2009年10月30日金曜日

第3章:ポルターガイストの出現―1―壁の音 : part2

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 たいてい、夜中の0時以降、数分間、小さな、しかしはっきりと聞こえるような、「コン、コン、コン......」という音がしていました。

 我が家のすぐ階下の5階には、30代半ばの一人暮らしの男性が住んでいました。

 その人は、些細な音に大変敏感で、神経質な人でした。

 まだ息子が小学1年だった6~7歳頃、風船をつつきながら、リビングの上をはしゃいで歩き回っていた時です。今は改装しましたが、当時はリビングに、カーペットを敷いていたので、小さな子供の足音など、そんなに響くわけでもないのに、その男性は、夕方の4時頃、「ピンポーン」と呼び鈴を鳴らしました。

 「足音が騒がしいんですけれど」

 その時は、「そう騒いでいないのに、神経質だな」と思いつつ、「まだ子供が小さいので、申し訳ありません」と謝りました。

 しかし、夜10時頃にも、呼び鈴を鳴らしに来たことがあります。息子はもう、すやすや寝ていました。その時には、母が応対に出て、「うちは子供はもう寝ていますよ。ほら、部屋の明かりも消しているでしょう」と説明すると、その男性は恐縮した様子でした。

 「すみません。私は、最近、どうも神経がおかしいので......」

 そう言って、非常階段を降りて行く足音がしました。それでも、時折、我が家の物音が「うるさい」と感じたのか、ある時などは、その男性がまた来て、呼び鈴は押さずに、玄関の扉の外側を「バーン!」と蹴って行ったことがありました。朝になって確かめると、男性の靴跡がはっきり残っていたのです。

 それほど、神経質であるし、迷惑なほど物音も立てずにいるのに、人の家の玄関を蹴飛ばすほどの人物だから、夜中の「天井をコツコツ叩く音」は、階下の男性がやっているのだろう―ずっと、そう思っていました。

 父が来た時も、その音は、階下から聞こえるように感じました。私と母は、「下に変な人が住んでいるから、きっとその人かも」と説明しました。

 しかし、父は、こうも言いました。

 「マンションみたいな集合住宅は、何メートルも離れた家の音が、反響して聞こえてくることがあるんだ。反響音というのがあってね。ここは山に囲まれているから、余計に響くんだな。戸建ての住宅街でも、2キロも離れた家の物音が聞こえたという例もあるんだから」

 それでも、その音は、よく耳を澄ますと、何か細く長い棒の先のようなもので、細かく小刻みに音を鳴らし続けているのです。

 しかも、父が来てからは、その音は明瞭に、ますますスピードも上がっていることが判りました。父も、不思議だと首をひねり、「天井を叩くのに、こんなに素早く叩き続けるかな。いたずらにしても、奇妙だ。こんな念入りないたずらを、夜中にするなんて、よくまあ疲れないもんだ」と不審がりました。

 そのうち、ユタカが気がつきました。

 「あっ!これ、棒の先なんかじゃないよ。指でやっているんだよ。ほら、指だとさ、こうやって、タタタタタタタタタッと打ち鳴らせるもんね」

 そう言われると、確かに指で叩いているのだ、ということになぜ気がつかなかったのだろう、と思いました。

 そして、その「階下の天井を叩く音」は、よくよく聞くと、天井ではなく、我が家の、ベランダに面した二部屋を仕切る、壁の中から響いてくることが、はっきり判りました。

 その仕切り壁は、厚さは10cm ほどです。

 そんな中に、どうして人間が入れるでしょう。

 私は、父が一旦大阪の実家に戻った5月22日のメモに、こう書き残していました。

 「AM 1:30~2:40 下?の方から壁か天井を素早くコツコツと叩く音が続いた。(いつにも増して、音が大きく、1時間半近く続いた。)このコツコツという音は、5月16日以前にも、たまにあったが、16日以降、夜半の1:30 頃から毎晩のように30分以上続くようになった。=不思議な現象が起こる時間帯とほぼ同じ=しかし人為的な感じ、誰かが人を困らせようといたずらしてる感じで、こちらが壁を叩き返すと、また返事のように、コツコツ始まる」

 こんな変な内容の記録が一体あるでしょうか。

 しかし、「夜半のコツコツという音」は、完全に壁の中から聞こえるのです。そして、私が試しに、拍子をつけて、「コッココ、コンコン、コンコン」と手の甲で叩くと、全く同様に、同じ拍子で隣室の壁を叩く音がするのです。

 もちろん、家族全員は、子供部屋に集合しており、隣室には誰もいません。こんな事実を、もし警察や管理人さんに話しても、一体誰が信じてくれるというのでしょうか。

第3章:ポルターガイストの出現―1―壁の音 : part1

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「いいえ、お金が目的じゃないみたいなのよ」

 こう言う母の声で、私は昼過ぎに目を覚ましました。母は、父と電話をしていました。

 「え?警察?......管理事務所?そうねえ......」

 私は電話を終えた母に尋ねました。

 「何?警察って?お父さん、なんて言っているの?」

 「あのね、お母さん、今日から泊まりに行くのは止めたよ。代わりに、お父さんがこっちに泊まりに来てくれるって。それでね、今度のことは、あまり続くようなら、警察や管理人さんに相談すべきだって」

 「へえ......どれくらい、泊まってくれるの?」

 「一応、ある程度、騒ぎが鎮まるまでだって」

 私には、この正体不明、原因不明の「騒ぎ」が、一時的なものであるとは、思っていませんでした。それに、父の非常に現実的な性格を知っていた私は、「警察」「管理事務所」という言葉が出てくるのは、当然だと思いました。

