2009年12月29日火曜日

第4章―現象の乱舞―1―最後の前兆: part1

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 私は最近「世界の超常現象」というサイトを検索したのですが、その中に、米国のある少女が、同じ年頃の少女の亡霊と会話をした、という話が掲載されていました。

 その家で、昔、一人の少女が殺害された、ということが後に分かったとのことでした。

 詳しくは読んでいませんが、その亡霊が出現する前に、やはり我が家と同じように、リビングの灯りが突然ついたり、テレビがついたりなどの異変が起きた、ということです。

 昨年(2008年)当時、我が家に異変が起きている時、私は、こうした摩訶不思議な現象が、そんな冥界の者と関連がある、といったことは考えもしませんでした。

 考える、というより、そもそもそんな世界があることなど信じてもいなかったし、そうした物の仕業であるという印象さえ受けなかったのです。

 2008年5月25日の午前、母はデジカメの異様な映像や、リビングの整理棚の引き出しが勝手に開いた、などの連絡を父にしました。

 すると、父は、「ノートに表を作ったらいい。異変の起きた時刻や場所、それに備考欄も設けた表があった方が、書きやすいし、後で確認できるだろう」とアドバイスしてくれました。

 また、父は、「針金か紐で輪を作って、それにキーホルダーか、鈴とか、何か音が鳴るものをつけて、モデムやドアノブ等に固定するか、ぶら下げとけよ。何か起きて、音が鳴ったら分かるようにな」と発案してくれました。

 その時は、いいアイデアだと思いました。

 しかし、例え「異変が起きて、鈴などの音が鳴った」としても、正体不明のモノが悪戯めいたことをしているのなら、それこそ雲を掴むようなもので、どうしようもありません。

 それでも、父がそういうことを言い出した、ということは、父も、やはり「何だか訳が分からんが、不安な状態を放置しておくよりいいだろう」と感ずるようになっていたのかもしれません。

 翌日、26日には、夜中はどんなことがあったのか、記録にはありません。ただ、息子が、安定剤が効いたのか、午前1時にはあっさり眠ってしまい、朝の7時に起床、ということでした。

 昼夜逆転が続いていたのに、この日は珍しいことでした。彼は、朝食は7時半から8時にとりました。

 ただ、私は午前3時から6時半まで起きていたため、睡眠不足で、朝食後、いつもの寝室にしてある子供部屋で、また10時から12時まで寝ました。

 それから起きて、その部屋の箪笥の上に置いてあるボールペンを取りに行こうとした時でした。

 入口近くに敷いている、私の布団の枕元に、Harry Potter の絵葉書が置いてあったのです。

 それは、有名なダニエル・ラドクリフやエマ・ワトソン、ルパート・グリント、世界的に有名な仲良しの3人組が一緒に笑って写っている、まだ12歳の頃の写真を絵葉書にしたものでした。

 「ねえ、この絵葉書、枕元に置いたの?」

 私は子供に尋ねましたが、彼は、ずっとDS をやっていて、葉書などに触ってもいない、との返事でした。

 その絵葉書きは、私の布団の横から少し離れた、子供の勉強机の文庫本の上に2枚、重ねておいてあったうちの1枚でした。多分、映画を観にいった時、土産物コーナーで買ったのだと思います。

 その絵葉書が、なぜ私の枕元にわざわざ置いてあるのでしょうか。

 窓も開けていないし、葉書など、誰かが触らない限り、勝手に動いたりしないはずなのです。

 この晩だったと思いますが、私はモデムに更に工夫を凝らしました。モデムの右側に、古くなって壊れた灰色のワープロを置いたのです。

 その両者は、もちろん、コンセントの手前を覆うように置きました。そして、モデムとワープロをガムテープでしっかり縛りつけ、更にモデムにも、床からモデム本体にガムテープを止め、ワープロにも同様のことをしました。

 これで、「引き抜かれるモデムのコンセント」に「誰も触れない」ように仕掛けをしたつもりでした。

 しかし、こんなに厳重にワープロを床に、ガムテープで止めていたというのに、家族が見ていない時、そのガムテープは、ものの見事に外され、そばの屑かごに綺麗に捨てられ、そして、ワープロは、私の元の書斎に運ばれていたのです。

 そんなことが起きたのは、6月になってからだった、と記憶しています。

 一体誰が、葉書を枕元に置き、重いワープロをリビングから書斎に運んだのか―

 5月27日から31日にかけて、更に、少しずつ、「現象」は、頻繁に起こるようになり、そして、不吉な6月の日々が始まったのでした。(To be continued......)
 

2009年12月9日水曜日

第3章―ポルターガイストの出現―6―謎のムービー(飛び出す引出し):part2

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 そのムービーに映された人面には、何らかのはっきりとした意志があるように思われました。開かれた右目には、ちゃんと白目と黒目の区別があり、その眼には、見る者に対する怨恨のような表情がこめられていたからです。

 ぐしゃりとへし潰され、左右へと広がった分厚い唇の左端からは、ヨダレのような液体が垂れていました。

 誰が、一体、何の目的でこんな粘土状の気色悪い顔を作り、それをわざわざ私のデジカメのムービーに3秒間だけ撮影したのか。

 私は母を起こして、このムービーのことをすぐさま言いました。母は、その画面を見て、気持ちが悪いと顔をしかめました。私たち3人は、そのムービーを何回か再生しました。

 最初、私は、撮影されている床は、自分の家の床だと思っていました。その粘土状の顔が貼りついている壁も、てっきり我が家のどこかの壁と思っていたのです。

 ですが、壁の様子からみると、どうも茶色の板でできている様子なので、これは我が家のどこかではない、と分かりました。

 そのうち、ユタカが気がつきました。

 「あっ!この床板、うちのじゃない。よく見て!一枚の床板の幅や模様が全然違うじゃない。どこかよその家の床だよ。どこかの家で撮影したんだよ!」

 息子にそう指摘されて、私たちは、再度、用心深く、ムービーを再生しました。

 まず、どこかの家の床が映りますが、その床は明らかに我が家のフローリングとは異なり、どこかの民家の古い床だと分かりました。

 床板の幅は我が家のものより広く、色はすすけた濃い茶色、そして我が家のフローリングの床のような木目調のデザインは何もないのです。

 そして、壁へと連なる隅は、黒っぽい、ひどい汚れが付着していました。

 「うちの床はいつもピカピカじゃないけどさ、こーんなに汚れた所は、ないでしょ?これ、よその家だよね」

 私がこう言うと、息子も同意しました。

 「うん。これ、うちのじゃないよ。全然違う」

 次にカメラは、壁の謎めいた粘土状の人面をとらえていました。息子は、最後がまた変だ、と言いました。

 「ね、よく見ててよ。最後、ムービーが止まる瞬間、人の指が右上にさっと映るから。ほらっ!この黒い影、ね?分かるでしょ?これを撮影した人が、ムービー止めようと、ストップのボタンを押す時、その指が映ってしまったみたいじゃん」

 私は、2度ほど再生し、床が我が家とは違うこと、そして誰かの指の黒い影が画面右上にサッと映るのを確認しました。

 たった3秒の間に、これだけの奇妙な場面が撮影されていたのです。

 デジカメは、オフにして私の枕元にあったというのに、私がその場を離れた数分間で、息子や母が、夜中の4時近く、別の家で奇妙な映像を撮影できるはずがありません。

 カメラの視点は、まず薄汚れた床から始まりますが、その床も、暗闇の薄明りの中で撮られていました。

 そして、3秒というほんの短い時間の中で、一番の撮影の焦点は、1.5秒ほど映っている、壁に貼り付けられた粘土状の人面であることは明らかでした。最後にその撮影をストップしようと、「誰か」の指が(多分、人差し指が)右上にかざすように映っていた―

 その指は、デジカメの裏面のカメラレンズに触れたから、映ったのです。

 しかし、家族の誰も、こんな「我が家以外の場所」で「夜中に粘土状の人面を撮影する」ことは不可能です。そうなると、私のデジカメを使い、奇妙な異様な映像を撮影した「誰か」は、「人間」ではないことになります。

 私は、枕元にデジカメを置くことが怖くなり、それからは、息子の箪笥の小引出しの中に、「ここにデジカメがあることが分からないように」、ハンカチにくるんで入れることにしました。

 現実にあり得ないことが起きると、いくら大事な物を引き出しなどの中に隠したって、デジカメを勝手に触った「モノ」は、私がデジカメを隠したことも、隠した場所も、きっとどこかから見ているに違いない―

 とにかく、自分の行動のみならず心理までも、「得体の知れないモノ」に常に見張られ、見破られている―

 こんな心境になってしまうのも、無理のないことかも知れません。

 この変な映像は、また父が泊まりに来てくれた時に見せようと、消さずにおきました。また、私は、万が一、父が来る前に、その映像が「勝手に消えてしまわないように」、その粘土の異様な形相を詳しくスケッチしておきました。

 そのスケッチは、今でも手元にあります。それでも、何回も見る気になれないほど、恐ろしい形相なので、メモを手にする時も寒気がするのです。この異様さからは、「怨念、怨恨、呪い、化物、悪霊」といった言葉以外、思い浮かびません。

 この怪奇なムービーが撮影されてからは、「何故だか分からないが、人間ではない、すなわち怨霊のようなモノが家の中に入り込んで来ている」と、私は漠然と感じるようになりました。

 しかし、確固とした確信には至っていなかったために、それを家族の誰にも言葉として表現しようとも思ってはいませんでした。

 もう午前4時半ほどになっていました。

 私は、眠れないまま、仕方なく、台所のテーブルに腰掛け、5月25日の夜中に起きた事柄を、まとめてメモに書き出しました。母が、朝、父に報告する際に、「メモにしてくれたら、分かりやすく話せるから」と私に頼んだためでした。

 私は、「就寝前の午前1時11分から41分にかけて、通常の状況を11枚、デジカメで撮影。モデムの右に金属板を置いたが、コードは3時半頃、引き抜かれて、金属板の上に置かれる。その証拠写真を撮影。それから午前3時56分、枕元に置いていたデジカメに変な映像が撮影されていた」などなど、ほんの3時間~4時間の間に起きた事柄を、整理して書いていました。

 このメモを書き終わった後、お腹が空いてきました。もう午前5時40分でした。何か少し食べようと、冷蔵庫からベーコンを取り出しました。そして、おはしを取ろうと、食器戸棚を振り向いた時でした。

 いつの間にか、電子レンジ左横にある、3段の半透明な整理ケースの真ん中の引き出しが、手前いっぱいに引き出された状態になっていたのです。

 この引出しは、爪切りや安定剤などの、ちょっとした薬を入れる小物入れとして使っているものです。私は、寝る前には、この整理ケースの引き出しがきちんと閉まっている状態を、デジカメで撮影していました。

 私がメモを書こうと、台所に来た時、整理ケースは異常ありませんでした。誰も、引出しを思い切り手前に引き出したまま、放っておいたりはしていないのです。

 だから、私がメモを書いている、午前4時半から5時40分の間に、また「誰か」が、私のすぐ背後で、整理ケースを、今にも外れそうなほど、ギリギリに手前に引き出していたのです。

 もう「玄関の灯りが勝手につく」といった異変が始まって、10日目でした。
 5月19日頃、つまり異変が始まってまだ3日目の時点で、「この現象は続くだろう」と妙な予感がした通り、その現象は留まることなく、いよいよ頻繁になっていき、ついには私の背後に迫って来たのだ―

 私は整理ケースを背に、テーブルに座ることが怖くなり、いっぱいに引き出された引出しを、離れた所から、まるで物の怪を見るかのように、恐る恐る見つめていました。(To be continued......)

