2010年12月9日木曜日

第6章「幽現の渦」―2: ハイテク機器の怪―part2: PSP の異変

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第6章「幽現の渦」―2: ハイテク機器の異変―part1: PSP の怪
Weblog / 2010年12月09日 15時52分35秒


なぜ、息子が見た夢が現実に起きるのか。なぜ、彼の悪夢が正夢となるのか―

 私は、この襖の異様な汚れが「飛び散った血痕」と知ってからは、その部分にまともに目をやることができませんでした。

 飛び散り、なすりつけられ、したたった後の残る変色した血。これは一体誰の血なのか。DNA 鑑定でもすれば、どこの誰の血なのかは判明するでしょう。

 しかし、どこの家族が、我が家の襖に飛び散った血の DNA 鑑定などを頼むでしょうか。

「いつの間にか、こんな血がついていたんです」

 ―こんな理由は、決して通りません。また、依頼した直後から、「家庭内で何らかの事件、犯罪が起きたのだ」と疑いの目で見られるに違いないのです。

 物が飛ぶとか、壁の音がするなどといった現象は、視覚聴覚上の妄想と、専門家には片づけられることもありましょう。

 しかし、「襖に血糊が残っている」という事実は、現実に目の前に動かぬものとしてあり、99%、「何らかの事故もしくは事件の証拠」と見なされ、「超常現象として起こったのではないか」と認識される可能性は、限りなく零に近いものでした。

 そこで、このことも、誰にも相談ができず、ただ家族3人で不気味な孤独感に苛まされるだけだったのです。

 その襖のおびただしい異様に変色した血痕は、私にとって、正視に耐えうるものでは到底ありませんでした。

 ただ、私が実に不思議であり、且つ明確な事柄として感じたことは、「超常現象は、まだ13歳と半年にも満たぬ息子を通して、より明瞭に現れる」ということでした。

 ネットのあるサイトで、「霊魂が入って語る、という霊的な能力を有する者を、霊媒という」といったことが書かれてありました。

 これが真実ならば、息子は「霊魂が彼の頭に入り、夢を見せ、その夢を現実に再現しようとすればできる能力を持つ『霊媒』」ということになります。

 いきなり自分の子が「霊媒」だと信じることは不可能でしたが、目の前で起きたことを解釈する上では、こんな「非現実的な解説」が妙に当てはまる気がしてなりませんでした。

 実際、6月8日、ユタカは昼寝で「誰か中性的な人物が出現し、携帯やデジカメを仕舞ってあるタンスの前に立ち、『証拠になる物が残っている』と言い、10分ほどそこにじっとした後、姿を消した」という夢を見ました。

 その話を聞いて、私が携帯やデジカメを確認すると、「夜中のスタンドのダンス」のムービーフォルダ、「どこかの家の板の間で数秒間撮影されていた、粘土のように潰れた醜悪な顔」のムービーデータが、どちらもきれいに消去されていたわけです。

 その時、息子は「霊は、霊感のある人間の夢に現れ、直接話しかけてくる」と私に言ったのです。

 ユタカがいつ、どこで、そんな情報を知ったのかが不思議でしたが、その時は「そんなものなのか」と、深く考えることもありませんでした。

 しかし、今、思い起こしてみると、ユタカのその言葉は、まさに「霊媒」の能力の証明ともいえるものだったのではないか―そのように思えて仕方がないのです。

 もちろん、息子が「僕は『霊媒』だから」と自ら意識し、私たちに宣言していたわけでは決してありませんでした。

 寧ろ、彼自身が気がつかないうちに、そんな「体質」となってしまい、「霊的存在」が息子の口を借りて、何かを主張しようとしていた、といった感が強かったのです。

 そうした印象が特に明瞭となってきたのは、6月27日の真夜中でした。

 その日は、午前0時50分頃から1時過ぎまで、母とお経を、テープと共に唱え、唱えた後もしばらくお経の音声を繰り返し流していました。

 すると、クーラーのリモコンが、勝手に、私の枕元から母の枕元へと、2、3回往復して飛びました。

 「危ない、リモコンが―わっ!また飛んできた!」

 もう「物が飛ぶ」現象が起きて、1ヶ月半にもなる頃でした。それでも、何かが「独りでに飛ぶ」ことに対しては、その都度、鳥肌が立つほどの恐怖でした。

 そして、再び、3日前の夜中と同様に、私の足の裏が、「誰か」の指で「グイッ!」と押され、ユタカの肩を「冷たい手」がぴたりと触れたのです。

 「わっ!冷たい手で、また触られた!」

 息子は怖がり、遊んでいたDS を布団の上に放り出すと、タオルケットを頭から被ってしまいました。

 その後、妙に張り詰めた空気が和やかになり、彼は1時50分には「眠くなってきた」と言い出しました。

 ところが、突然、タオルケットをガバッとはねのけると、ユタカは「気配!」と声を上げました。

 「気配?何......何の?」
 「ベランダだよ!ベランダを歩いている......!」

 「......誰......?」
 「大人の男だ......大人の男の足音がはっきり聞こえる......」

 私はその足音は聞こえませんでしたが、ユタカはベランダを凝視し、じっと耳をそばだてていました。

 すると、その気配と呼応するように、隣室の壁をドン、ドンと鈍く、次にいつものように「コンコンコン......!」と叩く音が始まりました。

 私は、急いでテープで『般若心経』を2回ほど繰り返して流し始めました。

 すると、ユタカが独り言のように、誰にともなく喋り始めました。

 「......もう、念力で、部屋の中に入らなくても、室内の物は飛ばせる。室内に貼ってあるお経は、もう意味がない......音声だけが手掛かりだ......」

 まるで催眠術にかかったように、何者かに操られてでもいるかのように、奇妙な内容を語ったのです。

 私は、「音声だけが手掛かりだ」というのは、「お経の音声」を意味するのだろう、と思いました。こうして、息子が不思議な独り言を口から発した後、壁の音はピタッと止まりました。

 ユタカは、半ばウトウトしつつも、更に話し続けました。今度は、彼自身の感じたことのようでした。

 「......気配、消えた。ベランダで、今、足音したけど、遠くへ走って行ったのを
感ずる......」

 こう言った後、ハッと目が覚めました。

 ユタカは、「僕、今、無意識に何か......言っていたような気がするんだけど......?」と私に不思議そうに尋ねました。

 私は、彼の話した内容をすべて教えました。すると、ユタカは驚いた様子でした。

 「えっ?『気配』とか『念力』......?そんなこと、僕、言った?全然覚えてない」

 「『お経は意味がもうない』って言ったのも?」

 「ぜーんぜん、覚えていない。僕、そんなこと、言うわけないよ。だって、お経は大事じゃない。それに、人は、何か言う時、意識して物を言うでしょ?今だって、意識して言っているんだよ。ホントに、さっき何か言ってたなんて、自分でもよく覚えてないよ」

 そして彼はこう言った直後に、また正反対のことを言いました。

 「何か、無意識に言っていた気もするけれど......」

 全く、この出来事は不可解でした。まさに、「霊的存在」なるものが、まだ若く、感受性の鋭い13歳の少年の脳を借りて、己の主張を語り、そしてどこか遠くへと再び去って行ったように思われました。

 しかし、「幽体」が息子の頭に入り、何かを「語る」という現象は、よく考えればこれが初めてではなかったのだ、と気がつきました。

 旅行の数日前、やはりベランダの外に「4人家族」が浮かび、口々に「ここは私たちの家」「侵入不可能」「よそを探そう」などと話し合った、という奇々怪々な出来事がありました。彼らの会話も、やはり「息子の口を借りて」交わされたものだったのです

 しかし、「なぜ息子が何かに利用されているのか」という疑問も、8月の最中頃には徐々に薄らいでいきました。その頃までには、ユタカだけでなく、私や母も、「何か」に深く関わっていくようになったからでした。

 その晩は、「自分の言ったことは信じられないし、覚えてもいない」とユタカが首を捻った後、もう夜中の3時過ぎだったので、私たちは少し微睡んでいたようです。

 またいきなり、強い「ゴンゴンゴン!」という壁の音で、皆、再び目を覚ましました。

 「ベランダに人の気配―中性的な大人がいて、こっちに接近してきている......外から強いパワーを発している。ねえ、部屋中の本を投げ落とそうとしている強い気配感じるんだけど......」

 息子は、警戒心を覗かせながら、妙に落ち着いた調子で状況を説明しました。

 その「外から室内の本を投げ落とそうとしているパワー」とは、1時間ほど前に、ユタカに無意識状態に陥らせつつ呟かせた「もう念力だけで、室内に入らなくても、中の物は飛ばせる」と語った「モノ」の力ではないか、と私は判断しました。

 その頃、ユタカはSONY の PSP がお気に入りで、主にパソコンからダウンロードした曲をPSP に保存し、寝る前によく聴いていました。曲はモーツァルト、ドヴォルザークなどのクラシック以外に、英米のロックなどを多数集めていました。

 「壁の音、うるさいから、明るい曲でも流そうか」

 こうユタカが言うので、「こんな真夜中に?」と私は躊躇しました。

 「いいじゃない。壁がドンドン騒がしいんだから、同じことだよ」

 彼が騒がしいロックを故意に選び、流そうとしていたその時、ユタカは「あっ」と言うと、PSP から手を離しました。

 「今、誰かが僕の手に触った」
 「本当?......でももう一度、試してみたら?」

 再度、ユタカが PSP を手に取り、「えーと、これにしよう。リンキン・パーク のうるさい奴」と言い、音量も最大限にして流し始めました。

 その最中も、壁の音は執拗に続いていましたが、ユタカの試みも、ふたたび「誰かに手をはたかれる」ことでPSP は床に転がり、失敗してしまいました。

 「何だよ、もう、邪魔ばっかり」

 ユタカは3度目の挑戦に挑みました。すると、曲が30秒も続かないうちに、いきなりPSP の電源自体が消されてしまったのです。

 しかし、このロックの効果は確かにあったようでした。

 というのも、曲が消される直前、息子には「何者」かの「やめろー、やめてくれ!」との悲鳴めいた声が聞こえ、私達が途方に暮れていた壁の騒音も妙な気配もきれいに消えていたからです。

 その後、息子はこうした一連の現象について、彼なりの判断を私に語りました。

 「霊は、成仏したいって、本当は思っているんだよ。でも自分では成仏はなかなかできないから、人に『成仏させてくれ』って、取り憑いて、悪さをするんだよ」

 「どうして、そんなこと分かるの?」
 「そんなの、『心理』というものを考えたら分かることだよ」

 ユタカは、いつの間にか、霊の存在を自然に認識し、その霊にも「心理がある」と考えるようになっていた訳ですが、私は「霊の存在」などは理論的に把握するどころか、「霊そのものの心理」など、想像することもありませんでした。

 「霊」との言葉が、すべて私の心を脅かし、凍り付かせるものだったからに他ありません。

 それなのに、まだ13歳の息子が、「霊の心理」を「人の心理」として捉え、その必然性を至極当然のこととして理解していたのです。

 「最初は、4人家族が(旅行前に)いたけれど、お経で成仏。次は古井が出てきたけれど、こいつも昨日のお経で成仏。後一人、中性的なのが残ってて、こっちはお経で一時的に退散したけれど、すぐに戻る。でも、夜中にふさわしい静かな曲より、ふさわしくない明るい騒がしいロック系の曲には退散するんだよ」

 その当時は、息子の超常現象に対する理論的な説明に、「ふうん、なるほどね」と同感するのみでした。

 しかし、2008年のような激しい現象が、ややなりを潜めた今現在となっては、なぜ、その当時、息子が俗に言う「心霊現象」をごく普通に起こる得ることのように解釈し、私に語ることができたのか、不思議でならないのです。

 父は、いつもお世話になっている日蓮宗の旦那寺の住職さんに、5月中旬から始まった一連の現象を既に相談していましたが、住職さんのお話では、「2008年の今年は厄年に当たります」とのことでした。

 また、2001年に大阪から兵庫に転居したことを、「方違えとして、鬼門の方角だったのかも知れません」と住職さんはおっしゃったそうです。

 「方違え」と言えば、平安朝によく行われた風習だと思っていた私には、「この現代に?」と有り得ないことのように感じました。

 しかし、これだけ怪異が頻発している以上は当然であろうとも思われたのです。

 ところが、この6月末から7月初旬にかけて、こうした古来からの「方違え」の失敗とは妙にそぐわない事柄がよく起こりました。

 それは、21世紀という時代を反映してのことなのか、PSP,パソコンなどに超常現象が起きたことでした。実際、米国のある企業のパソコンに、毎日のように、同じ内容の文書がメールで大量に送られてくる、という事変が起きたそうです。

 ウイルスかと検知したが、そうではない。

 そうする合間にも、受信ボックスは例のメールで容量がパンクしそうになる。

 そこで、社会問題にも都市伝説にもなり、「要するにこれはポルターガイストなのだ」との騒ぎになったそうです。

 そして、ハイテク機器が妙な具合になる現象が、我が家でも起こるようになったのです。

 しかし、最も凍りつく経験は、7月13日頃から突如として始まった「霊との会話」だったのです。
(To be Continued......)

2010年9月1日水曜日

第6章「幽現の渦」―2: ハイテク機器の怪―part1: 襖に飛び散る血痕

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 そのように、気がつかない間に散乱していた丸められたティッシュを、私はそれからどう始末したか、あまり覚えていませんが、確か、母を起こして、その有り様を見せ、二人でゴミ箱に捨てたように記憶しています。

 18日の昼間は何事もなく過ぎました。ただ、息子は一晩中、「不眠状態だった」と元気がありませんでした。午前4時頃、父に叱責されてゲンナリし、朝は8時半に起こされるため、熟睡した感じがないのも当然だったでしょう。
 
 私も熟睡感がないものの、両親とダイニングフロアに出かけ、皆疲れた顔でバイキング料理を小皿に取り分け、庭園の見える窓際で食事をしました。

 「いろいろ観るところがあるけれどなあ。庭園を散歩、してみるか」

 父がそう誘ってくれましたが、私は睡眠不足から、動悸や頭痛がしました。

 「ごめん。とてもダメ。部屋でお昼寝してからなら......」

 「あの子は、これくらいなら食べれるか」

 パンをユタカの分、ハンカチに包んで部屋に持ち帰りましたが、ユタカは吐き気でなかなか食べられませんでした。やっと午前10時半頃、ジュースと一緒に食べた程度でした。

 昼も、ユタカは「あまり食欲ない」と言い、午後の2時頃ジュースをすすっただけでした。それでも、晩は、皆で一緒に食堂に降りて、普通に食事ができました。
 
 これが、息子がこの旅行で「初めておいしく、量もちょうどよく食べれた」夕食でした。

 起きている時は、皆、不眠状態なので、私一人でベランダから綺麗な建物や庭園をデジカメで撮ったり、廊下に出ては、豪華な彫刻の置物などを撮影して回りました。それ以外、一切外には出ず、ほとんど昼寝か、起きている時は、皆で食事までトランプ、といったことの繰り返しでした。

 このホテルに泊まっても、怖いことが起きたというのに、「せっかく立派なホテルに宿泊しているんだから」という、ごく尋常な旅行客の気分が時折は蘇ります。

 そこで、夕食後、ユタカは修学旅行のようなウキウキした調子で、「1階の土産物店見に行こうよ」と私を誘いました。

 その店で、ユタカは日本刀や龍のデザインのキーホルダー、私はフクロウのキーホルダーを買いました。こういう他愛ないことが、この「嫌な旅」のせめてもの慰めでした。

 私がフクロウを選んだのは、デザインが可愛く、夜はほんのり光るから綺麗だと気に入ったためでしたが、「幸せを呼ぶ鳥、フクロウ(不苦労)」との説明に何か救いを求める心が動いたのかもしれません。

 土産物を買い、少し気持ちも晴れた私は、昨夜の大浴場へとまた入りました。特に異変はなく、昨夜と同じく、私が11時過ぎに部屋に戻ると、両親とユタカはもうぐっすり寝ていました。

 私は寝る前、テーブルの上に置きっ放しの父のペンやメモや爪切りなどの小道具や皮の小銭入れや財布、鍵や眼鏡などの小物を廊下のクローゼットに入れました。

 また、父が寝る前まで飲んでいたお茶の缶や薬などは、父が「紛失した」とびっくりしないよう、窓脇の板の間の座椅子の下などに押し込みました。

 これは全て「飛んだら怖いし危ないから」との警戒心からだったのです。

 あらかた家族の布団の周囲を「安全」にしたものの、私の緊張感は夜が更けるにつれて強まっていきました。

 日付が6月19日となり、F町のホテル2泊目の晩となりました。この晩を乗り切れば、旅行も終わり、父は大阪へ、私と息子と母は、兵庫の山奥のマンションへと戻るのです。

 しかし、「無事この夜を乗り切っても、家に戻れば、また何が起きるか」と心配でたまらず、落ち着く場所が永遠に失われてしまったかのような不安でいっぱいでした。

 寝る前に、いつもの習慣で、家ではワインというところを、旅先では梅酒を買い置いたのを飲んでいました。その晩は、息子は「気配」というもので目が覚めたりはしませんでした。

 私の布団の右側には、木製の縦格子の窓が壁にはめ込まれ、ほんの1cm ほどの隙間から、洗面台やトイレのドアが見えました。

 午前1時半から2時にかけて、そのトイレの方から、中の壁を「ドン、ドン、ドン」と鈍く叩く音がしました。

 私はギョッとし、寝ている家族を見渡しました。皆、布団にくたびれ果てて眠り込んでいるのに、トイレから音がするのです。

 私は薄気味悪くなり、妙な寒気が起こりました。そして、そういう時に限って、トイレに行きたくなるのです。けれども、せっかく寝ている家族を起こしたくありませんでした。ユタカが、こういう場合は不思議と頼りになるので、息子を起こそうとも思いましたが、それも可哀想でした。

 結局、私一人で、その音が止むまで我慢することにしました。そして、心の中で、「どうか壁を叩かないで下さい。私たち家族を苦しめないで下さい」と祈り続けました。

 そうした「祈り」が効いたのかどうか、偶然にも、徐々に音はしなくなり、もとの静寂が訪れました。私は恐る恐るトイレに行きましたが、何も異変はありませんでした。

 それでも、「夜中のトイレ」というのは、何もなくても恐ろしいものです。慌てて手を洗い、部屋にそっと入ると、静かに襖を閉めました。

 「もう、大丈夫かもしれない」

 そう思い、残っていた梅酒をまた飲み始めた時でした。私の足下に、何かが「ヒュッ」と飛んできて、布団に落ちました。

 それは、洗面所の宿泊用の、小さな歯磨きの白いチューブでした。

 状況から考えて、襖は閉めてあるのだから、私の布団右横の、格子窓の隙間から投げ込まれたのだと思われました。

 「嫌だ、なんで洗面所のチューブが......」

 そう思い、ユタカのよく言う「古井」の仕業だと感じ、再びゾクッとしました。そのチューブは拾っておき、私のバッグに入れ、朝、母に「夜中にこれが飛んできたのよ。襖も閉めてて、部屋から隔たった洗面所に置いてあったのにー」と説明しました。

 母は、「まあー、そんな所から、ねえ。隙間があれば、どこからでも狙うのね」と眉を寄せました。ただ、ユタカにこのことを言うと、「歯磨きのチューブくらい、不思議じゃないよ」と意外な返事が返ってきました。

 「なんで不思議じゃないって思うの?」
 
 「別に。もしかしたら、お母さんが歯磨きして、そのチューブをうっかり部屋に持って入ったのかもしれないからさ」

 私は、息子がいつもは「何かの気配だ」とよく言うのに、この小さなチューブに関してはごく自然な解釈をしようとしていることに、少し妙な印象を受けました。

 多分、旅行の終わりまで、異様な出来事に対して込み入った分析をしたくないー彼は、こんな気持ちだったのかもしれません。

 ユタカは、「昨夜はよく眠れて、朝の6時半に起きちゃった」と少し元気そうでした。朝食は、8時20分に、パン、牛乳、卵、サラダ、ヨーグルトなどをおいしそうに食べました。私はその様子をデジカメで撮りました。

 朝食後はもう、荷物をまとめて、チェックアウトの準備です。私は、片手に携帯を携えつつ、「怖かったけれど、綺麗だったホテルの思い出は残したい」と、ひとり皆に少し遅れつつ、ホテル内の装飾や、赤い絨毯を歩く家族の後ろ姿を撮影しました。

 2008年6月19日、朝10時にF町のホテルをチェックアウト。後は、JR の駅まで送迎バスを待つだけです。その時も、携帯で家族同士、撮影をしました。

 しかし、そうやって撮影した写真も、8月上旬には「不吉なことの起きた場所の写真や奇怪な音声を録音したテープは、残しておくと大変なことになる」との理由で、すべて消去してしまったのでした。

 その理由を教えてくれたのは、ユタカの小学校時代の知り合いだった榊(さかき)君という、1歳上の少年でした。

 榊 真人(マサト)君は、ユタカと同じように中1の終わり頃にいじめに合い、「同じ町内に住んでいると級友に出会って嫌だから」と、1年半ほど田舎の親戚のお寺に住んでいたそうです。

 その榊君は、田舎でフリースクールに通い、合宿を体験した後、「久しぶりに元のマンションに戻ってもいい」と、2008年8月に帰ってきていたのです。

 8月以降の我が家の超常現象は、11月末まで続きましたが、榊君は度々我が家を訪れ、アドバイスをしてくれた一人であり、奇怪な事象に苦しんでいた私たちの心を支えてくれたという意味で、大きな力となった存在でした。

 様々なことが起きた旅行を終えても、元の家に戻れば、また大きな悪夢の渦中に自ら入り込むのと同じことでした。

 その悪夢の爪は、徐々に鋭さを増し、巨大な竜巻を起こそうとしていました。その目に見えない呪わしい爪痕が、7月以降、我が家をますます蝕んでいくことを、私たち3人が知るはずもなく、父とF町から大阪行きの列車に乗り、いつもの駅で、父と「またね」と別れたのです。

 午後12時半に、9年間住み慣れた町の駅で降りると、私とユタカは駅前のローソンに行き、お昼のお弁当を買い、バス停で待つ母のもとに急ぎました。

 4日前の朝、「何事も旅先で起きませんように」と願って離れた家は、何事もないように、私たちを迎え入れました。それでも「久しぶり」と、ホッとした気分になれません。なぜなら、家中には相変わらず<般若心経>が張り巡されていたからでした。