 父は、その日の午後に、3泊ほどの用意をして、すぐに駆けつけてくれました。私や息子を見ると、ホッとしたように声をかけました。

 「おー、元気だったか。大丈夫、大丈夫、オバケだろうが、泥棒だろうが、お祖父ちゃんが退治してやるからな」

 70代半ばではありますが、未だに意気盛んな父は、友人が多く、人との交流を楽しみ、趣味の日本史を活かして、近畿地方を中心に、歴史的名所を案内する活動をしていました。

 すぐに夕方となり、久しぶりに家族揃っての夕食の準備の最中だったと思いますが、この時にも「変だな」と感じることがありました。

 テーブルの端の方に置いていた、ポケットティッシュとハンカチとが、誰も触れていないのに、勝手に「パサッ」と音を立てて、床に落ちたのです。
 「今、ここに置いてたティッシュとハンカチが独りでに落ちたんだけど―」

 「テーブルの隅に置いているなら、そんなことよくあるだろう」

 父がこういうと、なるほどそうだな、と、その時は特に気に留めていませんでした。

 夕食後は、1時間半ほど、皆でトランプをして遊びました。ユタカは、久しぶりにお祖父ちゃんと会えて、嬉しかったのでしょう。よく笑っては、冗談を飛ばしました。私は久々の家族の歓談を、デジカメに収めました。

 しかし、この時の写真も、また後に撮った写真も、「不吉だ」ということが後で分かり、結局削除してしまいました。

 午後の11時過ぎには、テーブルを食器戸棚(テレビボードと向き合う方向)へと押しやり、そのリビングのフローリングに、蒲団を敷いて、父に休んでもらうことになりました。

 その日19日の晩から、翌日20日にかけてのメモは、現在見当たりません。まさか、こうした一連の不思議な現象が、その後、約半年にも及んで続くとは予想もつかなかったので、何か事が起きると、その辺にある広告の裏や要らない紙を使って、メモしていたのです。

 きちんと1冊のノートに書くようになったのは、6月に入ってからのことでした。それでも、20日の晩は、やはり灯りがつくなどの異変は、確か起きたように記憶しています。

 ただ、父が泊まりに来てくれた19日から22日の晩の間に、「これは尋常ではない」ことが明白になった事柄がいくつかあります。

 その一つは、「壁の音」でした。

 5月19日以降の異変以前、多分、3月か4月頃だったと思いますが、その頃から、どこからか、下の階の人が天井を叩くような音がしていたのです。

2009年10月14日水曜日

第2章:悪夢の始まり―3―モデムのコンセント: part4

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 この騒ぎで寝ていた母が起きてきました。息子は、「しんどい」と言って、子供部屋に横になりました。

 私は、全く一睡もしていませんでしたが、頭は不思議なほど、冴え冴えとしていました。あまりに奇異な出来事のためだったのでしょうか。

 母に、この晩の3時半から4時に至るまでの出来事を、一部始終、台所のテーブルに座り込んで話しました。

 母は、5月19日から1泊で、実家に独り暮らしの父の所に用事で出かける予定でしたが、私は心細くてたまりませんでした。

 「ねえ、日帰りで帰って来て」

 「それなら、ここ4日間のことを、メモに書いてちょうだい。それをお父さんに見せるから」

 母がそう言うので、私は、午前4時半頃から、台所のテーブルで、灯りをつけて、メモを急いで書き始めました。

 モデムのコードは、メモを書く前に、気色悪いので、コンセントから抜いておきました。

 普段、大きな字を書く私の字が、恐怖のためか、変に歪み、異常に小さく縮こまっていました。母は、このメモは読みにくいから、別の紙に清書すると言いました。

 もう小鳥のさえずる声が聞こえてきます。時計を見ると、午前5時半になっていました。私は、母の書いたメモを、一緒に読みました。

 「何て言うかな、お父さん、このメモ読んで」

 「そりゃ真理子やユタカのことを心配するでしょうけどね。誰かが侵入しているんじゃないかって......」

 「私は、誰かが外から侵入しているって感じはないんだけれど......だって、誰も入り込んだ形跡ないでしょう」

 「そうねえ。でも......変ねえ」

 もう午前5時40分でした。ひとしきり、母とこんな話をし、私は、ふとモデムを振り返りました。その途端、ギクッとしました。

 「キャーッ!」

 モデムが、再びチカチカと光っていたのです。

 ほんの1時間前、気色悪いからと、抜いたモデムのコードは、再び、コンセントに差し込まれていたのです。

 灯りをつけて、私と母だけで、台所にずっといたというのに、背後で「誰か」が「故意にモデムのコードを手に取り、コンセントに差し込む」という、いとも不気味な行為を行っていたのです。(To be continued......)

第2章:悪夢の始まり―3―モデムのコンセント: part3

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 ユタカがその話をしている時間は、ほんの5分間程でした。その間、私の寝室のふすまは開けたままでした。

 この話をし終えた後です。ふと息子がふすまから台所を覗き、「うわっ!」と驚いた声を上げました。

 「どうしたの?」

 「モデム、見て!また光っている!何で?」

 私も驚きました。さっき、20分程前に消えていたモデムが、チカチカと光り始めていたのです。

 息子は、モデムのそばに近寄りました。

 「お母さん、ちょっと来て!ほら、僕がさっき、モデムのコード、抜いた状態にしたのを見たよね?なのに、ほら、コードがコンセントに差し込まれているじゃない!」

 確かに、モデムの「電源、LINK, LAN LINK」などと書かれた各所が光り、コードは元通り、差し込まれていました。

 しかも、一旦、コードをコンセントから抜いた後、差し込んだ直後の様子で、モデムは一番上の「電源、LINK」辺りまでが、チカッチカッと光り出している状態でした。

 ユタカは、午前3時半、通信を止めるため、モデムのコードをコンセントから抜いたのです。それは私も確認済みでした。

 その後、午前3時50分、彼は、ただ手を洗うために台所に行き、「手を洗っている水音」も、私が聞いたのです。

 その直後、玄関の灯りがつき、その話をしている最中に、抜いたはずのモデムのコードが、「独りでに」差し込まれていたのです。

 こうなると、これらの事実は「怪異」としか言いようがありませんでした。 明らかに、「誰かが故意で触らない限り、一旦外したコードは、元通り、コンセントに差し込まれない」のです。