2009年12月8日火曜日

第3章―ポルターガイストの出現―6―謎のムービー:part1

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 5月23日に、駅改札口前のダストボックスに、『人形』の本を捨てた後は、ちょっとした安堵感がありました。

 「これで1週間続いた変なことも無くなるだろう」

 そう考えたのですが、「またあの本が我が家の書棚に戻ってくるのでは」との不安も時折あり、ヒヤヒヤしながら書棚を覗き込んだり、1階の集合ポストの郵便物を手にしたりしていました。

 そして、「本を捨てたから、もう不気味な現象は起こらない」というのは、全く甘い考えだった、と後になって考えるようになりました。

 この日の晩頃から、玄関の灯りは、リビングのインターフォン左横のスイッチで操作できることが分かりました。

 玄関扉横の灯りのスイッチは、従来とは逆に右側を押しておきます。すると玄関は灯りは消えた状態ですが、リビングのインターフォン横の縦に3つ並んだスイッチの一番下を右に押すと、玄関は灯りがつく状態になるのです。

 これで、薄気味悪い玄関が暗いまま、洗面所に行かずに、リビングのスイッチを右に押してから、明るい玄関の方へと夜中でも行けるようになりました。この習慣は今でも続いています。

 また、この晩から、私は、異変が後で起きても確認できるように、「就寝前の状態」をデジカメで撮影するようになりました。

 異変が起きたからと言っても、これといって証明できるような、当てになる人物や研究機関と繋がりがあるわけでもありません。

 ただ、「就寝前はこうだったのに、このように、いつの間にか異変が起きていた」ということを、目で確かめる材料が欲しかったのです。

 これは不思議な心理です。なぜ「怖い異変」が起きた証拠を撮影し、「通常の状態」と比較する必要があるのでしょう。

 自分でも、その心理状態は、現在ではよく分かりません。ですが、「不安の心理」は、「不安な状態」を、せめて「証拠写真」に残して、家族で確認し合うことにより、不安を解消しようとする傾向があるのだ、としか思えません。

 記録を見ると、こう私は書き残しています。

 「5月24日 AM 1:11~1:13 リビングの物の位置を念のため、デジカメで9枚撮る (ピアノの椅子も自然な位置で→ 椅子の背後にCD ラジカセ→ 椅子をピアノの奥にどんなに押し込んでも、もし椅子が倒れたらラジカセに当たる→ 床には背もたれがつかないことをチェック)」

 「モデム Check, 台所の蛍光灯、テーブル上のライトは保安灯にして、就寝モード!」

 この晩からだったのでしょう。リビングが暗いままなのが嫌なので、流しの蛍光灯を今でもつけたまま、就寝するようになりました。

 それから10分ほどした午前1時29分、息子が口を洗うために洗面所に向かうと、再び私の書斎で足音を聞いたと言いましたが、書斎には誰もいませんでした。

 ユタカは、前日は、夕食後と就寝前に、心療内科から出された安定剤を飲んで、午前1時半には眠気が来たのですが、「あの薬はきつすぎる」と言って、この日は就寝前だけに安定剤を飲みました。 

 すると、逆になかなか寝付かれず、午前3時過ぎまで眠れないとぼやいていました。 

 不登校になって以来、息子は、昼間も夜中も、子供部屋の壁にいつも寄り掛かって、DS をしており、外出は一切しない状態でした。彼の行動範囲は、リビングに食事に来るか、トイレのため洗面所に行くだけに限られていました。 

 彼は、この晩も、途中でDS は止めて、一旦床に入りましたが、「ああ、眠れない」と言って起き上がりました。

 午前2時10分頃、息子がトイレに入り、出た途端、「バチン!」と音がし、台所の蛍光灯が消えてしまいました。

 「あれ?台所の灯りが消えた」 

 息子が台所の蛍光灯を見て、私に報告しに来ました。私は変だなと思い、ブレーカーを確認しに洗面所に行きました。

 すると驚いたことに、左から2番目のブレーカーが下に向いた状態になっていたのです。さっき私が聞いた、「バチン!」という音は、このブレーカーが落ちた音だったのか、と気づきました。

 「またブレーカーが......前は下げていたのが勝手に上がって、今度は上げていたのが勝手に落ちたんだね......でもなんで?」 

 「僕が分かるわけないじゃん」 

 ブレーカーは、日が変わる前の23日午後11時50分頃に、玄関の灯りやすべての部屋の施錠と共に、上がっている状態であるのを確認し、メモに記録していたのです。

 「僕がトイレから出た途端に、バチン!って音がするからさ、びっくりした」

 こう異変が毎日起こると、段々と「現象」に慣れ、「また変な現象が起きた」とウンザリするようになりました。

 しかし、その「現象そのもの」は、普通ならあり得ない。だから「怪奇」なのだ―

 このように考えると、やはり怖いのです。

 翌日、25日の日曜日、私は、このような記録を残しています。

 「AM 0:05~0:14 LASTLY 私の書斎の窓閉める、椅子はいつもの位置(その後ろにストーブ)→ この部屋のドアの内側すぐ近くにストーブ置いて、light off」 

 この「ストーブ対策」は、「誰か」が椅子を倒したら、ストーブの位置も動くか倒れることを、後で確認するためでした。ドアも、きちんと閉めたのを、「誰か」が勝手に開けた場合、すぐ内側に置いたストーブも「ガタン!」と音を立てて倒れる―

 そのことを想定したからでした。

 しかし、今から考えると、実に滑稽な話です。 

 実際、「正体不明の誰か」が、椅子を倒そうと、ドアを開けようと、そしてその「異変」がストーブの位置の変化や倒れる音で確認できようと、何になると言うのでしょうか?

 「正体不明の誰か」は、決して見つからず、ストーブが位置が違った、倒れたからと言っても、警察は相手にしないでしょう。 

 もし指紋をとって照合したとしても、私と母と息子の指紋だけに決まっているのだし、第一、「指紋を照合する」ことまで、警察はしないのです。

 それが分かっていても、当時の私は、「訳も分からず椅子が倒れたり、ドアが勝手に開く」よりは、「透明人間のような誰かが、確かに椅子を倒し、ドアを開けたのだ」という「証拠」を確認した方が、何となく安心できる― そんな心境だったに違いありません。

 「透明人間」や「実態を持たない誰か」が存在するとは、到底信じていなかったにも関わらず、なのです。

 しかも、その「証拠」によって、「誰も触れていないのに、椅子やドアが動いたという、物理的に不可能な状況」が再確認できて、更なる恐怖に凍りついてしまう―

 それが自分でも分かっていたというのに、私は、デジカメまで枕もとに常に用意し、「異変の証拠映像」を欲していたのです。

 「物理的に不可能なことが起きる」からこそ、「証拠映像」という「物理的に確かなもの」を欲していたに過ぎないのかも知れません。 

 恐怖で、ぽっかりと開いた心の穴に、「ほら、ちゃんと物理的証拠がある」という「確かな現実」を埋め込んで、この奇妙な現実のバランスを保とうとしていたのでしょう。

 「恐怖」という不安な状況から少しでも抜け出すため、私は、モデムにも工夫を仕掛けました。

 モデムの奥にあるコードが、よく引き抜かれて、昨夜は、コンセントの左側に置かれてありました。

 そこで、「左側から『誰か』が手を出さないように」、パソコンデスクの左側に、ピタリとくっつけるようにして、ポリ袋で内側を覆ったゴミ箱を置きました。

 また、モデムの右側には、絵ハガキなどを入れていた金属の箱から蓋だけを外し、蓋の内側を上にして、床に置きました。

 この状態を、デジカメで撮影しておきました。

 もし、「誰か」がコードを抜き取り、右側に置いた場合、コードは金属板の上に置かれるだろう、と思ったからです。

 これらの「対策」も、書斎のストーブと同じことで、結局、「異変の証拠確認」のために―「恐怖が溢れ出すのを堰き止める安全弁」を作るために行ったに過ぎなかったのです。 

 実に矛盾した心理ですが、「恐怖は恐怖の再確認」でもみ消そうとしていたのです。

 この心理をまるで読み取られたかのように、モデムの異変は、私の考えた通りに起きました。

 午前3時半、私はトイレに起きました。その時、モデムの灯りはいつものように光っていました。

 しかし、3分後、リビングに戻ると、モデムのコードは引き抜かれており、3時間ほど前に、机の下右側に置いた金属板の上に置かれてあったのです。

 「ほら、あなたの予想通り、今度は右側に置きましたよ」と言いたげに...... 

 「ああ、やっぱり......!」 

 こう思いましたが、「証拠を残さなきゃ」と、その金属板の映像をデジカメで撮影しました。

 「慣れた」とは自分で感じていても、やはり怖い。家族が一緒でも、怖いのです。その怖さのためなのか、私は20分ほどすると、またトイレに行きたくなりました。

 25日の晩からは、私は、母と息子と同室に寝るようにしていました。私の布団は、部屋の入口側でした。その右横に、母、その左横の壁際が息子の布団でした。

 デジカメは、私の枕元に、スイッチをオフにして置いていました。息子は、眠れないので、ややベランダの方に体を傾けて、ゲームをしていました。

 午前3時56分、私は部屋に戻り、床に就こうとしました。その時、デジカメを見て、ギョッとしました。

 つい数分前、オフにしていたデジカメに、何かが映っていたのです。しかも、画面にムービーを撮影する時のマークが表示されていたのです。 

 「ねえ、ユタカ、ムービー撮った?」

 「えっ?何も。僕、デジカメ触ってないよ」

 息子は、私の声で、夢中になっていたゲームを止めて、初めてこちらに身をよじったようでした。

 「ちょっと......何、これ?」

 その静止された映像は、汚れた板の床の隅と、床に続く壁に、何か粘土をぐしゃりと貼り付けたようなものでした。その粘土のようなものは、明らかに人面らしき顔を形成していました。

 右目は開き、左目は黒く潰れ、鼻筋の下の鼻の穴は広がり、分厚い唇がグニャリと左横にへし押されて曲がっていました。

 要するに、顔が押し潰されて、粘土のように圧縮された状態を、3秒間、撮影されてあったのです。(To be continued......)

2009年11月29日日曜日

第3章―ボルターガイストの出現―5―落ちた印鑑

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 山岸涼子さんの作品は、その繊細で精緻且つ透明な画風が素晴らしく、<アラベスク>や<妖精王>などのロシア・バレエやファンタジー作品に、それらの画風は見事に溶け込んでいました。

 しかしギリシャ神話などを題材にした作品が多くなると、その舞台が西洋であろうと日本であろうと、彼女の作風は徐々に変化し、人間の心理の暗闇へとそのテーマを鋭利なタッチで切り込ませていきました。

 巨匠の名にふさわしく、絵は枯れ、もはや「少女漫画」の域を越えていました。 私が畏れるようになった<人形>の本も、収録された3作ともが、「人間の恐怖の実質」とも言うべきものを、実に見事に描き切っていた傑作ばかりだったのです。

 深夜の奇妙な物音、1階の押し入れに入れたはずの人形が、知らぬ間に2階の箪笥の上に置かれている、勝手に人形が動き出す、独り帰宅した時、昨夜炊いた炊飯器がひっくり返って、御飯が床に散らばっているのを発見した時―そんな尋常ではない事柄に対する生々しい畏怖が描かれていました。

 また、別の短編『潮(しお)の声』もそうでした。 7年ほど前にある母親と娘が住んでいたが、謎の怪死を遂げた後、「幽霊が出る」と噂されるようになった、とある北陸の和風の邸宅が舞台。

 そこにテレビ取材班が、「霊能者」と称する人々3人と共に、「霊は本当に出現するのか?」との番組を撮るため、2泊3日の予定で屋敷に泊まり込みます。 

 一番若い「霊能者」、佐和はまだ17歳の美少女で、自分が「霊能者」とは思っていません。親の言いなりに、無理やり芸能界入りさせられただけ。 しかし、真実、彼女にのみ霊感があり、その屋敷に住む霊と波長が合ってしまい、佐和は命を落とす―という、これは悲劇で終わる話でした。

 その佐和が、「幽霊なんかみたくない。早く家に帰りたい。幽霊なんか...いるわけないわね」とビクビクしながら、一人和室にいる時、ついウトウトと昼寝をしてしまいます。

 目が覚めると、腕時計がない。「この鏡台に閉まったのかしら?」と引き出しを開けるのですが、その引出しの中身に、彼女はギョッとします。 引出しの中には、古い紙に包まれた粉薬が、ぎっしりと詰め込んであったのです。その粉薬は、一夜泊まり、朝、浴場のそばの洗面台の上に置いてあったものと同じでした。