 この旅行から帰宅した19日から、20日金曜日の夜半までは、不思議と何も起きず、久しぶりによく眠れました。

 また、ユタカがネットで<般若心経>を検索してくれたので、私はそれをカセットテープに録音し、19日の晩から、就寝する前、11時半位から、母とお経を3回は繰り返し唱えることを始めました。

 しかし、6月20日の夜半から21日土曜日の、ほぼ同じ時刻、AM 2:30 ~3:05 頃にかけて、再び現象は再開されました。

 ユタカが、「なんか古井の気配がする」と言うと、最初はクーラーの室外機をコンコン......と叩く音がし、次に壁の中から「コンコンコン!コンコンコンコン......!」と指の関節で叩く音が始まるのです。

 急いでお経のテープを入れたカセットレコーダーを壁につけ、故意にボリュームを大きくして流しました。

 すると、そのお経に抵抗するかのように、壁を叩く音も一層、大きくなりました。

 <般若心経>は悪霊を追い出す文言であるため「壁の中の悪鬼」は、そのお経の音声に苛立ち、牙をむいたのでしょうか。

 しかし、「ぎゃーてい、ぎゃーてい、はらそう ぎゃーてい......」との悪霊を諭し追い払う、最後の部分にさしかかると、壁の異様な音は鳴りを潜め、お経が終わるのとほぼ同時に、音は鳴らなくなりました。

 「気配、消えちゃった」とユタカが言うと、本当に、何事もなかったかのように、部屋は静まり返り、空気も森閑とし、全くの静寂となりました。

 今現在は「悪霊を追い払う」目的で、<般若心経>を唱えたり、テープを流したりしていた、と書いてはいますが、2008年夏、特に7月中旬に至るまでは、私や家族には、あまり「霊が家に入り込んでいる」といった意識は薄かったようでした。

 ただ、<超常現象>が起きている、だからお経を貼ったり唱えたりすれば、何とかなるのではないか―そうした認識しか抱くことができませんでした。

 私は、「超常現象」と「心霊現象」とが当時はなかなか頭の中で結合しなかったのです。

 「超常現象ーポルターガイスト」というと、何か「物理的に不思議な現象」といった印象を受け、それだけでも恐ろしく感じますが、「心霊現象」、すなわち「何かの霊に憑衣され、夜な夜な霊たちが自分たちの周囲をさ迷っている」―

 そうした認識は、本能が拒絶していたに違いありません。

 しかし、もとを辿れば、「超常現象」も「心霊現象」も同じ一つの「怪奇現象」であり、「あの世の者たち」が引き起こす異常な状況であったのです。

 それでも、私が「これは完全な心霊現象なのだ」と認めざるを得なくなったのは、7月中旬以降であり、物理的に不可解な「超常現象」が起き始めた5月中旬から、実に2ヶ月の日数を経て、我が家の現象は確実に「霊の出現」へと急速にエスカレートしていったのでした。

 しかしその7月半ばに至るまでは、主に以前と似たような「物理的な不思議」が相変わらず毎日のように起こり、私たちを悩ませました。

6月21日と22日、土曜と日曜の朝、午前9時頃、母が起きると、リビング全体の照明が明々と灯されていました。

 リビングの天井には、食卓の上に白い円状の白熱灯、テレビやピアノを照らすために花の蕾が開きかかったデザインのシャンデリアを備え付けていました。

 それらは、就寝時はどちらも消し、台所の流しの蛍光灯だけつけているのが普段の習慣なのです。

 夜は何かと異変が起こりますが、母は家族の中で一番寝付きがよく、いつも私より早く起きる人でした。だから、一晩中消していたはずのリビングの照明がどちらも朝にはついていたことに、非常に驚いた、と私を起こして話してくれました。

 また、23日月曜日の夜半のことでした。午前1時40分頃、ユタカは「妙に気配、感じるなあ」と言いながらトイレに向かいましたが、突然、鬼でも見たかのように「うわぁっ!」と叫びました。

 「また......何があったの?」

 「今、今、家の玄関の前に人が突っ立ってて、中を伺おうとしている気配、すっごく感じるんだよ!ねえ、分からないの?分からないの?」

 ユタカは私に「分かって欲しい、こんな不気味な気配から早く遠ざかりたい」と必死になっていました。私は息子のそんな訴えにただならぬものを感じ、そばに来ていた母と3人で、急いで寝室に戻りました。

 すると、再びユタカは「我が家に忍び込んだ殺人鬼」からこちらの気配を悟られまいとするかのように、怯えた調子で続けました。

 「あっ......古井が......!」

 「やっぱり、また、<古井>なの?」

 「古井がお母さんの勉強部屋へと、外から入ろうとしている!ーあっ!もう、入っちゃった!今、書斎で足音がしたよ!」

 その時、私も、洗面所から書斎のドア付近で人が動き、「カタッ......コトッ......」と何か物を動かす気配を感じ、音をもはっきりと聞きました。その後、ドアを開けるかのような音が聞こえてきました。

 「ほら......!お母さんの書斎のドアを、カチャッ......キーッて開ける音がした。あれ、古井だよ」

 「あっ!ー今度はリビングに来て、椅子に座ってる......!椅子の音、聞こえたでしょ」
 
 私たちは、3人とも、寝室で息を潜め、「正体不明のモノ」が家中をうろつく気配や音を聞いていました。特にそうした気配や音に敏感なのは、ユタカの次に私だったようです。母は、何も聞こえない様子でした。

 しかし、その「悪鬼」はいよいよ私たちに接近したようでした。

 「もう、この部屋に入って来た......!」

 ユタカの言葉と同時に、私は裸足の足の裏を「誰か」の指でグッと押されました。

 「嫌だ、何?足の裏を押されたよっ!」

 私はゾクッとし、思わず足を曲げ、体を息子の本棚の方へと慌てて移動させました。ユタカも、「ワッ!腕が......!触んな、触んな、あっち行けっ!」と布団の上に座ったまま、後ずさりしました。

 ユタカは、右腕の二の腕を、「誰かの冷たい手」で触られたのです。

 こんなにハッキリと「目に見えないモノの冷たい手」で体を触られることは、私たちにとって、5月中旬の怪奇現象が始まって以来、初めてのことでした。

 母は、まだこの時点では「触られる」被害を被っていませんでしたが、7月から8月いっぱい、母も「一晩中、体のあちらこちらを触られたり、叩かれたりする」恐怖を味わうようになったのです。

 一旦、こんな生々しい経験は鎮まりましたが、今度は壁が「ドン、ドン、ドン......」と鈍く叩かれ出したため、最後の切り札とばかりに、<般若心経>のテープを大音量にして流し続けました。そうして、この夜の「試練」は午前3時頃、やっと収まったのです。

 私は、本能的に拒みつつも、「心霊現象」について、更に何かを知りたいと思いました。

 「冷たい手で体を触られる」といった、凍り付くような経験をしたからには、やはり「霊なるもの」が周囲に漂い、夜間に音もなく降り積もる雪のように、我が家を「あの世」の空気でしんしんと包み込み、ごく平凡な日常から、私たちを震撼とさせる「異空間」へと、遠く、遠く隔たった場所へと引きずり込もうとしているのだ―

 そうした現実を直視せざるを得なくなってきている、そんな切羽詰まった心境へと追い込まれていたのです。

 私の「手引き」となるのは、やはり佐藤愛子さんの<私の遺言>でした。この本で、私は初めて「この世」と「あの世」の中間に、「幽現界」なるものが存在することを学びました。

 この異世界は、読んで字の如く、「幽体」となった、肉体から離れた霊魂が、生きた人間の住む「現実世界」をさ迷う空間です。

 私は、死後の世界というものをじっくりと考えたこともなかったために、人間は皆が「この世に未練が残り、死後であっても真っ直ぐに天上界へと行き、成仏するわけではない」のだ、と知りました。

 どうした理由で、そうした「幽現界」にさ迷う霊魂が、我が家に入り込んでくるのかが分かりませんでした。そのため、佐藤さんの本は、その時はそれ以上、熟読することはありませんでした。

 そうした世界がある、と知識上知っても、自分たちが経験した生々しさにその異世界を結びつけることに、底知れぬ怖さを感じたためでした。

 親しい友人には、携帯のメールで詳しく、「こんなことがあった、あんなことが起きた」と知らせていました。友人は、「夜中の2時や3時に怖い目に遭うんなら、早めに寝てしまえばいいんじゃない?」と返事してくれました。

 それも道理に叶っていますが、いくら早く寝たところで、壁の音や「触られる」ゾッとするような感覚、寝室を所狭しと飛び交うタオルケットやティッシュボックスの騒動で、どうしても起きてしまうのです。

 6月24日には、午前0時45分から46分の、わずか1分間に、洗面所に置いていた父の歯ブラシが5m離れたリビングの床に「カツーン!」と飛ばされ、食卓の上のティッシュボックスが、1m先の床へと投げつけられました。

 これらも、ユタカが「あっ!古井の気配がする!」と言った途端に起きた事柄でした。
しかし、私と母とが、<般若心経>を6回ほど唱えると、現象は鎮まり、ユタカも「アイツ、出ていく気配がした」とホッとしたようでした。

 このような状況下では、もはやお経だけが頼りであり、私たちは「お経が身を守ってくれる」と信じて疑いませんでした。

 翌日は、何が起きたか、記録に記されておらず、忘れてしまいましたが、6月26日木曜日、未だ予期せぬ怪異が起きました。

 その日の夕食後、私は、寝室にしている子供部屋隣の、元和室だった襖が何かで「汚れている」ことに気がつきました。

その襖は、その年、2008年の正月過ぎに、新しく張り替えたものでした。特に汚すような原因も思い当たらないのに、「何か」でひどく、下から40cmほどの襖の半分が点々と汚れているのです。

 近眼の私は、眼鏡をかけ、「何の汚れだろう」と目を凝らしました。

 よく見ると、それらは赤茶色だったり、赤黒く変色していました。私は直感的に、「これは血だ」と分かりました。

 まるで、襖に向かって、鼻血でも吹き付けたように、無数の血痕がぶちまけられていたのです。どうも、1、2日前に襖に飛び散り、それで少し茶色に変色しているようでした。

 中には、血が飛び散った後、つーっと血液がしたたったような後まで残っているものもありました。私は慌てて、母に教えました。

 「まあ、本当に......これは血だね。まあ、何だって、血がここに飛び散るの?あの子が鼻血でも出たかしら?」

 「ううん、いくら鼻血でも、どうして襖に飛び散ったりする?これは、血が何かで飛び散ったように、襖につけられたのよ」

ユタカが、私たちの騒ぎで、寝室でDS をするのを止め、「どうしたの?」と様子を見に来ました。ユタカに、襖の血を見せ、「ねえ、変じゃない?どうして、ここに血がついているんだろ?」と私は言いました。

 すると、ユタカは驚くべき話をしたのです。

 「あっ思い出した。今朝の夢。人が人を、グシャッと刺し殺す夢だったー」

 「えっ?そんな怖い夢、見たの?」
 「うん。悪夢、だよね......」

 私は鳥肌が立ちました。なぜ、息子が見た夢が、現実となって、この襖に「血が飛び散る」ことが起きたのか―

訳は分からないながらも、この襖の禍々しい血痕は、ユタカの悪夢が現実化したものなのだーそう思わざるを得ませんでした。(To be continued......)

2010年8月18日水曜日

第6章―幽現の渦:1―闇夜の旅:part4―落ちてきた柿の種

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 全く、この4泊5日の旅は、ただ怖い目に遭うために出かけたようなものでした。夜中が眠れないことばかりであるため、昼間はみんなボーッとし、昼寝かトランプばかり、夜半は恐怖の直中で、父とビールを「やけ酒」とばかりに自動販売機で買い込み、飲み明かしたりもしました。

 6月17日の午後には、またJRに乗り、今度は別のホテルのあるF町へと向かいました。

 Y町の旅館をチェックアウトする際、父はフロントマネージャーの方に、この旅館に泊まってからの2日間の出来事を話していました。

 多分、夜中2時半の行動を警備員の方に見られていたことから、その「不思議な行動と告白」の理由を説明しておきたかったのでしょう。

 父は、ソファーに座って待っていた私たちの所に満足した表情で戻ってきました。

 「やっぱりね、あの人は長年の知り合いだからなあ。『こんな不思議なことに2日間苦しんだ』というこちら側の事実を、熱心に聞いてくれたよ。『現実に、奇々怪々なことというのは起きるものだ、ということが分かりました。今後の参考にさせていただきます』と言ってくれた。あの人みたいに、話が分かる人は有り難いね」

 私は、あんな怪奇談をじっくり聞いてくれる人が、学校のカウンセラーの先生以外にいることに驚きましたが、やはり嬉しくもありました。妙な経験を誰も信じてくれないと、まるで無人島に取り残されたような孤独感がいや増すばかりだったからでした。 
 
F町のホテルには、午後2時半頃到着しました。

 そのホテルは、私が2001年、大阪からまだ6歳になったばかりの息子のアトピーを治すために兵庫県に転居した際、「家族でお出かけガイド」といった本にも紹介されていた、ハウステンボスのような、洋風のお城を模した洒落た建物で、いつか行きたいと思っていた場所でした。

 「ここに、こんな目的で宿泊するとは思わなかったな......」

 そう残念に思いましたが、仕方がありません。

 いや、仕方がない、という感情はとっくに通り越し、「なんの因果でこの世のものとも思えない状況に巻き込まれてしまったんだろう」との、何とも形容のし難い複雑な想念だけがありました。

 そうした私の恐れの入り交じった虚しさとは裏腹に、その夢見るようなヨーロッパのお城の如き庭園に囲まれたホテルのロビーは、豪華でリッチで、重厚感が漂っていました。

 父がフロントでチェックインし、17日午後から19日10時のチェックアウトまでの約2日間、和室の4人部屋のキーを受け取り、4階の部屋に入りました。

 その時、私は、いつも持っていた水色の手提げが無いことに気づきました。私は自分でも慎重で用心深いほうだと思っていましたが、あまりの疲れで、ロビーの椅子に置き忘れてしまったのでした。

 改めて部屋に入ると、外の洋風な建物の外観と、質素な和室とがマッチしない気がしました。最初に止まったY町の和室の方が清潔な印象があった、と感じました。

 それでも、部屋のドアはやはりカード式キーで、一歩廊下に出ると、シックな赤い絨毯が敷き詰められ、廊下やレストルームの装飾も美しい彫刻が施され、外国の一流ホテルに泊まっているようでした。

 父は、夕食前に、2回ほど入浴をし、疲れを癒していました。

 「浴場は、この廊下をずーっと左に歩いて、透明な自動ドアがあるから、その先の階段を3階に降りれば、すぐ分かる。浴場の前でスリッパ脱いでな、受付のおばさんにロッカーのキーを100円渡して受け取るんだ」

 私は、「広い立派なお風呂だし、ジャグジーもあるし、入らんと損するぞ」と言われ、怖かった気分がだいぶ和らぎ、夕食後はぜひ入ろう、と思いました。

 午後6時半まで、ゴロゴロと昼寝をしていましたが、家族揃ってダイニングフロアに行き、夕食となりました。

 その夕食時のことでした。

 昨夜、Y町の食堂内で経験したことと、同様のことが起きました。

 私が食事をしていると、急に「コトン!」と小さな音がしました。

 最初は、何の音なのか、分かりませんでした。しかし、私のテーブルの、お茶碗のすぐそばには、しゃぶり尽くした後のような、小さな柿の種が転がっていたのです。

 「これ、確か、目の前を、上から降ってきたような感じで落ちてきたみたいよ」

 「そうだよ、天井から降ってきたんだよ」

 父は妙な顔をし、「今日のおかずに柿はないのにな。なんでこんなものが天井から真っ直ぐ落ちるんだ?」と言いました。

 「昨日もさ、ご飯粒が僕の茶碗にさ...」

一同、不気味な印象に一瞬、おしゃべりを止めてしまいました。「小さな柿の種」という、こんな些細なことでも、家族と夕食の団欒を楽しんでいる時には、ぞっとするのです。

 私は、「これは明らかに姿が見えないモノの仕業だ」とピンときましたが、敢えてそんなことは言わないでおきました。自分が口にすると、余計に恐怖が倍増するからです。

 それでも、気にしないようにして、その日は夕食を皆、他愛のない「普通の会話」をぼちぼちしながら、済ませたように覚えています。

 夕食後は、思い切って大浴場へと入りました。

 「思い切って」というのは、やはり、身の回りの怪現象に神経質になっていたため、そのような気持ちになっていたのです。

 実際、ロッカーの鍵を受け取り、脱衣場で鍵についたゴムを手首に巻き付けている時でも、誰かが「カラリ」と入ってくると、いちいちギクッとするのです。

 浴場は天井が高く、広々とし、6種類ものお風呂がありました。時間が10時頃だったので、入浴している人は私以外、2人ほどしかいませんでした。しばらくすると、一人のお客が上がり、脱衣場へと戻りました。

 残っている人は、隅で打たせ湯に肩を当て、こちらに背を向けたまま、じっと動きませんでした。

 私は日頃の警戒心から、その女性があまりにじっとしているために、「あの人は、人間ではないのじゃないか」とさえ疑ったほどでした。

 しかし、それも懸念に過ぎませんでした。時間は、浴場内の時計では10時半になっていました。もう私だけが浴槽につかっているだけでした。

 その時、急にまた浴室の戸がカラリと開いて、誰かが入ってきました。

 よく見ると、その人はホテルの従業員でした。明日に備え、設備を点検に来ただけでした。それでも、私は浴槽の隅にじーっと体を強ばらせながら、「あの女性がもしスゥッと消えたらどうしよう」などと怯えていました。

 実にハラハラドキドキの大浴場体験でしたが、特にそこでは変わったこともなく、脱衣場で浴衣に着替え、キーを係の女性に返し、100円玉を受け取ると、フロアにはまだマッサージをする人、ドリンクを飲みつつテレビを眺める人々などがたむろしていました。

 要するに、「数多くの他人の中」では、怪現象は、私たち家族の錯覚だったのか、と思えるほどに、全く起きないのです。私たち家族4人が一つの部屋にいると、怪現象が起きるのです。

 と言うより、家族4人でなくても、私たちのうち、私と息子、私と父、または両親と息子といったバラバラの組み合わせでも、一つの部屋に家族のメンバーがいる場合、規模の大小に関わらず、不思議なことが起きてしまうようでした。

 これは何が原因となっているのか、その方面には全く無知且つ無関心だったために、訳が分かりませんでした。

 ただ一つだけ確かなことは、息子の不登校になってしまってから3ヶ月後に、超常現象が起きるようになった、ということだけでした。

 私たち家族が、佐藤愛子さんが書かれていたように、突如「霊体質」となってしまった、と解釈すれば良いだけのことかもしれません。しかし、「なぜ霊体質となったのか」に対する答えが、現実の理解の範疇内に見つからないのです。

 世の中には、会社員を辞めてまで、「霊媒師」となるべく修行を積み、見事そうした能力を備えた人もいる、と聞きます。

 しかし、私たちが仮にそんな能力を持ったとしても、そうした霊感めいたものは、ただただ恐ろしいだけで、全く、前世で悪業でもしでかしたのかと思えるほど、降って来たような災いに過ぎませんでした。

 その日の夕食後は、皆で相変わらずトランプなどをして過ごしましたが、私が浴場から帰ってくると、もうみんな寝ていました。

 私は、何時頃眠りについたか忘れてしまいました。ただ、当時のメモに、こう書かれています。

 ―部屋にお経を貼る。AM2:00~4:00 夜中に子がエアコンの埃と父の鼾で起きてしまい、「外のベランダに古井がいる、今、強い気配」と言う。

 ユタカのその言葉とほぼ同時に、Y町の旅館と同じように、ベランダ脇付近の壁を外から「ガンガン!ドンドンドーン!」と叩く激しい音が始まりました。

 「こいつはまたひどいなぁ......!」

 父はその怪音に目を覚まし、すぐさま、枕元のお経を手に取ると、一心に唱え始めました。

 その間、和室の低いテーブルの下に置いていたコーヒーのペットボトルが、生きているかのように、ズッズッズズズ......と息子の側に近寄っていきました。

 「わっ!ペットボトルが勝手にこっちに来るよっ!」

 ユタカは上半身を起こし、鬼に迫られたように壁際に後ずさりしていましたが、そのペットボトルを思い切って掴むと、バリッと潰してしまいました。 

 私は横になって、テーブルの下からその向こうにいるユタカの様子を見ていましたが、いきなり額に激痛が走りました。

 何が起きたのか、一瞬分かりませんでしたが、ユタカ側のテーブルの脚に4本ほどまとめて置いていた、別のジュースなどのペットボトルの一本が、私の額に激しい勢いで投げつけられ、見事命中したのです。

 今まで物が飛ぶのは随分見たけれども、それが顔面などに当たるのは初めてでした。それも、命中したペットボトルは、私の布団から4m は離れていたのです。

 物が勝手に「誰か」の手で投げられ、それが自分の体に当たる、ということで、夜半の恐怖は「得体の知れない気味悪さ」から、「いつ攻撃されるか」との畏怖感に変わってしまいました。

 「また、飛んで当たると痛いから」と思い、私は起きてユタカの側に行き、テーブル周辺の畳に置いてあったペットボトルは押し入れに仕舞い込みました。

 次に、アレルギー性鼻炎でユタカが使うテイッシュ箱は、彼の枕元から、わざとペシャンコにし、テーブル傍の座布団の下に押し込みました。

 そのわずか数分後、また眠ろうと横になっていたユタカが、「あれっ?」と起き上がり、私を呼びました。

 「どうしたの?」

 「さっき、お母さんが僕のそばのティッシュ箱をそこの座布団の下に押し込んだでしょう。それなのに、ほら見て」

 彼は、枕の感じがいつもと違う、と思ったら、そのペシャンコになった箱が、自分の枕の下にいつの間にかあった、と驚いて、私にそれを引っ張り出して見せました。

 「それじゃ、お母さんもユタカも誰も見ていない時でも、そういう物が勝手に移動しちゃうんだね」

 「ああー、もう寝れない......あっ!アイツの気配が、今度はトイレに移った......古井が今、トイレにいるんだ」

 「えっ......トイレ?やだ、トイレに行けないじゃない!」

 私とユタカがヒソヒソ話していると、ずっと夜中にお経を唱え続けていた父は、苛立って声を荒げました。

 「さっきから何だ、ペットボトルが飛んだの痛いのって、うるさいぞ!痛いのが嫌なら毛布でも頭から被ってろ!トイレが怖いだろうが、その怖いのをやっつけるために、俺がこうして寝ないでお経を読んでるんだ!ちょっとは我慢しろ!」

 父は必死になっているため、私たちが異変に驚いたりすることに、「お経を唱えれば鎮まるのに、それを遮られると集中できない」と焦りと共に苛立ちが募ったのでしょう。

 私はユタカの傍に寝転び、「おじいちゃんが怒るから、静かにしよう」とヒソヒソ声で囁きました。

 「それでも、何か起こると、びっくりして、キャーッて言っちゃうもんねえ」

 ユタカは、私に困ったように言いました。

 「でも、もうお経唱えなくていいのに......古井の気配、消えたから―それも、言っちゃだめかなぁ」

 私は、それならおじいちゃんに教えなきゃ、と答えました。ユタカは、「おじいちゃん、もうお経、いいんだよ。気配なくなったから」と声をかけました。

すると、父は何か勘違いしたらしく、ユタカを叱りつけました。

 「何だってこう、子供ってのは大人の言うことを聞かないんだ!お経の最中は静かにしなさいと言うのが分からんのか!」

 ユタカは、「疲れているおじいちゃんに、もう寝てもらいたかったのに」とがっかりし、叱責されたショックで吐き気がする、と言い出しました。

 私は息子に安定剤を頓服で飲ませました。しばらくすると、ユタカは落ち着いたらしく眠ってしまいました。父も、もう何も起きないことに気がつき、お経を止めて床に就きました。

 私は、父とユタカの間に諍いが起きると悲しくなり、なかなか眠れませんでした。仕方なく、梅酒を自動販売機に買いに行きました。もう午前4時になっていました。

 部屋に戻ると、自分の布団に座り込んで梅酒を少しずつ飲んでいました。家族は全員寝ていました。

 さっきの騒動の後、ペットボトルやティッシュ箱、また父の枕元の薬類や、テーブルの上の灰皿などは、「飛んだら怖いから」と、すべて、廊下側のクローゼットに仕舞い込んでいたので、部屋はきれいに片づいていました。

 「今はこんなに何も起きてないのに、なぜあんな怖いことばかり......いつもこういう風に平和ならいいのに」

 そう思った矢先でした。

 私がふと、目の前のテーブルに目をやると、どうしたことか、丸めたティッシュが幾つも幾つも、テーブルの上や、母や私の布団の上に散乱していたのです。

ついほんの数秒前まできれいに片づいていた部屋に、まるで「誰か」が20個以上もティッシュを丸めて投げ散らかしたかのように......(To be continued......)

