2009年10月14日水曜日

第2章:悪夢の始まり―3―モデムのコンセント: part1

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 驚いたことに、「この奇妙な現象は、今後も続く」との私の予感は、不思議と的中しました。

 翌日の5月19日の晩でした。 「今夜は、まさか、もう何も起きないだろう」 妙な予感に内心ビクつきながらも、いつものように、全ての鍵をかけ、灯りのスイッチを消し、ガスの元栓―これらを午前1時にはちゃんと確認しました。

 その後、息子が「頭がかゆい」と言い出しました。

 息子は、体重が激減してから、お風呂に入る体力も気力もなくなっていました。時折、体を拭いてやる程度となり、髪も、腕の力が萎えていたため、私が台所の流しで洗ってやっていたのです。

 結局、洗髪のあと、髪をドライヤーで乾かしながら、おしゃべりをして、就寝は午前2時頃になりました。

 就寝といっても、3日間も連続して「物理的に起こり得ないこと=怪奇現象」が起きたので、私は、午前3時過ぎまで眠れません。

 仕方ないので、ワインを飲みながら、枕元のスタンドをつけて、MD ウォークマンでクラシックを聴きながら、起きていました。その頃、MD でよく聴いていた曲は、ダン・タイ・ソンのショパンピアノ曲や、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でした。

 音楽を聴くと、平常心に戻ることができたのです。

 息子は、隣の部屋で、私の母と一緒にいました。母は、寝ていましたが、息子は不眠症で、DS のMPH (メトロイド・プライム・ハンターズ)をもっぱらやっていました。

 このゲームは、日本国内だけでなく、外国とも同じゲームを楽しむプレイヤーたちと対戦ができ、文字盤でチャットも楽しめます。

 現実に付き合う「リアルな」友人がいなくなった彼にとって、日本中、世界中の仲間とチャットをすることが、心の支えとなっていました。

 ヨーロッパ、アメリカのプレイヤーたちとチャットする際に、英語で通信をし合うため、もともと好きだった英語の力も伸びていきました。 不登校の彼にとって、その英語の通信だけが、いってみれば、「勉強」に値するものでしたが、昨年は、カウンセラーの先生のアドバイスで、家庭内では「勉強」「学校」との言葉は完全に「禁句」とされていました。

 こうして、私は音楽を聴き、息子はゲームという不規則な生活となっていたわけです。

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