 彼女は、「以前、住んでいた人が使っていたものに、なぜこう怖がったりするの?私、変なのかしら。それを言ったら、他の家具やら、すべて、昔、この家の住人が使ってたものばかりじゃない」―

 こう思って、落ち着こうとしますが、鏡台の引き出しの粉薬―「ただ、私、『あれ』が怖い―」と怖ろしげにその引出しを見つめます。

 また、佐和は庭を散歩していて、転んでしまい、服が汚れたので、浴室で服を洗おうとします。浴室に向かうと、既に誰かが使っているらしく、ザーザーと水の流れる音がする。

 そこに、彼女は異様な影を見つけます。 浴室のすりガラスの向こうに、まだ幼い7歳ほどの少女の影が見えるのに、その影はじーっとして動かない。

 「なぜ、こんなに水音がしているのに、この影は動かないの?」

 ぞっとした彼女は、部屋に戻りますが、スタッフが「地元の女の子が二人、撮影見学に来ている」と言っていたことを思い出し、「あれは一人の女の子が水を流しているのを、もう一人が見ていたのね」と解釈し、少しホッとします。

 その後、誰もいなくなった浴場に彼女は入り、汚れた服を洗おうと、たらいにお湯を入れますが、その時、異様なことに気が付きます。

 「待って!さっきまであんなに水音がしてたのに、なぜこの浴室のタイルがカラカラに乾いているの?」 そして、そう気付いた瞬間、彼女の背後で、誰かが浴室のドアを勢いよく「ガラッ!」と開ける音がします。佐和はおののいて、振り向くと、ドアは閉まったまま。

 「さっき、鍵を内側からかけたドアが、今外から開ける音がした......それなのに、なぜ閉まっているの?」

 -こうした、ごく日常的な、「古びた薬」や「水音」や「鍵を閉めたはずのドアが開く」といった事柄への、人間なら誰でも抱くであろう恐怖感が、読者の戦慄を呼び覚ますのです。

 「ホラー作品」というのは、ゾンビや死体などを描くのではなく、こうした「日常的な小物」により真の恐怖を演出できるのです。こうした視点で描かれた山岸さんの作品集は、本当にリアルな恐怖を詰め込んだ逸品でした。

 この本を読んだ2007年、この山岸さんの作品の主人公と同じような恐怖を、今度は私たちが味わう羽目になるとは、夢にも思いませんでした。この短編集を「怖い」とは思っても、「よくここまでリアルに恐怖を描けるなあ」と感心さえしていたのです。 

 表紙は怖くてたまらないのですが、作品はつい読みたくなる、そのため、捨てるまでには至らなかったのですが、もう「もったいない」などと言っている場合ではない―

 そこまで、気持ちは切羽詰まったものとなっていました。 

 ぞーっと鳥肌を立てながら、その本を書棚から取り出すと、急いで「EMI MUSIC」のパンフレットの袋に入れて、セロテープを縦、横、上下とその袋に張り巡らしました。 その作業をしている間も、何かに追いかけられているような、妙な焦燥感がありました。

 袋に仕舞い込んだ本は、リビングのテーブルの脚に立てかけて、次の作業の用意を準備していましたが、その間に、「本がまた独りでに、勝手にポーンと放り投げられるのではないか」という怖さに追いかけられていたのです。

 その本が「じっとしている」のを、ちらちらと確かめつつ、今度は、コープの黒い袋を開け、EMI MUSIC の袋に入った本をその中に入れると、セロテープを思い切り長く引き出して、黒い袋の上下、縦横、斜め、とグルグルに巻き付けてしまいました。

 これが午後の3時40分でした。

 遅い昼食をそれからとった後、再び書斎に行き、本を抜き取った後にできた隙間をなくそうと、左側から辞典などを右に押し寄せ、その間にメモ帳2冊を入れました。

 これで、奥の方の、「例の本」のあった箇所は、全部隙間なく収まりました。 なぜそこまでしたのか、というと、「あの本がこの書棚に、もしかしたら戻ってくるのではないか。書棚にもし戻っていたら、それこそ怖くてたまらない」と感じていたからでした。

 その恐怖感を自分の中で、鎮めるためだったのです。

 現在、ほぼ普通の日常に戻っている私は、その時の極端な「恐れ」の気持ちを、「普通、本が動いたら、戻ってきたら怖い、だなんて考える方がどうかしてる」と思う、一般の人々の感覚を理解できます。

 実に馬鹿げた行動だったかもしれない。でも、当時の私は、そうでもしないと、「毎晩の怪異」から逃れられない―

 泣きたいほどの恐怖に怯えて、走って逃げている心境だったのです。

 いよいよ、出かける用意も済み、バスに乗って駅前の心療内科に出かけるため、保険証のある書斎に、4時50分、再び足を踏み入れた時でした。

 書棚の横の、幅30㎝ほどの小引出し棚のすぐ下に、家の実印が落ちていました。

 その印鑑は、普段は1番上の引き出しに、黒い革袋に入れた状態なのを、さらに固めの革製の小物入れに入れて、ボタンをパチンと留めて、大切にしまっているものでした。

 家の大事な印鑑ですから、銀行の通帳を新たに作ったり、生命保険などに加入など、よほどのことがない限り、その引出しからわざわざ取り出すことはないのです。

 それなのに、その印鑑が、黒い革袋から取り出され、裸の状態で、戸棚のすぐ足元に落ちていたのです。

 こんなに大事な印鑑を、もしカーペットの上に落としたら、誰だって拾うはずです。母にこのことを話すと、印鑑を床に放っておくはずがない、と言いました。

 「ここのところはね、ずっといろいろ不思議なことばかりでしょう。実印を必要とするような書類手続きなんか、何もしていないんだからね。印鑑を引出しから出したことなんて、ないのよ」

 私も母も、再び奇妙な現象に心がざわつくのを感じました。

 これも、夜中に灯りをつけたり、モデムのコードを抜いたり、ドアを内側から音もなく開けた、正体不明の「モノ」の仕業なのだろうか―

 その印鑑は、たちまち「気色悪い」物に変わりましたが、大事であることに変わりはありません。私は仕方なくそれを拾い、元通り、黒い革袋に入れ、更に固めの革製小物入れに入れると、引き出しに直しておきました。

 そして、私はバスに乗り、駅前に行きました。バスから降りると、小脇にしっかり抱え込んだ「例の本」を、思い切って駅のダストボックスに放り込みました。

 大事にしていた本を捨てるなどということは、生まれて初めてのことでした。

 しかし、その本は、私にとって、もはや「一冊の本」ではなく、「もしかしたら家に舞い戻ってくるモンスターかもしれない、得体の知れない化け物」と化していたのです。

 実際、病院での用事を終え、マンションに戻った時、「郵便ポストにあの本を入れた袋が投げ込まれていたら、どうしよう」とさえ思ったほどです。

 ところが、5月24日以降、次々とひっきりなしに起きた更なる異変の記録を読むと、「例の本」の怪奇は、「目に見えぬモノ」が引き起こした一例に過ぎなかったことが判明したのでした。(To be continued......)

2009年11月15日日曜日

第3章―ポルターガイストの出現―4―独りでに開くドア

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 5月22日に、一旦父は大阪に帰りました。

 夜中に、「テーブルの上にきちんと置いていたペンが、勝手に床に、しかも離れた場所に転がった」という話については、父は「落ちやすい場所に置くから落ちるんだ」と言っていました。

 この時点では父は、玄関灯りがついたりするのは「第三者の仕業」であり、物が独りでに転がるのは「私たちのだらしなさ」といった、「現実的で合理的な」認識があったのです。

 「チューブ薬が別の所に落ちていた」との件については、「うっかり自分が落としたままだったのかも知れない」と言うのですが、よほどだらしない家庭でない限り、普通は床の上に、ごみではなく、はっきりと目立つペンや薬が落ちていたら、拾うはずなのです。

 私が第一、床の上に落ちている物は放っておけない性質で、元の場所に置くか戻すかするタイプです。

 しかし、この5月下旬の時点においては、6日間、「通常でない状態を家の中で経験した」私や母、息子と、「家で変な事が起こる」との報告で、2泊しただけの父とでは、その現象に対する感じ方にずれがあって当然だったと思います。

 既に恐怖感が募っていた私は、「怪奇現象が現実に起きつつある」との感覚があったのですが、いきなりそういう話を聞かされても、「確かに変だが、きっと侵入者が悪戯しているのだ」と考えるのが、ごく普通の反応なのです。

 事実、私も、自分がじかに経験するまでは、「怪奇現象なんて有り得ない」と思っていたのですから。

 「とにかく、いろいろ予定があるから、また1週間後位に来る」と言って、父は帰りました。

 母は、「怪奇現象なのか、第三者の侵入なのか、分からないけれど」と心配しながら、とりあえず、家の鍵、合鍵、通帳、印鑑、現金の入った封筒などの貴重品は、まとめて一つのケースに入れ、子供部屋の箪笥の上に置きました。

 玄関脇の書斎などに今まで置いていたのですが、「侵入者」との言葉さえ、怖いぐらいだったので、うっかりその部屋に貴重品は置けない、と私と話し合った結果でした。

 その後、確か父のアドバイスで、その日の午後は、母が管理事務所に「勝手に夜中に灯りがついたり、ブレーカーが落ちたり、モデムのコードが引き抜かれたりする」ことを、相談しにいったと覚えています。

 管理人さんは、我が家の玄関先に来てくれて、「他人の侵入も、それは考えられますよね。侵入した痕跡がなくてもね。今の鍵はピッキング防止のを一つ付けてはるでしょ。最近、車上荒らしも増えてますんで、鍵を安心のために2重にしはったらいいですよ」と提案してくれました。

 そして、少し笑って、「でも家の中のそういうことって、案外ね、子供さんの悪戯ってこともあるんと違いますか」と言いました。

 母は、「いえね、うちの孫はいつも自分の部屋にいますし、娘も、子供が何もしていない時に変なことが起きていることは確認しているんですよ」と答えました。

 そういう会話を聞いて、ユタカは嫌な顔をして溜息をつきました。

 「あ~あ、こういう時って、子供って不利だよね。何でも子供のせいにされちゃう」 

 「気にしなくっていいよ。事情が分からない他人は、そう思う事が多いから」 

 私は、「大人は、子供が大人同士の話は聞いていない、分からないと思う傾向があるものだ」とこの時、改めて実感しました。

 「ブレーカーだって、届かないでしょう」

 「そうだよ。ほら、ほらね、届かない」

 息子は、洗濯機に体をつけて、その上にあるブレーカー板に指を精一杯伸ばしましたが、まったく触れることもできませんでした。当時13歳の彼は、164.5cm の私よりも5cm ほど低く、天井にも手がつかなかったのです。 

 母は、早速、紹介してもらった業者の人に頼み、その日のうちに玄関ドアを2重にしてもらいました。

 また夜中が訪れ、午前0:30頃、私はいつものように玄関の鍵と施錠、各部屋の窓の鍵を確かめ、浴室、トイレ、書斎のドアをきちんと閉めました。

 その10分後、息子が口を洗いに洗面所に行きました。歯を磨いている音が10秒もしないうちに、彼が「うわぁ!」と言って、リビングに逃げ込んで来ました。

 「また、どうしたの?」

 「ちょっと、お母さんの書斎のドア見て!」

 私が息子と見に行くと、さっき私がきっちり閉めたはずの書斎のドアが、最大限に開かれていました。

 「なんでドアが開いてるの?ユタカ、開けた?」

 「僕、ドアなんかに触ってない。ただ、洗面所に来て、歯を磨いてただけだよ。こうやって、鏡眺めながら。鏡には、お母さんの部屋のドアが映るでしょ、そのドアを見てたら、急に音もなく、ドアがすーっと開いたんだ―ねえ、怖いったら」 

 確かに、息子が洗面所に上がる足音は、スリッパではっきりと聞いていました。

 もし、彼が悪戯でドアを開けたのだとしたら、書斎に向かうスリッパの足音と、ドアを開ける「カチャ」という音が、私には分かるはずです。

 ただのマンションの3LDK、リビングと洗面所の距離は大したものではありません。また、息子が洗面所に上がり、歯ブラシを取り出し、歯磨きをし始めた音も、「ああ、今歯磨きね」と私はいつものように聞いていました。