 

2010年8月7日土曜日

第6章「幽現の渦」―1―闇夜の旅:part3―外壁を揺さぶる轟音

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 2008年6月16日の朝、私は父からのルームフォンで目が覚めました。8時から朝食だから、服を着替えて用意をして、皆で行こう、と言うのです。

昨夜は4時まで眠れなかったために、完全な睡眠不足ですが、気がついたら自分のベッドに、縮こまるようにして眠り込んでいたようです。母も、すぐ隣に背を合わせて眠っていました。

 不安はいつも燻っていましたが、朝が来た、母がそばにいる、それだけのことで、私の心には何とはなしに安堵感が広がりました。

 ユタカは「気分が悪い」と言うので、またもや一緒に食堂に行けません。9時前に食前の薬を飲ませ、10時には、私は食堂から持ってきたパンやジュース、チーズやサラダを「食べられそう?」と彼の目の前に広げました。彼は、とりあえずパンとジュースだけで朝食を済ませました。

 その後、10時半から11時頃まで、私は、父とユタカと3人で、旅館の前の湖畔を散歩しました。

 昨夜の洋室はチェックアウトし、荷物はフロントに置き、今日から明日17日の午前まで、別館の和室4人部屋に移る予定だったのです。母は、疲れたと言って、フロントに腰掛けて待っていました。

 散歩の時、ユタカは機嫌が良く、湖水に小石をシュッと投げては、その小石が水面を3、4回弾みながら遠くで沈むのを何回も試していました。

 父は、「こうすると、もっとうまくバウンドしていくぞ」とユタカに教えていました。それから、父は私の所に来ると、「ほら、『あのこと』訊いてみたら」とささやきました。

 私は、手にしていた携帯のアドレス帳から、ユタカの在籍している中学へと電話しました。すると、顔なじみの山口先生という女性の学年主任の方が出られました。

 「大澤ですが……いつもお世話になります。あの、今、息子の気分転換でY町に泊まりに来ているんですが」
 「ああ、旅行なさっているんですか。いいことですね。ユタカ君はお元気でしょうか?」

 「ええ。でも、ちょっと気になることがありまして……実は、昨日こちらに泊まりに来てから、息子が、古井君のことをよく口にするんです。夜中も、古井が、古井が、って言うものですから……だから、何か、古井君の身辺で変わったことがあったのか、ご存じかどうか、それでお電話してみたんです」

 すると、山口先生は、意外なことを口にしたのです。

 「ああ、古井君でしたら、転校しましたよ。神戸の方だった、と思いますけれど」
 「えっ?転校したんですか?」

 「ええ、何ですか、お家の都合ということで」
 「あの、いつ転校したんですか?」

 「え~と、多分、5月末……いえ、半ばだったかしら。ちょっとお待ち下さいね」

 先生は、他の先生に尋ねたり、転校した際の記録などを調べていたようでしたが、30秒ほどしてまた電話に出られました。

 「ごめんなさい、お待たせしまして。ええと、5月15日頃です。下旬ではなくて、やっぱり中旬でした」

 山口先生は、担任の先生やカウンセラーの先生から事情を少し聞いていたらしく、私の話に不審がる様子はありませんでした。

 「5月のちょうど中旬……というと、我が家で不思議な異変が起き始めた直前なんです。それで、旅行に出たら、息子が 『古井君の気配がする』としきりに言うものですから……」

 「古井君の気配が?そうですか。なんででしょうね」

「あの、私、こんなこと考えるのはおかしいかも知れませんけれど、何か……古井君に起きたんでしょうか。病気とか、事故とかで……万が一のことになっている、とか……」

 さすがに、先生も、そんなことはないだろう、という口調で、明るく笑いました。

 「まさか、そんなこと、ねえ……!勝手に殺さないで下さいよ」

 「でも、その古井君の転校先とかは、分からないんでしょうか」
 「それはやっぱりねえ、個人情報のこともありますし……お教えできません。申し訳ありませんね」

  今の電話の内容を父に話すと、父はいささか興奮気味でその話に食い付きました。

 「その古井って子が転校したのが、5月の15日?お前の家で現象が起き出したのは、5月16日からだろっ?変じゃないか?偶然にしても、当てはまり過ぎるなあ。今までの現象は、そうなってくると、古井がやっていた、としか、もう思えないじゃないか?でも、その子が今、どうなっているか、現住所さえも、個人情報の関係だから、分からんしなあ」

 私は、湖畔で石を投げたり、しゃがんで雀を眺めているユタカからは離れた、木の幹を切りだしただけのような腰掛けに、父と並んで、この話をしていました。

父が言う「古井が『やっていた』」というのは、要するに、現状は分からないながら、古井という少年が、「肉体を持たぬ霊魂だけの存在になって悪戯をしていた」、ということなのです。

 「とにかく、妙な話だ。でも、ひとつ手がかりみたいなものはできたじゃないか」

 父は、そう感想を述べましたが、もし古井が霊魂となって、私達にまとわりついていたとしても、それを、どう手がかりとするのか、どう解決へと結びつければ良いのか、取るべき手段は見えてこないのです。

 ただ、唯一分かったことは、「奇怪な現象が起き始めた日付とほぼ同時に、ユタカを苦しめていた少年が別の中学へと転校した」といった事実でした。

 午後12時過ぎに、私達家族は、荷物を持って、3分ほど歩き、別館の和室へと入りました。

 上り口から左手に清潔な洗面所とトイレ、シャワー室があり、10畳ほどの部屋に入ると、右手に木製のクローゼットと押し入れがありました。

 私は、皆睡眠不足で疲れているため、すぐ横になれるよう、押し入れから布団を出し、茶卓を部屋の窓際近くに寄せると、4人分のマットと布団、枕を用意し、敷き詰めました。

 普通の和風旅館と同様、窓際にはラタンの涼しげな椅子と低いテーブルがあり、窓から、さっきまで散歩していた湖畔が見えました。部屋は5階でした。

 私は、旅館の和室の、この窓際の空間が好きでした。ここだけが板張りで、障子で10畳の部屋と仕切られているのも、何かほっとする気持ちが醸し出されるのです。

 湖畔が見渡せるガラス窓の手前にも、障子がはめこまれ、その左手の壁にも、1m四方ほどのガラス窓と障子、といった、純和風な造りがなかなかいいと思いました。

 それらの障子は、昼間は全て左右に開け放たれ、明るい日差しが部屋を光で満たしていました。

 午後6時になるまで、昼寝をしたり、テレビをつけて、4~5回トランプをしたりしながら、皆、漫然と過ごしていました。これだけを見たら、誰でも「ごく普通の家族旅行」と思ったことでしょう。

 しかし、私は、旅行前から、『般若心経』のコピーを15枚ほどと、セロテープ、ガムテープをセットで用意し、旅館では、警戒しつつ、この和室に移っても、部屋のドア、ふすまの外側と内側、窓の内側などに、必ず8枚ほどは貼っていたのです。

 ユタカは、「もう吐き気はないから、食前の薬はもういい。飲むとかえって吐き気がする」と言うので、この日から、食後だけの胃薬を1日3回、また寝る前の胃薬と安定剤を1錠ずつにしました。

 やはり朝の散歩で気分転換になったのか、また、家族4人で人部屋というのがホッとするのか、ユタカはこの日、午後の6時半、初めて皆で食堂の夕食をとることができました。

 父は、食事を運んで来た賄いさんに、ガイドブックやパンフレットを見せながら、「この辺は、なかなか有名なお寺や参道がありますね」と話しかけ、私達に「明日でも、ちょっとお寺や記念堂なんか行ってみたいな」と嬉しそうでした。

 ユタカが、おいしそうに食事をしていることが、父も母も、私も嬉しかったのです。

 しかし、その食事の最中、突然異様なことが起きました。

 ユタカが、「このおかずがさ、おいしくてお代わりしたいな」と言っていた時です。

 急にご飯粒が一粒、天井から降って来たように、「ピタッ!」とユタカの持っていたお椀にくっついたのです。

 「今の、何?」 私は、ギョッとして、ユタカに聞きました。

 「え……僕も分かんない。でも、急にご飯粒が……落ちて来たんだよね、天井から」
 
 「そうね、ふっと落下してきて、くっついたね」

 両親も、気色悪そうな表情になりました。

 「確かに、天井から真っ直ぐ落ちてきたみたいだったな」

 それまでの、皆の浮き浮きした雰囲気は、打って変って沈鬱なものとなってしまいました。

 「ご飯粒なんかが……まるで狙いを定めたみたいに、上から落ちて、お椀につかないよ、普通」

 母もこう言いました。それでも、父は、皆を鼓舞するように、「まあ、そんなことは気にしない、気にしない。それより、こんなにごちそうなんだ。食べなかったら、損するぞ」と元気を無理にでもふり絞って声をかけました。

 本当に、おいしいお料理だったのですが、ご飯粒がくっついた当のユタカは、気分が悪そうに、「僕、もう、こんなに食べれない……」とゲンナリしてしまいました。

 「じゃ、お前、ユタカの分、食べろ、な、いいだろ」
 「そうねえ。もったいないしねえ」

 私は、奇妙なことがあったのに、普段は食べれない食事だからと、「もったいない」との気持ちも手伝って、随分とお腹一杯に食べてしまったように覚えています。

 その日の夕食は、7時半頃に終わり、部屋に戻ると、私は少し布団に横になり、それから室内シャワーを使いました。夕食の時のことが気になり、旅館に温泉がせっかくあったのに、変なことがあると、気持ちが萎縮してしまい、部屋にじっとしていたくなったのです。

 ユタカは、晩の10時に就寝前の薬を飲み、10時半から、もうすやすやと寝てしまいました。私は父の隣に休み、母はユタカの隣でした。

 父は、就寝前に、「何か起きた時のために」私の持ってきた『般若心経』 3枚セットを枕元に常に用意し、振り仮名を目で追いつつ、小声で読む練習をしていました。

 「どうも、お経を読むなんてのは初めてだから、どう読んでいいのか見当がつかん」

 私も、お経とは無縁の生活だったので、自分に読めるはずがない、意味もさっぱり分からない、と思い込んでいました。

 その私が、8月には、母と毎晩、現代語訳付きの『般若心経』を、テープの読経を参考に、そのリズムまで覚えて、読みながら唱えるようになったのですが、6月の旅行の時点では、お経は全く、父任せでした。

 父は枕元のスタンドをつけて、お経を一通り読んだ後、「疲れたなあ」と、ふーっとため息を漏らし、横になりましたが、すぐにその後、高いいびきをかき始めました。

 私は、父の背中を見ながら、自動販売機で買った梅酒を、ワイン代わりに少しずつ飲んでいました。家族の寝息以外、もう何も聞こえません。何も起きません。

 もう午前1時を少し回った頃、私も布団に休みました。ただ、いつもの癖として、飲み終えた梅酒の空き缶を枕元に置きましたが、それも以前は平気だったものの、様々な現象が起きるようになってからは、そうした小物をそばに置くことさえためらわれました。

 「きっと、また投げ飛ばされるんじゃないか」

 ―そういう不安がいつもありました。

 しかし、空き缶を部屋のゴミ箱に捨てると、せっかく寝静まった家族を起こしてしまうと思い、仕方なく寝床の上の荷物などを置いた板間にそっと置きました。

 変な出来事が起きる以前から、多分ユタカが学校に行けなくなってから、私はすんなりと寝入ることができなくなっていました。それでもやっと、30分ほどすると眠気が来ました。

 しかし、AM2:00 頃、よく眠っていたユタカが、急に「エアコン消して。寒い」と起きました。そして、私に夢の話をしました。

 「今ね、夢を見てたんだ。古井が宙を、ゴーッと猛スピードで(飛んで)、部屋に近づいてくる。その夢で、目が覚めたんだ。今も、なんか、アイツの気配がするんだけど」

 私は、息子が何かしら不思議な夢を見た後、現実に奇妙なことが以前も起きたことを思い出しました。

 5月末、洋服箪笥が独りでに開閉した映像を携帯で撮影したものの、ユタカが「中性的な人物が夢に現れて、<残してはいけないものがある>と言って、その場を去った」と昼寝の後、私に話したまさにその直後、携帯を調べると、その動画のデータは消去されていた、あの出来事でした。

 だから、息子が「古井が宙をゴーッと飛んできた夢を見た」と言った時、また何か起きるのでは、と、一瞬胸騒ぎがしたのです。

 ユタカは、竜巻でも襲って来るかのように、息を殺しながら早口で私に告げました。

 「あっ...! 今、古井が部屋の外、窓の辺りに浮いて、こっちを見ている......」

 彼がそう言った直後でした。

 私達家族4人が寝ている5階の和室の外壁が、凄まじい轟音を立て始めました。

 まるで、巨人が旅館の5階の外壁のコンクリートを揺さぶるように、ちょうど障子の下の壁を外から激しく、素早く叩いているかのようでした。

 「ドンドンドン!ドーン!ドーン!ゴンゴンゴン!」

 「怖い......! 怖い......どうしよう!ねえ、見て、壁があんなにグラグラ揺れて.......穴が空きそう......!」 

 私は母にしがみつきました。

 ユタカは、あまりの激しさに何も言えずにいましたが、壁の揺れ方が余りに酷いので、思わず「すごい......ここ5階なのに、外から壁をぶち壊そうとしているみたい......!」と叫ぶように声を上げました。

 彼が声を張り上げずにいられないほど、怪音の威力は絶大なものだったのです。

 父は、必死で「般若心経」を、コピーを凝視しつつ、唱え続けました。すると、異様な轟音は徐々に鎮まっていきました。

 「やっぱり、<般若心経>を持ってきた甲斐があったなぁ......おい、お前も読めるようになれよ」

 父は私に頼みましたが、その時は「お経なんて難しくって」と、私は父に甘える気持ちがあったのです。 

 「お経のおかげで、ひとまず助かった」と息をつく間もなく、それからほんの数分後、ユタカは再び「古井の気配」を感じる、と慌てて告げました。

 その言葉を「待っていた」かのように、今度は突然、障子を外から無理矢理こじあけようとする、「ギシギシッ……!」 という音が深夜の和室に響き始めました。

 「ああ、あれ見て……! ほら、障子が外から開けられようとしている……どうしたらいいの?」

 障子の木製の枠は、ぐらぐらと揺れ、今にもバキッと壊れ、誰かが入って来そうに思えました。
それと同時に、周囲の壁もガタガタっと小刻みに震えていました。

 「なんで……? ここ、5階なのに?外から誰がこんなこと、できるっていうんだろう?」

 この現象の最中、障子窓の板の間に置いてある、正方形のテーブルが、室内の布団の方へと、少しずつ、ミシミシと移動し始めました。

 「今、古井が障子のそばにうっすらと白っぽい姿で浮かんだけれど……」

 ユタカがそう言うと、父は、正体不明の「『古井』と呼ばれる誰か」を脅すように、テーブルの上へどっかと座り込みました。

 「よし!誰だか知らんが、夜中に人を驚かすような真似はさせんぞ!動くな!こうして座ったからには動けないだろう?ざまあみろ!」 

 そして、そのテーブルに腰を掛けたまま、般若心経を再び唱え始めました。しばらくお経を唱える父のくぐもった唸り声が部屋に流れていました。

 そのうち、ユタカは、ハッとしたようでした。

 「あっ……もう、気配、消えたよ」

 息子のその言葉とほぼ同時に、障子の騒がしさも、テーブルの奇妙な抵抗もピタリと止んでいました。こうして、私達家族は、午前3時半頃、やっと眠りにつくことができたのです。

 それでも、この旅は、ただ家での恐怖を再確認し、どうしても怪現象を食い止めることが出来ないという絶望感を深めるだけでした。 (To be continued……)


2010年7月16日金曜日

第6章「幽現の渦」―1―闇夜の旅:part2―少年の影の謎

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それらの現象は5分ほど、立て続けに起きました。

 ユタカのジュースを入れていた、コンビニの空き袋は、彼の枕の右に置いてあったのが、私と彼の目の前で、フワッと左側に舞い上がったのです。

 その時、息子は、怖気ついたように「うわあっ!」と叫び、その袋を避けようと、体を思わずひねっていました。

 それ以外にも、ベッドサイドに置いていた子供の胃薬、ベッド下に置いていた彼のソックスなどが2mほど離れた部屋の中央へと投げ飛ばされました。

 そして、ユタカがいきなり驚いて私に声をかけました。

 「ねえ!フルイの気配が窓の外にする!部屋に入ろうかって浮いて迷ってる......あっ!もう入って来ちゃった!」

 「えっ?『フルイ』って、あの古井なの?」

 「ああ、もう部屋の中にいる!お母さんと僕のベッドの間に立ってるよ!ねえ、見えないの?すぐ、ほら、そこにいるのに!」

 ユタカはもどかしそうに、必死になっていました。

 古井というのは、ユタカが小学5年の時、仲良くなった少年でした。京都から転居してきて、我が家にもよく遊びに来るようになり、何度か泊まりにも来たほど、まるで兄弟のように始終遊んだ仲良しでした。

 しかしその子の父親は義父であり、家では妹ばかりが可愛がられ、彼は母親にも素気無くされていたということでした。

 その古井が、6年生になった頃、急に「お前んちの母さんは優し過ぎるんや。お前は甘えんぼや」と事実とは異なることを大袈裟に言い出し、他の子供たちにも言いふらし出したのです。途端にユタカは皆の除け者になりました。

 それは中学1年まで続き、根も葉もない噂と言葉のいじめがひっきりなしに横行し、学校側では対応しきれませんでした。

 ユタカが中1の終わりから不登校になってしまったのは、古井の言動が根本の原因だったのです。

 「もう、古井の気配、無くなっちゃった。どこか行ったみたい」

 ユタカのその言葉と共に、物が飛び交う現象はふっと鎮まりました。私は、なぜ旅先に、あの古井が出てきたのだろう、と不思議でなりませんでした。

 しかし、それよりも、旅行にかけた大きな期待が破れたことは、私の心に大きな黒い穴を開けました。

 何も起きないだろうと思いつつ、部屋に入るとまず、私は、お経を入り口や窓付近に何枚か貼っておいたのです。それらが何も効を奏さないことが、私には大変なショックでした。

 旅に出れば、何らかの解決の糸口が見つかるだろう、具体的には、「旅に出れば何も無いだろう」との期待が、旅館の寝室に入って、ほんの1時間15分で見事に砕け散ったからでした。

 私が最初にその部屋に入って感動した白い高い天井は、今でも思い出す事ができます。

 あの清々しい感動が、現在では、あの「すみませーん。お部屋のお掃除に来ましたー」という、溌剌としたよく響く元気な声と共に思い起こされ、それは既に恐怖の記憶となっているのです。

 あの声を聞いた途端、目が覚めた時に視界に入ったのは、その白い天井でした。

 あの元気ではち切れそうな声の女性は、一体誰だったのだろうか。部屋を開ける音も気配も無く、声だけが明るく高らかに響き渡った―

 この事実は、私を後々までも震撼させましたが、7月中旬以降からの出来事を思うと、この「声」は、ほんの序の口だったのでした。

 私とユタカは、部屋に散らかった物をひと揃い、拾い集めると、隣室の両親の部屋に電話をかけました。父が、「もしまた物が飛んだりしたら、飛んだものを集めて部屋に来いよ」と言っていたからです。しかし、電話には誰も出ませんでした。