 そしてその「故意的行為」は、私も息子も行っていない。寝ている母は、全くの対象外です。

 すると、私とユタカ以外の「誰か」が、その行為を故意に行ったことになります。

 その「誰か」は、一体全体、誰なのか―

 全くもって、想像がつきませんでした。

 しかし、「外部からの侵入者」ではないことは確かである、と私は理解していました。

 もっと正確に表現すると、「理解さえもできなかったが、理解することが徐々にできるようになった」となるでしょう。

 玄関のスイッチは、やはり灯りのつく右側が押されていました。もう、怖いので、息子がスイッチを左に押して消してしまいました。

第2章:悪夢の始まり―3―モデムのコンセント: part2

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 午前3時半頃でした。音量を低くしてショパンを聴いていた私は、隣室のふすまを息子が開ける音を聞きました。何だろうと思い、私は、MD のヘッドフォンを外しました。

 続いて、玄関へと向かう足音と、リビングのドアを開ける音が、ガチャッと聞こえました。

 その足音と気配は、トイレの方へと向かっていきました。軽々とした裸足の足音でした。

 ユタカの、だるそうなスリッパの足音ではありませんでした。

 しかし、明らかに洗面所に上がり、トイレに向かう足音だったので、私は息子がトイレに起きたのだと、その時は感じました。

 「あの子、トイレかしら。珍しい」 息子は、寝る前に一度トイレに行くと、一晩中、行かないのが普通でした。

 その後、すぐに息子が再びふすまを閉めて、部屋に入る音を私は聞きました。

 リビングのドアは案外重いので、開けると、静まり返った室内に、「ガチャ」という音は明瞭に響きます。

 その音をついさっき、確かに聞いたのです。

 息子がトイレに行ったのなら、2,3分ほどして、戻って来て、再びリビングのドアを閉めるはずです。しかし、そのような音は何も聞こえませんでした。

 私は、自分の部屋を出て、子供部屋のふすまを開け、ユタカに訊きました。

 「ねえ、今、おトイレに行ったの?」

 するとユタカは、違うと言いました。

 「行ってないよ。もう通信止めようって思って、台所までしか行ってない。パソコンの下のモデムのコードをコンセントから抜いただけなんだけど」

 「ああ、モデムか。ホント、光が消えてるね」

 私は、モデムを振り返って、そう応じました。

 「じゃ、もう通信しないのね。お休み」

 しかし、息子と私が各々の自室に戻り、ほぼ20分後。

 再び、息子がふすまを開けて、台所で手を洗っている音がしましたが、彼は急に私の部屋に飛び込んで来ました。

 「ねえったら!また玄関の灯りがついてる!」

 「えっ!また?うわっホントだ!嫌だ、何で......?」

 これで「玄関の灯りが独りでにつく」ことは、4晩目となりました。

 「僕、DS 触ってると、すぐ手に汗かくでしょう。だから、台所で手の汗がべとついて嫌だから、洗ってたんだ。洗う前は、玄関の灯り、消えていたんだ。でも、洗った後、念のために玄関の方を見ると、勝手に灯りがついていたんだ」(To be continued......)

第2章:悪夢の始まり―3―モデムのコンセント: part1

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 驚いたことに、「この奇妙な現象は、今後も続く」との私の予感は、不思議と的中しました。

 翌日の5月19日の晩でした。 「今夜は、まさか、もう何も起きないだろう」 妙な予感に内心ビクつきながらも、いつものように、全ての鍵をかけ、灯りのスイッチを消し、ガスの元栓―これらを午前1時にはちゃんと確認しました。

 その後、息子が「頭がかゆい」と言い出しました。

 息子は、体重が激減してから、お風呂に入る体力も気力もなくなっていました。時折、体を拭いてやる程度となり、髪も、腕の力が萎えていたため、私が台所の流しで洗ってやっていたのです。

 結局、洗髪のあと、髪をドライヤーで乾かしながら、おしゃべりをして、就寝は午前2時頃になりました。

 就寝といっても、3日間も連続して「物理的に起こり得ないこと=怪奇現象」が起きたので、私は、午前3時過ぎまで眠れません。

 仕方ないので、ワインを飲みながら、枕元のスタンドをつけて、MD ウォークマンでクラシックを聴きながら、起きていました。その頃、MD でよく聴いていた曲は、ダン・タイ・ソンのショパンピアノ曲や、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でした。

 音楽を聴くと、平常心に戻ることができたのです。

 息子は、隣の部屋で、私の母と一緒にいました。母は、寝ていましたが、息子は不眠症で、DS のMPH (メトロイド・プライム・ハンターズ)をもっぱらやっていました。

 このゲームは、日本国内だけでなく、外国とも同じゲームを楽しむプレイヤーたちと対戦ができ、文字盤でチャットも楽しめます。

 現実に付き合う「リアルな」友人がいなくなった彼にとって、日本中、世界中の仲間とチャットをすることが、心の支えとなっていました。

 ヨーロッパ、アメリカのプレイヤーたちとチャットする際に、英語で通信をし合うため、もともと好きだった英語の力も伸びていきました。 不登校の彼にとって、その英語の通信だけが、いってみれば、「勉強」に値するものでしたが、昨年は、カウンセラーの先生のアドバイスで、家庭内では「勉強」「学校」との言葉は完全に「禁句」とされていました。