 その途端、息子が驚いた声を上げて、リビングへと逃げて来たわけなので、ドアをクローゼットのある部分まで、きっかり90度も開ける暇もなかったことが分かります。

 灯りの消えた室内は、誰もいない。

 不気味に静まり返った室内で、ただドアだけが「内側に誰かがいるように」独りでに開いた。

 私は新たな現象に、心が凍りついたようになりました。

 誰が開けたのか、まったく分からないながら、いつも使っていた自分の書斎のドアノブに触ることも、気味が悪くてたまりませんが、開いたままなのも嫌なので、仕方なく元通りにきちんと閉め直しました。

 「ねえ、あの本のせいかなあ」ユタカが言いました。

 「え?ああ、『人形』の本?」

 「うん、あの本、今、お母さんの書斎の本棚にあるでしょ。あれを、『何か』が探しに来たんじゃないのかなあ......この間も、誰もいない書斎を、歩きまわる足音とか、探し物をしてるようなガサガサした音を聞いたもの」

 そう言えば、昨年、あの本を買って、夏に3回も本が勝手に飛び出し、今年の3月にはリビングのテレビボードの本棚からもいつの間にか抜き取られ、ピアノの隅の床に落ちていた―

 それでも捨てる決意がつかず、最終的に書斎の本棚に移し、奥に押し込んだままだった、と思い出しました。

 私は、「次々と不思議なことがあるのは、あの本を買ってから、だからかも知れない」―

 そう思い、ついに捨てる決心をしたのです。

 2008年5月23日、午後に、心療内科に行くついでに、駅の雑誌・新聞用ダストボックスに捨ててしまおう。そう決めて、寝床にやっと入りました。

 日頃の睡眠不足で、目が覚めたのは、もう正午を過ぎていました。

 私は、母に「今日、心療内科行って、あの子の吐き気止めと食後の胃腸薬と安定剤、もらってくる。ついでに、あの本、駅で捨ててくるわ」と言いました。

 こうは言っても、この1週間の「怪奇現象」の原因ではないか、と推定したその本に、再び触れるには勇気が要りました。

 午後2時50分、意を決して自分の書斎に入った時です。

 すぐにいつもと違った状況に気が付きました。

 私の机の木製の椅子が、カーペットの上に、背もたれを下に、倒れていたのです。

 変だと思い、椅子を元通りに起こしても、今度は机の下の左側に置いた袋に、椅子の足がぶつかり、きちんと椅子が置けません。

 袋をのけて、椅子を元通りに立てると、椅子の背が、机の手前にピッタリとくっつくのです。

 普段、私は、椅子を机の手前にくっつくほど、ギリギリまで押し込んだりはしないのです。

 私は、「まるで、誰かが、椅子を押し込んだあと、わざと背もたれを下に倒したみたいだ」と思いました。

 「みたい」ではなく、確かに「何者か」が、そうしたに違いないのです。それも、夜中にドアを内側から開けた、実態のない「モノ」が―

 異様な事柄が次々と発生して1週間、私は正気かつ本気で、「実態のないモノ」がそうした物理的に不可能なことをやっている、と確信するようになっていました。

 そのように確信且つ感じることの方が、すべての場合、「ごく自然」であったのです。

 この椅子についても、試しに、袋を元の位置に戻し、私がいつもしている椅子の置き方、つまり机の手前から20㎝ ほど離れた位置に置いて、椅子を背もたれを下に倒してみました。

 すると、椅子は、背後の書棚の前に置いてあった、カバーをかけた電気ストーブに背もたれがぶつかり、完全に倒れませんでした。

 このことだけでも、ぞっとするのです。

 普段、この部屋に出入りするのは、私と母だけであって、しかも母は、その日の午後まで、私の書斎に入っていないと言いました。

 昼夜逆転している息子は、夜中の異変のために、私の書斎を怖がり、入ろうとしません。明け方の4時にやっと寝て、この日も午後の3時に起きてきました。 

 「もし椅子が倒れていたら、普通誰だって、元通りにするでしょう。椅子だけ倒れているなんて、絶対変よ」

 母もこの椅子の話に驚いて、そう言いました。

 私は、自分の書斎ではなくなってしまった、異様な場所になってしまった―そういう不気味さを感じながら、例の本を書棚から抜き出したのでした。(To be continued......)

第3章―ポルターガイストの出現―3―上げられるブレーカー

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 この「物が勝手に放り投げられた」という事実は、その後の記録を見ると、6月になって、ますます激しくなり、それこそ「物が敵意をもって真っ直ぐ飛んで来る」という、信じ難い現実へとどんどん発展していったことが判りました。

 5月の中旬から末までは、そんなに物は飛ばなかった、だが6月からは、あれよあれよと言う間に、様々な怪異が起きて行ったように覚えています。

 それまでにも小さな出来事が積み重なって、どんどん大きな「不可思議な現象」となっていったのに、6月からは本格化した、ということでした。

 5月21日の夜中には、就寝前に、玄関は施錠し、一旦玄関も消灯しましたが、その後、父のアイデアで、工夫をすることになりました。

 午後の10時半頃、再び玄関の灯りをつけ、そして、扉の左側の壁にある照明ランプのチェーンを引っ張りました。すると、玄関は灯りが消えます。そして、玄関のスイッチを消灯の方向に再び戻しました。

 この状態だと、再び、チェーンを引っ張り、スイッチを逆に押さない限り、玄関は勝手に灯りがつかないことになります。

 さらに、午後の11時には、洗面所にあるブレーカーの一番左端を降ろしておきました。

 このブレーカーを降ろすと、玄関も洗面所も灯りが「誰かが故意に元通りにする」ことがない限り、より異変のスタートを食い止めることになります。

 父は、「チェーンを引っ張ってもいないのに、灯りがまたついたのなら、誰かが侵入して引っ張った、というれっきとした証拠になる。ブレーカーもそのためだ」と言いました。

 私も、その時はその理屈通りだと思いました。

 しかし、今まで誰も侵入した痕跡も無いのに、灯りがついたり、モデムのコードが引き抜かれたりした経験から、「誰かが勝手にこんなことをした」と、一体、他人に証明ができるのだろうか、とも感じました。

 相談するとしたら、管理事務所か警察、ということになります。

 それでも、「現実的な物的証拠」を重んずる警察関係者に、こんな話が通ずるのだろうか、相手にされないのではないか、といった懸念がありました。

 しかし私たちのために、一生懸命あれこれと工夫を凝らしてくれる父には、そんなことを言えませんでした。「じゃあ、何のためにここに来たのか分からんじゃないか」と、父は機嫌を損ねるだろうと思ったのです。

 この玄関の灯りは、父の工夫のおかげで、その晩は何も起きませんでしたが、問題はブレーカーでした。

 午前0:55頃、息子がトイレに行きました。

 「ブレーカーは降りているから、洗面所の灯りはつかない」ということは、息子にも話していたのです。それでも、彼は、いつもの癖で、洗面所のスイッチを、灯りがつく方向へ、パチンと押しました。

 私は、その時、息子が「あれ?灯りがついた」と言う声を聞きました。 

 「えっ?灯りがついたの?」

 私は変だと思って、洗面所に行きました。とりあえず、トイレを済ませて出てきた息子は、私にこう言いました。

 「僕、いつもの癖で、ブレーカーを下げているのを忘れて、洗面所のスイッチ、つけたんだ。そしたら、パッと灯りがついたんだよ」

 私は「ああ、ブレーカーを下げてて、灯りがつくはずないのに!」と気づき、急いで洗面所の隅を見上げました。

 すると、午後11時に下げていた、左端のブレーカーは、午前0:55、約2時間の間に、いつの間にか上に上げられていたのでした。

 私は再び鳥肌が立ちました。

 次々と、両親と、私と息子、この4人以外に誰もいないのに、家の各所で、勝手に物が飛んだり、下げたブレーカーが上げられたりしているのです。

 明らかに人為的な行為なのです。それなのに、誰も家族以外にいない。

 私は、この理由も原因も分からない現象を、いつしか「怪奇現象」と感じるようになっていました。(To be continued......)

第3章―ポルターガイストの出現―2―転がるペン

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 この壁の音というものが、単なる「集合住宅の反響音」ではない、「何らかの意思を持つ者による意図的行為」である、とその頃から私は感じるようになりました。

 今年は、去年ほどの凄まじさはすっかり影を潜めていますが、時折、明け方4時から6時の時間帯になると、家のどこかで「ゴンゴンゴン!ゴンゴン!」という大きな音がします。

 その音は、上階の人が床を、重い金属の金槌のような物で叩いているか、と思われるような激しい音です。

 そしてその音は、天井から響いたり、我が家のベランダから、または誰もいないリビングの床、時には息子が一人で寝ている個室の床から聞こえてくるのです。

 その震動は、叩き方の激しさを証明するかのように、寝ている私や母の背中にまで伝わり、枕もとに置いている小物が触れ合って、カチャカチャと音を立てます。

 必ず決まって、4時から6時の時間帯の間なので、私はだんだん恐ろしくなってきました。

 息子は「上の階の人じゃない?」と言いますが、どうして明け方のそんなに早い時間帯に、工事をする必要があるでしょうか。

 母もその音で目が覚めてしまいますが、「去年ほどのことは起きていないから、きっと大丈夫」とまた寝てしまいます。

 けれども、去年ほどのことが起きず、鎮まり返っているからこそ、その異様な音が私には恐ろしく感じられるのです。そうした現象に対して、去年よりも怯えるようになってしまいました。

 今のこの状況を考えると、昨年はよく、我慢して暮らせたものだと思います。何しろ、5月16日以降の異変が、日を追うごとに、その種類と数と激しさをどんどん増していったのですから。

 私は先日、「5月20日の記録を紛失した」と書きましたが、よく探してみると、見つかりました。それは、大学で教えていた頃の教材のプリントの行間に、小さな字で急いでメモを取っていたため、分かり辛く、それで見失っていたのでしょう。

 20日の記録は、次のようなものでした。

 「PM 11:30 消灯確認 AM 0:05頃 母トイレ→AM 0:10頃 またひとりでに玄関灯りつく」

  この後、父の発案で、「ブレーカーの一番左を下げておけば」となりました。そうすると、玄関の灯りと、洗面所やトイレの灯りは、普通なら「ひとりでに灯りがつく」ことは起きないからです。

 この晩は、ブレーカーのおかげで、「また玄関の灯りがつく」ということは起きませんでした。

 しかし、次はやはりモデムのコードです。

 これは、午前0時20分、子供が通常の状態でコンセントに差し込んだままにしておきました。

 ところが午前6時頃、再び「独りでに」抜かれてあったのです。「独りでに」というより、「誰かが故意に」というべきでしょう。

 このことに加え、今度は「人の気配」です。

 午前2時頃、私は毎晩のように起こる異変に、夜中のトイレが怖く、台所の灯りをつけて、そしてトイレのドアも少し開けて入っていました。

 その時、「子供のような足音、人の足音を真似しているような音」が、サッサッと玄関辺りの廊下を歩く音を聞いたのです。

 この音は、息子も聞いていました。彼は、子供部屋のふすまを、暑いからと40㎝ほど開けていたから、聞こえたと言いました。

 「AM 6:24 ブレーカーを元に戻す」

 20日の晩は、こうした記録でした。

 父が来てくれたおかげなのか、この頃には、毎晩のように「玄関の灯りがつく」「モデムのコードが引き抜かれる・差し込まれる」という怪異が「日常茶飯事」のように、必ずといっていいほど起きていたのに、私は段々、16日から19日までのような衝撃を受けなくなっていました。