 私は、二人とも寝込んでいるんだろうと思い、仕方なく、落ちた物を抱えて、部屋を出ると、両親の部屋のドアを何回も何回も必死で叩きました。

 その時の私は、「旅先でもこんなことが起きてしまった。自分の家が原因ではないのだ。転居は無駄なんだ」と、泣きそうな気持ちでいっぱいでした。

 やっと父がドアを開けてくれ、私と息子は何かから逃げるように、急いで部屋に入りました。

 「また物が飛んだのよ。部屋を片付けて、ちょっとベッドで寝ていたら、いきなり女の人の声がするから―」

 「声?どんな声だった?」

 父が私に心配そうに尋ねるので、私は続けて説明しました。

 「『すみませーん。お部屋のお掃除に来ましたー!』 って、すごい元気な若い女性の声。だから、ねぇ」

 私の言葉にユタカも頷きました。

 「うん。僕も聞いた。だから、てっきり旅館の人が掃除に来たのかなって思ったんだよ」

 父は、旅先でも怪現象が起きてしまったことに、ショックを隠せない様子で少し黙っていましたが、しばらくして、沈んだような調子でこう答えました。

 「旅館の人が、今更部屋に掃除に来るわけないだろう。お客がチェックインする前に、掃除なんてのは済ませておくもんだ、普通。だから、その声はやっぱり奇妙だよな」

 父が、私達の聞いた声を 「やっぱり奇妙だ」 と肯定すると、私は余計に怖ろしさで頭がいっぱいになり、元の部屋に戻れない気がしてきました。

 私達家族が、一部屋に集まっていると、急に、私とユタカのいた部屋から、壁を 「ダン、ダン、ダン!」 と叩く音が聞こえてきました。

 「まあ……旅行に出てまで、あの音がする……!」 母は、顔をしかめました。

 ユタカは、しばらくその音を聞いていましたが、音がふっと止んだ時、急に、「僕、部屋がどうなってるか、見て来る」と言い出しました。

 「えっ!あの部屋に一人で行くの?大丈夫?」 

 私は驚いて止めようとしましたが、彼は 「平気、大丈夫だから」 と言って、元の部屋に行ってしまいました。そして、すぐに私達の部屋に走り込んで来ました。

 「ねえっ!大変だよ!クローゼットが開いて、中に入れてた服がめちゃめちゃになってる!」

 私達が皆で隣室へと行くと、ユタカの言った通り、クローゼットが大きく開かれ、私やユタカの旅行用の服や、ユタカの着替えの靴下などが、部屋の四方八方に投げ飛ばされたように散らかっていました。

 服を吊るしていたハンガーも、クローゼットから6mほども離れた部屋の窓際に転がっていました。

 「ひどすぎない?なんでここまでされるんだろ?まるで、私達に怒り狂っているみたいじゃない?」

 私と母は、部屋に散乱した服などを、クローゼットの中に仕舞い込みました。

 「ねえ、私、この部屋にいたくない……」 私は気味が悪くなり、両親に訴えました。

 「でも、寝る時はどうする?4人で俺達の部屋には寝れないぞ」

 「うーん……どうしよう……寝る時に、また考える。とにかく今はいたくないの」

 父は、それなら必要なものだけ持って、夕食後まで隣の部屋にいなさい、と言いました。

 そんな時、ユタカが、「僕、ちょっとこの部屋にいてみる」と言い出しました。

 私は驚きましたが、息子は 「面白そうだから」 などと言うのです。

 きっと、恐怖感が麻痺したんだな、と私は思い、仕方ないので、彼の言う通りにして、彼を 「若い女性の声が響いた部屋」 へと残し、両親と3人で隣室に入りました。

 すると、間もなくして、再び壁の音が、「ダンダンダン!ダダダン!」 と私達のいる部屋の、ベッドの上あたりから聞こえてきたのです。

その音は壁全体を揺さぶるように大きく激しく、どこをどう叩いたら、こんな音が出るのかと思われるほどでした。

 父は、隣室に電話をしました。すると、一人いるユタカが出ました。

 「おい、今、こっちで凄い壁の音がしているんだ。お前のいる部屋から叩いているように聞こえるんだ。お前、壁の音がするか?」

 すると、意外な返事が返って来ました。

 「壁の音?いや、何もないよ。何も今、この部屋起きていないけど」

 父は、呆れかえったように、私と母を振り返りました。「何も起きてない、音も聞こえないって言っとる」

 その間も、絶え間なく、こちらでは激しい壁の音が続いていたのです。父は、私に、隣の部屋に行ってみたら、と促しましたが、私は 「嫌だよ、怖くて行けないよ」と尻込みしてしまいました。

 「こんなに怖がっているんだ。可哀想だから、お前、行ってみてくれ」

 父は、今度は母に頼みました。母は、少し考えてから、勇気を奮い起したように、「じゃ、行ってみる。あの子がどうもないって言うんだから、きっと平気でしょ」と、さっさとユタカの所に行ってしまいました。

 母が隣室に行っても、壁の大きな音は続いていました。私は、母のベッドに腰掛けながら、心臓が凍りつきそうでした。

 「大丈夫なのかな―こんな凄い音がしているのに……」

 「よし、電話してみよう」

 父は、再度、隣室に電話をかけました。今度は、母が出ました。

 「なあ、まだこっちは壁の音が激しいんだよ。そっちはどうか?」

 すると、母の返事も、さっきのユタカと同様だったようでした。父は不思議そうに、「何もないらしい」と、私に受話器を渡しました。

 「もしもし?何も起きていないの?」 
 「あ、万里子。何にも起きてないよ。ユタカと二人でいるけどね、しーんと静かで平和そのものよ」

 「ええ?ホントに?こっちは相変わらず凄い壁の音よ」
 「ふうん、変ねえ。でもね、こちら来て見てごらん。大丈夫だから」

母の声は穏やかで楽しそうにさえ聞こえました。

 私は、思い切って、元の部屋に戻ってみました。母とユタカが、私を見て、「ね、何も起きてないでしょ。ここ静かだよ」とにっこりしました。私は不思議でたまりませんでした。今度は、私の方から父に電話をしました。

 「ねえ、本当にここ、静かでどうもないよ。そっちは?」

 すると、「もう壁の音がしなくなった。お前がそっちに行った直後に、音が止んだ」と、驚いた調子の返事が返って来ました。

 5月中旬以来、不思議なことが繰り返されてきましたが、壁の音に関しては、こんな奇妙なことは初めてでした。

 旅行に出て、一方の部屋の者が壁の怪音を聞き、他方の部屋の者がその音は何も聞こえない、というのは何故だったのか。また、何故、私がユタカと母の部屋に行くと、音が止んだのか―

 私は、家ではこんなことは無かった、と感じましたが、よく考えてみると、壁の音がする時、部屋の間仕切りを挟んで、「こちらでは聞こえるけれど、そっちはどう?」といった「実験」は試みたことはありませんでした。

 ただの3LDK のマンションであるため、隣り合った部屋にそれぞれルームフォンなど置いてなかったからです。

 だから、家であんな怪音がする時、もしルームフォンがあったなら、きっとこの旅館でやったことを試したことでしょう。家では、ただ「隣の部屋から壁を叩く音がする」と怯えていただけだったのです。

 気がつくと、もう午後の6時近くなっていました。私達は、両親の部屋に集まり、その後、気晴らしにトランプなどをしていたのです。

 父は、「もう、あれこれ考えても仕方がない。せっかく旅行に来たんだから、食事に行こう。ここはバイキングでおいしいぞ」と誘ってくれました。

 しかし、今度はユタカが、急に「吐き気がするから、今行きたくない」と、ベッドに横になってしまいました。

 とても苦しそうにうつ伏せになっているので、私は吐き気止めと安定剤を飲ませました。ユタカはそのまま、「じっと寝ていたい」と言いながら、眠ってしまいました。

 「可哀想になあ。なんであんなに体調がいつも悪いんかなあ」

 広々とした洋風の食堂で、好きなようにおかずを小皿に取り、私と両親は食事をしました。私は、ユタカをいじめていた古井という子の話をしました。

 「私達が部屋に入ってね、若い女性の声がした後、物が飛び交い出したでしょ。その最中に、古井って子が入り込んで来たって、あの子言うのよ。いじめがあった時の記憶って、相当なストレスでしょう。だから、なかなか体調が優れないんだよね」

 「へえ……なんで、その『古井』ってのが出て来たんかな。その子に何かあったのかな」

 「何かって?」

 「たとえば、まあ、事故に遭ったとか……病気で亡くなったとか……そんなことだよ」

 父が首を傾げていると、母が吐き捨てるように言いました。

 「ほんとにね、悔しいよ。あの子がユタカをいじめたんだからね。うちに泊まりに来た時は、あんなに可愛がって、お風呂まで一緒に入ったりしたのにね。悪いけど、事故でも病気でも、もしそうなっていてくれたら有り難いぐらいよ」

 母が、古井のことを言う時には、このように悪しざまに言うのが、この頃には口癖になっていました。私も、あの子さえ、ユタカと仲良くならなければ、あの子さえいなければ、といつも恨むような気持ちが既に根付いていました。

 私達は、とりあえずユタカが食べれそうなものを、食堂の人に頼み、お弁当にしてもらうと、部屋に7時40分に引き上げました。

 その時には、ユタカは起きていて、テレビをぼんやりと眺めていました。「お腹が空いた」と言うので、持ってきたお弁当を開くと、彼はお刺身などをおいしそうに食べました。午後8時半には食べ終わったので、食後の胃薬と、安定剤を飲ませました。

 「ねえ、またトランプしようよ。ババ抜きと神経衰弱」

 ユタカは、トランプをしている間は、本当に楽しそうでした。私は、両親の部屋で、いつまでもトランプをしていたい、と願いました。それでも、時間はすぐに過ぎ、夜の11時になってしまいました。

 「どうする?やっぱりこの部屋で、4人で寝るのは無理だろう」 父が私に尋ねました。

 「うん……ああ、困ったなあ……床に寝るのは、ダメ?」

 私がこんな子供じみたことを言っていると、ユタカが、「大丈夫だよ。僕と一緒だから。元の部屋に戻ろう」と励ましてくれました。

 しぶしぶ両親に「お休みなさい」と言うと、私は息子と部屋に戻りました。

 昼間の恐怖が何も無かったかのように、あの洋間は、その日の午後2時、初めて入った時のように、こざっぱりと新鮮で、ごく普通の旅館の部屋のように見えました。

 私は顔を洗い、歯磨きをし、自分の寝る前の薬を飲みました。ユタカには、午前0時に、就寝前の薬を飲ませました。

 エアコンはつけたまま、部屋の電気を消し、眠りに就こうとしました。なかなか寝付かれませんでしたが、いつの間にか眠っていたようです。

 しかし、その眠りも、AM 1:15 には「ガタン!」という音で覚めてしまいました。また、いつもの異変が起きたのです。

 日付は、6月16日になっていました。

 この日の午前1:15~2:00 まで、止むことなく、ベッドサイドの私のバッグやペットボトル、本やペン、ベッド下のスリッパなどが部屋の隅へと「バーン!」と投げつけられたり、ベッド正面の部屋備え付けのタンスの引き出しが勝手に開いたかと思うと、中のバスタオルなどがこちらにバシッ!と叩きつけられました。

 椅子の背にかけた衣類も、私達二人の方へと飛んで来ました。

 私のベッド左側にある机の上の蛍光灯が、誰も触れないのに、クイクイと向きを変えるのを見て、ユタカも「あっ! スタンドが今、向きを変えた!ほら、ほら今!」と仰天した様子でした。

 そして、この怪異の最中、彼は再び「古井の気配が窓から入って来た!」と怖ろしげに言い出しました。

 「今、アイツが部屋にいる!窓際に立ってる―あっ!また僕たちのベッドの間に来た!」

 「やだ!本当に?」

 私には、その気配が分かりませんでしたが、鬼気迫る恐怖で、思わずベッドの左隅に体をずらしました。

 その「古井」がペットボトルを掴んだ、とユタカが言った途端、ペットボトルが数本、部屋の四方八方へと投げられたのです。

 この現象にどうしたら良いのか、私は困り果て、父の部屋に電話をしました。今度は、すぐに父が出ました。きっと、父も寝つかれなかったのかも知れません。

 両親は、家と同じように、小物が散乱した部屋を見て、びっくりしたようでした。もう午前2時を過ぎていました。

 「どうしてまた―お経は効き目が無いのかなあ」

 父は部屋の入口にドアを開けて寄り掛かり、私とユタカは入り口近くのクローゼットのそばに立っていた母の傍らに行きました。

 母は、睡眠が妨げられ、疲れた様子で、クローゼットにもたれました。ユタカも、母の右側に並んでもたれかかり、「ふぅ~」とため息をつきました。

 その瞬間、クローゼットが、「ガチャッ!」と左右に勢いよく開かれ、中に掛けていた私の衣類や、上の段に畳んで置いていた子供のシャツが、バサッ!と床に放り投げられたのです。

 突然のことだったので、母とユタカは「うわっ!」と体勢を崩し、同時にその場から飛びのきざまに背後を振り返りました。

 ユタカは、私の服がくしゃくしゃになっているのを見て、「ひどいなあ、お母さんの服がこんなに―」と指さしました。

 私は、目の前で起きたことに、もう何も言えず、ただ心臓だけが飛び出しそうに鳴っているのを感じていました。

 ちょうどその時、旅館の守衛さんが私達の部屋の前を通りかかりました。

 夜中の2時半頃、家族揃って、部屋の入り口で立っている姿に、こちらを不思議そうに眺めているのを見て、父が慌てて説明をしました。

 「あ、あのですね、この旅館に泊まってから、この部屋でしきりに物が飛ぶんですよ。今も、家内と孫がね、このクローゼットに寄り掛かっていたら、急に扉が勝手に開いて、中の服がね、ほら、こんなに散らかってね。だから、眠れなくって困っているんですがねえ」

 守衛さんは、「そんな戯言はごめんです」と言わんばかりに、愛想笑いを浮かべ、首を振って、その場を急いで立ち去りました。

 多分、「変なことを言う客が泊まっているもんだなあ」とでも思ったのでしょう。

 誰だって、午前2時半頃、いきなり「クローゼットが急に開いたりしたから寝れない」などと訴えられたら、そんな奇怪な経験が無い限り、「頭がどうかしてる」程度にしか思わないに決まっているのです。

 普段は、冷静で慎重に物事を考える父が、何の面識もない旅館の守衛さんに、現在の私達の窮状を訴えたくなったのは、父も、「誰でもいいから、話を聞いてくれ」という、切羽詰まった心境になったに違いありません。

 その晩は、旅行に出て最初の晩でした。

 1泊目だと言うのに、もうこんなに夜中に怖い目に遭わなければいけないのか、と思うと、残りの3日間が気がかりでした。

 私は、「もう、今晩この部屋で眠ったりなんてできない」と心細いばかりでした。しかし父は、睡眠不足と疲労が溜まって来たのか、やや苛立った調子で、「もう、どうするか?俺は向こうで一人で休むぞ!」と自分の部屋に戻ってしまいました。

 仕方なく、私は、自分のベッドに母と寝ることになりました。ユタカは、AM3:00 には寝てしまいましたが、私はAM4:00 まで、再び聞こえてきた壁の「ドンドンドン!ダーンダーン!」という怪音のため、ほとんど眠れませんでした。(To be Continued……)
 


2010年6月17日木曜日

第6章「幽現の渦」―1―闇夜の旅:part1―客室に響く声

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お経を家中に貼った6月11日の翌日、12日には突飛な事は起きなかったものの、その日、やはり真夜中の午前2時半から10分間、再び壁の音が鳴りました。

 12日の晩は、また父は衣装箪笥の部屋に一人で寝ており、私と息子と母は、隣の子供部屋に戻って休んでいました。

 その真夜中の時間帯に、父の寝ている隣室から、「ドン、ドン、ドン......」と拳で叩くような鈍い音、「コン、コン、コン......」と指の関節で叩くような音がしたのです。しかし、今までのような激しさはなく、こちらの様子を窺っているような雰囲気でした。

 私は急いで、『般若心経』のコピーを、ガムテープで息子の枕元の壁に貼りました。

 息子は寝かかっていましたが、はっと目を覚まして、こう言いました。

 「今、頭の中に、男の声で『やめろーっ......やめてくれーっ』て言うのが浮かんだんだけど......」

 彼は、そう呟くと、コトンと寝てしまいました。その後、壁の怪音はふっと消えてしまいましたが、午前3時少し前、私は自分の背中に誰かの手が触れる感触にどきっとしました。

 それから4時間半ほどした午前7時20分頃、何かが落ちる大きな音で、私は目が覚めました。

 起き上がり、目をこすりながら部屋を見渡すと、夜中に貼ったお経が壁から剥がれて、ユタカの布団の右側に落ちていました。この時の音を、私は変だなと感じました。

 お経は長いので、A4版3枚になっているのをホッチキスで止め、それをワンセットにしていました。

 それが落ちただけだというのに、私の聞いた音は、当時のメモによると、「何だか、誰かがお経を剥がして、布団に音を立てるように強い力で、わざと落としたような大きな音」だったのです。

 AM7:22、再度、お経をガムテープはそのままで、元の場所に貼り直しました。それから、そのお経は午後2時40分になっても、未だにしっかり壁から落ちずに貼られたままでした。このことも、私は不思議でした。

 夜中の2時半、壁の音が煩わしいので、お経を貼ったわけですが、その際使ったガムテープは、新たに引っ張り出したものでした。それが約5時間後の朝7時半頃に「バサッ」と落ちたのです。

 その時は、ガムテープの粘着力はその程度か、と思ったのですが、朝再び貼り直してから7時間以上経過し、テープの粘着力は落ちているはずなのに、剥がれないのが妙な気がしたのです。

 「変じゃない?夜中に貼って5時間でお経が落ちてさ、そのまま貼り直して、今度は午後になってもずーっと落ちないなんて」

 「さあ、偶然だろ。ガムテープの粘着力なんか気にしなくってもいいんじゃない」

 息子は、私の疑問に、事も無げに笑っていましたが、私は、朝、貼ってからたった5時間後に「大きな音」と共にお経が落ちた、ということは、「何者か」の仕業のように思えてなりませんでした。

 その日から14日の夜中に至るまで、私達は、ごく普通の日常を過ごすことができましたが、それもつかの間でした。

 旅行に出かける前日、6月14日土曜日、AM1:20~30 頃のことでした。

 ユタカは寝る前の安定剤で少し眠くなりかけていましたが、いきなり「あっ!今!」とギョッとしたように跳ね起きて、私を心配そうに見つめました。

 「何?今って」

 息子は、息を潜めてベランダの方を振り返り、私に急いでささやきました。

 「ベランダに誰か近寄る気配がする......4人の人がベランダの外に浮いている」

 「えっ......?浮いているの......?......誰が......?」

 「30代の夫婦と、中学生の男の子、小さな女の子がうちを外から見てる......」

 私は、その「人々」は、一体、何なのだろうと訳が分からず、得体の知れない「モノ」がまた近づく不気味さに、喉の奥がからからに乾いていました。すると、ユタカがこう言いました。

 「『入れない、どうしよう』って女の子が......『困ったわね』って母親みたいな人が......『侵入不可能だな』って父親が......『ここはもともと私達の家よ』って女が......『仕方ない、他の家を探そう』『4LDK がいいわね』......って夫婦が言っているのが、頭に浮かんだ」

 「『ここはもともと私達の家』って......じゃあ、もと住んでいた人たちが戻って来たの?」

 「さあ......あっ、もう4人とも山の方へ去っていく気配がした」

 この時、私は、父が「この辺りは『霊山』として知られているんだ。巡礼登山で結構有名だそうだ、古くから」と言っていたのを思い出しました。

 たった今、5階の我が家の「ベランダの外に浮いていた人々」は、普段はそうした周囲の山々に「棲んでいる」のだろうか、とも思いましたが、「父親らしき男性」の「侵入不可能」との言葉は、「お経さえ無ければ入り込んでやるのに」といった意味に解釈できることに気づくと、「もはや幽体らしきものに包囲されているのか」との畏怖感が急に募りました。

 それから1時間後のAM2:30、ユタカはまたウトウトしていましたが、その眠気を吹き払われたかのように、またハッと目を覚まし、いきなり「隣の家のベランダに4人の気配がする......!」と言いました。

 「『さっきの家はどうするの?』って女の子が言ってる......『ここは侵入不可能』って男の子が言うのが頭に浮かんだ」

 我が家の隣は、確かに4LDK で、お婆さんが一人暮らしをしていました。ユタカは続けて、気配を感じ取ったようでした。

「あの4人が、今、隣の4LDK のベランダからお婆さんちに入って行ったみたい―何か暴れる音がする。でも、あのお婆さん、耳が遠いから、分からないんだね、きっと」

 このことを、朝、起きてから父に話すと、「この家、前住んでいたのは大村さん、という人だったんだろ」と不思議そうに私に尋ねました。

 「うん。でもね、その大村さんは、女の子二人と夫婦で、今は3丁目の戸建てに、旦那さんのご両親と一緒に住んでるの。大村さんは、この家には8年住んだらしいよ。その前の人は、10年住んでいたらしいけれど......」

 「その、大村さんの前の人は、どういう家族だったのかな。分からないだろうな、個人情報は。管理事務所はそういうこと、教えてくれんだろうな」

  するとユタカがこんなことを言いました。

 「きっと、大村さんの前に住んでた4人家族が、最近になって亡くなって、昔住んでたこの家に戻って来たんじゃないの?」

 私は、多分、そうなのかも知れない、と感じました。もしそうなら、5月からもう1ヶ月近く続いている一連の怪異現象の原因は、その亡くなった人々が「この家に憑いている」ことになり、転居さえ叶えば、こうした奇妙な経験から逃れることができる―

 しかし、本当にそうなのか、旅行に行かなければよく分からない。こうした事柄には不明な点があまりにも多過ぎる、と困惑していました。

 それに、息子が「頭に浮かんだ4人の声」が、以前、この家に住んでいた人々の声なのかどうかも明確ではないのです。

 ユタカが「他人の考えが勝手に頭に浮かぶように、聞こえる」と、6月になってよく言うようになったことに関しては、私は、特に「あの子の頭が変になったのだ」とは判断していませんでした。

 実際、息子が「今、<止めろ>とか<今度は俺の番>って声が浮かんだ」と言った後、物が飛ぶのがピタリと止んだり、壁の音がひどくなったり、ということを身近で経験していたからでした。

 いろいろと調べていると、Wikipedia に、「霊との会話」との項目で、次のように解説がなされていたのを読み、今更ながらに驚いたのは、ごく最近のことでした。

 ―霊は音(空気の振動)で会話するより、相手の脳に直接介入して話しかけることを好むとされ、主に霊との会話方法として使われる。

 この説に従うと、当時のユタカの「頭の中に浮かんだ言葉」というのは、霊が彼の「脳に直接介入して話していた」ということになります。それでも、これもひとつの解釈であり、現実として受け止めるには、あまりにも信じ難い内容です。

 現在でも、2年前に起きたことは「現実」だと認識してはいるのですが、それが「なぜ起きたのか」については、様々な説を読んでも、あっさりと受容できない訳なのです。

 だから、2年前の6月当時、息子が「誰か知らない人が、窓の外に浮いている」と言っても、その言葉を「変なことを子供が言う」とは思わなかったものの、これだけ奇妙な現象を1ヶ月間体験して来たというのに、それらを「霊現象」と即断することは全く無かったのです。