 こうして、私は音楽を聴き、息子はゲームという不規則な生活となっていたわけです。

2009年10月12日月曜日

第2章:悪夢の始まり―2―スイッチの方向:part2

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 翌日の5月18日の晩も同じことが起きました。

 母が午前4時半にトイレに起きました。私は物音で目が覚め、「ああ、お母さん、トイレだな」と思いました。ふすまを開けると、玄関の灯りはついていません。

 私もトイレに行きたくなって来たので、リビングの方へと戻って来た母に、ほっとして声をかけました。

 「ねえ、今夜は玄関、大丈夫みたいね」

 「そうねえ―何かの勘違いだったかも知れないよ。早く寝なさいよね」

 母は、息子のいる子供部屋に戻りました。

 今度は私が、トイレに行く番です。午前4時50分頃でした。「大丈夫」と会話を交わしても、2晩も、いつもとは違う「異常」が起きたので、やはり平静な心ではいられません。

 やはり暗い状態が怖いので、私は、トイレに入る前、玄関の灯りが消えていることを確かめて、洗面所に上がりました。(洗面所と廊下の間には、8㎝ほどの段差があります。)

 そして、洗面所左のお風呂場と、洗面所の灯りをスイッチでつけると、トイレに入りました。

 しかし、ほんの数分の間であるのに、私がトイレから出てくると、やはり、玄関の灯りがついていたのです。

 何も、人の気配もなかったのに......

 スイッチを、恐る恐る確かめると、やはり、誰か「別の人」が押したように、灯りがつく右側が押されていました。

 「ほら、ほーら、よくごらん」と言っているかのように―

 玄関の灯りをつけるには、わざわざ、10㎝ ほどの土間を降りて、かなり大きめの玄関扉の左側にあるスイッチを右に押さないと、絶対につかないのです。

 私は、息子と、実家の母と、3人で暮らしています。私たちのうち、夜中に、トイレに行くのに、玄関の土間を降りてまで、スイッチを押す者はいないのです。

 私は、鳥肌が立ちました。もう声も出ませんでした。

 慌てて、スイッチを元通りに、左を押して灯りを消すと、リビングに駆け込み、リビングの扉をバタン!と閉めました。

 すると、子供部屋から息子が出てきて、こう言いました。

 「さっきね、お母さんがトイレ入っている間に、急に音もなく、玄関の灯りがついたんだ」 

 ユタカは不眠症なので、まだ起きていたのです。

 これで、3晩も連続して「物理的に起こりえないこと」が起きました。私たち3人は、怖くてたまらず、結局、朝の7時まで眠れませんでした。

 私は、既にこの5月18日の時点で、この不思議な出来事を、「これはまさに『怪奇現象』だ」と認識していたように覚えています。

 「皆、トイレに行くのに、普通は洗面所の灯りをつけるだけ。わざわざ土間に降りて、サンダル履いて、玄関ドアの左のスイッチを押して、灯りをつけたりしないのに―」

 そして、この「怪奇現象」は、これで終わりではないのではないか?という、奇妙な予感も、その晩から私の中に生まれたのです。(To be continued......) 

第2章:悪夢の始まり―2―スイッチの方向: part1

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 普段、昼間はそうでもありませんが、夜になると、私は、就寝前の遅くとも午前1時頃には、玄関は鍵を閉め施錠し、玄関ドアの左横の灯りは、必ずスイッチを左に押して消す習慣が定着しています。

 また玄関から入って左(洗面所と差向い)の私の書斎の窓の鍵、台所のガスの元栓、最後にリビングとふすまで仕切られている2部屋のベランダの鍵は、必ず、かけているかどうかを、毎晩チェックするのです。

 なぜ、こんなに用心深いのかというと、子供の頃、近所の八百屋さんが火事に遭い、死傷者はでませんでしたが、いつも行き慣れていたお店が真黒に焼け落ちたせいなのかもしれません。

 あの時、まだ私は5歳ほどでした。でも、店頭に並んでいたキャベツや人参、玉葱などの野菜までが真っ黒焦げになって、その前で、八百屋を経営していたおばさんが、泣き崩れていた様子が、よほどショックだったのでしょう。

 すぐ向かいの、5階建ての小さな団地の踊り場から、姉と、同い年の香(カオリ)ちゃんや、そのお兄ちゃんの健君と一緒に、「かわいそうだね、こわいね」と見ていた記憶があります。

 それ以来、私は自分の家が火事になることを非常に恐れるようになりました。まだ5,6歳なのに、「石油ストーブの火は、消えているかな」と寝る前に確認するようになりました。

 あまり毎晩、きっちり確認しすぎて、かえって、その場を離れられなくなったことがあります。

 そんな時、父から「いつまでストーブを見てるんだ!消えたものは消えたんだ!さっさと寝ろ!」と怒鳴られたこともあります。 そうした「確認癖」は、何らかの事件などをニュースで知った後など、事件の内容に関係なく、なぜか通常より強まることがありました。

 今、私が住むこの3LDK のマンションは、築27年です。去年は築26年目に当たりました。周囲は、標高320mの山々に囲まれている、非常な山奥なのです。しかし、南方を望むと、数多くのマンションや団地が連なっている街です。

 オートロックでもない、中古の山奥のマンションであるため、よく駐車場の車上荒らしが絶えません。そのため、世帯主である私が、「しっかり玄関の鍵や施錠は、確かめないと」という気持ちになるのですが、幼い頃の「確認癖」も手伝っているのかも知れません。

 そういう習慣が身についている私にとって、「就寝前に消した灯りが、独りでについている」ことは、まさに驚異でした。

 翌日、5月17日の晩、やはり午前2時半頃でした。その日から、私は理由は思い出せませんが、子供部屋の隣の部屋に一人で休んでいました。息子は、私の母と一緒に寝ていました。