 明らかに「現象」は必ず、頻繁に起きる―ということは、徐々に始まったものが、エスカレートしている、ということでした。

 夜中のトイレは怖いが、現象そのものには、いちいちビクビクしなくなった。すなわち、「現象が怖い」という感覚が麻痺してきていたのかもしれません。

 それよりも、「起きた現象に、どう対処するか」を父と考え実行し、その内容を記録する方に注意が傾けられていたのです。

 ですが、22日の夜中に、またこれまでに予測もつかなかった異様なことが起きました。

 それは、2008年5月22日の午前0:50頃のことでした。

 その頃には、玄関が気味が悪いので、私と母と息子は、歯磨きのセットを台所に置いていました。

 息子が0:30に、口を洗おうとして、コップが洗面所にあったことに気づき、そちらに向かいました。ところが、彼は、すぐに、「わっ!」と言って、リビングに駆け込んで来ました。

 「どうしたの?」

 「今、お母さんの勉強部屋(=玄関脇の書斎)で、誰かが歩き回る足音とね、机の上を、何かを探す時のように、書類をガサガサ触っている音がしたんだよ!」

  もちろん、書斎には誰もいず、電気もつけていません。

 私は、また何らかの「気配」だと思いましたが、「確かに正体不明の『誰か』が、この家にいる」ことに、これまでにない異様さを覚えました。

 その10分後、午前0:40頃、ユタカが安定剤を半分に割って飲みたい、というので、私と台所の流しに行きました。

 安定剤を飲む前は、モデムのコードは差し込んであり、モデムはきちんと光っていました。 

 息子は、私の隣に立ち、薬を受け取ると、コップの水で飲みました。 

 そして再び、モデムを見ると、ほんの1,2分の間というのに、もうコードが外されており、モデムは点灯していませんでした。

 「感覚的に麻痺してきた」とは感じていたものの、やはりこうした異変を目の前にすると、やはり恐怖感が蜘蛛のように背筋を這ってくるのです。

 そして、午前0:50、子供部屋で寝ている母を起こして、二人で今起きた異変を話している時、父が眠り、静まり返ったリビングで、何かが「カーン!」「カツン!」と落ちて転がる音がしました。

 「ねえ、今、リビングで何か落ちた音、したよね?」

 「僕、行って見て来ようか」

 そう言う息子の後に続いて、私もリビングに向かいました。息子は、私を見て、床を指差しました。

 流しの薄明りでも、はっきりと見えました。

 テーブルの上に置いていた、私のメモ用サインペンが、そこから1・5mは離れたパソコン用デスクの下に転がり落ちていました。

 もうひとつは、テーブルの隅、壁際に置いてあった、父のチューブ薬が、そこから3mは離れた米櫃の前に転がっていたのです。

 まるで「誰か」が「わざと」放り投げたかのように―

 このことは、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えています。物事に几帳面な父がするわけもなく、しかも父は熟睡中でした。

 なぜ誰もいないリビングで、ペンが「放り投げられる」のか。

 全く理解不能でした。しかし、このことは、「玄関の灯り」などと同じように、「エスカレートしていく」のではないか―

 そのような直感めいた、不穏な予感がしたのも、今でもはっきりと思い出すのです。 (To be continued......)

2009年10月30日金曜日

第3章:ポルターガイストの出現―1―壁の音 : part2

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 たいてい、夜中の0時以降、数分間、小さな、しかしはっきりと聞こえるような、「コン、コン、コン......」という音がしていました。

 我が家のすぐ階下の5階には、30代半ばの一人暮らしの男性が住んでいました。

 その人は、些細な音に大変敏感で、神経質な人でした。

 まだ息子が小学1年だった6~7歳頃、風船をつつきながら、リビングの上をはしゃいで歩き回っていた時です。今は改装しましたが、当時はリビングに、カーペットを敷いていたので、小さな子供の足音など、そんなに響くわけでもないのに、その男性は、夕方の4時頃、「ピンポーン」と呼び鈴を鳴らしました。

 「足音が騒がしいんですけれど」

 その時は、「そう騒いでいないのに、神経質だな」と思いつつ、「まだ子供が小さいので、申し訳ありません」と謝りました。

 しかし、夜10時頃にも、呼び鈴を鳴らしに来たことがあります。息子はもう、すやすや寝ていました。その時には、母が応対に出て、「うちは子供はもう寝ていますよ。ほら、部屋の明かりも消しているでしょう」と説明すると、その男性は恐縮した様子でした。

 「すみません。私は、最近、どうも神経がおかしいので......」

 そう言って、非常階段を降りて行く足音がしました。それでも、時折、我が家の物音が「うるさい」と感じたのか、ある時などは、その男性がまた来て、呼び鈴は押さずに、玄関の扉の外側を「バーン!」と蹴って行ったことがありました。朝になって確かめると、男性の靴跡がはっきり残っていたのです。

 それほど、神経質であるし、迷惑なほど物音も立てずにいるのに、人の家の玄関を蹴飛ばすほどの人物だから、夜中の「天井をコツコツ叩く音」は、階下の男性がやっているのだろう―ずっと、そう思っていました。

 父が来た時も、その音は、階下から聞こえるように感じました。私と母は、「下に変な人が住んでいるから、きっとその人かも」と説明しました。

 しかし、父は、こうも言いました。

 「マンションみたいな集合住宅は、何メートルも離れた家の音が、反響して聞こえてくることがあるんだ。反響音というのがあってね。ここは山に囲まれているから、余計に響くんだな。戸建ての住宅街でも、2キロも離れた家の物音が聞こえたという例もあるんだから」

 それでも、その音は、よく耳を澄ますと、何か細く長い棒の先のようなもので、細かく小刻みに音を鳴らし続けているのです。

 しかも、父が来てからは、その音は明瞭に、ますますスピードも上がっていることが判りました。父も、不思議だと首をひねり、「天井を叩くのに、こんなに素早く叩き続けるかな。いたずらにしても、奇妙だ。こんな念入りないたずらを、夜中にするなんて、よくまあ疲れないもんだ」と不審がりました。

 そのうち、ユタカが気がつきました。

 「あっ!これ、棒の先なんかじゃないよ。指でやっているんだよ。ほら、指だとさ、こうやって、タタタタタタタタタッと打ち鳴らせるもんね」

 そう言われると、確かに指で叩いているのだ、ということになぜ気がつかなかったのだろう、と思いました。

 そして、その「階下の天井を叩く音」は、よくよく聞くと、天井ではなく、我が家の、ベランダに面した二部屋を仕切る、壁の中から響いてくることが、はっきり判りました。

 その仕切り壁は、厚さは10cm ほどです。

 そんな中に、どうして人間が入れるでしょう。

 私は、父が一旦大阪の実家に戻った5月22日のメモに、こう書き残していました。

 「AM 1:30~2:40 下?の方から壁か天井を素早くコツコツと叩く音が続いた。(いつにも増して、音が大きく、1時間半近く続いた。)このコツコツという音は、5月16日以前にも、たまにあったが、16日以降、夜半の1:30 頃から毎晩のように30分以上続くようになった。=不思議な現象が起こる時間帯とほぼ同じ=しかし人為的な感じ、誰かが人を困らせようといたずらしてる感じで、こちらが壁を叩き返すと、また返事のように、コツコツ始まる」

 こんな変な内容の記録が一体あるでしょうか。

 しかし、「夜半のコツコツという音」は、完全に壁の中から聞こえるのです。そして、私が試しに、拍子をつけて、「コッココ、コンコン、コンコン」と手の甲で叩くと、全く同様に、同じ拍子で隣室の壁を叩く音がするのです。

 もちろん、家族全員は、子供部屋に集合しており、隣室には誰もいません。こんな事実を、もし警察や管理人さんに話しても、一体誰が信じてくれるというのでしょうか。

第3章:ポルターガイストの出現―1―壁の音 : part1

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「いいえ、お金が目的じゃないみたいなのよ」

 こう言う母の声で、私は昼過ぎに目を覚ましました。母は、父と電話をしていました。

 「え?警察?......管理事務所?そうねえ......」

 私は電話を終えた母に尋ねました。

 「何?警察って?お父さん、なんて言っているの?」

 「あのね、お母さん、今日から泊まりに行くのは止めたよ。代わりに、お父さんがこっちに泊まりに来てくれるって。それでね、今度のことは、あまり続くようなら、警察や管理人さんに相談すべきだって」

 「へえ......どれくらい、泊まってくれるの?」

 「一応、ある程度、騒ぎが鎮まるまでだって」

 私には、この正体不明、原因不明の「騒ぎ」が、一時的なものであるとは、思っていませんでした。それに、父の非常に現実的な性格を知っていた私は、「警察」「管理事務所」という言葉が出てくるのは、当然だと思いました。

 父は、その日の午後に、3泊ほどの用意をして、すぐに駆けつけてくれました。私や息子を見ると、ホッとしたように声をかけました。

 「おー、元気だったか。大丈夫、大丈夫、オバケだろうが、泥棒だろうが、お祖父ちゃんが退治してやるからな」

 70代半ばではありますが、未だに意気盛んな父は、友人が多く、人との交流を楽しみ、趣味の日本史を活かして、近畿地方を中心に、歴史的名所を案内する活動をしていました。

 すぐに夕方となり、久しぶりに家族揃っての夕食の準備の最中だったと思いますが、この時にも「変だな」と感じることがありました。

 テーブルの端の方に置いていた、ポケットティッシュとハンカチとが、誰も触れていないのに、勝手に「パサッ」と音を立てて、床に落ちたのです。
 「今、ここに置いてたティッシュとハンカチが独りでに落ちたんだけど―」

 「テーブルの隅に置いているなら、そんなことよくあるだろう」

 父がこういうと、なるほどそうだな、と、その時は特に気に留めていませんでした。

 夕食後は、1時間半ほど、皆でトランプをして遊びました。ユタカは、久しぶりにお祖父ちゃんと会えて、嬉しかったのでしょう。よく笑っては、冗談を飛ばしました。私は久々の家族の歓談を、デジカメに収めました。

 しかし、この時の写真も、また後に撮った写真も、「不吉だ」ということが後で分かり、結局削除してしまいました。

 午後の11時過ぎには、テーブルを食器戸棚(テレビボードと向き合う方向)へと押しやり、そのリビングのフローリングに、蒲団を敷いて、父に休んでもらうことになりました。

 その日19日の晩から、翌日20日にかけてのメモは、現在見当たりません。まさか、こうした一連の不思議な現象が、その後、約半年にも及んで続くとは予想もつかなかったので、何か事が起きると、その辺にある広告の裏や要らない紙を使って、メモしていたのです。

 きちんと1冊のノートに書くようになったのは、6月に入ってからのことでした。それでも、20日の晩は、やはり灯りがつくなどの異変は、確か起きたように記憶しています。

 ただ、父が泊まりに来てくれた19日から22日の晩の間に、「これは尋常ではない」ことが明白になった事柄がいくつかあります。

 その一つは、「壁の音」でした。

 5月19日以降の異変以前、多分、3月か4月頃だったと思いますが、その頃から、どこからか、下の階の人が天井を叩くような音がしていたのです。

2009年10月14日水曜日

第2章:悪夢の始まり―3―モデムのコンセント: part4

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 この騒ぎで寝ていた母が起きてきました。息子は、「しんどい」と言って、子供部屋に横になりました。

 私は、全く一睡もしていませんでしたが、頭は不思議なほど、冴え冴えとしていました。あまりに奇異な出来事のためだったのでしょうか。

 母に、この晩の3時半から4時に至るまでの出来事を、一部始終、台所のテーブルに座り込んで話しました。

 母は、5月19日から1泊で、実家に独り暮らしの父の所に用事で出かける予定でしたが、私は心細くてたまりませんでした。

 「ねえ、日帰りで帰って来て」

 「それなら、ここ4日間のことを、メモに書いてちょうだい。それをお父さんに見せるから」

 母がそう言うので、私は、午前4時半頃から、台所のテーブルで、灯りをつけて、メモを急いで書き始めました。

 モデムのコードは、メモを書く前に、気色悪いので、コンセントから抜いておきました。

 普段、大きな字を書く私の字が、恐怖のためか、変に歪み、異常に小さく縮こまっていました。母は、このメモは読みにくいから、別の紙に清書すると言いました。

 もう小鳥のさえずる声が聞こえてきます。時計を見ると、午前5時半になっていました。私は、母の書いたメモを、一緒に読みました。

 「何て言うかな、お父さん、このメモ読んで」

 「そりゃ真理子やユタカのことを心配するでしょうけどね。誰かが侵入しているんじゃないかって......」

 「私は、誰かが外から侵入しているって感じはないんだけれど......だって、誰も入り込んだ形跡ないでしょう」

 「そうねえ。でも......変ねえ」

 もう午前5時40分でした。ひとしきり、母とこんな話をし、私は、ふとモデムを振り返りました。その途端、ギクッとしました。

 「キャーッ!」

 モデムが、再びチカチカと光っていたのです。

 ほんの1時間前、気色悪いからと、抜いたモデムのコードは、再び、コンセントに差し込まれていたのです。

 灯りをつけて、私と母だけで、台所にずっといたというのに、背後で「誰か」が「故意にモデムのコードを手に取り、コンセントに差し込む」という、いとも不気味な行為を行っていたのです。(To be continued......)