 翌日、旅行にでかける6月15日、日曜日の夜半のことでした。

 AM2:00 頃、ユタカが、明日の旅行のお小遣いを財布に入れ、さあ寝よう、という時でした。

 彼は、また「女の気配がする......!」とハッとした様子になりました。私は、急に家中に再び、張り詰めたような空気が漂うのを感じました。

 「ねえ、ベランダから女が通気口を窺っている感じ......」

 「えっ?何でまた......?」
 
 私は緊張していました。ユタカは、その気配は一旦去って行った、と言いましたが、今度はまた「隣の4LDK のベランダ付近に浮遊している」と声を潜めました。

その時、風がざわざわと山の木立を揺らしていた中、突然、突風のような「ゴーッ」という激しい音が起こりました。

 「ねえ!女がゴーッ!って隣の家を回って、お母さんの書斎の窓から侵入したよ......!あっ!今度は僕らの部屋に入って来た気配がする......!」

 ユタカがそう言うやいなや、以前聞いたのと同じような、女性の細い呻き声が部屋のどこからか、聞こえてきました。

 「ア~ァ......ウッ......ウ~ウゥッ......」

 そして、再び壁の音が始まりました。それは6月9日の晩と同じ状況でした。

最初は「コンコンコン!」から「ゴンゴンゴン!」と叩く強さが徐々に増し、ついには天井付近から寝室入口へと、斜め下に音が絶え間なく移動し始め、やはり壁の中から爪で引っ掻くような激しい音へと変わりました。

 「ガリガリガリッ!ガリガリガリーッ!」

 「また......! ああ、どうしよう......!」

 私は、その音に目を覚ました母のそばに顔を伏せ、耳を塞ぎました。

その怪音の最中、午前4時に至るまで、また物が飛び交う現象が突発的に始まったのです。

 夏掛けの毛布やハンカチが、寝室にしている子供部屋の中を所狭しと飛び交い、息子の枕元のアイスバッグ、私の枕元の本、母のメガネケースがリビングへと怖ろしい勢いで飛ばされ、パソコンデスクの下へと「バーン!」と大きな音と共に叩きつけられました。

 ティッシュボックスも寝室からリビングへと吹っ飛び、更には、廊下に近い壁際に置いていた重いセロテープ台がビュッと飛び出し、2m 先の床に「ガーン!」と凄まじい音を立てて落ちました。

 日頃の睡眠不足で、午前1時にはいびきをかいていた父も、この騒ぎのために、既に起きていました。

 「なぜまた物がこう飛ぶんだ?お経を貼っているのに、変だな」

 「部屋の所々の通風口の隙間から、(物の化が)入って来るんじゃないの?」

 ユタカの言葉に、「それなら、お経の縮小コピーを隙間無く貼ってしまおう」と、早速父と私は行動に移りました。

 我が家の通風口は4か所あり、既にA4サイズのお経を貼っていましたが、更にそのそれぞれの隅を縮小コピーで囲むように貼り始めました。

 すると、私達が朝には旅行に行くことが分かっていて、それを阻止するかのように、ペンや消しゴム、薬、歯ブラシなどの小物が一層激しく飛び交い始めました。

 学習机の引き出しが急にバッと引き出され、中にあった、輪ゴムで止めた8本ほどの色鉛筆も、「ガシャーン!」とガラスが砕け散るような音と共に、リビングの床に投げつけられました。その衝撃のためか、輪ゴムがちぎれていました。

 私は、壁の音に背筋が凍るほどの恐怖を覚えたものの、こうして物が飛び交うと、「お経さえ、もっと貼ればどうにかなる」との一念で、恐怖心が吹き飛ばされてしまったのか、必死でお経の縮小コピーを、家中の通風口を完全に封印するように貼り続けました。

 不思議なことに、これらの作業が終わると、物が飛び交う現象も、壁の音も、何もかも静かになったのです。

 2008年6月15日朝、午前10時半に息子を起こしました。私は何時に起きたか、覚えていませんが、明け方4時までお経を貼っていたので、やっとこさ10時に起きたのかも知れません。

 朝食前、吐き気止めの薬をユタカに飲ませ、「11時には出るよ」と母から急かされると、息子は「急かされると吐き気がする」と訴えました。私は、「11時ぴったりじゃなくてもいいから、食べれるだけ食べたら、出かけようね」と焦らせないように気を遣いました。

 11時10分に、やっと家族揃って、旅行へと出かけました。

 家の鍵をかける時、私は「何事も起きていない、お経を貼り巡らした我が家」の中を眺め、「旅行から、ホッとして帰って来れますように」と願いました。ユタカは、気分が悪そうで、JR の中でも、昼食用のおにぎりも食べませんでした。

 一応、食前の薬を午後12時半頃飲ませ、目的地の駅構内のコンビニでおにぎりを買いました。そして、駅前からY 町の旅館への送迎バスに乗り、1時半には旅館に着きました。この送迎バスの中では、ユタカは顔色良く、にこにこして、おしゃべりでした。

 その旅館は清潔で、フロントは吹き抜けになっており、2階に続く階段の手前には華やかな造花が飾られていました。たくさんの旅行客がガヤガヤと集まっていました。

 父は、友人と旅行の際に何回も利用した旅館だから、フロントマネージャーとも顔なじみだ、と話してくれました。

 1ヶ月間、家の中で異様な体験に縮みあがっていた神経が、こういう賑やかな所に来ると、伸び伸びと開放されて行く安堵感を、私は覚えました。ユタカも、「こういう所、いいよね」と楽しそうでした。

 父は、ツインルームを二つ予約していました。私とユタカ、隣室には両親が寝泊りすることになりました。

 私は、ユタカと午後2時に、広々とした洋間に入りました。ルームキーもカード式で、随分山奥にあるのに、最新的な機能を備えた、素敵な部屋だと思いました。

 白い天井も、ベッドの上は高く作られ、窓の外からは湖が臨めました。私は嬉しくなりました。

 「いいねえ、この部屋。こーんな素敵なベッドでさ。こんな所で、もうあんな怖いこと、起こるわけないよね」

 息子も嬉しそうに、「後で、湖の所、散歩しようよ」と言いながら、コンビニで買ったおにぎりをほおばりました。

 その後、3時近くまで、普段着や身近な小物などを整理し、息子は帽子や着替えのTシャツなどを、窓際の机や、椅子の背にかけておきました。

 いろいろ二人でおしゃべりしながら、駅で買ったペットボトルのジュースを半分ほど飲んだ後、ベッドサイドに、私のバッグやペットボトルなどを置きました。

 あらかた物を片づけると、二人とも疲れが出てきました。夜、まともな時間に寝ていないので、久々の旅行にくたびれたのです。

 「今、3時か。夕食は、6時って言ってたよね。ちょっと、ベッドで休もうか」

 私はそう言って、旅館の部屋着に着替えると、ベッドにもぐりこみました。少し、15分ほどウトウトとした時でした。

 いきなり、客室に若い女性の元気な声が響きました。

 「すみませーん。お部屋のお掃除に来ましたー」

 その声で、私と息子は起き上がりました。

 「あれ?旅館の人が掃除に来たの?」

 私は、ベッドの上から、右奥の部屋のドアへと首を伸ばしましたが、私と息子以外、部屋には誰もいません。

 「今、声がしたよね?旅館の人、入って来なかったのかな」

 ユタカと顔を見合わせていた、その時でした。

 いきなり、ベッドサイドのペットボトルやバッグが「ポーン、ポーン」と部屋の中央へと独りでに投げ出され、また、窓際の椅子にかけていた息子のシャツや帽子、机の上の旅館案内などが私達の方へとビュッと飛んで来たのです。(To be continued……)

2010年5月26日水曜日

第5章「異界の門」―7―壁の中の気配:part5―開かれる衣装タンス―『般若心経』への乱闘

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それらの手型は、痩せこけた人のものらしく、手の平の下が骨ばっていました。

 ユタカが、その手型に触れないよう、手の形を合わせてみたところ、指の長さが全く異なっていました。私も恐る恐る合わせる仕草をしましたが、指の太さが合いません。

 つまり、その手型は、私達家族以外の「人」の手型なのです。

 私達は、午前3時すぎから4時半頃まで、女性の妙な苦しげな声を聞きながら、じっとしていたわけですから、それは当然のことでした。

 父は、「何か(今起きている怪奇現象の)解決の糸口になるかもしれないから、その手型、足型を、デジカメで撮っておけよ」と私に頼みました。

 その頃には、父も、「日本心霊科学協会」の存在を知っていたので、いざとなれば、そこに相談するつもりがあったのです。

 私は、6月9日の午後、いつも行くショッピングセンター内にある、カメラ専門店に、そのデジカメを持って行き、問題のデータだけを現像するよう依頼しました。店員の人は、仕上がった写真を見せながら、こう言いました。

 「何か、海にでも行かれたんですかね。こう、全体に青い背景ですもんね」

 私は、「明け方、窓に映っていた誰か知らない人の手型を撮影したんです」とはとても言えないので、「いえ、海じゃなくって、明け方の山の景色を撮ったんです。家の前が、一面山ですから、綺麗だなと思って」と説明しました。

 カメラ店の人は、「ああ、そうですか。綺麗に仕上がってますよ」と頷いて、小さなポケットアルバムに、それらが「不気味な」写真とも知らず、丁寧に収納したうえで、私に手渡してくれました。

 しかし、この写真は、8月に「こんなものを保存していると、不吉だ」との理由で、燃やしてしまい、「日本心霊科学協会」にも、結局、相談しに行くことはありませんでした。

 私は、仕上がった写真を、父と息子に見せました。すると、息子が、思い出した、とこう言いました。

 「そう言えば、女の人の呻き声が続いている間、明け方になったよね。その時、僕の枕元の通気口から、女性の体がふーっと入って来て、部屋中に広がった気配を感じたんだ。その後、カーテンを開けたら、こういう手型が窓にいっぱいついていたんだもんね」

 私は、その気配は分かりませんでしたが、ユタカの言う通りなら、窓の手型は、夜中じゅう、呻いていた女性のものに違いありません。

 そして、スタンドが動き回るムービーが消去されたことについては、息子は、「珍しいし、面白い。もう一回見てみたい」と興奮していたようでした。その時は、恐怖心が麻痺していたのかもしれません。

 しかし、今度の女性の声を聞いて、「怖いよ。この家、気持ち悪い」と言い出しました。

 それで、父の旅行計画は、単に「現象の原因探し」に留まらず、知り合いの方々のアドバイスもあり、「お孫さんの気分転換にも必要でしょう」ということで、行き先を、6月15日から、兵庫県のY町の旅館に2泊、F町のホテルに2泊、ということに決定し、早速予約を取ることとなりました。

 6月10日の午前0時前には、父の言うように、お経が効果があるのかを試すこととなりました。

そのために、ネットから検索した『般若心経』を印刷し、さらに何枚かコピーしたものを、子供部屋(私と子供と母の寝室)の入り口のふすまに押しピンでしっかり止め、更に、その寝室の勉強机、窓際の椅子、カーテンの左側の裏と、3か所セロテープで張り付けました。

 すると、ユタカがびっくりしたように、こう言いました。

 「ね、今、<はがせーっ>て男の苦しそうな声が聞こえたんだけど」

 私も、何か男性の唸るような声が一瞬聞こえました。確かに、「はがせー」と言っているようでした。それは、『般若心経』をはがせ、ということなのです。

そのお経の最後に「悪霊を追い払う」題目があるから、と聞いていたので、そのお経の言葉に「悪霊」が苦しんで、「はがせ」と呻いたのでしょう。

日付が11日となった夜半、また誰かが家の中を素足で歩き回るような気配を、私と息子はふすまを閉めた寝室の中で感じました。

 それは、若い女性のような、静かな足音でした。玄関からそのヒタヒタとの、気配と足音が忍び寄り、リビングへと近づいてきました。

 しかし、その足音は、『般若心経』を貼ったふすまの前でピタリと立ち止まってしまいました。

 私達には、その「人物」は、どうも困ったように、ふすまの前で立ち尽くしているように感じられました。

 しばらくすると、パタパタパタ……と、玄関の方へ逃げるかのように、足音は遠ざかって行きました。

 私達が安心したのもつかの間、その足音は、再びリビングへと諦めきれないように、近寄って来ました。

 しかし、今度は、私達の寝室へと向かわないままでした。「誰か」が座り込んだ時のように、テーブルの椅子が、ややきしむような気配がありました。家中が静まり返っていました。

 その「女性」は、何かを座ったまま考え込んでいる様子でした。

 その後、父が寝室としている隣室へと入ったのか、その部屋にある大きな衣装ダンスの引き出しや扉が、「スーッ」「ギィッ……バタン」と開閉される音がかすかに聞こえてきました。

 隣室では、父は大きないびきをかいて寝ていました。それなのに、タンスの開閉の音が「ギィーッ......バタン」と聞こえるのです。

 私は怖くなり、ユタカにささやきました。

 「ねえ、あの音......おじいちゃんじゃないよね。すごいいびきで寝込んでいるから......」

 するとユタカは、「やばいよ」と困った口調になりました。

 「やばい。さっきの女がじいちゃんの部屋に入ったんだよ。じいちゃんの部屋には今、お経貼ってないよ。じいちゃんが危ないかもしれないから、皆でじいちゃんの部屋に寝よう。ね、そうしよう」

 何がどう危ないのか。父の命がその女の手で奪われるのか。

 そうとは言い切れないながらも、漠然とした大きな不安に私は陥りました。

 「今、隣の部屋に行くのは怖いけれど、おじいちゃんが心配だね......」

 私が戸惑っていると、息子は「大丈夫だよ。皆一緒だから」と請け合うように言いました。

 時間は、AM3:00 頃でした。俗に言う「草木も眠る丑三つ時」と呼ばれる「何かが出て来る」時間です。

 女性の気配を感じながらも、それでも、私は、その女性の正体を、「霊」と思いませんでした。

 妙な声がしたり、お経の手前で立ち止まる気配がしたり、それ以前から、物が勝手に飛んだり動いたりしているのだから、とっくに「これは霊の仕業だ」と認めていてもおかしくないのですが、私の意識の底で、「『霊が入り込んでいる』なんて、怖いから認めたくない」との感覚があったのでしょう。

 私達は3人で、父の部屋に布団を移しました。その物音で、父は「何事か」と目を覚ましました。

 私は、「今さっき、女性がリビングに入り込む気配がしてね、お経の貼っているこちらには来ないで、おじいちゃんの部屋に入って、タンスを開けたり閉めたりしてる音がしたもんだから」と説明しました。

 父は、それを聞いて、「そうか......」と考え込みました。

 ユタカは、ひとしきり布団を、狭い6畳に敷き詰めた後、疲れて眠くなったらしく、衣装タンスにもたれて、うとうとしていました。

しかし、彼は、いきなり、「うわっ!うわぁ!」と身をよじり、タンスを振り返りました。

 「どうしたの、急に?」

 「だって、僕が寄りかかってたタンスの引き出しが、僕の背中をさ、こう、ぐいーって押すように引っ張り出されて来るんだもの」

 「えっ?引き出しが?勝手に?勝手に開いた?」

 息子は頷いて、「また開くかもしれない。見ててごらんよ」と不安げにタンスから離れ、布団の中央に座りこみました。私は、父が体を横にしているマッサージチェアに寄りかかりながら、タンスを見つめていました。

 すると、どこからか、9日のAM3:00 過ぎから聞いたのと同じような、若い女性の、細く苦しげな、泣くような声が、再び室内で聞こえてきました。

 「ウ~ッウッウッ......ヒィッ......ヒィッ......」

 「うわっ......!またあの声がする......!」

 私達は、ぞっと寒気がしてきました。

 その声のほぼ直後、先ほど息子のもたれていたタンスの引き出しが、私達の目の前で、スーッと引き出されたのです。

 その引き出しは、アクセサリーや小さなポーチを詰め込んだものでした。

 5秒ほどすると、また、引き出しは、誰も触れない状態のまま、スーッと引っ込み、パタンと元に戻りました。

 この現象に、家族全員、顔を見合わせました。皆、無言で、ただただ「信じられない」との気持でした。

 ふと気がつくと、「コトコトッ......コトコトッ......」と音がします。タンスの左右に視界を走らせると、右端の細長い衣装扉が内側から開こうとしている音だ、と分かりました。

  今まさにその扉が開こうと、コトコト音を立てている―そう思う間もなく、みるみるタンスの扉が5cm ほど開いて、またバタン!と閉まりました。

 私の恐怖心は再び麻痺し、気がつくと、大急ぎでその扉の映像を携帯で撮影していました。

 また何か起こるかと、奇妙な好奇心に駆られ、携帯をムービーモードにして構えていると、今度は、同じ扉が、「コトコトッ」と鳴り、「キィッ......」と音を立てながら、ダイナミックに15~20cm も開き、1、2秒後には、「バタン!」と勢いよく閉められました。

 「何だ、今のは......?」
 「まあ、タンスの扉が勝手に開いて、閉まるなんて......怖ろしい」

 両親ともに、顔をこわばらせていました。

 しかし、父は、私同様、恐怖心以上の好奇心に満たされた様子で、「おいおい、今の携帯で撮ったんか?」と急くように尋ねました。私も、不思議なことに、「怖い」との気持ちが無くなってしまい、珍しい映像を捕えたかのように頷きました。

 「うん、バッチリ撮れてるから」

 私がそう言いながら、今撮ったばかりのムービーを確認していると、ユタカが急に怖ろしげに声を上げました。

 「あっ!さっきの女がお母さんの方に近寄って行くよ!」

 「えっ......どうしよう......!」

 私はその時は、何の気配も感じませんでした。しかし、私に「その女」が近づいた、ということは、私の携帯に用事があったのだろうと思いました。

 急いで、携帯のムービーを確認しました。すると、やはり驚くことに、たった今撮ったばかりのムービーは、ひとかけらもなく消去されていたのです。

 「あっ......!また、今のタンスのムービーが消されちゃった......!」

 すると、父がやや残念そうに「そうか、また消去だな。『相手』には、そういう証拠が残るのは困る、ということなんだなぁ」と呟きましたが、思いついたように私にこう言いました。

 「なあ、『般若心経』貼ってたお前たちの寝室には、何も起きなかったわけだ。それで、俺が寝ている部屋には、入り口にも内部にもお経はなかった。それで、女の声がしたり、タンスが勝手に開いたりしたな。ということは、やっぱり『般若心経』は、効果があるってことだよ。ほれ、早速、ユタカの部屋に貼ってるお経を一枚はがして、そこのプリンターで20枚くらいコピーして、家中貼ってみよう」

 私は、そうだね、と同意し、急いでパソコンデスクに座り、プリンターでコピーの操作にかかりました。

 プリンターが、コピーされたお経を1枚、2枚と自動的に吐き出し始めた途端、物が飛び交う現象が、今までにない激しさで、突然始まりました。

 それは、「現象の急襲」と言っても良いほどの凄まじさでした。

 寝室のハンカチのみならず、ティッシュボックス、タオルケット、枕、椅子のクッション、帽子、ハードカバーの本、更には重いセロテープの台までが、怒り狂うように、「バシーッ!」「ガーン!」と、リビングの床や壁、また私の方へと次々と投げつけられて来ました。

 「うわっ!飛んで来たっ!危ないったら、うわっ!キャーッ!」

 私は、あまりの激しさに、慌ててデスクから離れました。

 その間にも、部屋のあちらこちらにある本などが、パソコンデスクや玄関の土間に、「バーン!バーン!」と投げ飛ばされ、怖ろしいほど大きな音を立てました。

 父は、「頑張れ、万里子、頑張れ、あと残り8枚だ、今だ、今だ!」と叫びました。

 私は物が飛ぶ合間をかいくぐるように、再びパソコンに向かい、コピーボタンをクリックし続けました。

 やっと20枚のコピーが終わると、父が「終わったか!早く家中、皆で貼ろう!」と、ガムテープを廊下の押し入れから出しました。

 すると、今度は、誰もいないトイレのドアが、ひとりでに「バッ!」と開いては、「バーン!」と凄い勢いで閉まりました。この現象は、2回、続けざまに起きました。

 「バッ!バーン!バッ!バーンン!」

 家中の壁にひびでも入るか、というほどの、異様なまでの怖ろしい勢いでした。

 まるで、家中の「モノ」達が、私達の行為の目的を察知し、怒りが頂点に達し、獰猛な狂気で暴れながら抵抗しているかのようでした。

 実際、「彼ら」は、『般若心経』を家中に貼り巡らされることに、怒り狂っていたのでしょう。

 私は、姿の見えない「モノ」達に「襲われている」恐怖心で、目の前の事柄がとても現実とは思えなくなっていました。

 「早く、早く、急いで!」

 皆で手分けし、玄関の内側、トイレ、浴室、押し入れ、私の勉強部屋のドアの表側―ともかく、ドアやふすまの表という表にはすべて貼り、また、リビングのドアやふすまには、両面に貼りつけ、衣装タンスの部屋と、隣り合った子供部屋、私の勉強部屋の窓、カーテン、机、椅子、壁、タンス―あらゆる家具にも貼り付けました。

 また、この両部屋と、私の書斎の左隅の壁には、通気口がありましたが、そこには気がつきませんでした。

 「これであらかた、全部貼ったか―あっ!そうだ、万里子、通気口にも貼れよ!ああいう所から、『奴ら』は入っているのかも知れんぞ!」

 「ああ、通気口かあ―ホント、気がつかなかった!これがいけなかったのかも知れないね!」

 父の言葉に、私も急いで3つの部屋の通気口にお経を貼りました。通気口は、リビングの入り口にもあったので、そこにも大急ぎで張り付けました。

 その間中、引っ切り無しに物が飛び交っていましたが、「もうこれでいいだろう」と、私達が家の中を見渡した後、今までの凄まじさが嘘のように、「しーん」となり、すべての空間が静寂に包まれました。

 時刻は、気がつくと、もう午前4時半でした。

 コピーを始めたのが午前4時頃だったので、「モノ」の大乱闘は、30分間続いたことになります。

 家中、投げ飛ばされた物が床に散乱し、ひどい散らかりようでした。母が、床に落ちていたハードカバーの本の中に、佐藤愛子さんの『私の遺言』を見つけて、びっくりしたように私に言いました。

 「まあ、これも投げられていたんだね。見て、このひどい本の痛み方。『敵』は、この本の内容を知って、だから、憎たらしくて投げ飛ばしたんだろうね」

 ユタカが、ほーっとしたように呟きました。

「はーっ......今まであった変な気配が全部消えちゃったよ」

 この後、13日の晩まで、ほぼ2晩、ほとんど何事も起こりませんでした。何事も起こらなかった頃の、平穏な日常が戻ってきたかのようでした。

 私達は、「お経のおかげだ」「通気口をお経で塞いだおかげだ」と思いました。

 そして、そのお経は、更に10枚ほどコピーして、「15日からの旅行に、念のために持って行こう」となりました。

 私達は、『般若心経』があれば、もう大丈夫―そう信じて疑いませんでした。

 しかし、旅行先で、再び、私達家族は、「お経じゃ、だめなんだ」と思い知らされることになったのです。(To be continued……)