 私が、トイレに行きたくなり、ふすまを開けると、やはり、玄関の灯りが「ほら、ごらん」と言わんばかりに明るくついているのです。

 就寝前は、左に押して消したスイッチも、右側が押されてありました。つまり、灯りがつく方向にわざわざ変わっていたのです。

第2章:悪夢の始まり―1―玄関の灯り

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 今、昨年の5月の中旬から起きた不思議な事柄の数々を思い出すと、まるで昨日のことのように思われます。しかし、それらはあまりにも不可思議過ぎて、尚且つ「不思議さ」が「怪奇さ」へと、あっという間にエスカレートしていったのです。 

 それを考えると、まるで遠い昔のことのようです。しかし、それらの事件は「現実」の中で起きたことでしか有り得なかったのです。

 昨年、2008年5月15日までは、私は、息子の体調不良、昼夜逆転に悩みながらも、趣味の小説を書いたり、ピアノを弾いたり、ごく通常の生活を送っていました。

 息子は、45キロあった体重が極端に減り、35キロほどになっていました。腕や足を見ると、間接の骨だけが大きく飛び出し、それ以外は骨に皮膚が張り付いただけのような、まるで棒切れのような状態になっていました。

 食欲減少にもよるにせよ、やつれ方が激しく、いつか見たエチオピアの飢餓難民を思わせる痩せ衰えた姿でした。 それでも、私は、子供の趣味のパソコン動画やアニメ、DVD を一緒に観て、笑ったり、感想を話し合ったりしていました。確か、『今を生きる』というDVD を一緒に観たのも、5月初旬だったと思います。

 そうしたごく普通の日常が、5月16日の夜中から一変し、私たち家族は、現実に考えたこともない「超常現象」の暗闇へと放り込まれたのです。 5月16日の夜中、午前2時半頃でした。

 息子は、私と同じ部屋に寝ていましたが、昼夜逆転の生活が治らず、なかなか眠れないので、起きて DS をするのが習慣になっていました。そのうち、息子は「おなかがすいた。何かない?」と言い出したので、私は、プリンがあったことを思い出しました。

 寝室の隣がリビング、台所です。私は、リビングの灯りをつけて、息子はテーブルに座り、そしてプリンを食べ始めました。

 私は、その間、トイレに行きました。

 トイレに入っている時、トイレの前の短い廊下、つまり、玄関からリビングに通じる扉までの廊下を、誰かが裸足で行ったり来たりする足音が聞こえました。

 その後、洗面所へとその足音は近付き、そしてトイレの前で立ち止まり、こちらの様子を窺っているような気配がしました。

 「あの子かしら。でも、私に用事があるなら、声をドアの外からかけるだろうし、プリンを食べている最中に、廊下を何回も往復するはずがないのに―」

 息子の日常の動作、習慣を知る私は、変だなと感じました。やがて、その足音は、リビングの方へと消えていきました。

 トイレを出て、息子を見ると、黙って、テーブルの壁際のいつもの椅子に座って、プリンを食べている最中でした。

 「ねえ、さっき、お母さんがトイレ入っている時、ユタカ、おトイレの前に来たの?」

 「え?なんで?僕、ずっとここでプリン食べてたよ。トイレの方なんて行ってないよ」

 息子は、変なの、という顔をしました。

 「あのね、さっき、誰かが廊下を往復するような足音を聞いたから」

 「そんなこと、あるわけないじゃない。気のせいじゃないの?」

 私は、さっきの足音をよく思い出してみました。ほんの2,3分程の間の出来事です。その足音は、裸足で、軽々としたもので、明らかに、息子のものとは違っていました。

 息子は、極端に痩せたために、歩くにも、足の裏の骨が床に当たって痛いので、スリッパを履き、だるそうにペタン、ペタンと歩くのです。

 その足音や気配のことは、「本当に気のせいだったのかな」と思った程度でした。

 しかし、その後、約2時間後のことでした。午前4時半、まだ私と息子は眠れずにいました。

 私たちの寝ている子供部屋は、ふすまの上に、磨りガラスがはめ込まれています。眠れないまま、ふと私はそのガラスを見上げました。

 すると、リビングの方から灯りがついているのか、磨りガラスが明るく光っていました。

 2時間前に、台所で息子にプリンを食べさせた後は、リビングのスイッチは消したのです。

 おかしいな、と思い、ふすまを開けた時、私は驚いて「あっ!」と声を立てました。

 就寝前に確かに消したはずの、玄関の灯りが、明々と灯っていたのです。(To be continued......)

2009年10月11日日曜日

第1章: 前兆―2―背表紙の心霊写真:part3

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 3月には、息子の不登校は本格化していました。 

 それでも、私がバイオリンを弾いていると少し興味があったようで、「ビブラートできないの?こうすれば簡単だよ」と、初めてのバイオリンをさっと構え、練習もしていないのに、いきなり美しいビブラートの音色を出すことができました。 

 彼は、中1の1学期まで、吹奏楽部に所属して、トランペットをやっていましたが、その子に合った楽器が決まるまでは、弦楽器(ヴィオラ)も少し弾かせてもらった、と言いました。 それにしても、まだ13で、バイオリンのビブラートをすぐに器用に奏でられることに、私は驚きました。 

 私は、不登校の生活でも、少しでも、楽器の演奏などに触れて、心に潤いのある暮らしを送ってほしいと願いました。そこで、私が率先して、バイオリンを毎日練習して見せていたのです。 

 しかし、ユタカの物事への無関心と無気力は日々増幅するばかりで、楽器演奏という能動的な行動よりも、DS でひたすら夜中までゲームをする、という受動的生活が主となり、昼夜逆転が当たり前となっていきました。

 カウンセラーの先生は、「お子さんが不登校になると、お母さんがまず一番辛くなるんですから、お母さんの生活も、大切になさって下さい。趣味がおありなら、それを楽しむ時間を持つように心がけて下さいね」と励まして下さいました。