第2章:悪夢の始まり―3―モデムのコンセント: part3

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 ユタカがその話をしている時間は、ほんの5分間程でした。その間、私の寝室のふすまは開けたままでした。

 この話をし終えた後です。ふと息子がふすまから台所を覗き、「うわっ!」と驚いた声を上げました。

 「どうしたの?」

 「モデム、見て!また光っている!何で?」

 私も驚きました。さっき、20分程前に消えていたモデムが、チカチカと光り始めていたのです。

 息子は、モデムのそばに近寄りました。

 「お母さん、ちょっと来て!ほら、僕がさっき、モデムのコード、抜いた状態にしたのを見たよね?なのに、ほら、コードがコンセントに差し込まれているじゃない!」

 確かに、モデムの「電源、LINK, LAN LINK」などと書かれた各所が光り、コードは元通り、差し込まれていました。

 しかも、一旦、コードをコンセントから抜いた後、差し込んだ直後の様子で、モデムは一番上の「電源、LINK」辺りまでが、チカッチカッと光り出している状態でした。

 ユタカは、午前3時半、通信を止めるため、モデムのコードをコンセントから抜いたのです。それは私も確認済みでした。

 その後、午前3時50分、彼は、ただ手を洗うために台所に行き、「手を洗っている水音」も、私が聞いたのです。

 その直後、玄関の灯りがつき、その話をしている最中に、抜いたはずのモデムのコードが、「独りでに」差し込まれていたのです。

 こうなると、これらの事実は「怪異」としか言いようがありませんでした。 明らかに、「誰かが故意で触らない限り、一旦外したコードは、元通り、コンセントに差し込まれない」のです。

 そしてその「故意的行為」は、私も息子も行っていない。寝ている母は、全くの対象外です。

 すると、私とユタカ以外の「誰か」が、その行為を故意に行ったことになります。

 その「誰か」は、一体全体、誰なのか―

 全くもって、想像がつきませんでした。

 しかし、「外部からの侵入者」ではないことは確かである、と私は理解していました。

 もっと正確に表現すると、「理解さえもできなかったが、理解することが徐々にできるようになった」となるでしょう。

 玄関のスイッチは、やはり灯りのつく右側が押されていました。もう、怖いので、息子がスイッチを左に押して消してしまいました。

第2章:悪夢の始まり―3―モデムのコンセント: part2

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 午前3時半頃でした。音量を低くしてショパンを聴いていた私は、隣室のふすまを息子が開ける音を聞きました。何だろうと思い、私は、MD のヘッドフォンを外しました。

 続いて、玄関へと向かう足音と、リビングのドアを開ける音が、ガチャッと聞こえました。

 その足音と気配は、トイレの方へと向かっていきました。軽々とした裸足の足音でした。

 ユタカの、だるそうなスリッパの足音ではありませんでした。

 しかし、明らかに洗面所に上がり、トイレに向かう足音だったので、私は息子がトイレに起きたのだと、その時は感じました。

 「あの子、トイレかしら。珍しい」 息子は、寝る前に一度トイレに行くと、一晩中、行かないのが普通でした。

 その後、すぐに息子が再びふすまを閉めて、部屋に入る音を私は聞きました。

 リビングのドアは案外重いので、開けると、静まり返った室内に、「ガチャ」という音は明瞭に響きます。

 その音をついさっき、確かに聞いたのです。

 息子がトイレに行ったのなら、2,3分ほどして、戻って来て、再びリビングのドアを閉めるはずです。しかし、そのような音は何も聞こえませんでした。

 私は、自分の部屋を出て、子供部屋のふすまを開け、ユタカに訊きました。

 「ねえ、今、おトイレに行ったの?」

 するとユタカは、違うと言いました。

 「行ってないよ。もう通信止めようって思って、台所までしか行ってない。パソコンの下のモデムのコードをコンセントから抜いただけなんだけど」

 「ああ、モデムか。ホント、光が消えてるね」

 私は、モデムを振り返って、そう応じました。

 「じゃ、もう通信しないのね。お休み」

 しかし、息子と私が各々の自室に戻り、ほぼ20分後。

 再び、息子がふすまを開けて、台所で手を洗っている音がしましたが、彼は急に私の部屋に飛び込んで来ました。

 「ねえったら!また玄関の灯りがついてる!」

 「えっ!また?うわっホントだ!嫌だ、何で......?」

 これで「玄関の灯りが独りでにつく」ことは、4晩目となりました。

 「僕、DS 触ってると、すぐ手に汗かくでしょう。だから、台所で手の汗がべとついて嫌だから、洗ってたんだ。洗う前は、玄関の灯り、消えていたんだ。でも、洗った後、念のために玄関の方を見ると、勝手に灯りがついていたんだ」(To be continued......)

第2章:悪夢の始まり―3―モデムのコンセント: part1

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 驚いたことに、「この奇妙な現象は、今後も続く」との私の予感は、不思議と的中しました。

 翌日の5月19日の晩でした。 「今夜は、まさか、もう何も起きないだろう」 妙な予感に内心ビクつきながらも、いつものように、全ての鍵をかけ、灯りのスイッチを消し、ガスの元栓―これらを午前1時にはちゃんと確認しました。

 その後、息子が「頭がかゆい」と言い出しました。

 息子は、体重が激減してから、お風呂に入る体力も気力もなくなっていました。時折、体を拭いてやる程度となり、髪も、腕の力が萎えていたため、私が台所の流しで洗ってやっていたのです。

 結局、洗髪のあと、髪をドライヤーで乾かしながら、おしゃべりをして、就寝は午前2時頃になりました。

 就寝といっても、3日間も連続して「物理的に起こり得ないこと=怪奇現象」が起きたので、私は、午前3時過ぎまで眠れません。

 仕方ないので、ワインを飲みながら、枕元のスタンドをつけて、MD ウォークマンでクラシックを聴きながら、起きていました。その頃、MD でよく聴いていた曲は、ダン・タイ・ソンのショパンピアノ曲や、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番でした。

 音楽を聴くと、平常心に戻ることができたのです。

 息子は、隣の部屋で、私の母と一緒にいました。母は、寝ていましたが、息子は不眠症で、DS のMPH (メトロイド・プライム・ハンターズ)をもっぱらやっていました。

 このゲームは、日本国内だけでなく、外国とも同じゲームを楽しむプレイヤーたちと対戦ができ、文字盤でチャットも楽しめます。

 現実に付き合う「リアルな」友人がいなくなった彼にとって、日本中、世界中の仲間とチャットをすることが、心の支えとなっていました。

 ヨーロッパ、アメリカのプレイヤーたちとチャットする際に、英語で通信をし合うため、もともと好きだった英語の力も伸びていきました。 不登校の彼にとって、その英語の通信だけが、いってみれば、「勉強」に値するものでしたが、昨年は、カウンセラーの先生のアドバイスで、家庭内では「勉強」「学校」との言葉は完全に「禁句」とされていました。

 こうして、私は音楽を聴き、息子はゲームという不規則な生活となっていたわけです。

2009年10月12日月曜日

第2章:悪夢の始まり―2―スイッチの方向:part2

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 翌日の5月18日の晩も同じことが起きました。

 母が午前4時半にトイレに起きました。私は物音で目が覚め、「ああ、お母さん、トイレだな」と思いました。ふすまを開けると、玄関の灯りはついていません。

 私もトイレに行きたくなって来たので、リビングの方へと戻って来た母に、ほっとして声をかけました。

 「ねえ、今夜は玄関、大丈夫みたいね」

 「そうねえ―何かの勘違いだったかも知れないよ。早く寝なさいよね」

 母は、息子のいる子供部屋に戻りました。

 今度は私が、トイレに行く番です。午前4時50分頃でした。「大丈夫」と会話を交わしても、2晩も、いつもとは違う「異常」が起きたので、やはり平静な心ではいられません。

 やはり暗い状態が怖いので、私は、トイレに入る前、玄関の灯りが消えていることを確かめて、洗面所に上がりました。(洗面所と廊下の間には、8㎝ほどの段差があります。)

 そして、洗面所左のお風呂場と、洗面所の灯りをスイッチでつけると、トイレに入りました。

 しかし、ほんの数分の間であるのに、私がトイレから出てくると、やはり、玄関の灯りがついていたのです。

 何も、人の気配もなかったのに......

 スイッチを、恐る恐る確かめると、やはり、誰か「別の人」が押したように、灯りがつく右側が押されていました。

 「ほら、ほーら、よくごらん」と言っているかのように―

 玄関の灯りをつけるには、わざわざ、10㎝ ほどの土間を降りて、かなり大きめの玄関扉の左側にあるスイッチを右に押さないと、絶対につかないのです。

 私は、息子と、実家の母と、3人で暮らしています。私たちのうち、夜中に、トイレに行くのに、玄関の土間を降りてまで、スイッチを押す者はいないのです。

 私は、鳥肌が立ちました。もう声も出ませんでした。

 慌てて、スイッチを元通りに、左を押して灯りを消すと、リビングに駆け込み、リビングの扉をバタン!と閉めました。

 すると、子供部屋から息子が出てきて、こう言いました。

 「さっきね、お母さんがトイレ入っている間に、急に音もなく、玄関の灯りがついたんだ」 

 ユタカは不眠症なので、まだ起きていたのです。

 これで、3晩も連続して「物理的に起こりえないこと」が起きました。私たち3人は、怖くてたまらず、結局、朝の7時まで眠れませんでした。

 私は、既にこの5月18日の時点で、この不思議な出来事を、「これはまさに『怪奇現象』だ」と認識していたように覚えています。

 「皆、トイレに行くのに、普通は洗面所の灯りをつけるだけ。わざわざ土間に降りて、サンダル履いて、玄関ドアの左のスイッチを押して、灯りをつけたりしないのに―」

 そして、この「怪奇現象」は、これで終わりではないのではないか?という、奇妙な予感も、その晩から私の中に生まれたのです。(To be continued......) 