 


 

2010年5月21日金曜日

第5章「異界の門」―6―壁の中の気配:part4―窓に残された手型

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 6月7日土曜日の朝から、8日の日曜日夜半までは、今までのことが全く嘘のように、何も起きませんでした。ただ、携帯やデジカメのムービーがきれいに「消去されている」ことが不思議でした。

 8日の昼間、息子は昼寝をしていました。彼が起きて来ると、私は、早速、ムービー消去の話をしました。

「ねえ、7日の夜中、スタンドが動いたのをお母さん、携帯で撮ったでしょ。それが、ゆうべ、もう一度確認したら、消えていたんだよ。5月に何かが撮影されてたデジカメの、気持ち悪いムービーも消去されてた。変だよね」

 ユタカは、「へえ~」と不思議そうな顔をしましたが、急に思い出した表情になりました。

 「そういえば、僕、さっきの昼寝の時、夢を見たんだよ」

 「どんな夢なの?」

 「あのね、男か女か分からない、中性的な人物が、携帯をしまってる整理ダンスの引き出しに近寄ったんだ。それで、そいつが『証拠になる物が残っている』って言って、タンスの前に10秒ほど立ってたけれど、それから、姿を消した。そういう夢」

 彼はそう言うと、気がついたように付け加えました。

 「あっ、じゃあ、あの夢は正夢だったんだね。霊感の強い人間の夢に、霊は現れて、話しかけてくるというらしいからね」

 「霊感」という言葉を、私が子供の口から聞くのは、その時が初めてでした。

 息子が、いつの間にそうした言葉や、「霊感の強い人間の夢に、霊は現れて、話しかけてくる」という知識を得たのか分かりませんでしたが、多分、ゲームの中に「霊感」という言葉が登場したり、ネットの「心霊特集」などを子供が好んで、私も一緒に見たことがあるので、そうした知識が印象強く残っていたのかもしれません。

 しかし、息子が自分自身を「霊感の強い人間」と既に感じるようになった理由については、私は、今考えると不思議ですが、2008年の6月においては、特に妙に思いませんでした。

 「誰もいない部屋やベランダで、気配を感じたりするのだから」と、自然に納得していたのです。

 また、私自身も、無人の場所で人の気配を感じたり、誰もいるはずのない隣室から、壁を叩く音を聞くという現象を経験するようになってからは、「霊感」との言葉に、特に抵抗を感じなくなっていました。

 私は、自らを「霊感のある人間」と自認してなどいませんでしたが、この時には、注文した佐藤愛子さんの『私の遺言』を読み始めていたために、そうした「特殊能力」に関し、共感できるようになっていたのだ、と思います。

 佐藤愛子さんは、「霊感」を「霊体質」と表現し、「人は皆、霊体質になる可能性がある」と記し、次のように分類していました。

 ―すべての人が霊体質なのであって、1.それが既に出ている人、2.一生気づかぬままに死ぬ人、3.今はそうではないが、何かの拍子に出る人、4.経験はないが知識として持っていて信じている人、などに別れているらしい。

 そして、佐藤さんは、自ら「私は51歳のその時まで、何の異変も感じず、幽霊話などバカにしていた。私は、3に該当するのだろう」とのように述べられています。

 こうした佐藤さんの体験談から、「なるほど、そんなことがあるんだな」と、何の抵抗なくその分類に納得できたのは、私や家族が、佐藤さんと同じような体験をしていたからなのでしょう。

 超常現象などに無縁であれば、私も、かつての佐藤さんと同様、「そんな非現実的な話、嘘に決まっている」と思うでしょう。

 実際、異常な体験をするまでは、本当にそう思っていたのですから。

 そして、恐らく、息子も、また多分、私も、佐藤さんのように、「3.今はそうではないが、何かの拍子に出る人」に当てはまるのではないか、と、本を読んだ時、驚きながらも、そう実感したのでした。

 父は、一旦、7日の朝に大阪に帰り、8日の晩に再び我が家に泊まりこみにきました。父が、知人のKさんと話したところ、「霊というのは、何かを媒体として現れるらしいですね。特に、家の中に心の不安定な子供がいる場合、そうした現象が起こりやすい、という話をよく聞きます」との意見だった、と話してくれました。

 しかし、こうした「霊感、霊体質、霊の出現」という印象は、この頃にはあまり無かったのです。

 むしろ、物が飛ぶ、浮く、などの非物理的な現象、との感じが強く、実際、背後に「心霊的なもの」が関わっているとの確信など、ゼロに近いと言ってもよいほどでした。

 9日の夜半、AM1:45~2:40 頃にかけて、再び怪異現象が始まりました。最初は、壁の音でした。

 その壁の音は、今までにないような、激しいものでした。

 初めは、「ドンドン、コンコン」との音でしたが、それも、もう全く、壁の中から「人」が叩いているような感覚でした。

 その音は、次には、爪の先で引っ掻くような、「ガリガリガリーッ、ガリガリッ」という大きな異様なものに激変し、寝室の壁の上から下へ、ベランダ側の右上隅から、ふすま側の左下隅へと、縦横無尽に響き渡りました。

 「ガガガ……ガリッ!ガリガリガリガリガリーッ……!」

 「うわっ!怖い……!」

 私達は、あまりの凄まじさに震え上がりました。それは、本当に「壁の中に誰かがいて、尖った指先の爪で壁を引っ掻き回っている」としか思えない音でした。

 ユタカは、壁から体を「気持ち悪い」と離して、音に驚いていましたが、急にはっとして、こう言いました。

 「今、すごく人の気配がして、ベランダから室内、そして壁の中に入って行った感じがした。最初は小さい女の子、次はかなり大きな男の人みたい」

 その後、息子は眠気が覚めてしまい、「目がかゆいから、小さいアイスバッグ持ってきて。喉乾いたから、ジュース欲しい。むかむかしてお腹痛い、胃腸薬持ってきて」と私に頼みました。私は、冷蔵庫からアイスバッグを持ってきたりと、息子の世話に追われました。

 すると、AM2:41~50にかけて、今度は小物が再び飛ぶ現象がスタートしました。

 息子の枕元に置いたアイスバッグが、私の布団や母の枕元へと、3回もポーンと飛び、タンスの上のペンがリビングへと放り出され、息子の枕元のティッシュボックスが、母の胸の上へと投げつけられたのです。

 その直後、ユタカは「小さい女の子の気配がまたする。『ごめん』って声が頭に浮かんだ。もう、気配消えちゃった」と言いました。

 すると、物が飛ぶ現象はピタリと停止してしまいました。

 私は、「その女の子の声が浮かぶって、どんな感じに聞こえるの?」と彼に訊きました。

 「う~ん……頭の中で、僕の考えじゃない、他人の声が聞こえる感じ」ユタカはこう答えました。

 私達は、父の寝ているマッサージチェアのある部屋へと布団を移動させました。

 もう気色悪いのと不安とで、みんな眠れないので、父が心配して、「どうせ寝れないんだ。皆でここで灯りつけて、笑い話でもしよう」と言ってくれたからでした。

 そうするうちに、AM3:00 過ぎた頃から、急に何か、声のようなものが室内で聞こえてきました。

 「ねえ……声が聞こえない……?」私は、母に言いました。

 「ン……ウゥ~ン……ウッ……ウゥ……」

 それは、若い女性の、細く、苦しげな呻き声でした。

 父も、「本当だ。女の声がするな」と驚いた顔をしました。その声は、何か訴えるような、泣くような、呻くような声でした。

 「ウッ……ウゥ……」

 何度も何度もその声は聞こえてきました。母も息子も「本当だ……あっ、また聞こえるね」と体をこわばらせました。

 よく聴くと、その声は、ベランダのカーテンの辺りから聞こえてくるのです。

 ユタカは、「ねえ、今、ベランダに、女の人が横たわっている気配がする……」と言いました。

 「えっ!女の人?やだ、怖い!」私は思わず、母の手を握り締めていました。

 その声は、1~2分置きに、1時間半、AM4:30過ぎまで続きました。家族全員、眠気など吹き飛び、ただただ、凍りつくような恐怖に捕われていました。

 気がつくと、外は明るく、日の光がカーテンから差し込んでいました。

 「もう5時じゃないか。カーテン、開けてしまえよ。気味悪がってても、もうどうしようもない」

 父がそう言い、カーテンを左右に大きく開けました。その時、ユタカが、「何だ、あれ?」と不意に大きな声を上げました。

 「ねえ、窓に手や足の跡があるよ!」

 私達が、ベランダの窓ガラスを見ると、結露で少し濡れた室内のガラスに、内側から、たった今つけられたかのように、細い指の手型が、指を5本とも大きく広げた形で残っていたのです。

 その手型は、窓ガラスのあちらこちらに、合計5か所、ついていました。結露で曇っているところに押し当てられたらしく、手型からは、水滴がしたたっていました。

 また、若い女性のような、細身の足型も、一か所、ガラスの下の方についていました。その足跡は、ちょうど、ガラスを背にしてつけたかのように、逆さまにつけられていたのです。(To be continued……)



 

2010年5月19日水曜日

第5章「異界の門」―5―壁の中の気配:part3―踊るスタンド

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6月7日から8日にかけての記録も、ノートに残されてありますが、奇妙な出来事の起こる時刻はすべて、この2日間、夜中の午前0時過ぎでした。ということは、昼間は特記すべき事柄はなかったのでしょう。

 7日の晩は、AM0:54~4:00 に至るまでの約3時間に渡って現象が起きたことが記されてあります。この晩も「数秒~1分おき」と書かれています。それほど目まぐるしく、小物が飛んだことが分かります。

 始まりは、AM0:54 、息子が「小さな女の子」の気配を室内に感じた瞬間でした。

 途端に、学習机の一番上の引き出しから、赤いキャップのボンド、2分後には、やはり引き出しに入っていたレゴの小さい、子供の小指ほどの大きさの人形が、リビングへとビュッと飛び、「バシッ」と床に投げつけられました。

 引き出しは閉めてあるのに、中に入っている物が勝手に飛び出し、6m も離れた床へと転がるのです。

 また、AM2:15~AM2:23 の間、今度は洗面所に置いていた父と母の歯ブラシ、それに父の黄色いキャップの薬が、それぞれリビングへと飛び、静まり返った深夜に「カーン!」と大きな音をたてました。

 歯ブラシや3cm ほどの小物でも、誰も活動していない室内へと投げつけられると、意外なほど音が響き渡ります。

 それが、「誰も触れてもいないのに」勝手に飛んで来るために、その異様さは私達の神経を恐怖で痛め、緊張感で疲弊させるのです。

 AM2:22頃、ユタカは口を洗っていなかったことを思い出し、洗面所で、スイッチ辺りの壁にもたれて、目をつぶって歯を磨いていました。

 しかし、途中で「あれっ?」と声を上げました。そして口をゆすぎ、慌てて寝室の私の所に駆け込んできましたが、その彼を追うように、父の黄色いキャップの薬がリビングへと吹っ飛んで来たのです。

 「どうしたの?『あれっ』て言ったりして」

 「僕、眠いから薄眼を開けながら口洗ってたんだ。そしたら、歯ブラシの上の整理棚に置いてたおじいちゃんの薬が、急に洗面台に転がったんだ。僕がそれを拾おうとしたら、薬が、生き物みたいに洗面台を這い上がっていくんだもの。だから『あれっ?』って声出したんだよ。僕が口をゆすいだら、今度はその薬が、僕の目の前でふっと浮いて、リビングの方に角度を変えるから、怖くなって逃げたんだ」

 6月になり、物が飛び始めたかと思うと、その現象は、「正体」を見破って欲しいかのように、箱やパジャマやハンカチ、本やタオルケット、薬などを、「飛ぶ直前は、実はこうして宙に浮上し、角度を変えていたのだ」と、私の目の前で、堂々と「からくり」を披露するようになってきたのでした。

 AM2:23 以降、「もう寝よう」と皆で布団に横になった途端、また壁を叩く音が「コンコンコン!コン……ココン!コンコン!」と始まりました。

 その音は、AM4:00 頃まで、1時間半も続きました。

 そして、その間、やはり学習机の引き出しから、スーパーにある「百円ガチャガチャ」で買った、小さなおもちゃの入った丸いカプセルや、クリスマスツリーのリンゴの飾り、別のレゴの人形などが、寝室の入り口やリビング床へと次々と飛んで行っては、「ゴーン!」「ガン!」と激しい音を立てるのでした。

 またその間、壁の音は相変わらず続いていました。

 壁に私が耳を押しあてると、音は、何と壁の中から聞こえて来るのです。ユタカは「壁の中にまた人がいる気配がするね」と言いました。

 AM4:00 頃でした。ユタカが「壁の中の人の気配が強い感じ」と言った後、それまでやや弱かった壁の音が、徐々に速度や強さが増して行きました。

 私達は、早速、その音をテープレコーダーで録音しました。しかし、録音を確認していると、カチッと音がし、レコーダーは勝手に停止してしまいました。

 この晩で、最も驚くべき異変は、「枕元のスタンドが動き回った」ということでした。

 AM3:42 、母の枕元のスタンドが、いきなり独りでに「カタン」と倒れてしまったので、「また勝手に動いた」と思いながら、元通り、立てておいたのです。

 物が飛んだり、浮上したりを何回も見るうち、このようにスタンドが勝手に倒れても、「あっ」と思っても、さほど怖くは感じなかったのだと思います。

 そのスタンドの灯りはつけたままにしていましたが、AM4:17~30 にかけて、これまでになかった現象に、私達家族は驚愕しました。

 スタンドは、最初、母の枕元を照らしていましたが、急に私達の見ている方角へと90度、生きているかのように角度をゆっくりと変え、またカーテンの方へと向いたり、前後にすっすっと踊るように動いた後、先ほどのように、「カタン!」と倒れ、動かなくなりました。

 この様子を私と息子、両親の4人で目撃したのです。

 私は、AM3:42 、スタンドが勝手に倒れた時から、恐怖心は吹き飛び、奇妙なことに、「今度、独りでに動いたら、絶対、携帯のムービーで録画しよう」と考えていました。

 その思いを見透かされたように、スタンドは、私の目の前で、くるくると踊って見せたのです。私は、その不可思議な光景を、携帯で撮影していました。

 そして、このスタンドが倒れた直後、ユタカの頭に、また不思議な声が浮かんだ、ということです。

 <終わり。もう他の所に行く>という、中性的な声だ、と彼は言いました。

 それは、どんな風に浮かぶのかと私が尋ねると、息子は「頭の中で、声が聞こえる感じなんだ」と答えました。

 この7日の明け方、壁の音も止み、布団で休む前に、私は、再度、携帯のムービーフォルダを確認しました。この時は、録画したスタンドの動画は残っていました。

 しかし、8日の夜半、AM2:30 、念のために、携帯をチェックしたところ、スタンドの動画は消去されていたのです。スタンドだけではなく、5月の中旬以降にデジカメに「誰か」が撮影した、気味の悪い粘土状の顔の映ったムービーも消去されていました。

 携帯やデジカメのムービーは、一旦撮影した後、保存していたのです。故意に、手動で消去しない限り、データが消えることはないはずなのです。

 これも、「物を飛ばし、宙に浮かし、スタンドを踊らせ、ユタカの頭に響いた声の主」がしたことなのか、と私は直感しました。

 父には、この日には、既に「一連の現象の原因」を探る計画があったようでした。

 それは、家を離れて、4人でどこかへ旅行しよう、ということでした。何か得体の知れない「モノ」が、人に憑いているのか、家に憑いているのかを確認したい、と父は言いました。

 もし旅行先で何も起きなかったら、奇妙な現象の原因は、今住んでいる家にある。そうなれば、転居すればいい、と父は考えたのです。

 それでも、旅館でも怪現象が起きたなら、その時はどうしよう―新たな不安が、私を再び襲いました。(To be continued……)



 

2010年5月16日日曜日

第5章「異界の門」―4―壁の中の気配:part2―人の歩く影

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 6月になって、小物が飛ぶ頻度が異常に多くなり、時間の間隔も短くなってきていることから、私達は、「刃物が飛んで来て怪我すると怖い」と思うようになりました。

 そこで、飛んで来て体に当たると危険な、カッターナイフや電池、磁石などはまとめてセロテープでぐるぐる巻きにして、小さなポーチに入れ、子供部屋の隣にある衣装箪笥の右扉奥に「分からないように」他の衣服などの下へと押し込みました。

 「分からないように」―と言うのは、「物を飛ばす正体不明の者にバレないように」というつもりでした。

 台所の肉切包丁、刺身包丁、鋏なども、赤い贈答品の空箱に入れて、毎晩流しの下の奥へと置くようになりました。

 それでも、母とこんな会話を交わしたことを覚えています。

 「こんな所にあちこち隠したって、『相手』には分かっているんだろうね。こうして今、話していることも聞いているんじゃない?どこかから......」

 「相手」と言うのは、もちろん「物を飛ばす正体不明の者」であり、私達が2008年6月初旬、最も恐れていた、目に見えぬ「モノ」でした。

 こんな会話を他人が聞いたら、きっと私達の頭がどうかしてしまったのだ、と変に思ったことでしょう。しかし、私達家族の間で、こうした会話を交わすのは、奇怪なことに、ごく当然のこととなっており、自然な「恐れ」という感情から生じていたことだったのです。

 6月6日の夜半になりました。

 AM2:45~55にかけて、しばらく途絶えていた、「コツコツ」という壁の音がまた始まりました。

 この頃には、以前のようなメモ用紙ではなく、ノートに表を作り、左から、「月・日」「時刻」「最初(小物が)あった場所」「落ちた場所」を簡単にメモできるようにし、右端に、多めにスペースを取り、「備考」として、特記事項となるべき異変があれば、なるべく詳しく書くようにしていました。

 この「再開した壁の音」に関し、私は「備考欄」に、以下のように書き残していました。

 「午前2時45分、ユタカが安定剤で眠くなり、ゲームを止めて寝ようとし、父がパソコンを止めて(子供部屋隣室の)マッサージチェアで休もうとした時……

 ユタカ『大人の気配、すごくする。地面の中、いや、床の下に一人、壁の中にもう一人いるよ』→ 直後、例のトントントン、が始まる」
 
 「ユタカ『今、頭の中に<俺の番>という、低い男の声が浮かんだ』→ その直後、物が飛び始める」

 この壁の音は、実際、聞こえている音なのか、それとも私達家族の空耳なのか、それを確認しようと、父は買ったばかりの真新しいテープレコーダーを用意して来ていました。

 実際、壁の音は、子供部屋からは、父が休む隣室の、マッサージチェアを置いてあるすぐ壁際から響いてきます。

 録音し、テープを再生すると、しっかりと、「トントン、コンコンコン……」という音が入っていました。その音は、5月の末近くに聞いた音よりも、強く響く音でした。まるで何かを主張しているかのように感じたのです。

 また、私が洗面所や廊下、ベランダで人の気配を感じることはありましたが、ユタカのように、壁や床の中に人がいる気配などは分かりませんでした。

 しかも、<俺の番>との声が息子の頭に浮かんだ、というのはどういうことなのか、と戸惑いました。

 しかし、状況から考えて、壁の音を叩く者が「床の下と壁の中」に2人、しかも大人の男がいて、まずは一人の男が壁を叩き、次に別の男が<今度は俺の番だ>と相手に言い、叩くのを交替した、ということなのでしょう。

 実際、ユタカが<俺の番>との声が頭に浮かんだ、と言った直後、「トントントン」の叩き方はより強く、速くなったのです。

 また、<俺の番>という言葉は、<今度は俺が壁を叩いて、物を飛ばしてやる>という意味だったのかも知れません。

 息子がその言葉を「頭で聞いた」直後、1分から10分の間隔で、物が次々と投げ飛ばされることが急激に始まったのです。

 AM2:55 には、私の枕元にあった文月今日子さんの本が投げ飛ばされ、「バーン!」と今までにないほどの激しい音を立てて、リビングの方へと叩きつけられました。

 この本が飛ぶ時も、前夜のように、「物が浮上する」という奇怪な光景を目にしました。

 いや、単に浮上するだけでなく、本は、「宙に浮いた後、そのまま移動」したのです。

 まず、本は、私の枕元からゆっくり浮上し、すーっとふすまの方へと空中を移動し、そしてリビングへと向きを変えて、リビングへと「ビュッ」と飛ぶのを、私と子供が目撃したのです。

 ユタカは眠くて、眼をうっすら開けていたら、本の移動が視界に入った、と言いました。

 私は、投げ飛ばされた本が、どこに落ちたのか、リビングへ探しに行きました。

 すると、本のカバーはリビングの床に、本の本体は、ふすまから4m は離れたパソコンデスク下の、ワープロの裏にまで飛ばされていました。カバーも、本も一部が折れ曲がり、くしゃくしゃになっていました。

 この時期、ワープロがパソコンデスクの下にあったというのは、まだ「モデムのコンセントが勝手に引き抜かれるのではないか」との恐れがあったため、ワープロを防波堤にしていたのだと思います。
そして、私がリビングにいる間、寝室にいた息子は不思議な影を、ふすまに見ていました。

 彼は、私の布団の上を、枕元から真っ直ぐ歩く、性別不明の大人の大きな影が、床の上に置いたスタンドの照明で照らされた、寝室内側のふすまに映るのを目撃していた、と言うのです。

 察するに、息子の頭に浮かんだ<今度は俺の番>との低い声の後、物が急激に飛び始めたこと自体、不思議なことであるし、そしてふすまに映った歩く人影の正体こそ、私達が恐れている「モノ」であったのでしょう。

 物はその後も数分置きに相次いで飛びました。

 AM3:00 には、息子の枕の左に置いていた、古い銀色のDS が、2m 先の、寝ている母の左足の甲にビュッと飛び、当たりました。

 母は、顔をしかめ、「あっ痛っ!」と声を立てました。

 電池が息子の背に当たり、今度は電池よりも重いDS が母の足に当たり、二人とも「痛い」と言うほどだったので、私は「飛ぶ物の重さや大きさが以前よりも違ってきた」と怖ろしく、身の危険を感じました。