 精神的に辛い日々を送っていた、3月の末頃でした。

 ある日、すっかり忘れていた、例の『人形』の本が、なぜか、しまい込んでいた書棚から、誰も触っていないのに、やはり『トミカ』と『賢者の石』の間から抜き取られ、赤い表紙を上にして、書棚横のピアノの足もとの床に、無造作に置かれていました。

 「ああ、嫌だ。この本、なぜこうなるの?」とウンザリする私に、母は、「そんなに嫌で怖いなら、もう捨てなさいよ」と忠告しました。

 しかし、矛盾したことではありますが、これで、この本の移動は4回目なのに、「やっぱり買った物をそう簡単に捨てられないわよ」などと私は言いました。

 そして、今度は、私が思い切って、その本を持って、玄関横の5畳ほどの書斎の書棚に押し込みました。

 それも、『私の人形~』との背表紙のタイトルさえ見るのが嫌で、書棚の前列を避け、2列目の奥に、ぎゅっと詰め込むように入れました。

 「勝手に動かないように」、両脇をあらゆる本で固め、絶対に隙間ができないほど、きつく押し込んだのです。

 それから、数日間は、「あの本が移動していないか」を確認するのが日課になりました。今考えると、軽い強迫神経症(確認癖)になっていたのでしょう。

 しかし、4月も過ぎ、5月になると、その本のことは、ほとんど考えなくなりました。それより、息子の不登校の心配が大きかったのです。

 ですが、現在思い起こすと、『私の人形』が勝手に飛び出した事件は、その後、5月20日頃から急に始まり、凄まじい勢いでエスカレートしていった超常現象の、ほんの前触れに過ぎなかったことが、よく理解できるのです。(to be continued......) 

第1章: 前兆―2―背表紙の心霊写真:part2

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 私は、例の本に焦点を絞り、恐る恐るデジカメで3枚、撮影をしました。(最初は、息子が撮ったように記憶しています。) 

 すると『人形』の本そのものではなく、右隣の『ハリー・ポッターと賢者の石』の、タイトルの黒い背表紙の空いた部分に、不思議な映像が映っていました。 それは、人の顔に見えました。 

 真っ直ぐな額の下に、黒い洞窟のような大きな眼が憤ったように大きく見開かれ、通った鼻筋の下の口は、私たちを呪うように、カッと大きく開いていました。 『賢者の石』で終わる、あの大人気児童文学の記念すべき第一作目のタイトルのすぐ下には、横2cm、縦2cm ほどの空間があり、それから、原作者名「J.K.ローリング作」と書かれてあります。 

 この本のカバーデザインは黒を基調としているため、その空いた部分も黒一色でした。 その部分に、まさしく、人間の、この上ない憤怒の表情が写っていました。 

 少しサイズを大きめにして撮影しても、その顔が写るのです。 私は、ぞっとしました。これが、窮屈な場所に閉じ込められた「本に憑いているモノの怒りの表現かしら」と感じました。 それでも、そんな「モノ」がこの世に現存することなど、その時点では、半信半疑でした。 

 そこで、少し時間を5分ほど空けて、もう一枚、アップで撮影しました。すると、同じ場所なのに、今度は何も写らなかったのです。 

 問題の本を移動させた直後には、人面らしきものが3枚とも写ったのに、時間を置くと、もう写らない― 

 これが、真実「霊魂の写真」であるなら、そうしたモノは、瞬時にして別の場所に移ると、何かで聞いたことがありました。きっと、どこかにあきらめて行ってしまったのか...... その夏の『私の人形』騒ぎは、そのまま立ち消えの状態で終わりました。 

 年が明け、2008年になり、私は、自分の誕生日記念に、前から欲しかったバイオリンを購入しました。「素人でもすぐ弾ける」と評判だったのを、ネットの「楽天市場」で購入したのです。 

 子供時代は、楽器演奏は無理だ、という先入観がありました。でも、自分が子供を産み、その子が13になろうか、という時に、憧れのバイオリンやピアノを始めるとは思っていませんでした。 

 私は、毎日、熱心にバイオリンを練習しました。 ピアノに比べると、音の調節が難しく、また、曲らしい曲が弾けませんが、ただ、弓を大きく上下左右に動かすことが、ストレス解消になりました。 

 息子のユタカは、2007年の11月20日から、それまで抑えていたストレスが一気に噴き出し、吐き気を訴えるようになっていました。 

 ストレスの原因は、学校での「言葉によるいじめ」でした。 

 いじめがあっても、それを笑いながら報告するわが子に、ハラハラしながらも、「笑って報告するくらいだから、案外精神的に強いのかも」と思っていました。 

 しかし、それは無知からくる、大きな間違いだと、後になってわかりました。 息子は、吐き気、頭痛をしょっちゅう訴えるようになり、休学することが多くなりました。そして、3学期の学年末試験の初日を無理して受験したのを最後に、二度と在籍中の中学には通学できなくなりました。 

 その頃には、食欲もなく、恐ろしいほど痩せていました。せめて内科に行って、栄養剤の点滴でも、と思っても、血管が細すぎて、針が入らないと言われました。 

 そして、私は、中学のカウンセラーの先生と週1回、火曜日に会い、また、心療内科で子供の安定剤を処方してもらい、息子に服用させる、そういう生活が始まりました。

第1章: 前兆―2―背表紙の心霊写真:part1


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 なぜ動くはずのない本が勝手に動くのか? 

