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「いいえ、お金が目的じゃないみたいなのよ」
こう言う母の声で、私は昼過ぎに目を覚ましました。母は、父と電話をしていました。
「え?警察?......管理事務所?そうねえ......」
私は電話を終えた母に尋ねました。
「何?警察って?お父さん、なんて言っているの?」
「あのね、お母さん、今日から泊まりに行くのは止めたよ。代わりに、お父さんがこっちに泊まりに来てくれるって。それでね、今度のことは、あまり続くようなら、警察や管理人さんに相談すべきだって」
「へえ......どれくらい、泊まってくれるの?」
「一応、ある程度、騒ぎが鎮まるまでだって」
私には、この正体不明、原因不明の「騒ぎ」が、一時的なものであるとは、思っていませんでした。それに、父の非常に現実的な性格を知っていた私は、「警察」「管理事務所」という言葉が出てくるのは、当然だと思いました。
父は、その日の午後に、3泊ほどの用意をして、すぐに駆けつけてくれました。私や息子を見ると、ホッとしたように声をかけました。
「おー、元気だったか。大丈夫、大丈夫、オバケだろうが、泥棒だろうが、お祖父ちゃんが退治してやるからな」
70代半ばではありますが、未だに意気盛んな父は、友人が多く、人との交流を楽しみ、趣味の日本史を活かして、近畿地方を中心に、歴史的名所を案内する活動をしていました。
すぐに夕方となり、久しぶりに家族揃っての夕食の準備の最中だったと思いますが、この時にも「変だな」と感じることがありました。
テーブルの端の方に置いていた、ポケットティッシュとハンカチとが、誰も触れていないのに、勝手に「パサッ」と音を立てて、床に落ちたのです。
「今、ここに置いてたティッシュとハンカチが独りでに落ちたんだけど―」
「テーブルの隅に置いているなら、そんなことよくあるだろう」
父がこういうと、なるほどそうだな、と、その時は特に気に留めていませんでした。
夕食後は、1時間半ほど、皆でトランプをして遊びました。ユタカは、久しぶりにお祖父ちゃんと会えて、嬉しかったのでしょう。よく笑っては、冗談を飛ばしました。私は久々の家族の歓談を、デジカメに収めました。
しかし、この時の写真も、また後に撮った写真も、「不吉だ」ということが後で分かり、結局削除してしまいました。
午後の11時過ぎには、テーブルを食器戸棚(テレビボードと向き合う方向)へと押しやり、そのリビングのフローリングに、蒲団を敷いて、父に休んでもらうことになりました。
その日19日の晩から、翌日20日にかけてのメモは、現在見当たりません。まさか、こうした一連の不思議な現象が、その後、約半年にも及んで続くとは予想もつかなかったので、何か事が起きると、その辺にある広告の裏や要らない紙を使って、メモしていたのです。
きちんと1冊のノートに書くようになったのは、6月に入ってからのことでした。それでも、20日の晩は、やはり灯りがつくなどの異変は、確か起きたように記憶しています。
ただ、父が泊まりに来てくれた19日から22日の晩の間に、「これは尋常ではない」ことが明白になった事柄がいくつかあります。
その一つは、「壁の音」でした。
5月19日以降の異変以前、多分、3月か4月頃だったと思いますが、その頃から、どこからか、下の階の人が天井を叩くような音がしていたのです。
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