 ただ、重い物が飛んだのは、この晩は、DS のみでした。

 AM3:10 には、ユタカの枕の左、ハンカチに包んであった8cm四方の保冷材が、私の布団の足元に飛びました。

 次にはこのハンカチが問題でした。AM3:12 から3:15 のほんの3分間の間、このハンカチは、3回も飛び交ったのです。

 最初は母の右腕の上に、ぽーんと飛んで来たので、母が一度、息子の枕元に戻しました。すると、その1分後、再び母の右腕に飛びました。母は、「いやねえ」と言いながら、再度、息子の枕元に戻しました。

 その2分後、このハンカチは、今度は、息子の顔の上へと飛び、パサッと落ちたのです。

 ユタカはウトウトしていましたが、急にハンカチが顔にかぶさったので、「うわっ!」と声を上げ、目を覚まし、上半身を起こしてしまいました。

 AM3:30頃には、子供の机の上に置いていたプロアクの箱が、やはりリビングの床へと飛んで行きました。

 私は喉が渇いたので、リビングを通り、台所で水を飲んでいました。AM3:50頃でした。ユタカは、ハンカチのために眠気が覚めてしまい、壁にもたれていました。

 ところが、また彼が、「わぁっ!」と叫んだので、私は驚いて、すぐリビングから子供の方へと行きました。

 すると、何と、私が使っていたタオルケットが宙に浮いていたのです。

 そのタオルケットは、私達の目の前で、私の布団隣の母の布団の上に落ちました。

 最初はパジャマ、次にはティッシュボックス、そしてタオルケットが宙に浮いたのです。

 このティッシュボックスと、タオルケットには、その夏中、悩まされることになったのですが、もちろん、6月6日のこの時点では、そんなことは思いも寄りませんでした。(To be continued……)

 

2010年5月13日木曜日

第5章「異界の門」―3―壁の中の気配:part1―浮遊する箱

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 6月1日の午後3時に、やっと父が5日~6日の予定で泊まりに来てくれました。父は、5月中旬から起きている怪現象について、いろいろと知人に尋ねてみたそうです。その中で、参考になり助力ともなったのは、息子さんが医師であるという河野さんという方からの情報でした。

 「河野さんは、うちの話を聞くと、『般若心経』がいいんじゃないかと言うんだよ。それで、その解説書と読経のテープを貸してくれた。それに、佐藤愛子さんという作家のことを知っていてね、その人の書いた『私の遺言』という本に、うちと似た経験が書かれてあるらしいと教えてくれた」

 「『般若心経』?お経が効果があるの?」と私が訊くと、父はこう言いました。

 「俺も、この歳になるまで、恥ずかしながら今までよく知らなかった、般若心経のことはな。でも、このお経の最後に、特に悪霊を追い払う言葉があるらしい。試してみたらいいんじゃないか」

 佐藤愛子さんのことも、そう言えば Wikipedia に載っていたと思い、『私の遺言』を Amazon で検索しました。佐藤さんは、50代になった頃、北海道に別荘を建てたところ、早速超常現象が起こり、それから30年近く、旅先でも、東京の自宅でもその現象に悩まされた、と解説がありました。私は、佐藤さんがどのようにして、その現象を解決したのか知りたいと思い、『私の遺言』を注文しました。

 父が私の家に泊まって最初の晩、夕食後は皆で夜10時半位まで、テレビをつけながらトランプをしました。息子も楽しそうで、こうしたことに興じていると、現在悩んでいる怪奇現象など、嘘のように思えました。

 「『物が飛ぶ現象』は、特に夜中になると起こる」と母から電話で聞いた父は、少なくとも夜中の3時位までは、パソコンをしながら、「寝ずの番」で起きている、と言ってくれました。

 「大丈夫?体を横にしないとまいってしまうんじゃない?」

 私と息子がそう心配しましたが、父は、「どうせ寝ていても、変なことは起きるんだろ。それなら起きていても同じじゃないか。お前たちを安眠させようと、おじいちゃんは来たんだから」とパソコンの前に覚悟を決めたように座りました。父も、不安や心配はあったのですが、「化け物が来るなら来い」と胆を据え、「ついでに趣味でいろいろと調べ物をしたい」との目的もあったのだそうです。

 その日の晩、午後11時半頃になって、いきなり父の目の前で、「カーン!」と鋭い音が響きました。父は一瞬のことで、何が起きたのか分からなかったそうですが、よく見ると、リビングの扉の前に、父の歯ブラシが転がっていました。

 「また何か飛んだみたいね」寝室にいた私は、父の方へ行きました。

 「この俺の歯ブラシは、洗面所に今日の昼間、置いてあったんだ。こりゃ、リビングの隅の方から飛んで来たみたいだったなあ。ええ?でも、洗面所はこの扉の向こうじゃないか。なんでそこにあった物が、リビングの隅から飛ぶんだ?」

 父は、有り得ないという調子で驚いていましたが、「今までお前たちの話を電話で聞くだけで、俺だけ経験していなかったから、実感が湧かなかった。でもこんなことが起きるんじゃ、怖くなるのは当たり前だなあ。俺も生まれて初めて経験したよ」と、未知の世界を新発見したように、やや興奮した口調でした。

 そして、6月2日の夜半も、父のいるリビングに、ボールペンや歯ブラシ、色鉛筆などの小物が投げ飛ばされることが数分置きに起こりました。

 父の相対しているパソコンの向こうには、リビングの扉がありますが、その扉は「暑いから」と開け放して固定していました。そこからは、短い廊下、左手に洗面所とトイレのドア、そして正面に玄関の土間が見えます。

 洗面所からも、土間に向かって、父や私のコップが放り出されて叩きつけられるのを、父は目撃しました。私もその音を聞き、土間に落ちた物に驚き、それを元の場所に戻しておきました。

 2日の午後、両親は管理事務所に行きました。PM12:30~1:00 頃でした。そこで、父は管理人さんに、「有り得ないことですが、物がいつも置いてある場所から、いつの間にか移動して、とんでもない方角からポンポン飛んで来るんです。誰かが力いっぱい投げつけたように」と説明し、独りでに飛んで来て、床に落ちた物、ボールペンやタッチペン、歯ブラシ、色鉛筆、コップなどを見せました。

 管理人さんは、この話に否定の様子はなかったようです。

 「信じられないことですがね、ご主人まで経験してはることなら、確かでしょう。それなら、その『物が飛んで来るという経験をした』ということを、400字程度にまとめて下さい。お宅のお名前や、部屋番号は伏せて下さい。その文章を、マンションの瓦版に載せて、印刷しますから。こんなお話をしに来たのは、お宅が初めてですが、他の家でも、もしかしたら同様の現象が起きているかも知れませんよ。仮にそうだとしても、『人に言っても信じてもらえないし、頭がどうかしてると思われる』ということで、申し出ないのかもしれませんからね」

 中学のカウンセラーであるS 先生に次いで、私達の経験を肯定してくれた人は、この管理人さんで二人目でした。私は早速、瓦版に載せるべく、原稿を書きました。主旨は次のようなものでした。

 「5月16日から、我が家で、玄関の灯りが急についたり、パソコンのモデムのコンセントが誰も触れていないのに引き抜かれたりするようになりました。5月末からは、家の中であらぬ場所からペンや消しゴム、薬やコップなどが凄い勢いで飛び、壁やふすまにぶつかります。同じような経験をされている方はお知らせ下さい」

 この原稿は、一旦、管理人さんに預けたものの、数日後、玄関ポストに、管理事務所広報部担当の方からお手紙が差し込まれていました。それは、この原稿の掲載拒否の手紙でした。

 「原稿を拝読致しました。内容から判断しまして、この文章を瓦版に載せると、マンションの住人の方々に恐怖心を煽ることとなりかねないと思います。申し訳ありませんが、原稿の掲載は見送らせて頂くことになりました。それよりも、そんなに物がご自宅の中で飛び交っている状況ならば、もはや『現象の科学的立証云々』を考えている場合ではないと思われます。一刻も早く、駅前の八幡神社にお参りなさって下さい。あの神社は、この町の守り神であると古くから言われております 広報部担当」

 結局、私の文章はマンションの瓦版には載らないこととなりましたが、よく考えてみると、当然のことだったのです。私の「体験談」は、現実的に見て「奇怪で珍奇で怖ろしい」内容でしかありません。このことをマンション中の人が読むと、ほとんどの世帯の人々は薄気味悪いと感じ、転居する人が後を絶たないでしょう。

 電気工事などに来る業者の人でも、驚くほどの世帯数を抱える大きなマンションですが、私の原稿が仮に瓦版に掲載されたなら、「幽霊マンション」という奇妙な噂が広まってしまい、売却して転居したいと考えても、その資産価値は下がることは明らかです。2000~3000人余りの人々が、マイホームとして購入したマンションを、売却するほどの値もつかないまま、泣く泣く手放すことになってしまう訳です。

 広報部担当の方は、それを憂慮したのでしょう。

 しかし、この広報部の人も、私の体験談を「虚実である」とは考えていなかったようなのです。その証拠に、「一刻も早く、八幡神社に参拝して下さい」と書かれてあったからです。多分、この担当の方には、こうした現象に関する知識が少なからずあったに違いありません。

 「もはや『現象の科学的立証云々』を考えている場合ではない」とこの人が書いたのには、きっと父が、管理人さんに「何とかしてこの現象の原因を探りたい。科学的に立証されるのならば、そうするつもりです」と話したことが元になっているのでしょう。

 私は、この手紙の「そんなに物がご自宅の中で飛び交っている状況ならば、もはや『現象の科学的立証云々』を考えている場合ではないと思われます。一刻も早く、駅前の八幡神社にお参りなさって下さい」との表現に、何かしら、怖ろしい危険が差し迫っているような、そんな切羽詰まった気持ちに襲われました。

 「もはや、悠長に構えているべきではない。こんな現象に、『科学的根拠』も何もあったものではない。土地の守り神に一刻も早く参拝せよ」―

 まるで、「呪い、悪霊、鬼、妖怪」が我が家を既に取り囲んでいるような、何か悪しき怨霊に祟られているかのような怖れを抱いたのです。

 しかし、結局は、駅前の神社にお参りはしませんでした。理由は、我が家に起きている現象の不気味さ、徐々に頻度や激しさを増す様子から察して、本能的に「神社にお参りしても、現象は収まらないのではないか」と感じたからでした。父も、積極的に参拝のことは言いませんでした。

 6月2日の夜中には、息子がまた「ベランダに誰かいる。小さい女の子みたいだけど」と言っていました。この頃から、公園から聞こえる幼女の声が、よく聴くと、我が家のベランダから聞こえるようになったのです。

 「ママ......ママァ......」

 時刻は AM3:30~4:00 でした。この幼女の、訴えるような、泣き声のようなか細い声に呼応するように、今度は大人の女性の「ウッ......ウゥッ......」と苦しげに呻く声も、ベランダから聞こえます。

 3日の同時刻頃には、息子は「ベランダに5,6歳の女の子がいるみたい。足音がする」と言いました。

 耳を澄ますと、誰もいるはずのないベランダで、小さな子供の往復するような足音が、カサカサと聞こえるのです。そのうち、その足音はベランダ隅の衣類乾燥機の上に登り、ベランダの柵の上から下へと飛び降りる気配がありました。

 その気配の後、物が夜中に転がったり、床に投げつけられる現象は、AM4:00 以降は不思議と収まったので、その日の晩は、皆、やっと寝入ることができました。

 4日の晩は、夕食後、皆でトランプをPM10:00~11:00 までやって遊びました。その後、「もう
寝るようにしよう」となり、息子はテレビに背を向けて、私と立ち話をしていました。その時、テレビボード左側の書棚から、何かが「ヒュッ!」と飛んで来て、ユタカが急に「痛っ!」と叫びました。

 床に落ちたのは、以前もありましたが、書棚にしまっていた、単2サイズの古い電池でした。この電池が、閉めたガラス扉から、息子の背に、凄い勢いでぶつけられたのです。

 日付が変わり、5日の0:30~50 の間に、ユタカが洗面所で口を洗い、リビングの扉を開けた直後、パソコンに向かっていた父の背後から、急にユタカの歯ブラシが飛び、彼の足元に「バシッ!」と当たって落ちました。

 「お前、今、口を洗ったばかりだろ?その歯ブラシは?」父がユタカに尋ねました。

 「えっ?いつも通り、洗面所の歯ブラシ立てに置いたよ」

 「そのお前の歯ブラシが、なんで俺の背後からお前の方へ飛ぶんだ?」

 父からそう言われても、ユタカもなぜそんなことが起きるのか分からないので、何とも返答できません。

 このやりとりの直後、今度は玄関土間に「カーン!」と細く鋭い音がしました。見ると、今度は私の歯ブラシが、洗面所から土間へと投げ飛ばされたのでした。

 このように、相次いで物が飛ぶので、その晩、父は更に警戒して、「今夜も寝ずにいるから。頑張るから、安心して、お前たちは早く寝なさい」と言い、午前4時頃まで起きていてくれました。

 5日の昼間は、全く平穏そのものでしたが、皆がリビングに集まっていた夕食前の PM6:05、いきなり現象がスタートし、それはPM9:45 まで、3時間半に渡り、ほぼ数分から10分置きに様々な怪異が起きました。

 まずPM6:05~40、息子の学習机の一番上の引き出しから、ドラクエの鉛筆、ネームペン、磁石セットとピンセットが次々とリビングの床へと飛んで来ました。引き出しからリビング床中央まで、4m はあるのです。また、学習机の左隅にあった、ピンクのキャップの鼻炎薬も、同様にすっ飛んで来ました。

 PM7:30、私と息子が布団を敷き詰めた子供部屋へ行き、落ちた物を引き出しにしまいこんでいる時でした。ユタカが「あっ!」と驚いた声を上げたので、私も思わず振り向きました。

 私達の目の前では、ティッシュボックスが宙に浮いていました。

 その箱は、息子の枕元に置いてあったものでした。間もなく、ボックスは、枕のそばから20㎝ ほど離れた布団にパサッと落ちました。

 「このティッシュボックス、急に僕の目の前で、ふーっと浮いたんだ」

 あまりの不思議さに、私は言うべき言葉が見つかりませんでした。仕方なく、黙ってそのボックスを、元通り、息子の枕元に戻したのです。

 このボックスは、PM9:20、今度は私と息子の目の前で、再びふーっと浮上し、1m 先の私の布団の上へと落ちました。

 パジャマが浮くのを数日前に見ましたが、今度はティッシュボックスが宙に浮いたのです。

 こんな異様な光景を続けざまに目撃すると、恐怖はもう痺れたかのように萎んでしまい、「これが日常生活なんだ」と感じていくようになってしまいました。後は黙々と後始末をするだけです。私は、「こんなことしても、無理だろうな」と思いつつも、宙に浮いたボックスをうんとへしゃげて、息子の布団の下に押し込んでおきました。

 2回目の「ティッシュボックス事件」の前、同日PM8:50 頃、夕食を終えた頃でした。私の右肩が、強く注意を促すように、強く「トントントン!」と誰かが背後から叩き、最後はぐいっと手で押されました。

 私は流しにいた母に、「ねえ、何?」と訊きました。母は、えっという顔で、私を振り向きました。

 「ねえ、今、私の肩を叩いた?」

 「まさか。お母さんは、ずっと流しにいたよ。本当に、肩を叩かれたの?」

 私の背後には、確かに、誰もいませんでした。息子は、私とはテーブルを挟んだ向かいの椅子を、テレビへと向きを変えて、その上に体育館座りをし、番組を観ていました。

 この直後の、PM8:55~9:11 までの間、また次々と物が飛んで来ました。

 学習机のやはり一番上の引き出しにあった、プロアクの箱が、4m 離れた電子ピアノの前に吹っ飛び、寝室の私の枕元にあった洗浄綿の箱が、6m は離れた食器戸棚の前にまで飛ばされ、亀の水槽近くに置いてあったセロテープ台から、セロテープが、2回も放り出され、3m ほど離れたリビング中央へと転がりました。

 2回目にセロテープが転がった時のことでした。息子が、そのテープを取ろうと、床に膝をついて手を伸ばすと、何と、セロテープは逃げるかのように、独りでにテレビの方へと、スーッと動いたのです。

 これは、父も目撃し、大変驚いてこう言いました。

 「今の、見たな!(私に向かって)お前も見ただろ?へえーっ!セロテープが自分で動くだなんてなあ!」

 PM9:45、この時も今までにない光景を目撃しました。

 私達は、まだリビングにいて、テレビをつけながら、先ほどまで起きたことを話していました。すると、寝室から、35分ほど前に飛んで来た、私の枕元に戻しておいた洗浄綿の箱が、リビング床へと飛んで来て転がったのです。

 察するに、枕元にあるのが、ティッシュボックスのように浮上して、ふすまの方へと寝室内で移動し、そしてふすまからリビング床へと吹っ飛ぶのだ、と考えました。その洗浄綿の箱は、再び枕元に戻しました。

 「また飛んでくるかしら」

 そう思い、何気なく寝室の方を見つめていました。

 すると、目の前のふすまのところに、戻したばかりの箱が浮いていたのです。あっと言う間もなく、その箱は、再びリビングへとぽーんと放り出され、床に転がりました。

 これで、洗浄綿の箱は、2回もふすまを曲がって飛んだわけです。ティッシュボックス同様、「どうせまた飛ぶんだろうな」と考えながらも、薄気味悪さで、さすがに額や背中が汗ばんでいましたが、その箱は、食器戸棚隣の細い整理戸棚の中へと入れてしまいました。

 ふと、数日前の、管理事務所広報部担当の方の手紙による警告が、私の脳裏をよぎりました。

 「土地の守り神に一刻も早く参拝せよ」―

 これだけ異様な経験に遭遇するというのは、「やはり神社でお祓いをしていないせいなのか」との不安が濃厚になってきたのです。それでも、矛盾したことに、私達家族には、ここまで怪異な現象を現実に目前にしながらも、「神社に参拝しても無駄じゃないのか」との印象が強まるばかりでした。(To be continued......)

 

 

2010年5月5日水曜日

第5章:異界の門―2―思春期の少年少女:part2―謎の迷路

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 「サイコキネシス、PK」(psychokinesis) という語は、聞いたことがあるな、と思いました。つまり「念力」のことだったわけですが、「超常現象=思春期=念力」と説明がなされても、あまりの非現実さに、信じることができません。

 「ポルターガイスト」が、既に私の日常の一部を成す「現実」であり、怪異な現象を目撃すると、それを「信じるな」という方が無理になっていたにも関わらず、今度は「念力」との言葉が、こんな非現実的な状況下においても、「非現実的だよ、あり得ないよ」と感じてしまうのです。

 もともと、私には「20代未満の人々」、いわゆる「成人に達していない子供」は、大人とは異なる存在だ、という認識はありました。

 特に、成長期の子供の1年間は、大人の10年間に相当する、と言われるほど、小学生から中学生にかけての子供たちの心と体、感受性や能力の発達には、大人では到底太刀打ちできない素晴らしさがある、と考えていました。

 しかし、そうした場合の「感受性や能力」というのも、現実世界の範疇で受け入れられるケースでした。

 例えば、幼少時や少年期に感動した映画、音楽、物語、または経験が、やがては成長するにあたり、その人の人格を形成し、信念や就く職業の原点となったりするものです。

 また、10代前後にかけて獲得した語学や音楽、絵画の実力は、大人になってからも心の財産となったり、ひとつの才能として花開くこともあるでしょう。

 人は誰しも思春期を経て、成長し、人生の路を辿っていくのです。

 家庭内に、思春期の少年少女がいる、ということは、だから、特に珍らしいことでは決してありません。そして、そうした時期の子供たちが不安定な心理状態なのは、どの家でも同様なのです。

 特に中学生の時期は、まだ幼い小学生の頃とは異なり、大人へと大きく飛躍する前段階であるため、成長ホルモンが分泌され、「もう大人に近い考え方もできるのに、体も随分大きくなったのに、周囲から子供扱いされる」といった不満やストレスも感じる、俗に「難しい」と言われる年代でもあります。

 その「難しい」、言い換えれば非常に「感じやすい、ナイーブな時期」に、不登校という落とし穴に落ちる子供も最近では大変多くなっています。

 「不登校」というのは、よく誤解される言葉ですが、「学校をさぼりたくて、行きたがらない」状態といった「不良」のイメージは間違いであり、本来の意味は、「学校に行きたいのに、行こうとすると、吐き気や頭痛がする。だから行けなくなってしまう」という、一種の病的状態なのです。

 その背後には、いじめや、それにより起こる抑鬱状態なども隠れているため、家庭内療法や、カウンセリング、といった人的支援が必要となるのです。

 2008年の3月21日から5月15日までは、自分の子供に対しては、そうした「不登校」の問題が大きく、そのため、「家庭内療法」として、「学校・勉強、といった言葉をタブーにする、復学を焦らせない」などの心遣いで心身共にくたびれていました。

 そうした矢先に、いきなり「ポルターガイスト現象」が起こったのです。

 その現象が「思春期の少年少女の周辺で起きやすい」という説は、「感じやすい時期だから」と、何となく分かったような気になる一方で、「思春期で不登校の子供は、うちだけじゃないのに、どうしてこんなことが起きるのか」と、逆に不可解な疑問が次々と湧き起こるばかりでした。
 
 特に「その人物が無意識的に用いてしまう念力、サイコキネシスによるもの」との説が、全く訳が分かりません。

 理屈は分かっても、「自分の子供に念力などあるなんて、そんな馬鹿な。もし本当だとしても、なぜそんな能力を有しているのだろうか」と、首を捻るばかりです。

 現実には、「物が独りでに飛ぶ」という「超自然的現実」を経験していても、また別の「超自然的な原理」の説明を読むと、それがとても信じられないのでした。

 結局、謎解きをしようと試みても、あまりにも「非現実的」な話なので、「思春期の子供に念力を有する者がいると、ポルターガイスト現象が起きる」との説は、私の頭の中でうやむやになったまま、うまく消しゴムで消し切れない形で、漠然と取り残された形となりました。

 6月1日の午前中は何も起きませんでしたが、午後2時10分頃、私は、母と息子と3人で、昨夜起きたことや、「もうすぐおじいちゃんが来てくれるから」と話し合っていました。

 すると、リビングの床に、「カツン!」と何かまた落ちる音が響きました。それは、息子のDS 用の青いタッチペンでした。

 この現象も、これまでとは異なっていました。

 このタッチペンは、テレビボード左の、一番上の書棚に置いてあったものですが、その書棚のガラス扉は、閉まったままだったのです。

 つまり、このタッチペンは、閉まったガラスをすり抜けて、床に飛び、転がったわけです。

 この数分後、いきなり「ガン!」と固く、重たい音が背後で聞こえました。

 「わっ!何?」

 3人で振り向くと、今度は単2サイズの古い電池が床に落ちていました。

 これも、先ほどのペン同様、同じ書棚の閉まったガラス扉の中に、置き場所がないからと置いておいたものです。ガラス扉は、何事も無かったかのように固く閉ざされていました。

 「また書棚から飛ぶかも知れないけれど」と思いながら、片づける場所が思いつかないので、その場はとりあえず、電池は書棚の扉を開け、中に戻しておきました。そして、マグネット式のガラス扉をカチャリと閉めました。

 「書棚のケースを開けた形跡もないのに、あんな重い物がガラスをすり抜けるなんて―」

 それから約10分後、PM2:26、息子の背後で「ヒュッ!」と何か飛ぶ気配がし、また床に投げ落とされる音がしました。

 皆で振り向くと、今度は洗面所にあった、母の歯ブラシが、ピアノのそばに落ちていたのです。

 「洗面所から、こんなピアノの所まで飛んだのか―」

 昼間でもこうなると、いよいよ心細く、私達は父の到着を待つばかりでした。

 「ポルターガイスト」に関して、ネットでいろいろ情報を集めても、あまりにも「超現実的な」解説に余計に不安が増しますが、なぜか調べずにはいられない心境でした。

 結局は、「こういう不思議なことに解決はつかない」と感じながら、私は謎の迷路をただ「ああでもない、こうでもない」とさ迷うばかりでした。(To be continued……) 

第5章:異界の門―1―思春期の少年少女: part1―現象の震源地とは

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 目の前でパジャマが勝手に持ち上げられ、それが宙を舞うなどということが本当に起こるとは、全く予期していなかったことでした。

 従来の私は、マジックショーなどの番組が好きで、マジシャンの手からトランプが次々と現れたり、布をかぶせると手から炎が立ち昇り、またそれに帽子をかぶせると、鳩が無数にはためく―といった、派手なマジックが好きでした。

 姉は、トランプやコイン等を用いたマジックが好きで、そちらの方が、人の心理の隙に入りこんで「あっ」と言わせるマジックでも、ずっと高度なテクニックを要するから好きだ、と言ってました。私が好むタイプは、仕掛けが見え透いていて、面白くない、と言うのです。

 「よくそんな子供じみたものに夢中になれるよねぇ」

 私が学生の頃、姉は呆れたようにこう言ったものでした。

 しかし、私はマジックを鑑賞する際の精神年齢など気にも止めませんでした。

 「もう、黙ってて。仕掛けがチャチでもいいの!あっと驚く瞬間が楽しいんだから」

 「あたし、仕掛け分かるんだけどな」

 「いいってば!言わないで!せっかくのマジックがつまらなくなっちゃうよ」

 しかし、このパジャマの異変の仕掛けは一体何だったのか?