 その時の私は、「本が動く」ということに畏怖感を抱きこそすれ、それが「現実に起こりうるはずのない現象である」との認識が薄れていたように思います。 

 そこで「本が動くのは怖い。何とかして動かないようにしなくては」と、あれこれ考えました。 

 現実には、「本」というものは勝手に動くはずはなく、物理的に考えてもあり得ない、これが真実であり、日常なのです。

 ですから、「本が勝手に動かない方法を考える」ことは、実に非現実的なのですが、私はただただ「これ以上、本が飛び出すのは怖い」気持ちから、そうならない手段を探ることで頭がいっぱいでした。 

 結局、その『人形』の本は、もう子供部屋に置くのはやめて、リビングのテレビボードの書棚に入れることにしました。 

 手段は決まったものの、私はその本を手に取ることが怖く、また気味が悪くてたまりませんでした。そこで、当時12歳の息子の豊(ユタカ)に頼みました。 

 「ね、この本触るの嫌だから、書棚にしまってくれる?」 

 「え~平気だよ。お母さんがやれば?」 

 「でも、どうしても怖いよ。ねっ、お願い、お願い」 

 ユタカは、「仕方ないなあ」と言って、その本を、こともなげに掴むと、書棚に突っ込みました。 

 場所は、私が指定しました。 

 なるべく、分厚い本の間がいい、そう思って、『トミカ自動車図鑑』と『ハリー・ポッターと賢者の石』の間に押し込んでもらったのです。 

 12歳の中1にもなって、『トミカ自動車図鑑』というのも幼いのですが、私が、息子が5歳まで読んでいた本を、まだ捨てられなかったのです。 

 私は、自分でも変なことを言っていることは承知で、それでも安心して、こう言いました。 

 「ねえ、あれだけ分厚い本に挟まれてるんだもん、もう絶対にあの本、飛び出せないよね。手前にガラス扉もきちんと閉めてるんだし」 

 「うん。ね、お母さん、この状態で、この本、デジカメでちょっと撮ってみようよ。だって、この本、初版が2000年じゃん。今、2007年だよ。ずっとアマゾンの倉庫に置かれていたんだ。重刷もされないでさ。有名で人気がある本なのに、変だよね」 

 確かに、山岸さんのその『人形』の本は、「ホラーマンガのランキングで毎年1位、2位を争う」ほどの人気でした。大人の男性でさえ、「夜読んだら、運転もできない、夜道が怖い」というほど、その恐怖感は現実味を帯びていました。

 「じゃ、心霊写真とか......写るっていうこと?」 

 「うん。きっとさ、倉庫で7年間放置されている間に、この本を好きな霊が、本に憑りついたのかもしれない。または、いわくつきの本で、オークションに出されていたのかも―」 

 まだ12歳とはいえ、自我の確立が成されてきた少年の言う言葉には、大人もハッとするほど、新鮮な発見があるものです。

 「心霊写真」そのものさえ、普段から疑ってかかっていた私であったのです。しかし、ここまで目の前で、異様な出来事が起こると、不思議と「心霊写真、写るかも知れない」と素直に納得してしまうのでしょう。

第1章: 前兆―1―『人形』 の本:part2

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 息子は、たいてい、子供部屋隣の、リビングのテーブルの椅子に座って、DS をしていました。最初、本が引き抜かれて机の上に置かれた時、その前に彼が部屋にいた、ということもありませんでした。

 息子は、テーブルでゲームをしながら、テレビを観て笑っていました。私の「あの『人形』が机に置かれていた」との話にも、「何かのはずみで落ちたんでしょ」との返事でした。

 私は、『人形』の本を元に戻しました。本棚といっても、両脇に支えがあるだけで、ガラスで覆われているのではありません。その本の脇に、他の本を寄せて、絶対に倒れないようにした上、また、それらの本の上には息子のペンケースと折り畳み傘、またすぐ手前には、電動鉛筆削りを置いたのです。

 こうすれば『人形』だけが、ひとりでにであれ、偶然であれ、本棚から落ち、机の上に置かれることは、まず無い。そう確信したのでした。

 しかし、それは私の浅はかな、またちゃちな仕掛けにすぎませんでした。

 その状態にし、子供部屋は冷房し、しばらく私と息子はその部屋にいました。やがて、夕食の用意ができ、母が私たちを呼びました。まず、息子がリビングへと行きました。

 私は、『人形』の本が、絶対にひとりでに飛び出してこないよう、さっきの状態になっているのをしっかり確認してから、部屋の電気を消し、そしてリビングへと向かいました。

 テレビでは、当時の首相、小泉氏の長男で、今は映画俳優として活躍している人がトークショーに出ていました。私たちは、それを見て、笑ったり、感心したりしていました。

 その間は、例の本のことは忘れていました。

 やがて、蒸し暑くなってきたので、私は、ひとりで、隣の子供部屋に行き、電気をつけずに、ただ、エアコンがまだ動いているかを確認しに行きました。

 エアコンは動いていました。そして、私は、ふと、例の本のことを思い出し、そっと学習机の上に視線をやりました。その瞬間―

 「キャーッ!」

 自分でも驚くような悲鳴を、私は上げていました。

 あんなに「絶対動かないようにと固定していた」、『人形』の本が、やはりそれだけ抜き取られて、表紙を上にして、学習机の上に、斜めに無造作に置かれていたのです。

 その本の上に置いていたペンケースや折り畳み傘、またその本の左右を固めていた他の文庫本は、1ミリも動いてはいない状態でした。 『人形』の本の前には、重たい鉛筆削りがどっしりと構えていたのに、それも1ミリも位置は変わっていませんでした。

 ただ、『人形』の本だけが、まるで透明な手を持つ「誰か」によって抜き取られ、バサッと表紙を上にして、置かれていたのでした。(to be continued...)