第2章:悪夢の始まり―2―スイッチの方向: part1

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 普段、昼間はそうでもありませんが、夜になると、私は、就寝前の遅くとも午前1時頃には、玄関は鍵を閉め施錠し、玄関ドアの左横の灯りは、必ずスイッチを左に押して消す習慣が定着しています。

 また玄関から入って左(洗面所と差向い)の私の書斎の窓の鍵、台所のガスの元栓、最後にリビングとふすまで仕切られている2部屋のベランダの鍵は、必ず、かけているかどうかを、毎晩チェックするのです。

 なぜ、こんなに用心深いのかというと、子供の頃、近所の八百屋さんが火事に遭い、死傷者はでませんでしたが、いつも行き慣れていたお店が真黒に焼け落ちたせいなのかもしれません。

 あの時、まだ私は5歳ほどでした。でも、店頭に並んでいたキャベツや人参、玉葱などの野菜までが真っ黒焦げになって、その前で、八百屋を経営していたおばさんが、泣き崩れていた様子が、よほどショックだったのでしょう。

 すぐ向かいの、5階建ての小さな団地の踊り場から、姉と、同い年の香(カオリ)ちゃんや、そのお兄ちゃんの健君と一緒に、「かわいそうだね、こわいね」と見ていた記憶があります。

 それ以来、私は自分の家が火事になることを非常に恐れるようになりました。まだ5,6歳なのに、「石油ストーブの火は、消えているかな」と寝る前に確認するようになりました。

 あまり毎晩、きっちり確認しすぎて、かえって、その場を離れられなくなったことがあります。

 そんな時、父から「いつまでストーブを見てるんだ!消えたものは消えたんだ!さっさと寝ろ!」と怒鳴られたこともあります。 そうした「確認癖」は、何らかの事件などをニュースで知った後など、事件の内容に関係なく、なぜか通常より強まることがありました。

 今、私が住むこの3LDK のマンションは、築27年です。去年は築26年目に当たりました。周囲は、標高320mの山々に囲まれている、非常な山奥なのです。しかし、南方を望むと、数多くのマンションや団地が連なっている街です。

 オートロックでもない、中古の山奥のマンションであるため、よく駐車場の車上荒らしが絶えません。そのため、世帯主である私が、「しっかり玄関の鍵や施錠は、確かめないと」という気持ちになるのですが、幼い頃の「確認癖」も手伝っているのかも知れません。

 そういう習慣が身についている私にとって、「就寝前に消した灯りが、独りでについている」ことは、まさに驚異でした。

 翌日、5月17日の晩、やはり午前2時半頃でした。その日から、私は理由は思い出せませんが、子供部屋の隣の部屋に一人で休んでいました。息子は、私の母と一緒に寝ていました。

 私が、トイレに行きたくなり、ふすまを開けると、やはり、玄関の灯りが「ほら、ごらん」と言わんばかりに明るくついているのです。

 就寝前は、左に押して消したスイッチも、右側が押されてありました。つまり、灯りがつく方向にわざわざ変わっていたのです。

第2章:悪夢の始まり―1―玄関の灯り

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 今、昨年の5月の中旬から起きた不思議な事柄の数々を思い出すと、まるで昨日のことのように思われます。しかし、それらはあまりにも不可思議過ぎて、尚且つ「不思議さ」が「怪奇さ」へと、あっという間にエスカレートしていったのです。 

 それを考えると、まるで遠い昔のことのようです。しかし、それらの事件は「現実」の中で起きたことでしか有り得なかったのです。

 昨年、2008年5月15日までは、私は、息子の体調不良、昼夜逆転に悩みながらも、趣味の小説を書いたり、ピアノを弾いたり、ごく通常の生活を送っていました。

 息子は、45キロあった体重が極端に減り、35キロほどになっていました。腕や足を見ると、間接の骨だけが大きく飛び出し、それ以外は骨に皮膚が張り付いただけのような、まるで棒切れのような状態になっていました。

 食欲減少にもよるにせよ、やつれ方が激しく、いつか見たエチオピアの飢餓難民を思わせる痩せ衰えた姿でした。 それでも、私は、子供の趣味のパソコン動画やアニメ、DVD を一緒に観て、笑ったり、感想を話し合ったりしていました。確か、『今を生きる』というDVD を一緒に観たのも、5月初旬だったと思います。

 そうしたごく普通の日常が、5月16日の夜中から一変し、私たち家族は、現実に考えたこともない「超常現象」の暗闇へと放り込まれたのです。 5月16日の夜中、午前2時半頃でした。

 息子は、私と同じ部屋に寝ていましたが、昼夜逆転の生活が治らず、なかなか眠れないので、起きて DS をするのが習慣になっていました。そのうち、息子は「おなかがすいた。何かない?」と言い出したので、私は、プリンがあったことを思い出しました。

 寝室の隣がリビング、台所です。私は、リビングの灯りをつけて、息子はテーブルに座り、そしてプリンを食べ始めました。

 私は、その間、トイレに行きました。

 トイレに入っている時、トイレの前の短い廊下、つまり、玄関からリビングに通じる扉までの廊下を、誰かが裸足で行ったり来たりする足音が聞こえました。

 その後、洗面所へとその足音は近付き、そしてトイレの前で立ち止まり、こちらの様子を窺っているような気配がしました。

 「あの子かしら。でも、私に用事があるなら、声をドアの外からかけるだろうし、プリンを食べている最中に、廊下を何回も往復するはずがないのに―」

 息子の日常の動作、習慣を知る私は、変だなと感じました。やがて、その足音は、リビングの方へと消えていきました。

 トイレを出て、息子を見ると、黙って、テーブルの壁際のいつもの椅子に座って、プリンを食べている最中でした。

 「ねえ、さっき、お母さんがトイレ入っている時、ユタカ、おトイレの前に来たの?」

 「え?なんで?僕、ずっとここでプリン食べてたよ。トイレの方なんて行ってないよ」

 息子は、変なの、という顔をしました。

 「あのね、さっき、誰かが廊下を往復するような足音を聞いたから」

 「そんなこと、あるわけないじゃない。気のせいじゃないの?」

 私は、さっきの足音をよく思い出してみました。ほんの2,3分程の間の出来事です。その足音は、裸足で、軽々としたもので、明らかに、息子のものとは違っていました。

 息子は、極端に痩せたために、歩くにも、足の裏の骨が床に当たって痛いので、スリッパを履き、だるそうにペタン、ペタンと歩くのです。

 その足音や気配のことは、「本当に気のせいだったのかな」と思った程度でした。

 しかし、その後、約2時間後のことでした。午前4時半、まだ私と息子は眠れずにいました。

 私たちの寝ている子供部屋は、ふすまの上に、磨りガラスがはめ込まれています。眠れないまま、ふと私はそのガラスを見上げました。

 すると、リビングの方から灯りがついているのか、磨りガラスが明るく光っていました。

 2時間前に、台所で息子にプリンを食べさせた後は、リビングのスイッチは消したのです。

 おかしいな、と思い、ふすまを開けた時、私は驚いて「あっ!」と声を立てました。

 就寝前に確かに消したはずの、玄関の灯りが、明々と灯っていたのです。(To be continued......)

2009年10月11日日曜日

第1章: 前兆―2―背表紙の心霊写真:part3

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 3月には、息子の不登校は本格化していました。 

 それでも、私がバイオリンを弾いていると少し興味があったようで、「ビブラートできないの?こうすれば簡単だよ」と、初めてのバイオリンをさっと構え、練習もしていないのに、いきなり美しいビブラートの音色を出すことができました。 

 彼は、中1の1学期まで、吹奏楽部に所属して、トランペットをやっていましたが、その子に合った楽器が決まるまでは、弦楽器(ヴィオラ)も少し弾かせてもらった、と言いました。 それにしても、まだ13で、バイオリンのビブラートをすぐに器用に奏でられることに、私は驚きました。 

 私は、不登校の生活でも、少しでも、楽器の演奏などに触れて、心に潤いのある暮らしを送ってほしいと願いました。そこで、私が率先して、バイオリンを毎日練習して見せていたのです。 

 しかし、ユタカの物事への無関心と無気力は日々増幅するばかりで、楽器演奏という能動的な行動よりも、DS でひたすら夜中までゲームをする、という受動的生活が主となり、昼夜逆転が当たり前となっていきました。

 カウンセラーの先生は、「お子さんが不登校になると、お母さんがまず一番辛くなるんですから、お母さんの生活も、大切になさって下さい。趣味がおありなら、それを楽しむ時間を持つように心がけて下さいね」と励まして下さいました。

 精神的に辛い日々を送っていた、3月の末頃でした。

 ある日、すっかり忘れていた、例の『人形』の本が、なぜか、しまい込んでいた書棚から、誰も触っていないのに、やはり『トミカ』と『賢者の石』の間から抜き取られ、赤い表紙を上にして、書棚横のピアノの足もとの床に、無造作に置かれていました。

 「ああ、嫌だ。この本、なぜこうなるの?」とウンザリする私に、母は、「そんなに嫌で怖いなら、もう捨てなさいよ」と忠告しました。

 しかし、矛盾したことではありますが、これで、この本の移動は4回目なのに、「やっぱり買った物をそう簡単に捨てられないわよ」などと私は言いました。

 そして、今度は、私が思い切って、その本を持って、玄関横の5畳ほどの書斎の書棚に押し込みました。

 それも、『私の人形~』との背表紙のタイトルさえ見るのが嫌で、書棚の前列を避け、2列目の奥に、ぎゅっと詰め込むように入れました。

 「勝手に動かないように」、両脇をあらゆる本で固め、絶対に隙間ができないほど、きつく押し込んだのです。

 それから、数日間は、「あの本が移動していないか」を確認するのが日課になりました。今考えると、軽い強迫神経症(確認癖)になっていたのでしょう。

 しかし、4月も過ぎ、5月になると、その本のことは、ほとんど考えなくなりました。それより、息子の不登校の心配が大きかったのです。

 ですが、現在思い起こすと、『私の人形』が勝手に飛び出した事件は、その後、5月20日頃から急に始まり、凄まじい勢いでエスカレートしていった超常現象の、ほんの前触れに過ぎなかったことが、よく理解できるのです。(to be continued......) 

第1章: 前兆―2―背表紙の心霊写真:part2

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 私は、例の本に焦点を絞り、恐る恐るデジカメで3枚、撮影をしました。(最初は、息子が撮ったように記憶しています。) 

 すると『人形』の本そのものではなく、右隣の『ハリー・ポッターと賢者の石』の、タイトルの黒い背表紙の空いた部分に、不思議な映像が映っていました。 それは、人の顔に見えました。 

 真っ直ぐな額の下に、黒い洞窟のような大きな眼が憤ったように大きく見開かれ、通った鼻筋の下の口は、私たちを呪うように、カッと大きく開いていました。 『賢者の石』で終わる、あの大人気児童文学の記念すべき第一作目のタイトルのすぐ下には、横2cm、縦2cm ほどの空間があり、それから、原作者名「J.K.ローリング作」と書かれてあります。 

 この本のカバーデザインは黒を基調としているため、その空いた部分も黒一色でした。 その部分に、まさしく、人間の、この上ない憤怒の表情が写っていました。 

 少しサイズを大きめにして撮影しても、その顔が写るのです。 私は、ぞっとしました。これが、窮屈な場所に閉じ込められた「本に憑いているモノの怒りの表現かしら」と感じました。 それでも、そんな「モノ」がこの世に現存することなど、その時点では、半信半疑でした。 

 そこで、少し時間を5分ほど空けて、もう一枚、アップで撮影しました。すると、同じ場所なのに、今度は何も写らなかったのです。 

 問題の本を移動させた直後には、人面らしきものが3枚とも写ったのに、時間を置くと、もう写らない― 

 これが、真実「霊魂の写真」であるなら、そうしたモノは、瞬時にして別の場所に移ると、何かで聞いたことがありました。きっと、どこかにあきらめて行ってしまったのか...... その夏の『私の人形』騒ぎは、そのまま立ち消えの状態で終わりました。 

 年が明け、2008年になり、私は、自分の誕生日記念に、前から欲しかったバイオリンを購入しました。「素人でもすぐ弾ける」と評判だったのを、ネットの「楽天市場」で購入したのです。 

 子供時代は、楽器演奏は無理だ、という先入観がありました。でも、自分が子供を産み、その子が13になろうか、という時に、憧れのバイオリンやピアノを始めるとは思っていませんでした。 

 私は、毎日、熱心にバイオリンを練習しました。 ピアノに比べると、音の調節が難しく、また、曲らしい曲が弾けませんが、ただ、弓を大きく上下左右に動かすことが、ストレス解消になりました。 

 息子のユタカは、2007年の11月20日から、それまで抑えていたストレスが一気に噴き出し、吐き気を訴えるようになっていました。 

 ストレスの原因は、学校での「言葉によるいじめ」でした。 

 いじめがあっても、それを笑いながら報告するわが子に、ハラハラしながらも、「笑って報告するくらいだから、案外精神的に強いのかも」と思っていました。 

 しかし、それは無知からくる、大きな間違いだと、後になってわかりました。 息子は、吐き気、頭痛をしょっちゅう訴えるようになり、休学することが多くなりました。そして、3学期の学年末試験の初日を無理して受験したのを最後に、二度と在籍中の中学には通学できなくなりました。 

 その頃には、食欲もなく、恐ろしいほど痩せていました。せめて内科に行って、栄養剤の点滴でも、と思っても、血管が細すぎて、針が入らないと言われました。 

 そして、私は、中学のカウンセラーの先生と週1回、火曜日に会い、また、心療内科で子供の安定剤を処方してもらい、息子に服用させる、そういう生活が始まりました。

第1章: 前兆―2―背表紙の心霊写真:part1


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 なぜ動くはずのない本が勝手に動くのか? 