 いくら派手なマジックが好みと言っても、この「パジャマ現象」に関しては、トリックは絶対知りたくない。これが私の正直な感想でした。それに、この「現象」は、決してマジックではないことは明らかでした。

 この現象の「トリック」を知ることは、現象の背後に潜む不気味な謎を現実に目の前に突きつけられることになる、と分かっていたからです。そして、その謎を解く鍵は私達には決して与えられない、としか思えなかったからです。

 また、物が飛ぶ瞬間を目撃してしまった、ということは、もはや、この世にあり得ぬ「異界の門」の扉が、私達の心情や意向など無視しながら音も無く開き、わが家の中にひっそりと佇んでいるかのようでした。そして、その扉はとてつもなく大きく、頑丈でありながら掴みどころがなく、永遠の深い闇へと私達を吸い込んで行くかのように思われました。

 しかしその吸い込み口は、不規則に開閉し、その大きさも、徐々に口元をすぼめるように開きつつ、奇怪な空気を私達に吹きかけたり、異様な世界を垣間見せたりしているのです。

 そのようにして、「正体不明」の案内人は、我が家を少しずつ黒い影で覆い、現実世界から隔てようとしている―そんな印象が、この6月になって更に強まりました。

 日付が6月1日に変わった午前0:30、私と母と息子とは、寝室のふすま付近で、「どうしてこんなことが起こるんだろう」と話し合っていました。

 すると、何かが部屋の隅(テレビボードの左側)に置いてある電子ピアノの方から、「ビュッ!」と激しい勢いで私の目の前をかすめるように飛びました。

 「キャーッ!」

 私は思わず悲鳴を上げました。それは、テレビボードの右隅(リビングのドア近く)の亀の水槽の後ろに落ちました。落ちたのを見ると、母の便秘予防のスティック状の粉薬でした。このスティックは、テーブルの上に置いていたのです。

 「今の、凄かった......テーブルの上に置いていたのに、ピアノの隅からねぇ―飛び方が凄かったよね」私は、母と顔を見合わせました。

 その薬は、「飛ぶのが嫌だから」と、テーブルの上のタオルの下に押し込みました。ユタカが、髪が痒いと言うので、私は台所の流しで、彼の髪を洗ってやりました。

 息子は、パソコンデスクの前で、櫛で髪をときながら、私と話をしていましたが、また何かが、彼の背後をビュッと飛び、テレビの前に置いたラジカセのすぐそばに落ちました。

 それは、つい5分前に、タオルの下に押し込んだ、やはりスティックの薬だったのです。

 もう、「飛ぶのを阻止しても無駄なんだな」という感じになっていたにも関わらず、それでもやはり、何かが飛ぶと、それを「飛ばないように」と、どこかに押し込んだり、しまいこんだりしたくなるのでした。

 それからほんの8分後のAM 0:43、息子が「もう眠たい」と、髪は半乾燥のまま、食卓のテーブルの上に顔を突っ伏していました。

 すると、突然、「ガーン!」と凄まじい音がしました。テーブルのほぼ中央に置いていた、母や私が使うコールドクリームの瓶が、急に吹っ飛び、斜め左の電子ピアノの下にぶつかって落ちた音でした。

 「ああ、びっくりした…!僕、顔をうつ伏せにする前、あの瓶があるな、と漠然と思って、しんどいから突っ伏したんだよ。その途端、目の前からあのクリームの瓶が消えて、あんな向こうにすっ飛ぶんだもの」

 実際、飛んだ距離は、やはり5.5mほどでした。

 またそれから2分ほどして、洗面所は怖いので、台所に移していた歯磨きで、私が口を洗おうとした時です。歯磨きのキャップを外し、歯ブラシに歯磨き粉を練り出していたら、それまでじっと動かなかったキャップが、急に「コトン」と、台所の赤いタイルの上に落ちました。

 AM0:48 、私が母と話しながら、リビングで就寝前の薬を飲もうとしていたら、再び背後で何かが「コーン!」と落ちる音がしました。見ると、ユタカのアトピー用の使い古したチューブが落ちていたのです。

 これは、息子の枕元の、薬入れの小箱に入れていたというのに、何とリビングのドア近くまで飛んで来たのです。

 この「アトピーの古い薬」が、異変が起きるようになって、最も長距離を飛んだことになりました。さして広い家でもありませんが、それでも息子の枕元からリビングのドアの下までは、10mはあるのです。

 ここまで、6月1日の午前0時を過ぎてから物が飛んだのは、ほぼ2分から5分おきでした。

  AM0:58、私はいつもの習慣で、寝る前のワインを出そうと、流しの下の物入れに近寄りました。すると、また何かが「コトン!」と落ちる音がします。

 リビングを見回すと、さっき飛んで来た「長距離飛行」の古いアトピーチューブが、今度は亀の水槽近くに転がっていました。このチューブは、やはり「飛ぶのが嫌だから」と、息子の枕元の小箱に元通り、しまって蓋をしておいたのです。

 「なんでこればっかり、10mも飛ぶの?」

 私はこの古いチューブが気色悪くなり、「もう薬も残ってないから」と、台所隅のゴミ箱の下の方へと押しやりました。思いっ切り押しやったのは、「もう飛んできませんように」という願いをこめたからでした。

 AM1:04、ワインを出して、コップの用意をしていたら、また床に物が落ちる音がします。振り向くと、今度はユタカのアトピーの新しいチューブが、リビングの中央に落ちていました。

 まるで、「古いのをゴミ箱に押し込んだから、今度は新しいのをどうぞ」と言わんばかりでした。息子は、AM0:50 には安定剤で毛布にくるまって、いつもの癖で、壁際を向いて寝ていました。

 私は、2週間ほど前に、管理人さんから「こういう家の中のことは、案外子供さんの悪戯ってこともあるんと違いますかね」という言葉が引っかかっていましたが、何か異変が起こるたびに、物が飛んで来る状況において、息子は関係のない位置にいるか、眠っているかなのです。

 枕元の物がリビングへと飛ぶ、というのも、息子がまず疑われそうではあります。しかし、彼が本当に物を投げていたのなら、その気配や動作は、私や母の視界に必ず入るはずです。なぜなら、息子の枕元から物が飛ぶ場合は、私はすぐさま振り返っているからです。何かを投げたのなら、彼が腕をごそごそと引っ込める仕草が目に入ったことでしょう。

 しかし、どんな場合でも、空気さえ止まったかに思われる深夜に、ただただ、「物だけが飛ぶ」のです。張り詰めたガラスのような暗闇を突き破って、激しく動くのは、誰も手に触れていない「小物」だけでした。

 新しいチューブが飛んで6分後のAM1:10、私はトイレに行きました。 息子と母が寝ている寝室に戻ると、「コトッ」と音がしました。

 見ると、ユタカのアトピー用のプラスチック製の小瓶が、私の枕元に転がっていました。それは青い蓋で、中身はチューブ薬を伸ばすローションでした。これも、きちんと蓋をした、息子の薬箱に入れてありました。

 なぜ蓋がしまったままの箱から、色々と薬が飛びだすのでしょうか。

 その後、私は布団に就きました。が、なかなか眠れません。仕方ないので、いつものようにワインを飲んで、気持ちを落ち着けるために、イヤホンでMDのクラシックを聴いていました。時刻は午前2時でした。

 もう何も起きない様子だったので、「今夜はこれ以上何もないかも」と安心していた矢先でした。突然、寝室の閉め切ったふすまの外部に、何かが投げつけられたかのように「ゴン!」と凄い音がしました。私は「また何か飛んで来たのか」と、ふすまを開けました。

 よく見ると、私の足元には、子供のアトピーのチューブが落ちていました。

 しかし、そのチューブは、ほぼ1時間前に、6分ほどの間隔で2回も飛び、気色悪いからと台所隅のゴミ箱に深く押し込んだ、例の使い古されたチューブ薬だったのです。

 「なぜ、他のゴミよりもずっと下に押し込んだ、このくしゃくしゃに折れ曲がった薬がふすまに投げつけられたんだろう―?」

 チューブやスティック状の薬が、「捨てても飛んでくる。タオルの下に押し込んでも飛び出してくる」といった、これら一連の現象の執拗さに、私は闇からの深い怨念めいたものを感じ、ぞくりとしました。

 それから10分後 (AM2:10)、連続モードにしていた私の枕元の扇風機が、スイッチが勝手に「カチリ」と止まってしまいました。タイマーも何もしていなかったのに―

 そして、その直後、例のパジャマの件が起きた、というわけです。

 私は、なぜこうした不思議な事柄が起こるのか、慄いていても仕方がないと思いました。しかし、いきなり「お祓い」や霊能者関係に片端から当たる、ということは、その効果のほども分からないため、とりあえず避けていました。そこで、ネットの百科事典として日頃から愛用している Wikipedia で調べてみました。

 「ポルターガイスト」と入力すると、「ポルターガイスト現象」という語が表示されました。

 そこには、こうした現象が欧米だけではなく、日本の江戸時代、そして20世紀末、岐阜県の富加町でも起きたことが記されていました。私は、この事典の記述により、富加町の事件や、30年間ポルターガイスト現象に苦しんだという作家、佐藤愛子さんのことを知りました。

 しかし、私が最も驚いたのは、この現象が、「思春期の少年少女が家庭にいる場合起こりやすい」と説明されてあったことでした。Wikipedia では、次のように記載されていました。

―超心理学的解釈

 ポルターガイスト現象は「通常では説明のつかない現象」ともされる。

 超心理学では超常現象として扱っている。 ポルターガイスト現象は、思春期の少年少女といった心理的に不安定な人物の周辺で起きるケースが多いとされており、その人物が無意識的に用いてしまう念力(反復性偶発性念力 recurrent spontaneous psychokinesis RSPK)によるものとする説もある。

 つまり、そういった能力を有する者が無意識的に物を動かし「ポルターガイスト現象」を発生させてしまう、とする考え方である。

 例えば富加町のポルターガイストでは、超心理学研究者の小久保秀之は「(地磁気の異常が脳に作用して)無意識的な念力現象が起こっているのではないか」との仮説をあらかじめ抱き調査用の測定器を準備した(但しその仮説は調査後に見直すことになった)―

 こうした説明を読むと、にわかに信じがたいことではありますが、我が家の状況を思い起こすと、当てはまる部分がないわけではありませんでした。

 息子は、13歳半年にも満たず、ちょうど思春期の前半であり、「ただでさえ不安定な思春期」の最中に、いじめにより「不登校」という、本人の意思では解決できない苦しいジレンマに日夜苦しんでいたからです。

 しかし、なぜそうした年頃の子の周辺で、奇怪な現象が起きるというのでしょうか。人間は皆、生きている以上は、何らかの不安はつきものです。なぜ「思春期の子供」が取り沙汰されるのでしょうか。(To be continued…)

第4章―現象の乱舞―2―飛び交う小物:part3―持ち上げられるパジャマ

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 扇風機は、風を送る向きとは全く別方向の、整理タンスの方向を向いていました。

 物が飛ぶことには、その時は一瞬ギクッとしますが、数回そんな経験を重ねると、不思議と慣れてしまうのです。何も好んでこんな経験をしているわけではないのは当然であるものの、当時の私達家族にとって、「恐怖への耐性」ができたことは、「不幸中の幸い」としか言いようがありませんでした。

 それでもなお、この扇風機の一件は、私を救い難い恐怖の奈落の底へと付き落としました。

 小物が飛ぶことを、既に経験しているのなら、扇風機が独りでに角度を変えたことぐらい、もう慣れっこになってしまうんじゃないのか―

 論理的に考えると、この件も、一連の現象の一部に過ぎないように思われます。

 しかし、超常現象のさなかにおいては、まず物事を論理的に捉えることは不可能です。現実の理解の範疇を超えた奇怪な出来事を目前にして暮らすことが「日常」となった場合には―

 あることは、いつもの事として、何とかやり過ごせるが、また違ったことが起きると、足元がすくんでしまう。こうした激烈な感情の起伏が、目の前の現象に対して湧き起こるのは、もうどうしようもありません。

 扇風機が「カタカタカタッ」(ユタカには「ギギギギッ」と聞こえた)と音を立て、自ら方向転換をした。このことは、私にとって、「新たな怪奇現象」でした。

 まるで、会社などの新人研修のように、最初は何でも難しく、自分にはこなせないような仕事に思われていたのが、後になってみると「なぜあんな簡単なことを大変に感じていたんだろう」と笑う日も来るように、この超常現象の「日常」においては、「全く予想外の現象」を、とてつもなく「怪奇かつ異怖」であると捉えることが、日々積み重なります。

 しかし、それらは後になってみると、「あれはほんの序の口だった。まだまだ本番が待ち構えていたんだ」と思われることに過ぎない「怪奇現象の日常の一部」となってしまうことが、6月から8月にかけて、理解できました。なぜなら、想像もつかない異常な現象が2008年の夏真っ盛りに、私達家族を襲ったからでした。

 そして、この5月31日から激化した「物が飛ぶ」現象は、日が経つにつれて、「ある一定の時間だけ、数分置きに起こる」ということが分かって来ました。それでも、そんなことは、31日の昼間の時点では把握できなかったのです。

 扇風機が向きを変えたのはこの日の午後、PM12:40 でした。その後、PM12:57頃、急にペンのような物が食卓についていた私の背後で「カツーン!」と落ちる音がしました。

 振り向くと、母が愛用している花柄のペンが、リビングの中央に落ちていました。リビングの中央には、もう一台、寝室と同じような、白い、やや大きめの扇風機を置いていましたが、ペンの落ちた場所は、その扇風機のコードのそばでした。

 どこにそのペンを置いてあったのかは分かりません。しかし、人は、小物を、すぐに落ちたり、転がったりする場所には普通置きません。ペン立てがあるならそこに、テーブルならそこに置きます。

 よく考えてみると、この花柄のペンは、母が、使い勝手が良いように、食卓背後の電子レンジ左横の、整理ケースの真ん中の引き出しに入れていたものでした。

 その整理ケースは、10日ほど前、明け方、やはり真ん中の引き出しが、いつの間にか大きく前に引っ張り出されていた、例のケースでした。そのケースは、今回はきちんと閉まったままでした。そうなると、ケースが閉められた状態で、その中から花柄のペンが、4m は飛び、転がったことになります。

 それから3分後、PM1:00頃のことでした。その時には、息子は起きてきて、遅い朝食の食卓につこうとしていました。すると、また、すぐそばで、何かが落ちる音がしました。

 何が落ちたのか、テーブルの周囲を見回すと、以前も飛んだ口内炎の薬「デンタルピルクリーム」が、飼っている亀の水槽の横に落ちていたのです。

 この口内炎の薬は、いつもは、食卓の壁際、コンビニで買った折り畳み式ポータブルチェスの箱のそばに置いてありました。一方、亀の水槽は、食卓とは相対するテレビボードの右横にある、ピアノのキーボードの右端に置いてあります。

 チェスの箱から、亀の水槽までは、4.5m は離れています。その距離を、私達家族が気がつかないうちに、薬が宙を飛んだわけです。

 更に、その26分後、私は日頃から書き溜めた「怪奇現象」に関するメモをクリップで止めて、家族の寝室にしてある子供部屋のタンスの上に置きに行きました。

 すると、リビングで、再び、ペンのような固い物が、「カツーン!」と落ちて転がる音がしました。何が落ちたのかと、リビングに引き返し、探してみると、寝室のふすまの裏に置いてあるカシオの電子ピアノの椅子の下に、黒いボールペンが落ちていました。

 このペンも、落ちる前は、食卓か、パソコンデスクの上にあった、と覚えています。そこからピアノの椅子の下までは、約3m~4m 離れています。この時の、ペンが落ちる音は、激しく、腹を立てて床に叩きつけるような勢いがありました。

 私は今気がついたのですが、亀の水槽そばに薬が転がった時も、このボールペンが投げ飛ばされた時も、「飛び方」が今までのパターンと異なり、真っ直ぐではなく、斜めの方向に飛んでいた、ということです。

 つまり、徐々に「現象」の勢いも、飛ぶ角度も多様になってきたということであり、それはすなわち、「現象がエスカレートしてきた」証だったのではないでしょうか。

 またそれから約30分後の PM1:55 頃、ユタカは吐き気がする、と言って、また布団にもぐりこんでしまいました。

 この頃は、13歳と4カ月、身長は伸びていましたが、体重が激減し、ほんの34キロほどしかなく、痩せて痛々しいほどに手足が棒のように細くなっていました。食欲も湧かず、すぐに胸やけが起こるのです。

 以前、この痩せ方をスクールカウンセラーの先生に報告すると、とても驚かれました。

 「あまりにも痩せていると、内臓や脳に障害が起こる事があるんです。内科でせめて点滴でも駄目でしょうか」とおっしゃるのですが、私は「痩せ過ぎて、血管に点滴の針が入らないんです」と答えました。現在のところ、障害は起きてはいない様子でしたが、「このまま痩せて行ったらどうなるんだろう」と不安でたまりませんでした。

 外出もせず、息子がすることは、大半はDS のゲームでした。それでも、たまにパソコンで、私と『ハリー・ポッター』シリーズのDVD を見て笑うと、ほっとしたものです。カウンセラーの先生は、「不登校の子供さんには、『ハリー・ポッター』は人気が高いんですよ」と言われました。

 私は、あの映画は魔法使いの映画、魔法学校の作品だから、不本意にもいじめなどで登校できなくなった子供たちの、夢と理想をつかの間実現してくれる映画なのだろうと思い、それが却って辛くなったものでした。

 息子は布団に入ると、大抵、壁際を向いて寝転びますが、その時、何か重い物が「パサッ」と倒れる音がしました。変に思い、寝室に入ると、すぐさま、私の枕元に置いていた扇風機が、私の布団の方へと倒れているのが目に入りました。

 これも異様な出来事でした。

 息子が寝室に入る際、真っ直ぐに布団にもぐりこんだ様子は私が見ていました。もし息子が扇風機にぶつかって、それが倒れるとしても、そんな状況は有り得ません。

 私の枕元の扇風機は、息子の布団からは2mは離れた、整理タンスの前に置いてありました。こうなると、再び、扇風機が勝手に動いて、私の布団へ倒れたことになります。

 私は、扇風機がほとほと嫌になり、リビングの、背の高い方の扇風機のそばに並べておきました。

 この扇風機や、ペンが飛ぶ事件に対し、私は、以前、玄関の灯りが独りでについた時のように、「何者か」の存在を強く感じました。明らかに、訳は分からないが、「誰か」が故意に、物を動かしているのだ、それも悪戯心や、悪意、敵意を持って。

 この5月31日の午後は、それ以降、記録がありません。何か小さいことがあったのかも知れませんが、私のメモには一切記されていませんでした。しかし、メモにばかり書くのも大変なので、6月1日から、ノートに表を作り、書くようになりました。

 31日の午後、母は父に、「いきなり物が夜中も昼間も飛ぶようになった」と連絡しました。

 父は非常に心配して、「明日の1日にまた泊まりに来るから。それで、二人でマンションの管理人さんに相談しよう」と言いました。母は、「他人に言っても、信じてくれるかしら」と不安げでしたが、父は、「この際、誰かに相談しなけりゃ、何も進展しないじゃないか」と言い、断固として決意を曲げませんでした。

 そして、6月1日を迎えました。

 この日も、まだ夜中は私、息子、そして母の3人きりです。夜中じゅう、ほぼ1,2分から5分置きに物が飛びましたが、この晩、私が最も唖然となったのは、パジャマでした。

 パジャマがどうしたのかというと、息子と母の布団の間に置かれていた子供用のパジャマが、私の目の前で、まるでマジックのように、クイクイと「透明な指先」でつままれたように上下に動き、そして突然、ベランダの前を覆うカーテンの右隅へ「ビュッ」と飛んだのです。

 今までは、「物が飛ぶ」現象を目の当たりにしたことは一切ありませんでした。これが、私が「物が飛ぶ瞬間」を目撃した最初の経験となりました。(To be continued……)