2010年5月5日水曜日

第5章:異界の門―2―思春期の少年少女:part2―謎の迷路

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 「サイコキネシス、PK」(psychokinesis) という語は、聞いたことがあるな、と思いました。つまり「念力」のことだったわけですが、「超常現象=思春期=念力」と説明がなされても、あまりの非現実さに、信じることができません。

 「ポルターガイスト」が、既に私の日常の一部を成す「現実」であり、怪異な現象を目撃すると、それを「信じるな」という方が無理になっていたにも関わらず、今度は「念力」との言葉が、こんな非現実的な状況下においても、「非現実的だよ、あり得ないよ」と感じてしまうのです。

 もともと、私には「20代未満の人々」、いわゆる「成人に達していない子供」は、大人とは異なる存在だ、という認識はありました。

 特に、成長期の子供の1年間は、大人の10年間に相当する、と言われるほど、小学生から中学生にかけての子供たちの心と体、感受性や能力の発達には、大人では到底太刀打ちできない素晴らしさがある、と考えていました。

 しかし、そうした場合の「感受性や能力」というのも、現実世界の範疇で受け入れられるケースでした。

 例えば、幼少時や少年期に感動した映画、音楽、物語、または経験が、やがては成長するにあたり、その人の人格を形成し、信念や就く職業の原点となったりするものです。

 また、10代前後にかけて獲得した語学や音楽、絵画の実力は、大人になってからも心の財産となったり、ひとつの才能として花開くこともあるでしょう。

 人は誰しも思春期を経て、成長し、人生の路を辿っていくのです。

 家庭内に、思春期の少年少女がいる、ということは、だから、特に珍らしいことでは決してありません。そして、そうした時期の子供たちが不安定な心理状態なのは、どの家でも同様なのです。

 特に中学生の時期は、まだ幼い小学生の頃とは異なり、大人へと大きく飛躍する前段階であるため、成長ホルモンが分泌され、「もう大人に近い考え方もできるのに、体も随分大きくなったのに、周囲から子供扱いされる」といった不満やストレスも感じる、俗に「難しい」と言われる年代でもあります。

 その「難しい」、言い換えれば非常に「感じやすい、ナイーブな時期」に、不登校という落とし穴に落ちる子供も最近では大変多くなっています。

 「不登校」というのは、よく誤解される言葉ですが、「学校をさぼりたくて、行きたがらない」状態といった「不良」のイメージは間違いであり、本来の意味は、「学校に行きたいのに、行こうとすると、吐き気や頭痛がする。だから行けなくなってしまう」という、一種の病的状態なのです。

 その背後には、いじめや、それにより起こる抑鬱状態なども隠れているため、家庭内療法や、カウンセリング、といった人的支援が必要となるのです。

 2008年の3月21日から5月15日までは、自分の子供に対しては、そうした「不登校」の問題が大きく、そのため、「家庭内療法」として、「学校・勉強、といった言葉をタブーにする、復学を焦らせない」などの心遣いで心身共にくたびれていました。

 そうした矢先に、いきなり「ポルターガイスト現象」が起こったのです。

 その現象が「思春期の少年少女の周辺で起きやすい」という説は、「感じやすい時期だから」と、何となく分かったような気になる一方で、「思春期で不登校の子供は、うちだけじゃないのに、どうしてこんなことが起きるのか」と、逆に不可解な疑問が次々と湧き起こるばかりでした。
 
 特に「その人物が無意識的に用いてしまう念力、サイコキネシスによるもの」との説が、全く訳が分かりません。

 理屈は分かっても、「自分の子供に念力などあるなんて、そんな馬鹿な。もし本当だとしても、なぜそんな能力を有しているのだろうか」と、首を捻るばかりです。

 現実には、「物が独りでに飛ぶ」という「超自然的現実」を経験していても、また別の「超自然的な原理」の説明を読むと、それがとても信じられないのでした。

 結局、謎解きをしようと試みても、あまりにも「非現実的」な話なので、「思春期の子供に念力を有する者がいると、ポルターガイスト現象が起きる」との説は、私の頭の中でうやむやになったまま、うまく消しゴムで消し切れない形で、漠然と取り残された形となりました。

 6月1日の午前中は何も起きませんでしたが、午後2時10分頃、私は、母と息子と3人で、昨夜起きたことや、「もうすぐおじいちゃんが来てくれるから」と話し合っていました。

 すると、リビングの床に、「カツン!」と何かまた落ちる音が響きました。それは、息子のDS 用の青いタッチペンでした。

 この現象も、これまでとは異なっていました。

 このタッチペンは、テレビボード左の、一番上の書棚に置いてあったものですが、その書棚のガラス扉は、閉まったままだったのです。

 つまり、このタッチペンは、閉まったガラスをすり抜けて、床に飛び、転がったわけです。

 この数分後、いきなり「ガン!」と固く、重たい音が背後で聞こえました。

 「わっ!何?」

 3人で振り向くと、今度は単2サイズの古い電池が床に落ちていました。

 これも、先ほどのペン同様、同じ書棚の閉まったガラス扉の中に、置き場所がないからと置いておいたものです。ガラス扉は、何事も無かったかのように固く閉ざされていました。

 「また書棚から飛ぶかも知れないけれど」と思いながら、片づける場所が思いつかないので、その場はとりあえず、電池は書棚の扉を開け、中に戻しておきました。そして、マグネット式のガラス扉をカチャリと閉めました。

 「書棚のケースを開けた形跡もないのに、あんな重い物がガラスをすり抜けるなんて―」

 それから約10分後、PM2:26、息子の背後で「ヒュッ!」と何か飛ぶ気配がし、また床に投げ落とされる音がしました。

 皆で振り向くと、今度は洗面所にあった、母の歯ブラシが、ピアノのそばに落ちていたのです。

 「洗面所から、こんなピアノの所まで飛んだのか―」

 昼間でもこうなると、いよいよ心細く、私達は父の到着を待つばかりでした。

 「ポルターガイスト」に関して、ネットでいろいろ情報を集めても、あまりにも「超現実的な」解説に余計に不安が増しますが、なぜか調べずにはいられない心境でした。

 結局は、「こういう不思議なことに解決はつかない」と感じながら、私は謎の迷路をただ「ああでもない、こうでもない」とさ迷うばかりでした。(To be continued……) 

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