 その時の私は、「本が動く」ということに畏怖感を抱きこそすれ、それが「現実に起こりうるはずのない現象である」との認識が薄れていたように思います。 

 そこで「本が動くのは怖い。何とかして動かないようにしなくては」と、あれこれ考えました。 

 現実には、「本」というものは勝手に動くはずはなく、物理的に考えてもあり得ない、これが真実であり、日常なのです。

 ですから、「本が勝手に動かない方法を考える」ことは、実に非現実的なのですが、私はただただ「これ以上、本が飛び出すのは怖い」気持ちから、そうならない手段を探ることで頭がいっぱいでした。 

 結局、その『人形』の本は、もう子供部屋に置くのはやめて、リビングのテレビボードの書棚に入れることにしました。 

 手段は決まったものの、私はその本を手に取ることが怖く、また気味が悪くてたまりませんでした。そこで、当時12歳の息子の豊(ユタカ)に頼みました。 

 「ね、この本触るの嫌だから、書棚にしまってくれる?」 

 「え~平気だよ。お母さんがやれば?」 

 「でも、どうしても怖いよ。ねっ、お願い、お願い」 

 ユタカは、「仕方ないなあ」と言って、その本を、こともなげに掴むと、書棚に突っ込みました。 

 場所は、私が指定しました。 

 なるべく、分厚い本の間がいい、そう思って、『トミカ自動車図鑑』と『ハリー・ポッターと賢者の石』の間に押し込んでもらったのです。 

 12歳の中1にもなって、『トミカ自動車図鑑』というのも幼いのですが、私が、息子が5歳まで読んでいた本を、まだ捨てられなかったのです。 

 私は、自分でも変なことを言っていることは承知で、それでも安心して、こう言いました。 

 「ねえ、あれだけ分厚い本に挟まれてるんだもん、もう絶対にあの本、飛び出せないよね。手前にガラス扉もきちんと閉めてるんだし」 

 「うん。ね、お母さん、この状態で、この本、デジカメでちょっと撮ってみようよ。だって、この本、初版が2000年じゃん。今、2007年だよ。ずっとアマゾンの倉庫に置かれていたんだ。重刷もされないでさ。有名で人気がある本なのに、変だよね」 

 確かに、山岸さんのその『人形』の本は、「ホラーマンガのランキングで毎年1位、2位を争う」ほどの人気でした。大人の男性でさえ、「夜読んだら、運転もできない、夜道が怖い」というほど、その恐怖感は現実味を帯びていました。

 「じゃ、心霊写真とか......写るっていうこと?」 

 「うん。きっとさ、倉庫で7年間放置されている間に、この本を好きな霊が、本に憑りついたのかもしれない。または、いわくつきの本で、オークションに出されていたのかも―」 

 まだ12歳とはいえ、自我の確立が成されてきた少年の言う言葉には、大人もハッとするほど、新鮮な発見があるものです。

 「心霊写真」そのものさえ、普段から疑ってかかっていた私であったのです。しかし、ここまで目の前で、異様な出来事が起こると、不思議と「心霊写真、写るかも知れない」と素直に納得してしまうのでしょう。

第1章: 前兆―1―『人形』 の本:part2

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 息子は、たいてい、子供部屋隣の、リビングのテーブルの椅子に座って、DS をしていました。最初、本が引き抜かれて机の上に置かれた時、その前に彼が部屋にいた、ということもありませんでした。

 息子は、テーブルでゲームをしながら、テレビを観て笑っていました。私の「あの『人形』が机に置かれていた」との話にも、「何かのはずみで落ちたんでしょ」との返事でした。

 私は、『人形』の本を元に戻しました。本棚といっても、両脇に支えがあるだけで、ガラスで覆われているのではありません。その本の脇に、他の本を寄せて、絶対に倒れないようにした上、また、それらの本の上には息子のペンケースと折り畳み傘、またすぐ手前には、電動鉛筆削りを置いたのです。

 こうすれば『人形』だけが、ひとりでにであれ、偶然であれ、本棚から落ち、机の上に置かれることは、まず無い。そう確信したのでした。

 しかし、それは私の浅はかな、またちゃちな仕掛けにすぎませんでした。

 その状態にし、子供部屋は冷房し、しばらく私と息子はその部屋にいました。やがて、夕食の用意ができ、母が私たちを呼びました。まず、息子がリビングへと行きました。

 私は、『人形』の本が、絶対にひとりでに飛び出してこないよう、さっきの状態になっているのをしっかり確認してから、部屋の電気を消し、そしてリビングへと向かいました。

 テレビでは、当時の首相、小泉氏の長男で、今は映画俳優として活躍している人がトークショーに出ていました。私たちは、それを見て、笑ったり、感心したりしていました。

 その間は、例の本のことは忘れていました。

 やがて、蒸し暑くなってきたので、私は、ひとりで、隣の子供部屋に行き、電気をつけずに、ただ、エアコンがまだ動いているかを確認しに行きました。

 エアコンは動いていました。そして、私は、ふと、例の本のことを思い出し、そっと学習机の上に視線をやりました。その瞬間―

 「キャーッ!」

 自分でも驚くような悲鳴を、私は上げていました。

 あんなに「絶対動かないようにと固定していた」、『人形』の本が、やはりそれだけ抜き取られて、表紙を上にして、学習机の上に、斜めに無造作に置かれていたのです。

 その本の上に置いていたペンケースや折り畳み傘、またその本の左右を固めていた他の文庫本は、1ミリも動いてはいない状態でした。 『人形』の本の前には、重たい鉛筆削りがどっしりと構えていたのに、それも1ミリも位置は変わっていませんでした。

 ただ、『人形』の本だけが、まるで透明な手を持つ「誰か」によって抜き取られ、バサッと表紙を上にして、置かれていたのでした。(to be continued...)

第1章: 前兆―1―『人形』 の本:part1

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 2007年の8月中旬のことでした。どう考えても、不思議なことが我が家で起きました。

 当時12歳で、中学1年になったばかりの息子は「怖い話」が大好きだというので、ネットのアマゾンで、有名な少女漫画家、山岸涼子さんの単行本を3冊買いました。

 『天人唐草(てんにんからくさ)』・『神隠し』、それに極めつけは『私の人形はよい人形』でした。この『私の人形~』に関するエピソードをお話しましょう。

 8月の暑い最中でした。それらの単行本は、3冊とも、息子の学習机の上に並べて立ててありました。

 私は、息子の部屋に一緒に布団を並べて寝ていたのですが、ある朝、気がつくと、『私の人形』だけが、表紙を上にして、私の枕元に置かれていました。

 その表紙は、昔から伝わる古い伝統的なおかっぱの、立派な日本人形を細かに描いた絵を中心に、背景は、濃い赤一色。人形の絵を見ているだけで、何となく薄気味悪い気分になったものです。

 それが、いきなり枕元にあったので、私は驚いて、「ねえ、これ、お母さんの枕元にわざと置いたの?」と息子に訊きました。息子は、知らないと言いました。私は、それきり、「机の上の本が落ちたんだろう」と、学習机の本棚に戻しておきました。

 それから数日後、夕食時に、息子の部屋に入り、冷房をつけ、そして、何の気なしに、学習机の上に目をやりました。途端に、私は「うわっ!」と声を立てました。

 その『私の人形』だけが、本棚から抜き取られ、やはり表紙を上にして、机の上に、無造作に置かれていたからです。まるで、誰かがその本を引っ張り出したように―

 普通、ほかの本と一緒に立ててある本を抜き取った場合、その分、空間が空くため、ほかの本は斜めに傾くはずなのです。しかし、そうした痕跡は一切なく、ほかの本は、数冊もあるのに、じっと真っ直ぐに立ったままでした。

 「どうして、この本だけが、枕元にあったり、本棚からきれいに抜き取られるんだろう?枕元は、偶然、本が落ちたと考えられるけれど、誰もいない部屋で、なぜこの本だけが抜き取られるの?」

 その時、私には、「なぜこんなことが起きるのか」という疑問に対する論理的な、合理的な答えは浮かばず、ただただ、不思議で怖いだけでした。そこで、「今度は絶対に本が引き抜かれないように」と手段を講ずることにしました。

序章―「恐怖」の感覚

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 人間にとって、恐怖とは何でしょうか。恐怖の対象とは一体何か。 それは、個人によって、かなりの差や違いがあるでしょう。

 「狭い場所」や「乗り物」や「ある種の生き物」、そして「暗闇」―「狭い場所」が怖い、と感ずる場合は、「閉所恐怖症」、ごくありふれたタクシーや電車などが怖い場合は、「乗り物恐怖症」と呼ばれます。「狭い場所」とは逆に、「広い場所」を恐れる、「広場恐怖症」さえ存在します。 

 これら一連の「恐怖症」は、神経症の一種であり、英語では、phobia(フォビア)と呼ばれます。 しかし、そうした病理的な感覚に属さない恐怖も、人間には本能的に備わっています。 

 例えば、「高所恐怖症」はどうでしょう。高い所が怖い、という人は多いものです。中には平気な人もいますが、なぜ人間は、高い所が怖いのか。 それは、「落ちるのではないか」という、死の恐怖を醸し出す場所であるからなのです。

 「ある種の生き物」に関しては、これは個人的な嗜好の差が強くかかわるでしょう。 私は、小鳥や猫、犬、カメは平気ですが、蛇や蜘蛛、ゴキブリが恐ろしく、気色悪いと感じます。 中には、蛇などの爬虫類は大歓迎だが、小鳥や猫は勘弁してくれ、という人もいるわけです。これらは、病理学的な恐怖ではなく、個人個人の好みの傾向によるものでしょう。 

 しかし、大半の人に共通する恐れというものは、やはり存在するものです。 それは、やはり、「暗闇」であり、「得体の知れない音」であり、そして「本やペンが勝手に動くこと」ではないでしょうか。 

 そして、人間の、これまた本能として、そうした「暗闇」「異様な物音」に興味を持つ、といった奇妙な傾向もあるのです。 俗に見られる「ホラー映画」や「心霊写真特集」「本当にあった怖い話」などに人は、妙に惹きつけられます。 

 野次馬的関心なのでしょうが、そうした「お化け屋敷」的要素を持つ物には、「自分は関わりがないから、大丈夫」といった、安心感から、テレビや雑誌、ネットなどの「心霊特集」に恐る恐る目をやってしまうのです。 

 見たあとは、「ああ怖かった」「あんなことはヤラセだよ」「あんなことが起きたらどうしよう...でもあるわけないよな」などの、さまざまな感想が友人や家族の間でささやかれて、そして終りになってしまうわけです。 

 けれども、それが、本当に自分の身に起きたら、どうなるでしょう。 

 私は、自分でも、実に怖がり屋で、お化け屋敷など、絶対に入りたがらないほど臆病で、心配症です。 

 その私が、2008年の5月下旬から、11月末まで、ありとあらゆる超常現象を我が家で体験し、普段は口にするのも恐ろしい「死霊」、すなわち正真正銘の「本物」たちと同居したのです。 

 私だけではなく、当時13歳だった息子及び両親ともども、いわゆる「ポルターガイスト」現象に巻き込まれ、夜も眠れない日々を過ごしたのです。 今から考えると、当時の経験は、すべて「本当に現実に起こったことであろうか」と思うほどなのですが、私は、当時の経験のメモを詳細に記録していました。 

 現在、それらのメモに目を通すことさえ恐ろしくてなりません。 

 ですが、私は一連の恐怖体験から、人の「生と死」というものを学びました。 「死後の世界」などあるわけない、と、半信半疑だった私にとって、それらの超常現象は、私の勝手に作り上げた、曖昧な「死生観」を覆すほどのスケールだったのです。 

 それらを、科学技術の進歩した、この情報化社会において、ひとつの体験談として、書き記しておきたいと考えています。