2009年10月11日日曜日

序章―「恐怖」の感覚

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 人間にとって、恐怖とは何でしょうか。恐怖の対象とは一体何か。 それは、個人によって、かなりの差や違いがあるでしょう。

 「狭い場所」や「乗り物」や「ある種の生き物」、そして「暗闇」―「狭い場所」が怖い、と感ずる場合は、「閉所恐怖症」、ごくありふれたタクシーや電車などが怖い場合は、「乗り物恐怖症」と呼ばれます。「狭い場所」とは逆に、「広い場所」を恐れる、「広場恐怖症」さえ存在します。 

 これら一連の「恐怖症」は、神経症の一種であり、英語では、phobia(フォビア)と呼ばれます。 しかし、そうした病理的な感覚に属さない恐怖も、人間には本能的に備わっています。 

 例えば、「高所恐怖症」はどうでしょう。高い所が怖い、という人は多いものです。中には平気な人もいますが、なぜ人間は、高い所が怖いのか。 それは、「落ちるのではないか」という、死の恐怖を醸し出す場所であるからなのです。

 「ある種の生き物」に関しては、これは個人的な嗜好の差が強くかかわるでしょう。 私は、小鳥や猫、犬、カメは平気ですが、蛇や蜘蛛、ゴキブリが恐ろしく、気色悪いと感じます。 中には、蛇などの爬虫類は大歓迎だが、小鳥や猫は勘弁してくれ、という人もいるわけです。これらは、病理学的な恐怖ではなく、個人個人の好みの傾向によるものでしょう。 

 しかし、大半の人に共通する恐れというものは、やはり存在するものです。 それは、やはり、「暗闇」であり、「得体の知れない音」であり、そして「本やペンが勝手に動くこと」ではないでしょうか。 

 そして、人間の、これまた本能として、そうした「暗闇」「異様な物音」に興味を持つ、といった奇妙な傾向もあるのです。 俗に見られる「ホラー映画」や「心霊写真特集」「本当にあった怖い話」などに人は、妙に惹きつけられます。 

 野次馬的関心なのでしょうが、そうした「お化け屋敷」的要素を持つ物には、「自分は関わりがないから、大丈夫」といった、安心感から、テレビや雑誌、ネットなどの「心霊特集」に恐る恐る目をやってしまうのです。 

 見たあとは、「ああ怖かった」「あんなことはヤラセだよ」「あんなことが起きたらどうしよう...でもあるわけないよな」などの、さまざまな感想が友人や家族の間でささやかれて、そして終りになってしまうわけです。 

 けれども、それが、本当に自分の身に起きたら、どうなるでしょう。 

 私は、自分でも、実に怖がり屋で、お化け屋敷など、絶対に入りたがらないほど臆病で、心配症です。 

 その私が、2008年の5月下旬から、11月末まで、ありとあらゆる超常現象を我が家で体験し、普段は口にするのも恐ろしい「死霊」、すなわち正真正銘の「本物」たちと同居したのです。 

 私だけではなく、当時13歳だった息子及び両親ともども、いわゆる「ポルターガイスト」現象に巻き込まれ、夜も眠れない日々を過ごしたのです。 今から考えると、当時の経験は、すべて「本当に現実に起こったことであろうか」と思うほどなのですが、私は、当時の経験のメモを詳細に記録していました。 

 現在、それらのメモに目を通すことさえ恐ろしくてなりません。 

 ですが、私は一連の恐怖体験から、人の「生と死」というものを学びました。 「死後の世界」などあるわけない、と、半信半疑だった私にとって、それらの超常現象は、私の勝手に作り上げた、曖昧な「死生観」を覆すほどのスケールだったのです。 

 それらを、科学技術の進歩した、この情報化社会において、ひとつの体験談として、書き記しておきたいと考えています。

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