第1章: 前兆―1―『人形』 の本:part1

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 2007年の8月中旬のことでした。どう考えても、不思議なことが我が家で起きました。

 当時12歳で、中学1年になったばかりの息子は「怖い話」が大好きだというので、ネットのアマゾンで、有名な少女漫画家、山岸涼子さんの単行本を3冊買いました。

 『天人唐草(てんにんからくさ)』・『神隠し』、それに極めつけは『私の人形はよい人形』でした。この『私の人形~』に関するエピソードをお話しましょう。

 8月の暑い最中でした。それらの単行本は、3冊とも、息子の学習机の上に並べて立ててありました。

 私は、息子の部屋に一緒に布団を並べて寝ていたのですが、ある朝、気がつくと、『私の人形』だけが、表紙を上にして、私の枕元に置かれていました。

 その表紙は、昔から伝わる古い伝統的なおかっぱの、立派な日本人形を細かに描いた絵を中心に、背景は、濃い赤一色。人形の絵を見ているだけで、何となく薄気味悪い気分になったものです。

 それが、いきなり枕元にあったので、私は驚いて、「ねえ、これ、お母さんの枕元にわざと置いたの?」と息子に訊きました。息子は、知らないと言いました。私は、それきり、「机の上の本が落ちたんだろう」と、学習机の本棚に戻しておきました。

 それから数日後、夕食時に、息子の部屋に入り、冷房をつけ、そして、何の気なしに、学習机の上に目をやりました。途端に、私は「うわっ!」と声を立てました。

 その『私の人形』だけが、本棚から抜き取られ、やはり表紙を上にして、机の上に、無造作に置かれていたからです。まるで、誰かがその本を引っ張り出したように―

 普通、ほかの本と一緒に立ててある本を抜き取った場合、その分、空間が空くため、ほかの本は斜めに傾くはずなのです。しかし、そうした痕跡は一切なく、ほかの本は、数冊もあるのに、じっと真っ直ぐに立ったままでした。

 「どうして、この本だけが、枕元にあったり、本棚からきれいに抜き取られるんだろう?枕元は、偶然、本が落ちたと考えられるけれど、誰もいない部屋で、なぜこの本だけが抜き取られるの?」

 その時、私には、「なぜこんなことが起きるのか」という疑問に対する論理的な、合理的な答えは浮かばず、ただただ、不思議で怖いだけでした。そこで、「今度は絶対に本が引き抜かれないように」と手段を講ずることにしました。

序章―「恐怖」の感覚

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 人間にとって、恐怖とは何でしょうか。恐怖の対象とは一体何か。 それは、個人によって、かなりの差や違いがあるでしょう。

 「狭い場所」や「乗り物」や「ある種の生き物」、そして「暗闇」―「狭い場所」が怖い、と感ずる場合は、「閉所恐怖症」、ごくありふれたタクシーや電車などが怖い場合は、「乗り物恐怖症」と呼ばれます。「狭い場所」とは逆に、「広い場所」を恐れる、「広場恐怖症」さえ存在します。 

 これら一連の「恐怖症」は、神経症の一種であり、英語では、phobia(フォビア)と呼ばれます。 しかし、そうした病理的な感覚に属さない恐怖も、人間には本能的に備わっています。 

 例えば、「高所恐怖症」はどうでしょう。高い所が怖い、という人は多いものです。中には平気な人もいますが、なぜ人間は、高い所が怖いのか。 それは、「落ちるのではないか」という、死の恐怖を醸し出す場所であるからなのです。

 「ある種の生き物」に関しては、これは個人的な嗜好の差が強くかかわるでしょう。 私は、小鳥や猫、犬、カメは平気ですが、蛇や蜘蛛、ゴキブリが恐ろしく、気色悪いと感じます。 中には、蛇などの爬虫類は大歓迎だが、小鳥や猫は勘弁してくれ、という人もいるわけです。これらは、病理学的な恐怖ではなく、個人個人の好みの傾向によるものでしょう。 

 しかし、大半の人に共通する恐れというものは、やはり存在するものです。 それは、やはり、「暗闇」であり、「得体の知れない音」であり、そして「本やペンが勝手に動くこと」ではないでしょうか。 

 そして、人間の、これまた本能として、そうした「暗闇」「異様な物音」に興味を持つ、といった奇妙な傾向もあるのです。 俗に見られる「ホラー映画」や「心霊写真特集」「本当にあった怖い話」などに人は、妙に惹きつけられます。 

 野次馬的関心なのでしょうが、そうした「お化け屋敷」的要素を持つ物には、「自分は関わりがないから、大丈夫」といった、安心感から、テレビや雑誌、ネットなどの「心霊特集」に恐る恐る目をやってしまうのです。 

 見たあとは、「ああ怖かった」「あんなことはヤラセだよ」「あんなことが起きたらどうしよう...でもあるわけないよな」などの、さまざまな感想が友人や家族の間でささやかれて、そして終りになってしまうわけです。 

 けれども、それが、本当に自分の身に起きたら、どうなるでしょう。 

 私は、自分でも、実に怖がり屋で、お化け屋敷など、絶対に入りたがらないほど臆病で、心配症です。 

 その私が、2008年の5月下旬から、11月末まで、ありとあらゆる超常現象を我が家で体験し、普段は口にするのも恐ろしい「死霊」、すなわち正真正銘の「本物」たちと同居したのです。 

 私だけではなく、当時13歳だった息子及び両親ともども、いわゆる「ポルターガイスト」現象に巻き込まれ、夜も眠れない日々を過ごしたのです。 今から考えると、当時の経験は、すべて「本当に現実に起こったことであろうか」と思うほどなのですが、私は、当時の経験のメモを詳細に記録していました。 

 現在、それらのメモに目を通すことさえ恐ろしくてなりません。 

 ですが、私は一連の恐怖体験から、人の「生と死」というものを学びました。 「死後の世界」などあるわけない、と、半信半疑だった私にとって、それらの超常現象は、私の勝手に作り上げた、曖昧な「死生観」を覆すほどのスケールだったのです。 

 それらを、科学技術の進歩した、この情報化社会において、ひとつの体験談として、書き記しておきたいと考えています。