には、ユタカの、ピンク色のキャップの小さな鼻炎薬が転がっていたのです。

 こちらの鼻炎薬は、キャップは幅、縦共に1cm ほど、薬本体のボトルは1.5cm ほどの小型で、先ほどピアノの右隅に吹っ飛んだ「アルデシン」と常にテーブルの上に並べて置いていたものでした。

 そんな小さな小物でも、驚くほどのスピードで、3m 離れた所から、私が目を離した隙に体にぶつけられると、痛いと感ずるのです。

 時刻は、AM2:32 でした。さっき「アルデシン」が投げられた時刻から3分ほどしか経っていません。

 私は、「物が投げられる」時間が数分刻みになっていることや、何より、誰もいないリビングで、まるで「誰かが悪戯でもするように、小物が投げられて、ふすまや家の者にぶつけられる」という、まさに現実に、物理的に不可能な状況を突き付けられていることに、内心「何か敵意を持つモノが我が家に巣食っているのだ」と怯えました。

 この日から、私はこうした現象は「ポルターガイスト」なのではないか、という明確な認識を得るようになったのです。(To be continued......)